TENSEI塵語

2009年02月21日(土) バチカンでのバカチン

昨日の朝ラジオで、N氏があの問題の「朦朧記者会見」の後
バチカン観光をしていた話をちらっと聞いた時には、
おやおや、あの記者会見の後で、何と呑気な、、、
あの後元気になったのかな? ぐらいに思ったのだが、
きょうの朝刊の第1面には「博物館でも失態」の見出し。。。

閉館後の特別見学だったらしく、一般客はいなかったそうだ。
足取りはやはりフラフラしていて、言葉も不明瞭なままだったそうだ。

・案内人の話も聞かずに歩き回り、
・入ってはいけないエリアに入って、警報が少なくとも1度は鳴った
・触ってはいけない展示品に複数回触った
・高さ30センチの柵を乗り越えてラオコーン像の台座に触った

なんてことが書いてある。
「少なくとも1度」とか「複数回」という書き方が、
多いことを暗示しているのか、
大したことないことを暗示しているのか、、微妙な。。

読売のweb ニュースには、
「同行者によると、見学中のN氏は『くたびれた様子』だった。
 同行者の1人は『あまり静かな訪問でなかった』と認めるが、
 上野(註バチカン)大使は『それほど問題はなかったと思う』と語り、
 案内役のバチカン関係者も『抗議が必要なほどではなかった』
 と話している」
とあるが、、、優しいコメントでありがたいことだ。

開館時間内の一般客の行為だったらかなりのお咎めがあるのでは??
もしもここにも各国のTVカメラ等がついて来ていたら、
どうなってたことか。。(もともと撮影禁止なんだろうけど)


それにしても、、、
何で1週間も経ってこんな話が浮上してくるんだろうか?
新聞には「バチカン関係者の話でわかった」とあるだけだが。。



2009年02月19日(木) 新しいバイオ燃料

トウモロコシでバイオ燃料を作る話題が広がった時、
中東の石油に群がらない世界になるのはいいとしても、
何も食料を燃料にしなくても、、、という思いもあった。
その思いは、予想外にかなり批判的な見方に移って行った。
それが穀物価格の高騰を引き起こし、
世界的食糧難という事態にまで発展してしまったから。。

今夜の報道ステーションによると、
今、海の藻を原料にしたバイオ燃料の開発が進んでいるそうだ。
思わず、これ頑張って!!! と応援したくなる。

食料じゃない。
繁殖しやすい。

アメリカの航空会社が実験してみたところ、
普通の(いわゆる石油類の)燃料に比べて燃費もよかったようだ。

報道ステーションでのコメントにもあったけど、
日本など海に囲まれた小さな国土だからうってつけじゃないか。

今のところの問題点は、
人為的に藻を繁殖・栽培した経験を人類がもっていないことだそうだ。
このバイオ燃料を商業ベースにのせるためには、
藻の大量生産が必要なのだ。
自然破壊を引き起こさないよう心掛けながら。。。



2009年02月18日(水) サラ・ブライトマンのウィーン・ライヴ

去年の1月にウィーンのシュテファン大寺院で開いたライヴのDVD。
すごい会場である。
前後に細長い感じで、太い柱が何本も立っているので、
遠かったり柱に遮られたりして、歌い手をまったく見ることなく
演奏だけ聴いている観客もいるのではないかと思う。
教会だけど、ロック・オーケストラもがんがん演奏しているし、
演奏の後には歓声や指笛も飛び交う。

教会の中は寒いらしくて、観客は上着もマフラーも着用、
オーケストラの奏者も厚いコートを着ている人もいる。
サラちゃん、そんな肩むき出しのドレスで大丈夫??? と
心配になってしまう。
いくら歌ってると熱くなるとはいえ。。。

曲目は、ほとんど新しいアルバム「神々のシンフォニー」と同じ。
「ハレム」や「ラ・ルーナ」に比べるとかなり物足りない感じの
アルバムだが(今度の名古屋公演もこれが中心なんだろうな、、)
こうして実際歌ってる姿を見ながら聴いていると、新たな感慨で、
CDを聴いて感じていた以上の感動に包まれてしまう。

ライヴのたびに歌っている「オペラ座の怪人」のレパートリーは、
今回は「オペラ座の怪人」と題されている2重唱。
つまり、序曲のメロディーが歌になった、
地下のファントムの住処に舟で向かう時の2重唱である。
それをパイプオルガンをふんだんに鳴らしながら演奏する。
これは嬉しい選曲である。
「オペラ座の怪人」のオリジナル・キャスト盤を聴いていたころ、
この歌の初めの低音で歌い始める歌声に痺れていたから。。

アンコールはそれと、「タイム・トゥ・セイ・グッパイ」の後、
何とシューベルトの「アヴェマリア」で締めくくり。。
教会ライヴの締めくくりとしては、いい締めくくりだと思うけど。
「タイム・トゥ・セイ・グッパイ」も素直な歌い方にもどっていて、
よかった。

最近の写真や映像は、何となく表情が険しい感じで、
歳のせいかダイエットし過ぎたか、なんて心配もしてたのだが、
こうしてライヴ映像を通して見ると、ちょっと痩せたみたいだけど
まぁ、今まで見てきた表情とそれほど変わらないので安心した。
ついでながら、伴奏者たちの中にも美人がアップで映ったりするので
それもこのライヴ映像を見る楽しみに加えられるかも、、(笑)

数年前までに比べると、かなり歌声の衰えを感じてしまう。
いつまでこのすばらしい歌声と表現を聴かせてくれるのだろうか。。



2009年02月17日(火) 湊かなえ「告白」

何だか芥川の「藪の中」みたいな、、と、
第2章を読み始めた時に思ったのだが、
真相をうやむやにした「藪の中」とは違って、
真相を深め、背景を深め、さらに物語が進展する6つの告白。。

第1章
 教師森口悠子が担任のクラスの生徒に向かって語る。
 辞職すること、シングルマザーとなった経緯、
 HIV患者のこと、少年犯罪について、、、そして、
 大切なひとり娘をこのクラスの生徒A・Bに殺されたこと。
 本人たちもいるこのクラスの中で、事件の真相と復讐について語る。

第2章
 クラス委員長の美月が、その後のクラスのようすを語る。
 生徒Bは不登校、、、生徒Aはクラスで迫害を受ける、、が。。。

第3章
 生徒Bの姉が語り始めるが、母の死の真相を求めて読み始める
 母の日記がこの章の中心となる。
 母はこの息子を溺愛、、父はほとんど関与してないようだ。。

第4章
 生徒Bの告白。
 母に対する思い、事件の発端から、不登校中の心境まで。
 母殺害の真相。。

第5章
 生徒Aの告白。
 母への思慕と孤独。母に認められたいゆえのさまざまな試み。。
 事件の真意とその後の心境、、そして、新しい犯罪。。。

第6章
 生徒Aのケータイに語りかける森口悠子の告白。
 思いがけない復讐劇、、、、、、、、、、、、、、、で幕。



読み始めてまず、第1章の悠子の語り口に引き込まれてしまった。
もちろん、生徒の前で話しているにしては詳しすぎるのだが、
(しかも生徒の前で話すには驚くべき、恐るべき内容だ)
まぁ、そういう現実性ということは割り引いて、
時折発せられる生徒の声や、生徒の反応にも応えながら、
淡々と冷静さを維持しながら語って行くようすが痛ましい。

で、この種の作品のおもしろさは、当然のことながら、
同じできごとを経験する複数の心を描いてくれているところだ。


仕事で日常学校現場にいるせいか、学校を舞台にした物語は億劫で、
普段あまり好んで読まないのだが、ぐいぐい読まされてしまった。
この作品にも、いろいろと考えさせられる材料が盛り込まれている。
とりわけ、いじめ問題や少年犯罪について、、、中でも、
自己顕示的犯罪心理とでも呼ぶべきもの、、その背景、、、などなど。



2009年02月16日(月) 「悼む人」の「悼み」

読み終えても、2〜3日は次の本を取る気にならず、
反芻したり、あちこち読み返してみたり、、、
離れられないことがちょいちょいある。
今回もそんな感じ。。


静人の「悼ませていただきます」は、弔うのでもなく、
供養するのでもなく、冥福を祈るのでもない。
「亡くなった人を、ほかの人とは代えられない
 唯一の存在として覚えておきたいんです」

そのために、彼がその見ず知らずの故人について知ろうとすることは、
「その人は、誰を愛したか。誰に愛されたか。
 どんなことで人に感謝されたことがあったか」
どんな死に方をしたかとか、誰に殺されたかとかいう経緯は
彼の「悼み」にとって関係がない。
殺した加害者を憎み、当の故人のことを忘れてしまっては意味がない。
亡くなった人物の肯定的な面だけを取り上げて覚えておくこと。
それがこじつけや誤解になってしまってもよい。
人間関係はもともと思い込みの積み重ねかもしれないのだから、
こじつけや誤解を恐れず、その人を覚えておくことに重きを置く。。




静人が3歳のとき、祖母が亡くなった。
亡くなる2日前、家族で面会に行ったとき、
「ばあば、なに、ほしい?」の静人の問いに、
祖母は紙に「おぼえてて」と書いた。

静人が小学校3年生のとき、祖父が海で亡くなった。
教え子を空襲で亡くした元教員の自殺という見方もできた。
海水浴客の集まる海岸で祖父の亡くなった海を眺めながら、
「誰も知らないんだね、、」と静人はつぶやいた。
祖父の死にショックを受けて、熱まで出して寝込んだ静人に、
母は亡くなった肉親の話をして、
「彼らのことを忘れずに生きればいいのよ」と抱きしめた。
静人は自分の胸にふれて言った。
「みんなのこと、、、ここに入れておく」

それから、普通の子どもと同じように成長し、
大学卒業後、医療機器メーカーに就職した。
その営業の一環として、病院内でのボランティア活動があり、
外来患者の案内をしたり、入院患者の相手をしたり。。
小児病棟に関わるようになり、多くの子どもの死に直面した。
ある時、亡くなった子どもたちのことを覚えていない自分に
ショックを受けた。。。

そこに親友の死のショックが重なった。
通夜・葬式はもちろんのこと、決まりの供養ごとに参列したが、
1年目の命日の祭儀のとき、仕事でその時間を忘れた。。。



2009年02月15日(日) 不審電話

きょうは市吹の1日練習でクタクタになって帰って、
夕食後どうにもならんので、1時間半きっかり眠って、
ついさっき起きたのだが、起きたらケータイに着信が入っていた。
着信記録は知らないケータイ番号、、、留守電も入っていた。

「もしもし、、夜分おそれいりますー、、tensei さんですか?
 ムラセです、ご無沙汰しておりますー。
 えー、、一度お電話いただけますか? よろしくお願いしまーす」

ムラセ、、?
ご無沙汰しているムラセといえば、中学時代の親友しか思い出せない。
でも彼の声とは思えないし、こんなおかしな訛りはない。。
おまけに「一度お電話、、、」なんてメッセージなど、
今まで聞いたことがない。
たいていは何か要件を言うか、「またかけます」の類だ。

実に不審な電話だ。

でも、ケータイでのワン切りってのは聞いたことがあるけれど、
留守電まで鳴らし続けて、留守電を残す不審電話の情報なんて、
まだ一度も聞いたことがない。
もし、途中で出てみたら、どういうことになったのだろうか?

(ちなみに、知らないケータイ番号からの電話に私は出ます。
 吹奏楽の大会の事務局をしているので、緊急連絡用に、
 おおぜいの吹奏楽関係者に知らせてあって、
 知らない教員や、知らない生徒からの問い合わせも入るので)

自宅電話に、マンション関係の電話がうんざりするほど入るのだが、
そういう種類の業者がケータイまで使うようになったのだろうか?
それにしても、怪しい業者にケータイ番号まで盗まれてるとは。。
でも、自宅電話へのその種の業者にしても、今のところ、
留守電に、一度電話しろ、なんて入れてたことは一度もない。。

うーん、、ムラセ、ねぇ、、、ムラセ、、ムラセ、、、
やっぱり思い当たらないなぁ、、、というわけで放っておくけど、
実に気分が悪くなってしまった。
せっかく、すっきりと目覚めて快適だったのに。。。



2009年02月14日(土) 「悼む人」を読んだ

1週間以上中断していた天童荒太の「悼む人」をさっき読み終えた。

堪らないなぁ、、これは。。
特に、母親巡子の部になると、頻繁に目が潤むので、
人がいっぱいいるところで読むのはつらすぎる。
何度老眼鏡を外して、目を拭いたことか。。。

無差別に人の死を悼んで旅をしている静人の母は、
すでに死の宣告を受けて、余命が短い。
一方、静人の妹の美汐は、静人の風評のために恋人に捨てられ、
その元恋人の子を生もうとしている。
死が近づいている母と、その母を支える夫と、
母をいたわりつつ新しい生命を宿している娘と、
その娘に幼いころから恋をしている従兄弟と、
その他さまざまな人間関係をこう巧妙に描かれたら、困るじゃないか!

静人となんとなく一緒に旅をする女。。。
彼女は、夫に執拗に懇願されて、自らの愛を守るために夫を殺した。
静人の行動が、なんとなく気になり、同行するうちに、
それが大きなドラマとなる。
自分自身は、一度も静人と同じように悼んだりしないのだけれど。。

目の潤みやすい展開でも、大泣きするようなところはなかったのだが、
やはり、ラストにはなかされちゃったなぁ。。
「倖世は、左手を伸ばして静人の足跡に触れ、
 右手を広げて日の光を受け止め、胸の前で両手を重ねた」
読んでない人には何のことかわからないだろうけど、
なんと重い場面であろうか。。。

「悼む人」の静人も、静人について歩いていた倖世も、
これからさらに旅を続けるだろう。
「亡くなった人を忘れない」旅を。。


ちなみに、私自身、今癌に冒されてても不思議じゃない身だし、
数年以内に、いきなり、あと○カ月です、と宣告されるかも、、と、
そんな不安も抱かずにいられないような身なので、
身につまされるような思いで読んでしまったのだった。



2009年02月13日(金) 穏やかな1日

気温がぐっと上がり、春一番が吹き荒れるでしょう、、、
などと昨夜の天気予報で言っていたが、その気配もなし。

寒〜いほどではないにしても、曇り空で空気もひんやり、、、
風もいつもより吹かず、とても落ち着いた雰囲気だった。
夕方から、穏やかに雨が降り始めた。
西日本では暴風警報が出るほどの風になるとも言っていたが、
こちらは明日荒れるつもりなのかな?


昨日からひとつひとつ仕事が片づいて行ってるのでうれしい。
いつも、ひとつひとつ片づいているのは確かなのだけれど、
いつもは片づいてるそばから続々と次の仕事に煩わされるので、
きりのない営みの中で、仕事が片づいている実感がない。
きょうから、担当していた授業がなくなったので、
昨日からとても穏やかな気分で残っていた仕事に専念できてるわけだ。

こういう時期は基本的に3年に1回訪れるのが原則だけど、
規則正しく1→2→3年生と持ち上がるとは限らないので、
とても貴重な時期だ。
本来、夏休みがこういう時期だったはずだが、
私の場合、夏休みはかえって忙しかったりするので。。

優雅な1カ月間、、、のつもりが、何かの都合で崩れる場合もある。
以前、やっと3年生の1月まで終わって、間もなく、、と思ってたら、
産休に入る講師がいて、
2月3月と、その代わりをやらされたこともあった、、(泣)
ほんとに、人生何が起こるかわからないものである。
どうか、穏やかな1カ月が過ごせますように。。。(-人-)



2009年02月11日(水) 最近の愛聴盤

・・っていうか、、数日前、ふと驚いたのだった。
何でまだこんなの熱心に聴き続けてるわけ、、??

というのも、最近相変わらず聴き続けている3枚のCDは、
11月から聴き始めた
Within Temptaion の「The Silent Force」
          「The Heart of Everything」と
正月から聴き始めた サウンド・ホライズンの「モイラ」。
この3枚をとっかえひっかえ聴いてるだけで、
なかなかこの3枚から抜け出せない。

Within Temptation とサウンド・ホライズンはぜんぜん違うけど、
共通してる点をあえて探すなら、メロディーが心に入りやすいのと、
1曲の中で心地よく音楽が変化するところとか。。。
サンホラの場合は、変化に変化を重ねて別の音楽になってしまうが。。

とにかく3枚とも、聴けば聴くほど味わいが増しているところ、、、
いまだに、、、? って感じなのだけれど。。。


きょうはあえてLeaves' Eyes を持って出て往復の車で聴いた。
Within Temptation と同ジャンルだということで、
11月に一緒に買ったもので、きょうで4回目くらいだが、
やっぱりあまりおもしろくないんだなー。。
アマゾンのレビューでファンが絶賛してたのにつられたのだが。。
メロディーもインパクトないし、歌声も単調で説得力なし、、、
という前に歌声があまりよく聞こえないし。。

帰ってから部屋でWithin Temptation を聴きまくった(耳直し)。

Within Temptation のこの2枚は、どの曲も気に入ってて、
ずっとどれが一番気に入りか判断つかずにいたのだけれど、
最近やっと、「Memories」が一番気に入りかも、と思い始めた。
といっても、あえて1曲取り出すなら、という程度だ。


きょうは帰りにやっと「モイラ」の歌詞カードの拡大コピー取ったから、
これからいよいよ「モイラ」の物語を研究するかな、、と思ってるところ。



2009年02月10日(火) クローン犬が1400万円

昨夜、ニュースZERO でやっていたクローン犬の報道。
愛犬を喪ったアメリカの夫婦が買った、その取材ということで。。

死んだ愛犬の細胞から核を取り出す。
他の雌犬の卵巣から核を取り出す。
その卵巣に愛犬の核を埋め込み、細胞分裂を始めたら
また別の雌犬に移植する。
・・・こんな説明だったかな、、?
つまり、クローン犬の誕生には、他の2匹の雌犬が利用されるらしい。

夫婦はとても嬉しそうだ。
生まれたクローン犬はランスロットの子犬の時とまったく同じだった。
今は、正式の名を、ランスロット・アンコールと言うそうだ。

うーん、、、
私の想像的な感覚だと、いくら同じ遺伝子情報を持つとはいえ、
ランスロットとランスロット・アンコールは別の存在という気がする。
とにかく、ランスロットそのものでない、と思うのだ。
よく似た犬も、クローン犬も大差ないように思われるのだが。。
でも、実際に飼ってかわいがった人にとっては、
私のこの想像的な感覚とは違うのだろうか?

そのクローン犬の値段は1400万円!(◎◎;
本体より高額なのでは?
提供した企業は、喜んでもらえて楽しいから、これからも続けるという。
この技術は韓国の方が進んでいるそうで、
韓国だったらもう少し安いかもしれない。

死んだ我が子のクローンを、と望む親や、
亡くなったお子さまのクローンを、と提供しようとする業者が、
永遠に現れないことを祈る。
(ま、いくら何でも、法が禁止し続けるだろうけど、、)



ついでながら、クローン犬の前の報道は、麻生首相の演説。
日本の不況は他の先進国に比べたら大したことない、と笑顔で語る。
だって銀行潰れてないでしょ? とも語って笑っている。。

うーん、、何でそんな言い方できるかなぁ。。
昨年末からのあの失業者たちの問題を抱えているはずなのに。。
明日の生活に困っている人々がいるというのに、
その対策を先送りし続けている人が。。
他国との比較でなく、それ自体が大したことだし、深刻なはずなのだが。

大したことない、に反して、イギリスやアメリカと比較すると、
昨年末の株価の下落のもっとも大きかったのは日本だと言う。
それだけ、海外の投資家たちが、日本経済を危ぶんだということになる。

あの笑顔と「大したことない」は何なのだろう?
ルーズベルトの炉辺談話を真似た? 、、とはとても思われないのだが。



2009年02月09日(月) おかしな教育観・空しい教育観

昨日の午前中に、朝刊のトップ記事について書いたのだけれど、
夜になって、新聞の奥まったところに教育コーナーがあるのを見つけた。


鳥取県では、小学校でずっと学級委員長を置かなかったそうだ。
「リーダーを選ぶのではなく、平等を重視すべきだ」
この平等主義は、運動会での徒競走や、学芸会のキャストにも及ぶ。

学校現場ではしばしば、平等とか人権という観念について、
すごくいびつな解釈がまかり通るものだ。



文科相が「倫理観や自制心、自立心を育てるための5つの提案」。。

1 読み書きそろばん外遊び  、、、(笑)
   外遊び、って、どうやってさせますか?
   公園や道路に警官多数配置しますか?
   ゲーム機など、今からなしにできますか?
   塾通いを禁止できますか?
   そろばん、小学校の必須科目にできますか?
   「朝の読書」などの時間を必須の活動にできますか?

2 校訓を見つめ直し、実践する。
   どの学校の校訓も、正しい教育を謳ってますか?
   私は、怪しい校訓、知ってますよ。

3 先人の生き方や本物の文化・芸術から学ぶ。
   本物の文化・芸術に触れさせるためには、お金かかりますよ。
   それから、先人って、具体的にどんな人ですか?

4 家庭で生活の基本ルール。
   生徒の教育より親の教育、というのが現場の長年の訴えです。
   良識的な家庭の方が多数派だとは思っていますが、
   教育を混乱させているのは少数派の家庭でして。。。
   で、どうやってそういう家庭を教育するんですか?
   教育委員会は、どんな理不尽にもぺこぺこするばかりだし。。
   教育委員会の体質を改善してもらえますか?

5 地域の力で教育を支える
   昔は自然と何となくこれができていたと思うのです。
   週5日制になってから、これがずっと課題だったのに、
   今になって改めて言わなきゃならないのは、なぜ?
   いろいろ原因はあると思いますが、そのひとつは、
   個人主義的競争原理を教育の要にしようとしてきたからです。
   それで学力向上が期待できるという幻想を抱いて。。。

ほんとに空しい弁舌だなぁ、と思う。
言うは易しを口にするだけで高給取りなんだから、恐れ入る。
3日やったらやめられん職業だということがよくわかる。



2009年02月08日(日) またまた短絡的な一策。。

朝日新聞の今朝のトップは「高校時学力測定 新テスト」。
AO入試や推薦入試の氾濫で、学力不足の大学生が増えたので、、云々、
とあるが、それが学力測定テストに行く理由がよくわからない。
そんなテストをやらなくったって、見たとおりなんだから。。
「高校卒業認定試験」か「大学進学資格試験」だったらわかるけど。。
でも、それらしい名目には表れない弊害が出るんだろうな、、と思う。
それにしても、財源はどうする気なんだろう。
そういう用途以外に、財源を回してほしい用途がいっぱいあるのに。。


そもそも、こんなに大学の門が広くなってしまったら、
低学力生徒も大学に入ってしまうのはあたりまえだ。
子どもが多かった時期に、大学も増え、学部・学科も増設され、
少子化の時期に入ったら、学生欲しさに「先取り」が盛んになった。

AO入試があちこちで行われるようになったころ、
問題行動は繰り返すわ、授業中はほとんど寝てばかりで、
毎年進級認定に引っかかって追認考査のベテランの噂の生徒が、
AO入試で早々に大学進学を決めて来たというので驚いた。
試験は面接だけで、2度ほどやった募金活動をネタにしたそうだ。
もちろん、そのネタ作りにその募金活動に参加したのだという。。

こんな学生を集めてしまった大学は高校以上にたいへんだろうな、、
と気の毒に思ってたら、案の定、悲鳴が聞こえるようになったわけだ。

実際におおぜいの生徒を見ていると、
この生徒は大学に行ってもいいけれど、
この子やこの子は、何のために大学にまで行くの? 
さらに、君たちは大学なんて行っても無駄!、、、という風に、
明確に振り分けてやりたくなる。
けれども、手を広げすぎた大学は学生を欲しがっているし、
勉強大嫌いでも、何となく大学に行かなきゃいかんような風潮らしく、
とにかく本人も親もとりあえず進学を希望しているし、
高校からの就職は非常に難しくなっているし、、、で、
入れそうなところに放り込まざるを得ないのだが。。。


・・・で、再び今度は別の角度から、そもそも、、なのだが、
小学校の勉強がろくろくわからないまま小学校を卒業させられ、
中学校の勉強もますますわからないまま中学校も卒業させられ、
高校もほぼ全入に近いからそんな状態で高校教育も受け、、、
優秀な生徒は昔も今も優秀かもしれないが、
半数以上の高校生は低学力と言っていいのが実状である。
昔に比べてゲームやケータイなど気晴らし品が充実しているから
なおさらだ。

しかも昨今は、学校教育も手取り足取り式にめんどう見すぎるから、
頭の開発にははなはだよろしくない。
以前だったら生徒を放っておいても進学実績のあったエリート校でも
なぜか補習、補習で尻たたきまくっている。
(あくまでもこちらの地方の傾向である)
大学受験は基本的に個人の問題、という観点は今では忘れられている。
優秀な子は、自ら頭を鍛えてほしいのだが。。

エリート校ではないそれ以下の学校はなおさらいろいろと手をかける。
自分では勉強などできない生徒の集まりだから、放っておけなくなる。
そして、センター試験も多くの大学の入学試験も、
マークシートや、ちょっとした記述問題が多いので、
とりあえずそれに対処できるようにと、覚え込ませる苦労をするわけだ。

ま、基本的に受身の勉強しかできない子にいろいろ覚え込ませようと
しても、効果は乏しいのだけれど、、ね。。


低学力の学生がイヤだったら、まずは、
センター試験でも、各大学の入試問題でも、
論述試験にしたらどうですか?
いずれにしても、入試制度が高校教育を変えてきたのは事実だし、
入試のあり方が変われば、高校教育も変わらざるを得ない。
最近は特に、自ら考えてまとめる能力が著しく劣っているし、
そういう方向で教育するゆとりを失っている。
(こんなご時世にも、昔と変わらず、論述問題だけで入試をしている、
 そんな大学の存在を見ると、感心してしまう)

論述試験を2〜3回行った末、定員に満たなくても、
この水準に達してない受験生は合格させない、、、だったら、
まず低学力の学生を抱え込むことはないだろう。

でも、そんなことを言っていては経営面で困ってしまう(笑)


・・・で、話はもとに戻って、
これだけ大学が乱立して希望者全入の様相を呈して来たら、
低学力の学生を抱え込むのもやむをえないのである。
あきらめて取り組んでもらうしかない。

それがどの程度のものかを知るのに、国単位の調査などはいらない。
それぞれの大学で、入ってきた学生を見ればわかることだし、
試験の資料がほしければ、予備校が詳細な資料を貯め込んでいる。
わざわざ高3卒業時に、もうひとつ、100点満点や200点満点の
テストをつけ加える必要など、まるっきりない。

・・・それとも、入試の時期に先駆けて、
秋ぐらいに「大学進学資格国家試験」でもやって淘汰しちゃいます??



2009年02月05日(木) タイミング

一昨夜は天童荒太の「悼む人」を読んでいた。
先々週末から読み始めたものの、先週は行事の準備で中断、
一昨夜のの前日からまた続きを読み始めたのだった。

一昨夜は、「悼む人」である坂築静人が、
なぜ人々を悼む行脚を続けるようになったのか(P162〜183)、
また、人々から仏様と慕われていた甲水朔也が、
自分を殺してくれるに相応しい妻を求め、
断固として妻に殺されることを願った心の内(P241〜249)が
語られていた。

昨日の朝も、起きてからしばらくそのことを考えていた、、、ところへ、
葬儀の連絡を受けたのだった。


こういう時、真っ先に気になるのは、仕事を休んだ場合の、
さまざまな影響であり、そもそも休める状況かどうかである。
先週だったらこの時点でほとんどパニクっていたに違いない。
幸い、先週から3年生は半日授業になっているし、
昨日の私の授業はひとつしかないし、プリントが用意してあったし、
大イヴェントのコンテストは日曜日に終わっていたし、、、
たまたま昨日ときょうは、休みやすい日にあたっていた。
午後からちょっと美術館に行ってみようかな、とさえ思っていた。

去年の葬儀も、一昨年の葬儀も、今回ほどじゃないにしても
やはり、それほど困らないところにぽこっと入り込んだ覚えがある。


まあ、それも考えようで、逆に考えれば、忙殺の波がやっと少し引いて、
のんびりと先の仕事まで片づけられると思ったところに、
そうはさせないとばかりにこの事件が起こったとも言える。
よくあるんだな、このタイミング。。

いいタイミングだと喜ぶか、悪いタイミングと悲観するかは、
たいていは解釈の問題だ。
昨日は、よかったな、このタイミングで、、の思いが強かったが、
きょうの午後仕事に出たら、仕事がたまってしまっていて、、(`ε´)


ちなみに、2軒隣のご主人は、一昨年会長、去年副会長、
通夜も葬儀も律儀にしっかり働いていたが、
今回は、仕事も休めないし、早めに帰ることもぜんぜんできない、と
通夜も葬儀も出られないということだった。
詳しくは聞かなかったが、たまたま忙しい時期に当たったのか、
あるいは、最近の社会経済状況の中、
休んだ者から順にリストラの対象になるのかもしれない。
もしも彼の町内会長の年が一昨年でなく今年だったとしたら、、??


せっかく、昨夜から今朝にかけて、「悼む人」の心情に触れて、
それを噛みしめていたのに、きょうの仕事は事務的な意識が強く働き、
人の死を悼むとか、人の冥福を祈るとか、
そんな心情とはかけ離れたような心情で過ごしてしまったのだった。

要するにこれは、タイミングがよかったと言うべきか、
タイミングが悪かったと言うべきか、、??



2009年02月04日(水) ・・来てしまった。。

起きてしばしくつろいでいたら、
町内の老人が昨夜亡くなったという連絡が。。。
10時から葬儀の打ち合わせ、今夜通夜、明日葬儀だという。

町内会長のこの1年は、どなたも亡くなりませんように、、と
先月のおひまちのころに祈ってたものだが、
早くもこの日が来てしまった。。

町内会長は何をどれだけしなきゃいけないのか、
さっぱりわからないのだが、、、ま、初仕事で覚えるしかないわな。。

朝まず、各家(17軒)を回って、Nさんが亡くなったことと、
今夜が通夜で、明日が葬儀ということを伝えた。
8時前の時点で、みなが初耳だった。

その途中で、喪主が出てきたのに会い、時刻と会場を知った。
会場は、友人が勤めてる名古屋の葬儀屋の岐阜支店みたいなところで、
友人にメールしたら、会員証を貸してあげると50万くらい安くなる、
という趣旨の返事が来た(驚)

11時に葬儀の打ち合わせ、、、に何で町内会長も出るのか、
今どき必要ないのではないかと思うのだが、
そんなことも葬儀屋の友人にメールしたら、
町内の連中にチョロチョとされると迷惑、
口うるさい長老には閉口、、、などの返事が来た。

要するに、決めるのは喪主であって、
町内会長は、頼まれたことを承ればいいわけなんだよ。

実際、受付係を3〜4人決めることと、
葬儀屋が枚数分用意してきた町内用のチラシを配って説明することと、
明日の出席者数を把握することだけが仕事になった。

これだったら、打ち合わせの後で報告をきくだけでいい。
ただ、きょうに限っては、たまたま私が会員証をもっていて、
喪主と早い時間に会ったおかげで、葬儀代割引に貢献した点だけは、
しっかりとお役に立てたと思うけれど。。。
でも、葬儀の打ち合わせなんて、ほとんど商談なんだから、
第3者はあんまり傍にいない方がいいと思うなぁ。。

ま、とにかく、再び各家を回って、出欠を確認し、受付係の依頼もした。
留守の家も4軒ほどあったので、3時ごろまでかかった。
私も受付をやるしかないので、
送迎バスで行く町内の人たちのお世話は、隣家の長老にお願いした。

・・うーん、、やっぱり仕事に出るだけの時間はない。。



2009年02月02日(月) 1兆8千億円のボーナス?!(◎◎;

これは一昨日の新聞に小さく出てた記事なのだけれど、
机のそばに開いたままずっと置いてあったので、さっき思い出した。

アメリカの、経営難で崩壊寸前で、公的資金を受けている金融機関の
経営者たちが高額の報酬を得ている話である。
「200億ドルのボーナスを自ら支給」という表現もある。

ボーナス1兆8千億円、、、では、月給はいくらなんでしょう?

1兆8千億円は、ざっと計算して日本の庶民の200万倍では?
ことによったら、300万倍かもしれない。
今のご時世では、ボーナスなしもあり得たかもしれない。

我々の2倍か3倍くらいは、あれこれ考え忙しく働いているかもしれぬ。
しかし、こういう高額の算定基準はいったい何なんだろう?
経営難だそうだから、利益に見合う報酬であるはずがない。
普通の人間の何十万倍も何百万倍も働くなんてありえない。

こんなご時世でなくても、もらいすぎだ。
何年もこんなにもらいすぎていたのだから、
経営難になったら、税金に支援を求めなくたって、
立て直すための資金は自分のお家にいっぱいあるはずだ。

こんなご時世のそんな経営状況の中で、高額報酬を自らに支給する、
なんて感覚が狂いすぎている。
もし実際に税金からの資金援助をしてもらっているなら、
自らへの報酬はとっくに0にしておくべきだろう。。。
新自由主義経済は、やはり経営陣の心を狂わせてしまったようだ。

こういう問題は、情報が少なすぎてわからないことだらけなのだが、
たとえば、リーマンの経営陣にしたって、
今はホームレスで空き缶置いて道端に座っているのか、、と思うと、
きっとそんなこともなく、豪邸でぬくぬくと生活しているのでは???


日本の大企業の経営陣にしたって、
自分たちは莫大な報酬で莫大な資産を抱え込んでいながら、
経営がうまく行かなくなると、弱者を寒空に放り出して、
凍死しようが餓死しようが自殺しようが、知ったこっちゃない。
ワークシェアリングをしたら、正規社員の報酬が減るという
不都合・反発が起こるだろうけど、そこを、
自身の報酬はしばらくの間遠慮するか、
自身の使い切れない莫大な資産のほんの一部を拠出して、
社員の報酬が減りすぎないだけの手当をしてもいいではないか。
強欲なやつらめ。
何も、低賃金で貯金もなく、住むところもない人たちを追い出してまで
自身の莫大な資産に、高額報酬を積み重ね続ける必要はないでしょう。

きょうの新聞には、今回の解雇にあった人たちが、
農業や漁業に職を見つける話があって、
やっと未経験の農業に採用されて、家族でその地に転居する人が、
5人家族で、1カ月の報酬が17万円ということが書いてあった。
それでも、無職よりは希望を見出せたそうだが、
17万円で5人家族が生活する困難さは誰でも想像できる。
むしろ、それで生活できるという想像の方が難しいほどだ。

そんな記事を読んでいたので、1兆8千億円に怒ってしまったのだ。

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 オバマ米大統領は29日、経営難で政府の支援を受けている金融機関の経営者らが高額報酬を得ていることについて「無責任の極み。恥ずべきこと」「規律と責任感を示してもらう必要がある」と厳しく批判し、報酬削減を求めた。激しい口調で記者らに不満をぶちまけた。

 ホワイトハウスでガイトナー財務長官らと金融危機対策などを協議する際、怒りをあらわにした。ニューヨーク州当局の発表に基づいて金融業界の報酬額を掲載した記事をひき、「ウォール(金融)街の銀行家たちは200億ドル(約1兆8千億円)相当のボーナスを自ら支給したことを示している」と指摘。「ほとんどの(金融)機関に崩壊の危険が迫っており、納税者たちに支援を求めている」なかで、危機が起きる前の04年と同水準の報酬を「無責任の極み。恥ずべきこと」と切り捨てた。

 オバマ政権は金融機関の経営への介入を強めている。公的資金が投入された金融大手シティグループも、検討していた約5千万ドル(約45億円)の専用ジェット機購入を断念したと伝えられる。大統領は「ジェット機を買う計画を進めていた(金融)機関」にガイトナー長官が翻意を迫ったことを明らかにし、「彼らはもっと認識すべきだった」と語った。

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2009年02月01日(日) きょうの落とし穴、、、

きょうは、アンサンブルコンテスト県大会の当日。
この日のために、各地区大会が全部終わった翌日の1月13日から、
ずっと準備作業をひとりで続けてきて、
50余チームが参加する大会が、円滑に、何のトラブルもなく、
進行することをひたすら願ってきたわけだ。

準備のためのチェックリストはほぼ完璧なものができているから、
それでチェックして行けば、作業の不足はない。
タイムテーブルも、この数年で最善の型をつくったので、
進行上悩む要素ももうほとんどなくなっているはず。。。

実際、放っておいても円滑に大会は進行し、終わった。
充実感。。。


でも、私自身はきょうはたいへんだった。

一昨日、3時間かけて作り直した審査集計表だが、
昨日職場で仮の点数を入力して印刷したものを、
若い吹奏楽好きの同僚に点検してもらって、完璧! まではよかった。

きょう、昼前に集計の準備をするために、集計室にした楽屋で、
そのファイルをMacBook に移して、それを開いて、
プリントアウトしてみたら、何と何と、不思議なことに、
罫線が印刷されない。
昨日職場のWindows 機で印刷したときは何の問題もなかったのに。。

何を試みても出ない。
フォントを変えてみたけれど、そんなんで罫線まで変わるはずがない。
いったん罫線を全部消して、改めて罫線を引き直しても、ダメ。
いったん書式を全部消して、改めて罫線を弾き直しても、ダメ。
どこかにそんな設定があるのか探しても、ぜんぜんわからない。
なぜだろう、、???
表がなかなか複雑なので、罫線なしの表は見づらい。。。

そこで思い出したのが、エクセルを使い始めて間もないころ、
ファイルが不思議な不具合を起こしてしまったことがあって、
サポートセンターに電話で相談したら、、、最終解決策が、
出来上がっている表を、新しい真っ白なファイルにコピペすること。
セルの幅や高さなどを、一から調整し直さなきゃならなかったけど、
それで不具合はまったくなくなった。

それを思い出して、今回もそれをやってみた。
そうしたら、今度は本当に罫線も忠実に印刷されるではないか!
すばらしい! よかった!

・・・で、終わってしまったら、こんなところに書かない。
それからセルの幅や高さを変更する労があっただけでもない。

表の中の計算式が、他の表のデータを参照する仕組みになっているので、
コピペされた計算式の中に、
前の表のデータを参照するものがいくつも含まれることになった。
このままでは、このファイルに審査員の点数を入力しても、
ぜんぜんそれが反映されない部分ができてしまう。
それをちゃんと本来あるべき計算式に書き換えなきゃいけない。

誤りがほんの1カ所にあってもたいへんなことになる集計表だから、
これはとても緊張する作業だった。
悠長に全体を点検する時間などないだろうし。。

結局、問題に気づいてから原因究明し、新しいファイルを完成するのに
楽屋に籠もって、またもや3時間近くかかってしまった。


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