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2002年01月25日(金) Die Abwesenheit

今日は午前中に編入学のカウンセリングを受けるため、いつもより早く起きて、京都駅前にある日本編入学院というところに行った。時間短かったけど、在学中の成績はどのくらい関係するかとか、おおまかな勉強法、英語がいかに重要視されるか、専門分野に関する参考文献等、疑問だったことはだいたい解決し、最低限かつ重要な情報も得られた気でいる。
後は実際に勉強に取りかかるのみ。

思わず口を閉ざしてしまうことだってあるわけです。今日は・・・

よく、友達と過ごしている時が、最も孤独を感じる時だというのを聞いたことがある。私も今日たぶん初めて、そう感じたのかもしれない。今ここに集まってる人たち、おのおのの、心の目はどこを見てる??そして私も。家に帰れば一人なんだっていうのはもう慣れてる。寂しいのには慣れてる。だけどどうしても、いたたまらない気持ちになる時がある。一人の時は、思いもしなかったような感情が現れる。

そして、次に映るのは自身の姿。私は、自分に自信があるとはいえない。いつも、どこか卑下する自分がいる。頭が良くないのもそうだけど、ブスだとか、そういう外見的なことも含めて。

何かしら美しいものを愛すると、どんどん自分が惨めになる。自分の醜い姿が見えてくる。それを隠そうとするために、私は黙ってしまうのかもしれない。

だけど、そんな私の欠点も何もかも包み込んで、見守ってくれる人、それは私の全てであり、生涯好きでいられると信じている。一番私らしい私でいられる時。ありのままの私を見てくれる人がいるとき、私は初めて自分を好きだと言えるようになる。

「君が僕の生き方愛す度に 少しずつ自分を好きになれた。」
(CHAGE&ASKA『僕は僕なりの』) 

Wishing you were somehow here again.


2002年01月23日(水) 信じるということ−信心−

何もない水曜日。
昼過ぎに起きてバイトである。

今日は仏教における信について。
仏教における信心とは、師に巡りあい、仏に照らされて人間的に成長することを意味する。それは自己が明らかに知れてくる心である。(N.Nabeshima)

ここで、法然の歌が紹介される。「松風の 暗きは月の光かな」
1本の松の木、それを照らす月、そして木の影を想像してほしい。光があるから、そこに影は現れる。光がなければ、そこは闇。木は、自分自身である。影は自分の悪いところ、醜いところ。仏が自身を照らしてくれるから、自分のそんな影の部分も見えるということだ。

「自分の暗さを知ってこそ、また本当の意味で相手を思うことができる。
自分を知ることが深ければ深いほど、人はいきいきとしてくる」(ハイデガー)

私自身も、先生をはじめたくさんの人と会ううちに、自分の色々な面が見えてくることがわかった。自分を照らしてくれる場所で、自分の姿を見る、鏡を見るように。そこには嫌な面もたくさんあるし、それを認めるのは怖い。
しかしそれを冷静に見つめることが、人間成長の上で重要なことなのである。

自己の罪悪性を知り、ありのままを受け容れること(機の信心)から始まる。
そして自己を見捨てない(法の信心)。

「真実に出会うとは自己の愚かさに出会うこと。」

自分の全てを包みこむ。私には今までできなかったことである。


2002年01月16日(水) 信じるということ−愛憎同根−

最近は本当に何もない日々を過ごしている。
これもまた抽象的だが、ただ生きてるだけなのだ。

本日は仏教のテスト。全部持ち込み可とはいえ昨日からの体調不良で、起きてるのもやっとなくらい。字を読むも疲れる。なんとか書くことはできた。

そのあとモートン英語。Thank you noteというのを結局書いていなかったので、実際今日が最終ということを忘れていたため、授業中に書いていた。
あまりよろしくない。どっちもおろそかになるからだ。

こんな風に、いつも時間に間に合わないで、中途半端なものしか仕上がらない。原因はやはりグズだから、それだけである。bad habit

人間関係における信について突然話したいと思う。以下は「仏教の思想(N.Nabeshima)」に基づく。

誰かを信じる、それはある程度の交流をもってその証拠に基づいて信じる、つまりわかっているから信じる、のである。同時に、相手の不確実な部分をなお認めようとする。わからないから信じるのだ。

もともと、他人同士なんだからわからない部分をもっているのである。信じるというのはどこかに疑問点がある。自分自身にもわからないことがあるように。

愛と憎悪とは言葉の意味こそ逆であっても、実態は別個のものでないというのは事実だろう。どれだけたくさん愛しても、一度裏切られると、同じくらいの憎悪に変わってしまうのだから。

「信のなかには常に疑いや心配が含まれているのである。それは蓋然性の問題である。相手に対する是認の態度であり、あてたよりにはしているが…。」(N.Nabeshima)

信。
信愛のひたむきさと悲しさ、裏切りをも恐れないことを意味するものだ。


2002年01月07日(月) 凛とした窓の外

今日から学校が始まった。
遊ぶときは遊ぼうと開き直ったせいで、
すっかり休みボケ。
おかげでNHKの副音声が理解できなくなったのと、
択一、しかも一回やったやつを、立て続けに間違うようになってる。
記憶が飛んで、頭が回っていないためだ。

2こうなかったので、みきと図書館でお勉強。
といっても簿記だけ。手使うだけでできるようなとこだけ。
ちょっとした目覚まし、にもならんかったが。

目も頭もボケボケ。
早く元に戻らないと。


2001年12月25日(火) Weihnachtsgeschenk 

途中で何回か目を覚ましたけど、寒さのせいでとても起きる気がしなかったからだ。結局行動開始したのは15時過ぎである。しかも朝食(昼食)よりも先に、まず手にしたのはフルートだった。例によってアヴェマリアかバッハのポロネーズばかり。寝起きのせいか息が苦しくてあんまり音がでなかった。

商店街では意外な曲に出会ったりする。今日銀行の前に来た時耳にしたのは、WHITE CHRISTMASである。ただのWHITE CHRISTMASではなく、チャゲアスのWHITE CHRISTMASだ!最初のピアノの前奏で、聞き慣れている曲だと気付く。歌詞カードの2行目Just like the ones I ...のところが、ねばーーーーーって粘着のある、また、とろけそうな歌い方。これは中2の時初めて聞いたときの印象であるが。まあ、そこがいいんだけど。とはいえ今これがCAだってこと知ってるのてるの私くらいじゃないかって思いながら、歌を聴いていたいため、そのままぐるっと一周してきた。嬉しかった。

その勢いで、ミヤコに入る。ベートーヴェンの大公か四重奏を買うつもりだった。CAのアルバムが、発売はもっと後だと思い込んでいたので、NOT AT ALLを見つけたときは感激した。即買い。

帰ってから、せめてこのくらいは手伝おうと、米と食器を洗う。米がこぼれる。その後CDを聞く。CAのは出だしから良かったのは言うまでもない。ん、この響き、衰えていない。むしろますます幅が広がったような。最後の曲「告白」というのが前から気になっていた。たしかSAY YESのシングルにしか入ってない、あのチャゲの曲と同名。CAに出会ってから2番目に聞いた曲であり、メロディもきれいだったのを覚えてる。今回のも、やっぱりそれを少しアレンジしたものだった。元のシングルはカナダに飛ばしたため、しばらく聞けまいと思っていたけどまた再会できて嬉しい。チャゲの中でも特にいい歌だと思ってる。

大公だが、父も絶賛!のアシュケナジーでやはり間違いはなかった。ピアノか交響曲以外はほとんど聞かなかったので、楽団の選び方さえも分からなかった。だけどベートーヴェンが最も力を注いだのが室内楽であること。もっと勉強しようと思う。もうすぐ日本では第九か。


川村 |MAIL