たりたの日記
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2003年08月31日(日) なぜ、「月夜のうさぎ」なわけ?

このエンピツ日記には投票数ランキングの他にアクセス数ランキングというのがあり、その日の日記へのアクセス数が多い順に200までのランキングがなされている。わたしはこの200位のうちにめったに入らない。ところが昨夜から今朝にかけて日記のカウンターが100近く動いていたので、もしかするとと思い調べてみると昨日のアクセスランキングは90viewで192位だった。これは言うまでもなく、「松本効果」だ。文芸ジャンルで日記を書いている今のところ上位3人のマキュキュ、あさみ、たりたが初顔会わせをするっていうので、読者の興味と関心をひきつけているのに違いない。

ところでこのランキング、重複を避けて一人一回しかカウントされないから、90人の方が昨日の午前10時から今朝の10時までにいらしてくださったことになる。
「ふうーっ」
うれしいというよりは恐れおののく気分が起こる。自分の書いた言葉の連なりがこれほどの数の人から読まれたということが。
そしてそのことでまた励まされる。

つい先ごろ、「たりたさん、ランキングとか、気になるの?」と、同じくエンピツで書いているある方に問いかけられてしまった。彼が言わんとすることが分るので、一瞬足もとをすくわれた感覚が起こり返答に困ってしまったものの、その後、気を取り直してこう答えた。

「気になるよ。だって自分のノートに書いている日記じゃあなく、読んでもらうために公開してるんだからね。もちろん票を集める為にウケを狙って書く気持ちはないけど、あたしが書きたい気分で書いたことがどれくらい受け入れられているか、おもしろいと思ってもらえるのか、それはある意味で票数に表れるわけだから、気になるよ」と。
それ以上の突っ込みを入れられなかったのは幸いだった。案外こういう些細なことからでも書く勇気がそがれてしまうものだから。

今回松本でマキュキュとあさみという二人の日記ライターとオフで出会えたことはほんとうによかった。こうしてしばらく時間が経ってみると今回の出会いで日記を書いてそれを公開するというひとつの行為をとても勇気づけられたことを知る。そこにあるまだ自分でも気が付かない、意味や可能性、その広がりを垣間見たような気がしたのだ。

それはこの時代に起こりつつある今までにない人間関係だったり、文章を書き、それを読んでもらうことへの新しいアプローチだったりするのだが、圧倒的に既成概念や枠組みをはずれた、より自由な人と人との繋がりの有り様を目の当たりにしたと思った。

昨日の日記のタイトルに「月にうかれてはしゃぎまわる6匹のうさぎの図」と書いた。
確かにわたしの頭の中にはパステルカラーの幻想的な月とうさぎ達の絵が浮かんでいたのだ。果たして、その絵は何を意味していたのだろう。

ファンタジー、

そう、一言で言うならこの言葉に尽きる。
わたしが日々こうして多くの人の目に留まるべく、いわば使命感にもかられて文章を綴っているのはわたしたちのこの命が、この何の変哲もない日常がいかにファンタジーに満ちているかということを伝えたいと思っているのではないかとふと思った。

文学を求める、音楽を求める、美しい絵を求める、わたしたちは自分自身の日常の中でそこにはないいわば、ファンタジーを求めているが、わたしたちのこの一見みじめにさえ見える日常の只中にファンタジーが混ざり込むことがある。目に見えないものを愛し、目に見えないものを信じる時、愛は形さえともなって傍らにやってくる。現実がファンタジーそのものになる。


松本オフは現実の中にファンタジーが入りこんだ、まさにその時だった!


それだからこそ、わたしにはそのイメージが月の下で跳ねるうさぎたちだったのだ。

マキュキュは、まるで見えるような映像をその文章の中で伝えることができる。松本オフの時間を追っての描写はマキュキュに委ねることにしよう。その時の気分を生き生きとエキサイティングに伝えるあさみは松本オフの模様をエンターテイメントに仕上げて読者を楽しませてくれるだろう。とすれば、わたしは二人の日記を読みながら、あるいは松本オフの映像を巻き戻しして心に浮かんだこと、考えたことを思うままに綴ってみることにしよう。





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2003年08月30日(土) 松本オフ、月にうかれてはしゃぎまわる6匹のうさぎの図

今までに会ったことのない人間が3組、それぞれ離れた場所から集まってきて、いっしょに松本城を歩き、頭をつき合わせて、仲良くお蕎麦をすすり、静かな喫茶店だというのにもかかわらず、まるで高校生の集団のようにはしゃいでわいわいさわいでしまい、健康ランドのお風呂でいきなりの裸の付き合いを果たし、カラオケたるや6人が6人ともハイテンションで歌いまくった。一人が歌う時もおとなしく聞いてはいない。合いの手、手拍子、ハーモニーが付き、踊りも出て(誰がおどったって、「ハイ」とたりた^^;)という具合の松本オフだった。

一言で表現すると、

月にうかれてはしゃぎまわる6匹のうさぎ


なぜか、青白い月の下に穴から出てきたうさぎ達が打ち興じて、踊ったり跳ねたりする絵が浮かんできた。そんな絵本を見たことがあるような...

昨夜は満月ではなかったけれど、三日月がきらきらときれいだった。

さて、今日のところはまずSummary(概略)のみ。
明日は何をどう書こうかしら。




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2003年08月29日(金) いざ、松本へ!

去年もかなりドラマティックな1年だったが、今年はまた違った意味でドラマが起きつづけている。

そもそもネットを通じて知らなかった人と出会い、言葉を交わし、次第に理解を深めていくこと事態がドラマだと思っていたが、それが実際に出会うとなれば、ちょうど小説の中にいる人物が生身の人間の姿をして目の前に現れてくるような緊張とおもしろさがある。もうこれはファンタジーと言ってもよい。

6月にストーン、7月にポポロ、8月に風夫妻と計らずもオフで出会うチャンスが続いた。で、そのしめくくりのように夏の終わりの日にマキュキュとアサミンジャーにそれぞれの連れ合いと共に会う運びとなった。

このエンピツレンタル日記の読者の方たちならお気づきだろうが、マキュキュとアサミンジャーとわたし、たりたはこの日記サイトの文芸ジャンルで知り合ったのである。お互いの言葉と言葉が、文と文がある時接近し、相手に向かって言葉を投げかけ、そして時間とともに文の向こう側にあるその人そのものと次第に深く出会っていった。

さて、大方の場合、文章とその人そのものには多少のずれがある。どうしても自分の中でその人のイメージを創ってしまっているからだ。そしてわたしはそのギャップが大きい方らしい。さて、二人はそしてそれぞれの連れ合いはどんなだろうか。

松本の地で展開するドラマの前でわくわくしている。


<マキュキュの掲示板へのカキコから>

こういうことがあると人生っていうドラマをやってることが何とも愉快に思えます。生きてるっていいよねっつて。

マキュも書いてたけど、人と人との出会いって決して単なる偶然じゃあないと信じてるの。会うべき人と、会うべき時にめぐり合うってね。

だからそれが訪れようとしている今、満ちてくるものがあります。

ストーンに会う時もポポロの時にも風夫婦の時にもそんなわくわくとしみじみした気分があったなあ。
それで顔と顔を合わせた時の不思議な気分。
ちょっとした戸惑いとその後に来る納得と、もうすでに深いところを知ってもらっているという安心感やとても近いという感覚...

今のうれしい気持ちをさらに駆り立てるように山崎まさよしの
One More Time One More Chance が鳴ってます。
いえ、あたしの選曲じゃあないの。
これから次男が仲間と最後のカラオケパーティーをやるらしく、
練習してるんです^^

ああ、明日はいっしょに歌えるんだわねえ〜。




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2003年08月28日(木) 早起きにあこがれつつ繰り返している夜更かし

昨日はもう12時を回ったとあせったが、今時計を見るともう1時を回っている。しかし、我が家のリビングルームにはCDが流れ、パソコンが2台稼動し、つい今しがた寝室に引き上げた夫と入れ替わりに青年2名が下へ降りてきた。どうやら彼らのお楽しみはこれからのようだ。

明日はマキさんから小包で届いたビデオとCDの鑑賞のために家族が活動を開始する前に起き出そうと思っていたが、どうやら無理のようだ。それにしてもわたしは毎晩このように夜更かしをしつつ、毎晩のように早起きにあこがれているのである。

やっと夜が明けたばかり、いや暗闇から次第に明るくなっていくというのがいい。早朝にしかない匂いや様々なものが眠りから起き出だし、命が戻ってくるような不思議な時間。深夜の数時間よりもはるかに充実した時間がそこにはあると思われる。少なくとも、このうるささは無いはずだ。

今日定直さんの書き込みで、彼が日記を開いた朝の6時にすでに15票の票が入っていたことが分った。朝の4時から6時までの間に起きてPCに向かっている方々のことを思い浮かべて、尊敬の念を抱いてしまった。その貴重な朝の清清しい時間にこの日記を読んでしかもボタンを押してくださるということになにか申し訳ない気さえする。
その時間というのはわたしが朝方の眠りを貪っている時なのに...

さて、今日という日は昼ラテン、ダンベル、ファンク、珍しく、エネルギー不足だったので、60分間の集中が必要になるぽっぽ先生のカロリーバーナーエアロはあきらめた。きっと動きについて行けないで先週のように隣の人の足をふんずける結果になるだろう。いや、先週はかなり元気だった。それでも右に回るところを左に回って、周りの方にご迷惑をかけたくらいだから、今日のような日に無理をすれば、すっこけてしりもちだってつきかねない。

夜のゴスペルのクラスもイマイチ行きたい気持ちに欠けるので、止めておこうと思ったものの、わたしを追い出したいからか青年Hがしきりに「行けば、歌っておいでよ」と言うものだから。夕飯の支度を急いですませ、出かけた。歌っているとエネルギーもチャージされて、行きの電車の中では前後不覚に眠ったものの、帰りの電車では立ったまま本も読めるくらいになっていた。

エネルギー不足というのはわたしの場合、体の疲れやスタミナの不足からはこない。どこかどういうわけか分らないまでも、心に疲れがある時に起こる。いや心の疲れというよりはホルモンのバランスとかそういうレベルのことだろう。漠然とした不安、何かすっきりと晴れない曇り空のような気分。

こういう状態の時ほど、早起きすればいいのかもしれない。今2時。これから寝て6時に起きることができるだろうか。せめて目覚まし時計を6時にセットするとしよう。




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2003年08月27日(水) カキコの途中にすごいテンションで割り込んできた青年Hは

さて、もう十二時を回ってしまった。
今日は日記を新しくするつもりでここに来たものの、今日という一日の、さてどこを切りとるとしようか。

午前中に家事をし、昼食用にありったけの野菜や海草を使って冷しゃぶサラダを作って、いくらたっても起きてこない大学生二人を起こして食事をさせ、仕事にでかけた。

今日のクラスは幼児とお母さんのクラスと年長児クラス。仕事が終わってからバイブルクラスの仲間4人と食事会。タイ料理、ベトナム料理、フィリピン料理と様々なアジアンテイストを楽しみながらおしゃべり。

そういう一日を過ごして、11時過ぎからPCに向かう。自分のHPをチエックし、友人たちの日記やBBSを読み、書き始める。わたしがこのモードに入ると、もう何を言っても上の空となるから、家族はわたしに話しかけようとはしない。実際してもらっては困る。

ところがである、アサミンジャーの日記を読んで感じたことを、かなりテンションを高めて書き始めたところに、わたしのテンションより数倍高いテンションで顔を高揚させ、読みかけの「エグザイル」という本を抱えて青年Hが割り込みをかけた。彼はPCを打っているわたしの眼の目に座り、こちらのことはまるっきり無視してまくしたてはじめた。

こうなったら聞かないわけにはいかない。彼にとってはイチダイジなことだろうから。もしわたしがPCのキーボードに目を落としたり、あるいは目を落とさないまでもキーボードを敲こうとするならば、こんな大事な話を無視するのかと母親の姿勢を非難されることは分っている。

その話の中味はここには書かないが、その本を読んで、どうやら自分の進路というか方向についての示唆を得たらしい。その熱っぽさには何度も当たってきたからそれほど驚くことでもないが、心が大きく動いていることだけは確かなようだ。彼がその気になっているほど、これが運命の分れ道などとは思わないものの。

青年Hは一時間ほどほぼ一方的に話すと、ここを離れていった。
さて、中断していた掲示板への書き込みの続きを書き始めたものの、始めに書こうとした気分がすでに別のものになっている。それでも続けて書くとこういう文になってしまった。

今日一日のどの場面を切り取るかといえば、この中断も含めた書き込みの部分だという気がする。心が最も動いたということで。


<アサミンジャーのBBSに書いたこと>

自分の中に、自分とはあずかり知らぬ別の人格が出てくるということ、体験してます。でもこれはおそらくはほとんどの人が多かれ少なかれ体験している範疇のものであることは分ります。

どうにも制御が効かない自分に向かっていると、わたしの中に別人格が入り込んでいるとしか思えず、「悪魔よ出て行け!」と声に出して叫んだことがありました。我ながら物凄い迫力ある声で。そうすると不思議なことにそのわたしを捉えているものがすっとひいたのを感じました。

あさみちゃんの日記を読みながらその時の状況がありありと浮かんできました。

きっとまたあると思うの。自分自身がどうにもならない力に支配されていると感じる時が。でも今は変に自信持ってて、「来るんなら来なさいよ。負けちゃあいないからね。わたしを支配することなんてできないわ」と全面対決の構えです(笑)

私自身の平安を揺るがすもの、神の存在を疑う気持ち、自分自身の存在を不確かに感じてしまうような底なしの虚無感、そういうものはいつでも心に侵入してきては私を打ちのめそうとてぐすね引いて待ってる。わたしだけのことじゃあないわね。一見健康そうに見える人間だって等しくその危険を抱えているんだと思う。

でもね、自分自身に対してそういう恐れを持ち、脅えている人間はある意味、そうでない人よりも強いのかもしれないと思うことがあります。

聖書の中でパウロが言ってる言葉でいつも自分に言い聞かせてる言葉があるんだけど、それは「あなたは弱い時にこそ、強いからである」という言葉。
あさみちゃんの不安や恐れ、またそれを感じつつも、何とか闘おうとふんばっているのが今日の日記からも伝わってきますが、そんなあなたこそ、本当の意味で強いのだと思います。

でもね、一人でがんばりすぎないで、送られてきた天使を見方につけたり、具体的に祈ったりしながらね。
あたしもあさみちゃんは統合を果たすことができると思います。
根っこのところでとても健康なエネルギーを持っているもの。

これを書いている間に我が家の青年Hがなんだか、すごい人生論抱えてあたしの目の前で一時間ほどまくしたてていったので、なんだか意識が中断させられてしまった。
はじめに書き始めたことと、つながらなくなってはいないだろうか。


彼は20代を始めたばかり。
あたしは最後にこういう風にいいました。

チューリップはチューリップとして咲かなくちゃならないし、タンポポはタンポポとして咲かなくちゃならない。自分がどんな花なのか、勘違いしないようにきちんと把握して自分の花を咲かすべくいっしょうけんめい生きるんだったら何も言わないよと。ただその方向を見出すためには自分の力に頼るんじゃなくて、祈ること、祈って聞くこと、進む方向を。

なんか、変なカキコだなあ〜。汲めるところがあれば汲んでくださいまし。





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2003年08月25日(月) そこには地上に舞い降りた天使たちがいた

ずいぶん遅れてやってきた夏の日の今日
友人とわたしは
ギターと歌詞を書いた大きな巻物を抱えて
トンボのたくさんいる沼の脇を通って
「はぐくみ園」という授産施設へやってきた
ダウン症や自閉症など知的障害を持つ人達が通園して
様々な作業をし、共に時間を過ごしている場所

ちょうど12時にそこへ着いたわたしたちは
食堂へと案内される
50人くらいの人達がテーブル着いていて
楽しい食事がもう始まっていた

友人とわたしは5人の男性に囲まれて食事を共にする
24歳、18歳、19歳、の3人はずいぶんおしゃべりで
いろんなことを話しかけてくれる
となりに座っている子はしきりに「うちのおかあさんは」
と母の話題を持ち出す
同じ年恰好とすでに見破られているからか

向かいに座っている子は最近の事件の話題を振る
わたしはその話題を知らなかったのだが...
19歳のダウンの子は何もしゃべらないけれど
それでも話に入っていて顔がしゃべっている

40代とおぼしき男性がわたしたちに目もくれないのは
我々がオバハンだからだろうか
若い女の子だったら話は違ったかもしれない

向こうのテーブルにいた子たちも次次と挨拶にやってくる
「こんにちは」
「どんな歌歌うんですか」
「どんなダンスやるんですか」
「ぼくたちはソーラン節を踊るんです」

彼らとの会話は楽しい
心が全開なのでわたしもすっかり鎧を脱ぎ垣根を払う
気持ちの底のところがくすくすとくすぐったく
優しいってこういうことだったと気が付く
「きれいな人たち」とつぶやいた

体育館は体育館でおきまりの暑さ
でも汗たらたらはジムとサウナで慣れているからなんのその
ギターをジャカジャカ鳴らし
いっしょに歌う
歌いたい気持ちがいっぱい顔に出ているから
わたしの指に力がこもる
きれいな歌や音というわけじぁないけれど
心が満ちてくる
気持ちが開いていく

彼らのパフォーマンスは最高で
見ているとふつふつとエネルギーがチャージされるかのよう
透き通った
質の高い
喜びのエネルギー

いっしょに「さくら」を歌っていると
踊りたくなって踊ったら
いっしょに何人かが踊り始めた

両手をいっぱいに広げてタクトをとると
いっしょに何人かがタクトを取り始めた
歌よりも歌らしい歌がそこに起こった

わたしたちへのお礼だと
彼らが見せてくれた「ロックソーラン」は
わくわくとし、とても見ているだけではがまんができない
バッチリ決まったダウン症の子をインストラクターに見立てて
その動きに合わせてみる
彼のリズム感にはかなわないものの

集いが終わると何人もの人達が手を伸ばしてやってきた
握手をくれようというのだ
「ありがとう」という言葉がほんとうの「ありがとう」なので
胸が詰まる
喜びが溢れる



昨夜、少し不安な気持ちでギターを練習していたら
音楽ボラの先輩のWさんから携帯にメールが入った


「頑張る必要ないから安心して彼らと遊ぶといいんです。
イギリスでは知的ハンデの子らを地上に舞い降りた天使たちと呼びます。」



そこにいたのは
ほんとに天使たちだった
わたしがイメージしていたよりも美しい
それこそ欠けのない神様の作品で
欠けているのがむしろわたしの方だということの
つんとする心の痛みもあったのだった




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2003年08月22日(金) 歌の精、力をくださいね

今日はミュージカルでごいっしょだったEさんが家にいらした。来週の月曜日の
「歌の集い」の打ち合わせのためだ。

Eさんは書道家でお習字の先生をする傍ら、化粧品の販売、コンサルタントと多忙な日々を送っている方だが、そんな仕事の合間を縫って、老人ホームなどに行っては歌を歌って聞かせたり、いっしょに歌ったりしている。
そのMさんが、今度初めて、知的障害者の施設に歌いに行くということで、お誘いがあったのだ。

施設の方からのリクエストが森山直太郎の「さくら」だったので、その歌を練習し、またいっしょに歌えそうな歌や、英語学校の子ども達とやってきたダンスや歌遊び、さらにEさんとわたしのレパートリーの中から一曲づつソロで歌うことにし、伴奏はわたしがギターを弾く。ピアノもあるが体育館のステージの上にあるというこなので、ピアノを弾くよりはギターの方がいっしょに歌う雰囲気になるだろう。

知的障害者の施設は、ジャズピアノを弾くWさんがいつも音楽ボランティアで行っている施設に同行した事がある。去年の6月のことだった。あの時は20名くらいの障害者の方がピアノの回りに集まってきて、Wさんがランダムに弾く曲に合わせて、次々に歌って行った。童謡やアニメの主題歌をすっかり覚えて歌っているのに驚いた。どの人も歌が好きでたまらないといった様子だった。こちらが歌を歌わせるんなんていうものじゃなく、彼らの輝くような喜びにかえって光りをもらう感じだった。その印象があるので、きっと楽しい場面がつくれるだろうと考えているわけだが、実際のところ、そこの施設の雰囲気も障害者の人達の程度や感じも分らない。行ってみて、その場で対応するしかない。


歌を媒介にしてそこにひとつの解放された楽しい空間を創ることができればと願っている。聞かせるのでもなく、発表でもなく、彼らの内にある歌う喜びを引き出すこと、その喜びとシンクロナイズすること、できるだろうか。
ひとつの挑戦。

歌の精、力をくださいね。




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2003年08月21日(木) 「ハリガネムシ」を読んだ今日は

今日は一日、何か心にどんよりと雲がかかっているような、真っ暗な黒い穴を見つめているようなむさむさとした感覚があった。

いつもの木曜日だから、朝からジムへ行き、ラテンの情熱的で陽気なリズムに乗っておもいっきり踊り、くるくると右に左に回転するカロリーバーナーエアロに至ってはその動きについていくために、他のあらゆる思索を頭から追い出した。しかし、そうして身体を動かした後も、そのうっすらとした虚無感はなくなってはいなかった。

そうだ、と思いあたった。文芸春秋の9月号に掲載されている今年の芥川賞受賞作「ハリガネムシ」を、空いた時間を埋めるように数ページつづ読んでいたのだった。きっとこの気分はその小説の世界からの影響だ。

自分と遠くにある世界だった。しかし、うっちゃることもできないで読み進めた。気が付くと、その登場人物達がわたしの日常の中にぴったり張り付いていた。別の世界の人達と感じる一方で、その存在をえらく生々しく感じる。暴力や虚無やどろどろとした性欲や、おおよそ近づきたくない世界がその印刷された文字の上に生々しく存在し、それはそこだけに留まらず、わたしの日常の時間の中に侵入してきていたのだった。

電車の吊り革広告に芥川賞を受賞した吉村萬壱氏の写真が大きく写っていた。養護学校の教師をしているという作家は頭にバンダナをかぶり、さわやかな笑顔を見せていた。いい仕事をしている教師だなという第一印象だった。その顔を見て、受賞作品を読んでみようという気になったというわけだ。電車を降りて、そのまま本屋へ行き、平積みにしてある文芸春秋の山から一冊取上げ、カウンターへ持って行った。さわやかで健康的に見える養護学校の教師が書いたというそのことだけで、わたしはそこに共感できる世界があるということを疑ってもみなかった。

わたしの予想はみごとにはずれ、わたしとしては見たくもない世界を見せられてしまったが、この世界が紛れもない人間の真実だということは分り過ぎるくらいに分る。そうして直視しなくてはならないのだとも。
氏はこれまでに三作書いているが、テーマは一貫して「暴力」であると語っている。その暴力の生まれる心のありどころを冷徹に見つめている作家の目を思った。

一方で人間がどれほど美しいかを書く作家や詩人もいれば、人間がどれほど醜悪であるかを描き出す作家もいる。筆に力のある人は揺らぐことなく、それを書ききることができるのだろう。どんなにわたしが健康的にわたしのリアルな時間を過ごしていても、その合間に読む文字から立ち上ってくる「病み」に少なからず影響を受けるほどに。吐き気をもよおしてしまうほどの嫌悪感を感じさせることに成功したこの小説は受賞に値する作品なのだ。

「熱いか冷たいかであれ」
ここにもこの言葉が入りこむ。





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2003年08月20日(水) ファウスト、その熱さと冷たさと

この夏は江国香織にハマってしばらく彼女の著作ばかり読んでいたが、わたしのところのHPの掲示板でゲーテのことが話題になり、ゲーテという人物に、そして彼の代表作「ファウスト」に興味と関心がいっぺんに傾いてしまった。

今を流行りの作家から一挙に18世紀のドイツの文豪へとの飛躍も甚だしいが、それを言うなら日曜日ごとに読んでは話を聞いている聖書は紀元前からの書物だし、月一度の読書会で読んでいるダンテはゲーテよりは500年も前の詩人だ。

今日は「ファウスト」第一部をかなりおもしろく読んだ。始めは舞台の稽古のつもりでその劇のシナリオを声に出して読んでいたのだが、そのうちにすっかりその世界の中に入り込み、気が付くと終わりのページに辿りついていた。

そしてまたこの古くさいはずの文学のこの新しさはなんなのだろうと思った。ハリーポッターや指輪物語のはるか上をゆくファンタジーというふうに読めた。悪魔と旅をするファウスト。悪魔の陰謀に身を任せると思えば、激しく悪魔を呪い、正面から対決する。純真な乙女をかどわかしておきながら、一方では彼女の悲劇を前にして激しく嘆き、自分のなしたことを改悛する。良いも悪いも、いっしょくたになったまさに人間そのものの姿がそこに描かれている。いつの間にか善人と悪人にカテゴライズしてしまっている今日の読み物からすれば、その善と悪を合わせ持つようなファウストが、実際に人間はそんな存在であるにもかかわらず、えらく、奇抜で新鮮な人物に写る。

聖書のヨハネの黙示録3章15節に「...あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている...」という箇所があるが、その言葉がなぜか浮かんできた。ファウストはその最後の場面でファウストの魂を地獄へ持ち去ろうとする悪魔たちの軍団と天上へ運び上げようとする天使たちとの争奪戦の結果、かつて自らが傷つけその一生を台無しにした純真な乙女、グレートヘンの魂に導かれ「救済」される。悪魔に魂を委ねながらも最終的に神から迎えられたのはファウストの熱さと冷たさが際立っていたために、神の口から吐き出されることを免れたのではないかと思ったのである。ゲーテのとらえた「救済」ではあるが。

ファウストをおもしろく読めたのにはちょっとした手引きがあった。図書館でとりあえず目に止まったゲーテ関係の本を三冊借りてきて、その三冊を一昨日、一息に速読したのだった。実際、ゲーテやファウストのバックグラウンドを知ることがおもしろく途中で中断できなかったのだ。


自分自身の記録と日記の読者のために、その参考図書を記しておこう。


☆「ファウスト」嬰児殺し   大澤武雄著  新潮選書

ファウストの題材のひとつになった事件を詳しい裁判の記録の調査をもとに書いてあり、ゲーテの生きた時代の犯罪への認識や当時の世相を知ることができた。


☆「現代に生きるファウスト」 小西悟著 NHKライブラリー

ファウストは、至るところに「遊び」とも言える、風刺、洒落、皮肉、いたずら、笑いをふくんだ、大変愉しい、愉快な芝居と語る小西氏にファウストへの堅苦しいという先入観を払拭してもらった。実際に笑える芝居だと思った。


☆「愛の詩人.ゲーテ」  小塩節著 NHKライブラリー
ゲーテのおいたちや恋多い人で知られるゲーテを巡る女性達のことやゲーテの恋愛観を知ることができた。ゲーテを表面的な情報のみでドンファンと捉えていたのだが、魂の美しさを求めつづけた詩人であることを確認することができた。

この本の中で印象的な文があった

「ヨーロッパ的人間の原型ないし典型が、自我を極限まで拡大してやまぬ行動の人ファウストであると、わたしたちは今まで見てきたが、しかし、他面、神の前にひとりで立つ人間こそ、これまたヨーロッパ的人間の真髄であるとも言える。人間の真の強さはひとりで神の前に立てるかどうかで決まる。この考え方は、すぐれてヨーロッパ的ドイツ的である。」

というものだ。
わたしはドイツ人には縁もゆかりもないけれど、
「神の前にひとりで立つ」ということをモットーにしてきたと思った。




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2003年08月19日(火) めったにしないことをした今日のこと

今日はちょっと珍しい日だった。
我が家の青年Hがわたしのジム行きについてきたのだ。

だいたい中学生や高校生の頃は母といっしょに歩くなんてとんでもないことで、大学生になったら、仲間や彼女とのおつきあいに忙しく、もう親子でどこかへ行くとかいっしょに何かをするなんていうことは考えもしないことだから、これは雨が降ってもおかしくはないほどの出来事なのだ。

ジムに誘ったのはわたしの方。というのも、Hがやることがなくて、昨日あたりから急にトレーニングに目覚めたのはいいが、腹筋するからといっては足を押さえさせられたりと相手をさせられるので、うるさくてかなわない。

「そんなに運動したいんなら、ジムに筋トレのマシーンがいくらでもあるから来れば」
と言ってしまったのだった。お金があれば、母親にくっついてジムへ来たりするわけないが、予定していた夏休みのバイトがだめになってしまったとかで、♪遊びにゆきたし金は無し〜♪といった状況。ここは親にくっついて何とか生き延びようという腹なのだろう。幸い、ビジターのクーポンというのがあるから、1000円で一日ジムの施設が使える。このジム代と昼食がおごってもらえると踏んで、わたしの誘いに乗ったのは自明だ。

暇をもてあましても金がない状態で不健康なことこの上ない。せめて健全な精神を宿らせるべく身体を鍛えるくらいはさせた方がいいと久し振りに登場した「母ごころ」だったのだ。

もともと高校3年までサッカーに燃えていた運動少年だから、ジムでは水を得た魚のごとく嬉しそうな顔で走ったり、筋トレしたりしていた。
もう21にもなっているから昔のように「お母さん、ボクを見かけても話かけないで」などとは言わない。それどころか、遠慮なく話かけてくる。

躊躇するのはむしろ私の方。何しろ、彼のいでたちはソリが入った丸坊主で、鼻の下にはひげを育てていて、どう見たってわたしの雰囲気とは異なる。とても親子が話しているようには見えないだろう。ジムで顔合わせている人たちからは「あの人、若いアヤシイ男と親しそうに話してる」っていう目で見られているような気がしてなんとなく落ち着かなかった。

わたしはエアロビクス他、3本クラスをやった後、身体のあちこちが痛くなるまで運動してもうこれ以上はできないというHを近くのイタリアンレストランに連れていった。

「久し振りに人から奢ってもらったよ。だいたウチの学部は先輩だからといって奢ったりしない。だけどボクは後輩や女の子には奢っちゃうんだよ〜。
親から奢ってもらうって、気兼ねもしないでいいから、気分いいもんだね。」

などどぬかす。
おっとこれは危険だわ。これに味をしめて、お金がない時に呼び出されて奢らされるのはかなわない。
「母ごころ」は出し控えよう。




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2003年08月18日(月) 心も体も豊かになる豆のサラダ

最近良く豆を食べる。

豆のおぞうさいといえば、甘く煮た煮豆と決まっているが、これは砂糖をしこたま使うし、おかずにもならないのであまり作らない。作るのはもっぱら豆のサラダ。

今、お気に入りのDANSKの青い大鉢に豆のサラダを盛り付けて、それを眺めながら書いている。赤、白、緑、様々な色や形の野菜や豆がしっとりとドレッシングで和えられているこのサラダをテーブルに置くと、辺りの空気がたちまち豊かになるような気がするのだ。夕食には早い時間だから、そのサラダを鑑賞しているというわけである。

ポテトサラダやグリーンサラダを鑑賞したいとは思わないのに、豆のサラダなら側に置いて眺めたいと思うのは、この微妙な豆の形が好きなのかも知れない。また、このスタイルのサラダにはイタリアだとか、スペインだとか、何かラテン系の雰囲気がそこから立ち上ってきて、それが気分に合うような気もする。

さて、今日の豆のサラダはこんな材料で、こんな風に作ってみた。

 <材料>

赤いんげん豆の水煮  1缶(240グラム)
ひよこ豆の水煮    1缶(240グラム)
玉ねぎ        1個
ピーマン       3個
赤いパプリカ     1個
しめじ        1パック
パセリ        一袋分

 <ドレッシング>

酢          100ccくらい
グレープシードオイル 50ccくらい  (サラダ油でも可)
塩コショウ      味を見ながら好みで


作り方というほどのこともなく、みじん切りにした野菜と茹でたしめじと豆を
ドレッシングで合えただけ。
これにトマトを入れてもいいし、黄色やオレンジのパプリカを入れれば、もっと華やかな感じになるだろう。
茹でたブロッコリーやもやしやじゃがいもも悪くない。
豆も白いんげんや、大豆の水煮、レンズ豆とバリエーションを楽しめる。
ひじきを入れると黒い色がアクセントになり、栄養価も増す。
我が家ではあまりウケないが、私だけならセロリもきざんで入れたい。
バジルがたくさんある時にはこれも刻んで。

このサラダは冷蔵庫で一週間くらいは保存ができるので、作り置きして、そのつど、ジャガイモを入れてみたり、オムレツの中に入れたり、バゲットにはさんでサンドイッチにしたりと形を変えて使いまわしができるのである。

ちなみに栄養学、料理研究家の丸元淑生氏によると、豆類はN/Cレート(カロリー当たりの栄養素濃度)が極めて高いが、砂糖を加えて甘く煮てしまうと値が下がってしまう。反対にもやしにするとN/Cレートが一段と高くなるということだ。それも自家製のもやしがぐんと高くなるらしい。豆の発芽の課程でビタミンなどが作り出されるために、もやしの状態の時に、豆の栄養がピークに達するからだ。

さて、送られてきた大豆がたくさんあるのだが、ひとつ豆もやしを作ってみるとするか。




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2003年08月17日(日) 「五つのパンと二匹の魚」のバナーが飾られた日曜日

今朝、教会の礼拝堂に入ると正面の右手の壁に「五つのパンと二匹の魚」をデザインしたバナー(畳一畳分くらいの大きな布製の旗)が掛けてあった。先週の火曜日に出来上がったばかりのバナーだ。

今年度に入ってから、教会の女性達が数人集まり、いっしょにバナー作りを始めた。教会には教会暦に従って、クリスマス、イースター、ペンテコステ、宗教改革記念日など、ほかにもさまざまな記念日があるが、その主日にふさわしいデザインのバナー、またその日曜日の聖書の箇所をテーマにデザインしたバナーを手作りしようということになったのだ。

布を切ってボンドでくっつけていくやり方なので、時間も手間もそれほどかからず、2、3週で一つ作れるくらいのペースだ。さまざまな色やテキスタイルの布を触りながら、いろんなおしゃべりをしながら進めていく作業は思いの他楽しかった。私は仕事柄、小さな子どもを持つ若いお母さん達との接触が多いので、どうしても先輩とか教師とかいったことを意識してしまうのだが、この集まりでは私の母くらいの年齢の婦人たちや主婦の鏡のような頼れる年上の婦人がいるので、何か力を抜いてほっかりしている自分がある。同世代や若い人たちとの和気藹々とはまた一味ちがったゆったりとしたリズムが心地よい。


出来上がったバナーはOさんが昔作ったコートの残りだという美しい薄緑色の
台布の上に、綿を入れてふわりとさせた布のパンが5つおいしそうに並んでいる。その下には2匹のエメラルド色のつるつるした布を縫い合わせた魚。魚の上には小さい三角形に切った様々な色やプリントの布がびっしりとうろこのように貼ってある。そのバナーの掛けてある空間が生き生きとまた暖かい感じになっている。

今日の教会学校の小さい子のクラスはこのバナーの要領で、それぞれが布で貼り絵をしながら自分のバナーを作るという作業をした。子ども達はいろんな形のパンを布から切り取り始めた。かわいい形の魚も貼られた。来週は魚の上にいろんな布を貼り付けることにしよう。

子ども達が帰った後、礼拝に来た大人たちは、作りかけたかわいいバナーを見て、顔をほころばしていた。

バナー作りの作業はバナーだけに留まらず、様々に良いものをもたらしてくれるような気がする。久しく忘れていた手作りの暖かさ、いっしょに一つのものを作ることの楽しさを思い出したことだった。




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2003年08月16日(土) 牧師になったTくんに再会する

帰省中の8月3日に私の母教会であるM教会の礼拝に出席した。
M教会には昔馴染みのTくんがそれまでの北海道での牧師としての仕事に区切りを付け、副牧師として就任していると聞いていた。Tくんとはもう15年近く会っていないし、今度帰省した時には何とか礼拝に出たいものだと思っていた。

Tくんは夫と私がまだ大学生でM教会で教会学校の奉仕をしていた頃、ふらりと教会にやって来た。高校生だった。そして京都の大学の神学部に進学していった。私たちが住んでいたK市の公団住宅に泊まっていったのは彼がまだ神学校の学生でこれからフランスのテゼー修道会でしばらく修道生活をするという時だった。フランスから絵葉書が届き、やがてTくんは牧師になり結婚し、子ども達が一人づつ増え、年賀状で子ども達の大きくなっていく様子をも伝えてもらっていた。しかしそれにしても遠い北海道。もう会うこともないような気がしていたのだが、思わぬことに彼は家族と共に母教会に戻ってきたのだった。

教壇の上のTくんの真っ直ぐな眼差は若い頃のままだが、その表情や言葉には彼の牧師としてのこれまでの歴史が刻まれていて重みがあった。いつも礼拝堂の右側の椅子に詰襟を来て座っていた寡黙な少年の姿と重ね合わせながら深い感慨が押し寄せ、胸が熱くなってきた。あの時の無口な少年が、このように闊達でユーモアに富んだ、ちから強いメッセージを伝える人になるとは、私たちは神様の計画と配慮を知ることのないまま生きているが、そうして過ぎていった日々を振り返る時、ほんとうに深い感謝を覚える。

礼拝の後、少し話をしたが、故郷の教会に戻ってきた彼は、ここで彼が実現したい夢について語ってくれた。そういえば、高校生の時も、神学生の時も彼の眼差しは遠くを見つめているようなところがあったが、40代になった彼の目も変らず、遠くを見る目をしていた。彼はその見ている遠くのことに向かって日々の歩みを続けていくのだろう。故郷の町での彼の活動が支えられるように祈る。




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2003年08月15日(金) 「ジム&風呂」はワタシ的には最高の組み合わせ

お盆の3日目、ようやく夫が休みになったので、この日こそどこかへ出かけようということになっていた。去年の4月以前、つまりわたしたちがジム通いを始める前であれば、行くところは唯ひとつ、温泉と決まっていた。といっても何も若い頃から温泉だけに行っていたわけじゃあない。山やキャンプ場、美術館にコンサートに映画と、我々も人並みにアウトドアと文化的なこと全般に興味と関心を持っていた。赤ん坊を背負ってゴッホ展なんかを見たし。2歳児を連れてテントも張った。

ところが40代に突入するや、興味の対象がいきなり風呂、温泉に集中してしまったのだ。それも二人とも。週末になるのを待って温泉へ出かけ、週日であれば、仕事帰りにスーパー銭湯で落ち合い、湯気を立てた体で電車に乗って帰ったりもしていた。そういう我々を見て親や子ども達や友人達は言葉にこそ出さないまでも、内心かなりあきれていたに違いない。我々とて、それがいかに気持ち良いものであったとしても、あまりに年寄りじみているんではないかと多少の後ろめたさがなかったわけではない。

しかし、人間ってどこまでも変化するものである。お湯にさえ浸かっていればよかった我々が、エクソサイズを追い求め、暇さえあれば、ジムに通うようになろうとは誰も予想していなかったに違いない。ところが、我々はあの頃の風呂にあくがれるのと全く同じ感覚で、今は何よりジムへ行きたいのである。

そこで、休日のイベントとなれば今度はジム以外はない。ところがいつも行きつけのスポーツクラブがお盆の3日間は休みになる。しかし、幸いなことに夫の会社の健康保険組合がそのスポーツクラブと提携しているので、同じ会員証で全国どこの施設でも使える。ここがだめならあそこという具合に、近隣のジムへ行くことができるのだ。我々はお盆の時期に空いている川越のスポーツクラブに目を付けた。うれしいことにそこにはスーパー銭湯が併設されている。我々が一番目と二番目にしたいことが一つの施設になっているわけだ。こんな幸福なことがあるだろうか。どっちもできるなんて。

昼過ぎに着いたので、まずストレッチやランニングをしてから、ボディーパンプのクラスに出た。我々がいつもやっているのと同じ動きなので、知らない人たちの中だとはいっても、慣れた感じでいっしょにやることができた。わたしはその後、90分のエアロビックス、イベントに参加した。この日はエアロビックスの世界選手権で2位というSインストラクターが指導してくれるらしい。わたしはいつもラテンやファンクのようなダンス系や、ヨガ、太極拳といったヒーリング系ばかりをやっているから、エアロは全然慣れていなくて、方向が変ったり、動きが早かったりすると、おたおたしてしまう。でも知らない人達の中だったからかそれほどプレッシャーを感じずにそれなりに楽しく動けた。

いつものジムの小さなお風呂とサウナでも充分満足しているのだが、ここのスポーツクラブのお風呂の施設はもうゴクラクものだった。3種類のサウナ、薬草湯、木炭湯、打たせ湯に寝湯にジェットバス。ここはお風呂の施設がメインで、スポーツクラブがおまけという感じすら受ける。
それにしてもハードな運動の後のお風呂は格別だった。
老後にはこういうジムとスーパー銭湯に歩いて行けるところに住みたい。それに図書館が近くならもう言うことはないわ。




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2003年08月13日(水) 我が家の特製ステーキはにんにくと玉ねぎの醤油漬けで

今日も日記らしい日記を書くとしよう。

ところで昨日の日記、投票数がいつもより10も多い。
これはいったいどういうわけだろう。
「20歳若返った」というのはウケタのだろうか。
それとも読んだ方が何かの励みに感じてくださってボタンを押してくれたのだろうか。もしかしたら、良く脂肪を落としましたねっていうご褒美の一票だったのかもしれない。

そういえば、夕方、友人のWが電話をくれ、HPの掲示板で紹介していた「日本26聖人殉教者」のサイトを訪ねて、いろいろ考えさせられたと話してくれた。彼も若い頃その土地を訪ねたらしいが、改めて殉教者の物語に心を打たれたと言うことだった。こういうレスポンスがあると、書いててよかった、HPをやっててよかったという気になる。

その電話でひとしきりおしゃべりした後、Sから携帯メールが入って、「ステーキを焼いたってあるけど、どんなステーキなの」という質問があった。
今日は珍しく青年Hが一日家にいるので、最近栄養状態の良くない彼のために朝っぱらから(彼にとっては朝だが、時間は昼にはなっていた)我が家の定番特製ステーキを作って食べさせたのだった。
こういうレスもまたうれしい。

そこで今日は我が家の特製ステーキをご紹介することにしよう。

材料 (4人分)

ステーキの肉4枚(どんなのでもOK.たとえ4枚で1200円というオージービーフだって大丈夫よ)

にんにく2かけ〜3かけはみじん切りにする。玉ねぎ一個はみじん切りか薄いスライスにし、醤油100ccくらい中にしばらくつけこんで置く。

付け合せの野菜はもやし2袋となんでもある野菜、たとえばブロッコリー、インゲン、なす、オクラ、ピーマン、など。肉を焼く前にもやしと別の野菜をそれぞれ炒め、軽く塩コショウで調味する。

軽く塩コショウしたステーキ肉を好みの状態に焼きあげ、火からおろす直前に醤油につけたにんにくと玉ねぎを漬け汁ごと肉のまわりにまわしかけ、火を通す。これがステーキのたれとなるので、水分が少なくなってしまうような時は肉を取り出した後、水を少量加えて煮、たれとして充分な量になるようにする。

ディナープレートに肉、炒めたもやしとその他の野菜、それにご飯を盛り、肉を取り出した後に残っているたれを、にんにくと玉ねぎごと肉と野菜の上にかける。ご飯を同じお皿につけ合わせのように盛るのは、このたれがご飯にもしみてそれがまたおいしいから。


我が家ではステーキというと決まってこのスタイル。家族のものは我が家のステーキが一番おいしいと、このスタイルに固執するが、そもそもこれは安い肉をいかにおいしく食べるかと考え出したもの。上等なステーキ肉なら塩コショウだけの方がいいかもしれない。

さて、昼の後には白玉だんごを作って冷たいぜんざいのおやつまで作った。
夜はレッドスキンポテト、玉ねぎスライス、ブロッコリ、インゲン豆、うずら豆、パセリをドレッシングであえたヘルシーサラダと明太子スパゲティー。オリーブ油と明太子をペースト状にし、そこに昆布茶を加えるのがミソ。

ああ、しかしジムが休みだというのに、Hに付き合ってカロリー取りすぎてしまった(苦笑)




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2003年08月12日(火) 20歳若返ってすっかり気を良くしている、体力年齢のこと

またまた日記が日記でなくなっている。ここのところ前回の田平教会訪問に続いて、日本で最初の殉教者、26聖人殉教者について書こうと資料を調べていた。ところがことがらがあまりにシリアスで簡単には書けないことが分った。このままだとに日記がストップしてしまうので、このテーマでは時間を書けて書き、いづれアップすることにしよう。

そこでちょっと一息。そもそもここは日記なのだからもっと気軽にその日のことを書いてもいいなずなのだ。あたしはどうも気張りすぎる傾向が強い。

気張りすぎるといえば、今日はずいぶん気張った。
何しろ今月は英語学校の仕事がない。レアなフリーの火曜日なわけだ。こういう日にぼんやり家ですごすわけにはいかない。
友人のFとジムの側のイタリアンレストランでお昼をいっしょにし、その後は夜まで運動三昧。

わたしはめったにプールには行かないがFはもっぱらプールなので、今日はわたしもプールから始める。しばらく歩いたり泳いだりし、Fといっしょにアクアビクスに出る。いつもスタジオでラテンとカロリーバナーエアロを教えてもらっているP先生が担当だった。水の中は首から下は見えないから気楽ではあるものの、運動量はかなりのものだ。45分動き続けると全身が熱くなった感じがした。

その後Fと別れ一人スタジオへ。ローインパクトエアロのクラスに出る。その後、ドトールでコーヒーブレイクをゆっくりとり、7時からボディーヒーリング(ヨガ、太極拳、空手などを組み合わせたもの)、8時からmGと共に、ボディーコンバット(ボクシングの動きのエクソサイズ)と続けた。

行きは自転車を飛ばして来たものの、帰りは車に自転車を積んで帰宅。
今までのドマーニでは自転車を運ぶ訳にはいかなかったけど、今度の車はゴルフのワゴンなので自転車が積めるのだ!車を買い換える時、この自転車が積めるというのが唯一わたしの出した条件だった。この時のためである。あくまでジムが最優先。

この1年4ヶ月の間、不思議にジム通いに飽きていない。そればかりかますますエスカレートしている。身体を動かすことは確かに気持ちがいいし、癖になる。しかし、それだけじゃない。運動するときまって運動機能が高まり、筋力がつき、シェイプアップする。さらには若くなるのだ。
もともと実年齢に比べて精神年齢は若いと自覚していたが体力年齢は実年齢を上回っていると自覚していた。18歳の頃、すでに体力がひどく衰えていた。

ところが先日、ジムで体力診断を受けたところ、何と運動年齢は26歳だった!1年4ヶ月のうちに20歳以上「若返った」ことになる。というより、わたしの人生の中で今が一番体力があるのかもしれない。体脂肪の数値は17。
おそろしい量の脂肪が筋肉へと変ってくれたことになる。

カウンセラーは「もう体力増進やシエイプアップは考えなくていいですよ、維持だけすれば。」と言う。なんとも商売気(?)がないカウンセラーだ。しかし、わたしとしてはまだ理想の域には程遠い。これまでずっとあきらめていた分、今頃になって貪欲になっているのだろう。大会を目指すのでもなく、体育の成績を上げるためでもなく、自分の好きなことで身体を鍛えることができるとはなんと幸いなことだろう。体育の時間が拷問のように思えた日々があったことが信じられない気がするが、しかし、今でも学校の体育の時間は逃げ出したいと思うのかもしれない。




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2003年08月07日(木) 西の海に向かって立つ教会、カトリック田平教会を訪ねて

翌日8月5日はYさんが田平教会に連れていってくれることになっていた。長崎県には隠れキリシタンや殉教の歴史があり沢山の古く美しい教会があることでも知られている。以前から写真集などで見ていた長崎の教会を訪ねたいと思っていたのでYさんの申し出は嬉しかった。

Yさんの車は佐世保を北上し、平戸と向かい合う長崎北西部、田平町(たびらまち)を目指していた。行く道すがら、児童相談所で福祉士の仕事をしているYさんの話しを伺ったが、Yさんの勤務する児童相談所は長崎県の半分の地域をカバーするのだという。この辺りも家庭訪問などで良く来る場所だということだった。その広範囲の地域の家庭訪問をこなすのは大変なことだろう。最近は児童相談所の仕事が昔に比べてずいぶん増えたと伺う。一見平和でのどかに見えるこのあたりの土地も、病んだ都会の家庭が抱えているのと同じような問題を抱えているのだ。

田平教会は西の海に向かって立っていた。海の先には平戸が見える。この年代を感じさせるレンガづくりの美しい建物は大正時代に建てられたものだということだった。平日だったが礼拝堂に入ることができた。外観も美しいが礼拝堂の美しさや豪華さは目を見張るものがあった。ドイツのべネディクト派のボイロン修道院の礼拝堂の内部を思い出す。アーチ型に特徴があるロマネスク様式。礼拝堂は両脇の白い柱で主廊と側廊とに仕切られている。またそのすっと長く伸びた白い柱はアーチ型を描くコウモリ天井に繋がっている。側面には受胎告知に始まり、聖霊降臨にまで至る、新約聖書の話を表わした14枚のステンドグラスがはめ込まれていて、光を通したガラスが色鮮やかだった。このステンドグラスはイタリア製で1998年に完成されている。

建築様式はヨーロッパでみてきた教会に良く似ていたが、ヨーロッパの教会が床も壁も石づくりで重々しいのと比べて、ここにはヨーロッパの教会にはないやわらかさがある。床にカーペットが敷き詰めてあって、くつを脱いで入るようになっているせいかもしれない。また聖歌集やお知らせのチラシなどがあって、たくさんの信者さんの気配を感じたからかもしれない。信者さん達の生活の中心としての教会の役割を感じたような気がした。

わたしたちは写真を撮ったり、隅から隅までぐるりと歩いた後、その礼拝堂で讃美歌を歌った。初めに歌った歌は讃美歌312番「いつくしみ深き」。SとわたしがソプラノのパートをYさんがアルトのパートを歌う。この歌はプロテスタント教会では定番の讃美歌だ。わたしはカソリック教会に敬意を表して グレゴリアンチャントの「主よあわれみたまえ」を歌う。アーチ型の高い天井と、上へ上へと立ち上っていくようなぐグレゴリオ聖歌の旋律はぴったり合うと思った。
Sのリクエストで以前日記に書いたAmazing Graceも歌う。これは黒人霊歌、アフリカンアメリカンの魂の歌。

この教会の信者の中には、隠れキリシタンの末裔である信者たちもいると聞く。この装飾的な美しい教会の歴史を遡る時、250年もの長い鎖国時代、一人の神父もいない中で、隠れキリシタンとして7代もの間キリスト教を継承してきた彼らの歴史にぶつかる。さらには生々しい殉教の歴史にも。
この教会は日本で初めての殉教者だった、日本26聖人殉教者に献堂された教会でもある。 26聖人殉教者について調べていくうちに、日本のキリスト者のすざまじく、胸をえぐられる闘いや忍従の歴史と向かい合うことになった。いづれこのことについて書きたいと思う。




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2003年08月06日(水) 佐世保オフ 潮の香りとともに

一週間ぶりに自宅のベッドの上で目を覚ます。
旅が終わってしまった。何かとても良い夢を見た時のような、少し空中に浮かんでいるような気分のまま、頭と心とで写し取ったビデオをはじめのところまで巻き戻し、ゆっくりと再生を始める。忘れたくないことは、できるだけ記憶の新しいうちにその作業をする。そうすると頭は、その映像を時あるごとに自動的再生を繰り返し、やがてそれは私の中でひとつの心象風景として定着する。

いつもの宮崎と大分への帰省旅行の帰りの便は長崎空港からの便を取った。ネットで知り合ったS教会の地へ行ってみよう。掲示板やメールでやり取りしている人たちと実際に会ってこようと思ったのだ。

去年の12月の初めにふとしたきっかけで、その教会のサイトへ辿りついたのだが、そこのホームページはとてもアットホームで、その土地の言葉で書かれた書き込みは佐賀の祖母や従兄弟達を思い起こさせ、何か親戚の集まりの中にいるような親近感を覚えたのだった。私がごあいさつの書き込みをすると、何人もの方が私のHPを訪ねてくださった。それからは度々、そこを覗くようになり、まだ行ったことのない遠い地でありながら、心理的にはずいぶん近い教会になったのだった。

4日の朝7時に実家を出て、大分市から長崎市までのノンストップ高速バスに乗る。目的地は佐世保なので、長崎市の手前大村インターでバスを降りる。大分市からは3時間ほどである。そこにはメールのやり取りをしてきたKが家族といっしょに迎えに来てくれていた。初めて出会う人達、それなのにすでに良く知っている人達。オフで初めて出会う時の常で、対面した瞬間というのはドギマギするものである。しかし、アジャストメントにはそれほど時間はかからない。一言、二言 話そうとするうちに、それまでに言葉で交流してきた人と目の前に現れた人とがひとつに重なる。オフで初めて出会う時に感じる不思議な感覚。

kファミリーと共に長崎空港に秋田からやって来るSを出迎える。Sとは6月の初めに、夫とともに都内で会った。今回で2回目だが、もうずいぶん昔からの友人のような気持ちがした。

Kの運転する車は大村湾の穏やかな海を見ながら佐世保に向かって走る。車の中で聞こえている音楽はキースジャレットのケルンコンサート。まるで自分の部屋のようにその音の細部まで覚えているこの曲が、初めて出会う人達と、初めて出会う風景の中で共有していることが感慨深かった。これからはケルンを聞く度に、この時の風景が甦ってくるのだろう。


K夫妻の立ててくれたプランでは、佐世保へ向かう道すがら、大村湾が展望できるホテルの温泉へ立ち寄ることになっていた。海と温泉というのは私の大好きな組み合わせだ。いつも帰省の帰りには別府湾を臨む温泉で半日ほど過ごしてから夕方の飛行機に乗ることにしているほど。今回は別府には立ち寄らなかったが、もっと眺めの良い海辺の温泉に入ることができて嬉しかった。週日のせいか、他に客はおらず静かだ。わたしはお風呂に入るとまるで時間の感覚がなくなってしまうので要注意なのだが、初めて会ったばかりのYさん(K夫人)と時間を忘れて話し込んでしまった。

午後4時過ぎに佐世保に着き、Sと私は予約していた駅前のビジネスホテルでチェックインを済ませる。5時20分にはYさんがホテルに迎えに来てくれ、オフ一次会の会場、海辺のビヤガーデンに案内してくれる。静かな入り江に美しい船が何艘も停泊していた。夕暮れ近くの海にはセンチメンタルになってしまうような独特の雰囲気がある。船をバックにしたYさんとSや、海上に映る夕日をカメラに収める。間もなくするとS教会のF牧師はファミリーが現れる。若い牧師夫妻と小さな女の子2人のファミリーははじめてS教会の掲示板を訪ねた時から写真で知っていたが、その数ヶ月後に実際にお会いすることになるとはその時は予想もしていなかった。5年前に関東から佐世保へ赴任した時のカルチャーショックや子ども達が新しい環境や言葉に親達よりも早く馴染んでいった話など興味深く伺った。二人の女の子たちは見事にこの土地の子になりきっていて、その言葉のイントネーションがチャーミングだと思った。

しばらく海辺のビヤガーデンで過ごした後、Kの家へ行く。Kのファミリーは男の子が2人いる。夜に大人に伴って子ども達どうしが顔を合わせる時にはわくわくする気分があるものだ。子どもたちの華やいだ様子に遠い昔、親戚の家に泊まった時の従姉妹達との楽しい時間を思い出していた。我々がビヤガーデンにいた間にKがすばらしい二次会のテーブルを用意してくれており、掲示板ではおなじみのYおじさんもかけつけてくれていた。豪勢な海の幸、珍しい長崎の名物、楽しいおしゃべり、楽しい時間は流れていく。ひとしきり飲んだり食べたりした後、私たちはいくつかの讃美歌を合唱し、Kの弾くピアノに合わせて、サザンやビートルズも歌う。いつか日記にも書いた讃美歌444番はわたしが下手なギターで伴奏し、ゴスペルフォークをYさんとデュエットする。また約束通り、教会学校や英語学校の子ども達とやっているDRY BONESの歌とダンスを子ども達といっしょにやった。この歌のお陰で子ども達とも繋がれたような気がする。Aちゃん、Mちゃんの一生懸命な表情、T君の少し照れた表情。
オフ会の最後にKがショパンのプレリュードとベートーベンの月光をピアノで弾いてくれた。静かで情熱的な響きだと思った。Sも最近練習したというジョンレノンのLoveを弾いてくれた。

楽しい時間をお腹いっぱい過ごして、また不思議な暖かさに満たされて10時過ぎ、Sと共にホテルへ戻る。締めくくりはSとのおしゃべり。時間はいくらでも欲しいところだが、Sはこの日は5時前から起きているし、明日の予定もあるので、12時前には自分の部屋へ戻り、ゆっくりと部屋のお風呂に入る。お風呂には睡眠効果があるラベンダーのオイルを垂らしたものの、その日に起きた新しい出来事や出会いの余韻のためになかなか寝つかれなかった。





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2003年08月01日(金) 黒川温泉、くつろぎどころ

黒川温泉を一度訪れたいと思っていた。雄大な阿蘇の山々と久住連山の懐に抱かれて黒川温泉は豊なくつろぎ空間を作っていた。日本各地の温泉街、そのどこにもそれぞれに特徴あるたたずまいがあるが、初めて訪れたこのちいさな温泉地に、私はなんとも形容しがたい独特なやすらぎを感じた。

ここには25ほどの温泉宿が集まっており、それぞれの宿が個性的で趣味がいい。また温泉の泉質も均一ではなくそれぞれに特徴がある。そんな温泉を楽しめるように「黒川温泉露天巡り入湯手形」があり、一枚1200円の手形を求めると3ケ所の露天風呂に入浴できることになっている。もちろん一件だけに長湯を決め込むこともできる。どの露天風呂も入湯料は500円だ。

夫と二人であれば間違いなく手形片手に露天を梯子するところだが今回はあまり体力に自信がない母を伴っているので、お風呂の後に休憩ができる露天の中から「のし湯」を選んだ。

うっそうとした木々の脇をわずかな坂道を上がると左手に宿の入口があった。木々に囲まれた古い民家はしいんとしていた。土産物であふれかえる温泉宿とは趣を異にする静けさは建物やその場が醸し出すエネルギーに寄るのだろう。まず食事処「木べえ」に入る。昔の馬小屋をそのままの形で生かしたその建物は遥か遠い記憶の中の祖母の家の匂いがした。塗っていない土の壁、細かい目の堅い畳、壁に掛けられた編み傘。「ねえ、おばあちゃんの家を思い出すねえ」と私「そう、編傘はじんぱちと言って、雨が降る中、あれをかぶって田植えの手伝いをしたものだった」と母。半分開いた木戸の向こう側は自然のままの薮。夏だというのにひんやりした風が入って来る。

私達は少し高くなっている中二階に陣取り、テーブルの上にしつらえた炭火火鉢の上で地鳥やビーフ、野菜などを焼きながら、ずいぶんゆっくりと食事した。
食事を終えて中庭を歩いて露天風呂へ行く。露天は木々の中にありひっそりと薄暗い。シャワーも洗い場もない。温泉地の自然を守るためにできるだけ石鹸等は使わないでくれと書いてある。純粋にお湯を楽しむ場所なのた。お湯の温度のぬるめなスポットを見つけて母と話ながらゆっくりと半身浴している内に夫との待ち合わせの時間近くになってしまった。一時間半もお湯の中に入っていたことになる。
すぐ脇の喫茶室にはひとあし先に上がった夫が大きなテーブルについて一人コーヒーを飲んでいた。ビバルディーの四季から「夏」がかかっている。きっと夏の間中この曲が流れ秋の訪れと共に音楽も次の楽章へと移るのだろう。

今度ここを訪れる時にはどの楽章を聞くことになるのだろう。秋の楽章は無理だろうが、冬か春の楽章には間に合いたいと思った。

私の実家から僅か一時間足らずのところにあるこのくつろぎ空間。母も満足な様子だったし、これからはここに来ることを帰省旅行の日程に組み入れることにしよう。


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