たりたの日記
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2002年12月29日(日) ホノルルマラソン

来年の12月はホノルルマラソンに出る! 
新年の抱負を待たないでもう決めた!

この春ジムへ通うようになって数年後にはホノルルマラソンに参加したいなと思っていたが、実現不可能な夢という感じだった。
ところが先を越されてしまったのである。先を越したのはアメリカ人の友人のG。10年来の友人で彼女は日本人のご主人と両方の血を引く娘とサンディエゴで暮らしている。毎年日本にバケイションで戻ってくる度に彼女の家族と我が家の家族で食事を共にしている。私もまた彼女もなにやかやと相手を驚かす話題を提供するわけだが、まずは彼女がスリムになった私を見て驚いたのでジムで鍛えている話をすると、「そうよ、そうよ、運動よ。私、ついこの前ホノルルマラソンに参加してきたわ。」と涼しい顔でいう。「ええっ、ほんとう?」
わたしはすっかり驚いてしまった。彼女が運動好きなんて聞いたことなかったし、見た目には目方も変っていないような気がするが、いったいどうしたわけで。
「全く、ぼくは振り回されましたよ。ぼくは参加する気はなかったんで付いていっただけだったんだが、見ているとぼくもやりたくなりました。来年は親父も連れてぼくも参加しますよ。」
ご主人も仕事を休んで5日間彼女に同行したらしい。

話に聞くと、必ずしも42.195キロを完走するだけでなく、歩いても良し、走っても良し、3時間参加、5時間参加、と最高9時間まで時間も選べるらしい。いわゆる競歩大会のようなものだということが分った。Gは8時間のコースで歩いたらしいが、歩ききれずに途中で棄権したらしく、来年はきちんとトレーニングして歩き切る構えだ。中華料理をつつきながら話題はホノルルマラソンに終始した。
「ねえ、わたしたちも来年ホノルルマラソンいっしょに出ましょうよ。」
「ええっ、ぼくは休み取れるかどうか分らないよ。」
「もし休めなければわたしだけでもGたちと出るわ。」と私は強気。

「ところでどういうわけでホノルルマラソンに出ようと思ったの?」
「わたし今年50歳になったのよ。それでその記念に出ることにしたの。」
そうか。わたしも46歳の誕生日にスポーツクラブの会員になったのだった。
運動に目覚めたのはわたしたちだけではなかったのだ。

「一年間、トレーニングして目方も減らしましょう。お互いいい目標ができたわねえ。今度はハワイで会いましょう。」
そういって、言ってわたしたちは分かれたことだった。

さて走るぞ、来年は。


2002年12月27日(金) 漕ぎゆけ、銀色の少女よ

Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)、昨日から今朝にかけてこの歌が意識にのぼってきていて、昨日はジムまで15分ほどの道のりを歩きながらこの歌を口づさんでいた。だいたいこの歌を口ずさむ時は落ち込んでいる時に決まっている。自分をなんとか元気にしたい、そんな気持ちでこの歌にしがみつく。

When you're weary,
Feeling small.
When tears are in your eyes,
I will dry them all;
I'm on your side.
Oh,when times get rough
And friends Just can't be found,
Like a bridge over troubled water
I will lay me down.

あなたが弱っていて
気持ちがめいり
涙が溢れている時
ぼくはそれを乾かしてあげよう
ぼくは君の味方だ
あぁ、つらい時を迎え
友達もいない時
濁流に架かる橋のように
ぼくが身体を横たえよう

サイモンとガーファンクルが歌うこの歌は私が中学生の時、初めて自分で買ったLPレコードの中に入っていた。確かクリスマスの頃で赤い箱に入ったギフト版だった。家にステレオはなかったから、その赤い箱を抱えてステレオを持っている友人の家へ持っていっては聞いていた。あれから30年以上も立つがその間に何度もこの歌を口づさんできた。今でも少しも色あせることなく、またその力も弱まることなく深いところで慰めと励ましとをくれる大切な歌だ。

Sail on,silver girl,
Sail on by.
Your time has come to shine.
All your dreams are on their way.
See how they shine.
Oh,if you need a friend,
I'm sailing right behind.
Lke a bridge over trouble water
I will ease your mind.

漕ぎゆけ、銀色の少女よ
漕ぎゆけよ
君の時が今輝く
君の夢はもうすぐかなう
ごらん、それがどのように輝くかを
あぁ、君に友達が必要な時
ぼくは君のすぐ後ろで漕いでいるから
濁流に架かる橋のように
ぼくは君の心をなぐさめよう (訳詩 たりたくみ)

この歌の3番にあるSail on,silver girl,
というフレーズが私はとりわけ好きだ。
「銀色の少女」という言葉はポール・サイモンの造語らしいが
凛として渦巻く波の上を航海する少女の姿が浮かんでくるすばらしい表現だと思う。

銀色の少女となって今舟を漕ぎいだそう。
そんな静かな決意のようなものが湧き上がってきた。
新しい年、濁流を乗り越え、輝く大海原に出ることができるかもしれない。


2002年12月22日(日) ろうそくが4本灯る

礼拝堂のアドベントクランツに4本目のろうそくが灯った。クリスマスの始まり。教会ではクリスマス礼拝が行われた。オルガンにトローンボーンが2台加わり、クリスマスらしい華やいだ感じになる。また教会学校の生徒たちの献歌
「世界ではじめのクリスマス」は子どもたちの純粋な気持ちが出ていて「心が洗われるようだった」という感想もいただくほどクリスマスにふさわしい捧げ物だった。

礼拝の中ではTさんとYさんの洗礼式が行われた。3年前に教会に飛び込むようにしてやってきたTさん、たまたま私もバイブルクラスに参加していた時だった。心に抱えきれないほどの苦しみを抱えていたのだろう、バイブルクラスの間中彼女は泣いていた。「礼拝堂で讃美歌を歌いますか?」と誘って彼女としばらく讃美歌を歌ったことを思い出す。Tさんはバイオリンを弾くというので何度か礼拝の中でいっしょにバイオリンの二重奏もした。また聖書の勉強会ではいろんなことを語りあった。あれから3年。彼女は一歩一歩歩みを進め、また道が開かれ、表情も明るく生き生きとなっていった。彼女の歩みを知っているだけに洗礼式は感慨深かった。

Tさんの受洗を見守りながら、同じころ隣の市にある教会でやはり洗礼を受けているMさんのことを思っていた。6月に千葉の知的障害者の施設に見学に行った際、それまで心に病を持つ人たちが集うサイトでおしゃべりしていたMさんに初めて会った。教会に行きたいと言うので私の行っている教会と彼女の家の近くにある同じ教派の教会を紹介した。彼女は家からすぐ近くにあるU教会に通うようになり、良い出会いや学びがあったようだった。サイトの掲示板での書き込みでは揺れ動きながらも以前のような行き場のない悩みを抱えた彼女が次第に登場しなくなり、喜びや感謝に満ちた書き込みが増えてきた。Mさんから洗礼式に出席して欲しいと言われていたが私は自分の教会があるので出席できず申し訳なかったが、共通の友人のWさんが洗礼式とその後のクリスマス祝会に参加してくれたようでMさんから喜びのメールが届いていた。

この洗礼式は私にとって本当に意味深いもので、書き残さないではおられない気持ちだった。人の上に働く神の業を目の当たりにしたと感じていたからだ。深い喜びと感謝の気持ちが書きながら湧いてきた。

神の意思や計画を私たちは知ることができない。けれどどんな出会いにもそこには必然が神の配慮と意思とが働いていると私は信じている。それは単に偶然なめぐり合わせではないと。人は人の中で神の意思をも知っていくのだと。
愚かな私たちはそういう配慮には気づかず、悲しんだり、恨みに思ったり、誤解したりを繰り返しているが、そういう愚かな人と人とのかかわりのただ中に神は確かに介在したもう。


2002年12月20日(金) 日本語スピーチ

 今日は英語学校の同僚のKさんといっしょに都内の教会へ日本語学校で学んでいる外国人の若者たちの日本語スピーチを聞きに行った。彼らは若いボランティアの宣教師として2ヶ月前に日本にやってきて、教団の持つ日本語学校でトレーニングを受けている5人の青年たちだ。来年4月から各地の教会へ配属され、キリスト教の宣教の役割を担い、教会や地域の人々と交わり、そこの教会が行っている英語学校の教師を務めることになっている。すでに大学を卒業して来た人もいれば、まだ学業の半ばにあり、この2年間でボランティアが単位の一部となる学生もいる。いずれにせよ、自国を離れ、見知らぬ文化と言語を持つ国で自分達に与えられた役割を果たしたいという大志を持ってやってきたのだ。

 日本に来てわずか2ヶ月とは思えないスピーチだった。原稿も日本語で書いている。教える側も学ぶ側も並々ならぬ努力があったことがうかがわれる。外国に住み、そこの言語で意思疎通をしていくことがどんなに骨が折れ、またストレスの多いことか身にしみて知っている身としては、懸命に日本語でスピーチをする彼らの姿に胸の熱くなる思いがし、彼らのやる気や夢を損なわないように十分なサポートをしていかなければという気持ちが起こってきた。それにしても我が子とそれほど年が違わない青年達がずいぶんしっかりしていることに驚かされる。アメリカの青年の特徴だが自分達の親くらいの年齢の者に対しても友達のようにフレンドリーな向かい方をする。スピーチの後のパーティーでの話も楽しく、ギターに合わせてキャロルを歌ったのも楽しかった。

 さて、その教会の最寄の駅飯田橋から長男の通う大学がある市谷はひと駅だ。四谷の本校のキャンパスにはそこにある図書館を利用するために何度か行ったものの、本人が学んでいるキャンパスには一度も行ったことがなかった。
話に聞いていた通り、こじんまりしたキャンパスは日本テレビの真向かいにあった。守衛の方に父兄ですというとすんなり通してくれる。入り口からして入りやすい感覚があった。敷地にいくつもの建物や施設のある総合大学とは赴きを異にする、なんとも暖かく楽しげなエネルギーがその建物全体に満ちている。英語と日本語が入り乱れて聞こえてくるし、教室からは英語での熱の入っ講義が聞こえてくる。kさんとこんな大学でまた勉強したいねと話したことだった。しかしわが息子、携帯で今キャンパスに来ているとメールすると、「マジ迷惑なんだけど。相手はできないよ」とシツレイな返事。さっきまでいっしょだったアメリカの若者たちとはえらい違いではないか。しかし、彼も心を入れ替えたのか入り口のところで待っていてと言ってきた。待っていると友人3人を連れてやってきて一応紹介もしてくれる。ドイツ人のM君には入学式の時にあっているし、女の子2人も名前は聞いて知っていた。彼女たちはにこにこしながら私を見て「Hのママって感じ!」と言ったが、それは誉め言葉と受け止めてよいものだろうか。なんともフクザツな気持ち。

 これから日本でボランティアとして働くアメリカ人の若者たち。日本の大学に学ぶ外国の若者たち。また日本を離れて外国で生活してきたバイリンガルたち。彼らひとりひとりが異なる国と国、異なる文化と文化の架け橋になっていくのだろう。この若い時期に十分に学び、多くのことを経験し、力をつけてもらいたいと思う。


2002年12月19日(木) ファンレター

今朝は朝からいい気分!
わたしの言葉を気に入ってくれた方から「ファンレター」のメールが届く。
ファンレターよ、ファンレター。
単純なわたしはそれだけで十分舞い上がり、ポジティブなエネルギーが湧いてくる。
言葉はそういう触発やエネルギーに十分影響されるんだ。しばらく眠っていた書きたい気分が頭をもたげた。書き始めてそのままほおっていた小説をひっぱりだす気になった。
満月が欠け始めたからルナティックなわたしも影を潜めたに違いない。
なんだか新しい風。

おっと、でも書きたい気持ちはちょっとこのままにしておいて、今日はジム三昧の貴重な木曜日。でかけなきゃ。
本日のメニューはまずラテンエアロ、色っぽくまた熱く決めます。次にダンベル、インストラクターは超ゆかいな20代のS君、おしりとおなかのシェイプアップ。最後はファンク、めちゃかっこいいステップ、きまればの話だけど。フロアーも入っていてまさにストリートダンス。半端じゃない汗をかいた後、さらにサウナで汗をしぼり、また20分自転車飛ばして帰ってくる超豪華版。

会社で働いているわが夫、青息吐息(でもないようだけど)の受験生、私に借金を返済すべく日々バイトに励む大学生、悪いわね、行ってくるわ。ご飯はちゃんとおいしいの作って待ってるからね。


2002年12月18日(水) 満月の夜

帰り道、見上げた空に満月が輝いていた。昨日や今朝のように感情のコントロールができないことが前にあって、その時が2度とも満月の時だったことを思い出した。ルナティック(狂気の、常軌を逸した)という言葉があるくらいだから月と精神の異常には深いかかわりがあるのだろう。頭で分っていることが感情のレベルに及ばない。というよりは感情が理性を凌駕してしまうのだ。誰にでもあることなのだろう。しかし、理性が働かなくなった僅かの隙間に人間は思いがけない行動に移ることがあるのだろう。世の中で取り沙汰される事件や犯罪の中にはあの人がなぜといわれるような出来事が少なくない。落とし穴がいくつもある危ういところを私達は歩いているのかもしれない。私は大丈夫と自分を頼みにすることなどとうていできないのだ。

「試みに会わせず、悪より救い出し給え」主の祈りの一節が浮かんできた。


2002年12月17日(火) ワイルド キャット

いったい私のどこに住んでいたというのだろう
昨日の夜
あたしはあきらかにワイルドキャトだった
怒りというよりは何か獰猛なエネルギーが吹き荒れた
私の中の山猫は唸ったり引っかいたり
ひとあばれするとまたひっこんでしまった

何かがちょっと変
何かのバランスがくずれている
今朝ジムへ行く途中のこと
向こうから来る車を待てないで飛び出してしまう
帰り道、向こうから来る車を行き過ごそうと待っていたのに
寸前のところで車の前を突っ切って道路を渡る
自分から車に飛び込んでいくなんてまるで自殺行為
理性と行動とが一致していないのだ
昨日のワイルド キャットがまだ影響しているというのだろうか

でもいったいなぜ?


2002年12月15日(日) 3本のろうそくに火が灯る

 昨日は英語学校のクリスマスキャロルの集いがあり、日本語と英語でキャロルを歌い、クリスチャンの演劇グループによる英語劇を見、それぞれのキャロルの背景についてのショートメッセージを聞き、また2部ではお菓子とお茶をいただきながらいろんな方々と話した。

 甥っ子たちや親たちへのクリスマスの贈り物を送り、ツリーの下には英語にやってくる子ども達のプレゼントや子どもや夫へのプレゼントも置いた。親しい友人たちへの贈り物も用意し、クリスマスのイベントも ひとつづつ無事に終わっていく。クリスマスカードや年賀状まではとても気が回らないし、ご無沙汰している方へのお便りやクリスマスカードの返事など、やっていないことはまだまだあるものの、ともかく師走は前へと進んではいる。

 今日はアドベントクランツに3本目のろうそくが灯った。説教のテキストはヨハネによる福音書1章19〜28、先週に引き続いて洗礼者ヨハネの箇所だ。ヨハネは、自分はキリストを証しするものであってキリストではないと何度も強く否定する。そして言うのだ。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」と。

 ヨハネは自分の後から来るというイエスを、あなたは今は知らないがすでにあなたの只中にイエスはいるのだと語っているのだとの説教を聞き、この聖書の意味がようやく解きほぐされると同時に深くまた豊かなイメージを伴って迫ってくるように感じた。まだイエスに出会っていない人たちに対して、すでにあなたの中にその方はおられると語るヨハネ。そういえば、イエスを知らないという人たちの向こうにイエスが透けて見えることがある。「あなたはイエスを知らないという。けれどもあなたの中にいるイエスが私には見える」そんな無言の言葉を私はその人の魂に向かって呼びかける。

 また説教の中でこんなことも語られた。ヨハネは自分をキリストを証しするものと位置づけているが、証しとは何か。それは自分を見せることではなく、むしろ自分を取り去ること。自分を透明にすることだと。透明な私を通してその背後にいるキリストが見えるということ。キリストが私の中にいますように、キリストが立ててくださったもののように生きるということだと。
この透明という感覚、よく分かる。自分を殺すことではない。自分が隠れることでもない。私は私としてそこにいるのだが、私が普遍なるものに開かれている。真理をブロックすることなく、そことパイプが通じている感覚。

透きとおっていきたい。


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ヨハネ1章19〜28
◆洗礼者ヨハネの証し
1:19 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、 1:20 彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。 1:21 彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。 1:22 そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」 1:23 ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
『主の道をまっすぐにせよ』と。」
1:24 遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。 1:25 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、 1:26 ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。 1:27 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」 1:28 これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。


2002年12月11日(水) 幼児クラスのクリスマス会

ショック!
一時間近くもかけて、この日の日記「幼児クラスのクリスマス」の模様を事細かに書いたのにほとんど後数行というところで、手がふっとどこかのキーに触れた瞬間に画面が消えてしまった!
ワープロを開いてそこで書けばそんな問題はないのに、ものぐさな私はオンラインでそのまま書いては即アップしている。めったに消えてしまうことはないが、それでも何回かは消してしまっている。一度書いて消えたものをもう一度書くというのは気がそがれてしまってとても書けない。でもかいつまんで書き残しておこう。

 この日は幼児と幼児クラスのOB、お父さん、お母さん、おばあちゃん、そして妹や弟、合わせて40人ほどのクリスマス会となった。今年はつくしんぼ保育室の遊ぼう会をいっしょにしているジャズピアノのWさんに協力を仰ぎ、雰囲気を盛り上げていただいた。いつもより30分長い80分なんとか無事予定したプログラムの通りに進めることができた。いつもの小さい教室ではなく礼拝堂でやったので、雰囲気が違うことでワイルドになる子やシャイになる子、注意力が散漫になる子と、子ども達の反応も普段とは違い、大勢でやる楽しさもあるが集中した場面を作るのは難しいものがあった。しかし、Wさんがクラスの間中ずっとピアノを弾いてくれていたので、全体に楽しい空気が漂っていてお母さん方は楽しまれたのではないだろうか。しかし3歳から7歳まで30人を1人で動かすというのはちょっと無謀だったような気がする。子ども達ひとりひとりと繋がる充実感に欠けた。何とか飽きさせないようにトラブルが起きないようにとテンションを張り詰めたまま、自分自身が楽しめないところがあった。反省。

 しかし1人のお母さんが、「先生がサウンド・オブ・ミュージックのマリア先生のようで素敵でした」と言ってくれた。ギターを弾きながら「聖しこの夜」を歌ったからだろうか。それともすそが広がった赤いスカートをはいていたからだろうか。ともかくそれほど悪い印象ではなかったのだったらよかった。ピアノのWさんも「こういうのいいですね」とまた来年も手伝っていただけそうな様子。まずは良い今年最後のクラスを終えることができた。感謝!

 


2002年12月09日(月) 雪の朝

 目覚めたら雪が積もっていたというのはそれほど珍しいことではないが、我が家は天気予報を気にかけていなかったから今朝の雪は寝耳に水(雪か)状態だった。電車は動くのだろうか、自転車では行けそうにない。歩けば靴がびしょぬれになる。朝ぎりぎりに起きてきた息子たちは日頃のように自転車を飛ばし家から電車に乗り込むまで3分という芸当ができす、「雪って迷惑だよなあ」「試験じゃなけりゃ絶対休むよ」などとぶつくさ言いながら靴下の換えをバッグパックに入れて雪の道中に出ていった。

 私は私で早い内に家の前の雪かきをしておかなければと、分厚いジャンバーと帽子に身を固め植物の雪を払い、家の前の道の雪かきをする。家族も出払い、雪かきも終われば、暖かい部屋から窓の外の雪を眺めるのはいいものである。今日は幸い外に出る仕事も用もない。英語に来る子ども達のクリスマスプレゼントのラッピングをしたりケーキを焼いたりといったクリスマスの準備をしよう。

今朝ホームページのカウンターが10000回を切っていた。去年の8月から始めて1年4ヶ月か。ここで書くこと、ここを開くこと、ここで出会うことが生活の中で大きな部分を占めている。仕事や活動を終えて心を休めたい時はPCのキーボードに向かう。こうして言葉を綴るということが何よりの休息になるのは不思議だ。さて、リコーダーの奏でるパストラルを聴きながら今日の仕事を始めよう。


2002年12月08日(日) クランツにろうそくが2つ灯る

金曜日にひいた風邪の成り行きが心配だったが、昨夜のサウナと硫黄風呂の荒療治が効きいたのか目覚めてみるとずいぶん良くなっている感じがした。もう喉も痛くはない。教会も午後からのミュージカルの練習も穴を開けずにすみそうだ。

いつものヨーグルトとフルーツの朝食に今日はトーストをプラスして腹ごしらえをし、夫と共に教会へ。子ども達が集まるまでの時間、オルガンで前奏曲を何曲か弾く。今日はどういうわけだか子ども達の出席が少なかった。でも英語学校から教会学校へ来るようになったKくんとNちゃんは、ご両親もいっしょに出席されていてとてもうれしい。牧師先生、教会学校の校長のKさん、夫もそこにいるのでご父兄も含め6人の大人と6人の子どもの前で準備してきたバプテスマのヨハネの話をする。子どもたちはずっと目をこちらに向けて聞いてくれていた。「熱演だったね、よかったよ」と夫がコメントをくれる。そうなのだ、子どもの前で話をする時、かなりテンションが上がっている。この日の午後のミュージカルの練習では全体にテンションが低いと言われたが、その違いはどこから来るのだろう。教会学校の話は原稿は書いたものの、暗記するわけでも、読むわけでもないからほとんどアドリブともいうべきものだ。一方芝居は何度も台詞を読み、すっかり暗記しているのに、まだ恐れや躊躇から解放されていない。

待降節第2主日の礼拝。S牧師による説教は「主を待つ心」、テキストはマルコによる福音書1:1−8、バプテスマのヨハネの箇所。先週の日曜日から新しい教会暦が始まったが、今年の聖書日課はマルコによる福音書で、この1年間マルコによる福音書を読み、それをテキストにした説教が語られることになるということだった。マタイ、ルカ、ヨハネ、それぞれの福音書の記者によって切り口や視点に違いがありそれぞれのバックグラウンドやパーソナリティーが反映されていて興味深いが、私自身はマルコによる福音書が一番好きだと感じているのでこの1年マルコによる福音書を読み、また聞いていけることはうれしい。

今日語られた話の中で印象深かったのは、他の福音書ではイエスの誕生から始まっているが、マルコはあえてイエスの先駆者であった洗礼者ヨハネを福音書の冒頭に持ってきている、それはマルコがまず洗礼者ヨハネを描くことで福音の根本を語ろうとしたからだ、ということだった。確かに荒野で「悔い改めよ」と叫ぶヨハネの姿を思い浮かべる時、何か襟元を正さずにはいられないようなきりりとひきしまる感覚を覚える。S牧師はまたこう語られた。洗礼を受ければそれで良いというのではない。罪は一度赦して頂いたらそれで終わりというわけではない。私たちは日々、古いアダムに死んでいく、私たちは日々罪を悔い改めていくのでなければならない。主は整えられていない高慢な道を通っては来られない、狭くて固い道を通ってはこられないと。

良く耕され、石が取り除かれ、整えられた道。また広く、弾力のある足の裏に豊かな大地の恵みを感じさせるような道。そんなまっすぐな道が浮かんでくる。心の中にそんな道を一本すっきりと通したい。主を待つ準備の時。
アドベントクランツにはろうそくが2本灯った。


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マルコ1章1〜8
◆洗礼者ヨハネ、教えを宣べる
1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの道を準備させよう。
1:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、1:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 1:6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。 1:7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。 1:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」


2002年12月07日(土) 荒野で呼ばわる声、バプテスマのヨハネ

明日は教会学校でお話をする当番なので原稿を書いた。きっとこの通りには話さないのだろうけれど。子どもたちの前に立つと自然に「言うこと」が降りてくることがある。その昔、私は教会学校で聞くお話が好きな子だった。子ども達の心に届く話をしたい。


   荒野で呼ばわる声  (テキスト:マルコによる福音書 1 1〜8)

先週の日曜日12月1日に祭壇のアドベントクランツの4本のろうそくのうちのひとつに火がともっていたね。今日は2つのろうそくに火がともっています。アドベントがもう半分まで来たんだね。アドベントっていうのはイエスさまが生まれた日のクリスマスを待つ4週間のことなんだけど、みんなはどんなクリスマスの準備をしましたか。

わたしはこの前の月曜日にクリスマスツリーや壁飾りや生誕のお人形などを出しました。でもね、その前におかたづけやお掃除をしなければならなかったの。先生のうちのリビングルームはそんなに広くないからテーブルや植物の鉢なんかを動かしてツリーを置く場所をつくらなくちゃならないの。それでね、いろんなものを動かすとね、今まで気が付かなかったところのほこりや汚れが見えてくるから午前中はお掃除をしました。床にはワックスもぬってぴかぴかにしました。どうせお正月の前には大掃除をするからお掃除はその時でいいかなって思ったんだけれど、せめてツリーを置く部屋だけはクリスマスの前にきれいにしたい気持ちがしました。すっきりしたお部屋にクリスマスツリーを飾って夕方には電気は消してろうそくに火をともすと気持ちがぴりっとしてなんだかお正月の時のような新しい気持ちになりました。


さて、今日のお話はイエスさまがいらっしゃる前に、イエスさまがいらっしゃるための準備をしたバプテスマのヨハネという人のお話です。この人は少しだけイエスさまより早く生まれたイエスの従兄にあたる人でした。この人は普通の人と少し違った暮らしをして違った格好をしていたようです。住んでいたところはお家ではなくて獣が出てきたり、石がごろごろしているような荒れ野でした。布の洋服ではなくてらくだの毛皮を着て、腰には皮の帯をしめていたんですって。そして食べていたものは何かというとパンやお料理した肉や魚や野菜ではなくてハチが集めるはちみつと荒れ野に這い回っているいなごという虫でした。虫を食べるなんて気持ちが悪いですか?先生は一度食べたことがありますよ。先生子ども達が通っていた幼稚園は草っぱらの中を駆け回ってイナゴをみんなで集めてそれをから揚げにしたり佃煮にしたりしてお弁当の時間に食べていました。でも普通はそんなもの食べないよね。

じゃあ、そのヨハネさんはそんな寂しい荒野でいったい何をしていたんでしょう。荒野で叫んでいたんですって。なんと叫んでいたんでしょうね。
「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」
って叫んでいたんですって。主の道っていうのはイエスさまがいらっしゃる道のことなんだけど、何もスコップやつるはしを持って道路工事をしなさいって言ったんじゃないよ。道っていうのは心の中にある道のこと。心が荒野のように石ころだらけだったり、曲がっていたりしたらせっかくイエスさまが来て神様のことをお話してくださってもそれがさっぱり心の道を通らないからイエスさまがいらっしゃる前に自分がどんなに神様の前でまちがったことをしていたかに気が付いて神様にあやまって神様の方に心がまっすぐに向くようにしなくてはいけないって叫んでたの。多く人がその叫び声を聞いてヨハネさんのところに集まってきました。そして神様にごめんなさい、ゆるしてください。という気持ちを表すためにヨルダン川に入ってヨハネさんから水をざぶざぶかけてもらってバプテスマっていう儀式をしてもらったの。そんなヨハネさんに「あなたは救い主ですか」と聞く人もいたんだけど「、私は救い主じゃない。私よりすぐれた方がいらっしゃる。私はその方の履物のひもを解いてあげる値打ちもない」っていったの。その方っていうのはイエス様のことなんだけど、ヨハネさんはイエス様より少し早く生まれた従兄なの。普通は、従兄のおにいちゃんは年下の子にはいばるでしょ。でもヨハネさんは自分よりずっと優れた人が来て、その人がいらっしゃるための道ならしをしているだけなんだって言いました。ヨハネさんは自分は靴の紐を解く値打ちもないといいましたが、イエスさまがいらっしゃる準備のために命をかけて働きました。最後はヘロデ王から殺されてしまいましたが、イエスさまがいらっしゃる道を整えるという神様のお仕事をりっぱにやり通しました。

わたしたちは小さくてヨハネさんがイエスさまのくつの紐を解くほどの値打ちもないとすれば、もう見えないくらい値打ちのないものかもしれないけれど、みんなそれぞれ神様からお仕事をもらっていると思います。妹や弟のめんどうを見るというお仕事かもしれないし、学校での係りや委員のお仕事かもしれないし、困っている子やいじめられている子たちを助けてあげることかもしれません。それぞれにちがった大切な神様が下さったお仕事があるはずです。

アドベントは 後何日たったらサンタさんがプレゼントを持ってきてくれるんだろうとか、後何日たったらおいしいクリスマスケーキが食べられるんだろうとクリスマスの楽しいことを待つだけじゃなくて、ヨハネさんが道をまっすぐにしなさいといったように心の道をまっすぐに神様の方へ向けてイエス様をお迎えする心の準備をする時なんです。神様が今わたしに何をしなさいとおっしゃっているのかそれをしっかり聞き取っていきましょう。


2002年12月05日(木) クリスマス パストラル

どうやら風邪をつかまえてしまったらしい。運動とサウナとノニジュース、もうしばらく風邪とは縁がなかったというのに鼻水と喉の痛みがある。身体も少しふわふわした感じ。今日予定していた庭仕事は取りやめにして窓の外の紅葉したハナミズキの葉を眺めながら一日家の中で過ごした。

いくつかあるクリスマスのCDやテープの中から「クリスマス パストラル」を選ぶ。静かなリコーダーアンサンブルの音が流れる。パストラル(牧歌)の名の通り牧歌的な素朴な音が少しダウン気味の身体に優しく入ってくる。このCD、1993年に日本ルーテルアワーから出されたものでリコーダー奏者の吉田実さんを中心とするリコーダーアンサンブル、コンソート・リコルドが演奏するリコーダーによるクリスマス曲集だ。この中にはバッハや、ブクステフーデの古い曲に混じって藤原豊氏と広瀬量平氏による日本の現代作曲家によるクリスマス曲が2曲収録されている。イスラエルから距離的にも文化的にも遠く隔たった極東の国で生まれたクリスマスの音楽。しかし、クリスマスの持つひそやかさとこの国の持つ音の深さとはとても呼応していると感じる。

5時過ぎ、もうすっかり暗い。クリスマスツリーにライトをともしコーヒーテーブルに並べたテラコッタのクリッペ(キリスト誕生模型)のキャンドルに火を灯す。ろうそくの明かりがペルー製の粘土のマリアの顔を照らしている。この日、世界の多くの家々の窓辺にアドベントのためのキャンドルが灯されているのだろう。
風邪をひいたお陰で静かなアドベントの一日を過ごすことができた。感謝。


2002年12月02日(月) クリスマスツリー

毎年12月1日に出し、1月5日の顕現節まで飾っておくクリスマスツリーをこの2年間出さないままだった。どうしたって気ぜわしい12月なのだが、ここ2年は暮れに帰省することもあってかさらに心にゆとりがなかったのかもしれない。

今朝、夫が出勤する前にベッドの下にしまってあるクリスマスツリーの箱を取り出してもらった。今年は腕の筋肉も付いているからツリーの入った大きなダンボールの箱を1人で下まで降ろすことは1人でできそうだ。まずツリーを置くスペースを確保し動かした家具の下の掃除もしたい。そうなのだ。ツリーを出すとなるとそれに伴う片付けや掃除がまず先立つからゆっくりと時間がある時でなければ出す気になれないのだ。

なんとか午前中で掃除が終わり、ワックスもかけた床にツリーと組み立てる。
飾りは夕方小学生たちが英語のクラスにやってくるのでレッスンの中で飾りつけをさせることにする。まず小学校2年生の5人のクラスだが、子ども達は歓声をあげる。箱一杯の飾りを見てさらにエキサイトする。私も子どもの時そうだった。父がどこからか切ってくるもみの木にわくわくしながら折り紙で作った飾りや白い綿をくっつけたものだった。

好きなオーナメントを手にした子どもたちがそれぞれ「What's this?」と聞き、私がその名前を英語で言う。日頃あまり声を出さないWくんが一番元気よくその英語を復唱するのに驚く。他の子たちはお勉強モードだとしっかりやるのだが、Wくんは遊びモードだと生き生きとしてくるということが発見できてよかった。

それにしてもこの飾り、ひとつひとつにいろんな思い出がある。一番古いものは私が結婚前、小学校の教員をしていた頃、卒業していく6年生の子がプレゼントにくれたもので、楽器をフェルトで上手に作ったものだ。確か音楽クラブにいた子で卒業式の日、お母さんが「この子が先生のような音楽の先生になりたいというんです。」とごあいさつくださった。ピアノが下手で泣く泣く鼓笛隊の指導をした新米教師だったので、そのお母さんの前でただ下を向いて恐縮していた。

紙粘土をクッキーの型で抜いたハートやツリーの飾りは団地でたんぽぽ文庫をやっていた時、バザーのためにたくさん作ったもの。子ども達がアメリカの幼稚園や学校で作って持って帰ってきた飾りや友人にクリスマスプレゼントとしてもらったものもある。飾りの中にはいくつか写真にリボンを付けたものも混ざっている。遠い日の我が家のクリスマスの場面や、知り合いからいただいた家族写真をツリーに飾る。クリスマスツリーはいわば思い出のツリーでもある。

そういえば、アメリカの公立小学校ではこの時期エントランスに置かれたツリーをクリスマスツリーとは呼ばずにフレンドシップツリーと呼んでいた。様々な宗教のバックグラウンドを持つ子どもたちが集う学校でひとつの宗教だけを取り上げるわけにはいかないということだった。当然、宗教色の強いクリスマスキャロルは学校の中では歌われない。私は公立学校の先生方のこの公平な感覚が好きだと思った。しかしここは日本。この時期にはデパートでもスーパーでも賛美歌が流れるほど、クリスマスが生活の中に入り込んでいるこの国の寛容さを利用させていただき、クリスマスの時期にはクリスチャンでない方々とその喜びを共有できることをうれしく思っている。


2002年12月01日(日) アドベント(待降節)のはじまりの日

教会暦では今日からアドベント、待降節に入る。
世の中は1年のしめくくり、カレンダーの最後の一枚だが、教会の暦の上では新しい1年が今日から始まることになるらしい。

祭壇には紫色の布がかけられ、祭壇の下には生誕の様子を現した木製の人形が飾られる。しんとした待降節の始まりの朝、何か元旦の朝に通じる凛とした空気があった。

S神学生によって主日のメッセージが取り次がれる。
暗闇と絶望の中で「光あれ」と告げられる神の言葉が当時ローマの支配下で苦しんでいたイスラエルの人々に希望を与え、彼らを生かし続けたように、今日わたしたちを取り囲む不安な現実の中で「光あれ」という言葉に命を与えられる。人々が待ち望んだ救い主はろばに乗ってこられた。おろかな動物の象徴であるろばに。ろばのようなおろかさを自分の身に引き受けたイエスは力の支配ではなく愛よって生み出される世界を私たちに見せてくれた。人々の重荷を負い、他者に自分を与えていくという生涯を通して。

「他者に自分を与えていく」というひとつのフレーズがひとつの衝撃のように私の内側に入ってきた。
他者から奪うのではなく与えていく、その方向をさぐってゆきたいと思う。
アドベントのはじまりの日。


たりたくみ |MAILHomePage

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