DJ SEO's DIARY

2002年09月15日(日) >>僕の音楽人生(3)

前回、カートが死んで大騒ぎしていたところで終わったが、
これも当時の僕的にはそんなに(今と比べると・・・)
ショッキングな出来事ではなかった。

まだ、当時の僕はニルヴァ―ナのロック・シーンにおける重要性だとか
そのようなことは大して理解もしてなかったからだ。

というか、自分にとっての”音楽”とはまだその程度のものだった。

数年前に尾崎豊が死んだことの方が、”世間一般”レべルでは重要なのだろう・・・ぐらいに思っていた。


1日中ずっとMTVが流れている近くの本屋では、コートニーが泣きながら何かしゃべっている映像と
カートがMTVアンプラグドで、レッド・ペリーのカヴァーを熱唱している映像がよく流れていた。

その後、衛星放送でも少しそのこと(カートの死)について触れられていた。でもよくわからなかった。
「一体、ナニがなんでどうなったのか?」、・・・よくわからなかった。


よくわからないが、とにかく学校へ行かねばならなかった。


高校生活は始まったばかりであった。
同じ中学の人もいたが、そんなに仲良くはなかったので僕は一人だった。

はじめに仲良くなった友達は、ビートルズが好きな
クラスのリーダー的存在の男だった。
とてもセンスがあるヤツだったが、かなりイケイケ路線だったので普通に仲良くなる程度だった。

次に仲良くなった人は、j−pop全般及び電気グルーヴを愛するヤツ。
J−popでも、ミスチルとドリカムは認めていたのでそんな話をした。
オタク的ニオイを発するヤツだったので、ほどほどの付き合いにして
おかないとオンナの子に相手にされなくなる・・・と思っていた。

彼から”ビタミン”を借りて初めて電グルを聴いたが、
当時の僕には全く理解できなかった。
彼はあの時、理解していたんだろうか・・・?
う〜ん・・・気になる。でも彼はYMOも信者だったから、すでにニューウェーヴの免疫を持っていたのか!?

僕が取得したのは、成人になってからなのに・・・(笑)。



5月〜6月ごろ、遂に相棒が見つかる。
どんなきっかけでそうなったかは覚えていないが、
その彼はカート・コバーンが死んだのを知っていた。
そこから少し話が広がったが、話をするうちにどうも彼はHM/HR系が好き
ってことが発覚した。
カート(ニルヴァ―ナ)のことはあまり知らないが、
その事件のことは知っていたらしい。

僕もにわかにはかじっているジャンルだったので、ウマは合った。

彼とつるむことで、再びハードロックも聴くようになった。
よく聴いたのが、ヴァン・へイレン、ホワイト・スネイク、デフ・レパード、
ダム・ヤンキ―ズ、ミスター・ビッグ
んで再びボン・ジョビ。彼からはテープも作ってもらったりして
いろいろな良い音楽を聴いた。

当時一番ハマッたのが、ハロウィーンの「守護神殿」だ。今でも名盤だと思う。

1年遅れでエアロスミスの「ゲット・ア・グリップ」を購入。
やられた・・・!
激シブである。「こんないい音を1年遅れで聴くなんて、悔しい!」と、
思った記憶がある。

そして、こういう考え方が”音楽好きのパワー源”だと、うっすらと感じだしたころだったような気がする。



そして、2学期に流れてゆく・・・。

何となくシーンに何か起こっているカンジを勝手に感じとっていた。
当時はロック雑誌の細かい文など、読む気にもならなかったので
いつもパラパラ見ているだけだ。

でも、また衝撃の出会いをかわすことになる。

場所はまたあのCD屋、あそこの店員のセンスはかなり良かったんだろう。
いつも僕のこころを掴むPOPを作っていた気がする。


「ビートルズの再来!UK大型新人!!」


もちろん、「オアシス」のことだった。

ここのCDの良し悪しはPOPの力の入れようで大体わかる。
またもや、圧倒されて購入。
僕自身、90年代のUKロックとしては、初めて買ったCDだ。

一聴した瞬間、「ぜんぜんビートルズじゃねーじゃん!」と思ったが、
数回聴くうちに
何となく・・・は、そう思えた。
僕の持っていない音で、しかも聴きやすかったのでハマッた。

しかし、相当眠いアルバムでもあった。
当時は寝る前によく聴いていた。「スーパーソニック」からがとにかく眠い。
「オアシス」聴ききはじめの3ヶ月ぐらいは、こんな感じであった。


「UKロックは眠い」
・・・・・そう思っていた。


当時、ブラーも対抗馬的な扱いでかなりプッシュされていたが、
この時はまだ聴いてなかった。

UKは、取りあえず足を突っ込んでみただけ・・・ぐらいなカンジだ。



94年のMTVミュージックアウォードではパール・ジャムの
「ヴァイタロジー」が、猛威を振るっていた。
「こんだけ騒がれちゃあ・・・」と購入したが、ニルヴァ―ナを期待して
買った僕はかなりズッコけた。
けど、名作だった。すぐに「VS」も購入したら、
こっちの方が更にハマッてしまった。
・・・なぜか、1STは当時”素通り”である(笑)

中古屋でアリス・イン・チェインズを買ったのもこの頃だった気がする・・・・。
たしか700円くらいで見つけた記憶がある。
このバンドも”グランジ4天王”にあがる程の人気であったが、
名盤「ダート」を聴いた当時の感想は
「なんじゃこりゃあ!?へヴィ・メタルやん!」であった。

もう今ならこんな感想を受けたCDなど、2度と聴かないこともザラなんだが(・・・ゴメンなさい)、
当時はCD全部で30枚もあるかないかだったので、イヤでも聴くうちに次第に好きになった記憶がある。

僕は若くて、音を体内に吸収しやすい時代に、ある程度難解
(又はスルメ系)なアルバムを
聴いておいたのが、とても良かったと思っている。

もし、今スマパン超長大作である「メロンコリー〜」を全くしらない状態で
聴き始めなければならないとしたら、
ある程度吸収し終えるまでに一体何年かかるだろう・・・・とさえ、
思ってしまう。


ちなみに僕が他のDJを見る判断としては、
「体内にどんだけ音楽がつまっているか?」
ってのがまず重要だったりする。

要は、耳で聴いた音楽が入って脳みそに行くまではいいんだけど、
それが”体内”にまで届いているか?
っていうこと。


”音楽”ってのは、正に自分の人生を写す”鏡”のようなモンだ。


ある曲を聴いただけで、その時の出来事や時代感が強制的によみがえってきて、
気づいたら涙を流していた・・・なんてことは、
人間なら誰にでもあることだと思う。

その曲はまさしく自らの手によって、
他人とは全く異なる存在価値を手に入れたのだ。
その曲は、自らを象徴する曲となり、これから一生を共にする1曲となろう。


僕は”音楽”が持つそういう力をとても尊敬している。



僕が今でもオルタネイティヴ・ロックが好きなのは、そういった曲なり、
アルバムなりが多数含まれているからだと思う。

・・・ムズカシイ話をすると、
僕が自分の好みで”オルタナ的な音”を好きだったのかというのは、
大して問題ではないんだ。
”僕が若い時にオルタナを好きだった”という出来事が、
僕とオルタナとの関係を象徴しているんだ。


一言でまとめると、「音楽ってのは思い入れが全て」であって、
思い入れってのは”体内”にどんだけ入っているかってこと。
”どんだけ”ってのには少なくともある程度の年期が必要になるってことだ。


「入りやすさ」で言うと、ギターポップは入りやすいから短期間で
「入りきる」ことは可能だ。
だからギターポップのDJが多いのは納得である。

逆にオルタナは「入りにくい」。難解であればなおさらだ。
高校生の時に買ったサウンド・ガーデンなどは、1年経つごとに
新しい素晴らしさが発見されるような恐ろしい作品をリ生み出している。
アリス・イン・チェィンズも同様にそうだ。

テクノは、これは人それぞれかも知れないが僕の場合は「入らない」。
もともと踊ることのみの為の音楽なので、残ることは在り得ない。
呼吸をするかの如く抜けてゆく。
アシッド・ハウスとかになると、少しだけ例外は存在するが・・・。

ヒップ・ホップ。これは「入りやすい」と思われがちだが、実際は逆である。
最近のクソ・ヒップホップどもは置いておくが、90年周辺の一番熱かった時代を文化とともに「入れる」のは、
今からでははっきし言ってムズカシイだろう。
共に同時代のUSの文化ゆえにオルタナともしっかりリンクしているが、
僕は全く聴かずに終わる。惜しいことをした。。



人間の音楽的”自我”が確立するのは、18歳までだと僕は思っている。
音楽から受けた影響が自分の”性格”の一部となっているかってのは、
とても重要なことだと思う。


それより後の人たちは、やはり言動や行動、考え方、センスで何かズレが
生じてきているのを細かいレベルでだが、感じる。


「え?この人はニルヴァ―ナ聴いてどー思ったんやろ?」
「この人はこのアーティストから影響受けているはずなのに、
何かちょっと違う・・・」


注:「これはニルヴァ―ナ好きなら自殺せえや!」っちゅー問題でもないんで
宜しく。あくまで自分なりにどう処理したか、である。


大学時代は、数名を除いては「わかってるふりクン」が多くて、
頭が痛くなるくらい悩んだ。


えらそうに「この曲はいけてるけど・・・これはイマイチやなあ・・・」
とか言ってる人が、
DJ中に”振り付け”をお客さんに煽ってたり・・・(笑)

僕が昔ゲストでDJしに行った時に、ラストに「シャンペン・スーパノヴァ」
をかけたんだけど、
ちょうど終了時刻の5時を回ってたみたいで、そのイヴェントのオーガナイザー
件ロックDJのかたに
「もー終わってください」
と言われ、1番で強制的にブチッと切られた(!)のでビックリして
「この曲、後半から熱いのに・・・」
というと、
「あっそうなんですか?えっこの曲ってダレですか?」
と聴かれたので唖然としていると、彼はターンテーブルに置かれた
レコード・レーベル面に思いっきりロゴがついている
のに気づいてか、恥ずかしそうに去っていった。
彼も「わかってるふりクン」だった。
とても悲しかった。ちなみにギャラも出なかった(泣)


昔は本当に悩んでいた。苦しかった。
今みたいな仲間たちと知り合えてよかったとつくづく思う。








話がそれたままだが、この辺で高校1年編は終わろう。
2年生では、僕の音楽人生において最大の影響を及ぼした男との
運命的な出会い(笑)を果たす。

聴き方が、”歌謡曲”から”ロック・ミュージック”に変わろうとしていた。

DJ SEOを構成するための基本となる音楽が”体内”に最も詰め込まれていく
最も重要な時期でもあった。



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