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2008年11月26日(水) インタビューの失敗はインタビュアーに何をもたらすか?

インタビュー実習をしていると、なかには「失敗」することもある。
自分の聴きたいと思っていたことがきけなかったり、深く聴けないということがある。
なかには「遠慮」してしまって、どうしても面と向かって聴けなくて、聴きたいことが聴けないということもあるときく。ナラティブアプローチを実践していくうえでも、うまく聴けるように指導していく必要があるだろう。

しかし、他方で「失敗」とは面白い現象だと思う。
マイケルホワイトの「個人的失敗」という概念がある。「個人的失敗」とは、その人のアイデンティティに深く関わっており、自分が「不適格」だと感じるような類いの失敗である。

ホワイトは、ある心理カウンセラーの事例をあげている。マックスというこの青年は、ケース会議でもクライエントとの面談でも、その人の問題をつきつめることができず、周囲からも自らも「ダメだ」と思われている。手を焼いた上司からホワイトのところにリファーされてきたマックスは、そこで自分が母子家庭に育ち、自分の母親が支援者との関係でいかに傷つけられやすい立場にいたかを語る。だからこそ、自分が支援者の立場にたったいま、クライエントに対してできるかぎり誠実であろうとしていたのだ。

すでに明らかなように、個人的失敗とは、例えばセラピー文化のように、集合的にわかちもたれている信念からのズレとしてあらわれる。このセラピー文化は、クライエントの生活を管理しようとする近代的権力を代表しており、したがって「失敗」とは、この近代的権力を相対化する糸口となるとホワイトはいう。

ナラティブインタビューにおいて、「遠慮」したいと思ったのは何だったのだろうか。聴きたいけれど聴けないと思ったのはなんだったのだろうか。克服すべき課題とするのと同時に、自らが無自覚に前提にしていた信念を明らかにし、相対化するために「失敗」を使いたい。



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