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| 2002年07月08日(月) |
アルコールの効用。野良フクロウ時間の問題。 |
週末は、1日の3分の2以上は寝てるという普通じゃない過ごし方をしてしまった。もう、怠惰は一度はまってしまうともう救われようがないのだろうか。
今日はさすがに授業行かねば(それでも午後から)、と思っていたので、昨晩は無理矢理寝ようと再び馬鹿な手段をとった。お酒だ。夕張メロンのチューハイかなんかを飲んで、すぐに眠れたのは確かであったが、その後は決して安息の眠りではなかったといえる。恐ろしい夢を長時間見せられたのだ。内容については書くまでもないので省略するけれど、早朝に目が覚めてからも、それが「夢だったんだ」と気づくまでに時間を要したくらいだ。そして誰かにメールを送りたい衝動に駆られる。とにかく現実に戻ったという意識を確かなものにしたかったのか、ただ恐かったからなのか。絶対後者だろう。でも、そんなか弱い人間だと思われたくないし、人には甘えないこと決めてるから、何もしなかった。甘えるといっても甘えられる相手もいないくせに。いたとしても甘えない。・・・もういい。
以前にも、眠れないからといってお酒を飲んで、同じように悪夢にうなされていたことが何度かある。偶然じゃないのかも。何か科学的な根拠でもあるのだろうか。
2週間くらい前だっただろうか、友人宅でふと目にした新聞記事があった。なんでも、ペットに「フクロウ」が今流行らしくて、注文殺到、売切れ御免状態であるらしい。写真をみれば、ハリーポッターにでていたのと同じ種類の白いフクロウ。人気の発端は、やはりその映画であるらしいが。こういう現象はもう終わらないのだろうか。「101」でダルメシアンが流行り、「ベイブ」ではミニブタ、ラスカルでアライグマ、そもそも野生であるはずのプレーリードッグだとかスカンクも。そしてブームが去ったり、飼い主に捨てられて、彼らの中に野良化したのも少なくない。
「ペット用のフクロウ」という言葉に、誰も奇妙に感じることはないのだろうか。人間の身勝手でまたも動物が玩具のように生産され売られていく。ペット用のフクロウなんていない。ぬいぐるみじゃないのです。いい加減、流行り廃りに乗って動物で遊ぶのは止めてください。
| 2002年06月18日(火) |
グランパドドゥ(?)。化粧品メーカー。他 |
さっきの時間、英語予習をほとんどしていなかったので、大変な目に遭いました。先生も目の前にいらっしゃることですし。自分の順番が回ってくるまでのあいだ、必死で辞書めくったりしてパニックになってる姿たぶん見られていることでしょう。お見通し。ベルサイユのとこちょっとフランス語っぽく言ってみた、といっても特に意味無し。別にどうってことなかった。先生からフランス史について学びたいと思ったりする。とりわけサンジュストにロベスピエールについて深く語り(合い)たいのです。きっとよく御存じだと思いますわ。
動物実験をしていない化粧品メーカーを調査中。といってもお「お客様窓口」にメール送ったりするだけなんだけど。必ずしも真実を答えるわけではないかもしれないと心配していたが、実験を行っていると答えた会社では、動物実験が非道徳的であると分かっていることをまず述べ、「やむを得ず実験に動物を使用する」、という回答をしており、きれいごとばかり並べていない点で「おそらく事実である」と判断しているのであるがやはり曖昧だ。個人の力ではどうも。NPO等、ボランティア団体なら、もっとはっきりした裏付調査等も行っているのかもしれないし、あるいは、これが関与できる立場の限界なのかもしれない。ただ、やはりメーカーと消費者の間の隔たりは失くすべきであるし、消費者側へは常に公開の状態であってほしい。その上で、メーカーへの信頼を築いていかなければならないと私は思う。牛肉に始まる、食品表示偽造問題も議論されているし、消費者に対する生産者側の意識や責任は今後も厳しく問われるべきであろう。
先週の、バヤでールに話を戻らせていただく。「たぶんガムザッティのソロ」とあの時思ったが、パドドゥの順よく考えれば、あのアレグロの前がどう男性のバリエーションであるので、その次に女性がでてくるとパドトロワになってしまうような気がする(3人ということになる)。小品ではないので、おそらく形式も多様なのかも知れない。グランパドドゥでもないのなら、一体あの曲は誰が踊っているのか。
誰か教えてください。
| 2002年06月15日(土) |
ラ・バヤデ−ルへの想い |
昨晩はいろいろと悩みましたが、悩み抜いた結果、もう悩むのをやめようという結論に達しました。考えないことにしたのです。おそらく周りから見れば、しょーもないことで苦しんでいるように見えるんだと思いますが、私の性格上、そのしょーもないことで苦悩し、困惑し、何度胸が張り裂けそうな思いで泣いたか知れません。(後半3語は同義語か??)思えば、過去にも、思い悩んだ末もう諦めたこと何度もあったようです。やっぱり、自分ではどうしようもないからなのです。それが最大にして決定的な理由。
最近、バヤデールの1幕後半〜2幕の音楽ばかり聞いている。この曲には特に思い入れがあるのか、聞く度にその感動は新鮮なものであるし、それに過去のバレエの日々を一番よく思い出させてくれる。怪我で中断しているけど、またすぐにでも踊りたくなったりする。
私の、もしかしたら悪い癖なのかもしれないけど、音楽にしても聴くのはもちろん好きだけど、必ず自分でも弾きたくなってしまう。舞台もそうだ。ただ見てるだけでは物足りなくて、どうしても自分で実際に歌い、踊り、演じ、表現せずにはいられない。それはもう昔から。だけど結局どれも中途半端で、何か一つ群を抜くような特技があるわけでもないので、何も私にもたらしたものはなかったのだろう。
ラ・バヤデールのストーリーと、役の割り当てもほとんど覚えていないけど、一番気に入っている曲があって、それが1幕の23番くらいのアレグロ。たぶんそこはパドドゥだと思うので、曲順からするとガムザッティのソロになるか??めちゃくちゃ曖昧。パドドゥの前は侍女達だったかゲストが主に踊っていたが、ワルツが主で、その華やかな雰囲気がすごくいい。その、たぶんガムザッティのソロがどうしてもやりたいと思ったりする。物語では主役ではないけれど1幕のこの場面では明らかなプリマドンナではあるし、大役の一つだ。短い曲だけどこれが踊れたらどんなに嬉しいだろう。
でもまあ、たとえバレエ団の規模が小さくても、私などがこのプリマを演じることなどまず無理。第一に技術が追いつかない。またメインの役をやる人は、先生の信頼とかも含め、数年間変わらなかったりする場合がほとんどなので、よっぽど!の目ざましい上達やなにか光るものがあったりしない限り、途中から入ってきた、ただの20代の自称経験者には役は回ってこない。コールドばっかりやってた人のほとんどには移籍は不利だと言えよう。私だけか!?
国立劇場でべートーヴェンの協奏曲を東京フィルと競演したいとか言ってるわけじゃないんだし、とか思ったけど、やっぱり同じくらい難しいことだろう。
それでもまあ、バレエは好きなので、ただ踊ることを楽しんでいられたらそれでいい。
ただ、以前のように現実を忘れて踊っていられないのが今の現状。こんなことしてる場合じゃない、と何かが思わせるのであります。
もうすぐ学校閉まる。日記書く時間ありません。 今日限りだと誓いますが、不平不満だけ言わせてください。
なんかもうーいや。 好きな人は遠ざかり、嫌いな奴は寄ってくる。 なぜ??
思うようにはいかないことばかり。
以上。一年に一度くらいは構わない・・・でしょう??
| 2002年06月12日(水) |
茨城県よ、ペット引き取りをやめろ。 |
今朝は自然に目が覚めた。
嫌々ながら英語Wの宿題を済ませて、バヤデールの2幕とかショパンのワルツ集とか聞いていた。次ショパン弾くとしたら2番だ!
読売テレビで、捨てられたペットたちを世話している、ある女性について取りあげられていた。少しでも多くの動物を救いたいと、保健所に収容されたペットのうち、何匹かを引き取って、世話をしているのである。ペットたちを飼うのにかかる費用はすべて自腹だと言ってた。ものすごく大変なことだけど、本当にすばらしいことだと思う。こんなにも優しい人が、確かに居るということが嬉しかった。
ただ、保健所で預かってるペットたち、何も知らずにこんな所に連れてこられ、何の罪も無いのに殺されていく。彼らの目を、TVを通してでさえも、まともに見る事が出来なかった。涙が止まらなかった。泣いた。同時に悔しかった。人間のすることの身勝手さ、残酷さに対して。無力な自分に対して。
茨城県は定期的に、「不要になったペット」(こんな日本語があっていいのか)を回収しているという。トラックで地元を回るわけだ。まだ小さな動物が入っているであろう箱を引き渡す住民の姿が画面に映る。若い女に、老人に・・・、後ろ姿をみて、本当に心から憎いと思った。その場で彼ら人間を撃ち殺したいとさえ本気で思った。
この番組は見たことないので、スタジオにいた人たち、地井武男以外は名前知らなかったけどある女性の話では、茨城県のこの政索は、最終的に回収してもらえるから、と、安易にペットを飼い、そして簡単に捨てるという意識を住民に持たせてしまう。この方法は間違っている、と。本当にその通りだ。そもそも人間の身勝手さが原因でありながら、命を、しかも大量の、簡単に消してしまおうとする、一番許されるべきでないことを、平然と行っている、しかもこれを積極手段とするのは今後の改善(野良猫が害であるという問題が存在している上で)につながるとは思えないし、市民の倫理感覚の欠如はますます著しくなると思われる。もっと、考えてほしい。生命に対する意識を、変えてほしい。
どうして、あんなに小さくても私たちと同じ命、一生懸命に生きているのに、せっかく生まれてきたのに、こんなに簡単に殺されなければならない?不要な人間のほうがよっぽど多いのと違います??
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