ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

第9、第9 - 2003年10月30日(木)

またもう1ヶ月もすれば、
私の大好きな「第9」のシーズンだ。


昨晩、FMで生放送をしていた
日系3世の名指揮者、ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団の
ベートーヴェン「第9」を聴いた。


このコンサート行きたかったんだけど、
この頃はなかなかに忙しくって、
悔しかったけどパスした。


しかし!
この「第9」すごい迫力があって、とてつもなく素晴らしかった。
あーー行けばよかった…


こないだのハーディングもそうだが
今の指揮者がベートーヴェンを演奏する際、
昔はともかく今はいっぱい考えなくてはいけないことがある。


楽譜の研究が進み、昔のように慣習的にやっていては曲の革命的斬新さがよくでてこない。
が、昔のやり方にも伝統の味、良さがある。
楽器もしかり。
ベートーヴェンが生きていた当時の楽器は、今の楽器のように改良に改良を重ねて
大きく!美しく!響く楽器ではなく、
また奏法も、フレーズのアクセント感、リズム感も違っていたことが
研究でどんどん明らかになっているから、それも考慮しなければならない。

こういったことを指揮者がどのようなバランスで取捨選択して、
自分の中で消化して音楽にするか?

いい加減、適当にやっている演奏家ならいざしらず
大家で真摯に音楽に取り組んでいる一流の人は大変だ。


こないだのハーディングはそれに鮮やかな解答のひとつをだしていたが、
昨日のケントもまた違った答えをだしていた、と思う。

ベルリンのオーケストラはゴリゴリ〜とすごく力感あふれる音を出していたが、
ケントはその音をベースに様々な創意工夫をして
「ハッ!!」とするような新鮮で透明な演奏をしていた。



しかしこれは放送で聴いただけ。


あーーーーー!
今日もあるんだよ、2日目の演奏が。
行きた~~〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い



...

札幌の帰り - 2003年10月28日(火)

またまた札幌に行ってきました。

やっぱ寒いですねー。
東京と10度くらい違うから、
真冬の格好でもまだ寒さが身にしみました。


札幌ではとっても幸せな三日間を過ごしてきました♪


んで、その帰り。
羽田に夜10時くらいに到着。
「腹へった〜〜〜。」と空港のカレースタンドに飛び込んだ。

もう時間が時間なのでポークとビーフしかないと書いてある。

「ん〜〜、そんじゃぁ・・」と言いかけると
店のお兄ちゃんが
「ビーフはなくなったんでポークのみっす。」





























その兄ちゃん、
まさしくポーク顔( ̄(||) ̄)




...

通ずる、ということ - 2003年10月24日(金)

昨晩、とっても恥ずかしい失敗をして
N響のコンサートを聞き損ってしまった。

くやし〜〜〜い!

で、あんまり悔しいので帰りにタワーレコードでCDを一枚買って帰った。
オットー・クレンペラー指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン「田園」ライヴ。


これは凄かった。
こんな腹の底までズシンと響く「田園」は初めてかもしれない。


しかしなぜか聴きながら、
こないだ聴いたハーディングの「田園」のことがダブッてきた。

「似てるな…」


いやいや、似てるわけなんかないのだ!
全くといっていいほど違う。テンポも響きもなにもかも。

でも両者にはこの「田園」という曲を本当の意味で
新鮮に聴かせてくれている、という感触が私にはある。


全然違う話だが、
昨日は同じようなことがあった。


話題のドラマ「白い巨塔」。

唐沢さんが田宮二郎のように財前五郎という人間くさいキャラクターを
しっかり演じられるのか??
という心配が正直あった。
世間の方々もそうである、と思う。

でも唐沢さんは期待以上だった。サスガだ。


しかし第2回めくらいから「おやっ?」と
漠然と感じていたのは
唐沢さんが田宮さんに見えてきたのだ。

「錯覚だよ。」といわれりゃ反論する言葉をもたないが
私にはどうしてもそう見える。


思うに、あの作品の中で財前五郎という人間がいかにしっかりと造型され、描かれていたから、
だからこそそれを田宮さんも唐沢さんも違う方向から演じていったのにもかかわらず、
到達するところが案外近くなったのではないか?


勝手な想像です。
これからどうなるかわからないし。




...

ささやかな喜び - 2003年10月22日(水)

洗濯機のセレクトモードを「念入り」にしてみた。


すると


おおっ!!!


今までと洗い具合が劇的に違う!
かわくとしなやか〜。
白い白―い、いい匂〜い。


今まで「標準」でしかやったことなくて
最近どうもシャツの襟元なんかが痛んだりするので
今回はこうしてみたのだ。


なーんだ、早くそうしていればよかったよ。


こんなことで心が和んでしまう私であった…



...

とっちらかってます!! - 2003年10月21日(火)

机の上もすんご〜〜い状態。

でも仕事の性格上、どこになにがあるかは把握しないとエライことに。

それを人にさわられようものなら激怒。


いや〜、子供とお母さんのやりとりみたいだね、こりゃ。
部屋を片付けられて怒る、みたいな。


テンション上がりっぱなし。


ふと「ドラゴンボール」で
悟空がスーパー・サイヤ人になっても理性を失わず普通の状態をキープしようと
修行している場面を思い出した。


私も修行だ!!
(↑バカ)




...

スキ間をぬって - 2003年10月17日(金)

忙しい、忙しいと言いながら
できる限りセッセとコンサートに通う私。


だって勉強のためですから。


と言うと、周囲から
「そう言うと立派な言い訳になるもんなー。要は好きなだけだろ。」
と言われる。


好きなのは確か。
そういうモチベーションがなけりゃ、きっと行かない。こんな忙しいさ中。

で〜も、やっぱり少しでも真面目にこの仕事をしようと思ったら、
できるだけたくさん足を運んで、できるだけ多くのものを聴かなければダメだ。

私はそう信じて疑わない。


周囲の人間の凋落ぶりを見るにつけ、さらにそう思う。



で、こないだからピアノのアルゲリッチのデュオや
ヴァイオリンのクレーメルのリサイタル、
今日は才能ある若手、準メルクル指揮のN響定期。
世界最高のアーティストばっかだ。


東京の秋は百花繚乱なのである。



...

必死だす - 2003年10月15日(水)

くおーーーっ!!


忙しく、地獄の秋だとわかっちゃいるが
いざ巻き込まれると台風のようにすさまじい。



今日はこれだけ書くのが精一杯。


当分グチこぼし日記になるかも。




ごめんなさぁぁぁぁぁい!!!



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頑張れ - 2003年10月09日(木)

昨日帰りのバスでヤンキーのカップルが一番後ろに座っていて
私はその隣に座っていた。


最近ヤンキーには割合慣れているので(← なんでだよ)
別に苦じゃない。


でもバスの運転手が
「後ろのお客さん! もっと詰めて多くの人が座れるようにしてくださーい!」
とアナウンスした。

するとヤンキーの男の方が
「そんなこと、わかってんだよ! うっせーな!!」
と叫び返す。


私はこういう雰囲気ニガテ。
針のムシロ。(>y<)


それからそのヤンキー・カップルはでっかい声で色々な会話をしていた。

聞いていると
男:「オレぐらい一日色んな仕事をしているヤツいねーよな。
一日3つ仕事かけもちだぜ。3つ。」

私:「(ふ〜〜〜ん、それはすごい。)」

男:「オマエのためだもん、しかたないよな。」(← 結構神妙)
女:「悪いね。ありがとうね。」



…この簡単なやりとりに少々感動している私がいた。



...

ハーディング再び - 2003年10月07日(火)

先日この日記に書いた
ダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラの
鮮烈なコンサート。
ベートーヴェンの「運命」「田園」の素晴らしき演奏。


日曜日にNHK教育テレビでオンエアがあったのですが
皆さん見ました?


テレビで見て聴くのは実演には全然及ばないよ…
といつも思ったりしているのだけど、
それでもやっぱり強烈だった。


あらためて新鮮だった。


こうして再び聴いていると、また本番では気が付かなかったようなことも感じられるものだ。
それはそれはた〜〜〜っくさんあったが、
ひとつ改めて思ったのが、

この「運命」という曲で
交響曲史上初めてピッコロとトロンボーンという楽器が使用された、ということ。


若き天才指揮者と俊英オーケストラは別にこの楽器を強調して吹かせた、とか
そんなことはなかったけれど、
ひとつひとつ、部分部分、惰性的な「今までみんなこうやって演奏してるだろ。」
なんてことを一切捨てたような強い意志で演奏してくれたおかげで
こういうことに改めて「ハッ!」とさせられたのだ。


この日の演奏会にはこういうクリエイティブな空気が満ち満ちていた。


「新鮮」なコンサートとは?

よく名画がだんだん年月がたって、汚れがたまって
修復・洗浄作業をしてみたら
「あれ?こんな絵だったっけ? ここはこういうニュアンスの色だったのか、こういうコントラストがあったのか。」
のような経験をすることがあるでしょう。


音楽も同じ。
絶えず新しい角度から光を当てなおし、検討しながら演奏することで
その音楽が今、その場に生まれてくるような感動を覚えるもの。


特に私は今回、
「ベートーヴェンってこんなに革命的な作曲家だったのか。
これじゃ、それまでの先輩たちに、あいつは狂人だ、と言われたのも無理はない。」

と思わず納得してしまった。








...

ため息 - 2003年10月06日(月)

今日からしばらく私の大切な人がイタリア旅行。


さびし〜〜〜〜〜〜〜〜い。(;O;)


さすがに外国じゃケイタイ・メールもどうにもならん。

え?その間羽がのばせるだろ、って。
そっか!!



・・・んなことないよ。
うーーーーーん、やっぱさびしいっす。(v_v;)



...

コンタクトレンズ - 2003年10月02日(木)

私の通っていたコンタクトレンズの店
…というか眼科の病院なのだが…
先日、閉院となった。


15年以上通ったな。


眼科なのだが、コンタクトレンズに関しては一家言あり、
コンタクトが輸入された当初から日本におけるパイオニアだったらしい。

普通医者といえば、待合室があって
「誰々さ〜ん」と呼ばれると診察室に入る、というパターンだが
ここは仕切りがなく、だだっ広い会社のオフィスのようなところである。
だから2〜3人いる先生、6人いる看護婦がマンガを読んでいようが、
井戸端会議をしていようが、弁当を食っていようが、
全部丸見え。( ̄∩ ̄#

年を追うごとにその情景はひどくなっていき、
これで良いのか??という疑問も濃くなっていったが
結局閉院となってしまった。
でも最後には帰る患者さんがみんな
「いや〜、長い間本当に有難うございました。寂しいです。」
などと言っていたから、なんだかんだ愛されていたのだろう。
かくいう私だってそうだった。


で、最後の診療(というかコンタクトの定期健診だが)で
これから他の医者に行ったときのために、私のカルテ・データを書いてくれた。
そこでその先生に
「まあ、あなたこのレンズ8年も使ってたの? 普通、このレンズ3年もすればもうダメで変えなきゃならないのよ。 よっぽど丁寧に使ってくれているんですねー。」
と言われた。


ほー、そうなのか。
私の使っているのは酸素透過性のハードレンズ。
じゃ、倍以上も使えてるわけだ。
まだまだ全然使えそうだし。
私はこういう言われ方にとても喜びを感じる。
結構誇らしい気分になったりする。(← 単純)


それに私が使っているレンズ、
シ○ドでもメ△コンでもなく、何だか古くさい名前(なんたら工学研究所製みたいな)
のもの。
この眼科の先生が昔から、新しいものが出るたびに自分で装着したりして試し、
あらゆる角度から検討して患者に勧めているそうだ。
そして、そのレンズは今や普通の医者では全く扱ってなく、(しかもまず知らない)
唯一扱っている、というコンタクトレンズ店を教えてもらった。


これだけ長くレンズがもっているのも、その今や希少(?)な会社製、
ということもあるのだろう。



丁寧な仕事で良いものを作り
丁寧にものを使う。


これが人間の基本のキなんじゃない?
こんなトコで肩をポン、と叩かれた気がする。



私もそういう仕事がしたい。
特にわたしたちが扱っているのは
「音楽」というナマものなのだ。



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