21世紀猫の手日記
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2020年11月30日(月) !ルンペルシュティルツィヘン!?

×イチの友達が電話をくれた。


なんでも某区のお寺で、コロナ退散的なお経を教えてもらったんだそうだ。

お経あるからファックスしようか?唱えてみたら利くかもよ?というお話である。



そんなに長くないそうなんで、タイトルだけ教えてもらってネットで調べた。

すぐヒット。

「仏説却温黄神咒経」ぶっせつきゃくうんおんじんじゅきょう


メインで唱えるところは、般若心経のぎゃてーぎゃーてーからラストまでよりちょっと長い位。

解説を読むと、このお経は不空三蔵訳かもなんですね。

なんか、臨済宗で使われているらしい。

アマビエみたいに流行るかどうかはわからない。

けれど、お寺にお参りにいったときに、おみくじみたいな薄い紙に印刷されたのをもらったら嬉しいかもしれないですね。100円で売ってもいいのかも。


内容は、お釈迦様に

「マジで死ぬ病気はやってますよ、どうしたらイイすかね?」

お釈迦様

「病気を起こしてる鬼神の名前言ったら、あいつら悪さできんから、そいつらの名前教えとくね。7匹いて○○、▽▽、…」

超簡単にするとそんな感じです。


それ読んで、おお!ルンペルシュティルツィヘン!と思いました。

ルンペル…ってのは、グリム童話で”俺の名前を言い当てられたら赤ちゃんとるのやめてやるぜ、当てなきゃ連れてくぜ”という悪い小人です。

童話では名前を当てられてしまって、怒りのあまり自分で死ぬんです。自分で自分を引き裂くという斬新な死に方が、ZAZAの心に残った一作でした。

名前を言ったら災難から免れる、みたいな話がお釈迦様の話にもあるんだなーとちょっと感心しました。読んだことのあるお釈迦様の話は、蜘蛛の糸とブッダだけかもしれないけど。






2020年11月29日(日) 慢性的な喪失…そのものじゃないか!うごー

というわけで、自分の話。

(クラウディア・ブラックの子供を生きれば大人になれるより)
20pから40pのくだりです。


子供というのは、「権利の目録」を手にしてこの世に生まれてきます。それは次のような権利です。

・誰かの期待通りの存在だからではなく、ただありのままの自分として大切にされる
・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身としていつくしんで育てられる
・一貫性と、安全と、暖かさと、理解を与えられ無条件に愛される
・ひどく傷つくような状況から守られる

こうした基本的な権利を奪われているという事は、つまり見捨てられているということです。

中略…家族の中で見捨てられによる喪失を体験することは、トラウマを引き起こします。それによって、自分自身やこの世界が「いいものだ」と感じる力が著しくそこなわれてしまうのです。


で、どーなっちゃうかというと

家族が子供の痛みをほおっておかなかった場合だと
痛みは癒されて、安心できて、自分はこれでいいって感じになります。



痛み放置の場合

独りぼっち 無視されてる 自分はおかしい

喪失の痛みに見捨てられた痛みが加わる

感情:恐れ 守ってもらえない 愛されていない 孤立
信念:自分は…どこか変だ 価値がない 愛されない存在 間違ってる
行動:ありのままの自分を隠し自分を防衛しようとする 良く見せよう、あいされようとする 家族を取り持とうと懸命になる

子供にとっての家族という場

生き延びるために必死になる 自分の成長を感じられない 境界が曖昧で侵入が起きている

ドヒャ―――――!!

ZAZAこのコースそのままなんですよ!!見捨てられ喪失の痛み満載で自分大嫌いで無価値コース。うーん、完璧な家庭なんてないですよ。

両親は完璧っぽく、良い家庭をめざしたんでしょうけど、いた方は地獄だったんだよ。

自分は大事にされてるって思いたかったけど、実際は辛いか、ひどく辛いしかなかった。小学校4年で確実にそうだったな。

1,2年の頃は寂しいなと思っていたけど。くつろげないし、家が安心って感じはほぼしてなかった。

小学生のころって、母、私の事は基本無視だからなぁ。

小6の文集に普通になりたいって書いたくらいですから。


で、そういう痛みを直視したくが無いために、ZAZAは無謀な働き方や勉強の仕方をします。がんばりすぎるし、自分は大丈夫っていうのがすぎるんだぁ。

アイタタタ。

うーん。

一般的に辛いっていうのと、自分のツライはちょっと違うなーとは思っていた。けど、本に書いてあることが本当にそのままで七転八倒だ。



…痛みの反応としてのうつっていうのが、(53Pあたり)そのままだ。

これは……、自覚しないと、人生が詰まる。もう詰まったけど。


というわけで、アイタタタの部分を今味わっています。

認めないと自由になれないんで。

がんばってコースを変えよう。


過去の痛みに対して敬意をとれるようになるのかなぁ?

まだなんか、進行形っぽいんだが……。



直視してワーーーーってなってるけど。


…そういうことをミーティングで話しているんだ。

これ、人に言えるようになるのが重要なので。

なかなかセンシティブなんで、ブラック職場中だとできないんだな。

ストレス少ない環境にいないと、ムリだと思う。



2020年11月20日(金) 虚無の対抗は感謝か?

というわけで、ACミーティングへ行ったりしています。

生成過程はみな違うのに、何となく仕上がりが近いのが、なんだかなぁ。


人生の棚卸し状態です。

まずは自分の視点や、考え方や感情が歪んでたり傷ついているところを

認めないと、そっから先へは進めません。


最近、気が付いたのは、「見るな、考えるな、感じるな」的なルールは

家の中にもあったけど、自分の中にも根付いてしまっているってことだった。


20代の頃、ACに関する本は読んでいたのにも関わらず、

自分そーじゃねぇよという否認がめちゃくちゃあった。気がつけなかった。

そして対処もできなかった。


自分が何をしたいか、何をしたくないか、……正直今でもふんわりですね。

自分の気持ちを無視していたツケが来ているとしか言いようがない。


……もう、ギリギリまで我慢しちゃう。

ガマンしすぎると体に出る。



あからさまに体に出たのは高校1年の頃だった。

……背中が伸びなくなった。頭も上げられない。視線も上げられない。

肩、頭、首、激痛状態。歩いていてもアスファルトしか見られない。

そして、電柱とか標識がよけられない。


今思うと100パー鬱だった。原因は、一挙一動家で叱られていたからだ。

読むもの制限とか、行動の制限をして勉強に専念させたかったんだと

思うけど、度が過ぎた。あの頃の母親は今思い出しても恐ろしい。

ちょっとおかしかったと思う。

茶の間を横切るのもビクビク状態だった。何言われるかわかんないから。


常に暗くて落ち込む嫌な気持ちだった、自分の事も嫌いになった。


感情的にも精神的にも常にギリギリまで落ち込んでいた。

しかも、それが普通の状態になっていた。

希望も無く、未来の事も全く考えられない。ひたすらずっと悲しい。



成績はガタ落ちし、2学期後半くらいまで超孤立状態だった。

妙な姿勢しか取れない自分は相当イヤだったし、家に帰っても自分の不備を

責められるばかりでつらかった。


○○をしろといわれて、ハイって言っても気持ちが付いていけないから

できない。返事だけだと言われて更に叱られ続けるという悪循環だった。

常に頭はもやっとしていました。

こいつら殺すか失踪するか、……どこへどうやって逃げたらいいんだ?

ていう感じだった。


カッターじゃ無理、何かそこまで言われるほど悪い事していない…

ので自殺しなかったんだと思う。



美術と英語の先生が多少気を使って話をしてくれたおかげで、死ななかった

んじゃないかという気がする。


その後、2年ほど親と離れて学生会館に住んでいたら、マイナスの気持ちが

ほとんど消えて、普通に楽しい生活だった。姿勢も治った。

……親ダメージが大きかった。(苦笑)



信頼して手を放して見守る。

信頼はなくても、手を放してもらっただけで精神的にはかなり改善する。


残念ながら、子供のころから今に至るまで

「お前は信頼できない」と言われ続けていますが。


自分は人を信頼したり、自分自身を信頼することがあまり

できていなかった。自分以外全て敵状態な気持ちになったこともある。


どうせすぐには人間的なバランスはとれない。

欠けてるところがあるんだよなー。

ゆっくり埋まったらいいなとおもいます。










2020年11月09日(月) ミーティングに行ったり、海を見に行ったり。

掃除をしつつ、人生の棚卸をやっている。

棚卸って何かというと、どんなことがあったか、それに対してどんな

感情をもったか、どういう影響を受けたかを書くことです。


まぁ、たとえば、家の中で騒いでガッツリ叱られたとか。


……自分が楽しかったり笑ったりすることに制限はあったろうか?

うーん、残念ながらあった。父の機嫌による。うるさくしたら叱られる。


……家族全員おのおの本を読んでいた。それは良しとされた。


でも自分はどうだったろうか?母親と遊んでもらいたかったと思う。

母は、家の中で私を無視していた。

本人は無視したつもりはなかったのかもしれないが、後ろ姿の記憶が多い。

寂しかった。


多分、自分のニーズを無視して、気に入られようとしたり、

辛くても辛くないようにふるまう原点はそのあたりから来ているのかも。



小学校3年くらいの時、母方の祖父母の家に行った。

そこで、母の兄一家の家族のふるまいを見て泣いた。


第一印象はうらやましいでした。

普通に会話している。笑いながら話をしている。笑っていいんだ。

楽しそう。(ものすごい衝撃)


隣の芝生は良く見えるらしいんですが、何ですかね、家族って笑うんですね。

今にして思うと、あの人たちはリラックスして会話ができてた。普通なんですが。


他の親は、子供(いとこたち)の話を聞いてあげている。

え、話聞いてもらえるんだ?安心できるんだ。

私、いっつも怖くて辛くて寂しくて安心できない状態でした。

夜、布団の中しか安全地帯が無い感じでした。

孤独でした。小学校2、3年生にして家が苦しい状態でした。うおー。




孤独ってこうゆう事か?と思って自分がみじめで悲しくて大号泣しました。


親には泣いたワケは言わなかったと思います。


小さな心の傷が重なってどうとかというより、基本的にすごく欠けている

要素が大きいんですね。

小学校低学年ですでに家族が苦しかったという事実がまたショックです。

うおぉーーー!


そりゃぁ……、社会に出てから破綻が来るなぁ。


親切丁寧だったとしても、元がむちゃむちゃ虚無ですからねぇ。

良い事が言えたとしても、根本的な安心感がある人の余剰エネルギー的な

親切とかじゃない。同じことを言ったとしても、自然に出る言葉じゃない。

状況を考えてこういうのがベストという選択で出す言葉ですからねぇ。



別にそれでも仕事的には十分ですが、基礎的な安心感が本人無いんだよな。

もちろん、完璧な家庭も関係も存在はしません。


ただ、ZAZAがなんでかしらんが未だに苦しくて未消化なんですね。

子供自体に対応できなかった事も、今なら考えられます。

大事にされないみじめな自分はイヤですよね。イヤで泣いたんです。

ああ、そういうことだったんだねと。感情をうけとめます。


というようなことを人前で言えるようになると、何となく心の傷も癒えて

くるかもねっていうのが、クラウディア・ブラックの本に書いてあります。


それやっています。ああ、つらい。


ミーティングで他の人の話もききますが、自分の親は離婚

してないだけで、おまえら相当なレベルでおかしかったぞ!?と

いうのが正直な感想です。


見るな話すな感じるなっていう、機能不全家族のルール、表現違うけど

うちはアリアリ過ぎるじゃないか。ありありすぎて気が付かなかった!!


「親に自分の気持ちは言っても聞いてもらえない」

これ、ずっとなんですね。大した事を言わないのは確かですが。

表現してもダメなんですね。ガン無視でした。

向こうの境界線がハードなだけのかもしれないけど限度があります。


向こうからの一方通行がずーっと続く。

こりゃあ、……関わった分だけ病むわけだ。なんか納得。

すげー物の見方が歪むわけだ。

逃げたくなるよな。そんな自分。


でももう大人なんで逃げません。何とか受け止めます。



zaza9013

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