Onry Me
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2001年08月31日(金) 我が家の癒し犬・コロ

普段、私と母はお互いの仕事柄、帰宅時間が違う為、
一緒に暮らしていても休みの日以外、殆ど顔を合わ
すことがありません。

朝、家を出るのが早い母は私が帰って来る深夜頃に
は既に寝ており、逆に母が起きてる朝の早い時間は
私の方がまだ寝ているからです。

そんなもんだから、普段の生活の中で母と喋ること
などそう多くは無く、たまに休日でお互い居間で
食事をしていても、共通の話題があまりない。

だから、いつも母と居間にいる時は、二人して
テレビを見ながらそのテレビの内容について喋
ること位しかない。

まぁ、母と娘の関係だったらいろいろと話をす
る事もあるんだろうけど、母と息子の関係なん
て案外、こんなものなのだ。

特に父が死んだ後の数ヶ月は当たり前だが我が家
は暗かった。
母から出る言葉はいつも、父に対する後悔の言葉
や思い出話ばかり。

私自信、母の気持ちは痛いほど良く解るのだが、
その発言を聞いているうちに自分自身もより
一層暗い気分になっていく一方・・・。

しかしそんな時に、いつも私や母を精神的に
救ってくれたのがコロでした。

いつも、居間で愛嬌を振りまいてくれるコロの
姿を見ていると、母も私も自然と笑顔になってくる。

だから、今の我が家にとってコロの存在は非常に大きい。

犬がいてくれる事で、母も私もコロについての
会話は弾む。

いつも、私が夜遅く家に帰って来て真っ暗な玄関の
明かりを点けると、そこには必ずコロが尻尾を振っ
て待っていてくれる。

疲れたときでも、辛い時でも、苦しい時でも、悲しい
時でも、そんなコロの姿を見てると自然と心が和む。

自分自身、ペットを飼う事で精神的に癒されているの
が良くわかる。


ただ、普段のコロは父が甘やかして育てた為、
物凄く我がままで無駄吠えが非常に多いバカ
な犬に育ってしまったんだけど・・・。

それでも、やっぱり私にとってはかけがえの
無い可愛い家族なのです。


・・・でも、そんな我が家のアイドル犬・コロ
だけど、尻癖の悪いのだけは許せない!!

私はよく深夜に、居間にある冷蔵庫に飲み物を
取りに行くんだけど、そこで誤ってコロのウ●チ
を踏んでしまう事が多々あるのだ。

一応、室内には犬用のトイレもあるのだが、
うちの犬はウ●チをする時、踏ん張りながら歩く
癖があり徐々にトイレの外に出てしまうのだ。

だから、酷い時など床中、ウ●チまみれにする事
があるのだ。
正直、これだけはどうにかして欲しいんだけど・・・。

・・・って、もう慣れたけどね(爆)

でも、犬が嫌いな人にとっては我が家は狂った
ように吠える犬はいるしウ●チは落ちてるしで、
どんなお化け屋敷よりも怖い、恐怖の館なんで
しょうね(笑)


2001年08月29日(水) 他人になんか見せられない。血染めのシーツに悩む日々

我が家で飼っているバカ犬コロ(五歳)
のおかげで最近、私は大変な目に
あっていたりする。

我が家の犬は気性が荒く男勝りな性格を
しており外見はどこをどう見てもオス犬
なのだが実はれっきとしたレディ(♀)なのである。

そんな訳で、レディーである我が家のバカ犬
コロも当然、年に数度は女の子ちゃん?の日
があるわけで、丁度今がその時期にあたるのです。

そして、犬がレディーの日を迎えるにあたって
毎回困るのが、の存在。
コロは床だろうがソファーだろうが座布団だろう
が所構わず血のシミをつけまわってしまうのだ。

特にその中でも一番困るのが私の布団シーツを血だらけに
してしまうことなのです。

それというのも、どういう訳か我が家のバカ犬コロは
私の隙を見てはしょっちゅう私の布団の上で丸まって
ちょこんと寝ており、私がいない時ならまだしも私が
寝てる時でさえ来るもんだから暑くてたまらないのだ。

「・・・暑苦しいっちゅうねん!!」

私はいつもウザッタイからあっちに
行けと布団の外に押し出すにも関わらず、
またすぐに、そ知らぬ顔をして私の
布団の上で寝ているのだ。

・・・何でわざわざ私の布団で寝るんでしょう!?

・・・クソ〜、これは絶対、あのバカ犬の嫌がらせに違いない!!
普段忙しさにかまかけて、ろくすっぽ世話をしていない私に
対する嫌がらせとしか思えない。

・・・そんな訳で私の布団シーツは現在犬の血だらけ状態・・・。

でも私、思うんだけど私のこのシーツ。
もしかして、他人にこれ見たら変な勘違いをされる恐れは
無いだろうか?

例えば、私がいたいけな少女を連れ込んで、なんかとてつもない
こないだ捕まった裁判官のような猥褻な事をしてると思われる
恐れがあるのでは?

・・・実際犬の血はシーツの中央から下にかけて付着してるし・・・。

・・・見せらんない。
・・・こんな血染めのシーツ、絶対、他人に見せられない!!


まぁ、犬が布団で寝るのは私が部屋の扉を開けっ放しに
してるから自業自得なんですけどね(汗)

だったら、扉を開けっぱなしにするなって言われるかも
しれないけど犬が暑くて可哀想だと思ってクーラーをつ
けて寝る時は扉を半分開けといてやるのだ。

・・・何気に愛犬家(笑)

ただ、先日我が家では母が、とある新兵器を編み出した
事により、ここ数日はコロの血によるシーツへの被害も
防げるようになったのです。

その新兵器とは・・・、

ブリーフなのだ!


実は私の従兄弟(高一、15才)が最近色気づき、ブリーフ
を履くのが恥ずかしくなったらしくトランクスを履くように
なったのだ。

その為、彼が履かなくり使い道がなくなったブリーフが大量に
あまってしまったのです。

・・・私も中学二年の時にブリーフに恥ずかしさを覚え
トランクスに履き替えた記憶があるけど、そうだよねぇ・・・
高校生になってまで純白の股間モッコリブリーフパンツじゃ
さすがに恥ずかしいもんねぇ(笑)

従兄弟も最近、思春期らしく髪形や服装を気にするなど
女の子の目を意識しだしたみたいです(笑)

そんな訳で大量に残された従兄弟のブリーフパンツを
母はコロに履かせて簡易オムツ?を作ったのだ。

ブリーフのチ○チ○を出す穴を利用しそこから尻尾を出し
胴回りの余った部分はゴムで結わえればあっという間に
完成。

ブリーフを履いたコロの姿たるや、バカ犬そのもの。
最初に見た時はかなり笑ってしまいました。

そして、実際使ってみてどうだったかというと
これが、効果的面。

しかも、もともと捨てるだけのパンツだから、
汚れたらそのまま捨てれば良いし・・・。

・・・すばらしい!

これってもしかして伊藤家の食卓に応募したら裏技として
採用されるかも(勘違い)ってくらい良いのです。

でも、実は問題点も一つありまして・・・、
それは何かというと、

犬がオシッコ及びウ●チをする事が出来ないんです!

・・・しまった、気が付かなかった。
っていうか気が付いた時には

パンツがビショ濡れだった(爆)

・・・難しいもんです。
何かいい方法は無いもんだろうか?
なんて考えているうちに、最近やっとコロの女の子ちゃん
DAYが終わる兆しが見えてきました。

・・・やれやれ


2001年08月24日(金) もう嫌!!すいか三昧な日々

・・・ここ数日、スイカを食べるのが辛い。

那須でスイカをしこたま買ったのは
良かったんだけど、こう毎日食べ続ける
とさすがに飽きてくる(爆)

・・・でも、早く食べないと風味が落ち
スイカ特有のあのシャキシャキとした
食感はなくなりドロッとしたものに
なってしまう。
古いスイカの、ヌルっとした
食感ほどまずい物はない。

あぁ、いくらスイカが好きな私でも
こう毎日、毎日スイカを食べ続けて
いると、スイカを見るのも嫌になってくる。

・・・はぁ、安いからって
こんなに大量に買わなきゃ
良かった(爆)

でも、もう生のスイカをそのまま
食べつづけるのは限界だぁ!

何かほかの料理に使えないものだろうか?
実はスイカを調理して他の料理に
使えないか考えてみたんだけど
どんなに考えても、良いアイデアが
まったく思い浮かばなかったです(笑)

スイカほど料理に応用出来ないフルーツ
(本当は野菜だっけ?)って他にないんじゃない?

酢豚に入ってるパインみたく他の料理
にスイカが入ってることってまずないし・・・。

ジュースにしたってオレンジジュースや
リンゴジュースはおいしいけど、スイカ
ジュースはおいしくないし・・・。

それに昔から疑問に思ってた事があるんだけど、
みかん、桃、ブドウ、メロン・・・、
ほぼすべてのフルーツがゼリーになってるのに何で
スイカのゼリーだけはないんだろうか?

私と同じような疑問を持ってる人は
他にも絶対いるはずです。

にもかかわらず、この世にすいかゼリーが
ないって事は、それはもう100%絶対に
美味しくないからに違いありません!

・・・スイカってなんって哀れなんでしょう。

他のフルーツは人の手によりいろんな料理や
美しいデザートに生まれ変わっているってのに
スイカはザックリ切られただけで、はい!おしまい!

せいぜい料理に使われるといっても、
そうめんや冷麺の飾り付けやスイカ
の皮を漬物にするくらいしか利用価値
がないし・・・。

挙句の果てに彼らの中には
もっと悲惨な目にあってる
者もいるわけで・・・

せっかく立派に成長してたというのに
一部のスイカ達はどういう訳か人間の
手によって無造作に海岸の浜辺等に放置され、
目隠しをした少年や少女に

バットで殴り殺される始末・・・。


「バシッ!ブシュ!グシャ!」

「あたしら撲殺されるために
生まれてきたんじゃないのに・・・」

・・・なんとも哀れなスイカ達の
叫び声が聞こえてきそうです。
殴り殺されたスイカ達も
さぞかし無念だったことでしょう。

・・・あぁ、切ない。

なんか、無性ににスイカが
可愛そうに思えてきた・・・。

・・・どうにかスイカの地位を向上
させることはできないのだろうか?

実は以前、テレビですいかのフルコース
料理を作っているお店を紹介していたの
を見た記憶があるんだけど、実際問題
その料理自体、見た目があまり美味しく
なさそうだった(笑)

それにリポーターが
「お、意外に美味しいですねぇ」
なんて言いながらも、その表情が
微妙に引きつってたのを私は見逃
さなかった。

・・・やっぱりスイカを料理に
使うのは無理があるんでしょうね。

結局、スイカはそのまま冷やして
豪快に食べるのが良いのかも知れない・・・。
↑(結論はやっぱそれかよって感じですけど(笑))



★スイカの思い出★

少年時代、私は祖母の家でスイカを食べるのが好きでした。

祖母の家は古びた木造の一軒家でした。

夜の八時過ぎ。
夕食を食べ終わり、庭で花火をしている姉と私。

和室ではビールを飲みながら、ほろ酔い気分でナイター中継(巨人戦)
を見ている父と祖父。

庭で遊ぶ私達にスイカを切って持ってきてくれる祖母。

縁側に座り、そのスイカをムシャムシャと食べる姉と私。
スイカの種は豪快に庭にププププッと吹き飛ばす。

時折、頭上で涼しげに鳴る風鈴の音色と共に、ほのかに香る
蚊取り線香の煙。

少年時代。
夏のこの瞬間が私はとても好きでした。


この祖母の木造の家も、12年前に鉄筋の三階建ての
家に建て替えてしまい今はもうありません。

それが現在私が住んでいる我が家なんですけどね(笑)

もう、スイカを食べたあの頃の庭も縁側も無いんだなぁって
思うとちょっと寂しい気がします。



2001年08月18日(土) 熟女二人を引き連れて那須へと向かった五日間

8月14日〜18日まで、母と祖母を連れて
那須の別荘へと行ってきました。

僅かばかりの夏休み。
本当は家でのんびりビデオでも見て過ごしたかった
んだけど車を運転出来るのが私だけしかいな事と、
こんな時しか親孝行も出来ないと思いがあったので
二人を連れて那須へと行ってきました。

でも、年寄り二人と共に行っただけなんで特に何処
かに観光に行くわけでもなく、ひたすら温泉に入っ
てただけなんですけどね。

だから私自身は面白い事もなくって
ずっとボーっと以下のような5日間
過ごしてました(笑)


14日:
夕方、那須の別荘に無事着くと、近所に住んでる母の
友人のオバちゃんが現れ、キノコが沢山採れたからと
袋一杯のキノコをくれました。

ちなみにこのキノコ。
私が今まで見たことも無いような何とも
グロテスクな形をしていました。
私は不安に思い、

「・・・これ、何ってキノコですか?」

って聞いてみたら、オバちゃんは一言、

「・・・知らん!!」


「知らんけんど、うめ〜んだ!」
って言ってました。

・・・し、知らんってオバちゃん(汗)

素人が採ったキノコほど不気味
なものは無いじゃない!!
・・・まさか、毒キノコでは!?

・・・不安がる私をよそに、その晩
母は早速そのキノコでキノコ汁を
作っておりました。

勿論私がそのキノコ汁を母や祖母が
手をつけて、しばらく様子を見て
安全を確認してから飲んだ事は
言うまでもありません(笑)

ちなみに味の方はと言うと、ナメコに
似ていてトロミがあって予想外に?
美味しかったです。


15日:

母と祖母はキノコおばちゃんに
連れられ近所の友達の別荘めぐり。
私はと言うと昼間は何もする事なく
一人愛犬コロと一緒に留守番。
ひたすらボーとごろ寝する。
誰も居ない部屋で、爽やかな風に
吹かれながら小説を読みつつ一人ごろ寝。
・・・あぁ〜幸せ。

夜は暇だったんで、テレビを見ようと
思ったんだけど、テレビのチャンネル権
は祖母が握っており、見たいバラエティー番組
等は一切見れずNHKばっか(笑)
何で、年寄はNHKが好きなの?

テレビで戦争の特番ばっかやってると
思ったらこの日が終戦記念日でした。
・・・すっかり忘れてました。

ちなみに戦時中、私の祖母が避難した
先の防空壕を爆弾が直撃したのだそうです。
爆弾は防空壕を突き抜け祖母の
すぐ隣に落ちたのだそうだ。
幸い爆弾は不発弾だった為、祖母は
奇跡的に助かったのだそうです。

この爆弾がもしこの時に爆発して祖母が
死んでいたら間違いなく、今私がここに
こうして存在していることも無いわけで
祖母の話を聞いてゾッとすると共に改め
てこのような悲惨な戦争が二度と繰り返
されぬようにと切に思ってしまいました。

この日、祖母が言ってたんですけど
戦時中は食べるもの殆どなく毎日
芋ばかり食べていたのだそうです。

その話を聞いて私は、
「せっかくなら悲惨な戦争の事を忘れない為に
 終戦記念日くらいは食事を芋だけにしてみたら?」
なんて思わず言ってしまいそうになったんだけど
那須の田舎で芋喰ってたんじゃまるで疎開に
来てるみたいになっちゃうんで言うのをやめました(笑)

でも、飽食の現代。
年に1回ぐらい、芋だけで生活して
みるのも食べ物の有り難みが解って
良いような気がするんですけどね。


16日:

夜、例のキノコおばちゃんが近所の
友達を引き連れ我が家に参上した。
平均年齢推定65才。
恐怖の熟女達の宴が始まってしまいました。

熟女達の賑やかな雑談が続く中、例の
キノコおばちゃんが私達に向かって不意
に近くに無料で入れる露天風呂があるか
ら明日行かないかと提案してきた。

ちなみにこの露天風呂。
無料なのはいいんだけど、混浴でしかも
とても人目に付く場所にあるらしいのです。

以前、母や祖母はこの露天風呂に行った
事があるらしく、その時酷く恥ずかしい
思いをしたらしいです(笑)

だから、母や祖母は断固として
この露天風呂には行きたく
ないと主張してました。

すると、キノコおばちゃんは不意に怒り、
東北なまりの大きな声で

「な〜に言ってるだか!
 胸がちっこいだの大きいだの、物が大っきいだの
 小っこいだの気にするような事でも、ねぇべさ〜」

「そんなもん、人に見られたってかまうこたぁねぇべ〜。
 なぁ兄ちゃん?」

キノコおばちゃんは困惑する母や祖母をよそに
あろう事か私に同意を求めて来ました。


物がちっこい私は
返答に困りつつ
「ハハハッ(愛想笑い)そ、そうですね(汗)」
としか言えませんでした。

でも、本当は心の中では
「人間、恥じらいを無くしたら
 それまでだと思うんですけど」
って言ってました。

ちなみに、この日の夜も私は見たい
テレビを見れませんでした。

祖母は「渡る世間は鬼ばかり」を
ゲラゲラ笑いながら見てました。

・・・何で年寄は泉ピン子が好きなんでしょう?


17日:

結局、キノコおばちゃんの露天風呂計画
は母達の激しい反対に合い中止。
この日、母達はキノコオバちゃんに
連れられて有料のちゃんとした温泉に
行きました。

・・・ちなみに私はまたまた愛犬コロとお留守番。
だって、超熟女な方々と温泉浸かりに行くの
嫌なんだもん(笑)だから、志願して居残りました。

私自身は相変わらず暇な一日を過ごしました。
唯一、変わった事があったとするならば、夜
私が間違えてお風呂場の扉を開けてしまい、

祖母、恵美77歳(未亡人)の
裸体を見てしまいました。

・・・なんってこったい。


18日:
帰り際、近くの牧場に寄って職場へのお土産を買い
近くのスーパーで野菜とスイカを買ったんだけど、
那須はスイカがメチャ安!
東京では二千円近くしそうな大きなスイカが
こっちでは何と500円〜600円。
東京の三分の一以下の値段で買えるのです。
もう、スイカの季節も終わりに近づいてるんで、
しこたま買いだめしました。

実は私はスイカが大好き!
これで当分、幸せな毎日が送れそうです。

以上が貴重な夏休みを熟女達に
振り回された私の五日間でした。

・・・う〜ん。
やっぱこういった旅は友達や好きな人
と行きたいとつくづく思いました。

・・・もう熟女は嫌!!
ウルサイったりゃありゃしない!!


でも、その事さえなければ個人的には
非常に良い五日間でして、那須は涼しいし
空気も美味しいし、温泉は気持ちいいしと
良いことづくめ。

都会では、うるさいだけのセミの鳴き声
も那須では何故か心地よく聞こえ毎日夕方
散歩がてら田舎道を歩いてたんですけど
久しぶりに夕日を見て、心から綺麗だなぁ
って感動しました。

いつもはそんな夕日の事なんかいちいち
気にする事もないわけで、いかに自分が
普段せわしない毎日を送っているかに気付きました。

そして、夕方に鳴くヒグラシの何とも切ない
鳴き声を聞くたびに懐かしい少年時代の夏の
思い出が心の中で蘇って来ました。

今回の那須旅行で、やっぱり人間、時には
自然の中で休息する事も大事なんだなぁって
改めて実感しました。


母も祖母も那須の別荘に行けて喜んでたし
私自身もリフレッシュ出来たし、また年末
まで一生懸命、頑張ろうって、感じです。


2001年08月12日(日) 恋愛恐怖症

私の姉は結婚して5年、今では二人の
子供がおり旦那と子供達、家族四人で
埼玉の社宅で幸せに暮らしています。

実は最近、私はその姉と話をするのが
あまり好きではありません。

・・・話をしたくない理由は
最近の姉の発言にあります。

姉は最近、私の顔を見るたびに早く結婚して
身を固めて母を安心させろだとか、彼女が
いなかったら紹介してやるだとか、とにかく
小姑のように、うるさく私に言ってくるからです。

今日の昼、姉の所に電話をかけた時も相変わらず、
おせっかいな事を言われ、ウルサイので用件だけ
を伝えて一方的に電話を切りました。

正直、最近の姉の発言には私自身、うんざり
している部分がある。
確かに27歳にもなれば年齢的にそろそろ
結婚しても、おかしくないと思うし、実際
私の周りの友人や同級生などもチラホラ
結婚して子供が生まれたなんて話を聞く
ようになったし。

そういった現実を目の当たりにすると、姉が
私に対して結婚しろと、うるさく言ってくる
のも解らないではないけど、自分の事は自分
で決めるからほっといて欲しいと言うのが
偽らざる私の本音なのです。

私は今現在、付き合ってる彼女はいません。

でも、正確には
「彼女がいません」
って言うよりも
「彼女を作りません」
って言った方が正しいのかも知れません。

正直、20代前半の頃は好きだ嫌いだで
付きあったり、別れたりしていれば良かった
のですが、さすがに20代も折り返し、後半に
差し掛かると人を好きになることはあっても、
そうそう気軽に付き合うことが出来なくなって
しまうみたいです。

それは、やはり年齢が年齢だけに結婚を
意識してしまうからなのかも知れません。

実は今の私にとって、彼女を作る事が
精神的に辛いのです。
誰かと恋愛関係になるのが自分の精神的な
負担になるような気がしてとても怖いのです。

以前付き合ってた彼女は物凄い私を頼る女性でした。
いつでも、どんな時でも私は彼女に頼られるばかりで
忙しい日常の中で私が精神的に辛い時ですら彼女は
私に頼る始末・・・。
いつしか私の中で彼女の存在が重荷になってしまいました。

まぁ、それが彼女の愛情表現だったのかも知れませんが
私は精神的に疲れきってしまいました。

一方的に愛情を与えつづけるだけの彼女に
疲れてその後、なんとなく避けるようになり
自然消滅的に別れてしまいました。
結局私は彼女から得たものは何も無かったような気がします。
今、思えば私も彼女もまだ若かったんだろうと思う。

その後、こんな私でも好意をもってくれる
女性が現れたことが何度かあったのですが、
彼女達には、その度に話をはぐらかして、
恋愛関係にまで発展する事はありませんでした。

私自身、たいしてモテる方でもないし、
こんな何のとりえもない自分に対して
好意を抱いてくれる女性がいてくれる
事は心から嬉しかったのですが、その
女性の想いに答えられる自信が私には
ありませんでした。

ましてや、父が死んでからはより一層
女性と付き合う事に臆病になってしまいました。

仕事の事、家庭の事、将来の自分の夢、現在の
自分の置かれた状況。ありとあらゆる将来への
不安を考えだすと、どうしても恋愛に対して
臆病になってしまう自分がいるのです。

私は将来は亡き父の会社を継いで新たな
仕事を始めたいと思っています。
そして、それが楽な事ではない事も
重々承知しています。

自分で事業を起こすという事は、とてつもなく
リスクを伴う事です。
勿論、やるからには絶対成功させたいと思いますが、
一歩間違えば多額の借金を作ってしまうかもしれません。

そのような事を考えると、もし自分に今彼女や
奥さんがいて、そういった万が一の事があったら
どうしようと考えてしまうと、家族を不幸にして
しまうことがとてつもなく怖く思えてくるのです。

自分一人が借金を背負って路頭に迷うのなら自業自得と
諦めもつきますが奥さんや子供までも、不幸にする訳
にはいきません。
それに、その奥さんのご両親にも申し訳がたちません。

借金については私の父が良い例で、
父と母は父の借金の事でしょっちゅう
ケンカをしていました。

・・・少年時代。
私はいつも、両親のその怒鳴り声を聞きながら
部屋の片隅で扉越しから聞こえてくるその声を
聞きながら辛い想いをしていました。

だからもし私に将来家族が出来たなら、
奥さんや子供にはこのような辛い経験
をさせたくないと思うのです。

そう考えると今の私はやっぱり人を
好きになってはいけないような気が
するのです。

ただ、母や姉などがいい年して彼女がいない
私の事を心配するのも解る気がします。

父も生前、その事は凄く心配していたみたいでした。
入院中も、私に向かって可愛い看護婦さんがいるから
紹介してやろうかと冗談で言ったり、父が危篤に陥る
2日前にもお見舞いに来た親戚のお姉さんに良い娘が
いないか尋ねてみたりガンで自分が死ぬ事が解ってい
るにも関わらず最後まで私の事を心配していたようでした。

正直、そんな父の発言を聞くたびに
私は胸が締め付けられる思いがしました。

私自身本当は、父には私が結婚を考える程の人と
出会えたなら、ちゃんと自分の彼女だと紹介して
あげたかったし、結婚式にも出てもらいたかったし
孫の顔も見せてあげたかったです。

本当に心から心配をかけて今でも
申し訳なく思っています。

ただ、唯一の救いは姉が私の代わりに
結婚式をあげたり初孫を抱かせてあげ
たりと私がして上げられなかった事の
全てを一通り父に経験させて上げるこ
とが出来たことでしょう。

その点に関しては私は姉に心から感謝しています。


以前、仲の良い女友達と二人で飲んだときに
「何で彼女作らないの?」
って聞かれた事があります。

普段の私なら
「だって俺ホモだから」
とか言って笑わせて話をはぐらかせるのですが、
この時は酒が結構入ってた事もあってポロッと
今まで上で書いてきたような本音を言ってしまいました。

そしたら彼女は、
「そんな難しく考える事も無いんじゃない?
 彼女作って楽しく生きればいいじゃん。
 好きな人を作って人生に対する生きがいとか
 仕事に対するやりがいにしなきゃ」
と笑いながら言ってました。

実際、彼女の言うとおりで
私も頭では理解できるのです。

確かに自分の為ではなく誰かの為に
何かをする人生は生きがいにもなり
素晴らしい事だと思います。

それに私自身、何か悩み事があっても
誰にも言えず自分の中に抱え込んでし
まう事が良くあります。
そんな時に精神的に辛い私を支えて
くれる彼女がいたらどんなにいいだ
ろうと常々思います。

でも、だからといって、いいかげんな気持ちで
何となく誰かと付き合ったりは出来なくて・・・。

私の周りでは親戚を含めて結構、離婚したり
別居したりしている人達がいます。

好きで付き合い幸せになろうと思って
結婚した筈なのに、今では皆、憎しみ
合う仲になっています。

いったい何処で何が狂ったんだろう?


よく「もうそろそろ身を固めないと」とか
言われる事があるけど、あまりお互いの事
を知らぬまま周りにせかされてとか、年齢的
にもうそろそろ結婚しないと世間体が悪いとか
そんな理由で結婚するくらいなら最初から結婚
しない方が良いような気がします。

私は良く理想の関係ってなんなんだろうって考える事が
あるんですけど私の場合やっぱりお互い、苦しい時や、
辛い時に支えあえる関係のような気がします。

普段、何気ない気遣いが出来る相手への思いやり。
さりげなく相手の事を思いやる事が出来る関係は
素晴らしいと思う。

そういった関係を夫婦になっても築き続ける事が
出来たとしたら、それはとても素敵な事だと思います。


私は今はまだ、色々と精神的に一杯、一杯な
部分がありますが仕事と恋愛が両立出来るよ
うな心のゆとりが出てきたら誰かを好きに
なってみるのもいいかも知れません。

それが、半年後になるのか1年後になるのか、
それとも、5年後になるのかは解りませんが・・・。

自分で自分自身に自信が持てるその日まで。

その時にはいろんな人と交流を持って積極的に
素敵な人を見つけたいと思ってます。

それまではもう少し姉や母には心配をかけると
思いますけど、それまでどうか大目に見て
欲しいと思います。

でも、案外、心からお互いの事を理解し
あえるって人が現れたら付き合ってし
まうかも知れないですけどね(笑)

だって、やっぱりいつも一人で全てを
抱え込むのは精神的に苦しいから・・・。


2001年08月09日(木) 涙の姉弟不平等条約

ここ数ヶ月、どういう訳か
二千円札
をまったく見かけないのは
気のせいだろうか?・・・。

・・・っていうか何で見かけないかって
理由はハッキリしてて、使い勝手が悪く
皆に嫌われてるからなんだろうけど(笑)

でも、販売の仕事をしている私が見かけない
訳だから、普通の人はもっと見かけないんで
はないでしょうか?

あわれ
二千円札!


でも、本当にあのお札って
使えないんだもんさ。

自販機全般、使用出来ないし・・・。
多分数年後にはなくなるんではないでしょうかね。

大体、二千円札の絵柄。
いくらなんでも、21世紀を
迎えて紫式部はないでしょう(笑)



でも、紫式部はイマイチだと思うけど、
一万円札は今の福沢諭吉より、昔の
聖徳太子の方がありがたみがあって
断然好きだった。

だから、一万円札が福沢諭吉に変わった当時は
なんだか、おもちゃのお金みたいで好きになれ
なかったのです。

そういえば昔は五百円玉も、お札だったんですよね。
・・・今の子は知らないと思いますけど。

なんか、昔のお札の方が今のお札より
高級感があったような気がするのは私だけ?(笑)


だから昔はお年玉を貰うと、物凄い金持ちに
なったようでとっても嬉しかったです。

でも、お年玉については不満もあって・・・。
お年玉って、兄弟がいた場合、弟や妹って必ず
姉や兄より金額が少なかったりと変な差別を
受けたりしません?

私には二歳年上の姉がいるんだけど
どういう訳か、いつも私の貰う
お年玉の方が姉よりも金額が少ないのですよ!!

大体昔からお年玉の相場は決まっていて
姉が五千円貰う時は私は三千円。
姉が八千円貰う時は私は五千円。
姉が一万円貰う時でも私は五千円(泣)

・・・年齢が二歳しか違わないのに
何でこんなにも差別されなきゃなら
ないんでしょう?

私は少年時代、毎年お正月になると
このような不条理な差別に泣かされ
続けて来たのです。

まぁ、お年玉をあげる方とすれば
少しでも出費を抑えようと思って
やってるのかも知れないけど・・・。

そんな大人の不条理な差別に対して納得が
いかなかった私は、幼稚園の時に一度だけ、
とんでもない事をやらかしてしまった事が
あるんです。


実は当時私は、家に誰もいない時にコッソリ姉の
貯金箱から、五百円札を取り出して、それを
ベランダから
ビリビリに破いて
バラまいた

事があるのです(笑)

なんで、そんな事をしたのかというと
これには深い理由がありまして・・・
当時、私や姉が祖母の家に遊びに行くと祖母は
必ず私達にお小遣いをくれてたんですが、その
お小遣いもお年玉同様私の方がいつも金額が少
なかったのです。

私の記憶ではこの時、姉が五百円札を貰い、
私は五十円玉を五枚(=250円)貰いました。

私が姉よりお金が少ないと訴えると祖母は
「アンタの方が五枚あるからお金持ちなんだ」と
幼稚園児でもわかるような嘘を平気でこきやがったのです。

いくら幼稚園児といえども私は自分の
方が金額が少ないことに気付かぬほど
バカではありません。
実際、私は幼稚園の頃から公文を習わ
されていて簡単な計算なら既に出来ました。


・・・不条理だ(怒)

「ちきしょう!毎回毎回差別しやがって!」

日頃の不満が溜まってた私はついに怒りが
爆発してしまい姉の貰った五百円札を破る
という強行に及んだのでした。

当然、その後すぐに母親にバレて
とんでもなく叱られました。

・・・っていうか、生まれて初めて
母にひっぱたかれました(笑)

まぁ、貯金箱にあった筈の五百円札が
なくなっていたわけで、ばれるのは
当然なんですけどね(笑)
当時の私はあまりの怒りに、そのことまでは
気が付きませんでした(爆)

でもその後、私が大きくなってから
そのことを母親に聞いたら母も覚えていて
当時の詳しい様子を聞くことが出来ました。

母から、聞いた当時の詳しい状況は
以下のような事でした。

祖母は姉に五百円札を一枚あげ、私には五百円札が
もう無かったので百円玉を五枚くれたのだそうです。

えっ!?百円玉???


・・・私の記憶違いでしょうか?
母は間違えなく百円玉を五枚くれたと言いました。
・・・ってことは、

これは明らかに100%私の勘違い?

でも、五十円だったような気もするんだけどなぁ・・・。
母に怒られた時の事は鮮明に覚えてるんだけど、
貰った金額まではさすがに思い出せないのです。

う〜ん。どっちだったんだろう?
真相は闇の中って感じですが、私は五十円だった
って信じてるんですけどね(笑)

世の親御さん方、子供を年の差で
差別するのは止めましょう!   



2001年08月08日(水) 子供は天使?or悪魔?

私の住む阿佐ヶ谷で八月三日〜七日まで
開催されていた「七夕祭り」も昨日で
終了しました。
毎年の事ながら、大勢の見物客で
大変な賑わいを見せておりました。

しかし、いつも、夏祭りなんかを見てて
思うんだけど、女性の浴衣姿って良いですな!!

夏のお祭りや花火や女性の浴衣姿って
日本独特の風情みたいなものが感じら
れるから私は大好きなんですよね。

日本の夏にとってこれらは欠かすことの
出来ないアイテムなのです。
いわゆる「金鳥の夏、日本の夏」
みたいなもんでしょうか?(違)

まあ、そんなことはどうでも良いんですけど、
今日書きたかったのは別な事でして・・・
実は七夕祭りを見に姉が子供を連れて
日曜日に遊びに来たんです。

そんで、私は姉に頼まれしばらくの間
可愛い可愛い甥っ子(もうすぐ三歳)の
遊び相手をしてあげたんですけど、そこで
とんでもない光景を目撃しちゃいました。

庭で、しゃがみこみ泥遊びをしている甥っ子の
後ろ姿を
「子供って無邪気で可愛いなぁ」等と
思いながら遠まきに見ていたら、いきなり
甥っ子の異様な笑い声が聞こえて来たのです。

キャハハハハハ
キャハハハハハ
キャハハハハハ
キャハハハハハ
キャハハハハハ
キャハハハハハ
キャハハハハハ


私は何事かと思い、土いじりをして
遊んでいた甥っ子の元へと近づきました。
するとそこには私の想像を絶する
凄まじい光景が広がっていました。


この甥っ子。

土遊びをしていたんではなく、あろうことか
アリを指で
ブチブチブチブチと潰していたのです。

「・・・ゲゲ!キモイ!!」

何って酷い事をしてるんでしょう。
私はすぐに甥っ子にあり殺し遊び?を止めさせ、
「そんなかわいそうなことしたら
 ダメでしょ!!」
と注意しました。

そうしたら、甥っ子も私の言った事を理解して
くれたらしく、アリ殺し遊びをすぐにやめてくれました。

さすが、私の甥っ子。
自分で言うのも何だか気が引けるのですが、
私は叔父バカなんで言っちゃいます。

実に聞き分けの良い
賢いお坊ちゃまでございます。


あり殺し遊びを止めて甥っ子は家の中に
入っていったので私は安心して自分の
部屋へと戻る事にしました。

しかし、それから10分ばかし経った頃でしょうか?
再びあの、聞きなれた甥っ子の笑い声が外から聞こえて
来たのです。

しかも、先ほどの比ではない位大きな声で・・・、

ギャハハハハハ
ギャハハハハハ
ギャハハハハハ
ギャハハハハハ
ギャハハハハハ
ギャハハハハハ
ギャハハハハハ


何があったんだと不審に思い、私は急遽
外へと飛び出しました。
すると、先ほどのアリの大量虐殺現場に再び
しゃがみ込んでる甥っ子の後姿を目撃しました。

「しょうがないなぁ・・・」

私は、もう一度注意してやろうと思い
甥っ子に近づきました。
すると、私の目には先ほどよりも
もっと凄惨な光景が繰り広げられ
ていたのです。

何と私の甥っ子はミニじょうろを片手に持って、
アリの巣目掛けてひたすら、放水していたのだ。


「ジョロロロロロロ〜〜〜〜」


逃げ惑うアリ・・・あり・・・蟻。

・・・ヒドイ!

甥っ子は水が無くなるたびに新たに水道で
水をくんでは再びアリの巣目掛けて放水を
するという行為を何度となく繰り返して
おりました。・・・あの大笑いと共に。


・・・私の甥っ子はこんな酷い事を
する子じゃありません。
・・・これはきっと、何かの間違えに
決まっているのだ。


**********************
・・・しばし
現実逃避
*************************



・・・さ、さすが私の甥っ子。
やる事なすこと私の子供の頃そっくりだ!

誰でも子供の頃は、面白がってアリの巣とかを
攻撃したりするんだよね。

・・・う〜ん。
こうして彼は生き物の生と死を身を持って
体験し命の貴さを自然の中で学んでいるのでしょう。
私が小学生一年ぐらいの時にしていた遊びを甥っ子は
若干三歳にして実行してるなんて・・・。

しかも生命の生と死などという、深い考えを
持って遊んでらっしゃるだなんて私の甥っ子は、

何って賢いお坊ちゃまなんでしょう!


・・・あっ、いや、叔父バカなものですから・・・(爆)


でもさぁ、この甥っ子の行動を見てて
一つ気になる事があるんだけども・・・。

良く子供は皆、純粋な天使だなんて言うけど・・・

























あれは絶対嘘です!








ってか悪魔に近いかも・・・。

まぁ、彼をあえて天使と例えるなら
無邪気な天使って所でしょうか?



でも、甥っ子に殺されたアリさん達も
さぞかし無念だった事でしょうね。

せっせ、せっせと冬に備えて食料集めに精を出して
たんだろうに、いきなり天から無邪気ないたずら
天使が舞い降りて、押し潰されるは水攻めに合うは・・・、

彼らは間違えなく自分達の身に何が起こったのかも
解らないまま死んで逝ったことでしょう。

こんな事ならキリギリスを見習って一夏を思いっきり
謳歌しとけば良かったのにね(笑)


・・・あぁ、合掌!


2001年08月06日(月) タバコ嫌い

先週の土曜日に新宿で超絶に
腹の立つ出来事に遭遇した。

人込みの中、私が歩いてると不意に
右手の手首のあたりに熱さを感じたのだ。

何が起こったのか一瞬自分でも理解出来なかった
んだけど熱さを感じた瞬間に自分がすれ違った
と思われる人の方をすかさず振り返ると、そこに
は若い女の子の後姿があり、その子の手にはタ
バコがしっかりと握られてたのだ。

私は一瞬でこの手首の熱さの原因を理解しました。

・・・このバカ女!

あろうことか、人込みであふれ返る新宿の歩道で
タバコを持った手を前後にブンブン振りながら
歩いていやがったのだ!!

・・・こんにゃろうめい〜(怒)


私の心の中に久々に怒りが込み上げてきました。

・・・でも、このバカ女
私のことなど気にする様子も無く(気付かず)に
タバコを持った手を相変わらずブンブン振りながら
人込みの中に消え去りました。

・・・ちくしょう!

27歳にして、もう少しで危うく
焼きを入れられる所だったじゃんか!
ていうか、産毛は少し焦げたかも・・・。

ほんまにシャレにならんですよ!
人込みの中で平気で歩きタバコをするなんて・・・、
まったく今の若い子っちゅうのは
マナーとかを知らんのかね?

呆れ果てて、物も言えんわ!!


・・・タバコを吸う方がこれを読んでらしたら
申しわけ無いんですけど、実は私はタバコが
大っ嫌いなのです。

もともと子供の頃から喘息の持病があった
ってのがもっとも大きな理由なんだけど、
高校時代など、友人が次々とタバコを吸い
始める中、私だけは一切タバコを吸おうと
もしませんでした。

まぁ今では、おかげさまで毎日運動したりして、
健康には人一倍気を使ってるんで、その喘息の
発作もめったに出ることは無いんだけど、それでも
やっぱりタバコの煙の立ち込める部屋とかは
苦手。

喘息を患う人にとってタバコの煙や
ダニやホコリは天敵なのです。

でも、実際の生活の中でタバコを避けて
生きていくことなど出来るはずも無く
私は日々辛い思いをしいられてます。

実は私の職場や友人等の中でタバコを
吸ってる人の割合って間違えなく八割
以上だったりします。

男性、女性問わず、殆どの人が吸ってます。

だから飲みに言ったりしても、あっちでプカプカ。
こっちでプカプカ・・・。
換気の悪い店だと、うっすらと白いもやが
かかるくらい酷い状況になってしまうのです。

その状況たるや、タバコを吸わない人達にとっては
まさに生き地獄状態。
しかも、いつも、呑んで帰って来るとタバコのあの
匂いが服に染み込んで臭いったりゃありゃしない!

・・・どうにかならないもんでしょうかねぇ(悩)

まぁ、私も大人だから他人が吸ってるタバコを
いちいち注意する事もないし、私の目の前で
吸っていいですか?
って聞かれたら、嫌な顔せずに
「どうぞ」って言うけどさぁ・・・。

・・・でも、苦手。



そういえば、タバコについては昔
私がまだ高校生の頃に恥ずかしい
大失態をおこしたことがありました。

実は私の家族は誰も、タバコを吸わないんだけど、
私の姉だけは何処で覚えたのか昔からタバコを
吸ってるんですね。(怒)

だから、姉が実家で暮らしてた頃などはタバコを
めぐって私と姉の口ゲンカが絶えませんでした。

私が、

「居間がタバコ臭くなるから
 居間では絶対に吸うな」

って言ってるにも関わらず姉は
しょっちゅう居間でタバコを吸
っていました。

正直口ゲンカで私が姉に勝てる
筈は有りません(笑)

その当時、私はいつも悔し涙を飲んで
姉に対するささやかな抵抗として換気扇
を回すことぐらいしかできませんでした。


そんな、高校時代の夏休みのある日。
顔から火が出るほどの恥ずかしい事件
を起こしてしまいました。

朝の10時頃だったでしょうか・・・
夏休みという事で普段より遅く目を覚ました
私が部屋のドアを開けて廊下に出ると
プ〜ンと、あのタバコ特有の嫌な匂い
が漂ってきました。

この時の私は寝起きだった事もあり、扉を開けて
朝一番に吸い込んだ空気がタバコ臭かったので、
いつもより頭にきてました。

私は廊下越しにわざと聞こえる大きな声で、


「チッ!居間で
 タバコ
 吸うんじゃねえよ!!!」


に向かって
言ってやったのです。

・・・そう、姉に向かって言ってやった・・・
筈でした。

しかし、廊下の先の居間に目を
向けると、そこには姉の姿はなく
椅子に座っていたのは背広を着た

見知らぬ中年のおっちゃんでした。



「・・・誰?この人は?」

私は寝起きという事で一瞬訳が解らず
ボーっと立ちつくしてしまいましたが
次の瞬間、見知らぬ人に大声で


「タバコを
吸うんじゃねぇ」
って

怒鳴ってしまった事を思い出しました。

「しまった〜!!!」

・・・気まずい。

私の体からは一気に嫌な脂汗が
噴出しどうして良いのか解らず
引きつった笑顔で一言

「あっ、ごゆっくりどうぞ♪」


等と訳の解らぬ事を言ってしまいました。

そして私に怒鳴られた、そのおっちゃんはというと
鳩が豆鉄砲くらったようなキョトンとした表情で
タバコを消しながら

「・・・あっ、どうも」

と愛想笑いで一言いってました。

・・・このおっちゃん、
実は父の仕事関係のお客さんだったらしく、丁度
父が席をはずして一人でタバコを吸ってた所を
私に怒鳴られたらしいです(笑)


・・・う〜ん。
あれはまずかった。
私はもう間違えなく姉が吸ってるものとばかり
思ってたからいつもの調子で怒鳴ってしまったのだ。

・・・あのおっちゃんも、さぞかしビックリした
ことでしょうね(笑)

でも、この出来事の後、父に詳しいことは
聞かなかったんだけど、あの時もしも重要
な取引とかの話をしてる最中で私のあの一言
のせいでそれがダメになっちゃったらどう
しようかと、その当時は結構悩みました(笑)


・・・この出来事があって以降。私は
姉が居間でタバコを吸っていても以前
ほど注意をしなくなってしまいました。


姉は今でも育児のストレスだとか言って
相変わらず、タバコを吸いつづけています。

他人が吸っているタバコには寛容な
私だけど、やっぱり身内がタバコを
吸ってるのは良い気分ではないです。

姉ちゃん!!
いくら換気扇回してるからって
子供の前でタバコを吸うのは
ホント、ヤメテ〜!!


2001年08月04日(土) 久しぶりに作った料理は旨かった!

私が調理師学校の夜間部を卒業して早10ヶ月。
せっかく調理師免許を取ったっていうのに
良く考えたら卒業してから今まで、殆ど料理を
作ってこなかったことに最近気付いた。

実は私は料理を作る事自体は嫌いではないんだけど
母と私はお互い、仕事でいつも家に帰ってくるのが
遅い為、平日は殆ど家族でご飯を食べることがない
のです。

そんな訳で結局、たまに早く家に帰って来て料理を
作っても食べてくれる人がいないので作らないのだ。
それに自分の分だけ作るのもめんどくさいし。

だから普段は作ったとしても、チャーハンや
カレーなどの簡単な料理しかしないのです。

しかし、今日はとある理由から
久しぶりに料理を作ってみた。

そのとある理由とは・・・?

・・・実は五月にハーブの種をまいたんだけど、
そのハーブがとうとう収穫の時期を迎えたのです。(喜)

良くぞここまで成長してくれたねぇ。

最初は軽い気持ちで、種をまいたんだけど、
日に日に大きくなるハーブを目の当たりにして
私の頭はどうやってこのハーブを料理してやろ
うかという事で頭がいっぱいになってました。(笑)

そこで、立派に成長したハーブを料理すべく、
本日久しぶりに包丁を握り、本格的な料理に
チャレンジ致しました!

チャレンジした料理は名づけて

「鶏肉の岩塩包み焼き・香草風味」

です。

・・・何ともややこしくて難しそうな
ネーミングですが、実際めんどくさかったです(爆)

どんな料理かと言いますと、鳥のモモ肉に生クリーム、
ゴーダチーズとパルメザンチーズで味付けしたリゾット
を包んでそれを、たこ糸で縛り更に岩塩とハーブを加え
た小麦粉を練り合わせて作った生地(これは食べない)
をその鶏肉ロールの上から包んでオーブンで焼く。

そして、焼けたら中身の鶏肉ロールを取り出してあらかじめ
作っておいたソースをかけて皿に盛りつけて完成という何と
も文章にすると訳解らんチックな料理なのだ。

説明下手ですいません。
機会があったら写真を載せておきます(汗)

所で、肝心の味はどうだったかと言うと、
まぁ素人の私が作った割には美味しかったです。
見てくれは酷かったですけど(笑)

今日久々に料理を作ってみて、やっぱ料理をするのは結構
楽しいなぁって実感しました。
今後は休みの日などはちょくちょく料理をしてみようかと
思ってます。


2001年08月02日(木) 真夏の夜の大江千里

眠い!

何故か最近非常にに眠い。
非常にと言うよりは異常
眠いといった表現の方があって
いるかも知れないくらい眠い。

その眠気は朝だろうが昼だろうが
夜だろうが常に私に襲いかかって来る。
特にご飯を食べた後はもう、睡眠薬でも混入して
あるんじゃないかと思えるほどの激しい眠気に襲われる。

・・・おかしい。
一応、毎日の睡眠時間は日によって違うものの
5〜6時間はとっている筈なのだ。
・・・それなのに何故眠いのか?

普段寝ているときの私の行動を思い起こしてみた。

クーラーをつけて寝る。
     ↓
約一時間後に寒くて目が覚めクーラーを消す為に起きる。
     ↓
クーラーを消して再び寝る。
     ↓
約一時間後、暑くて目が覚めクーラーをつける為に起きる。
     ↓
クーラーをつけてまたまた、寝る。
     ↓
約一時間後に寒くて目が覚めクーラーを消す為に起きる。
     ↓
以下、寝ている間中エンドレス。

・・・!?
・・・自分で書いてて何となく原因がわかりました。
どうやら私は、


全然、熟睡できてないらしい。


・・・夏の熱帯夜は本当に辛い。
私は本来、クーラーがかなり苦手なのだ。
クーラーを点けっぱなしで寝ると翌日、
必ず喉が痛くなったりして体調を崩す。

だから、本当はあまりクーラーを使いたくはないんだけど
あの、熱帯夜の寝苦しさはとてもじゃないが耐えられない。

そんな訳で、いつもクーラーをつけて寝るんだけど、
寒くならないようにと、設定温度を高めにしている
にもかかわらずどういう訳か眠りにつくと一時間く
らいで寒さくて目が覚めてしまう。

これじゃ確かに熟睡できないや(笑)

う〜ん。困った。
私の慢性的睡眠不足は涼しい秋になるまで
解消されないようです。

あぁ秋よ〜早よ来てくれ〜(涙)

・・・でも、実は今日の東京は、かなり涼しいのです。
ってことで、睡眠不足解消の為に、
・・・今日は死んだように寝ます!!



実は今、この日記を書きながら大江千里のCDを聞いています。
先日、押入れの掃除をしていたときに出てきたものです。

私は中学生くらいの時に大江千里が好きで良く聴いていた
んだけど、今日久しぶりに聞いてみて思ったことがある。
それは・・・、
大江千里って、

こんなに歌、下手だったっけ!?

っていうか多分、宇田多ヒカルみたいな最近の上手い歌手の声に
耳が慣れてしまってるから下手に聞こえるだけだと思うけど・・・。

でも、久々に聞いてみて、やっぱ良い歌だなぁと思った。

ρ(ーoー)♪〜かっこ悪るいぃ〜ふられか〜たぁ〜♪

あの詩、凄い好きです(笑)

しかし、あのアラレちゃんみたいなメガネは
今見ると、かなりいけてないような気が(笑)・・・。


2001年08月01日(水) 従兄弟のはじめてのバイト体験

私には15歳になる従兄弟がいます。

従兄弟はこの春、高校生になった事もあり
六月から生まれて始めてのアルバイトを始めました。
アルバイト先はファーストフードのロッ○リア。

しかし最近どういう訳か、バイトの日でも
家にいる事が多いのだ。

私は従兄弟に対して、せっかくの夏休みなのだから
毎日働いて金を稼げば良いのにと思ったので、
彼に何でバイトの時間を増やさないのか聞いてみた。

すると、従兄弟からは意外な答えが返ってきました。

従兄弟曰く、
「店の店員に忙しい時は来るな!
と言われてるというのだ。

・・・!?

忙しい時は来るな?

普通逆じゃないの?

忙しいから人手が要るんじゃないの?

私は疑問に思い従兄弟にどうしてなのか
事の真相を聞いてみた。

すると、どうやらその原因は従兄弟に
あるらしいのだ。

従兄弟は主にハンバーグを焼いたり
ハンバーガーを仕上げたりする裏方
の仕事がメインなのだそうだが、
とにかくミスが多いらしい。

ハンバーグを焦がしたり、ハンバーガー
を落としたりは日常茶飯事。
しかも作業がとても遅いらしい。

彼は店の中ではかなりの
要注意人物
で通ってるらしいのだ。

だから、店が忙しい時などは他の店員は
とてもじゃないが彼の相手はしてられず、
その結果忙しい時は来るなって事になったらしい(笑)

・・・でも、猫の手も借りたい忙しい時に
来るなって言われる私の従兄弟の存在って・・・。

























猫以下?









まぁでも、彼にとっては初めてのバイトだし、
良い社会勉強になったことでしょう。


ちなみに我が従兄弟!
初給料で念願の最新式の携帯電話を二万円
出して購入するも近所の公園でサッカーを
していた時にベンチにその携帯を置きっぱ
なしにしてて盗まれました(笑)

まだ、買って2週間足らずしか使って
なかったのでさすがにこれにはかなり
のショックを受けていたようです。


まぁでも、ハンバーグを毎回焦がすのも
携帯電話を盗まれるのも、彼自身の責任
なんですけどね(笑)


ってか奴は、

注意力無さ過ぎ!

最後に、
彼の通信簿には毎回のように、
「落ち着きが無い」
「注意力が足りない」
と書かれていることを付け加えておきます(笑)

そして勿論、この夏の通信簿にも・・・。


パンチョ |MAIL

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