たりたの日記
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2014年02月21日(金) ヨギーニ ということ

さて、わたしとヨガの付きあいは長い。おそらく、この日記よりも長い。そもそもの出会いは30代半ば、二ュージャージーに住んでいた時に、友人のキャロルから誘われて公民館のようなところで開かれているヨガ教室に行ったのが最初だった。

薄暗い部屋で瞑想、呼吸から始まり、インストラクターによる話が印象的だった。キャロルも私も、同じルーテル教会の会員で日曜日ごとに家族ぐるみで礼拝に出席するというクリスチャンではあったが、何か東洋の神秘主義に少なからず興味を持っていたのだ。そのインストラクターは人のオーラが見えるらしく、オーラについての説明などしていた。

次なる出会いはこの町に住むようになってしばらくし、近く県民センターで行われていたヨガサークルに通うようになった。18年ほど前のこと。その時はインストラクターが仏教のお寺で行われているヨガのメンバーだったので、ヨガのレッスンの前にはみなで般若心経を唱えるところから始まった。わたしは般若心経の思想は好きだけれど、御経を唱えるのには抵抗があったので、一人だけ唱えずに聞いていたのだが、そのインストラクターを通じて、ハタヨガの基本をきっちり学ぶことができた。

面白かったのは、そのインストラクターがヨガ哲学の話を始めると、ぱっと彼女ののどの辺りが美しい緑色の光で覆われるのが見えることだった。あぁ、これがオーラなのだなと思った。ヨガをすることで、ヨガで言うところのチャクラが開き、わたしにも部分的にオーラが見えたのだろう。それ以来、とりわけオーラが見えるようになったという訳ではないが、人間の目には見えないことが沢山あることは実感として持っている。

その後10年ほど前からスポーツジムに通うようになり、宗教色の全くない、ビランクスヨーガというネーミングの運動としてのヨガへと切り替わる。ここではかなり無理なポーズも次々と紹介されるので、いろいろなアーサナができるようになっていった。

フルタイムの仕事をした3年間はジムには通えなかったが、朝5時に起きて、まず12分間のヨガをするということを日課にしていた。iPhonenのアプリで、自分のヨガメニューを作り、インド訛りの英語でしゃべるインストラクターに導かれてのヨガ。一日往復4時間の通勤や自転車やバスを使っての日々の出張にも耐えられたのはもしかしてこの朝ヨガのおかげだったかもしれないとも思う。

さて、そうして今再びのヨガ熱。この1月から行き始めたスポーツジムはヨガのプログラムが豊富で様々なタイプのヨガ、インストラクターがいる。ホットヨガはとりわけ魅力的だ。一昨日のホットヨガのクラスでインストラクターが、ヨガをする女性のことをヨギーニと言いますとレッスンの中で語った。初めて耳にする言葉だったが、自分に新たな名前が与えられたようでなんだか嬉しく思った。

ヨガをする女性、ヨギーニ。これは単に運動としてヨガをするというのではなく、日々の呼吸を大切にし、瞑想の時間を持ち、自分の身体と精神に心を配り、ホリスティックな生き方を心がける女性という意味が含まれているのだと思う。

ま、肉も食べるし、ケーキも食べるし、マイクロビオティックは私には無理な話しだけれど、ヨギーニの自覚を持って過ごしたいと思ったことだった。
 


2014年02月14日(金) 冒険好きなしろ

今年二度目の大雪。
この前の雪の時もそうだったけれど、我が家の男子猫 しろは雪が気になってしかたない。
猫はコタツで丸くなるはず。実際、ストーブのスイッチが切れていると、つけてよう〜とだだこねるし、家の中の一番暖かい場所にいつもいる。

それなのにもかかわらず、どうしても雪の中に出たいのだ。まるで子どもね。
けれど、もう夜中。いくら外は雪明かりで薄ぼんやり明るくても、昼間のようにはいかないでしょ。わたしの顔を見てはしつこくお願いするので、庭に通じるガラス戸を開けてあげる。どうせ、冷たくて、すぐに入ってくるだろうと思ったのだ。

ところが、初めての夜の外出ということもあってか、彼は躊躇もなく、真っ白な雪の中に、野うさぎのように、ぴょんぴょん跳ねて行ってしまった。夫が連れに行くと、捕まるもんかとばかり、どこかへ行ってしまった。
待つこと1時間ばかり。ようやく鳴き声が聞こえた。これは、もうお家に入りたいという合図。
家の前の道で、ブルブルと震えているしろを無事保護。
どこで汚したのか、お腹の毛がすっかり黒く汚れている。二人がかりで、シャンプー。

ほんと人騒がせな猫だけど、夜の雪の中を冒険できて、良かったね。
マンション暮らしだったしろにとっては初めての体験だものね。

それにしてもこの好奇心旺盛なところや、冒険好きなところは、彼のもともとの飼い主の長男と何とそっくりなことか。


2014年02月10日(月) 愛に関する7つのソネット

ふと過去に綴った2月の日記を開いてみて、面白いものが見つかった。
2003年の2月10日から16日にかけて、愛をテーマに綴った 7つのソネット。

今はとてもこんは風には書けないなぁと、少々あきれ、その頃見た、デュラスの映画や好きだったビョークの歌や映画のことが蘇ってきた。
ここで閉じてしまえば、もう取り出せなくなるかも…
バレンタインデーも近いし、
ここにアップしておくとしよう。

たりたの日記 :7つのソネット

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2014年02月09日(日) こんな日曜日

今日の日記をソファーに寝っころがってiPhoneで書いてみよう。
たっぷり降った雪の中、トレッキングシューズに、スコールパーカーにザックという、まるで冬山に行く格好で、電車に乗り、日曜礼拝へ。
礼拝の後、来週奏楽当番なので、オルガンの練習をし、バスでジムへ。ピラティスのレッスンを2本やって、2時間温泉へ。

先月、これまで10年以上通ってきたコナミクラブを上尾駅側のゼクシスに変えた。
料金が半額以下でしかもキャンペーン中だったので、緊縮財政の折、やむなく変えたのだか、このジム、とっても気に入ってしまった。大好きな温泉があるんだもの。その上、露天の温泉、岩盤浴、サウナにはリョウリュウもあり、何より嬉しいのは、ヨガやピラティスやストレッチ系のクラスが一日に何本もあること。この一ヶ月は、毎日のようにヨガ&温泉という、まるでヨガのリトリートに来ているようだった。お金のかからない、仕事しながらやれるリトリート。
コナミ時代ではエアロやラテンやヒップホップとダンスに開眼したことだったが、新たなスポーツクラブはこれからの老後生活にはより相応しい。

でもジム通いにうつつを抜かし、新年の抱負にした、伊奈コンポステーラを歩くということが出来ていない。あのスパンと開けた空間を歩くスピリチュアルな感覚はジムでは得られない。
明日はまだ残る雪野原の中を歩くとしよう。


2014年02月08日(土) 大雪の日

今日は20年振りの大雪になるという予報。
予定していた教会での一日研修会への参加を見合わせ、一日家で過ごす。

窓からぼんやりと降り積もる雪を眺めていた。
せっかくの雪の日なのだから少しでも外へ出てみれば良かったがそれもせず、
ただぼんやりと心が彷徨い出す方向を追いながら、それでも聖書を読んでみたり、リコーダーを吹いてみたり、スパイスをたくさん使ってキーマカレーを作ってみたりした。

日々の中には、こうした、夢と現とが入り混じる日もあるに違いない。
父のこと、その葬儀のこと(2月4日が父の三回忌の命日だったから)、ふるさとのこと、十代の自分のこと、そこから過ぎた40年もの月日のこと、これから命が終わるまでのこと、取りとめもなく…
静かに雪は降り続け、降り止まないまま…


2014年02月07日(金) 「月下の一群」を手にした日

立ち寄ったカフェで、堀口大学の訳詩集「月下の一群」の復刻版を手に取った。

思っていたよりも分厚い本で、それは美しい装丁の詩集だった。
若い頃からこの詩集のことが気にかかっていながら、その一冊を手にするのは初めてのことだった。

十代の頃に暗誦し、変わらずに好きなその詩もそこにあった。
なぜ、この詩が好きだったのだろう、他の詩ではなく・・・
たくさんの「なぜ」と同様、答えは見つからない。

けれど長い時間をかけて好きだったものは、その表面的なものではなく、その核にあるもの、「魂」が好きなのだと、そんな発見があった。

何かが自分自身の魂と触れ合っているのだろう。
そしてそれはいつの間にか自分の一部にもなっているのだろう。

それだから何年も経って再会したとしても、特別な懐かしさと親しさがそこにあるのだろう。



      ミラボー橋   

                 ギョーム・アポリネール
                 堀口大学 訳


ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
     われ等の恋が流れる
    わたしは思ひ出す
悩みのあとには楽しみが来ると


    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る


手と手をつなぎ顔と顔を向け合はう
     かうしていると
    われ等の腕の橋の下を
疲れた無窮の時が流れる

    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る

流れる水のやうに恋もまた死んでゆく
     恋もまた死んでゆく
    命ばかりが長く
希望ばかりが大きい

    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る


日が去り月が行き
     過ぎた時も
    昔の恋もふたたびは帰らない

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る



    



2014年02月06日(木) ヴァイオリンのこと

ずいぶん長い間、調整を怠り、弾けなくなっているヴァイオリンを専門の楽器店の持ちこむ決心をした。

決心と言えば大げさだが、その大げさな言葉がふさわしいほど、20年もの間、その楽器を仕舞い込んでいたのだ。

この楽器は、19世紀のはじめ、チロル地方の工房で造られた古い楽器で、NJ滞在時代、ニューヨークのヴァイオリン工房で買ったものだった。
その当時は教会の聖歌隊に入っていて、ディレクターから乞われるままに、パイプオルガン、チェロ、フルートの奏者と共にヴァイオリンを弾く機会があった。また葬儀や結婚式の中で、パイプオルガンの伴奏でヴァイオリンをソロで弾くというシチュエーションもあり、それまで使っていたドイツの楽器を下取りしてもらってアンティークな楽器を手に入れたのだった。

けれど日本に戻ってきてからはアンサンブルの仲間もおらず、ヴァイオリンを弾く機会はなくなり、仕事と家事を両立させるのが精一杯という日常にヴァイオリンの出番はなかった。

何しろ古い楽器、中身がどんな具合になっているのか恐ろしく、ケースのふたを開けるのも憚られた。夢の中には時折、毛がばらばらになった弓と、ボディーが割れているヴァイオリンが登場していたから、実際の楽器もそんな風になっているような気がしたが、ケースを開けてみれば、差し当たり、壊れてはいなかった。

ともかくもこのヴァイオリンの調整と修復をすべく、専門家のところに持っていくことにした。このままではベートーベンの時代から生きてきた楽器に対して申し訳ない。
修理をした上で、もう一度ヴァイオリンを弾くか、そうでなければ、誰かに弾いてもらえるよう手放すかするのでなければ。





昨日(2月7日)に楽器店に持っていったところ、この楽器は長い間に渡り、様々に修理されながら生き延びてきた楽器で、これほど手が入っているということは楽器として価値があるからだということだった。糸巻きの交換だけでなく、もっと複雑な修理もする必要があり、かなり値の張るリペアとなりそうだ。今までほおっておいたのもそういうことの予測がついたからだが、こうしたことは長い年月を生き延びてきた楽器を持っているものの責任なのだろう。


たりたくみ |MAILHomePage

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