学習能力


 過去 : 未来 : メール 2003年09月30日(火)


人の学習能力にはいろいろ差があると思う。

だからクラスで出来る子もいればもちろん理解するのが遅い子もいる。

私は中学、高校とずっと成績は悪かった。


真ん中。

ずっと真ん中。


通知表だってオール3。

今教えている英語だって特別よかったわけじゃ〜ない。




高校のときなんて赤点もあったし。


ダーリンが私の通知表を見つけて驚いてたくらいだった。


だから私は他の先生よりできない生徒の気持ちがわかると自負している。




ヘンナ ジマン・・・




英語でも2年生や3年生になると


『何が分からないのかワカラナイ』


そんな状態の子ども達のつまずきがよ〜〜くわかるので、その絡まりついた紐をとくようにしている。




けど




けど





今日は参った。



赤 red、青 blue、黄色 yellow、緑 green



この4つの英語が頭に全然入らない。
スペルを書きなさいって言ってるわけじゃないの。
私が英語で言った色のおはじきを取ればいい。
その色のペンで落書きすればいい。

それがなかなかできない。




もしかして色の識別ができないのかな?って思ったくらい。



あ〜私がもっと勉強できない子どもだったら彼らを救ってあげられたのに。



悔しい。








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誰だってその子にあった学習の仕方があるはずだ。



がんばって探そうね♪


ホテル


 過去 : 未来 : メール 2003年09月28日(日)


週末はダーリンは仕事だったので子ども達を連れていろんな用事をすませるために実家に帰ることにした。


土曜日の午前中は以前カホが行ってた幼稚園の運動会だったので懐かしい顔を見に出かけた。

カホは走り回って喜んだ。


カホが好きだった男の子に


「誰?」


って言われて一瞬落ち込んだがすぐに持ち直した。



昼からは親子3人でいつもの美容院へ。




ミホは今まで長くしていた髪をばっさりウルフカット。

カホはまぁ普通にカット。

私はカラーリング&カット。




3人で10100円。


どぉ?安いと思わない?



って友達に聞いたら「私いつもカラーリングは家でやるから安いのかわからない」と言われた。(笑





で、夜やっと実家に行った。


実家には二匹の猫が家の中にいる。


私が生まれる前から猫のいる家で入れ替わり、立ち代りいろんな猫がいる。

最高6匹飼ってたときもあった。


結婚して子どもを産んでから里帰りをしたときに、私はひどい咳に襲われ息ができなくなった。



アレルギー性ぜんそくだ。




一晩入院。



それから実家に帰って泊まると調子が悪くなった。


もちろんアレルギーを持っているミホもあまり実家でのお泊りはよろしくない。


それでも体の調子がいいこともあるので、時々苦しいけど何とか泊まっていた。


しかし、昨夜は私もミホも苦しくて息をするのがやっとだった。



今までぜんそくは出ていなかったミホも喉がひゅ〜ひゅ〜言い出した。


鼻水がでるので鼻をかもうとしても咳が出るのでそれもできない。




ただ今までの経験上、この家を離れれば症状は落ち着くということを知っていたので誰か知り合いの家に泊めてもらおうと考えたが、ちと夜遅すぎた。




だから夜中の10時過ぎだったが市内のホテルに電話をした。




「すみません、これから泊まれるでしょうか?」


「ダブルのお部屋ならご用意できます。」


「大人一人と子ども二人ですが添い寝できると思います。」





ってことで夜、急遽、息も絶え絶え(?)ホテルに行くことになった。



何も関係ない元気なカホまでホテルと聞いて付いてきた。




ワタシダケダッタラ ラブホテル デ イインダケド・・・


ダレカ サソッテ・・・(違





あ〜



実家に泊まれない体になってしまった。




ホテルに送り出す母も寂しそうだった・・・・。



でも彼らに猫だけは捨てることはできまい。



っていうか、ワタシも猫は今までどおり可愛がって欲しい。









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朝ごはんは実家に帰って食べましたとも。(涙




あ〜。お金が湯水のごとく流れていく。
















近所の友達


 過去 : 未来 : メール 2003年09月26日(金)


近所にとても仲のいい友達がいる。


友達といっても私の母よりも年上で、66歳。


昔に離婚されて、子どもさん二人を一人で育て上げた。


息子さんは名大に入学、エリート会社に入社したものの海外勤務中にロンドンでロンドンバスにひかれて亡くなった。

娘さんは嫁いで福岡にみえる。



息子さんの保険金や慰謝料でそれまで名古屋に住んでいたが、生まれ故郷のココへ戻り一軒屋を買ってアパート経営をされている方。




子ども達はその自分のおばあちゃんくらいの人を


「ねぇね」


と呼ぶ。


子どもたち自身も何で「ねぇね」と呼ぶのがわからないのだが、まぁそういうことになっている。


彼女は長い間苦労の連続だったので私が何か甘いことをしたり、言ったりするとチクリを言う。



それが結構毒舌なんだけど、当たっているだけに反論はできない^^;



とくに贅沢に関してははうるさいの。。。。




また、名古屋でお惣菜屋さんをやっていたので、料理はピカイチ。


まさしく「お袋の味」もあり、また何でもチャレンジャーなので本場カレーもあり、ズッキーニやバジルの葉を使ったイタリアンもありで・・・・。



子ども達「ねぇね」の作ったものなら何でも食べる。




ワタシガ オナジモノ ツクッテモ タベナイクセニ・・・・




何かが違うんだよね。


まさしく勉強になりっぱなし。





イツモ ゴチソ〜サマ。





また縫製の学校に行っていたらしく、ジャケット、パンツ、スーツ、ウエディングドレス、パジャマ何でも作る。


この間は帽子作ってたな・・・・。



とにかくすごい。



何で昔の人ってあんなに何でもできるんだろう。



私も彼女から冷蔵庫の微々たる材料でいかに料理をするかというコツを得た。


でもどうしても裁縫はだめだな。

不器用なんだよ。(涙






他の近所の人たちからは「親子みたいだねぇ」とよく言われる。



今日も知らないうちに彼女の家で眠り込んでしまっていた。


はっと気付いたら毛布をかけてくれていた。




こんなに甘えてばかりじゃいけないな。






34歳2児の母。(爆








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着色料


 過去 : 未来 : メール 2003年09月25日(木)


子どもがアレルギーを持ったおかげで私は食に対してちょっとうるさくなった。


っていうより、何も知識がなかったのでいろんなことに驚いただけで


普通になっただけかもしれない。


買い物に行く時はいつも食品成文表をチェックする。




合成保存料

合成着色料




何かが入っていたら絶対買わない。



赤いウインナ−なんてとんでもない。
お店で出ても食べないくらい。


赤いキレイなたらこなんて買わない。
肌色みたいなたらこを選ぶ。



真っ赤なしょうがも買わないし。



それから化学調味料も。




世の中にはいろんなことを言う人がいる。
そんなことをしたって、今の世の中知らないうちに口に入ってしまう。
無駄な抵抗だ。


その通りです。


でも私はこう考える。
すべて排除しようなんて思わない。
でも体の中に入れるのを「減らす」努力はしたい。

この考えを義理の母に理解してもらうまでにかなり時間がかかった。




だから上の子、ミホもお菓子を選ぶ時キレイな色のついたものは絶対買わない。


気持ち悪いという。

舌ベロが真っ赤になるのも嫌だと言う。


買うな、食べるなと言っているわけじゃないのに、私の日頃の行動を見ているのか、

自分の体の変化を感じるのか・・・・。


今日も明日の遠足の200円分のおやつを買うのにずいぶん時間をかけていた。

一個10円、20円のものにはほとんどキレイな色がついていた。

大好きなカリカリのウメボシも成分表を見ると「赤○号」ってあるし。








でも、カホは何でも食べる。^^;



何でこんなに違うんだろう?(笑








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ソレハ イインダッテ・・・・




寒いです


 過去 : 未来 : メール 2003年09月24日(水)


寒いのです。


ストーブつけて、フリース着ています。



昨日の夜セーターを出したら4枚虫に食われてた(涙



引き出しを掃除をしたら小さい虫が出てきた。。。(ぉぃ



モウ イヤ・・・




アレルギーがある私はタンスの掃除をしたお陰で咳、鼻水、目の痒み。。。




ひどい顔になってまった。





何だか寒気もするし。





ア〜 ナニモ デキナイ(じゃなくってヤリタクナイ)




夕飯はワタシが奢るということで、運動会で疲れている子ども達を引き連れて
レストランへ。



カホがお子様セットをオーダー。



ホテルの中のお店なのでいつもよりちょっとだけハイソ。



お子様セットでもオントレーで出てくる。



スープとサラダだけ初めに出てきたら



「写真と違うっ」


とウエイターに一撃。



ス・・・スミマセン



でもあ〜いうとこにいくと結構大人しくしてるもんね。。。




でもワタシ、まるで泣きはらしたかのように目を真っ赤にしていたからきっと周りの人は不思議に思ったに違いない。




タンスの埃とダニにやられたとは誰も思うまい・・・。



この寒さをダーリンは気持ちいいという。




あ〜 憂鬱デス









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傷心旅行


 過去 : 未来 : メール 2003年09月22日(月)


一緒に働いてるアメリカ人ランスは日本人の奥さまがいる。


まだ結婚したばっかりだと思われる。


どこで知り合ったの?って聞いたら



「ゲームセンター」って言ってた。(笑



彼女はホテル勤務で不規則なのでランスはいつもぼやいている。


余談だがランスが奥さんのことを話すときはいつも



「マイ ハニー」



携帯電話で奥さんと話しているのを聞いていてもやっぱり「ハニー」と呼んでいる。



そのハニーさん。


職場でどうもセクハラまがいのことがあってかなり傷つき、ランスをおいて、しかも携帯電話もおいて傷心旅行に出掛けていった。



「昨日、ハニーがどこかへ出かけたよ。まぁ大丈夫だろうけど。」


さすがアメリカ人(?)

さほど動揺していないように見える。


一台しかない車に乗っていってしまったからランスは田舎で身動きができなくて食料は学校の給食の残りをよく持ち帰っていった。




次の日にハニーさんは「大丈夫だから」とランスに電話をした。



でも、どこにいるかというのは言わなかった。




そして週末に帰ってきたようだった。


「ハニーがどこに行ってたかわかる?」



車で出かけてるし、まぁ傷ついた心や体を癒そうと海まで行って温泉でも行ったかな?と思ったが違っていた。


もっと遠い所。


北海道?



マサカネ・・・








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( ̄□ ̄;)!!




小さなバック一つでオーストラリアに行ってしまったハニー。



麻薬密輸かと間違えられて40分間の尋問。




今日オーストリアのお土産のTシャツ着てきたランス。




She is crazy.^^



ありがたみ


 過去 : 未来 : メール 2003年09月21日(日)




今日は二つの言葉でありがたみをあらためて感じた。


先ず一つ。


オネイサンが言った





「水が出ていいね。」




昨日からダーリンの実家は水がでなくなったらしい。

家の工事の関係で重機が庭に入り、それで水道管をつぶしてしまったというのだ。

しかも復旧は月曜日。



家の中にある4つのトイレ。(しつこい?)はもちろん、お風呂、台所も全滅。

井戸水を汲んでやってはみたものの今朝にうちに電話。



「そこへ避難にいっていいかしら?」



昼飯時にあわせて家族で移動。


水道の蛇口を何でも上げ下げしては水道の水がでることを確認していました。





オネイサン。 ウチハ コワレテナインデス^^



夕飯を食べてお風呂に入ってから帰っていかれた。


泊まっていけばいいのに・・・と思ったけど言うの忘れた。




ホントニ ワスレタノカ?(爆












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( ̄□ ̄;)!!






昨日から二組のカップルがこの台風空のもとここから1時間ほど山に入った所でキャンプをしに来ていた。


行く途中で寄ってお茶を飲んで出発。




どんどん雨はひどくなる。


「夜うちに泊まればいいから何かあったら電話しな。」


と言っておいたが


「すごい雨だがこれからご飯にありつける」


というメールを最後に朝まで連絡がなかった。





流されてしまったか?




どうも昼頃には優雅に市内に戻りホテルでお茶をしばいていた模様。



その後、家具屋で合流。(またかよっ!




タープの下にはったテントですごい雨音のもと熟睡だったらしい。



どうせ、酔っ払ってたんだろうよ。。。。(笑











今日は当たり前のありがたみを感じさせていただいた。



たまにはハングリーも必要だな。







デモ  ナルベク ノー サンキュー





運動会


 過去 : 未来 : メール 2003年09月20日(土)


明日はミホの運動会です。

今まであんなにお天気だったのにこの週末は台風のお陰でハラハラ。


今日隣の小学校は強行した。

子ども達の書いた似顔絵の旗はずぶ濡れ・・・・。

子ども達の体調はいかがなもんかと。


もちろん雨だけじゃなくてかなり寒い。


私もいつもは薄着でみんなに驚かれるくらいのなのに

長袖を着て、靴下を履くというイデタチだった。





夜7時に明日のお弁当の買出しに出かける。


明日はどうなることやら子ども達とその話で盛り上がる。


てるてる坊主を作った頃9時半。



友達から電話がなる。







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ハ?




どうも夕方には通学団の班長の所に延期の連絡がきていたらしい。



その通学団長、小学校の児童会長だが3人兄弟の末男の子で、しっかりしてるとか、責任感が強いとか・・・じゃなかったみたい。



ただの目立ちたがり屋だった。



電話をすると


「連絡するの忘れていました」


と言った。




ということで明日は休み。

お弁当を作るために早起きすることもない。



朝寝坊しよっと♪


重なる不幸


 過去 : 未来 : メール 2003年09月18日(木)




私はあまり「いとこ」との付き合いはない。



父方の「いとこ」とは年が離れすぎていて私にとったら「おじさん、おばさん」のような感じ。


母方の「いとこ」は一人だけ仲良くしているけど後は何人いるのかさえはっきりした数字は知らない。


なぜなら離婚したり蒸発したりと何だかみんなが波乱万丈なので親戚一同が揃うなんてよっぽどない。


でも9年前にうちで暮らしていたおばあちゃんが亡くなった時に、失踪していたおじさんも現れたりして結構そろったかな。




一番縁の薄い大阪のいとこたち。


母親の弟の子どもたちだけど、すでにおじさんは50代前半で亡くなっている。




6人兄弟。




貧乏子沢山という言葉通りお金には苦労されたようだ。


一人は小学校3年生のときにタンクローリーに巻き込まれて亡くなった。

会社が保証したお金で3階建ての家を建てた。



親戚は涙ながらも「アイツは親孝行したのかもしれない。」と言った。



おばさんには持病があった。「糖尿病」。
ついでに一番下の中学生の女の子も同じ病気だ。


無理な仕事もできないのかおじさんが亡くなってからいろんなところで借金をした。



成人をすぎた子ども達が世話をやいても借金し続けた。




使い道はギャンブルと酒と贅沢。



部屋の中はゴミだらけ。
借金の証書すら見つからない。
まだ中学生の末娘がいるのに。




とうとう自分の子どもの命と引き換えの家を売らなければならなかった。



そのことを責める私の母親ら親戚を罵倒するおばさん。





「あんたらに何がわかるんやっ!」




母たちは縁を切った。



でも密かにそこの長男は連絡を取る。



そういう環境に育った子どもは優しい性格を持った。



でも一人だけ。


おばさんのような子(といってもすでに30代)がいる。



その子のことで長男から母に日曜日に連絡が入った。








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集合住宅での火事。


大変だろうな。



あそこの家族を見ていると悪いことが次々と起こる。



でも彼らの場合、やっぱり原因がある。


彼ら次第で避けられたことも一杯あったはずだ。





私も何か悪いことがあったらまず自分を振り返ってみようと思う。




もちろん避けれないことがあるという事も知ったうえで。







避難訓練


 過去 : 未来 : メール 2003年09月17日(水)


今日学校で避難訓練があった。


先生方は昨日の職員会議でお知らせがあったようだった。


子ども達には知らせていない。





私にも。(涙






っていうか、私の机上にお知らせの紙が置いてあったようだ。



ミテイナイ ワタシガ ワルイノネ・・・





5時間目はアメリカ人のランスと一緒に今度の月曜日にカナダへ行く3年生のクラスにいた。



5時間目の前は給食だったが、今日は体育館でテーブルマナーのお勉強で、その語の片付けをしていて授業が始まったのは10分が経過していた。




今日はカナダへ行く前の最後の英会話の授業。


アレもコレもやっておくぞって張り切っていた。








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「これから避難訓練を行います、これからサイレンの間は地震で揺れていると想定してください。これから放送機器は使いません。」




( ̄□ ̄;)!!




聞いてないよ〜〜〜〜〜〜〜っ!




と生徒たちは騒ぎ出す。




ワタシモ キイテナイヨ・・・



ランスは何事もなかったように授業を進める。




オイ・・・。



サイレンが鳴り始めたので生徒たちは机の下に。


3年生の男の子なんて180センチ超えている子もいるので体が全部入らない。



「ケツはいいから頭を隠しなさい。」


と指示。


でもブツブツと騒ぐ。



「おいっ。放送は使えないって言われたし、私だってこれからどうしたらいいのか知らないんだから静かに指示を待て。」


と言うと、静かになった。




でもそこのクラス、ハンディキャップの女の子がいる。常に車椅子。トイレに行くのも補助がいる。



ドウスレバ・・・・・。



そこへ演技派体育の先生が大声を出しながら廊下を走る。




「西の階段が潰れて使えないぞ〜〜〜〜〜〜〜っ!」






東の階段を使って運動場へ。





日差しの強い運動場で3人の先生のお話。



「今日は5時間目の授業はこれで終わりです。」




え?




結局何もしなかった。。。。。。




初めからわかってれば準備しなかったのにな。






郷土愛


 過去 : 未来 : メール 2003年09月15日(月)


この3連休は中身が濃かった。



土曜 ダーリンの運動会
日曜 友達が高山観光に来て朝市、飛騨古川(NHK朝ドラ「さくら」の舞台ね)巡り
   夜は家族で町内の飲み会
月曜 敬老の日に実家の親と荘川のそばを食べて白川郷で待ち合わせ





先週は月曜からフル活動で心身ともにクタクタだった。





金曜日なんて学校の3階の教室に行くのが大変だった。
疲れすぎると眠れないんだってこともわかった。




原因はやっぱ「年」??



クッソ−−−−−−−!!



それはおいといて




だからこの週末は慌しかったけどいいリフレッシュになった。




日差しが強いとまだまだ暑いけど、日陰は本当に寒いくらいだ。

カラッとした気候。


この地方、今が一番いいかも?


季節によっていろんな顔があるこの地方。



秋は一番短い。


朝晩はもう寒いし。




4年ぶりのココでの冬が待っている・・・・




こっちの人は冬の雪に相当苦しめられているのに、「寒い」ということを誇り(?)にしているところがある気もする。



「飛騨の冬は寒いやろ」


という言葉に

「たいした事ないです。慣れました。」



なんて答えると明からにガッカリしている。



本当の飛騨人になるにはこの寒さを誇りに思うようにならないとだめなようだ。













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彼はここの冬が一番好きなんだそうだ。






ワタシハ マダマダ ヒダジン ニハ ナレナイナ・・・・


結婚前夜


 過去 : 未来 : メール 2003年09月13日(土)


知り合いの結婚式が明日に迫っている。

天気も良さそうでよかったな〜。


結婚式なんて私はとうの昔にすんでいるけれど今ごろ、彼女はどんな気持ちでいるのかなぁなんて思ってたら自分のことを思い出した。




結婚式当日はとにかく大変で、朝から夕方までジュースを一口飲んだだけで何も口にすることはできなかった。



夜はホテルで泊まってフルコースのディナーが待っていたのに疲れすぎて食べることができなかった。





でも結婚式前夜には思い出がある。




ダーリンは隣りの市の住宅で同じ学校の先生と二人で住んでいた。


それまでは毎晩私の家に来てご飯を食べ、お風呂に入って時には泊まったりもしていたが、その日が家族で過ごした方がいいだろうって、彼は帰っていった。


彼はその同居人と一緒にお寿司を食べてビールを飲んだらしい。

ダーリンの親、親戚は当日の朝バスで向かってくることになっていたので家族で何か・・・ってことはなかった。







当時東京にいた兄も帰って来てて(当たり前?)めずらしく家族4人でご飯を食べた。




うちは家族全員B型の血液型で(爆)それぞれがそれぞれの生活をたのしんで、あまり干渉しない。


み〜〜んな自分勝手♪(爆


だから誰かのために集まってのんびりと同じ時間を過ごすことはなかった。




しかし、その夜はほとんど話さない兄も一緒に遅くまでいた私とお母さんが話しているそばにいた。





でも




なにが原因か忘れたが私とお父さんと口ケンカをした。


それまでほとんどケンカをしたこともなかったのに、珍しいことだった。



「明日の化粧のノリが悪くなるから寝なさい」と言われ部屋に戻った。







結婚式当日の『花嫁の手紙』をまだ書いていなかったのでそれから書き始めた。



別に結婚がお別れじゃないし、さよならでもないんだけど寂しいお涙ちょうだいの手紙に私はすごい違和感を感じていた。



でもなかなか寝付かれないのでその手紙を書くにはちょうどよかった。



そしてやっぱりお父さんと結婚前夜なのにケンカをしたことがかなり気になっていた。


普通なら「今まで育ててくださってありがとう」な〜〜んて言うのが本当だったろうに。



で、その手紙に私は気持ちを込めた。








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お父さんは結婚式中ニコニコしていた。




お父さんはあの夜、もしかしたら精神状態が普通じゃなかったのかもしれないな・・・と今では思う。





結婚前夜。



忘れられない時間です。



今、明日結婚する彼女はどんな時間を過ごしているのかな・・・。






Conglaturations on your wedding!!


いじめ


 過去 : 未来 : メール 2003年09月12日(金)


見るからに違うと思う子を特別扱いにすることは差別?




守ってやることは優しすぎ?




どうしてできないとわかっててやらせるの?




それとも無理にやらせればできるの?




できることを増やすことがその子のためになる?




その子のためになるなら何でもっと愛情がないの?




あるクラスにイジメがある。
小学校から引きずっているイジメだ。
ある特定の女の子。
いつもうつむき加減で上目使いで人を見る。
発声はできるが棒調子で何を言っているのかよく聞かないとわからない。
家庭の事情できちんとした生活習慣ができていない。
人と何か関わることができない。




そんな女の子が普通学級に入って一緒に勉強する。




その子に対する暴力、暴言。
教室の締め出し。



当人は一人で抵抗もできず『ニコニコ』。。。




親も巻き込んで懇談会。



親「こんなことで呼び出されて迷惑だ。」




イイノカッ





口先だけの「ごめんなさい。」




それでとりあえず終わらせる教師。




でもその教室は何も変わらない。




7年間積み重ねてしまったものはなかなか崩せない。









その様子を私は遠くから見ている。






見ているだけの私が一番卑怯だろうか。


電気屋さん


 過去 : 未来 : メール 2003年09月10日(水)


私はこっちでお世話になってる電気屋さんがいる。


大きなお店で買うとそのアフターケアなんかで保証書やら、何やらって面倒なことも多いので電話一本ですぐにきてくれるその人を私は大事にしている。


電気関係だけでなく、水道管や屋根の痛みなんかも直してくれるし、今流行の家のリフォームなんかも手がける。



私はそのお店じゃなくて直接彼の携帯に電話する。



「便利屋さん」みたいな感じ。



もちろん彼のことを多く宣伝するようにもしている。



先日も義理のお母さんたちにその人を紹介したら、冷蔵庫、洗濯機、液晶テレビなどを彼から買っていた。



その彼は40過ぎているが独身だ。


マスクだって悪くないし、仕事だってできるし、次男だし(爆)なんでこの人独身なんだろ??って思うくらい。



ただ、表情が暗い。ハキがない。
一見、何考えてるのかわからない。





今日、新しい掃除機を持ってきてくれた彼と私の友達と3人で家でお茶を飲んだ。




「何で結婚しんの?」



電気屋さん「結婚したいんですけど、もうこの年じゃだめですかねぇ」



「そんなことないでしょ〜、かわいい女の子さがしてやるさ〜。」←社交辞令





でもその電気屋さん。


こうやって田舎の家を廻っていると年上のオネエサン(?)に声をかけられることもあるとかで・・・・。


40代半ばの年上っていったら50代のオネイサンか・・・・。(汗



それもある種、便利屋さんの仕事だろうか?(ぉぃ





こんな田舎でそんな話を聞くとは思ってなかったのでおばさんの入り口にいる私はふむふむと聞いてしまった。←もう入ってるっていう突っ込みはなしで。





何だかこんな話を昼間っから聞いている自分に嫌気もさしてきた・・・・。






もっとまともな日記が書けるような生活しなくっちゃ。










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筋肉痛


 過去 : 未来 : メール 2003年09月09日(火)


最近体を動かすことが多くていつも筋肉痛。


まずは町内のミニソフトバレーの練習。


今週木曜日に試合があるので7時半から9時まで練習。


やりだすと結構面白いんだけど次の日は階段上れないくらいヒドイ筋肉痛。





それからココにきて、ここの文化に融合しようと思って始めた新しいこと。









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女性ばっかりのチームで全部で20人ほどの趣味の集まり。


もう20年近い歴史があるクラブチーム。



ここらの結婚式やイベントにも引っ張りだこ。


ホテルとも提携しててお客さんがオプションで和太鼓の演奏を選ぶとこのグループが出演するようだ。


これから秋は結婚式の出演スケジュールで一杯のようだった。




ワタシ ハ モチロン デマセンケドネ




10月には県の要請でニューヨークへ行く。



たかが趣味の集まりなのに出演料として謝礼金とかたくさん頂くのでとうとう税務署の監査?があったそうだ。





みなさん、普通の主婦だが太鼓のバチを持つとステキに光る。


彼女たちの出す音は何か強さを感じる。


初めて聞いたときは涙が出るほど感動してしまった。




私は今日で3回目の練習だったが手はもうマメだらけ。


毎回マメができては潰れている。



曲は20曲近くあるが、音符はなし。


すべて口譜。


ドンチャカ チャン チャン スッ チャンチャン・・・・とかって教えてくれる。



後は体が覚えるそうだ。



踊りや振り付けもある。(爆



ア〜〜〜


もうちょっと若ければ・・・(爆



でも、平均年齢は私より上だろうな。



だって「わか〜〜〜い」って言われるもん。(ぉぃ



で、新人のデビューは早くて3ヶ月だそうです。




っていうか、デビューなんてまじでまだまだ先のことになりそうです。




いいストレスの解消法にはなっています。



しかし、体がついていかない・・・・(涙





知能1


 過去 : 未来 : メール 2003年09月08日(月)


今日は体育大会の振替で休み。


美味しいケーキが一個だけ食べたいとい願望から友達に電話をした。



ネェ ヒマナラ ケーキ タベニ イコ〜ヨ



彼女も一返事。



10時に待ち合わせ(はやすぎっ




「りほに逢って聞いて欲しいことがあったのよ〜〜〜」



アイヨ ナンデモ キキマスヨ



彼女も子どもは二人。小学校2年生と年中さんの男の子。


確か下の子がアトピーがひどくて名古屋の病院まで行っていると聞いた。

結婚した当初から旦那さんの親と同居をしていて、機会あれば別居またはダブルキッチンにしたいと常々言っていた。


だからきっとそんなような話だろうと思った。



「で、じゅんちゃんのアトピーのよくなったのかな?」


と切り出す。



「それどころじゃないの。」








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え?




何で?




こっちに来てからその子に2,3度逢ったことはあるがまだ小さいので何も気にならなかった。



彼女曰く、まだ言葉が単語しかでなくて、幼稚園でも教室にいられないと言う。



専門の先生が何人かでいろいろ検査などをして下った診断がそれだったという。



彼女は言った。




「周りの子達は本当のことを言ってくれない。みんな気を使って大丈夫だというけど、その時の気休めにしかならない。リホならどう思う?」



・・・・・・・・




私は言葉に詰まってしまった。







それに





私ってそんなにずばずばと人に意見するキャラなのか??







ファニチャー


 過去 : 未来 : メール 2003年09月07日(日)


朝からいい天気で、久しぶりに西瓜のおいしい気候でした。


今日はここいらへんの家具屋さんが集結した大家具展があった。


もちろん地元木工家具。


大ビンゴ大会や、スピードくじで大物家具が当たるイベントや、だんごや牛串、ビールなんて売っててお祭りそのものだった。


すごい人で、よそのナンバーの車もたくさん止まっていた。



私、最近家具を見るのが好きで、暇さえあれば家具屋さんに出かける。



友達が来ても、「ねぇ家具屋さんいかない?」と誘う。



とうとう店員さんと顔見知りになってしまってそこにあるティールームのお茶券をもらってしまうほどになっている。



モウ イケナイワ・・・




結婚したときは家具なんて何も興味がなく、あればなんでもよかった。


家は結婚したときからあったのに、中身はもらい物のソファや、こだわりも何でもない家具を買って生活を始めた。


もちろんお金もなかったし。



でも子どもが大きくなってちょっといい家具が欲しくなってしまった。




もともとダイニングはなかったので4月の引越しに合わせてダイニングをまず購入。



それまでの二人がけ用のダイニングはパソコン台になった。




そのダイニングのシリーズのソファも欲しい。



22万円。


・・・・・・・タカイ。



でも欲しい。



ソファ積み立てを密かにし始めた。



ある日、渋るダーリンと一緒に家具のアウトレットへ。



ステキなソファ発見!!


そこの会社の新しいシリーズらしい。


『森のことばシリーズ』
http://kitutuki.co.jp/kitsuweb/NAVI/index.html

トベナクテ ゴメンナサイ(^_^;)





テレビ朝日系列の「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」の中の家具はすべてそれで揃えてあるという。








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ア〜〜〜〜〜。



ここの家具、定価ではなかなか手は出ない。


でもこの値段なら考えていた予算の半額以下。。。

しかもうちにある壊れたもらいもののソファは無料で引き取り、配送も無料。

買えば1時間後には配送だという。









カッチャッタ^^;







私の貯めていたおこづかいです。




いいんです。

こっちに来てから遊ぶこともないんだから。(爆





でもそれは8月お盆のこと。




それでも家具屋めぐりをやめない私をダーリンは心配そうに見ている。







ツギハ ベッド・・・。









 過去 : 未来 : メール 2003年09月06日(土)


今日は朝から曇り空。天気予報は「雨のち晴れ」。


午前中は『味の市』という物に出かけここらへんの酒やら鮎やらみたらし団子やら
堪能。


次第にだんだん雨が・・・。


どんどんひどくなってくる。


とりあえず昼から体育大会の応援に間に合うように出かける。


昼から雨は上がり、予定通りにプログラムは進む。


一緒に働いている外国人アメリカ人英語講師のランス。





顔に赤と白でフェイスペインティング。
上から下まで黒のレオタードのような物を着て、それには大小の赤と白の星が付けられている。




ウ  ウイテイル( ;^^)ヘ..



「ボクハ ドッチデモナイヨ ピンクヨ〜」



誰かが余興をやってくれといったわけでもなし。








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オマエハ バカダ



と思わず言ってしまった。




ソレハ オイトイテ・・・・・





競技、応援合戦の結果は白組の勝ち。



「解団式」で応援団たちの挨拶。



紅組、涙、涙の解団式。




そこの担当の先生まで

「3年生のみんなありがと〜」とか言って泣いている始末。


泣くのを否定してるわけじゃないけど。





私はこう言うときに



「僕たちは負けたが一生懸命やったから悔いはない。」という子よりも



「くそ〜〜〜。悔しい。」


という奴の方が好きだ。



そして指導者は

「そうだな。悔しいな。でも俺たちは本当に負けたのか?この悔しさを何かこれからの生活にいかせないか?そのときに本当の勝利があるんじゃないのか?」


と一見臭いセリフを言って次に繋げていくべきと思う。


「がんばったからいいんだ。」


で終わらせるのはこの体育大会をやった意味が薄くなる。



一緒に泣くのもいいが、次のステップに繋げていくことが大事だと思う。



ある先生が


「みんなの手にはやり遂げた自信が残っている。その手でパネルを持ち、バトンを持ちいろんなことをやり遂げた。かならずその手には何か残っているんだ。これからもその手でいろんなことをやり遂げていこう。君たちならできる。」


と言った。


いい事言うなぁ〜と思った。




その先生。私の苦手な先生だったけどちょっと好きになった。(#^.^#)



こういう時のコメントでその先生の教員としての資質やキャリアがでるなと思った。





ワタシッテ ナマイキダナ・・・





青春


 過去 : 未来 : メール 2003年09月05日(金)


明日は体育大会です。

私は非常勤講師なので体育大会に関する仕事もないし、明日だって勤務ではないので行くこともなし。

でも、他の先生方や子ども達の気迫が伝わってくる。


今日は応援練習などのための授業変更で私の授業は2時間目と5時間目だけだった。




だから10:30から1:50までマ〜〜〜ヒ〜〜〜 (-。-;





ネットで遊ぶわけにもいかないし。




かと行って家に帰るのはめんどくさいし、




仕方がないので机で授業の準備でもしているフリをしていた。




そんな退屈をしている私を見破ったさすが校長先生。


私を校長室に呼ぶ。




「ココで一緒に応援練習をみよう」




( ̄□ ̄;)!!




ケッ ケッコウデス



とも言えず、校長先生とご一緒に応援合戦観戦。


全校でたった140人の生徒を紅団と白団にわける。


紅団スローガン  『捲土重来』
白団スローガン  『粉骨砕身』


・・・・・・・




ナンテヨムノ?
ナンテイミ?


バカデ ゴメンナサイ


生徒たちは暑い暑い日差し下、男の子も女の子も詰襟の学生服を着用。


アツイ・・・・


応援練習は真剣そのもの。


大きなドラムの音や応援歌が近くの山々に響き渡る。



それでもなかなか応援団長からはOKがでない。










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エ?




私はクスッと笑ってしまったが、先生を含めだれも笑うものはいなかった。



とにかく真剣である。




やっぱり一所懸命やってる姿はかっこいい。



あの子たちは青春真っ只中。





私は、「青春」なんて口に出すのも恥ずかしい。



生徒からメールが入る。


「絶対優勝するから応援してください。」




チョット ミニ イカナキャネ


へ日記


 過去 : 未来 : メール 2003年09月04日(木)


学童保育に預けている子どもらを迎えに行ったら近所の双子のお母さんにあった。



ちょうど体育館で夏休みの子ども達の作品を展示してあったので一緒にみることに。





「ミホちゃんってすごいわねぇ。すばらしいわ」



ソリャ ガンバッタカラネェ




そこの双子ちゃんは1年生で、絵日記とペン立てを作っていた。





「ねぇ、これ見て」




そのお母さんが自分の子どもの一人の絵日記を取り出す。







「8がつ9か   きょうはねました」


布団の絵付き





「8がつ22にち  きょうはいえで あそびました」


家の絵付き






すごかったのは





「8がつ25にち  へにっきの へをかくのがたいへんでした」



??????


「この子さ、まだ『え』と『へ』の違いがわからないのよ。」




なるほど。^^;


「絵日記の絵を書くのが大変でした」って書いたつもりなんだね。




双子ちゃんのもう一方の子は上手に絵も文も書けていた。



「本当にこの子やばいんだよねぇ。切実なのよ。」




ウ〜〜〜ン ワタシカラ ミタラ カワイイケドネェ



「親じゃないから気にならないのよ〜」



ソリャ ソウダケド








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カホも来年は1年生。



きっと夏休みに「へにっき」を書くんだろうな。




その時になって笑っていられる心の広いお母ちゃんでいたい。





楽器音痴


 過去 : 未来 : メール 2003年09月03日(水)


小学校5年の時に市の音楽発表会があった。

5年生の子のやりたい子が集まって合奏をし、その子達は運動会で鼓笛隊として活躍するのだ。


私は5年生になる前から、自分が5年生になったら絶対やるんだって決めていた。


周りの子がピアノやエレクトーンを習っているのをみると、私もやってみたいなぁって密かに思っていたが、うちにとっては贅沢のなにものでもなかった。


習っている子に「猫踏んじゃった」とか「かえるの歌」とか教えてもらって弾くのが楽しみだった。



だからただで何か楽器を教えてもらって、みんなで合奏できるなんて本当に喜ばしいことだった。


5年生になって、先生がやりたい子を募った。



でも何故か一人多すぎるということで


そして何故か私が落とされてしまった。


というより、私が正義感ぶって上原君(ぉぃ)に譲った。


その頃私は日記をつけていたので、どんなけ悔しかったかと言う事が絵付きで表されている。





高校のころ私は将来保母さんになりたいと思って念願のピアノ教室に通い始めた。


優しい先生で、物分りが悪く不器用な私を親切に教えてくれたので、行くのが楽しみだった。


出産のため休暇をとられて新しい臨時の先生が来た。


その先生に「フッ」と笑われたのをきっかけにやめてしまった(爆


てなわけで、私の音楽への道は遠く遠く離れていった。



うちのダーリンも楽器はだめだ。


歌もだめだけど・・・・。


教員採用試験ではオルガンを弾きながら歌を歌わなければならない。








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彼は無事に合格。(イイノカ?



そんな二人の娘、ミホは今日からピアノ教室に通い始めた。


初めにお支払いするお金は12000円。


はぁぁぁぁぁぁぁぁ^^;


そういえば、そのピアノ教室の申込書に親の年間所得を書く欄があった。



ナンデダロ?



仲介


 過去 : 未来 : メール 2003年09月02日(火)


仕事の帰りにお義母さんのとこによった。

別に用事はないのだが自分の家が4時まで断水だったので2時間ほど
そこでお茶でも飲んで時間を潰そうという魂胆だ。

トイレもいけないし。

お義母さんは退屈そうにしていた。

私が行くと

「な〜〜んもしてないんだよ〜」と言った。



家は完成したが、あと半分の家を壊し、駐車場やら倉庫やらをこれから作っていくのでまだまだ落ち着くことはない。


家の中も「とりあえず置いていくもの」が増えてだんだん雑然となってきていた。



お義母さんの理想は居間や座敷はすっきりと。
台所は食べたら片づけていつもピカピカ。
私物は自分の部屋へ。


だがなかなかそうは行かない様。


お義母さんは体は不自由だが頭と口は非情によく動く。
いろんなことを私たちが考える前から考えていろいろと口を出すのが難点だ。


逆にお嫁さん(オネイサン)はのんびりとしてて、言われたことを「そうですねぇ」いって反抗も口答えもせず合わせることが出来る人。

だからうまく行くんだろうな〜。


ただ


ただ


オネイサンの欠点は掃除が苦手というところだ。


私も掃除が得意というわけじゃないけど、それは私以上だ。



ほぉっておくといつまでもカビの生えたカップが机の上に置いてあったり
掃除機の紙パックが一杯で吸い込み口がゴミで一杯なのに気付かなかったり
お風呂の洗面器や椅子が水垢で真っ黒でも平気だったり
3年くらい前の年賀状がそのまま机に散乱してたり
どこかリサイクルに出すつもりで集めた衣類がず〜〜〜〜〜〜っと段ボールに入れて埃を被っていたり
空っぽの化粧品のボトルなんかがず〜っと貯まってたり。



・・・・・


とにかくのんびりしているんです(爆
その他はとってもいい人です。
優しいし、気配りができるし、人のことを悪くなんて言わないし。





でも久しぶりに同居をはじめたお義母さんの愚痴はそんなとこから始まった。

私はわかっていた。

彼女が掃除をしないということを。

だからトイレが4つあると聞いて大丈夫かなと思った。

案の定、もう新居に1ヶ月暮らしているがトイレ掃除は一回も行われていないという。

新しいキッチンはもう油や醤油の染みだらけになっているという。




モッタイナイ・・・・




でも私はそういうときなるべくオネイサンをかばう発言をする。

同意はしたくない。




オネイサンハ イイヒト ナンデス





「オネイサンは忙しいんですよ。」
「言えばやってくれるからいいじゃないですか」
「細かい人だったらお義母さんうまくやってけませんよ〜〜。」とか。




我ながらよく言った。



で、








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専門は食物だから関係ない?




これからの嫁姑戦争が勃発しないように時々様子を見に行こう。




ケッシテ オモシロガッテイマセン!!


朝型人間


 過去 : 未来 : メール 2003年09月01日(月)


うちのダーリンは朝型人間だ。

朝3時とかに起きて仕事をして5時頃少し寝て6時半に仕事へ出かける。

だから当然夜は早い。

夕飯を家族で食べたときなんかは、そのまま子どもと一緒にお風呂に入って9時には寝ておられる。


だから3時に起きたってそれはすご〜〜〜いことでもないのだ。


でもそういう体のサイクルに私はあわせることはできない。

もちろんそのお陰で夜は私だけの時間を満喫できてありがたいのだが。





でも、夫婦をやっていると「夫婦の営み」があって。(ぉぃ
その「営み」の時間をどうしようかというところであって。(まだ言うか




ダーリンが先に寝ているときに

「ねぇん♪」

と起すことは皆無。





でも私がぐっすり眠っている時にダーリンは始動する。







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心の中で「はやく終わってくれないか。」と願っている自分がいる。



ダッテ ネムインデスッ!



「営み」の後は彼はすやすやと眠りに入られる。



私は逆に眠れなくなる。

ちょっと損した気分も。(謎




クッソ〜〜〜〜〜



私も一緒に朝型人間になるべきだろうか??






この手の話題嫌いな方ゴメンナサイ。



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