一平さんの隠し味
尼崎の「グリル一平」のマスターが、カウンター越しに語ります。


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2004年04月16日(金) 第二部  その21

店を改築するにあたって変わった棟梁(大工の親方)がいたんです。

30年前で50歳ぐらいだったから今はもう80歳になられてるんでしょうね・・・。当時、棟梁は同じ大工さんで自分の弟さんを連れて来てました。

結構、頑固で小太りしてるわりには筋肉質な体格の持ち主で、黙々と仕事をこなしてゆくんです、その足を引っ張るのが弟さんで、ちょっと「どんくさい」人で、いつも棟梁に怒られてばっかりいました、棟梁の口ぐせが「プロやろ!これで御飯(オマンマ)食べてるんやろ!」と、出入りする左官屋や壁のクロス屋さん電気屋さん冷蔵庫屋さん、みんなに仕事でボヤいたりすると必ず

「なにボヤいとんねん!プロやろ、それでオマンマ食べてるんやろ!」

棟梁の一喝でみんなオトナシクなります(笑)

ある時、私がどうしても玄関のドアーに拘りがあって、厚い板で頭の方はアールで上に40センチのマルを作って、そこにガラスをはめ込んでほしい、と
建具屋さんに言ってら「そんなのウチはやってない!」と、断られ、それを
棟梁にどうしても、そういう玄関にしたいと言ったら棟梁が建具や言った!

「あんたもプロやろ、それでオマンマ食べてるんやろ!頭っから断らんと、やってみたらどうや!(打たぬ鐘は鳴らぬ!)行動も起こさず諦めるな!」

それから一週間後に出来たんです、今も現役ですが、あのドアーがあるのは棟梁のお陰なんですよ。


2004年04月06日(火) 第二部  その20

里子ちゃんの家を出たのが、もう暗くなってて帰りの夜道で思った事は・・・

20年近く昔に追い出された、あの我が家の前を通るか、通るのをヤメようか・・・随分、迷いましたが、思い切って、昔の我が家を見て帰ろうと思ったんです。

県道から脇道にそれた所に駄菓子屋があって、その前を通ると右カーブになってて、そこから300メータ行ったところに昔の我が家があります。

もう、とっくに暗くなった家の前の道路沿いに車をとめて、車の中から灯りの点いた家の中を覗いたら、私達が住んでたときは工場だったところが、洗濯干し場になっていました・・・小学生ぐらいの子どもが3人ほどいて家の中を走り廻ってて・・・私が中学の時、工作で作った郵便受けの木の箱が、まだ活躍してるみたいでした、

祖母がいつも朝早くから座ってた大きめの椅子が私を見てるみたいで・・・椅子は玄関の横に座ったまま、あの日、母が私達の手を引きながら、この玄関を出てゆく時、この椅子は何を考えてたのか・・・新しい家族がこの玄関を入る時、この椅子は横で何を思って座ってたのか・・・

家の中からご主人らしき人が出てきて不思議そうにこっちを見てました、私が車を少しずつ前に出しながら頭を下げたら・・・じーっと見つめられ、怒ったように家の中に入っていきました。

しばらく運転しながら何故か涙が止まらず、また、あの椅子を置き去りにして来たことに、謝りながら・・・また涙でした。


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2004年04月02日(金) 第二部  その19

「爺ちゃん!家、売って町へ行くぞ!」

「お父さんも町へ出たら、死ぬ気で働くぞ!それでも、うまくいかなかったら、その時、考えよう、今よりは希望があると思う。」

私も、ついついお父さんの考えに賛成してしまった・・・それは、あまりにも里子ちゃんが純粋で素直ないい子だったからでしょうね、話に聞くと町の方にお父さんの友達もいるから仕事も相談してみるとの事・・・

人生まったく絶望という事はなく、どんな境遇にいても、人間は結構、強いもので、ましては家族がソバにいれば苦しいながらも、きっと、道が開けると、思うし、小さい頃、私の父は逃げたけど、残された家族で這い上がって来た事を話した・・・そして最後に伝えたかったのは、「地道に少しずつ稼いでいれば、いつか一度はきっと、またいい時が来ますよ!私が今、そうなんでよ!」

お父さんは・・・泣いていた・・・私も何故か、あの、家を追い出された時、母が後を振り向き泣きながら私たちの手を引いてた頃を思い出して涙が止まらなかった。


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