たりたの日記
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2012年01月29日(日) インフルエンザに見舞われる

良く朝になっても熱が下がらず、40度近くになっているので、夫に伴われて病院へ。検査の結果、インフルエンザA型。熱が下がってから3日間は外出しない事と言われ、リレンザという吸入式の薬を5日分もらう。
インフルエンザは10年以上も前に1度かかったきり。周りがインフルエンザにかかっても私はうつらないと予防注射も打ったことがなかったのに、やはり免疫力が落ちているのだろう。

でも、インフルエンザともなれば職場へ、とりわけ小学校へ出向くわけにはいかないから今週は仕事は休むことになる。身体を休めることはできるのかも知れない。とすれば、恵みのインフルエンザか・・・
しかし、この時の苦しさと言ったらなかった。乳癌の手術よりもしんどいと思った。あの時には手術の直後というのに本も読めたし、メールも打てたが、あの時のような元気はなく、ただただ打ちのめされていた。

このお陰で2月1日からスタートすることになっていた放射線治療が1週間延期となる。術後遅くとも6週間以内に始めなければならないということだが、何日か遅れることになってしまった。

前日からの夫の甲斐甲斐しく、ゆき届いた看病に感謝。


( 2月19日に記す )


2012年01月28日(土) 風邪でダウン

朝から体調不良、熱がある。風邪を引いたらしい。一日寝て過ごす。
明日は月2度の英語教室の日。手術の後もお休みすることなく、親たちにも知らせないままだったが、明日4クラスを行うのは無理と判断。今の状況や今後の治療のことなどもメールで知らせ、お休みのお願いをする。

寝ていると、熊本に住む弟から父の具合が良くないとの電話。ベッドの中で祈り続ける。

( 2月19日に記す )


2012年01月27日(金) ようやく週末

25日は作業日、26日、27日学校訪問。
ようやく今週の仕事を終え家へ帰れる日。

大宮駅で夫と待ち合わせをしていたのだが、夫は待っているわたしに気が付かなかった。日頃のオーラがまるでなく、そこにいる人々の中に埋もれてしまっていたからだという。

元気をつけようと韓国風鍋料理を食べて帰宅。

( 2月19日に記す )


2012年01月24日(火) 雪の日の学校訪問

前夜から雪。交通渋滞。自宅から通勤していたら2,3時間の遅れになっていただろうが、それでも8時12分のバスが20分遅れ、職場の就業時間に遅れること7分。わずか7分の遅れでも1時間分の欠勤として給与より1300円だか引かれることになる。

この日の学校は自転車で行けば30分ほどのところだが、バス2台乗り継いでいくと1時間近くかかる。しかも雪の日、バスは待てど暮らせど来ない。あきらめて、駅まで歩き、電車で。そこでまたバス待ち。寒い中で凍えながらバスを待つこと5回。授業そのものよりも、役所から学校までの往復が大変だった。この3年間の中で一番辛い学校訪問として記憶に残ることだろう。

疲弊しきって職場に戻ると、若い同僚達も、みなぐったり疲れた面持ちで戻ってきた。
「疲れたね〜」
「今日は、ほんとに折れそうになった」
とそれぞれの苦労を話す。

一時間以上バスを待っていたけれど、来ないし、学校まで辿りつけそうにないからあきらもて庁舎に戻ってきた仲間や、一時間近く歩いて戻ってきた仲間もいた。

ともかくも復帰後初の学校訪問は、かくも厳しいものだった。

( 2月19日に記す )


2012年01月23日(月) 職場復帰一日目

午前中、聖露加病院で骨密度検査、3月からのホルモン治療に備えての検査で結果は
腰椎の骨密度1.183g、若い人との比較値は117%、同世代との比較値は136%
大腿骨、0.749g。若い人との比較値は95%、同世代との比較値は1126%だった。
今後、ホルモン治療の副作用で骨密度が落ちていくそうだが、スタート地点が高いのが救いだ。


午後から職場へ。今日は庁舎での作業日。役所の机に着き、仲間に囲まれてみると、昨日までここで仕事をしていたような気持ちになる。仲間のねぎらいが暖かく嬉しい。
職場にはルピシアのフレイバーティーを4種類、お土産に持っていった。

自宅からの通勤は無理だと思い、1週間は最寄の駅側のホテル泊。


( 2月19日に記す )


2012年01月22日(日) 明日から職場復帰

明日からいよいよ仕事。
仕事そのものは9日休んだことになるが、1か月ぶりの職場だ。
不安はあるが、無理しないようにやっていこうと思う。
とにかく精神的、肉体的にストレスを貯めないように気をつけて。

休み中の課題にしていた、夢十夜の録音は何とか今日で最終日を迎えた。
編集ができるタイプのソフトを使わずにやったので、一か所でも読み違えるとまた最初から録音し直すことになり、思った以上に時間がかかった。でも集中力を鍛えるためには、この方法で良かったのかもしれない。朗読のステージなど、人前で読む時にはやり直しが効かないのだから。

さて、仕事モード。
明日からしばらく日記も書けなくなるかな。


2012年01月12日(木) 「夢十夜」の朗読

 11月26日の日記に、夏目漱石の「夢十夜」の朗読のアップを冬休みの課題にすると宣言していた。
この時には12月25日からの入院が決まっていたので、入院中、することがなくて暇だろうから病室で朗読をアップしようとふとどきなことを考えていたのだ。入院の荷物の中にテキストや朗読ワークショップのノートを入れていたが、考えが甘かった。とても朗読するような力は湧いてこなかった。

 お正月に我が家に来てくれた孫に絵本を読んであげようとして読み始めたものの、2ページも読むと疲労を感じ、声を続けて出せなかった。お雑煮は作れても朗読はできない。声に出して読むということは思ったより以上にエネルギーがいることなのだと知った。

 で、「夢十夜」の朗読のことなのだが、三日前から朗読を再会した。せっかくなら冬休みの課題にしていた、「夢十夜」を一夜から順番に練習し、ボイスブログへのアップしようと思った。声が出せる。一つの作品を何度も続けて読めるほど身体が回復していることが実感できた。

 仕事は20日までお休みをいただいているので、一日一作をアップしていくことを休暇中の課題としよう。

     ↓

ボイス・ブログ「朗読の庭」







2012年01月10日(火) 北村透谷著「内部生命論」を読む



1月の正津ゼミの課題テキストは北村透谷の著名な論文「人生に相るとは何の謂ぞ」と「内部生命論」になっている。前者の方は読んでも良く分からない。しかし、「内部生命論」はとても良く分かる。共感を覚える。それこそ、透谷の内部生命がこちらの内部生命を照らし、その熱さが移ってくるような「動き」さえ感じる。100年前以上も前に25歳の若さで自死した、その若者の言葉と語り口調に惹かれるものがあった。

 だが、透谷が熱弁を奮って語っていることは、わたしとしてはすでに理解していることで、目新しいことでも何でもないという感覚も一方にある。
 ということは、透谷が必死で伝えようとしたことが、その後100年ほどの年月を経て、わたしのような詩人でも哲学者でもない者さえ、それを自分の生き方や考え方の核にするほど、この日本の地にも行き渡ったということではないだろうか。
 透谷の言う、被造物としての人間、被造物が創造者の声を聞くインスピレーションの存在、人間を人間たらしめるものが、その人間の固有の魂、つまりは内部生命であるといった思想を、今を生きるわたしたちは、自覚しないまでも、自分のものとしているのではないだろうかと、そんな気がしてくる。

 透谷が主張することを、わたしたちは古今東西の文学者や哲学者、宗教家を通して知らされてきた、その思想を背後に持つすぐれた芸術作品に出合ってきた。そうした外からの影響や知識が自らの経験とひとつになり、透谷の言う「内部生命」が自分を自分たらしめていることを認識している人達はけっして少なくないのではないかと思うのだが・・・。


それにしても、このように「内部生命」について熱く語り、世の中に対して戦いを挑むというような強いエネルギーの持ち主が、この文章を書いた翌年に自死したのだろうか。
 彼の死の理由を知りたくて、永畑道子著の「そう蝶ー透谷の自殺」を読んだ。
 結婚生活への失望、恋心を抱いていた教え子の死、生活苦、本人の実力が評価されないことへの消沈、キリスト教会との確執、脳病に侵されつつあることへの不安と、ありとあらゆるストレスを抱えていたことを知る。

 わたしは透谷の死の直接の原因は、そういったストレスから来る鬱病であったのだろうと思う。鬱病は自らの死を自分で止めることはできない病。
 彼が自分の生き方や信仰に絶望し、それを捨てたというのでなく、彼自身の内部生命を精一杯傾けて、彼にしかできない仕事をやり通した、その結果としての死だったのだと思う。

 この世での務めを終え、この世の向こう側にある世界へひょいと飛び立った。
 短い一生だったが、彼の言葉はこうして今も生きている。彼の内部生命とこうして交流ができるということ自体が、彼が信ずる「霊魂不朽」ということを証明しているように思う。


以下は、自分の読解のためのノート

                         
『人間は到底枯燥したるものにあらず。宇宙は到底無味の者にあらず。一輪の花詳(つまびらか)に之を察すれば、万古の思あるべし。造化は常久不変なれども、之に対する人間の心は千々に異なるなり。』


この論文はこんな文章で始まる。ここで使われている造化(ぞうか)という言葉に、後の文脈の中ではネイチャーとルビが振ってある。いきなり、宇宙である。自然である。そして彼は被造物である人間をネイチャーと並べて、その価値を解くのである。この自然賛歌、人間賛歌は、キリスト教の思想の故だと、また彼は断言する。



『吾人は人間に生命ある事を信ずる者なり。今日の思想界は仏教思想と耶教思想との間に於ける競争なりと云ふより、寧ろ生命思想と不生命思想との戦争なりと云ふを可とすー中略ー生命と不生命、之れ即ち東西思想の大衝突なり。』



 と、生命を教えるキリスト教と生命を教えない仏教を対比し、彼がこれから説こうとすることがキリスト教の思想を背景に持つことをここで明らかにしている。
 そして自分の使命は、キリスト教で言うところの生命の木なるものを人間の心の中に植え付けることだと宣言する。さらには生命を説かずに宗教は語れず、哲学も、信仰も、道徳も、政治的自由も、すべて生命を教えるものでなくてはその意味をなさないと言う。

 そうした前起きをしたうえで、文芸上の生命の動機について語るのである。
 美しくはあってもそこに思想のない文芸を否定し、思想はあっても芸術性のない文芸を否定し、勧善懲悪のピューリタニズムを否定する。透谷はキリスト教の信仰は持ち、伝道などのキリスト者としての役目を果たしつつも教会を批判している。教会の中にある、表面的なピューリタニズムが透谷の生き方とは合わないものだったからなのだろう。


『文芸は思想と美術とを抱合したる者にして、思想ありとも美術なくんば既に文芸にあらず、美術ありとも思想なくんば既に文芸にあらず、華文妙辞のみにては文芸の上乗に達し難く、左(さ)りとて思想のみにては決して文芸といふこと能はざるなり、此点に於て吾人は非文学党の非文学見に同意すること能はず。先覚者は知らず、末派のポジチビズムに於て、文学をポジチーブの事業とするの余りに、清教徒の誤謬を繰返さんとするに至らんことを恐るゝなり。』


 また当時の日本の文学に対しては、人間の生命の根本を愚弄するもので、彼らは愛情を描いてかいるが、それは肉情的愛情のみで、プラトン、ダンテ、バイロンなどが表現する恋愛とは別物だとする。また節義や善悪を説いていても、それは人形を並べているようなもので、人間の根本に生命の絃に触れるものではないと痛烈に批判する。透谷はドスト・エフスキーの「罪と罰」についても論文を書いているから、日本文学の概念にはなかった、人間の原罪、それとの葛藤といったテーマで書かれている西洋の文学に比べて当時の日本文学に対して面映ゆいものを感じ、何とかしなければという焦りのようなものを感じていることがうかがわれる。

 根本の生命を伝えることが文学者の務めで、詩人や哲学者の仕事は人間の内部の生命を語ること以外にないとする。その内部生命はそれぞれの人間に固有のもので、神以外に、この内部生命を動かすことはできないと主張する。
 詩人や哲学者は人間の内部生命を観察してそれを現すのだが、冷静に観察するというのではなく、内部の生命の様々な表出を表現するのでなくてはならないとする。


『詩人哲学者の高上なる事業は、実に此の内部の生命を語(セイ)るより外に、出づること能はざるなり。内部の生命は千古一様にして、神の外は之を動かすこと能はざるなり、詩人哲学者の為すところ豈に神の業を奪ふものならんや、彼等は内部の生命を観察する者にあらずして何ぞや(国民之友「観察論」参照)、然れども彼等が内部の生命を観察するは、沈静不動なる内部の生命を観るにあらざるなり、内部の生命の百般の表顕を観るの外に彼等が観るべき事は之なきなり、即ち人性人情の Various Manifestations を観るの外には、観るべき事は之なきなり。』


 詩人、哲学者の観察眼はインスピレーションに寄るものでなくてはならない。詩人、哲学者は、人間が被造物、神から造られたものであることを信じなくてはならないと主張する。
 創られたものとしての生命、ここに宗教の源泉があり、道があり、法があるとする。内部の生命」の何かを知り、インスピレーシヨンを信じる者でなくては、真の人間を観察し表現するものには成り得ないと語る。


『詩人哲学者は到底人間の内部の生命を解釈(ソルヴ)するものたるに外ならざるなり、而して人間の内部の生命なるものは、吾人之れを如何に考ふるとも、人間の自造的のものならざることを信ぜずんばあらざるなり、人間のヒユーマニチー即ち人性人情なるものが、他の動物の固有性と異なる所以の源は、即ち爰(こゝ)に存するものなるを信ぜずんばあらざるなり。生命! 此語の中にいかばかり深奥なる意味を含むよ。宗教の泉源は爰にあり、之なくして教あるはなし、之なくして道あるはなし。之なくして法あるはなし。-中略ー内部の生命あらずして、天下豈、人性人情なる者あらんや。インスピレーシヨンを信ずるものにあらずして、真正の人性人情を知るものあらんや。』


 では、透谷の言うインスピレーションとは何か。
インスパイアーされた詩人こそが、真の理想家で、インスピレーションを知らない理想化はなく、宗教が何なのかを知らない理想家もない。
インスピレーションとは宇宙の精神、すなわち神によるもので、人間の内部の生命に感応するものと語り、透谷自身の感覚としては、電気を感応するようなものだと言う。
 このインスピレーションが人間の生命を再造し、内部の経験と自覚を再造する。
 生命の眼を以て、超自然のものを観る。そして再造された生命の眼を以て、具体的に表現したものがその極致、つまり、力を尽くして最終的に到達するところだと結論づけている。


『この感応は人間の内部の生命を再造する者なり、この感応は人間の内部の経験と内部の自覚とを再造する者なり。この感応によりて瞬時の間、人間の眼光はセンシユアル・ウオルドを離るゝなり、吾人が肉を離れ、実を忘れ、と言ひたるもの之に外ならざるなり、然れども夜遊病患者の如く「我」を忘れて立出たちいづるものにはあらざるなり、何処までも生命の眼を以て、超自然のものを観るなり。再造せられたる生命の眼を以て。
 再造せられたる生命の眼を以て観る時に、造化万物何(いづ)れか極致なきものあらんや。然れども其極致は絶対的のアイデアにあらざるなり、何物にか具躰的の形を顕はしたるもの即ち其極致なり、万有的眼光には万有の中に其極致を見るなり、心理的眼光には人心の上に其極致を見るなり。』      

        (明治二十六年五月「文学界」24歳 )
                  


2012年01月07日(土) 「病気が逃げ出す生き方」を読んだ

ここのところ一日一冊の勢いで本を読んでいるし、3年間、ほぼ放っていた日記を続けて書いたりしている。療養中の身はありがたい。

さて、昨日は「病気が逃げ出す生き方」(安保徹・石原結實 著)という本を読んだ。
この本もお見舞いにいただいた本。下さった友人はやはり乳がんの手術をし、闘病中の
いわゆるブレスト・フレンズの一人。

昨日のオーラソーマについての日記でも病気の原因はストレスということを書いたが、この本でもそのことが書かれていた。なぜストレスが病気の原因になるかという点について二人のお医者さまが免疫学の立場からと血液内科の立場から分かりやすく語って下さる。
この本から学び、実行しようと思ったことをリストアップすると、

・まじめすぎる生活を送っていると、ストレスを溜め込んでしまい、免疫力が低下して、病気にかかりやすい状態になる→ストレスの解放。
・低体温は万病のもと、体を冷やさないようにする。
・質のよい7時間ほどの睡眠を確保する。
・適当な運動を毎日続ける。
・朝食は人参とりんごのジュースだけ。
・玄米や野菜中心の食事をこころがける。
・お風呂にゆっくり浸かり、手浴、足浴も取り入れる。

ここに書いてあるようなことは実行不可能なことではない。
りんごと人参のジュースはもう習慣になっているし、玄米食に切り替えた。毎朝のヨガだけではなくジム通いをまたはじめ、歩いたり、ダンスをしたりすれば良い。時間があればできること。

ところで、この他に本の最後の部分に、交感神経を緊張させずにすむ方法として日記を書くことが勧められていた!
わたしにとってここに書くということは何より、身体と心に良いことだったのだと再確認。

しかし、ここ3年間は仕事から家に戻るとPCの前に座る元気がなかった。同様に運動する時間もなく、それまでの生活に比べるとかなりの運動不足に陥っていた。定期的に行っていた山行きができなくなったこともストレスからの解放を妨げていたのかもしれない。

この3年間のフルタイムの仕事はとても貴重な体験で、社会的な自分の役割を担うことができてほんとに良かった。また人生の中でこれだけ多くの人とかかわり、日々パフォーマーというような緊張の中に自分を置いたこともなかった。それと引き換えにいくつかのことが犠牲になるのは仕方のないこと。でも3年間が限界ということを、頭や心では納得しないわたしに、身体が身をもって教えてくれたのだろう。
さて、これからの日々は自分自身の心と身体の癒しだけでなく、他の人の癒しに、環境に対する癒しにもエネルギーが向けられていくような気がする。



2012年01月06日(金) オーラソーマ 4本のボトル

昨夜の日記に関連してオーラソーマ(カラーセラピー)のこと。
このセラピーのことを知ったのは5年ほど前になるが、これまで2度、4本のボトルを選び、2つ目のチャレンジボトルを買っている。

そもそも普段すっかり忘れているオーラソーマの本を開くということが、そこにある情報をわたし自身が必要としているということなんではないかと思う。

今回選んだのはこの4本。
実際のボトルではなく本の写真で選んだから確かな診断かどうか分からないが、結果はこういうもの。
ところで、このボトルを選ぶ時というのは、不思議なのだが、そのビンの色だけ浮き出したように、これしかないというように、向こうの方がその存在を示してくれるような感覚がある。

ネット上で見つけた写真のボトルの色はわたしが選らんだそれよりも少しくすんでいるのだが、ここは色を選んだというより、ボトルのメッセージを開いたという意味なのだろうから、最初のインスピレーションを大切にすることにした。

オーラソーマの考えでは、本当の病気(disesas)とは一つしかない。それは心が安らげない状態(dis-ease)でいることとある。

がんという病気は多くをストレスに寄っている。気がつかないうちに自分の心と身体にdisesasを育ててしまっていたのだろう。
色がもたらすメッセージに耳を傾けるのも一つのセラピーなのだろう。



選んだボトルに対しての診断はネット上のオーラソーマ無料診断にかけた結果


*1本目:「ソウル・ボトル」魂のボトル
ボトル番号 007
カラー イエロー /グリーン
ボトル名 Garden of Gethsemene(ゲッセマネの園)
あなたは本来、様々な知恵や精神的な強さを備えています。真理について学び、つねに心に自由を感じていたいと願っていて、その想いから行動する人です。内面の大らかで自由な感覚を表現して、周囲に調和をもたらすでしょう。このボトルの名前『ゲッセマネの園』とは、イエス・キリストが神への信仰を試され、最後の試練を経験した場所のこと。それに由来するこのボトルは、あなたにとって「信念と信仰」が人生のテーマであることを告げています。人類にとって何が必要かを理解し、自らの知恵や可能性を活かして、平和でよりよい世界の実現のために貢献することが、あなたの大きな使命と言えます。



*2本目:「チャレンジ・ボトル」 チャレンジ&ギフトのボトル
ボトル番号 089
カラー レッド /ディープマジェンタ
ボトル名 Energy Rescue (エナジー・レスキュー)
あなたのマイナスの側面として、ささいなことで怒りを強く感じてしまう短気なところと、自分の否を認めようとしない意地っ張りなところがあります。例えば、感情を爆発させたことで誰かを傷つけてしまった場合でも、自分の行為を正当化して相手のせいにしがちです。特に身近な家族や恋人に対しては、感情がストレートに出やすいので、関係に決定的な亀裂が入ってしまう可能性もあります。そんな自分の一面を理解したうえで、意識的にリラックスを心がけましょう。怒りやストレスをためこまず、こまめに解消することが大切です。根本的な解決を望むなら、このボトルのパワーが癒しを助けてくれます。


*3本目:「ヒヤ&ナウ・ボトル」 今、ここのボトル
ボトル番号 072
カラー ブルー /オレンジ
ボトル名 The Clown (Pagliacci) (クラウン(ピエロ))
あなたは、過去の痛みを手放す時期を迎えています。今こそ、自分の感情や欲求に対して正直になり、自分としっかり向き合う必要があります。心の奥にあるピュアな想い、“良心”の声に意識的に耳を傾けることがポイント。欲求が“良心”から来ているのか、それとも単なるエゴなのかは、心の温かさや歓び、安心感によって区別できるはずです。例えば、アートや音楽、ダンスなど、自分が心から楽しめることを積極的にトライしてみましょう。歓びの感覚が広がるほどエゴは消えて、本来の力を発揮できるでしょう。



*4本目:「フューチャー・ボトル」未来のボトル
ボトル番号 091
カラー オリーブグリーン /オリーブグリーン
ボトル名 Feminine Leadership (フェミニン・リーダーシップ)
未来のあなたは、楽観的な視点で現実をとらえ、人に対する思いやりや優しさを自然に表現しています。特に、あなたがもともと備えている斬新な考え方や柔軟性、調和を創り出すコミュニケーション能力が、時代のリーダーとして求められ、活躍の場がいっそう広がるでしょう。また、あなたは本来の優しさや思いやりを発揮して、幼い子供やお年寄り、困っている人に、進んで手をさしのべていきます。人も動物も植物も自然環境もすべてが調和した社会の理想像を胸に、その実現のために率先して行動するでしょう。



オーラソーマのボトルなどのインフォメーション

http://aura-soma.co.jp


2012年01月05日(木) パジャマの日々から

クリスマスよりこっち、ずっとパジャマを着て日がな一日過ごすという贅沢な日々だったが、今日から夫も仕事で、わたし一人になることだし、このままでは、ふかふかパジャマの心地よさから抜け出せなくなりそうで、今朝は着替えをした。

のんびりと起き出し、紅茶を入れる。とっておきの、ルピシエの
「アラビアンナイト」、このブレンドは季節限定だったからもう手に入らない。

次にヨガマットを広げたところで、ランズエンドの冬物クリアランスが来ていたので、見はじめる。
クリスマス前のカタログで、いいな、欲しいなと思っていたセーターやカーディガンが50%offになっている。心が動く。ひとしきり、迷って選んだまではいいのだが、結局注文しなかった。また物が増える。片付けが終わるまでは買わないことにしよう。

朝いちのヨガのはずが、もう昼近くになっていた。
さて、洗濯物を干さなくてはと、これも25日以来、初めてベランダに出る。

12時を過ぎてようやく朝食。
入院前からそれまでのバナナとヨーグルトとミューズリーの朝食を、人参とりんごのスムージーに変えている。まずは、りんごと人参を薄く切って、少量のオレンジジュースとレモン汁と共にブレンダーへ。
昼食もまとめてと、ハムと野菜とフランスパンのサンドイッチを作る。

さて、食べようとしたところで、庭の花たちに一週間も水をあげてないことに気づいた。ごめんなさい。

食事の後は、欠礼の葉書を出しそびれた方がたから届いた年賀状10枚に返事を書き、これも、今年初めて外を歩いてポストまで。明日は、もっと暖かい時間にスーパーくらいには行ってみよう。

その後は、延々と、本やネットでオーラソーマに没頭。
2007年8月14日の日記だかに、オーラソーマのことを書いているが、今回選んだボトルは、4本とも違う。生年月日から導かれる誕生日ボトルや、出生届の名前から導かれるボトルもある。その二つが同じボトルだったりすると、そのボトルを買いたくなり、
クリックしたところで、やっぱり買うのをやめた。
買うのなら、5年前と3年前に買ったボトルを処分してからだな。
こんまりさんが言うように、きちんと感謝とお別れを告げないままだから、手放せないないのだ。

さて、ベッドの中でiPhoneをタップしながら、記してきたが、今日という日に、感謝をしてお別れするとしよう。

おやすみなさい。またあした。


2012年01月03日(火) 「人生がときめく片づけ」をしたい!

お見舞いにJさんが下さった、こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」読了。

前から気になっていた本だったから退院した日帰りの電車の中で読み出したものだから、家に着くやタンスの衣類をごそごそやり始めた私に夫から片づけ禁止命令が出た。確かに病気療養中の身、今は取り掛かるわけには行かない。しかし部屋を見回しては気になる。
はやく「人生がときめく片づけ」をしたい!

こんまりさんの主張はとても納得のいく片づけ法だ。片づけのテクニックというよりは生き方。

心ときめくものだけに囲まれた豊かな生活空間!
自分の持ち物をすべて把握できていることの充実した生活感!
すべての物の位置が決まっていることのすがすがしさ!
自分の持ち物に愛情を注ぐという物と自分との良い関係!

どこかですでに分かっていることだった。けれど、それが自分にはできないことに常に苛立ちと気持ち悪さがあった。
片づけるまでは死ねないと。
50代で片づけなければ片づける体力もなくなると。

ところが、こんまりさんの自信に満ちたレッスンを読んでいると、わたしにもときめきの片づけができるような気がしてきた。
幸いこの4月からは自由な時間が増える。その頃には放射線治療も終わるはず。
癌治療が終わって最初のプロジェクトは「人生がときめく片づけ」
2012年は「ときめく生活空間づくりの年にする!」という新年の抱負。


2012年01月02日(月) 家族が揃って




次男のMは30日から帰ってきている。2日は調布に住んでいる長男一家が訪ねてくれる。久し振りに家族が揃った正月2日目。

2歳のれおはわたし達からとおじさんからお年玉をもらう。
初めてのお年玉。

夕方帰る時の会話

ママ 「れお、もう帰るよ」

れお 「いやだ・・・パパとママとパパママと3人でおうち、かえろう」

パパ 「おい、それを言うなら4人だろう」

かなりうれしい。それにしてもいつの間に3人なんていう言葉を言えるようになったのだろうと驚く。

この一年で目覚ましい成長があったが、これから始まる一年ではさらに大きな成長を見ることができるのだろう。


2012年01月01日(日) 2012年の始まり



大掃除をすることもなく、おせち料理を作り、正月の花を活けることもなく、そして年賀状もなく(欠礼の葉書は出したが)らくちんなお正月だった。

それでも、夫がおせち料理と花を買ってきてくれたので、お正月らくしなる。
わたしは数の子と紅白なますとお雑煮くらいは用意することができた。
後はひたすら12月分の日記をここに書きまくる。
エネルギーはあるらしい。
久し振りの書きモード。

こんな2012年の始まり。


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