2005年05月08日(日) |
「グランドフィナーレ」/阿部和重 |
妻に離婚され、会社も首になった主人公。離れ離れになっている愛する娘の誕生日に、一目娘をみたい、プレゼントを渡したい・・・、という気持ちは理解できるんですけど。 読んでいくうちに、離婚や娘に会えない原因は、主人公がロリコンで自分の娘や他の女の子の写真をたくさん撮っていた&副業にしていたのがばれたことによるものだと分かってきます。(分かったときにはけっこう脱力してしまいました) そしてだらだらと無職な日々をすごしている主人公の日常や周りの人間との会話がかなりリアルでおもしろいというか読みやすかったし、終わりのほうで出会った二人の少女の気持ちがなんか伝わってきて可愛らしいな、と思ったり、それで主人公もちょっとはまともになるといいな〜と思ったり、したのですが。
でも帯の「文学が〜追いついた」はどうなんでしょう。 おおげさに言うと、「現代タブーとされている一歩間違うと(いやすでに)ロリコン=幼女虐待、そうなる男の心境がテーマ」になっていると思うんだけど、読みやすさと主人公の適当な軽さがかえって、「こうゆう人実はいっぱいいるんだろうな」と思わせて恐ろしい。女性としては拒絶感を覚える人もいるかもしれないと思いました。 小説として読めば小説でしかないのだけど、読む人によって感想も分かれるだろうな。この話はテーマがテーマだけに。 でも他短編2作はあまり印象に残りませんでした。 文章はとてもウマイというかおもしろいので、また長編が読みたいですね。
最近、昔学校で習った(読んだ)近代史の人々の本が読みたいな〜と思って、手にとった一冊。樋口一葉、よく聞く名前で5千円札の顔にもなったけど、いったいどうゆう人だったのか、そういえば自分は何も知らない。
彼女は明治時代の歌人・小説家で、わずか24歳でその生涯と閉じました。 その人生は・・・読んで初めて知ったことですが、なんというか。 女性がお金を稼ぐことが難しいその時代に、家督として貧しい家と家族を守り、和歌を愛しながらお金を稼ぐために小説家となり・・・女性としての強さとすばらしい才能を持ち合わせながらも、心安らぐひとときも得られず、密かに想う人に想いを打ち明けることも(というか話す機会もなかなか)叶わず、病に負けて静かに生涯を閉じたのです。 この時代、しょうがないことだったのかもしれないし、彼女のように夢を持ちながら叶うことも名前が残ることもなかった女性はたくさんいるとおもうのですが、なんとも口惜しい気持ちになりました。 現代ではこんなに評価されているのに、とても若いのに、貧しさの中で寂しく病気で死ぬしかなかったなんて・・・著者もこのような思いと、彼女の作品のすばらしさに感動して、彼女の生涯を綴ったこのような本を書いたのでしょうね。
彼女のことを知った今、また新しい気持ちで彼女の作品を読んでみようと思いました。
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