たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2016年03月27日(日) 今年のイースター

イースターの朝、いつものように5時半頃に目が覚めたのでベッドの上で簡単なヨガをした後、6時半より歩き始める。この日の天気予報は雨ということだったが、雨は翌日にずれ込み、晴天の朝、よかった!
イースターの朝はやはり晴れていてほしい。
これまで歩きながら聴いていた受難節のグレゴリオ聖歌を復活祭のグレゴリオ聖歌に変えて、いつもの道を歩き始める。

今年の受難節ほど、それらしく過ごしたことはなかったし、だからこそ、今日の復活祭が待たれた。
ここ1週間の間にも、回復には浮き沈みがあり、水曜日の夜は、右胸の下あたりがきりきりと痛み、息をしても咳をしても、寝返りを打っても痛い。ネットで調べながら、肋間神経痛?肋骨にヒビがはいった?、それとも、手術の時につけられたステントが内蔵を押してる?と、あれこれ考えながら夜を過ごした。火曜日の夜に出た癒しのヨガの三角形のポーズの時、少し無理があった。ホールドも長かった。自分でやっていれば、あそこまでホールドはしないのに、周りがやっているので、つい無理をしてしまった、そのせいなのかしらとも?
翌朝はさすがに朝歩きを止め、行きつけの鍼治療院へ。神経痛ではなく、筋肉痛と言われ、その周囲を緩めていただく。同じ痛みでも理由が筋肉痛なら心配することもないか、とひとまず安心。

胃腸の不具合も、胸の痛みも、今回の右胸下の痛みも、それほど強くはないものの、依然としてわたしの中に留まっている。きっと回復の過程とはそういうものなのだろう、それにイエスの受難を覚える聖週間であってみれば、この痛みもまた恵み。と、そんな感じで過ごした1週間だった。

さて、イースターの日。二つのおしごと。
ひとつは、理事をしている保育園の卒園式に出向いて来賓挨拶でお祝いの言葉を述べること。もう一つは夕方、英語教室を終了する中学2年生のクラスのパーティー。
その間に2時間たっぷりお昼寝もいれて、この二つのことはつつがなく終えることができた。

保育園を卒園する子たちは4人。今年は保育に入ることはほとんどなかったけれど、その前の年には月に4、5回入っていたから、彼らとの思い出も沢山ある。読み聞かせの時間をとても楽しみにしてくれていて、もう一冊、もう一冊と何冊も飽きずに聴き入ってくれるのが嬉しかった。英語の本がなぜか好きで、今日、英語の本、持って来てくれた?といつも聞かれ、持って来なかった時には、家に取りに戻るはめになった。そんな彼らには、思い出にとエリック カールのBrown Bear の絵本をプレゼントする。
彼らは31日までは登園してくるので、それまでに一度、最後の読み聞かせに出向くことにした。

英語教室、中2クラスの4人のうちの一人は、その保育園の主催で行われていた親子の英語あそびに3才前から来ていた子、もう一人は、やはりこの保育園を会場にして行っていたつくしんぼ英語教室時代、幼稚園児クラスから来ていた子。
12年から10年のかかわりということになる。こんな風に、彼女たちの成長に関わらせていただけるなんて、なんてありがたいことだろうか。
毎週の教室は今年度で最後になるが、この学年の子たちとは、月に一度、英語の本の読書会をすることにした。それなので、これからもつながりは続くことになる。今読んでいる、ナルニア国物語を読み進め、その時に応じて、様々なジャンルの英文から取り出した3分ほどの朗読や暗唱に相応しいテキストを用意して読んでいくようにしようというプラン。2人は英検準2級か合格し、後2人も次回のテストでは合格することだろうから、2級程度のテキストがよいだろう。日本の民謡、グリム童話、アンデルセン童話、聖書、有名なスピーチ、岡倉天心の茶の本や、内村鑑三のものの中にも見つけられそうに思う。

さて、これを書いている今はイースターの翌日の朝のベッドの中。
今朝の外はどんなだろう。
身体の調子はどうだろう。
歩く支度をしなくては。


2016年03月20日(日) 受難週の始まりの日に

3月16日、退院後初めての早朝ウォーキング。あれから毎日続いていて今日で5日目。昨日は雨が降っていて、今朝は風が強かったが、それがまたよかったりする。もともと人の姿があまりない道なのだが、昨日も今日も歩いているのは、わたし一人だけ、なんだか贅沢な空間と時間。

この道、綾瀬川に沿って6キロほど伸びているジョギングロードを、わたしは、祈りの道とか伊奈コンポステーラとか呼んでいる。運動が目的というよりは、歩く瞑想の時間。フランスの巡礼路を歩いた時の気分がここに繋がっているといっていい。人生がひとつの巡礼とするなら、生きる事のベースになる行為のようにも感じている。

この季節には菜の花の柔らかい緑の葉に黄色の蕾が膨らみ、高い空の上から雲雀の楽しげな囀りが聞こえてくる。川辺には鴨や白鷺、運がよければ、美しいカワセミも会える。
広々とした田畑の中を通る道なので、視界は遠くの家々やその向こうに霞む山々まで、広がり、空はそのスパンと開けた空間の上に遥かに広がり、道に立って360度回転すると、丸い地球の只中に、遥かに広がる宇宙の中にぽつんと立っている自分がいて、その自分が地球のそして宇宙の創造主と繋がっているような感覚がおこる。不思議な幸福感である。

この道を早朝に歩くようになったのは2年前のこの季節。受難節の40日間、毎朝歩いたことがきっかけだった。初めは時折の断食同様、イエスの受難を覚える事として始めたのだか、それは喜びとなり、楽しみとなり、受難節が終わっても年間を通して歩き続けることになった。

今回33日の入院生活で一番憧れたことは、この朝の歩行だった。だから、また、この道を歩けるということがしみじみと嬉しい。身体の調子をみながら、速度をゆっくりしたり、距離を短かくしたり調節しながらだが、往復1時間歩ける日もある。こうして、回復の状態を確認していく行為にもなるのだろう。

そして今日は東久留米の聖グレゴリオの家の棕櫚の主日のミサに参加することができた。
夫の車でではあったが、退院後の初の遠出だった。
去年は、復活徹夜祭に参加し明け方4時からの復活祭のミサにあずかったが今年はさすがにそれは無理なので、せめて今日のミサには出たいと思っていたのだ。
昨日は、棕櫚の主日のグレゴリオ聖歌を聞いたり歌ったりして準備もしていたから、今日は聖歌隊の方々に合わせて歌うこともできた。復活祭までの1週間の受難週をこのように始めることができたこと、心からうれしい。


2016年03月15日(火) 日にち薬

日にち薬という言葉を今度初めて知った。一日一日の時間、それが薬ということなのだろう。病気になっても薬を飲めば直ぐに治る。手術で悪いところを取り出したのだから、後は直ぐに元の身体に戻るはず、と、そんな気持ちが強いものだから、ついつい、すっきりしない身体を恨めしく、また、焦りに思ってしまうが、身体が癒えるのには時間がかかるということなのだろう。日にち薬。

胃の痛みは和らいできたが、ここ何日間か、時々、胸が痛くなることがあり、それが何に寄って起こるのか分からず、また、胸の痛みというのは、胃腸の痛みとは違い、何か不安のようなものを伴うものだから、金曜日の診察を待たずに、昨日病院へ行ってきた。血液検査、心電図、レントゲン、どれも異常はないので、逆流性食道炎かもしれないと、今日は朝一番で内視鏡検査を受けたことだった。入院中口からの内視鏡検査はかなり辛かったので、今回は鼻からやってもらうことにしたが、私の場合はこちらの方が断然楽だった。気がつくと、目の前に大写しのモニターがあり、わたしの胃の中の様子が映し出されている。前に潰瘍のあったところは治っているようだ。

で、検査後の診察、検査担当の医師が言っていたように、胃潰瘍は治癒しているということ、これはよかった。で、今回の検査で明らかになったことは、バレット食道になっているということ。
このバレット食道というのは、本来、食道は扁平上皮という粘膜でおおわれているが、その粘膜が、胃の粘膜に似た円柱上皮に置き換わった状態で、そこにがんが生じる率が高いので、バレット食道が見つかった場合、最低1年に1度、内視鏡検査の検査をするということになっているらしい。毎年内視鏡検査をするなんて嫌に決まってるが、今回のように鼻からであれば、まだ我慢できる。しかたないか。

このバレット食道は逆流性食道炎が長期的に続くことでなるらしく、不安な感じを伴う胸の痛みはこのバレット食道に伴うもののようだ。
痛みの原因が分かってみれば、不安も消える。今までどおり、胃酸を押さえる薬や、胃や食道の粘膜を保護し、治療する薬5種類の薬をいただいて帰る。
薬を飲み、胃に負担のない食事をすることだな。
そして 日にち薬。


2016年03月09日(水) ごろりとなりながら


今、愛猫のしろと一緒にごろんと横になっている。昼寝の習慣も、昼間にごろりとなる習慣もなかったのだが、昼食から、クラスの始まる1時間前までは、努めてごろんとなって身体を休めるようにしている。
相変わらず、胃の重さや痛みはあるが、食べ物は美味しくいただけるし、夜も、1度目が覚めるほどで、後は比較的良く眠れる。胃腸がすっきりとすれば、もう何だってできるのだろうが、あたかも動きだそうとする身体にブレーキをかけるように、胃腸がまだ治ってないよと主張する。

けれども、回復していることは確かだ。ここのところ、起きるとすぐヨガマットを敷き、1時間ほど、呼吸法とヨガをしている。
1時間のヨガの入門クラスを意識しながらやってみる。身体のどの部分が回復しているか、どこにまだ問題があるのかが良く分かる。ターゲットとなるポーズを無理にやろうとするのではなく、動かせる範囲で、できるだけ効果が上がるような動きに持っていく。この工夫は、どんなポーズも苦なく出来ていた頃より、初心者向けのクラスの指導者としては、よくなっているのかもしれない。

英語教室の方は3月7日で振り替えクラスが終了したので、昨日から一日2クラス限定で、3月のクラスをスタートした。子ども達は相変わらず元気だ。その元気に載せられて、わたしも結構普通にやれる。けれど、以前のようなエネルギーは戻っていないので、できるだけ、子ども達に発音させたり、読ませたり、ゲームをリードさせたりという場面を作り、省エネを心がけるようにしている。このことも、子ども達にとってはその方がよいのだ。
彼らにできるだけ多く活動させ、わたしは、観察する側に回る。
さて、今日は小1クラスと小6クラス。いかに子ども達に生き生きと活動させるか…


2016年03月04日(金) お仕事、ゆるゆると開始

今回の病気が分かり、長期入院となった時も、退院が延びることになった時も、真っ先に頭に浮かんだことは、英語教室のことだった。
1ヶ月以上、クラスによっては2ヶ月近く、クラスがお休みになってしまう。
せっかく1年間のまとめに入る時期なのに。英語教室を楽しみにしてくれる子もいるし、4月から中学生になる子達には、中学英語の準備もしたい、中学2年の4人は英検準2級の試験が間近だし…と。
で、手術の前、クラスがない間は、自分で今まで習ったこと復習したり、CD聞いたりしてね、と子ども達にメッセージ送ったりもした。
退院しても思うように本調子にならないので、すぐにクラスをスタートする訳にも行かず、カレンダーとにらめっこする日々。
でも、1日に1クラスならなんとかやれると、渋る夫を説得し、一昨日、昨日とクラスを再開。
このペースで7日までに1月分の振り替えクラスを終え、15日からは、1日に2クラスということで、3月末までのクラスのプランニングをし、3月のクラスのお知らせを保護者に出し、ようやく気持ちが軽くなった。幸い春休みがあるので、調整もなんとかなるだろう。

3月15日締め切りの確定申告も気になっていたことのひとつ。今日までに、申告の材料、レシートの整理や出納簿の集計は何とか終わり、後はネットで書類を作成するのみ。すぐに調子が悪くなるパソコンにうんざりさせられながらの作業だが、締め切りには間に合うだろう。

また今日は、退院後初めての外来だった。
1週間振りにお会いする、主治医の先生から病理検査の結果をデータや画像を見せていただきながら、詳しく説明いただいた。
手術前の説明ではステージ2ということだったが、他の組織への広がりがないので、ステージは1のBということだった。
数字が全てではないけれど、これで、5年後生存率は40パーセントから90パーセントに跳ね上がる。
この事を家族のLINEで子ども達に伝えると、
長男から「れおの子どもを抱っこして、絵本を読んでもらわなくちゃならないからね」と、レスがある。
ひ孫を抱くには後20年⁈
そういゃぁ、母も、義母も、ひ孫のれおを抱くまでは生きていたんだものね。もう一人のれおのひいお祖母ちゃんは、まだ、ばりばりお元気でシャンソンなんかを歌っていらっしゃるのだし。
先のことは分からないとしても、永遠に生きるかのように夢みていよう。
と、気持ちは晴れ晴れと明るい。


2016年03月01日(火) 豆のカレーを食べた日


朝から台所からは、カレーのスパイスのいい匂い。
この日は、去年のヨガフェスタの時、スパイスのお店で買っていて、そのまま放置していた、豆のカレーのセットを使って辛くないカレーを夫が作っている。スパイスセットの中の唐辛子を入れずに作るのだか、辛くなくても、カレーの香りはよいカレーになるはず。

カレーを煮込んでいる時、近所のヨガ仲間が、お見舞いに来てくれる。彼女は、昨年9月からスタートした、区民会館でのヨガサークルのお世話をしてくれているのだが、急に2月、3月のヨガ教室をキャンセルすることになり、連絡などの労を取ってもらった。
手術する前は3月からでもヨガ教室できそうな気がしていたが、そうもいかない。4月からは何とかスタートし、できれば、去年のように桜の花の下でヨガができるといいなと思う。
彼女の話しで大いに励まされたこと。
それは彼女のお父さんが、59歳(今の私の年)で喉頭癌の手術をし、その後膀胱癌、肝臓癌を治療しながら、お仕事もなさり80歳過ぎまでお元気だったという話。終始、諦めないで、様々な治療には取り組んでこられたということ。あやかりたい。

胆管癌は再発の確率が高く、データによれば、手術でがんがすべて取り切れた場合でも、5年間生存率が40パーセントから50パーセントとある。
50パーセントしかないと考えるか50パーセントもあると考えるか、
5年間もないと考えるか、5年間もあると考えるか、そこで気分は随分変わってくるな。

いつだったか、卒業生を送る言葉を書くように、複数の小学校から頼まれたことがあり、
その時、わたしが書いた言葉は、マハトマ ガンジーのこの言葉だった。
今、その言葉が今まで以上に深い意味を持ち、私の後ろ盾になってくれているように思う。

Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.

あたかも、明日には死ぬかのように生きなさい。
あたかも、永遠に生きるかのように学びなさい。


朝の豆カレーの話が、ガンジーの言葉で終わってしまったが、
インドつながりということで。

豆カレーは辛さと油脂、塩分控えめの身体に優しいカレーだった。
昨日買ってきたひよこ豆やレンズ豆でも作ってみよう。


たりたくみ |MAILHomePage

My追加