my mur mur 
2002年01月22日(火) 止(や)まない

雨が止まないように

想いが止まない

心が止まない


だから・・

だから ここに居る

ここに居るから・・


2002年01月20日(日) 自分だけが・・

自分だけが 幸せになれても

嬉しくない・・


2002年01月19日(土) その他大勢

そういう名前の人は

一人もいません・・



人を雑に扱わないでいてほしい・・

そうしないと

人に黒いしずくを落とし

自分に後悔というしずくを落とす事になるから・・


2002年01月18日(金) おわり

終わりを決めなければ

続きがある・・


2002年01月17日(木) 別れる人に

逢うために

生まれてきた


あなたに出逢うために

生まれてきた



2002年01月16日(水) 我慢と辛抱


人に押し付けられる我慢は

長く出来ずとも


自分の選んだ辛抱は

いつまでも 出来るはず




2002年01月08日(火) 慈悲

この言葉を とても丁寧に解りやすく教えてくださった方がいました。

仏教の言葉になりますが キリスト教の「愛」と
同じ意味を持つ物と言われています。

慈と悲 この二つの言葉は 別の意味を持つ言葉となっていて
同じ人間ではあるけれど 男と女ほどの違いがあるということです。

慈は
慈愛の言葉にあり 
前向きで明るい希望に向かって行く励ましのもの
やさしさの中の強さや厳しさ

悲は
思わず身体の深い所からもれてくるため息のような
絶望の底にいる人のそばに 身を置く時のような感情


子どもが ころんでひどくケガをした時に

父の元に行くと「痛くない。このくらいたいした事はない。痛くない。」
そう父に言われて 子どもは何か 本当にたいしたことじゃない気になり
痛さが和らいでくる

母の元に行くと「痛かったね。辛かったね。痛かったね。」
そう母は抱きしめて 一緒に涙を流す・・
そして 子どもは何か 痛みを解ってくれている人がいる事で
痛さが和らいでくる

人の痛みを この二つが和らげてくれるものかもしれません
自分の痛みにも この二つが必要なのかもしれません

どちらかひとつではなく 両方揃ってはじめて慈悲になるようです




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