非日記
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| 2023年10月22日(日) |
ライトな恋愛小説を読書中。 |
私は平和なラブコメが好きなので平和なラブコメを選択的によく読むんですけど、事件は全く起こらないただただ溺愛が続く…のが一番好きと言うわけでもないわけで、いや別に嫌いなわけじゃないんだけど、まあなんていうか結局は主役クラス、メインの登場人物の性格や言動、選択が自分の性格や自分の価値判断に合うか合わないかにつきるよね。
ただ、自分が割と好きな話にレビューで「物語に起伏がなく」とか「盛り上がりに欠け」とか書いてあると、このレビュアーさんはちゃんと「物語」が好きなんだな…と思って、その正当派加減に対し劣等感にさいなまれます。たぶん私、読書の基本はキャラ萌えなんで。 一般向け数学本で数学界におけるゼロの登場みたいなの読んだら、ゼロの反則感、突き抜けた中二病ぶりに性癖があらぶりますし、免疫系の本を読んだら銀英伝の同人誌読んでるような精神の高揚を感じます。あと脳機能関係の本読んだら大脳新皮質に自己投影して自己肯定感が爆上がりします。おすすめ。
しかしこの劣等感は誤っていると判断する。 昔、人生ですれ違いざまに遭遇した人で、とても絵が上手な人がいてですね、別にプロじゃないんだけど趣味で描く上でなんていうかデザイン的なイラストを描いていた。私は幼少期にいがらしゆみことかを参考にお絵描きしていたタイプなので(つまりきらっきらの少女漫画的な人物絵を描こうと鋭意努力して成長した)、つい「そういう絵が描けるのいいですよね。私、少女漫画みたいな絵しか描けないので」と漏らしたら、その人にめっちゃ不思議そうに「え、別にいいじゃないですか?なん少女漫画絵がだめなんですか」と言われた瞬間、自分の偏見具合とオタク的劣等感に気が付きました。
「こういうのが良くて、こういうのがだめ」とか「こっちが高尚で、こっちは一段下」とか「こいうのは格好良いけど、こういうのは恥ずかしい」とか。 自分の超個人的な嗜好にも関わらず、自分の感情的な好き嫌いでなくて世間から獲得した価値基準をものすごくナチュラルに優位に置いて、しかも「相手もそれに自然に同意するであろう」と無意識に判断したわけ。「やだぁーもぉー!!!」ととっっっっても、恥ずかしかったですね。私、日常的にあんまり後悔したり羞恥に悶えたりしない方で、どっちかというと後から振り返って気が付く方なんで、珍しくその場で「キャー!」となった為、よく覚えています。
心の中で羞恥にぷるぷるしながら平静を装って会話を続けた私は立派な社会人でした。いや、幼少期からそんな感じだけど(心の中でぷるぷるしていても表面上は必死に平静を装う)。
この時の心の中でじたばたしてもんどりうつ赤面必至の恥ずかしさを思い出すので、「人がいまいちと言うこれをすごくよかったと思った私は何かを間違っているのかしら」と不安そうな私の手をしっかりと握って両足で踏みしめて大地に立つ所存です。
つまり、それはともかく、 今日も平和なラブコメを読んでたんですけど、よくあるシチュエーションで、主人公が自分の好きな相手が自分の事を好きじゃないと勘違いする(本当は両想い)場面です。このすれ違い、勘違いをいかに自然に整えるかで、恋愛小説における切なさの醍醐味と、その後の主人公の行動原理、選択に対する理解度、納得度が大幅に変わってくるので、だいぶ大事なところです。
主人公の正当性や善性の表現を重視するあまり、相手役に対する読者のヘイトを高めてしまう事がままあり、そうすると結果的に誤解が解けて両想いに成就してもハッピーエンド感がなくなるのよね。私は、どっちかというと相手役が重視なのよ。主人公の善性はほどほどあればいい。でも恋愛物として、相手役が「これに好かれるのは最高にうれしい」と思えるような相手じゃないとノれない。「よかったねえ」という気持ちに全くなれない。下手すると「主人公をより魅力的に見せるために(いっぺんの過失もない主人公に仕上げるために)、わざと相手を下げている」感じがして、そのバランスの悪さに、ハッピーエンドだのにすごく嫌な気持ちになってしまう。「やめとけよ、こんな主人公。そこまで下手に出て許しを請う必要はない。おまえが生涯モラハラを受けるだけだ」気分になる。
日本のヒロインにはこのタイプが比較的多いわけよ。 「一片の過失もない」気持ち悪さ。 ちなみに、いくつか読んだ結果、韓国漫画には逆に「過失多すぎ悪逆非道ヒロイン」がたまにいて、この辺は社会の価値観の違いなんだろうな…と思う。完全な被害者として同情を得るためにはわずかの穢れも許されず清廉潔白さを求められる日本社会に対し、一度「こっち側が悪いやつ」となったらその悪い相手に対してなら何をしても許される感がある韓国社会の。基準の根拠を加害者におくか被害者におくかで、どっちもある意味「罪悪感を持たない為の完全性」を求めている感じはある。
つまり韓国少女漫画が好きってタイプはぶりっこが嫌いなタイプじゃないかしらん。韓国の善悪の価値観は大陸的な感じがする。シンデレラのもとの話とか。 もとのシンデレラ、結構大胆で野心家であざとく、なかなかの知恵者なのよな。善人ぶっていたら天から自然と幸運が降ってきたタイプじゃない。「幸運は勝ち取るもの!」な。
そういえば「公爵邸〜」のアニメをちらっと見たんだけど、最後までやらずに途中で終わったっぽいな。あれは原作ヒロインと主人公の決着の付け方が、「日本の少女漫画だったら、こうはしないだろうな」と海外作品の醍醐味が味わえると思うんだけど。
大体自然に考えてさ、スタンダードタイプのシンデレラもちょっとずるくね?親のコネでプロのスタイリストによって完璧にコーディネートされ、天性の美貌を持ち、強力なパトロンの匂わせによって王家に嫁入りするわけだろ?すごくいいところで12時の鐘がなってダッシュで王子から逃げるとか、おまえは「小悪魔なんとか」いう雑誌でも熟読して男心を勉強したのか?って感じ。 むしろシンデレラの姉たちが哀れなほど愚か。頭の悪さが凄惨な悲劇につながって可哀想すぎる。 その愚かさで血まみれになる義理姉や義理母を助けることなく、シンデレラだけが幸せになるのを納得し肯定するために、シンデレラの同情を引く立場(義理の母と姉に虐げられていた設定)が活きてくるわけよ。でも元の話、シンデレラそこまでかわいそうじゃないから。母の教えに従い富と権力の獲得に奔走する野心あふれる普通のおなごだから。どっちかというと、意中の男の前に全裸で香水だけ振りまいて絨毯にくるまって登場したクレオパトラ的なあざとさがある。
人魚姫だって、しらっと読んだら「人魚姫がかわいそう…!」という感じになるけど、でも結局王子と結婚するお姫様なんにも悪いことしてないよね。アンデルセンが人魚姫側からしか書いてないから、略奪愛とかNTRみたいに見えるけど、相手のお姫様だって海岸に打ち上げられていた王子様を助けたわけだし。人魚姫は引き上げて放置したわけで、人間はそのまま放っておいたら死ぬねん。 王子は別にどっちを好きになっても、どっちと結婚してもいいわけだけど、なんにも言わない(言えない)人魚姫がどうしたいのかなんて何かしらの意思表示をしてもらわないとわからないし。むしろ王子の立場からしたら声を出せないだけでなく、人間の貴族社会の常識もマナーもなく、なんの後ろ盾もない、結婚メリットゼロどころか、何かいいことあるの?
大体おぼれている王子の顔が良かったからって命をかけて声を捨てて故郷を捨てて追いかけてきましたって、だいぶんやばい女だよ。重すぎるよ。一文無しになって追いかけてきただけで、何をしてくれるわけでも何を言ってくるわけでもない。しかも「結婚してくれなかったら殺すしかない」みたいになるわけだろ、間違いなくだいぶんやばい女だよ。「私のおかげで命が助ったんだから結婚してよ。あんたのために何もかも全部捨ててきたのよ(誰も頼んでないのに)」と口に出して言ったら完全無欠のただの悪役になってしまうから、むしろそう見えないための声を失った設定では?という疑いすらある。 幻聴に悩まされながらヤンデレのバッドエンドになることを理性で踏みとどまる感動的な話ととれなくもない。 なんかこう、あまりにも一方的で被害者意識が強く冷静さに欠けるうえに相手に対する配慮がない。自己中心的で自分の不幸に酔いまくっている感じがぬぐえない。アンデルセンの伝記を読むと……、なんだか…な気持ちになるのよね。
色々あるけど、恋愛物におけるヒロインやヒーローの正当性は重要なわけよ。 善人でないとしても、かけらも共感できない主人公というのは存在しうるのだろうか。カミュの異邦人だって共感はできるよね。できる。全く共感できず、一かけらも行動原理が理解できない主人公というのは存在しうるというか、その状態で物語として成立するのだろうか。 いや、実際に人間的な情緒や思考や価値観は存在しない事が確実な虫や無機物ですら擬人化が可能なわけだから、むしろそれは実際に納得できる共感できるかではなくて、自己を欠片も投影することなく物語を読むことが可能なのかって話になるのか?いや、待てよ。虫や無機物が人間的な情緒や思考や価値観をもたないのが確かだとしても、人間的ではないとしても人間にも共通する何らかを虫や無機物と共有しているからこそ擬人化が可能だという可能性は無きにしも非ずなのかな。擬人化して何を表現しているのかといえば、関係性なわけだから、実存という状態が共通しているってことか。
すごい勢いで脱線してた。 すれ違いには微妙に違う色んなパターンがあるんだけど、さっき読んだやつはさ、相手が自分の事を好きじゃない(のに結婚する)の「かもしれない」と判断した時点で、「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないが、本当の事は知らない方がいい」と確認を取らない方向に走ったわけよ。 「いや、確認とれよ」と思うでしょ?しかしこれは実は両想いであろうなと思っているからそう思っちゃうわけで、現実的な対処と言えなくもない。大体聞いたからって本当のことを言うかどうかわからんわけだしな。 「嫌なこととも向き合うべし」とよく言うし、それが正しいような気にもなるが、でも例えば芸能人がエゴサして嫌な気持ちになっても世間の評価を知るのが正しいのかって言ったら、いやエゴサしないで自分がどう思われてるか気にせずに自分の思うように行動した方が健全で健康的なのでは?と思うしな。 常に必ず真実や事実を知るべきなのか、向き合うべきなのかって言ったら、「いやぁ、どうかなあ」ってなるよね。
ここで相手にいきなり確認に行くヒロインがいいのか、逃げるヒロインに共感するのか、相手の感情や自分に対する評価を気にしないヒロインに好感をもつのか、相手の気持ちを尊重しようとする方がヒロインらしいのか、色々あるわけだけど、それもこれも好みよな。好みではあるが、表現によってはどの人物像も好感がもてるし、納得できるわけよ。どれも善良さの範疇で個性のうちに収まると思われる。 なんか気になったんで日記に書きにきたけど……よし、言いたいことを言ったら満足したので続きを読んでくるわ。あらすじではこの後離婚しようと動き出すはずだ。
ところで、私、トライアルでスペインの水を買った!! スペンインの水、ただの水だった! あと自販機で伊賀の水を見つけて買った。伊賀の水も水の味がしたわ。
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