JERRY BEANS!!

2001年08月31日(金) 舗装道路

私は人が好きだ。結構簡単に好きになる。

私は、一生懸命な人が好きだ。

私の好きな人たちは、皆、自分を知ろうと、自分なりに努力を重ね、
誰も皆、地道な努力家だ。

進む方向は、どんな方向でもいい。西でも東でも、好きに行く。

先ばかりを見て、目標を定めてからでないと歩き出せない人たちは、
皆、自分の足元の石ころさえも、ぬかるんだ道さえも舗装する事を
せずに、遥か先ばかりを見据えては、転び、進まぬ歩と、
自分を恨み、後悔しては途方にくれる。

私の好きな人たちは、歩きたい方向に、自分の足で歩けるだけの
幅を、少しずつ、地道に舗装しながら歩いて行く。レンガや石を
運んでは、敷き詰める作業。それは地味で過酷であるけれど、
いつか辿るべき方向へ、確実に近づいて行く。

もし途中で、目指す方向が違う事に気付いても、舗装した道を
戻るのは簡単だ。…それたと思う所まで、歩いて戻って、
そこからまた別な道を創って歩いて行けば良い。

いつかまた通るかも知れない道だから、作った努力は必ず報われる。
そこに無駄や後悔は無い。

道を舗装しない人たち。ただ闇雲にぬかるんだ土地を彷徨う人は、
きっと、永遠に目的地にはたどり着けない。
そのうち、自分の足が、ひざまで沈んで、草に迷い、土に捕われ、
先へ進むことも、後に戻る事も出来ずに、迷い苦しむのだろうか。

人生に近道は無い。それが唯一の真実だと、私は思う。



2001年08月30日(木) ナイフ

文章を書くという事は、胸をえぐるのに似ている。

生きていて辛いと思うことや、幸せだと感じる事。
人につけられた小さなキズを、更に自分でえぐる。
きつく抱きしめられた胸の切なさを、更にきつく抱く事で
確認する。…色んな感情を、少しずつ、少しずつ、えぐり切って、
文にして吐き出して行く。文字と言葉は、胸を切るナイフだ。

ずっと黙って言わないで居ると、良い事も悪い事も、やがて
毒になって体を蝕んで行くから、だからこうして吐いて行く。
…膿が溜まらないように。心が汚れないように。

膿が溜まると、心に描く全ての色は、混じりあって、
いつも最後にはグレーになる。時には黄土色。やがて、黒。

だけど、色は鮮やかに、蒼は蒼に、紅は紅に。
そうあるべきだと気付くから、筆を洗う水を替えるように、
私はナイフで胸を切る。

思い出にしがみ付かないように。心が捕われないように。

毒が抜けて、自分の色に気付けたなら、
誰の色も、混じることなく、現実は、そのままの色で私に映る。




2001年08月29日(水) ひとひとり

誰かを助けたいとか、幸せにしたいとか、
人か本当に簡単に、そう思うけれど、
そんな事、簡単に出来たら誰も苦労しなくて、
きっと泣く事も無いんだろうと思う。

誰かの役に立てるなんて、
誰かの助けになろうだなんて、
要するにそれは本人の自己満足であって、

そういう人に限って、してやった、やってやったと
押し付けがましい、なんて事も、少なくない。
それは偽善で、贋物だ。

だけど、私は、ただ頭を撫でてくれたり、顔を撫でてくれる
その人の手の暖かさは、本物だと思う。
辛いと思うときに、腕を擦ったり、背中を擦ったり、してくれる。
苦しい時に、なだめるように頭を撫でてくれる。
寝ている間に、手を握っていてくれる。死ぬほどの吐き気で
目が覚めても、手がそこにあって、暖かいと、ああ、私は
生きている、と思う事が出来るからだ。

そういう事を、私の体は覚えていて、眠っていても、
意識が無くても、何となく暖かいことだけは覚えていて、
それが愛だなんて思えるなら、私はそれで幸せだと、思う。

あのひとが何気なく出来る事には、私にはこんなに有効で、
効き目があるから、あわよくば、私にも同じくらいの事が
彼に出来るといいな、と思う。

だけどきっと、誰かに感謝されたり有り難いな、と本気で
思われることというのは、そこに私の意志が無くって、
気付けばそうなっている状態の時に、その人が思う事であって、
私が意識して出来る行動のどれだけが彼を助けてあげられるのか
なんて、きっと考えもつかないくらいの、至極少ない物なんだろう
と、何となく思う。

ひとはひとりでは、こんなにちっぽけだ。だけど、その人の
意識しないで出来る事には、こんなに小さな魔法がかかっていて、
気付かぬうちに、少しだけ相手を幸せにする。

そういう事を繰り返して、続けることで、人は幸せに
なって行くのかも知れない。



2001年08月28日(火) 盲目

彼は、私なんて見ていない。そう、思っていた。

ただ私だけが彼の背中を追いかけていて、だから
私が泣いて怒っても、側にある柱を殴るだけで。
どうしようもない自分に怒っているだけで、それが
やるせないだけで、私の事は、本当はどうでもいいのでしょう?

そう、思っていた。

私が居なくなるまでは、淋しいといったら抱いてくれたし、
謝ってと言えばごめんと言った彼だけど、本当に本当に
私の事を考えてくれたのは何回あっただろう。

どんなに眠くても、朝はバイト先まで送ってくれたし、
寒い冬でも車の雪を降ろしたりしてくれた。だけど本当に
大事な時は、私より自分の事を考えた彼だった。
後悔はしたのだろうか。こんな時ばかり素直にうんと首を
縦に振るのはどうしてだろうと、思って泣いた。

涙はどれだけ出ても枯れない。

…あの人は、あの人は、あの人は。

何度も繰り返すあの日の画像。
それでも私は、変わらず彼を好きだった。
日に日にかすれる画像の奥に、ますます私は盲目になる。
彼が、私を見てたかどうか。大事な事が、今はもう思い出せない。
ただ彼を好きな気持ちだけで一生懸命追いかけていた。あの人は、
顔はこちらを向いているのに、その瞳はどこを見ていたんだろう。

はっとして目が覚めた時、目の前に居たのは、違う人だった。
「どうして、泣いてるの。」真っ直ぐ私を見て、頬を押さえて、
その手はとても暖かくて、泣いてぐしゃぐしゃの私の顔は余計に沈んだ。

ずっと凍える寒さも感じずにいられたのは、
彼が風と雪をさえぎってくれてたから。だけどその目は私を見ない。
私の傷に触れないように、優しくしてくれた。
私は彼が好きだった。彼は守ってくれたけど、その目はやはり
私を見なかった。

今居る彼は、一生懸命、その手で傷を押さえてくれる。
血で染まる暖かい手で、一生懸命押さえてくれる。そのうち流れが
止まるまで。ありがとう。ごめんなさい。
私は謝りながら、血まみれの手に、手を重ねた。



2001年08月26日(日) 夏の最後に

今日は、昔、好きだったあの人を見た。
前と同じ顔とからだだけど、ただ私を見る目が違うだけだ。

前は私はあの目を見るだけで胸が急いたけれど、
今日は平気だった。

家に帰ってひとりでぼーっとしていたら、
昔は私が夜中にこっそり会いに行くと、寝ぼけているのに
私を抱いてくれた、彼の腕や匂いを思い出した。

それは、まるで夏を憂う初秋のように、ほんの少し
センチメンタルで、ナーバス。
それはとても懐かしいけれど、それでも、私は困らない。

通り過ぎる風のようだと、思い待つだけ。
…秋になって行く。



2001年08月25日(土) 慕情

昔、むかし、好きだった奴に会った。

あの頃はまだ何も知らない無垢な子供で、
それでも、私は誰かを好きになることに憧れては、
好きになれる人を探して騒いだりして、それが楽しくて
辛くて、面白くて。

小さな子供の恋だった。

今はもうみんな大人で、昔の思いも子供の気持ちも忘れては、
携帯にメールしたり、飲む約束をして、ただいろんな気持ちも
思い出も、風に溶かして、笑う。

十年たっても、二十年経っても、きっと同じように笑えるのは、
あの頃は子供で、今は大人だからなのか。

あの頃の、友達と交換してた日記には、未だにコイツの「ブス」の
文字があって、それを話したらやっぱり笑って、そんな時だけ
昔と同じ気持ちになって、だけど素直に私も笑う。

小さな恋は、今は小さな慕情になって思い出を繋いでいる。



2001年08月24日(金) オブラート

オブラートに包んだ醜い感情。

憎しみや恨みやねたみや嫉みを、ひたすら隠して、
そんな物は無いよと言って過ごしてきたけど、
あの人の言葉は、少しずつこのオブラートを溶かして
包んだ物を、外へ出す。

醜い感情は、少しずつ外へ出て行って、
彼の唾液でべたべたに溶けた。

そうして少しずつ胃に流し込めば、
きっといつかは体から出て行くでしょう。

痛いのは最初だけ。後は流れて行くのを待つだけだ。



2001年08月23日(木) 羨み

来月頭に、実家に帰ると、彼が言った。

彼は実家のご両親と話す事が、ある意味悩みの種でもあるのだけど、
私にはそれが羨ましいと思えて、しまう。

実家があって、両親がいて、そこに帰る家があるという事。
当然当事者からすれば、わずらわしい物のひとつなのだろうけど、
私には、もう無いから、私がこれから一生かかっても手に入れられない
物を彼は持っているという事が、私には羨ましい。

だからと言っても、誰にも何も出来ないし、何も変わらないのだけど、
仮にある人にとっては煩わしいものであっても、それがまたある人に
とっては、懇願するほど欲しい物だったりする、という事実があると
いうのは確かである。人を羨んでも何も変わらないが、ただ、全ての人
が誰かの羨みの対象になれる、という事を知っている、という事には、
少なくとも何らかの価値があると思う。

結局、自分に与えられている環境をよしとする気持ちがあるかどうかで、
その人の幸福度は変わるのだ。

世の中には、私を羨ましいと思う人も居るのだろうか。



2001年08月22日(水) いつかは消える物

私は彼を愛しいと思う。

彼でなくても良いかもしれない、それはまだ解らないけど、

彼がいなくても淋しいとか死にそうだとは思わないけど、
彼が急に居なくなって、一生戻ってこないのか来るのか
解らないような事になったら、きっと辛くなると思う。

大事な物は、増えるたびに、同時に怖い気持ちを私に宿す。
もし、全てが消えてしまったらどうしよう。
今確かに、この手で感じる、全てのものが消えてしまったら、
私はどうなるのかな。



2001年08月21日(火) 定義の答え

彼の言葉に言い返す言葉を、私は持たない。
愛の定義の答えは、私からは永遠に出ないからだ。
何故なら、彼の言ったことは、それはそれで真実だから。

人は一人では生きて行けないけれど、愛が無くても
生きて行く事だけなら、可能だ。だけど、それだけじゃ
淋しいから、ほとんどの人がその不安を埋めるように、
寄りそって暮らしている。それも、自然のひとつ。

私は彼を好きだと思うけど、時々、そう言って「本当の事」
を追求する彼は、もしかしたら私を「好き」では無いかも知れない
と、不安に思う。真実とか、真理を追い求めがちな人は、
ただ理由もなくそこにある“もの”にはなかなか気付かない。

そして、ただ胸にある感情や気持ちの高鳴りに、理由をつけて
安心しようとする。それは、まるで病名を知って安心する
病人のようだと、私は思う。自分がおかしい理由を知りたがる。

感情に、名前をつけるのは、簡単だ。
だけど逆は、難しい。

ただそこにある形無い物を、名前というカテゴリーで区分けして
行く作業は、難解な上に、危険。

私は、ただ、ここにある気持ちを彼に伝えたいだけなのだ。
それが色褪せないうちに相手に伝えたくて、だけどそれが難しいから、
愛という名の言葉を使って、気持ちを語る。それは、嘘ではないけど、
純度ははるかに低くなる。だけどそれが人間の限界だと思う。

だから余計にむずがゆいのかも知れない。



2001年08月19日(日) 愛の定義

昨日彼とケンカした。
まぁちょっと泣いちゃったけど、死ぬほど辛いわけじゃ、ない。

でも、愛してると言っても、気持ちが受け入れられなかったら
それほど淋しいことは無いと私は思う。

彼はちょっとした人間不信だ。それは知ってて付き合った。
一緒に居ても私を信用し切れなくて、不安になったり臆病で、
怖い夢を見て悩んでいるのも知ってた。

だから、余計に、普段から゛好きだし、愛している"と言ってきたし、
人前でも一緒に居る時とあまり態度を変えないように
してきたつもりだ。だけど些細な事で、…彼の中の「特別」を
崩すような事を私が言ったせいで、彼とケンカになった。

ケンカなんて呼べるもんでもないかもしれない。
ただ、私が一方的に彼からの信用を失っただけだから。
ほんの些細な言葉だったのに、彼は過敏に反応した。普段から
どれだけ好きだと言ってても、言葉の定義など、心と気持ちと、
胸のうちを解ってもらえなければ、そう、虚しいだけ。言葉は意味
を失って、決して相手に届かない。頑なに手を捕まえて、無理にぎゅっと
抱きしめても、拒否されてしまえばそれで終わりだ。

誰かと解り合いたいと思った時、一番の障害は、相手の中に、解って
あげようという気持ちがあるかどうか、だ。…それが無いのに、
解ってもらおうとして、言葉をどれだけ投げかけたって、確かに
相手に届かない。…もしも言葉が届いても、それが心に伝わる事は
まず無いから、私は、それだけで、震えてしまった。

どうしたらちゃんと好きだと解って貰えるのだろうって、
考え込んだ。こういう時の彼の目は、止まりそうに冷たくて、
人を信用しない人の目に、なる。それを治してあげたくて、辛くて、
そう悩んでいるのは、私。

彼は、言った。「愛してるって、じゃあ、何?…君は、ちょっと
自分が好きになれそうな人がいて、その人が自分に優しくしてくれて、
それが自分に都合がいいから、そういう人と付き合っているんじゃない
の?そういう人の事を、愛してるって言ってるだけじゃないの?」

言葉に詰まった。愛の定義なんて、確かにあって無いようなもの。
それを確かめる術は無いから、困る。



2001年08月17日(金) 愛のおつり

どうして私に優しくするのだろう。
何でかなって不思議に思うけれど、そこには理由が無いと言うから、
嬉しい。私には何も無いけど、私がいると、それで満足だと
言ってくれる人が居る。私を愛してくれても、何もあげられない
けれど、あの人はそこに見返りを求めないから、その愛情には、
私のを取っても、おつりが来る。

形ある物は残っても、後で思い返したら何も無いより、ずっとそこにある
愛のほうが嬉しい。単純で、気付けばそこにあるのが、嬉しい。
だってそれは、気持ちの続く限り、消えない物だから。

はかない物ほど、人は消えないように抱きしめるのだろうと思う。

だから、哀しさを知った人は、愛情に敏感で、ぎゅっと強く抱く事を
知る。たくさん泣いたら、人に優しく出来るでしょう。きっと。

どうしようも無いくらい、泣いたら、後はそれがひっそり風化して行く
のを待つだけだ。哀しさを治す薬は無いけど、じわじわ、染み込む
愛に変わる時が来たりする事もある。

卵の殻がむけるように、いつかツルツルの感情が産まれるように、
私はいつも、願っています。



2001年08月16日(木) 人の道

何かに興味を持つ時に、心から惹かれたものじゃないなら
私は続かないし、好きになれない。

だから、どうでもいいんだけど、流行っているから、話題に
なるからと言って、本を読むのが私は好きじゃない。

本屋に行って、気になった本を少し読んで、あ、これは
ゆっくり読みたいなって思った物から買って行く。
そんなに時間にゆとりがあるわけでもないし、読まなきゃ
いけない本の方が多いから、すぐには読めなくていつも
溜まってしまうけど、その方がスッキリするのだ。

ついでに言っとくと、妙な暗喩の入っている物も好きじゃない。

文字はとても多くのことを語るけど、人の道は、自分の歩く先に
ある物で、文字はそれを照らす明かりにあればいいと思う。



2001年08月14日(火) 錆びない物

私の一番敬愛する人物は、私の祖父だ。

祖父は、本当に、驚くほどの勉学家であり、
それをきちんと形にしてきたほどの、努力と才を持った人である。
何故、そんなに勉学に勤しんでこれまで生きてきたのか、
尋ねた時に、彼は答えた。

「お金や地位や名声。形のある物は、いつかは消えてしまう。
 燃えてしまえば、それで終わりだ。けれど、学んだ知識は、
 他の何人にも奪われない、一生消えない財産だからだ。」

私も含め、家族には、皆、彼の血が流れていると思う。

一生消えない財産とは、なにか。
それを知るために、皆生きている気が、する。



2001年08月09日(木) 性と死

死ぬのとやるのは良く似てる。

頭の中身が薄れて行くのは、きっと死ぬ時もこんなだろう
って思う。

私は死ぬのが怖い。当然怖い。でも、興味が無いといっても
嘘になる。性的なものは一種のタブーで、生と死の問題も一種の
タブーで、そういうところも似ていると思う。

どうして考えちゃいけないのか。
どうして深く追求しようとすると心は辛いのか。
気持ちが悪くなるのは何故だろう?
きっと拒否反応なんだろう、と思う。
そんな事を考えてたら、生きていくのがメンドクサイから。

そんな事を考えてしまうようになるほど、人間は生きていく事に
暇な時間を作ってしまったという事なんだろうか。

夏の雨の夜に一人でいると、そんな事を考えてしまう。



2001年08月08日(水) 欲求

時々、考える。
どうしたらこの心のもやもやは解消されるのかと。

例えば、こうなりたいとか、こういう風に思われたいとか、
こういう物に囲まれて暮らしたいとか、色々あるけれど、
それを全部かなえる事なんて当然そう簡単には出来ない。
金銭的理由、社会的理由、自分の中での問題もある。

だけど、そういうものが全部満たされたら、私はどの位
満足するのかなぁ、って。…多分心のそこから何もかもに
満たされて、他の事なんてどうだって良くて、自分が全てに
この上なく幸せに、なんて、なれっこないのだと、そう思う。

結局どうしたって満たされないのは、こうして生きている限り
同じ事を思いつづける事なんだと思う。

そういう事をもう知ってしまった自分がいて、でも生きてても
それなりに楽しい事も、知っている。

やたらと楽しそうな人も世の中にはいるけれど、楽しく感じやすい
人は、同時にひどく脆いものでもあると思う。

何かにハマれば幸せにもなり易い。

色んな欲求は、色んな所に、ある。



2001年08月07日(火) 大事な物

人の心や絆に始まり、とかく目に見えない物には、いつも騙される。

見えない物ほど邪険に軽視しがちであるから、ついつい忘れて、
目先の利益に手を出してしまう。

私は特にそういうタイプの人間だから、だから余計に気を付けている
つもりでいるけど、だからこそ、そういうものに、かえって敏感なのかも
知れない。

浮かれていると、勢いで見逃しがちな絆の切れ目が、私には、悲しい。



2001年08月05日(日) 選択肢

何かを選ぶという事と、それを選ばないという事は、ほど同意義だと
私の友人は言った。そんなにたくさんの事を同時に選ぶ事など、
誰しも出来なくて、あってもせいぜい3択くらいで、しかもその選択肢
がどれもこれも自分の意にそぐわない物だとしても、それを選ぶ事も
選ばない事も、すべてが自分の選んだ道だと、私もそう思う。

今まで生きてきて、いい事も悪い事も同じくらいあったけど、
それまで人のせいにしてた事だって、全部自分で選んで、そうしてきたんだって
思わなかったら、反省も意味が無い。

今まで後悔してた事も、そうやって少しずつ諦めていかなくちゃって、
今は思う。

ずっと、悔やむ事につかまって、夜になって思い出したりしてたけど、
それじゃあ意味が無いから、いつかは幸せになってやる、と思って
そうして過ごす毎日を、噛み締めながら過ごしていきたい。



2001年08月02日(木) 擬似家族

昨晩、彼と私と、妹カップルの4人で長岡花火に行ってきた。
出かける前に、自宅に彼を連れてきて、妹と浴衣を着る間待ってて
もらったんだけど、私と妹が、あーでもない、こーでもないって、
どの浴衣が良い、とか、これには何色の帯が良い、とか、そう
言いながら浴衣を着てるのを見て、彼は、「なんか娘が出来たみたい。」
と、そう言って目を細めた。

彼は男だけの3人兄弟の真ん中で、女の子のいる生活を知らない。
だから余計にそう感じただけかも知れないけれど、私は、彼がそう
言ったのが、とても嬉しかった。

何故なら、私もそう感じていたからだ。

一緒にいて、何となく擬似家族っぽい物や雰囲気を、二人一緒に、
同時に感じる事が出来るなんて、ちょっと嬉しい。

私がいて、彼がいて、そのうち同じ匂いの家族が出来たら、確かに
きっとこんなだろうって、そんな、未来の期待予想図が、二人で見れる
のは、とても幸せだと、そう思った。




 < 過去  INDEX  未来 >


nana [HOMEPAGE]

My追加