天使に恋をしたら・・・ ...angel

 

 

とうとう電話した - 2002年08月31日(土)

ペットフードショップの点数がたまって、10ポンドのかりかりごはんをタダでもらえるクーポンを送って来てたから、もらいに行った。前のアパートの近くのお店。もらってからアパートのオフィスに寄ってみたけど、マネージャーのウォーンは今日はお休みで、別のマネージャーしかいなかった。玄関に回って、カダーとマジェッドのアパートのインターコムを押す。いないことわかってたけど、なんとなく押してみた。やっぱり誰もいなくて、なつかしいその辺りのお店をうろうろする。なつかしいっていうより、まだ自分の住んでる場所のような気がした。なんか安心する。勝手がわかって安心するって感じだった。

楽しかった。今日はジェニーと出掛ける予定だったのにキャンセルになっちゃって、どうやって過ごそうかなって思ってたけど、わたしったらひとりで過ごすの結構上手になってるんだ。ひとりは淋しい、ひとりに慣れない、っていつも思ってるけど、そのわりにはほんとは思ってるより慣れてるのかもしれない。

お昼にうちを出て、帰って来たのは7時前だった。パンをトーストしてアボカドとハムとロメインでサンドイッチを作ってたら、大家さんのフランクから電話があった。週末ずっとシャーミンはうちを開けてて、今夜はフランクは帰らないから、デイジーを裏庭に出しておしっこさせてやってくれって言われてた。「デイジー出してくれた?」って聞くための電話だった。デイジーお庭に出してるよ今、って返事して、切ったらすぐにまた電話が鳴った。

フランクが何か言い忘れたんだと思ったら、カダーだった。すぐに電話を取ったから、「まさか僕の電話をずっと待ってたなんて言わないでくれよ」って言われた。「電話の前で? そんなことしてないよ。大丈夫だってば」って笑って言ったら、「そんなことあるわけない?」だって。待ってた日もあったよ。これからだってあるかもよ。でも言わない。

カダーは今日はアップステイトに行かなかったらしい。一日アパートを探して、やっと見つかったって。前のアパートのすぐそばで、お家の一階のツーベッドルームのアパート。カダーはわたしのこのアパートをほんとに気に入ってて、おんなじようなお家のアパート探してるって言ってたから。「ここに来たんなら、なんで電話してくれなかったの?」って言う。だってアップステイトに行ってると思ってたもん。

アップステイト行きは明日に延ばして、一泊して月曜日のお昼過ぎに帰ってくるって言った。
「今週も会えなくなったけどさ、僕も会いたかったけどさ、分かってよ。分かりなよ?」
「平気平気。ちゃんと分かってるって。」
「ほんとに?」
アパート探さなきゃいけなかったことも、戻って来たばかりの友だちと過ごしたいことも、分かってるよ。
「だってあたしはいい子だからね。for being such a good girl~♪」って、シャキーラの歌をうたう。

「淋しい?」ってカダーが聞く。
「淋しいよ」
「どれくらい淋しい?」
「すごく淋しい」
「それだけ?」
「すごくすごくすごく」
「・・・オーケー」。

気が遠くなりそうなくらい、とか、死んじゃいそうなほど、とか言って欲しかったのかな。愛してないって言ったくせに、愛さないって言ったくせに、わたしにだけそういうの求めるなバーカ。わたしはいい子でいるの。

「アップステイト行くの、気をつけてね。車の運転も気をつけるんだよ。楽しんできてね。あたしのこと忘れないでね」。元気な声でそう言って、おやすみを言う。


大家さんがお留守だと、なんか自由な感じがする。夜中にお庭に出てみたりお庭でたばこを吸ったり、いつまでも起きて音楽聴いたり。「自由にすればいいんだよ、自分ちなんだから」ってシャーミンもフランクもいつも言うし、完全に独立したアパートなんだからそれが当然なんだけど、やっぱり少しだけビルのアパートとは違って、上に居る大家さんに気をつかっちゃうから。

なんかとても自由な感じがして、
久しぶりにまるごとひとりの自由な夜って感じがして
それはこころに羽根が生えたってのとは絶対違うのに、

わたし、とうとうあの人に電話した。




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羽根 - 2002年08月30日(金)

昨日よりは少しあったかかったけど、曇り空で今日も寒かった。
今日は病院にヒーターが入ってた。重症の患者さんを、ひとりずつ時間をかけて診る。シフトが入ってない週末の前の金曜日は、いつも心配する。そんなに心配しなくったって、わたしひとりの患者さんってわけじゃないのに。

帰ったら、車の保険屋さんから書類が来てた。契約のキャンセルのお知らせ。なんで? 青くなった。理由のところに「支払いが未納になっているため」って書いてある。そんなはずない。今年の分はもう全部払い終わって更新もして、来年の分のプランの通知をずっと前にもらってたのに。慌ててその書類を引っ張り出す。11月からの月々の支払いのスケジュールの上に、276.25ドルのスターティングの最低金額が書いてあって、それを8月22日までに支払うようにって書いてあった。知らなかった。ちゃんと見てなかった。11月まで払わなくていいんだと思い込んで、安心してた。

保険会社を変えたら、値引きがなくなるから高くなる。それでなくても車の保険は高くて大変なのに。

またバカやっちゃった。
なんか思いっきり落ち込んで、カダーが早く電話をくれたらいいのにって思いながら、待てなくなってかけた。

カダーは友だちとシティにいた。わたしの声をすぐにわかって名前を呼んでくれた。「Did you miss my voice?」って言うから、泣きそうになって慌てて笑う。ミッドタウンにいて、これからダウンタウンのバーに行くって言った。明日は会えるかなって思ってたのに、帰国してて戻って来たその友だちと一緒にアップステイトに行くって言う。「だから明日は会えなくなったよ、ごめん」って。がっかりしてますます泣きそうになる。

黙ってたら、「どうしたの? 怒ってるの? どうしたの? なんかあったの? 何があったの? 話しなよ」。

保険のことを話したら涙声になっちゃって、カダーは「大丈夫だよ。そんなことよくあるさ。僕も一回やったけどさ、電話して話したらちゃんと継続出来たから。そんなの誰にでもあるんだから、大丈夫だって。電話しな」って言ってくれた。

涙声になったのは、全部はそのせいじゃない。
「ホラ、泣くなよ」って言うから、「泣いてないよ」って頑張って笑う。
カダーは、ビーチでわたしを撮ってくれた写真をその友だちに見せた話をする。「なんて? なんて言ってた、友だち?」。普通の声に戻って言えた。「『So nice and sexy』」。カダーの隣りで男の人の笑い声が聞こえる。「じゃあさ、今度会いましょうってその人に言って?」。それからカダーはわたしを笑わせてばかりいて、わたしは乗せられてるふりしていっぱい笑う。そして少しだけ息を止めたあと、「I miss you」って短く言った。「I miss you, too」。優しくてとても真面目な声でカダーは言った。

会いたいよ、カダー。抱いて欲しいんじゃなくて、抱き締めて欲しいの。抱きたいんじゃなくて、抱きつきたいの。頭にキスして。額にキスして。頬にキスして。友だちに写真を見せて、わたしのこと何て言ったの?


あの人に電話したくてしたくてしたくて、必死で我慢した。
ベッドに突っ伏して、ベッドカバーにしがみついて、必死になって押さえた。
こころに羽根が生えて、自由に飛べるようになったら、そしたらあなたに電話する。


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今年の冬 - 2002年08月29日(木)

朝から雨が降って、寒かった。七分袖のコットンのジャケットを着て行った。
寒いのに病院の中はまだクーラーが効いてて、白衣を着てても寒かった。
お昼にジャックがランチをごちそうしてくれることになってた。ハウスウォーミングのパーティに来られなかったから、ランチで別にお祝いしてくれるって言ってくれて。
雨は殆ど止んでたけど、寒くて白衣のまま出掛けた。膝下まである長袖の白衣のほうが、着てったジャケットよりあったかかったから。ジャックはごついジャンパーを着てた。

もう夏、戻って来ないのかな。去年は9月いっぱいくらいまで暑かったのにね、ってフリースのヨットパーカー着て来てたジェニーと話した。レイバーデイの週末の次の週末に、またみんなでビーチに行こうって計画してたけど、もう無理みたい。

今年の冬はものすごく寒くなるらしい。

一回だけ行ったことがあったタイ・レストランをリクエストした。
ジャックはベトナムにフィアンセがいる。2年前に旅行に行ったとき知り合って、それから一度も会うことなく、メールと電話だけで愛し合って来た相手。初めてその話を聞いたとき、なんか素敵な映画のラストシーンの余韻に浸りながら、席を立てずにずっと最後までテロップを眺めてるときみたいな気分になった。

いいね。いつかまた会えるかもしれないじゃなくて、会える日が絶対にあって、その日からはもう離れて暮らさなくてよくて、そのときをただ待てばいい気持ちって、どんなに幸せだろうね。何時間も時差があるくらい遠くに離れてて2年も会えずにいて、でもそのときが来るんだよね。絶対に来るんだものね。

わたしには「もう離れて暮らさなくてよくなる日」なんか初めからなかったけどさ、だけどちょっとだけ知ってるんだよ、その幸せ。時間も距離も飛び越えて絶対やってくる会える日を待つ気持ち。「絶対」があやしくなってくたびにこころが千切れて、もう何度も千切れて千切れて、修理不可能になっちゃったみたいだけどね。

今年の冬はものすごく、ものすごく寒くなる。んだって。


今日はお給料日だった。3月に国家試験パスして資格がレベルアップしたのに、やっと2週間前のお給料で昇給して、今日は3月からの差額も入ってた。帰りに銀行に行ってペイチェックを入金しようとしたら、「預金」を押すのを間違えて「支払い」を押してしまった。口座番号がスクリーンに出てこないからおかしいなってちょっと思ったんだけど。まだ残って仕事してた中の人に、ガラスの壁越しに「間違えましたあ〜」って助けを求める。笑って助けてくれた。明日の朝一番に処理してくれるって。忘れられて、まさかどこかに支払われなきゃいいけど。ペイロールに戻ったりして?

差額が嬉しくて、アウトレットでオープントウじゃない靴を4足も買っちゃった。4足も買ったのに、65ドルってすごい。ちゃんとしたブランドで、傷なんかもないのに。明日雨じゃなかったら、履いて行こうかな。もうオープントウの季節はおしまいっぽいし。

雨が降りませんように。
寒くありませんように。


このまま、寒い寒い今年の冬になってしまいませんように。



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Holy shit ! - 2002年08月28日(水)

カダーが電話をくれた。3日ぶりだった。
「誰だかわかる?」なんて言う。
それから、「ごめんね、2日も電話出来なくて。ちょっと忙しかったからさ」って、ほんとは3日なのに。

アパート探しで忙しいらしい。
カダーが今マジェッドと住んでるのはテンポラリーで、一時帰国してた友だちがここに帰って来たら別のとこを探してその人とシェアすることになってるって言ってたから。

「どうしてたの?」ってカダーは聞く。
「今日?」
「そうじゃなくてさ、この2日。」

わたしは、髪を切って気に入らないことと、フランクが教えてくれたお店に行って後悔してることと、フランクがお金も払ってくれてネイルやさんでネイルをさせてくれたことを話す。

「オー・マイ・ガーッ」って、髪にレイヤーが入りすぎて失敗したこと話したら言った。
「またフランクの教えてくれたとこ行って失敗したのか。2度目だよ。学習しろよ」。
カダーはフランクが教えてくれたレストランが不味かったことを言ってる。
「違うよ違う。教えてくれたうちから自分で選んだの。でもやっぱり前に行ってたとこ行けばよかった。ちょっと遠くなったけど。」
「何が気に入らないの?」
「横が短すぎるの。それにレイヤーが上手く繋がってなくて、とにかくへんてこなの。」
「オー・マイ・ガーッ」。また言うー。
「まあいいよ。きっと大丈夫だよ」って、そのあと慰めてくれるみたいに言ったけど。

「ホーリー・シーッ」って、フランクがネイルをさせてくれたこと話したら言った。
「なんできみにマニキュアさせたりするんだよ。」
「だって自分がネイル磨いてもらってたから、ついででしょ?」
「そうかなあ。きみのことが好きなんじゃないの?」
「そんなことあるわけないじゃん。」
そりゃあテナントとして気に入ってくれてるとは思うけど。
「そうかなあ。まあいいけど。」

カダーは妬くといつも「ホーリー・シーッ」って言う。だからそれ聞くと、なんか嬉しくなる。

それから、「ほんとに大丈夫だった? 2日も電話しなくて」って、また言った。2日じゃないってば。電話がなくて淋しがってたって思われてるのはしゃくだけど、「僕の声忘れてるかと思ったよ」って言うから、それもなんか嬉しかった。

「あなたがあたしのこと忘れてるんだと思ってたよ」って言ったら、「心配するなよ、忘れたりしないって」って言う。

ナイアガラフォールズに行かないことにしたって言うから、「会いたいよー」って思わず言ったら、「うん、会えるよ多分。心配しなくていいよ。それまでにアパート見つけるから」って言う。

優しくて、惑わされてるだけだったっていいやってまた思っちゃうよ。

昨日もおとといも淋しくて、淋しくて淋しくて、もう少しであの人に電話するとこだった。カダーが電話をくれただけで、昨日まで「もうカダーなんていらない」なんて思ってたのも消えちゃって、嬉しくてひとりで公園に行った。

もう涼しくて、人影も少なくなってた。

そして、あの人が恋しくなる。
あの人が恋しい。
あの人の声が恋しい。


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フランクとデート - 2002年08月27日(火)

昨日は日曜出勤の分のお休み。
洗濯ものは大きなランドリーバッグにいっぱいいっぱいだった。サンタクロースみたいになってコインランドリーに行く。コインランドリーのテレビでスパニッシュのソープオペラをやってて、なんとなく観る。全然言葉はわかんないけど、なんか三角関係どころか五角関係か七角関係って感じのストーリーみたいだった。この女の人とあの男の人が結ばれたらいいなあ、とかって勝手にストーリー作って見てた。全然わけわかんないまま終わった。

乾燥機に入れたあとは、うちに帰る。手洗いの洗濯をして、バスルームに干して、お掃除して、それからコインランドリーに取りに行く。


車の修理屋さんに行ってた大家さんのフランクが帰って来て、約束通り美容院に連れてってくれた。っていってもフランクが教えてくれたところは別にフランクが行ったことあるとこじゃなくて、よさそうなところを知ってるってだけだったんだけど。その辺りには3、4件美容院があって、わたしはその中で一番素敵そうなところを選んだ。

わたしが髪を切ってもらってる間、フランクは近くのネイルやさんで待ってるから、終わったらおいでって言った。ここにはネイルやさんがいたるところにあって、男の人もネイルを綺麗にしてもらう。トレイシーのパパも週に一回爪を磨いてもらいに行くって言ってて、へえ〜って思ってた。トレイシーのパパはすっごくダンディーな人で、だから分かるような気もしたけど、フランクもネイルやさんに行くとは思わなかった。でもダイヤモンドのピアスもしてるし、指輪が大好きだし、不思議じゃないかもしれない。

美容院は素敵なとこだったけど、切ってくれた女の子はなんとなくつんとすましてヤな感じで、わたしの注文却下するし、「じゃあ任せる」って言ったらレイヤー入れすぎちゃって全然気に入らない出来上がりになった。

フランクが待ってるネイルやさんに行ったら、フランクは足の爪をやってもらってるとこだった。足の裏までごしごし磨いてもらってかかとを削ってもらってて、気持ちよさそうだった。「きみもネイルしてもらいなさいよ。僕が払うから」なんて言うから「あたしはいい」って言ったけど、「してもらえばいいじゃないか。まだ僕は終わらないんだから」ってしつこい。それでマニキュアの色を選んで、わたしも手のネイルだけしてもらった。

フランクは「いい色選んだね」って誉めてくれた。
それから一緒にピザを食べて、その辺りのお店をいろいろ教えてくれた。このあいだひとりで来たところで、ふた駅向こうの、おしゃれなお店がたくさんある大きな賑やかな通り。24時間開いてるくだものやさんが素敵だった。ものすごい種類がいっぱいで、どれもとっても新鮮そうで、それから値段が安かった。「この辺の人が時間関係なくいつも買いに来てるから回転が早くて、それで安くて新鮮なんだよ」ってフランクが言ってた。


今朝髪を洗ったら、ますます気に入らなくなった。
仕事に行ってもフランチェスカ以外誰も誉めてくれなかった。フランチェスカはいつも何でも誉めてくれるから。ネイルはみんながいい色だって言ってくれた。引っ越しの準備始めてからマニキュアはつけてなかったから、久しぶりのマニキュアつけた手が嬉しかった。メディカルレコードめくる手つきがなんか違ったりして。

みんなが羨ましがったけど、ジャックだけが「気をつけなよ」って言った。
「大丈夫だよ。大家さんだよ? 2階に奥さんと住んでんだよ? それに、とっくに50は過ぎてるおじさんなんだよ?」って言ったけど、「そんなこと関係あるもんか」って言うからちょっと怖くなった。

「怖がらせないでよ」って言ったら「怖がらせてるんじゃないよ。気をつけるに越したことないって言ってるんだよ」ってすっごい真面目な顔で言われた。


帰ったら、今日もお休みだったフランクが、とり貝をガーリックとチーズとブレッドクラムと一緒に焼いたお料理と、シーフードのリゾットを作って持って来てくれた。お鍋に入れたリゾットを渡してくれるとき、「ポットはシャーミンにじゃなくて僕に直接返して」ってフランクは言った。

フランクに下心があるとはとても思えないけど、こんなに色々よくしてくれたら、そんなつもりじゃなくたってそりゃあ奥さんのシャーミンはいい気しないよねって思った。気をつけなきゃ。ジャックの言った意味とは別に。


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メリーさんの羊 - 2002年08月25日(日)

土曜日。仕事が終わって帰ってきて、気がついたら眠ってた。
目が覚めて時計を見たら10時10分で、仕事に遅刻した、と思ったら、窓の外が真っ暗だった。

たいくつでカダーに電話した。カダーは HBO で The Mexican を観てるって行った。
テレビでやってたんだ。わたしったら、ケーブル代払ってるのにテレビをまるで見ない。知ってたら観たのにな。最後のシーンが好きなんだって言ったら、カダーは笑った。言わなきゃよかったって思った。

「レイバーデイのウィークエンド、何するの?」って聞いたら、友だちとナイアガラフォールズに行くかもしれないって言った。カダーのソーシャルライフは忙しくて、わたしは入るすき間がない。今週は週末仕事だし、来週もまた会えないのかって思った。「どっか行こうよ」ってわたしは言えない。「可愛いよ」なんて言ってくれたって、わたしはセックスの相手でしかないんだ。でもそれさえ無くなって行くような気がする。

たくさん話したけど、なんとなく自分が無理してるみたいで、それが悲しかった。なんでこんなになっちゃってまで、わたしカダーに会いたいんだろ。

切るとき、「カダー?」って呼んでから、ちょっと迷った。「何?」「・・・」「何言いたいの?」。聞きたいけど怖くて聞きたくなかったのに、聞いた。「今度いつ会えるの?」。カダーは電話するよって答えた。


今日も仕事だった。帰ってからランドリーしに行こうと思ってたのに、またくたびれてて眠ってしまった。ドクターの夢見ちゃった。「もう少ししたら今やってる病院の研究が完了して、そしたら別のところに仕事に行くんだ。どこになるかはまだわからないんだけど。一緒に来てくれる? それまで待っててくれる?」って、あの笑顔であの声でわたしを抱き締めて聞いた。なんて夢見てんだろ。ドクターの笑顔は、かりって音がして、ほんとに素敵な笑顔だった。

公園にひとりで行こうとしたら、フランクとデイジーが帰って来る途中だった。デイジーはわたしを見つけてわたしに飛びついて、わたしの手をペロペロ舐めて、公園に行こうってわたしを促した。フランクはデイジーのリーシュをわたしに持たせてくれて、道路を渡るときにはちゃんとステイさせるんだよって言った。フランクも一緒にまた公園に行くことになった。フランクは言う。デイジーはなんでこんなにきみのことが好きなんだろう。ほんとに大好きなんだよ。きみが帰ってくるのを分かって、きみの車の音がしただけで階段を走って降りてくんだ。知ってた? 知ってるよ。わたしもデイジーが大好きだもん。わたしがどんなにデイジーが好きか、デイジーは知ってるからだよ。

それはメリーさんの羊と一緒。メリーさんの羊はメリーさんが大好きで、学校にまでついて来ちゃう。ほかの子が先生に「なんでメリーさんの羊はメリーさんがそんなに大好きなの?」って聞くの。そしたら先生が答えるの。「メリーさんがメリーさんの羊を大好きだからよ」って。

子どものときからメリーさんの羊の歌を信じてて、大人になってからもそれが愛し合うことの原点だと思って来た。だけど原点にしかすぎなくて、そっからどんどん色んなことが枝分かれしてく。いつまでもそこにいたいのはわたしみたいなおバカさんだけで、かしこい大人はたくさんのことを考えながら、かしこく枝分かれに順応して行くんだ。


あの人の声を最後に聞いてから、10日経った。
大好きな大好きな人。
わたしのデイジー。わたしの羊。わたしの天使。


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Housewarming Party - 2002年08月23日(金)

えびの蒸し餃子と、とりのつくね煮と、カリフォルニアロールとツナロールのお寿司。

ビーフを赤ピーマンとさやえんどうと一緒に赤ワインを使った和風味で料理して、白胡麻をいっぱい混ぜて、マッシュルーム入りのサフランごはんにのっけてオーブンで焼く。

たけのこの細切りとチャイニーズ・ブロッコリーと干し椎茸を胡麻油とオイスターソースで炒めてタイヌードルに絡ませて、照り焼きチキンとスティームしたバクチョイを上に飾る。

トマト缶とズッキーニとほうれん草と豆腐で作ったスープにレモンをふたつ搾って、レモンの輪切りとパセリをたくさんのっけて、フリーザーで冷やしてちょっとてっぺんが凍りかけた冷たいスープにする。

パスレインとソレルとチコリとウォータークレスを千切ったグリーンサラダにさいの目切りのトマトを散らして、バルサミックビネガーとオリーブオイルで作ったドレッシングをかける。

それから、ココナッツミルクとクリームと寒天で作ったフルーツ入りのフロマージュ。
煎茶のアイスティーも作る。


お休みだったから、お昼から時間かけてお料理した。
昨日仕事の帰りにアジア食品のスーパーマーケットに行って、日本のお米もお寿司のしょうがも餃子の皮も胡麻油もお豆腐もたけのこ缶も買った。せっかくだからちょっと和風っぽくしようと思って。カリフォルニア産の日本米以外、全部中国製だったけど。白胡麻はものすごい大きな袋に入ってたったの1ドル99セントで、日本語で「しろごま」って書いてあるけど韓国製で、香りがなくて不味かった。だし昆布とか干し椎茸とか S&B のわさびの粉末とかは、うんとうんと前に母が多分送ってくれたやつで、長いことキッチンのキャビネットで眠ってたとんでもない年季モノ。お寿司ののりは父が送ってくれて、でもそれも半年以上前のことだし。そんなことはみんなに内緒。

みんながすごいって言ってくれた。

ラヒラと一緒でお寿司食べたことないフィロミーナは「このまわりの黒いの何?」って言いながら、おいしいおいしいっていっぱい食べてくれた。寿司ごはん作る飯切りと大きなうちわ、日本出てから12年間持ち歩いてきてよかった、と思う。

「すっごい感動モンだよ。ケイタリングやさん出来るよ」ってジェニーが言って「このスープすごく好き」っておかわりしてくれた。「ちっとも料理しないって言ってたくせに、ほんとはこんなすごいこと出来るんだ」ってローデスが言った。「日本人っていつもこういうの食べてるの? いいなあ、おいしいねえ。ヘルシーだしね」ってビクトリアが言った。ビクトリアはなんにでもケチつける子だから、嬉しかった。

ドリーンのおチビちゃんのメグは、ピンクのしょうがを食べたいって聞かなくて、一口かじって顔をしかめて笑わせる。「次何食べたい?」ってドリーンが聞くたび、メグは「ダンプリング」ってえびの餃子を指さして、「お肉と野菜がのっかったごはんにしようよー」とか「ヌードルにしようよー」ってドリーンが言ってた。メグに、「お料理じょうずだねえ」って誉めてもらっちゃった。「ほんとー? そう思う? 嬉しいなあ」って言ったら、「うん、ほんと。どれもとっても上手く出来たと思うよ」だって。

パーティするたびにすごい力入れてお料理するから、「また誉めてもらおうと思って」って夫がいつもからかった。だって誉めてもらうと嬉しいよ。料理は唯一のとりえだと思ってるから。久しぶりで楽しかったな、こんなにいっぱい作るの。

ジャックは来られなくて、その代わりにケーキを買ってくれた。
生クリームの薔薇とフルーツでめいっぱい飾った大きなケーキの真ん中には、わたしの名前と「From all of us」って文字がピンクのアイシングで書いてあった。

それから、ベッドルーム用にって、エアコンもらっちゃった。リビングルームにしかついてなかったから。ここももう夏が終わるみたいだけど。もう少し続いて欲しいけど。


みんなが来てくれたから、ひとりの時もなんか心があったかくいられるような気がするよ。ハウスウォーミングって、もしかしたらそういうことなのかな。
いいね。こういうとこに住んでるんだ、ってみんなが知ってくれるって。
わかんないけど、なんかいいなって思う。

でも、100万人来てくれたって、あの人ひとり分にはなんないだろうな。


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天使が好きなの - 2002年08月22日(木)

カダーのバースデーだった。
カダーは自分のバースデーは祝わないから、プレゼントもいらないって言ってた。
だから E カードを送った。「あなたのバースデー、お祝いさせてね。あなたの特別な日だから。それから、わたしの」って。「今までで最高のカードだったよ」って返事をくれた。最後のところにlots of kisses って書いてくれてた。

夜、郵便のカードも届いたって電話をくれた。バースデーのプレゼントにつけて贈るカードを、もうずっと前に買ってて、プレゼントいらないって言われたから郵便でカードだけ送ってた。ちゃんとバースデーに届いたのが嬉しかった。

小さな女の子の天使が投げキッスをしている写真。「つかまえて。あなたのお誕生日にキスを送るから」って、中に書いてあったカード。買ったときは、こんなふうじゃなかった。おめでとうのキスをちゃんと受け止めてもらえると思ってた。「友だちとして」なんかじゃなくて。カダーはあの頃、ときどきわたしを my lovely cat って呼んでくれてて、引っ越しした日にカダーのアパートのドアに挟んで来た「引っ越し手伝ってくれてありがとう」のカードに、わたしは自分の名前の下に your lovely cat って書いた。天使のバースデーカードには書けなかった。


カダーはわたしがプリンターの後ろの壁に男の子の天使の絵を貼ってるのを見て、「天使が好きなの?」って聞いた。「うん。天使が好きなの」ってわたしは答えた。初めてわたしのベッドルームに来たときだったかな。

なんで歌に出てくる天使はいつも女の子なんだろうね。shaggy も Dave Matthews Band も愛しい人を「my angel」って歌ってて、そうだ、その頃ライオネル・リッチーも「僕の可愛い天使」って歌ってたっけ。だからATC の with you を聴いたときは感動した。空から舞い降りて来た男の子の天使の歌。「あなたがその人なの? わたしを救いにやって来るはずの」って。天使が救いにやってきて、一緒に空に飛んでく歌。わたしの頭に浮かぶのは、昔からいつだって裸んぼのお尻がかわいい男の子の天使だったよ。そしてあの人に会ってから、わたしは天使のあの人を信じてる。天使の歌って、みんな素敵だね。ねえ、あなたも天使の曲を創って。って、いつだっけ、CD 送ってあげたとき手紙に書いた。あの人が天使ってのはずっと内緒だけど。

クリップアートのサイトで見つけた弓矢を放ってる裸んぼの天使があの人に似てて、大きく伸ばしてプリントアウトして、ベッドルームの壁に貼ってた。


天使の投げキッスのカードを、カダーはとてもとても気に入ってくれて、「きみはほんとに可愛い。ほんとに素敵な子だよ」って言った。それから、これからシティに行くんだって言った。誰かがバースデーのお祝いしてくれるらしい。一緒にお祝いしたいってわたしが言ったときは、忙しいから会えないって言ってたくせに。いいなあって言ったら、「そんなこと言うならもう話しない」って笑いながら意地悪言われた。jelous なんて言葉、使わなきゃよかったって思った。そういう意味の jelous じゃなかったのに。女の子なんだろうな。だからそういう jelous に取ったんだよね。

それからまた、「Youユre so sweet. You are a sweet girl」って繰り返す。「行ってらっしゃい。楽しんで来てね。あたしはここでお祝いしてるね」って、うんといい子になって言う。切るときに、キスしてくれた。びっくりした。でも淋しかった。


大雨が降り出した。
ここの雨は今でも嫌い。重たくて嫌い。嫌い嫌い嫌い。
雨の日にだけは帰りたくなる。あの街に。
どうしようもなく声が聞きたくなる。助けて欲しくなる。天使に。


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誰にでもじゃないのに - 2002年08月21日(水)

ビーチで撮った写真をコンピューターに取り込んで、見る。サイズを変えたりトリミングしたりしてからカダーに送った。仕事から帰って来てメールをチェックしたら、返事が来てた。ふたりで写った写真は「一番最初のが好きだよ。いい写真だね」とか、カダーがわたしにポーズをつけて撮った写真は「全部いい。僕が撮ったからじゃなくて、きみの写真全部いいよ。最後の2枚がとりわけ好きだけどね。You look so sexy」とかって、なんか笑っちゃう感想つけて。

カダーが好きって書いてたふたりの写真は、ふたりがくっついてるヤツじゃなくて、カダーのほうを向いて思いっきり大口開けて笑ってるわたしの横顔と、やっぱりわたしのほうを向いて笑ってるけど、ちょっと引いてるカダーの斜め横顔のヤツ。

カダーがふざけてちょっとエッチなポーズをつけたわたしの写真は、どれも子どもみたいに笑ってるし胸はほんっとになんにもないし、ちっともセクシーなんかじゃない。

「ほかの写真は? 送ってくれないの?」って最後に書いてあった。

わたしが沖のほうで泳いでるあいだに、エスターが連れてきた女の子をカダーが撮った写真。何枚もあった。ふたりで写ってるのもあった。マジェッドに撮ってもらってた。「シンクロナイズドスイミング!」とかって足を水面からにょっきり出してふざけながら、沖のほうからちゃんと見てたから、知ってる。エスターが連れてきた女の子はグラマラスで、口を開けないでふんわり笑って帽子のつばに片手を添えたりして、セクシーだった。

送ってやんなかった。

今日電話をくれた。昨日はかけられなくてごめんって言った。それから、「あとの写真は送ってくれないの?」ってまだ言ってる。
「あとの写真ってどれのこと?」って、わたしは笑う。
「あれ? 妬いてるの? 妬いてるな?」
「No, no, no」。調子をつけておどけて言って、また笑う。

送ってやんない。
送ってやんないけど、「妬いてる」なんて絶対口にしない。
友だちだから。友だちだから。友だちのふりに徹しなきゃいけないから。
口にしたら止まらなくなっちゃうから。止まらなくなって、また病気って言われるから。そしたら友だちのふりさえ出来なくなるから。

妬いてるわたしがくやしい。

カダーと一緒に写ってるわたしが、とびっきり幸せそうに笑ってるのがくやしい。

「きみの笑顔が好きだよ」って、「きみの笑う声が好きだよ」って、カダーはいつも言うけどね、誰の前でもこんなに幸せそうに笑うわけじゃないんだよ。誰にでもはこんなふうに笑いやしないよ。誰にでもは、きっとこんなふうに笑わないのに。誰にでもじゃないのに。












ねえ、わたしあなたの前で、どんな顔して笑ってた?
覚えてる?

あなたに今、とびっきりの笑顔を送りたい。



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幸せの定義 - 2002年08月19日(月)

5日間吐き続けてなんにも食べられなかったエイズの患者さん。もう PPN するしかないと思って処方してたら、ブラッドパッチで吐き気が止まった。すごい。こんな嬉しいの、久しぶりだった。嘘みたいな笑顔見せて、お姉さんが買ってきたチャイニーズのテイクアウト食べてる。あんなに苦しそうだったのに、もう今日退院することになった。

帰るときナースステーションに「ありがとう」って言いに来てくれて、わたしはそれだけで一日幸せでいられた。素敵なお花をもらったような気分。この仕事しててよかったって思う。この仕事が好きだと思う。お給料がほかの病院より少ないとかイロイロ不満はあるけど、わたしやっぱりこの仕事、ほんとに好きだ。


カダーが電話をくれる。昨日うちに帰ってから電話したとき「今度は僕がかけるから、きみはかけなくていいよ」ってカダーが言って、わたしはしばらくかかってこないんだと思ってた。かけてくれて嬉しかった。まるでカダーのペースだけど、 もうそれでいい。


「幸せって何だと思う? きみの幸せの定義は何?」。いつだったかカダーが聞いた。「大好きなものや人と一緒にいられること。気がつかないうちにそこにあって、気がつくととても心地がいいもの。探したら見つからないから、探しちゃいけないもの」。思いつくままそう答えたら、カダーが言った。「そうかな。だけど幸せって長く続く? 続かないだろ? だから探してなきゃいけないんだよ、いつも。そう思わない?」。


わかんない。わかんないけどね、花の種のようなものだと思うよ。
いつのまにかそこに飛んできてて、気がついたら芽が出てて、ものすごい勢いで大きくなってお花が咲くこともあって、なかなか大きくならないこともある。どっちにしても、いつかは枯れちゃうんだよね。だけど大事に育てたらそれだけ綺麗な花が咲くし、長いこと咲くかもしれない。

でも、やっぱり探したら見つからないんだと思うよ。気がつけばそこにあるんだよ。気がつかないうちにそこにあって、気がつくととても心地がいいもの。探したら見つからないから、探しちゃいけないもの。そして、見つけたら大事にしなくちゃいけないもの。


大事にする。大事にすることの意味がやっとわかったような気がする。
やってみる。



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みんなでビーチに行く - 2002年08月18日(日)

性懲りもなく電話をかける。「今パンツ試着してるとこ」って、モールにいるカダーが返事した。あのなんだかよくわかんないカダーじゃなくて、ふつうのカダーで、ふつうに戻ったカダーがバカなことばっか話して、病気なのは自分じゃんって思いながら友だちでいられるならなんだっていいやって思った。振り回されてる。でもなんだっていい。なんでさ、好きにならせといて、好きになったらその気持ち突き放しちゃうんだろうね。ひどいじゃんね。でももうなんだっていい。カダーまで消えるのはいやだ。

土曜日の夜、ごはん作ってあげた。「明日病院のみんなとビーチに行くんだよ」って言ったら、「行く行く。僕も行く。マジェッドを誘って一緒に行くよ」って勝手に決めてる。また当然のように泊まって、ぐっすり眠りこけてる。わたしは早起きして、フランクに貸してもらったアイスボックスに、土曜日のお昼に作ったクスクスサラダとシーザーサラダと一緒にホーマスやらタヒーニやらをいっぱい詰めた。フランスパンとイタリアンブレッドもスライスして、タジキにヨーグルトとサワークリームを足して作ったディップと野菜のスティックも詰めた。ブラックプラムとピーチとグレープを小さい方のアイスボックスに入れた。カダーが一緒に来るって言うから、カダーの好きなオリーブも2種類容器に詰めた。

やっと目を覚ましたカダーに「コーヒー飲む?」って聞いたら「いい」って言うから、自分の分だけ入れて飲んでたら「やっぱりちょうだい」って言う。ベッドルームのカーテンを開けて、窓辺に置いたちっちゃいテーブルで一緒に飲む。コーヒーあんまり飲まないカダーが、フレンチローストがおいしいって飲んでる。BGM にかけたアンジー・ストーンをいいねって言ってる。ほらねほらね、素敵でしょ? カフェみたいでしょ? カダーは「このキッチンテーブルも持ってくのか」って、引っ越すとき呆れてたけど。お庭で鳥たちが囀るのを見ながら、またカダーが来てくれてよかったって思う。

着ていく水着をカダーに選んでもらう。ひわ色をちょっと明るくしたグリーンのワンピースをカダーがいいって言って、「着てみせてよ」って言う。パッドもワイヤーも入ってないから、胸がぺちゃんこで笑われた。上から背中の開いた短いドレスを被る。「素敵だね」ってカダーが言った。去年、カリビアン・パレードにドクターが連れてってくれたときに着てたドレス。

わたしはみんなと待ち合わせしてる病院に行って、カダーはルームメイトのマジェッドをピックアップしにうちに帰った。

ビーチは楽しかった。海で泳ぐなんて、何年ぶりだったろ。前に住んでたところは水が冷たくて、夏のビーチはからだを焼きに行っても泳ぎに行くとこじゃなかったから。マジェッドはジェニーが気に入って、カダーはエスターが連れてきた女の子にべったりだった。わたしは平気なふりしてみんなとはしゃいで、マジェッドと話し込んだり、アニーのオフィスのアニーじゃないほうのアニーの、小さなぼうやを抱っこして浅いところで遊んだりしてた。

それでもカダーは、わたしにサンタンローションを背中に塗ってくれって言ったり、わたしの水着のストラップが捻れてるのを直してくれたり、それからふざけてわたしにいろんなポーズをつけて、デジタルカメラで写真をいっぱい撮ってくれた。わたしはカダーが女の子と話してるすきに、マジェッドのデジタルカメラにマジェッドに肩を抱かれてぴったりくっついて写ってやった。

カダーもマジェッドも病院のみんなにすっかり溶け込んでて、カダーはジョークを言ってはみんなを笑わせてた。

帰るとき、駐車場でみんなに順番にバイのハグをして、カダーにハグしたらカダーはほっぺたにキスしてくれた。マジェッドにハグしたあともう一度カダーに抱きついた。「うちに着いたら電話して」ってカダーは言った。

カダーはマジェッドと帰ってった。わたしはアニーとぼうやを乗っけて帰る。車の中で、「カダーはアンタのボーイフレンドなの?」ってアニーが聞いた。「違う違う。ただの友だちだよ」って笑って答えて、なんとなくそれが嬉しかった。




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待ちたくない - 2002年08月16日(金)

昨日あれからあの人に電話する。
かけないなんて決めたって、なんかあったら特別に声が聞きたくなるのを押さえられない。
スタッフと一緒に仕事の買い物をしてるって言った。「女の子?」って聞いたら、「うん」って言ってから、「スタッフだよスタッフ」だって。平気だってば。ときどき誰かに話してるのが、女の子に話しかける話し方だったからそう聞いただけなのに。

電話番号教えてってしつこく言ってたけど、ダメって言った。
じゃあ住所教えてって言ったけど、それもダメって言った。

待ちたくない。もう待ちたくない。待たない。もう待たない。




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友だちでもなくなった - 2002年08月15日(木)

仕事の帰りにひとつ向こうの駅まで行った。
銀行に行って、スターバックスでコーヒー豆買って、1ポンド買ったらタダでくれるトールのコーヒーひとりで飲んで、カジュアルでちょっと素敵なグリークのレストラン見つけてお花やさんを覗いて、ひと駅違うだけで雰囲気がまるで違うその通りが嬉しくなって、住宅街を抜けて走って河沿いの道に出て、河向こうにシティを眺めながら帰る。

車の中でかかった Cleaninユ Out My Closet をまた聴きたくなって CD をかける。

電話が鳴った。カダーだった。ふつうにおしゃべりしてたけど、プレイボーイのチャネル見てるって言ってたカダーが妖しいこと言い出す。やだ。このままふつうにおしゃべりしたいのに。笑いながら交わしてたら突然声が聞こえなくなった。かけ直して「切ったの?」って聞いたら「切った」って言われて、「なんで?」って聞いたら「話したくなさそうだから」って言われて、「ふつうにおしゃべりしたい」って言えなくて「話したいよ」って言ったら黙ってた。だから「あなたは話したくないの?」って聞いたら「わからない」って言われて、今度はわたしが黙ってたら「あとでかける」って言われて、なんだか疲れて「かけてくれなくていいよ」って言ったら「オーケー」って言われて、切られちゃった。もう一度かけ直したらもう取ってくれなかった。

わかんない。うそ。わかってるよ。でもやっぱりもういいよ。やっぱり悲しいよ。そんなだけの相手だなんて。

ひとりで公園に行った。ベンチに座ってたばこを吸った。風が涼しくて気持ちよかった。だけど胸が痛かった。風になりたいと思った。犬がたくさん遊んでもらってて、眺めてたらほんの少し痛みが薄らいだ。犬になりたいと思った。ちょっと離れたところにデイジーみたいな犬がいて、ほんとにそっくりで、「デイジー」って呼んでみたら走って来た。ほんとにデイジーだった。ひとりのはずがないと思って見渡したら、大きな木の下でおなかの出たおじさんがわたしに向かって手を振った。

隣りに座ったフランクと上の空でおしゃべりしながら、フランクが渡してくれた青いボールを投げてデイジーとボール遊びをした。何回目かに高く放り投げたボールが、落ちてこなかった。木の枝に引っかかっちゃったらしい。暗闇に紛れてどこにあるかなんかわかんなかった。どの木に引っかかったのかもわかんなかった。フランクは笑って、わたしは謝って、落ちてた枝の切れ端を拾ってボールの代わりに投げたけど、デイジーは木切れじゃたいくつそうだった。

「ごめんね、デイジー。デイジーのボール失くしちゃったよ」って言いながら、大きな木のそばに行って枝を見上げてボールを探してるふりした。また胸が疼いた。木にしがみつきたかった。木に登りたかった。木になりたいと思った。

うちに帰りたくなかったけど、しかたないから一緒に帰った。

もう友だちでもなんでもないね。
もうきっと電話もくれないね。
だからどうだって言うんだろうね。
なんでこんななんだろうね、わたし。
なんでこんななんだろ。
なんでかしこくなれないの?

なんで?



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公園 - 2002年08月13日(火)

大家さんの奥さんのシャーミンがデイジーを連れて公園に行くって言うから、一緒にくっついて行った。

すぐそばの大きな公園は、仕事から帰って来てからひとりでふらりと初めて行ってみたけど、そんなにおっきくないんだなって思った。そしたら違った。大きい。わたしは4分の1ほどしか見てなかった。

ハドソン河沿いに、デイジーを引っ張って歩く。
もう真夜中になるのに、人も車もいっぱいだった。道路の脇に車を停めてガンガン鳴らす音楽を BGM に、歩道のフェンスに乗っかって抱き合うカップル。二人のうしろで、河の向こう岸にシティの灯りのオレンジが無数に重なって浮かび上がって、なんか「外国みたい」って思った。目の前には、わたしの大好きな橋が白い光を等間隔に放って、河の水に反射してる。水はまっすぐに進まずに大きな渦巻きを作りながら流れて、渦巻きは知恵の輪みたいに順番に絡んで、ゆるゆると光に踊りながら回ってる。シャーミンが、この渦巻きが怖いんだって言った。人を呑み込んじゃうからって。

なんていうんだっけ? ああいう渦巻きの波。わたしは言葉を思い出そうとしてシャーミンに聞く。カレント? カール? タイド? 違う違う。ホラ、なんかあったじゃん、特別な言葉が。って言ってしばらくしてから思い出した。「なると」。あんまりバカで頭ん中から急いで取り消そうとしたら、「渦潮」ってのが「洗濯機」と一緒に出てきて、慌ててコレも消す。

デイジーに向かって、ティーンっぽい男の子たちが「グッボーイ!」って声かける。「ガールだよ、ガールガール」ってムッとしてデイジーを抱き寄せたら、シャーミンが大笑いした。

水と橋と緑と街の灯り。
あの街を思い出す。もう戻りたいと思わなくなったけど、思い出せばいつも胸がいっぱいになる街。シャーミンにあの街のことと別れた夫のことをたくさん話してて、気がついた。すごく誇らしげに話してた。あの街のこともだけど、いつも自慢だった夫のこと。昨日電話して新しい電話番号を言って、「とてもいいとこだよ。もしもそんな気分になったら遊びに来てください」ってメールを出して、なんとなく後悔してたけど。

ぐるっと公園を回って、人気のないところでデイジーを放したら、大喜びして走り回る。木と闇にデイジーの姿が隠れてしまうたびにシャーミンが心配して大声で呼んで、呼んだらデイジーが飛んでくる。そのうち飛んでこなくなって見に行ったら、うんこしてた。暗闇の中でうんこを探して、「あ、多分これだ」って手を伸ばしたら、シャーミンが「触っちゃだめ」って言った。触らないって。あったかいかどうか、手を近づけて確かめただけ。あったかかったから、デイジーがしたばかりのうんこと判明。でっかいうんこだった。シャーミンがティッシュで掴んでゴミ箱に捨てに行く。わたし知ってる。シャーミンったら拾わずに放って置こうとしてた。ダメだよ。

「彼はボーイフレンドになったの?」ってシャーミンが聞いた。
カダーが最初に引っ越しを手伝ってくれて荷物を新しいアパートに運んだとき、「おんなじアパートのビルに住んでる人なんだ。引っ越し手伝ってくれるの」って言ってたから。そのときはほんとにそうだった。それから泊まりに来てるのも一緒に出掛けてるのもシャーミンは知ってる。

「わかんない。彼は真剣じゃないの。だからただの友だちかな」って答えた。そして、
「彼が真剣じゃないんだから、あたしも真剣になんないようにしてる」ってうそぶいた。
「自分を傷つけたくないものね」ってシャーミンは言った。
もうじゅうぶん傷つけたよ。

公園を歩きながら、一緒に歩きたいなってずっと思ってた。
カダーは歩いてくれないかもしれないし、もう待たないし期待もしない。
一緒に歩きたい人はあの人。
いいなあ、こんなとこに住んでていいなあ、って、あの人は絶対言う。
でも、だめ。だめだけど、あの人のこと考えないでなんかいられない。

昨日また電話したけど、ほんの少し声聞いただけだった。「明日の朝またかけて。そのとき電話番号教えてよ」ってあの人は言った。わたしはかけなかった。


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みんなお芝居 - 2002年08月11日(日)

2ブロック先のコインランドリーに洗濯をしに行く。
ビルのアパートじゃないからランドリールームがなくて、大家さんのランドリールームは当然コインランドリーじゃないから使わせてもらえない。これがお家のアパートに住む一番の不便さだと思ってたけど、外のコインランドリーに行くのも悪くなかった。日曜日だからか、たくさん人が集まってわいわい賑やかで、なんかそういうのがいい。冬はちょっと大変かなと思うけど。

待ってる間、陽差しが暑くて気持ちいいから駅の方まで歩いてみる。このあたりに住みたいって何度か見に来て歩いた界隈。あのときの感覚が蘇って、あのときとおなじにワクワクする。わたし今ここに住んでるんだよ、って得意になったりして。ちょっとウロウロしてるとすぐに時間が経って、あわててコインランドリーに戻った。昨日はこの街に越して来て2年目の記念日だった。あの娘の写真の前に飾るお花を買おうと思ってて、忘れちゃった。

乾燥機に洗濯物を移して、アパートに帰る。
シャーミンが、ミル貝入りのパスタを作って持って来てくれた。昨日はサーモンのディナーを持って来てくれた。

パスタを半分食べて、ランドリーを取りに行ったあと、こっそりたばこを吸いにまた外に出たら、フランクがガレージのとこでデッキチェアに座っていつものようにたばこを吸ってた。「吸う?」って差し出してくれたけど、「持ってる」ってポケットから自分のを出して吸う。こんな仕事をしてるのにたばこ吸うなんてカッコ悪いから内緒にしとくつもりだったのに、フランクにはとっくにバレてた。

うちの中では禁煙って決めてる。前のアパートみたいに窓辺で吸ったりもしない。だから本数が減って、いい傾向だ、なんて思ってる。フランクはデッキチェアをもう一つガレージから出してくれて、並んで座っておしゃべりする。

それから、金曜日にカーウォッシュに行ったのに隣りのお家の工事のせいでまた汚れちゃった車を、フランクが一緒に洗ってくれて、ワックスまでかける。

シャワーのお水の方の蛇口が壊れてたから、フランクに直してもらった。これで、シャワーの途中で急にお湯がお水になってカダーが悲鳴をあげなくて済む。なんて思った。


引っ越しの準備を始めてから封も開けずに溜めていた郵便物の整理をしたら、「赤信号無視」の罪に問われて罰金50ドルの請求が来てる。写真にばっちり撮られた、赤信号の交差点のど真ん中をゆうゆうと走るわたしの車と、ライセンスプレートのアップ。間違いなくわたしのナンバー。あの、仕事が出来なかった「強制休暇中」にこのあたりを見に来た日の日付けだった。


あの人に電話してみたけど、繋がらなかった。

それからカダーにかけてみる。
「友だちとして」電話をかけて、「友だちとして」おしゃべりする。
そういうふうに思い込んだら、そういうふうになりきれるものなんだって、ちょっと思った。


みんなお芝居なんだ。
カダーがわたしを誘ったことも、わたしがカダーをだんだん好きになったことも、カダーが「愛せない」って言ったことも、それを聞いたことも、赤信号を渡ったことも、罰金の請求書が来たことも、罰金を払うことも、今日カダーに電話したことも、ふつうに話したことも、ふつうに話してちょっとお芝居みたいだと思ったことも、車にワックスをかけたことも。

多分、生きてることは、一片一片がどれもみんなお芝居なんだ。
だからどうでもいい。なんでもいい。

あの人とわたしのことが、まるでお芝居みたいなのに、それだけがほんとはお芝居じゃなくて、だからそれだけが大切で、だからそれだけがほんとは幸せなんだ。


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きみを愛せない - 2002年08月10日(土)

家の玄関を開けたら、カダーが笑って立っていた。
引っ越しする前に毎日来てくれてたあのカダーの笑顔だった。しっぽを振ってまとわりつくデイジーからやっと解放されて、アパートにふたりで入る。カダーはドアを閉めて、わたしはちょっとだけためらったあと、カダーの胸に寄りかかった。カダーは今までみたいにわたしを優しく抱き締めてからキスしてくれた。それから「部屋を見せてよ。どんなになった?」って言った。本棚のスクロールカーテンとランプのことなんか、忘れてた。「へえ。よくなったじゃん」ってカダーは嬉しそうだった。

抱き合った。ほんとに、あの喧嘩をする前とまるで何も変わってないみたいだった。みたいだったけど、少し違う気もした。わたしはカダーの気持ちを探ってた。違うことを認めるのが怖くて、探りながらなんにも気づいてないふりしてた。

なんとなく前と違うふうにふざけるカダーが少し悲しくて、「あなたってときどき子どもみたい」って誤魔化すみたいに笑ったら、カダーも笑って「僕の国にこんな歌があるんだよ」って歌詞を教えてくれた。「あなたはときどき子どものように振る舞う。My love。愛しい人。だからあなたは素敵。なぜなら子どもは誰でもみんな素晴らしいから」。それからそれを、カダーは自分の国の言葉で言った。

「ハビビがなかったよ。飛ばしたでしょ」って言ったら、「ほんとだ、飛ばした」ってカダーは大笑いした。ずっと前に、「I love you って、あなたの国の言葉で何て言うの?」って聞いたら、「そういうふうには言わないんだよ。ハビビって言葉を使うけど、直訳すると My love って意味なんだ」って教えてくれて、わたしはそれから「ハビビ」が大好きになった。

ブース・ティーズィ、ハビビ。ブース・クースィ、ハビビ。ヤラヤラ、ヤラビーナ、ハビビ、ハビビ。

わたしはふざけて、カダーの国の卑猥な言葉にハビビをいっぱいくっつけて言った。カダーはゲラゲラ笑った。それから、急に真面目に言った。

僕はきみを愛せない。

「・・・。どうして?」「わからない。でも、なぜだかきみに対してそういう感情がないってわかった。だから僕は混乱してる。きみはいい子だよ。とても素敵でとても可愛い。好きだよ。大好きだよ。だけど、愛ってのはこういうのじゃない。愛っていうのは、何もかも受け入れられることなんだ。僕はきみを愛せない。きみとはセックスだけの関係でしかない」。

「初めからそうだったの?」。初めはわたしを愛するようになると思ったって言った。わたしがあることに異常に過敏で、すぐに泣き出すことをカダーは受け入れられなくて、そういうわたしをカダーは病気だって言った。

「あたしは病気なんかじゃない。あたし、初めはあなたにどんな感情を持ってたか覚えてない。だけどあなたが毎日尋ねてくれるのが嬉しくなって、来てくれないと淋しくなって、あなたとおしゃべりするのが好きになって、あなたとごはんを食べるのが楽しみになって、あなたが抱き締めてくれるのが好きになって、あなたのキスが好きになって、あなたと過ごす時間が大好きになった。だから引っ越しても遊びに来てくれるって言ってくれたとき、嬉しかった。ビーチにも連れてってくれるって言ってくれたとき、ものすごく嬉しかった。あたし、またひとりになるのがイヤだ。淋しいのはイヤだ。あたし、病気なの? それは病気なの? 病気なんかじゃないよ。あたし、ただあなたと一緒にいたい」。

でも病気なのかもしれない。極端に淋しがりやなのは、病気なのかもしれない。そして頭がおかしくて、それをカダーは受け入れられないんだ。

「ごめん。病気だなんて言ってごめん。僕は混乱してる。だけどきみを愛せない。愛せるならもうとっくに愛してる。僕はきみを愛してない。きみにはきみを愛してくれる誰かが見つかるよ。きみはこんなに素敵な子なんだから。きみには、どれだけ愛してるかよりどれだけ愛されてるかの方がずっと必要なんだよ、分かる? 僕は自分が愛せる子を見つける。きみはきみを愛してくれる人を見つけなきゃだめだ。僕たちはずっと友だちでいられるから」。

友だち。まただ。セックスする友だち。なんで誰もわたしを愛してくれないんだろう。オカシイからだ。セックスがいいだけの、すぐ取り乱す頭のオカシイ女だからだ。セックスするだけの関係って言われて、そんなのはイヤだと思わないようなオカシイ女で、それを利用されてるとも思えないバカな女。

「じゃあまた来てくれるの?」「来るよ」「ほんと? ビーチにも連れてってくれる?」「連れてくよ。でも友だちとしてだよ」「言わないで、それ。分かったから。もう分かったから。あなたのこと、あたしも愛さないから、もう言わないで」「笑って。僕はきみの笑顔が好きだから。いつもそう言うだろ?」。カダーは初めから、わたしの笑顔が好きだっていつも言った。


抱き合ってはそんな話をしてまた抱き合って、眠って朝になって一緒にシャワーを浴びた。カダーとシャワーを浴びるのは、ものすごく楽しかった。それからカダーの壊れかけの車を一緒に修理して、ごはんを食べに行った。フランクが教えてくれたそのレストランは、ものすごく不味かった。

わたしはもう泣かない。淋しくないふりをする。セックスがいいならセックスのとりこにしてあげる。愛してもらえなくてもしかたない。でももうかまわない。いっぱい愛してる素振りを見せながら、わたしも愛さないよって言い続けてみせる。それさえもうすぐおしまいなのかもしれないけど。

アパートまで戻って来て、カダーは助手席のわたしを抱き寄せてあの優しいキスをくれた。わたしは首に抱きついて、カダーの耳の横にお返しのキスをした。車を降りて運転席のドアに回って、窓から腕と頭を伸ばし入れて、もう一度カダーの首に抱きついた。今度はくちびるの端っこにキスした。

そして離れて、思いっきり笑顔を見せて「バイ」って手を振った。

もしかしたらあれが最後だったのかもしれないって、今思い始めてる。


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もう一度 - 2002年08月09日(金)

昨日カダーと電話で話したあと、悲しくて淋しくて混乱して、あの人の番号を押してた。前のアパートを出る前の日の朝に電話してから、声を聞きたい衝動と毎日闘って必死で我慢して来たのに。

何度もかけたけど留守電になってて、8回目くらいにやっとあの人が電話を取った。
「タイミングよすぎ」ってあの人が言った。過労で倒れて入院してて、ちょうど退院して帰って来たばかりだって言った。あんなに毎日徹夜してきっと倒れちゃうって思ってたせいか、驚かなかった。元気そうな声で、ただよかったって思った。よかったって思ったのと声を聞けたのとで、またわたしは泣いた。

「何かあったの?」ってあの人は聞いた。「うんちょっとね」「男?」「ふふふ」「なんだよ、ふふふって」。カダーのことは言いたくなかった。

あれからほんとにわたしが電話をしなかったから、ものすごく心配したって言った。「もう電話しない」って言っといていつも絶対かけてくるから、どうせまたかけてくれると思ってたのにって。「そう思ってると思ったよ。でも今度はほんとにもうかけないって決めてたんだから」「なのにかけちゃった?」「・・・」。

だめだ。あの人じゃなくちゃやっぱりだめなんだ。一体どうしたらいいんだろう。誰もこの苦しさから救ってくれる人はいないのに。


今日は仕事も辛かった。このあいだから、引っ越しを手伝ってくれた Dr. ナントカから週末のデートに誘われてた。ずっと理由をつけて断ってたけど、今日また誘ってくれたらオーケーしちゃおうって思ってた。一回くらい一緒にごはんを食べるくらいならいいやって。そして、「もしあなたがあたしとつき合いたいって思ってるならダメ。あたしはドクターのボーイフレンドは欲しくないの」ってはっきり言おうと思ってた。だけど、いつもと同じにおしゃべりはしたけど、Dr. ナントカはもう誘って来なかった。通い慣れ始めた新しい通勤の道を走りながら、引っ越したってやっぱりわたしには幸せなんか来ないんだ、この街にいるのがいけないんだって、何もかも否定的でみじめにしか考えられなかった。

帰って来てから、カダーに電話した。ゆうべ寝ないで一生懸命考えて、考えても考えてもよくはわからなくて、ただ、わたしがひどいこと言ってカダーを傷つけたのならそのことを謝りたいと思った。あんなことを本気で思ってたわけじゃないって、それだけ分かって欲しかった。前のドクターの時みたいに、電話することも謝ることもバカげてて、「もう切るよ、グッバイ」って切られちゃって、それで全ておしまいになって、よけいに泣くだけかもしれないのに。

カダーの携帯はオフになってた。わたしがかけてくるのをわかってて切ってる気がした。でも、もうあのドクターの時みたいにひどく悲しくなくて、これで諦めがついたと思った。

10時頃になって電話が鳴った。「電話くれた?」。普通に優しい声だった。「あたしゆうべずっと考えてたの。あたしがきっと間違ってた。まだあなたの言ったことがよくわからない。だけど・・・」。そこまで言って、言葉が続かなくなった。怖かった。だけどカダーは「聞いてるよ。話して。聞いてるから」って、あのドクターみたいじゃなくて、ちゃんとわたしの話を受け止めてくれようとした。

「あなたをそんなに傷つけたって知らなかったの。あたし、あなたのしたこと残酷だなんて思ってない。あなたを残酷な人だなんて、あのときも今もこれっぽっちも思ってない。嘘じゃないの。ひどいこと言ってごめんなさい。あなたが怒ったまま帰っちゃうのが淋しかっただけなの。でも理由がなんであれ、あんなことしてあんなこと言ったのは間違ってた。それに言い訳じゃなくてほんとに、あたしあなたのこと残酷だとも悪い人だとも思ってない。思ったことない。知ってるでしょ? あなたにだって分かってるでしょ? ほんとにごめんなさい。」
「謝らなくていいよ。」
「謝りたいの。」

媚を売ったわけでも許しを請いたかったわけでもなくて、わたしはほんとに自分が悪いと思ってた。男なら疲れてイライラしてるとき、めちゃくちゃ乱暴にセックスすることだってある。だから、そんなことはほんとに何でもなかった。喧嘩したまま帰って欲しくなかったからって、いい年して乱暴なセックスに傷ついたふりしてひっぱたいて詰ってそのうえ泣いたりして、そんな子どもじみた頭のおかしい女みたいな行動いやに決まってる。

あの人にいつも自分の思いもわがままもぶつけてて、そういう自分がいつのまにか普通になっちゃってた。彼女のことを嫉妬して醜い言葉投げつけたとき、「きみがそんなふうにおかしくなるなら、もうこんな関係続けられない」って言われたことを、ゆうべ思い出した。あげたカードをビリビリに破って、床に座り込んでドクターのシャツを掴んでイヤだって泣いたときの、ドクターのさげすむような顔も思い出した。わたしはカダーに、そんな醜くてオカシイ自分をまた見せてしまったんだ。

「会いたい?」ってカダーが聞いた。「会いたい。会って話したい」「これから行こうか?」「ほんと?」「行くよ」。

嬉しかった。
わたしは、会って話せばもう一度取り戻せるような気がしてた。





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またひとり - 2002年08月08日(木)

ベッドルームの本棚をカバーする、スクロールのカーテンが欲しかった。
前のアパートは広かったから気にならなかったけど、ここじゃ色とりどりのバインダーがお部屋をよけいに狭く見せて、だからちょっとおしゃれに隠したかった。

IKEA には、やっぱり思ってた通りのがあった。生成のカーテンとベッドカバーに合わせて生成を選んだら、カダーは紺色がいいって言った。「木のナチュラルな素材の色に紺色はよく合うんだよ。僕は好きだよ」って。生成ばかりじゃたいくつだからフラッシーな色でアクセントをつけた方がいいとも言った。ブルーをお部屋の配色に使ったことがなかったから、考えてもいなかった。「じゃああのオリーブグリーンは?」って聞いたら、「合うとは思うけど古くさい感じがする」って言われた。そう言えばそうかなと思って、インテリア・コーディネーターのアドバイスみたいなカダーのおすすめ通りに、紺色に決めた。

明るい紺色は本棚の自然の木の色とほんとによく合って、白い壁と生成のファブリックの空間がピリッと引き締まった。
「あのベッドサイドテーブルの古いランプを捨てちゃって、さっき見てたブルーとグレイの線が入ったランプのシェードに変えなよ。ホラ、この紺色のスクロールにぴったりだろ?」
「ほんとだ。じゃあ大きい方のランプのシェードもおんなじにしようかな。あのシェードも染みがついちゃってるし」。
予定外に買っちゃったランプのシェードもお部屋に映えて、白い壁が綺麗に見える。

大家さんのフランクが本棚にスクロールカーテンを付けるのを手伝ってくれて、それからふたつのランプのシェードを付け替えたのは、月曜日の夜だった。ベッドルームがずっと素敵になったのが嬉しくて、カダーに電話で報告した。

「センスがいいね」って言ったら「当たり前だろ」ってカダーは笑って、「僕はきみをいつだって満足させてあげたいだけさ」って自信たっぷりに言った言い方が好きだと思った。
あのときはほかにもいっぱいおしゃべりしたのに。
カダーは「それから?」「他には?」って促して、わたしの話をいっぱい聞いてくれたのに。
日曜日に喧嘩したまま別れなくて済んで、カダーは優しいカダーに戻ってくれたのに。
好きだよって何度も何度も言って抱き締めてくれたのに。
抱き締め返したわたしのからだが、あんなに安堵で満ち足りたのに。


わたしはカダーを傷つけてた。
わたしはあのとき自分が傷ついたふりをして、カダーのほっぺたをひっぱたいて、本気でそう思ってたわけじゃないのにカダーをたくさんなじった。カダーはわたしのしたことと言ったことを、忘れようとしても忘れられないって言った。考えないようにしようと思っても頭から離れないって言った。

そして、あのときのあのドクターとおんなじことを言った。

こんなふうにつき合うのはやめよう。ただの友だちでいよう。僕はきみが好きだよ。ほんとにとても好きだよ。それは分かってて欲しい。だけど、友だちでいよう。

わたしは多分いろんなことをたくさん言った。

分からない。わたしが傷つけたのなら、そんなに傷つけたのなら、なんであなたの友だちでいられるの? もう友だちでもいられない。

はっきり覚えているのはそれだけ。


わたしにはもう分からない。
何がなんだか、どうなっちゃったのか、全然ワケが分からない。
またひとりぼっちになっちゃったってことしか、今は分からない。



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迷子 - 2002年08月07日(水)

あの人の声を聞かなくなってから一週間経った。

あの人どうしてるんだろう。


わたしのこと心配してるだろうな。

あんなに大好きで
甘えてばかりいて
毎日声聞かなきゃ淋しくて
泣いてばかりいて

そんなだったのに平気でいられるはずがないって

きっと心配してるだろうな。


そうだよ。平気でなんかいられない。
声聞きたいよ。聞きたい。
でもね、そう思うともうダメなの。
ほらね。もう涙が出てきて、ほらもうダメだから。
ほら、もうこんなに大好きが溢れ出る。


送ってくれたって言ってたあの人の一番新しい CD が届かない。
引っ越すぎりぎり間際だったから
どっかで迷子になってるんだ。
いつかここに届くのかな。
それとも日本に戻っちゃうのかな。


わたしも迷子になっちゃったよ。
あの人のところに戻りたい。

戻りたいけど戻れない。
戻れないのに戻りたい。

戻りたい。
戻れない。


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Hug me - 2002年08月06日(火)

わたしの平手打ちなんか多分何ともなくて、カダーは別に平気な顔してた。平気な顔してわたしの腕を押さえてた。

「あなたはあたしをこんなふうにファックして、それであたしの気が済んだと思ってるの? それともあなたの気が済んだの?」。
わざとファックなんて言葉を使った。侮辱されたなんて思わなかったし、悔しくも悲しくもなかったのに、そう言ったら涙がボロボロこぼれた。わたしはただ、喧嘩したままカダーが帰っちゃうのが淋しかった。後味悪い思いをしながらひとりぼっちになるのが淋しかった。
「して欲しかったんだろ?」ってカダーが言った。それをヒドイとも思わなかった。だけどすごくヒドイことされてヒドイこと言われて、ヒドク傷ついたふりをした。

「違うよ。そんなんじゃない。そんなの欲しかったんじゃない。あたし、いつもの優しいあなたに戻って欲しかっただけよ。こんなヒドイ仕打ち初めて。こんな屈辱初めて。こんな残酷なことされたの初めてだよ。あなたって残酷。ヒドイ人。こんな残酷な人今まで会ったことない。残酷残酷残酷。もう好きになんかならない。もう嫌いになる。こんな残酷な人ならもう会いたくない。もうここに来ていらない。Youユre so cruel. Youユre so mean. How could you be so cruel? 」。

カダーの顔を見ながら言い続けた。カダーはわたしの涙をずっと指で拭ってた。
「悪かった。ごめん。泣かないで。」
「泣いてなんかない。」
「残酷なんて言うなよ。僕にそんなこと言うなよ。僕は残酷なんかじゃない。」
「残酷だよ。」
「悪かったよ。ごめん。悪かった。もう泣かないで。」
「泣いてなんかない。」
「きみが好きだよ。」
そう言ってカダーはわたしを抱き締めた。
「好きじゃない。」
わたしは両腕を下に垂らしたままじっとしてた。
「好きだよ。とても好きだよ。」
カダーのくちびるがわたしのくちびるに触れても、わたしは動かずにじっとしてた。
「キスして。」
「しない。」
「Hug me.」
「いや。」
「Hug me.」
「いや。」
「Hug me.」
「いや。」

いつもの優しいカダーだった。いつもより優しい腕だった。気がついたらカダーの背中に手を回してた。あの娘を抱き締めたときみたいに、カダーの大きな肩と背中を、大事に大事に自分の腕で包んでた。

カダーは大きな吐息をついた。





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喧嘩 - 2002年08月05日(月)

土曜日。
まだまだ残ってる段ボール箱をひとつずつ開ける。引っ越しってなんて非生産的な行動なんだろ、と思う。カップがひとつとお皿が一枚割れてたりして、破壊的とすら思える。「開けるときのお楽しみ」って言い訳つけて箱にレーベルを貼らなかったら、何がどこに入ってるんだかほんとにさっぱりわかんなくなった。

片付けるのに飽きてアンサリング・マシーンのメッセージを BGM 入りで吹き込んでたら、カダーから電話がかかって来た。来てくれることになったけど、カダーの車は調子悪くてわたしが迎えに行った。一緒に飲みに行った日以来、スッピンに髪をまとめてショーツにTシャツかタンクっていう引っ越し用のカッコしか見せてなかったから、髪をおろしてちょっとかわいいドレスを着てったら、カダーは「おお〜」って喜んだ。

カダーとカダーのルームメイトと3人で、近くのグリーク・レストランにごはんを食べに行く。引っ越してまだ3日しか経ってないのに、こうやっていつでも戻って来られるんだと思ったら嬉しかった。3人でいっぱいおしゃべりしながら長い長い食事をした。

ルームメイトとバイバイして、カダーがわたしの車を運転して、ふたりでわたしのアパートに向かう。もう11時になってた。「まだ片付いてないんだよ。綺麗になってないけどいい?」って言ったけど、カダーが電話をくれてからすごいスピードアップで片付けて、お部屋はぺしゃんこにした空っぽの段ボール箱の山がある以外もう殆ど綺麗になってた。カダーは当然のように泊まって、わたしもそれを当然のように思ってた。


日曜日。
お昼ごろにふたりで起きた。わたしが IKEA で買いたいものがあるって言って、わたしが行ったことのないニュージャージーにある IKEA に行くことにした。インターネットで調べたらここから32分って書いてあったのに、ものすごい車の量で、シティを通り抜けるだけで1時間かかった。リンカーン・タネルをくぐってニュージャージーに入ってからも1時間くらいかかった。それでもドライブが楽しかった。IKEA も楽しかった。おなかがぺこぺこになってシナモンバンを貪るようにパクついたら、ふたりして吐きそうになったのも楽しかった。

ニュージャージーはたいくつなとこだったけど、カダーが連れてってくれたパターソンのダウンタウンには地中海料理のお店がたくさんあって、初めて食べたターキッシュ・フードがおいしかった。ターキッシュ・レストランでは誰かのウェディング・シャワーをやってた。花嫁になる女の子がとても綺麗で可愛かった。殆ど貸し切りのプライベートパーティの隅っこで、なんとなくこっそりごはんを食べたのもおもしろかった。

帰りに渡ったジョージワシントン・ブリッジの料金所で、どこかでわたしが掴まされたまま使えずに持ってた偽10ドル札を出したら、すんなり受け取ってお釣りをくれて、ふたりで顔を見合わせて親指を立てた。まるでふたりで偽造したお札を上手く使えたみたいに、橋の上で「やったね」って大笑いした。

ものすごく楽しかったのに、高速の出口を間違えて降りて完全に道がわからなくなったあたりから喧嘩になった。段々エスカレートして怒鳴り合うほど大喧嘩して、アパートに着いたころには口も聞かない険悪さになっていた。

機嫌が悪いまま、カダーは帰るって言った。わたしは黙ってた。「送ってくれる?」ってカダーは聞いた。わたしは黙ってた。ずっと黙ってた。何度もカダーが行こうって言うから、やっと口を開いて「行かない」って言った。カダーが怒ったままなのがイヤだった。謝るからもう機嫌直してって言ったら、カダーは乱暴にわたしを抱いた。滅茶苦茶に乱暴だった。下着の上から精液をかけられた。

カダーは拭いてもくれないで、自分だけさっさとショーツを履いてベルトと締めて、無表情のままで「早く用意しな」って言った。わたしは自分で、汚れた下着を丁寧に丁寧にティッシュで拭いた。それからカダーのほっぺたを、平手で思いっきりひっぱたいてやった。

パシーンと大きな音がお部屋に響いた。


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引っ越し完了 - 2002年08月01日(木)

疲れた。
コーヒーが飲みたくて飲みたくて、積み上げた段ボール箱の中から気が狂ったみたいにコーヒーメーカーを探す。やっと見つけて、前にちゃんとこのアパートの冷蔵庫に確保して置いたコーヒー豆を取り出してから、コーヒーフィルターがないことに気づく。どこにあるかなんてわかんない。コーヒー豆と一緒に持って来とくんだった。とても探す元気なんかなくて、近くのグローサリーストアに買いに行った。

ああ、本当にわたしったら、ああいうごちゃごちゃ食品を積み上げたちっともおしゃれじゃないグローサリーストアが好きだ。ジャムの瓶やら缶詰のあいだに隠れてたコーヒーフィルターを見つけてから、なんかおもしろいものがないかウキウキ物色する。急におなかが空いてきて、デリのところでおじさんに、ハム&エッグを焼いてもらってスイスチーズと一緒にカイザーバンに挟んでもらった。

コーヒーが沸くのが待ち遠しかった。ゆうべ大家さんのフランクが組み立ててくれたダイニングテーブルで、段ボール箱に囲まれながらサンドイッチを食べた。コーヒーがのどを通るたび、天にも昇りそうだった。

月曜日の晩にカダーとダイナーでごはんを食べてから、なんにも食べてなかった。冷蔵庫のウェルチのグレープジュースの大瓶を空っぽにしなきゃって、そればっかりひたすら飲んでた。くたびれすぎて、食欲がまるでなかった。


昨日はほんとに長い長い、死にそうな一日だった。気温は100°F近くあったらしくて、暑いのも死にそうだったけど、お掃除が死にそうだった。ここじゃあ綺麗にお掃除してからアパートを出て行く人なんかいない。それでもちゃんとセキュリティ・ディポージットは100%返って来る。カダーも「掃除なんかしなくていいよ」って言ったけど、わたしは引っ越すときはいつも、ちゃんともとの状態に戻してから引っ越したい。入ったときのアパートをもう一度見て、バイバイを言いたい。このアパートはとりわけそうだった。ここにあの人がわたしに会いに来てくれるんだ。それを心待ちにしてチビたちと暮らし始めた、あの日と同じ空っぽの綺麗なアパートをもう一度見たかった。

カーペットに絡んだチビたちの毛を丁寧にバキュームで吸い取って、キッチンとバスルームもピカピカに磨いた。前の晩寝るのに床の上に敷いたマットレスパッドとシーツを洗濯して、ランドリールームに取りに行くときカダーに会った。「ねえ、アパート綺麗にしてるの。見て」。そう言って見に来てもらう。3時から10時まで仕事だったから「今日はもう会えないよ」ってカダーは言った。ベタベタで汗臭いわたしを抱き締めて「See you」って言う。「See me when?」って聞いたら、「わかんない。電話してよ」って汚いわたしのおでこにキスしてくれた。

マネージャーに鍵を返して書類に新しい住所を書いてサインして、サンキューとバイを言う。誰も買っても貰ってもくれなかったコーヒーテーブルとアームチェアは、マネージャーがオフィスに引き取ってくれた。お気に入りだったコーヒーテーブルをあのアパートのビルのオフィスに置いてもらえるなら、知らない人のとこに行くより嬉しいと思った。

アパートにバイバイする。不思議なくらい、悲しくなかった。

最後の荷物とチビたちを入れたケイジを車に積んで、新しいアパートに向かって出発する。ルームミラーを覗いたら、ゆでだこが映ってた。こんな顔のおでこにカダーはキスしてくれたのかって思ったら可笑しかった。

大家さんのフランクが手伝ってくれて、寝られるようにベッドを作る。それだけでいいと思ってたのに、大きな家具を配置するのを手伝ってくれる。くたびれてくたびれて、自分でも匂ってくるほど汗まみれだったのにシャワーも浴びずに、知らないうちに眠ってしまった。目が覚めたらまだ4時半だった。あんなに疲れてたのに目が冴えて、昨日配置したばかりのベッドルームの家具を、もう気が変わって模様替えした。

シャワーを浴びて、外に出る。たばこを吸ったらめまいがした。ドライブウェイに、バジルとアップルミントが植わってるのを見つけた。一枚ずつ葉っぱを千切って食べる。わたし、今日からここの住人になるんだ。なんとなく頭の中で言ってみた。そしたら、コーヒーが飲みたくて飲みたくてしかたなくなった。


昨日の朝あの人が電話をくれて、「今日はゆっくり話せないから、明日の朝絶対電話して」って言った。「明日の朝」は、わたしの昨日の夜のこと。「ダメだよ。今月いっぱいでおしまいって言ったでしょ?」「まだきみは31日じゃん」「ダメ。夜にはもう新しいアパートにいるんだから」「お願いだから、電話して」。

わたしはかけなかった。

新しい電話番号はあの人に教えてない。
でも、前の番号にかけたら新しい番号がテープで流れる。それを聞いてかけてくれるかもしれない。
そんなこと、ちょっと思ってる。

平気平気、全然平気。あの人のことなんか考えない。
そんなこと、一生懸命思ってる。


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