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2013年10月10日(木) 傍目八目でロマンス小説を読む。ネタバレまくり2

ハークレインには、びっくりするほど正当派のツンデレ男がいます。

デボラ・シモンズの「尼僧院から来た花嫁」に出てくるニコラス・ド・レーシです。何度でもいいますが、本当にびっくりするほど正しいツンデレぶりです。こんなに正しいツンデレは探してもそうそういるものじゃない。

舞台は十三世紀。
「悪魔の花嫁」のヒロインであるエイズリーのお兄ちゃんで、悪魔の花嫁にも最後の方で出て来ますが、彼がこんなにまでツンデレになるとは。ビックリです。悪魔の花嫁の最後のところで、復讐の炎をめらめらと燃やしていた相手であるヘクサム男爵を妹の夫、モンモラシー男爵に討たれてしまっているニコラス。復讐だけを支えに生き延びたので、やり場のない怒りに荒みきっていたところ、国王にヘクサム男爵の唯一の血縁である姪のジリアンと結婚するように命じられます。「そうだ!代わりにその女に復讐しよう!」と生きる気力を取り戻したところから「尼僧院から来た花嫁」は始まります。

これで復讐できるぞ!どんな女なんだろう!とドキドキ胸を高鳴らせ、わくわくと大いなる期待を抱きながら結婚するために尼僧院に行くと、いきなり啄木鳥男と言われて非難され、自分の方こそが憎んでいるはずなのに、一方的に激しい敵意を向けられて、なんか自分の脳内予定と違うので混乱する。例によって、直ぐに恋が花開いてしまうのですが、何しろジリアンに復讐する事だけが今やほぼ唯一の生き甲斐、活力の源になっているので、なんとか自制して苛めぬこうと努力します。本人はシリアスなのだが、この葛藤がおかしい。

ド・レーシの人間は、妹のエイズリーを例外として、心の中はともかく冷淡で愛情を行為や言葉で表現をしない家風であり、そうやって育てられたニコラスも大体そんな感じだったわけです。確かに、悪魔の花嫁に出てきた時はそんな感じだった。しかしこの「尼僧院から来た花嫁」になると、憎い憎い憎い復讐相手の代わりが見つかったという喜びのあまり、最初のうちから一喜一憂しまくるようになります。「何より大切な復讐するための相手」として、ジリアンに対し、意味不明な心配、中途半端な意地悪をしまくるようになります。

床入りを恐れる嫁を強姦しない理由「こんな汚れた血を持つ女となんかしない」
嫁が気になって仕方ない理由「復讐の相手は目の届くところに置いておきたいのが人情」
脅して呼吸困難を起した嫁を労った理由「復讐の相手に死なれたら困る」
嫁の顔を見たい理由「復讐が楽しみだから」

召使のように扱ってやろうと思っていたのに、召使と一緒に和気藹藹と床掃除している姿を見たら怒髪天を突き、「召使のまねをして、おれに恥をかかせるのももはやこれまでだ!」もはやこれまでって……、ニコラスがさせようとしてた事なのに結局何がしたいのか。
自分でも何がしたいのかわからなくなっていて、混乱し続けます。
「召使扱いは止めた。おまえは奴隷だ!おれの事だけ考えて、おれの出迎えをして、おれに傅いて、おれの為だけに着飾り、おれの世話だけをしろ!おれが呼んだら直ぐに来るのだ!」
冷静に聞けば、ただの告白なのですが、命令口調で偉そうで一方的で「汚れた血の女め」とか「おまえは召使だ」とか「おまえは奴隷だ」とか「この雌狐!」とかを前後で言われずにいられません。
「なんで私が復讐の身代わりにならねばならないの?冷酷で卑劣な男!」と思っているジリアンは好き勝手に動きまわり、事情を知らない城の住人には冷淡なニコラスよりよほど好かれます。ジリアンの姿が見えないと「あの雌狐め、どこへ行った!」と探し回り追い回すニコラス。見えるところにいればいたで、「あの雌狐め、美しい姿で視界をちょろちょろするとは!けしからん!」と怒り狂う次第。
ちなみに、奴隷扱いって何をさせるのかと思えば、例えば食事の世話をしろと言っては「はい、あーんして」をさせ、結果「胸がどきどきするから止めた!」とやっていた模様です。それは奴隷じゃなくて、ただのバカップルよ、ニコラス!

「あんなに自分を冷酷に扱った男を」とジリアンは結構後まで引っかかっているのですが、物凄く独占欲が強い束縛系である事を別にすれば、傍目に見て、ニコラスはただのヘタレな恥ずかしい男でしかありません。ジリアンに対して一番酷かったのは当初寝台の床に寝させることにした事かと思われますが、この初っ端から既に、「召使のように冷たい床に寝ればいいのだ!柔肌に痣ができたらいけないから、ふかふかの藁布団を敷いて!」といった具合で、無意識に伝わらない気遣いを発揮していましたよ。

最初から暫くは「絶対に床入りしない」とニコラスは一人頑張っていたんですけれども、密かにニコラスを好きになっているジリアンの度重なる挑発と酔った勢いで初夜を迎えてからは、坂道を転がり落ちるようにべろんべろんになっていきます。昼間は喧嘩しまくり、夜はいちゃいちゃする生活を続けているうちに、復讐がものすごくどうでもよくなっている事に自分でも着々と気がつくが、頭が固いので踏ん切りがつかない。

ちなみにこのカップルは最初からリバーシブル風味です。
ハーレクインの女性は概ねやる気満々なのだけれど、これはちょっと雰囲気が違う。大抵はずるずる流されるのは女の方なのだが、「やらない!やらない!」とだいぶん頑張っていたのもあって、ニコラスがずるずる流される方。
初夜で押し倒したつもりが寝台にひっくり返され「あれ?自分、嫁に押し倒されてる?」となって、ごろんごろん転がって上を争ったあげく、横向きでやれば対等という解決策を見つけている。勿論朝になって「別に対等じゃないもん!自分が上だもん!」と後悔したので男性上位でやってみたが、夜になったら「朝はあなたが上だったから次は私が上よ」と当たり前のように嫁に女性上位で押し倒された。ニコラスが大変脳内乙女なので、「押し倒されて暗転」感がただよっていた。

半分ぐらいまで進んで、ようやく復讐を諦めるのですが、その理由を問われて長い沈黙の後「飽きたからだ!」
本当は嫁が病気で死に掛けた時に寝ずの看病をぶっ続けた結果、嫁がいなければ自分は生きていけないという悟りの境地に到達し、「もう復讐はしない」と固い頭で固い決意をしたからです。ついでに最後まで黙ってるけれど、実はうなされた嫁が夢現に愛の告白をしたのを聞いたせいもある。密かに脳内が「だってこの人、私の事を愛してるって言ったわ」という乙女思考に占拠されているのです。

ハーレクインのヒーローはしばしば初恋が悲惨な結果に終わったとか、最初の妻に酷い目にあったとか、自分の両親の関係なんかで愛を信じていなくて、それをヒロインが目覚めさせる方式が多いのですが、ニコラスの場合は家族の関係もギスギスしてたわけではないがひたすら淡々とした一族だったので、完全に「愛って何かしら?聞いた事も無いけれど、食べられるものなのかしら?」状態なのです。知らないので興味も無いし、「愛なんて幻想だ」という疑心すら出てこない。ひたすら自分の態度の混乱と感情の揺れに翻弄されまくる。「性格はアレだが、顔だけは物凄く綺麗」という設定なので、いっそう無垢な感じがします。
そんなニコラスなので、愛してると告白され、無防備な処女地をいきなり爆撃されたも同然なのです。

復讐を諦めた途端、今度は異常に過保護になります。でも態度は変わらないので喧嘩になる。普通愛の告白を受けたハーレクイン・ヒーローは大抵の場合「おまえは私を愛していると言ったではないか!」とか「おまえは私を愛している事がわかっている」と自信満々になって愛を盾にとるようになるのに、ツンデレ乙女男であるニコラス・ド・レーシには、ハーレの定石を破る面白さがあります。愛を告白された事で充足しきってしまい、その嫁を病気で亡くしかけて半狂乱になったのもあって、「この人が生きて傍にいてくれるだけで私は充分幸せよ」になってしまうところです。母親が産褥で死んだ事に思いいたり、「セックスしたら子供が出来て、出産で嫁は死ぬかもしれない!」心配が高じて、また固い頭で生涯指一本触れずに傍にいてもらう事を密かに決意しています。嫁に寝台で手を出されて動揺のあまり寝台から転げ落ちたりする。

後半はニコラスが「嫁が出産で死んだらどうしよう」を嫁の誘惑と説得と主に嫉妬心の力で乗り越え、友情や家族愛の存在に気がつき、嫁に一点集中していた愛着を家族や領民や召使に拡大していく話です。
この話は、一応「自分を復讐の相手としか思っていない男を好きになってしまった」ヒロインの切なさみたいなものも無い事はないのだが、ニコラスの脳内ジェットコースターロマンスの為に、ほぼ無いも同然に目立ちません。ヒロイン・ジリアンの心情や苦悩や切なさが記述されない事もないが、「一方、ニコラスは」と視点が移るとニコラスの脳内の方が遥かに大騒ぎ。またたく間にかすんでしまいます。

作家のデボラ・シモンズはヒストリカルで人気の作家らしく、十三世紀のイングランドを舞台にディ・バラ家の六人兄弟を描いたシリーズがあって私は大体読んだ気がするのだが、個人的にはディ・バラ家シリーズよりこれが好き。
ディ・バラ家のシリーズなら、兄弟一温厚で学者肌のジェフリーが厳正なるくじ引きの結果、宿敵の跡取り娘、新婚の床で夫を殺害した前歴をもつ凶暴凶悪かつ獰猛なエレナを嫁さんにする「魔性の花嫁」が印象的。
愛を全く信じない傲慢で冷酷なヒーローを心温かく優しいヒロインが懐柔するのが王道だが、これは完璧に真逆。傲慢で冷酷で凶暴なヒロインを心温かく優しく物腰柔らかいヒーローが懐柔する話。
暴力的で残虐で母親を弄り殺した実父から身を守るために、父親と同じように凶暴で獰猛なそぶりを身につけ、容姿を薄汚く保ち、嫌われ恐れられる事であらゆる人間を遠ざけ、孤独に身を守り生き延びてきたエレナ。そんなエレナに対し、野良猫どころか野生の猛獣を手なずけるように心を抉じ開けていく、冷静で思慮深く温厚なジェフリー。
あっという間に恋に落ちるなどありえず、もちろん「素敵な殿方……!」なんてなりません。「愛って何かしら?」どころじゃなく、家族愛を目撃しても「なんだこいつらは?頭がおかしいのか?気味が悪い、気持ちが悪い」なありさまです。ちょっと優しくするぐらいじゃ、ますます警戒心をかきたてるだけ。精神的に孤独に生きてきたフィッツヒューのエレナが、たった一人で考え、たった一人で判断しながら、じわじわと心を開いていき、殺気立って刃物を握ったまま真正面から睨みつけつつ、じわじわと恋をしていくところが凄い。エレナは全く教育を受けておらず、生まれてこの方風呂に入った事もなければ、髪を梳いた事すらなく、食事も手掴みという野獣ぶりなんだけど、何もかも全てを一人で考え一人で決断し一人でやりきってきた孤高の凄味があるのよね。自分が生きてきた凄惨な世界がエレナが知っていた唯一の現実なので、家族愛だとか親愛の情だとか思いやりだとか信頼だとかほざくジェフリーに対して「可哀想に、この男は頭が弱い」と判断する。自分が守ってやろうと決断した時なんか、しびれます。女帝の風格です。「殺すぞ!」と怒鳴っても生半可なツンデレにない迫力があります。格好よさで言ったら、ジェフリーなんか足元にも及びませんでした。恋愛の切なさを堪能するより、エレナの格好よさを堪能する話でした。

あと、デボラ・シモンズなら、確か「伯爵家の事情」のスピンオフ「最後の子爵」もわりと面白かった気がする。遊び人だった子爵と冴えない田舎娘が、子爵が寝室を間違えて寝てしまった為に行きがかり上結婚する事になり、子爵が相続した謎の古屋敷でのドタバタ事件物だった気がする。




さて、初めての恋に一喜一憂して笑えるほど翻弄される乙女男が面白くて楽しいという人なら、デボラ・ヘイルの「美女と悪魔」に出てくるルーシャス・ダヴェントリも楽しいんじゃなかろうか。私はたいへん楽しかった覚えがあります。
デボラ・シモンズとデボラ・ヘイルってよくごっちゃになるんだよね。

「19世紀初頭の英国。戦争で身も心も傷つき、隠遁生活を送るダヴェントリ男爵は、余命いくばくもない祖父のためにやむなく、隣人の娘アンジェラに求婚することに」という話。
祖父が満足して後顧の憂いなく死ねるように、人間不信と傷心で心を閉ざし、負傷で光が目に痛いのと趣味の為に夜中活動するせいで悪魔じゃないかと悪い噂もたち、近所づきあいを絶ってきたダヴェントリ卿は、手近に隣家の娘アンジェラに偽装婚約を頼みます。祖父伯爵の前で婚約者を演じるうちに大変いい雰囲気になり両片思いに至るのですが、ルーシャスは傷心から自己卑下の領域に達しているので、色ごとで遊び呆けていた不実な自分では天使の如きアンジェラを愛する事などできない、悪魔の如き自分には愛などという感情は無いのだと思いつめます。思いつめたところで、これぞというアンジェラに恋している近所の誠実な若者を発見し、「自分の代わりにこの男の恋が叶うように全力で応援しよう!アンジェラも愛されて結婚し、若者も敬愛するアンジェラと結婚でき、自分もアンジェラが幸せな姿が見れる!それで皆幸せだ!」という結論に至る。ルーシャスは戦争で負傷する前、大変美男子だっただけではなく、社交界では物凄い女たらしとして浮き名を流しまくった実績があり、今では発揮する事も無くなっていた天賦の才があるのです。磨き抜かれた女たらしの才を縦横に発揮して、恋する青年の恋文の代筆をやる事に。

この恋文の代筆がルーシャスは楽しくって仕方がない。自分がアンジェラをどんなに好きか、そんな資格は無いと口説くのを自粛している分、全力投球でのりのりで書きまくります。ルーシャスを好きになっているアンジェラなのですが、偽装婚約も解消され、自分の恋は叶わないと思っています。そこへ誠実で善良である事は確かだが、どうもこうもときめきを感じない青年が、こればっかりはどうした事か「ものすごくときめく恋文」で求婚してくる。顔を合わせて話をしてても「あれ?こんな人?」と違和感を感じるが、でも家に帰って恋文を読むと「やっぱり素敵!」とときめく。何かがおかしいんだけど、でもこの人が書いた恋文を読むとときめくわけだから、自分はこの青年に恋をしてるに違いないと信じたところで、うっかり、実際は誰がその恋文を書いていたのか判明してしまうのです。「なにふざけた事をしてくれとんのじゃ!」天使の如く心優しいアンジェラは、ルーシャスがビビるほど激怒。ビビりながら「キミの為を思ってやった」などと余計な釈明されて、さらに怒髪天を突いて振り切れます。
「私が好きなのはてめーじゃ!失恋し、やっと新たな恋ができたと浮上したら、またてめーか!人をなめくさるのもええんかげんにせえよ!百年の恋もこれまでよ!二度と顔も見たくない!」
と遠方に旅立ってしまう。

慈善活動っぽい行いで近所の人々に慕われていたアンジェラが二度と戻らない勢いで出て行ってしまったのは自分の所為だと、やっぱり思いつめたルーシャスは、アンジェラの代わりに寂しい独居老人を訊ねてみたり、教会に顔を出したり、地域の活動に頑張って参加するようになります。人との関わりの中に慰めと癒しを見出し、「寂しいけれど、アンジェラの分までこうやって福祉活動をしながら余生を生きて行こう」と思うようになった頃、「どうあらがってもあの阿呆の書いた恋文にときめいてしまう」と少し冷静さを取り戻したアンジェラが戻ってくる。
地域の人から聞いた自分がいなくなった後のルーシャスの激変ぶりに驚き、「あの独善ぶりが直ったのかしら」と探しに行くと、祖父の墓の前でたそがれ、「許されない事をしてしまった。傷つけてしまったアンジェラの幸せを、この遠い空の下で祈り続ける事が、私にできる唯一の贖罪だ」みたいな事をぼやいているルーシャスを発見して青筋を立てる事になるのでした。

再会した時のルーシャスが「何故ここに!」と飛び上がるほど驚き、恐怖にかられ、激しくビビっているのが楽しいです。ルーシャスはツンデレではないが、脳内乙女である事は間違いない。ルーシャスの勘違い乙男ぶりが傍目に眺めてて実に楽しい話です。



こうやってみると、私は明らかに脳内が乙女で可憐系のヒーローと、漢らしくヒステリックに喚かないヒロインが好きらしい。ついでに、ここまで並べたやつは全部、何年も前に読んだやつです。最近読んだので面白かったのって……、なんかあったかな。


2013年10月09日(水) 岡目八目でロマンス小説を読む。ネタバレまくり1

私が「これは良かった」と思うハーレクインは、はっきり言って殆ど無いのですよ。一回読めばそれでよし的。でもこれは良かった。

マーガレット・ムーアの「竪琴を奏でる騎士」

ハーレクインのヒストリカル。
ヒストリカルというのは時代物?時代物というより、要するに、日本でいうなら「なんて素敵にジャパネスク」とか「ハイカラさんが通る」みたいなものだと思えばよろしい。舞台となる時代の政治や経済、庶民の生活みたいなものをリアルに取り入れるか、風味に留めるかは別にして、基本的には主役カップルの価値観は現代風味です。
このヒストリカルでも、時代によって区分があって、例えばリージェンシー・ロマンスってのがあります。イングランドのジョージ四世が皇太子だった摂政期の1811〜1820、もしくはその前後18世紀末から1830年ごろを舞台にしたロマンス小説で、ジェーン・オースティンのような作風のものを言うっぽい。

ジェーン・オースティンは欧米……じゃなくてたぶん米英、英語圏のロマンス小説の走りで、何度も映画化された「傲慢と偏見」とか「エマ」とかあります。ロマンス小説というには甘さは足りないし、エロも欠片もありません。主人公であるヒロインとその周囲の結婚事情や結婚生活にまつわるあれこれを下敷きに、この時代のありふれた世相や風俗、習慣や価値観が群像的に描かれた風俗小説と言われてる。なんかね、国語の教科書に採用されるような非常に正しい美しい英語で書いてあるらしくって、英語圏では読んだ事が無い人はいても知らん人はいないらしい。未だにイギリスでは好きな小説の上位に食い込んでくるそうだ。イギリス人の心の琴線のどこに触れたのかと言うと、ちりばめられた滑稽さと社会風刺と「皮肉がいっぱいの会話」だろう。

ちなみに有名な「傲慢と偏見」は読んでみたんだけど、ハーレクインよりは萌えられます。傲慢ってのはヒーローの事で、偏見ってのはヒロインの事。田舎のパーティにやってきた金持ちで身分があって格好のいいヒーローは、女なんて皆頭空っぽでと女嫌いなのね。そこでヒーローの友人との会話で遠目に見たヒロインを馬鹿にしたのをヒロインは聞いていて、「こいつ!」と頭に来るわけ。初対面で「アタシ、聞いてたわよ。でもアタシだってあなたみたいな人は大嫌いですから」と遠回しに言い、遠回しに察知して「しまった」と思うんだけど、イライラしながらもそのうちにだんだん、「結構いい奴?」みたいになっていくのよ。ヒロインの家族が色々困ったことになり、それを家族のうち一人出来のいいヒロインがなんとかしようと頑張るんだけど、それをヒーローは延々と裏から助けるねん。一度求婚したものの、ヒロインは初対面の時に貶された事を忘れられなくて拒絶してしまうのね。でもその後もヒーローは延々と裏から助けるねん。最終的にはその事を知って、許してちょうだいとなり、ハッピーエンド。どちらかと言うと、二人の心情模様より、周囲の人たちの描写が優れているという話だ。でもそこがいい。

萌えってなんですか。萌えを言葉にするのは難しいのです。腐女子やオタク男子を対象にした萌えアニメの評価が下がるのは、制作側が萌えのなんたるかをわかっていないからでしょう。できあがった派手なフラワーアレンジメントを渡されても駄目なのです。パッと見、草はいっぱい生えているが派手な花の咲いていない、でもやろうと思えば大量の肥料を必要とする薔薇の花ですら簡単に咲かせる事のできる肥え太った豊かな土壌こそが大事です。餌が全くないのは駄目です。でもやりすぎても駄目。

件のリージェンシー・ロマンスの特徴は、良家の娘は婚前交渉御法度なところです。それが故に、コンテンポラリーのように、「どこを開いてもセックスしようとしてばかり」みたいなのは非常に少ない。熱烈なエロシーンが好きだという人は物足りなく感じるが、しつこいエロは食傷気味という人にはウケがいい。
いきなり押し倒してヒーローが痴漢になったりしないので、そういう意味では読みやすいのですが、他に色々、時代の結婚観とか、結婚の目的みたいなものがあって、その辺を時代の常識として看過できるかがリージェンシーに限らずヒストリカル・ロマンス小説が合うか合わないかの分かれ目かも。

例えば、婚約者でも無い男女が二人っきりで会うなんて言語道断で、うっかり男性と二人っきりだったり、緊急事態で二人っきりで一晩過ごしたりすると、男性は女性の「名誉」のために結婚を申し込んだりします。借金を抱えていて払えないと刑務所にいれられて有罪になりますが、それを回避するために負債を背負った男性が裕福な女性と、貧しい女性が裕福な男性と結婚しようとしたりします。裕福な婚約者ができると、銀行からお金が借りられるようになりますが、そこで婚約者が婚約を破棄すると、途端に逮捕されます。そんな世界。例えば、貴族の長男は実の息子が必要で、若いうちは愛人をつくりまくって遊び呆けたりしますが三十代後半ぐらいになると、好きかどうかは別にして若くて健康で処女の良家の娘と結婚しようとします。最初の奥さんが子供ができずに死んでたりすると、問答無用で後継ぎを作るために再婚しなければならなくなったりします。もっと古い時代になると、王様に、おまえはどこそこの娘と結婚しろと言われたら、会った事が無くても問答無用で結婚です。バイキングが出てきたり、十字軍が出てきたりします。ビクトリア女王時代だったり、エリザベス女王時代だったり、薔薇戦争や、その直後あたりとかもある。珍しいのになると、アメリカの開拓時代。

最終的には「愛」が出現するので、最初にどういうつもりとか気にならないってのなら問題ない。むしろ私は、このたびの問題は何で(この時代に何がどう問題で責任になっているのか)、どう解決するのかが気になるので、ヒストリカルの方がコンテンポラリーより好きです。

コンテンポラリーと言えば、シークものってのもあるんだけど、イギリス人は昔からエジプトが好きだからな。砂漠の国への、異国情緒へのあこがれがあるのでしょう。日本の少女小説で中華風味や外国を舞台にしたものが沢山あるようなものです。しかし後宮を持つような皇帝もヒロインのみを溺愛するように、一夫多妻可のシーク物でもどうせ奥さんはヒロイン一人になるので、異なる倫理観や道徳観に煩悶する必要はありません。ヒロインと結婚するためにシーク辞めちゃったり、法律を変えたりするので問題ありませんでしょう。シーク物といっても、舞台は現代です。単に、シーク=唸るような金持ち(血統証付)という事です。
現代の英国貴族は金の工面など大変すぎて結婚相手としてロマンが無いらしく(というか実在してて身近な分、取扱難いのかも)、王侯貴族パターンでは、スペイン貴族やヨーロッパ小国の王族がヒーロー・ヒロインになりやすい。スペインは立憲君主制に対し、ポルトガルは共和制ですからね。ポルトガル人がヒーローのロマンス小説は読んだ事無いよ。イタリアは旅行の舞台にはよくなるが、イタリア人はロマンス小説のヒーローにはしない。マザコンばかりなので(というかマザコンである事は美徳である世界)ロマンス小説に向かないと思っているのではなかろうか。英米人からするとマンマ、マンマと言われては萎えるのだろう。

ジャンル的には、他にもシークレット・ベビー物ってのがある。一夜の間違いや身分違いや誤解や何やかやで別れた恋人の子供がこっそりいて、それを育ててるところに再会するやつ。子はかすがいを地で行くパターンです。これはファミリー物風味にになりやすく、子供の描写が可愛いので好きという人がいる一方で、無責任すぎて好きになれないという人もいる。
ジャンル・パターンは色々あるんですよ。記憶喪失やら偽装結婚やら変身物、やりつくされてる感がある。こういうジャンルが複数組み合わされていたり。
例えば、「一目ぼれで一夜の逢瀬で子供を授かるが、その直後にヒーローは事故で記憶喪失になって行方不明。若いヒロインは一人子供を抱えるはめに。未婚で父親不明の子供を産んだ結果、親兄弟から放逐されて、子供を育てながら苦学し、バリバリのキャリア・ウーマンになっていた頃、勤め先の大企業が有名な独身で男ぶりのいい若きシークによって買収される。秘書として挨拶に行くと、なんと彼はン年前に結婚の約束をしたまま行方をくらましたあの男だったのだ!」みたいな。そうしたら十中八九、彼の海外出張にドレスアップしてついていく事になるが、そのうちの三割ぐらいは偽装婚約者を演じる事になる。そんな感じ。これで子供ができていないパターンとか、純然たる初対面の場合とか、シークじゃなくて大富豪だとか、記憶喪失じゃなくて男の方が誤解して別れたとか、女の方が身分違いで男の家族に言われて身を引いていたとか、偶然じゃなくて狙って再会していたとか、色々細かく分かれる。まあ、金持ちの場合は、十中八九バカンスに行ってそこで懇ろになるよ。

ちなみに、ファンタジー系もあります。純然たる剣と魔法ノファンタジーもあれば、超能力者や吸血鬼、狼男などが出てくるパラノーマル・ロマンスというのもある。ハーレではないが、映画化したトワイライト・シリーズが有名どころ。納得しつつ面白いのは、タイムトラベル物はあっても、転生物はないところ。さすが英語圏、キリスト教圏である。仏教的輪廻転生は理解できないし納得いかないわけね。女性作家が多くて苦手なのか、ニーズが無いのか、ミステリー風味はあってもSF風味の作品が無いのは残念である。

少女漫画家で、少女マンガを描く勉強に時々ハーレクインを大量に読むが、すると暫く読みたくなくなるという人がいました。わかります。あらゆる少女漫画的パターンを網羅していますが、大量に読むと飽き飽きします。

全く話が逸れてましたね。
ジェーン・オースティンの話をするなら、ジョージェット・ヘイヤーの話もすべきかもしれんのだが。ヘイヤーの方が、ロマンス風味が高まります。恋愛小説になってくる。でもまだエロがない。

それはともかく、「竪琴を奏でる騎士」です。
この物語の何がいいかと言うと、ずばり、地の文章で賢いと書いてるだけじゃなくて、ヒロインが実際に賢い。ハーレクインでは珍しく本当に賢い。作中一度もヒステリーを起こさないなんて!「あなたは私の気持ちがわかってないわ!」と喚きださないなんて、それだけでビクトリーですが、ライトノベルで言うなら、無敵系主人公クラスでチートに賢いので、読んでて爽快感がある。知識が豊富とかじゃなくて、人間的に。

「戦士に愛を」というシリーズの一作らしいのだけれど、他作品のレビューを流し見たところ、これだけでいいです。とにかくこの作品のヒロインが群を抜いて他の追随を許さず賢いのは誰もが認めるところらしい。

「十三年間修道院で暮らしてきたエリザベスは、おじの出現に胸を躍らせた。おじは縁組を整えていた姪が別の男のもとへ逃げ出したため、もうひとりの姪である彼女に白羽の矢を立てたのだ。エリザベスにとっては願ってもないチャンスだった。修道院でのつらく冷たい日々から抜け出せるのなら、相手がどんな人であっても、結婚を成功させなければ。しかし、おじとともに城に到着した彼女を待っていたのは、誰からも恐れられる騎士、レイモンだった。」

……と、ハーレクインの公式サイトから引用。大抵の小説は中身よりあらすじ読んでる方がときめくが、これはあらすじより中身の方が楽しい。まず、このヒーローのレイモンは前妻に色んな意味で裏切られ殺されかけて大変人間不信に陥っています。でも貧乏なので、領地と領民を賄う為に金が必要で、そのためにこの結婚での持参金が必要で、妻になるはずだったのと違う女が連れてこられても文句を言わないのです。エリザベスは生まれてこの方鏡を見た事が無く、不細工と言われて信じ、そのつもりで生きているので、美人のいとこの代わりに突然自分が出てきて、この顔では申し訳ないから持参金をもっとあげるべきだと主張するのですが、美人なのです。それで人間不信のレイモンはなんだこの女?と不審に思って、ちょっと面白いのでそのまま娶ります。自分の為に持参金をつりあげたり破約しなかったので、修道院から出られる事になったエリザベスは大変喜び、なんていい人かと感激します。レイモンはエリザベスが修道院で意地悪な院長によって食うや食わずの生活を仲間と庇いあいながら苛めぬかれつつ送ってきた事を当初知らないので、陰惨な気分のせいで顔も怖くなってて声も潰れてて性格も陰気で前妻を殺したという噂を持つ自分が、なんでこんなに一方的にお慕い申し上げられ感謝されるのかわかりません。もう二度と女なんか信じないと固く決意してて、嫌われるものと思って初夜も超適当に済ませたのに、「早く赤ちゃんができるといいわね!うっふふ!」と新妻のご満悦な様子に、ますますどうしていいかわからなくなります。

このエリザベスに賢いところは、相手の立場を慮ったり、気持ちを推測したりし、尚且つ話を聞こうとするところです。そして自分は学も教養も無くて顔も悪く、押し出せるのはこの人間性のみと思っているので、レイモンに親切にされるたびに「私のいいところを見てくれてる!」と感激する。正当防衛なのですが前妻を殺した前科があり、引く手あまたのモテモテから一夜にして疑惑の眼差しを向けられる嫌われ者になったレイモンは自分がやる事為す事恐れられ疑心の目を向けられることになれているので、自分が何を考えているのかわかろうとしてくれ、本当は何があったのか知らないのに信じようとしてくれ、しかも些細な事で感謝感激され、自分に大満足している妻が可愛くって仕方なくなってくる。可愛さあまって、貧乏で金が必要だから結婚したのに件の妻の持参金で妻を飾り立ててしまったりします。上司を迎えるパーティを開かねばらないのに金が無いという事になる。
レイモンのいいところは、妻にメロメロになってしまって、自尊心や虚栄心の為に誤魔化しをしないのですよね。正直に、こういう具合に困った事態になってると奥さんに白状するようになるようになる。
屋敷や領地を修繕したりするためのはずの、自分の持参金を自分へのプレゼントに使い込んだと知っても、「じゃあどうするのよ!」などとヒステリーは起こしません。エリザベスは鬼の如く家計のやりくりが巧いのです。「それなら仕方ない。あるものでなんとか凌ぎましょう」スーパー主婦レベルだったのです。さらにつてを頼って情報を集め、初対面の上司の趣味や機嫌を損ねない話題を提供し、いかんなくアゲマンぶりを発揮したりします。

自分は美人じゃない美人じゃないと言い張る嫁に、「いいから鏡を見ろ」と顔を見せた時も面白いです。「美人じゃないのに好きになってくれたと思ってたのに、あなたも結局男で美人だから私が好きなだけなんだわ」とがっかりする妻に、「いや、そんな事は無い。あの初夜の適当さを思い出してくれ。あの後好きになったんだから、顔だけじゃない」と訴えると、「そう言えばそうだった!」とエリザベスは即座に復活。初夜の酷さが愛の証明になるのが面白い。
この話の珍しいところは愛の告白とか愛の自覚とかがそれほど重要では無いところ。半分に至る頃には仲のいい夫婦になっており、相手に対して疑心暗鬼になったりしない。愛してるのかどうかという問題がそれほど重要視されないまま、双方が相手を好きになっていき親密になり信頼していく過程が非常にスムーズで充分に納得がいく。ハーレクインだからというか、ちゃんとエロシーンもあるのですが(業界用語でホットなシーンという)、この二人のはいかにも好きで楽しくてやってる感が満載で可愛い。

何しろヒロインがいい。色々読んだけど、私はこのヒロインが一番好きですね。そしてレイモンもいい。どちらかというと、この話でヒーローはエリザベスだよな。まさにこのエリザベスを妻にしたおかげで何もかもがうまくいくようになる。そしてレイモンは可愛くなっていく。


はっきり申しまして、ハーレクインでかっこいい男を探すのは至難の業なのですが、可愛い男なら偶に見つかります。
私が可愛いと思う男と言ったら、これ、ツンデレ男でしょう。ハーレクイン・ヒストリカルで群を抜く正当派ツンデレ男、ニコラス・ド・レーシを語らずにはいられません。


2013年10月08日(火) 傍目八目ロマンス小説を読む。

気がついたら半年どころではなく時が過ぎ去っていました。
仕事は例によって色々あるわけですけれども、仕事の話なんかできませんものね。

それで私のストレス解消は昨年末ぐらいから延々と、主にハーレクインと少女小説ざんまいだったわけです。ちょろっと普通の(?)ライトノベルも読んでたけど。
齧っちゃ止め、齧っちゃ止め、偶に全部読む、という感じだったので、正確にはどれだけ読んだかわからないけど、自分の好みというのが少しはわかるようになりました。
いや、前からわかってたけど、明らかな好みがわかるようになった。つまり、私はハッピーエンドの恋愛小説ならなんでもいいわけではないと。そしてイラッとする恋愛小説は面白いと感じられない小説と同じくらい読んでてつらいと。

そんな事、人は当たり前だと思うのかもしれません。
でも私には新たな発見だったのよ!

まずハーレクインをこれだけ大量に読んだ事は無かった。人の書評を読んでて「ハーレクインを思い出した」とか「ハーレクインっぽかった」と書いてあった時に、「いいや、ハーレクインはこうじゃないんだ。ハーレクインは……」と独自の見解を述べられるぐらいにはなった。
あと「こういうのは、私はあんまり好きじゃないらしい」とわかるようになった。人様のレビューを参考にして自分好みを探そうとした時に立ちはだかる「私の趣味にあっていた」「私の趣味と違っていた」評価があります。「そうは言っても、おまえの趣味を私は知らないから、おまえの趣味が私の趣味とどういう関係なのかがわからない為に判断の基準にする事ができない」という壁です。今まで悩まされてきましたが、私にも趣味らしきものがあるとわかると、おおらかな気持ちになれます。

私の趣味は、例えば以下の如し。
あ、ヒーロー、ヒロインというのは、ハーレクインや洋物ロマンス小説における、男女の主人公の事です。つまりカップルの男の方をヒーローと言い、女の方をヒロインと言う。和訳するなら彼氏と彼女かもしれないが、「恋人同士であるかどうかに関わらず最終的には絶対にハッピーエンドに至る事が初めから読者に確定している男女の各々を示す」言葉というのが日本語には無いので、気恥ずかしい感じが拭えないまま映画ターザンみたいな表記を続けます。

1.頻繁にヒロインとヒーローが一緒に同時にヒステリーを起こすのは止めてほしい。
2.気持ちが昂ぶったからと言って、それを表現する術が肉欲ばかりなのはいかがなものか。
3.人が何かを言おうとしている時には、偶には黙って聞いてみようとして欲しい。

以上は、私の、主にハーレクイン作品に対してよく巻き起こる不満なんです。
ご説明しましょう。

1について。
ハーレクインでは、非常に頻繁に、ヒロインとヒーローが喧嘩するわけですが、その時に非常に高頻度で生じる事態です。一方が嫉妬や疑念に駆られてヒステリックに相手を詰ります。するとそれに反応してヒステリックに応対。それに反応してさらに興奮。それに対してさらに……と、いった具合。そしてどうなるかと言うと、「もう何を言っても無駄!」「相手は聞こうともしない!」とこうなるんです。

「不満があるので、まず攻撃!」
「なんか知らんが攻撃を受けた!しからば反撃!」
「まさか反撃されるとは!?ならば攻撃あるのみ!」

なんで常に常にこうなるのか考えてみたんですけど、もしかして文化じゃなかろうか?自立した大人が欧米でどういう態度を成人として要求されるかを考えてみて、もしかすると、こうなるのが当然なのかもしれない。「不当だと感じられる非難を浴びたならば、とるものもとりあえず、まず断固とした抗議をせねばならない。不当な叱責に対して謝罪など断固してはならない」みたいな。相手が興奮している時に、とりあえずお互いに冷静になる為に、自分は悪くなくても潤滑剤的に謝ってみせるとかありえないんですよね、そう言えば。「謝ったら自分が悪いと認めた事になるから終わりだ」って言いますものね。
でもイライラするー!「バカなのか、こいつらは?」と思わずにいられない。いきなり罵りながら非難するというのもどうかと思うけど、罵られたからと言って早速にも罵り返すとか。ハーレクインを読めば読むほど、根本的な価値観や美意識の違いを感じないでもない。

てゆうか、ちょっと脱線して職場のおばちゃん達の事とか思いだす。十人に三人はこういうのがいる気がする。半分ほどというわけではない。でも確実に良く見かける。自分が非難されたと「感じる」と、即座に興奮!みたいな。指示された事と違う事をやっていて、そうじゃないと注意されると、即座に「でも!」と反論。注意に反発ぐらいならまだマシな方です。質問や確認にすら反発するタイプになると大変です。どうにかしてくださいと言われても、私にはどうにもできません。
こういう方と比べると、私は正義感に乏しいのだなと思います。教育係?として途中で投げやりになり、私は「相手が間違っていても、すみませんと頭を下げろ」と言いました。おばちゃんは憤って「相手が悪くても私が謝るんですか!」とブチ切れましたが、私は「そうだ」と断言しました。私の見たところ、その事態のうち三割はおまえが間違っており、その事態のうち三割はおまえが業務の要求水準を満たしていないという説明をし、納得させることを放棄したのです。客観的に見て、私はなんて邪悪な人間でしょうと思うが、しかし反省はしない。正しさが人を幸せにしたことなどあっただろうか。正しく生きる事は思春期に止めたのである。
しかし勿論正義感あふれる直情型のヒロイン気質であるおばちゃんは私の忠告など聞きません。影ながら嫌われていますが、影ながら嫌われてるぐらいなら問題無いだろう。

「女はヒステリックで直ぐ興奮して人の話を聞かず頭も空っぽで」とかとかハーレクインのヒーロー諸氏は当初よく女を嫌っております。「そんな女いねーよ」と昔の私は言ったかもしれませんが(だって基本的に、私の友達は皆賢いし!自慢だけど)、今は微妙に納得します。なるほど、そういうのもわりといる。
私も割合に頭が空っぽなので、人の事は言えませんけれども。主にまんじゅうちゃんの事しか詰まってませんから。


脱線したが、


2について。
ハーレクインはイチにセックス、ニにセックス、三四がセックスで、五もセックスです。セックスは性行為という意味だけではありません。ようするに、性!男性的である事、女性的である事、性的な魅力がある事、性的に訴えかけてくる強烈な何かがあるという事。よって、たいていの場合、一目惚れです。一目惚れでない場合、途中で突然、相手が性的に強力な魅力の保持者である事に気付きます。美男美女に限りません。ハーレクインの大半は美男美女で、尚且つ、少なくとも片方は社会的に成功した非常に高いか、もしくはある程度高い地位をもった相手ですが、ごく稀にそうでは無い場合もあります。平凡なとか、完璧な美貌とは言い難い……みたいな。でも性的な魅力はあります。もしくは発現します。これは絶対。
どう読んでも、知性とかウィットとか品性とか優しさとか高潔さとかは、「思いがけないお得なオマケ」感が拭えない時があります。これは私だけではないみたい。人様の感想やレビューでも、「この相手のどこがいいのかが全くわからない。いいのは顔だけだろう」みたいなのはよくあります。
「どれだけ熱烈にセックスしたいか、衝動を抑えられないほどセックスしたいか」が真実の愛の基準にしか見えない事がよくあります。だからヒーローがどう見てもセクハラ魔、どう見ても痴漢な場合もよくあります。……しかし、真実の愛って何って聞かれたら、もしかするとそういうもの(性衝動の強烈さとその持続性)なのかもとも思うので、小説だし、あまり文句は言わない。何に文句があるかというと、ハーレクインではよくあるのですが、一目見たその時からヒロインとセックスしたくて堪らないヒーローが、これは愛情では無くてただセックスしたいだけだと公言したり思いつめたりしたあげくに、最後らへんで突然豹変して、「実は愛していた事に気付いた」と言いだすところです。意味がわからん。何がどう違うのかわからん。全くわからん。

しかしハーレクインにもいいところがあります。それは、ヒーローもヒロインも共に、自分が相手を愛してないと思ってる時には、絶対に、口が裂けても、断固として、愛してると言わないのです。どれだけ窮状に追い詰められても、別れる寸前まで行っても、別れても、別れて後悔してても、どうにかして相手を繋ぎとめようと七転八倒してても、自分が相手を愛してないと信じてる時には愛してると言わない。ただ一言愛してると言いさえすればいい時でさえ言わない。この一言を言わないが為に拗れまくっても言わない。この一点において、意味のわからない「愛してる」の告白に問答無用の威力がある。
偶に証明の必要にかられますが、それもこれも大抵は「愛してなどいない」と頑なになったがために相手にわかるように好意を表現する事を無駄に自粛し続けていた自業自得であって、「そのあなたの言う愛って何なの?」みたいな哲学的な問題には発展しません。「あなたが愛しているという事が信じられない」のであって、「あなたの言う愛ってものがなんなのか意味がわからない」のではありません。

私が思うに、これが日本の少女向け恋愛小説や、日本の恋愛小説と、欧米の成人女性を読者対象としたハーレクインの大きな違いです。向うの人間は愛が何か、どのようなものかを最初から知っているのがほぼ前提であるのに対し、日本の恋愛小説は非常に頻繁に愛が何かを探し続けています。日本の恋愛小説では、大人向けでもそうです。大人向けは、なおそうだと言ってもいい。日本の恋愛小説では、愛してると口に出したからと言って愛は証明されないのです。だから日本の少女向け恋愛小説は告白するまでにネチネチといちゃつきます。「これだけやられれば、どんな阿呆でも流石にAはBをとっても好きなのだとわかる(読者には)」ところまでやってから、おもむろに告白です。出会ってから険悪でついさっきまで青筋立てて怒鳴り合っていたのに、その一瞬のすきを突いて突然キスなどして、「キミがエロかったから」などと言っても駄目です。読者は抑えがたい恋情の発露などと思いません。ハーレクインはよくこういうものがあると知っていなければ、厳然たるただの痴漢です。


3について。
ハーレクインの拗れる原因は、主にこれです。相手が話したいと言っても聞きたくないと言う。相手が話そうとするのを遮って自分が言いたい事をまくしたてる。相手が話し始めるのを待てない。相手が話している途中で激昂して最後まで聞かない。などなど。
一冊や二冊ならまだしも、大半がこうなので、たくさん読むと嫌になります。



ハーレクインってそんなに売れてるようにも思えないのだが、その原因は私自身がかつて読む前に物凄く偏見をもっていたからかもしれない。ハッピーエンドが約束されてる分もあって、男女の色恋沙汰を描いた乙女チック小説って感じが拭えないというか。その通りなんだけど、読む前に思ってたのと何かが違うと思い、その原因はヒーローが意外と「王子様でない」とせいかもしれない。王侯貴族じゃないという意味じゃなくて、いわゆる「王子様」でない。十中八九は欠点だらけのどうしようもない男が多く、欠点の主なものがしばしば性格である事です。

そういう具合に、読んでみると想像してたのとちょっと違うハーレクインなのだが、現実に周囲に読んでる人もなかなか見つからない。でも本屋にはワンコーナーあったりするよね。その原因は、ハーレクインを好きな人は、まるで推理小説好きが推理小説を大量に読んだり、SF好きがSF小説を大量に読んだりするように、ハーレクインというレーベル、出版社の翻訳小説を一人で大量に読むからです。見たところ、百冊や二百冊読んだくらいじゃひよっこであります。大御所の作家は、一人で百冊ぐらい書くからというのもあります。作家自体も大量にいるし、一人がかなり沢山出すので作家を追いかけだしたら大変な事になる。
でもどうやら日本の翻訳本は抄訳っぽい。大抵は薄いので、直ぐ読めます。まあ、直ぐ読めても、話の大半は喧嘩してるかセックスしてるんだけど。読みこみだすと、この翻訳家ははしょり方が下手とか、この人の翻訳は安心して読めるとかあるらしい。

あと、確かベティ・ニールズだったかな?その作家のファンの話は面白い。件の故ベティさんは、似たような設定の似たようなキャラの似たような話ばかりを量産した人らしいのだが、同じような話ばかり読んで何が面白いのかと思いきや、ファンになっちゃうと面白いらしい。何が面白いのかと言うと、これは筋は作品Aと同じでヒロインは作品Bの焼き直しだとか、筋は作品Cと殆ど同じだがラストが作品Dから引っ張っているとか、そのやりくりというか、物語の面白さというより「ベティ作品を読みこんでいく」という面白さがあるらしい。

作家の誰それはヒロインにこういう傾向があるとか、作家の誰それは、これこれの舞台が好きで得意だとか、作家の誰それのヒーローは大抵こういう行動をとるが、この作品では違った!とか、そういう読み方や選び方もしたりするらしい。大量に読んでこそ、マンネリがゆえの驚きとかあるようだ。

こういうのはちょっと面白いなと思う。
普通、一度作家として出版した人が次に似たような物を書いたらマンネリと言われるけれど、一人の作家に対して一つの期待されたパターンがあるのよ。この作家のパターンが好き、だから次も同じ感じを期待するみたいな。この作家のは自分には合わないから、もう読まない。でもこの作家のは好きだから、次も読む、みたいな。
これは「結末は絶対にハッピーエンドだと決まっているロマンス小説」だからこそって感じがする。好きな恋愛パターン、好きなヒロインのタイプ、好きなヒーローのタイプ、好きなシチュエーションが、重要なのよ。どんな恋愛模様でもどんな登場人物でもいいわけではない。好みのパターンがあって、それに合致している事が意外性や新鮮さより大事で、好みじゃない物は断固好みじゃないのだ。

水戸黄門とかと同じ。水戸黄門が最後に印篭を出して解決する事はわかっている。水戸黄門が暗殺されたり、視聴者の予想を裏切って助さんが裏切ったり、角さんが悪事を働いたりする事を期待しているわけではない。でも水戸黄門や助さんや角さんを誰がどんな風に演じるのか大事。似たような話を繰り返し見るのが嫌なのではない。なんか違う黄門様が嫌なのだ。

男性向けエロのサーチ分類との共通性も感じる。
ハーレクインにもシチュエーションとか、ヒーローの職業とか、時代設定とか、サーチの仕方があるのです。例えば、舞台はアメリカとかイギリスとかが多いんですけど、ヒーローの人種には特徴的な傾向がある。アングロサクソン系かラテン系かみたいなのです。ちなみにベティ・ニールズの描いたヒーローは殆どオランダ人らしい。十中八九は白人なのですが、稀にネイティブアメリカンとか珍しいのがある。ラテン系なら、スペイン人やギリシャ人が人気です。フランス人やポルトガル人じゃ駄目で、スペイン人かギリシャ人がいいらしい。何しろスペインには貴族がいます。フランスにはもういませんからね。ギリシャ人は現代の世情だと「おや?」となるが、あちらでは以前、大富豪がいる事で有名だったようです。
同じ上流階級富裕層であっても、先祖伝来の王侯貴族がいいのか、成り上がりの富豪がいいのか重要なポイントのようです。王侯貴族なら強引で傲慢だけど優雅で品があるわけで、成りあがった大富豪の家系なら強引で傲慢だが能力が高く頭がいいみたいな感じです。
読んでる方には頭の良さとか見えないんだけど。

(金持ちしかいないわけじゃない。コンテンポラリー(現代もの)なら、結構色んな職業のヒーロー、ヒロインもいる。ちなみに、ベティ・ニールズの一押しは医者らしい。「オランダ人医師、ほぼ一択」らしい)

……なんでいつも強引で傲慢なんだよと思いますが、一見強引で傲慢に見えるのがあちらの男性らしさです。あちらの女性像は好悪をはっきり言います。相手を傷つけないように……などと言って、有耶無耶に誤魔化したりしません。コンテンポラリー(現代もの)になると激しくなって、「セックスはいいけど結婚はしない」とか「愛してないけど、子供だけ欲しい」とかガツンガツンと言います。一度や二度「あなたなんか大嫌いよ!」と言われたぐらいで凹んで引きさがっては話も進みません。まあ、だからこそ、稀に出現する穏やかで冷静な男性像が極端に個性的に見えますけど。いや、よく「冷静」ってなってて、運命の恋の所為で生まれて初めて冷静さを失ったって書いてあるんだけど、その普段の冷静ぶり、読者には知る由もありませんから。どこが冷静やねんとか、どこが知的やねんとつっこみまくりですけど。
ちなみに、包容力のある穏やかな男性はよく年の差カップルで出ます。ヒロインが二十代で相手は四十代とか。しかし向うはロリコン断固反対なので、子供の頃に知っていてヒロインは延々と片思いしていても、ヒーローにはその気はありません。身も蓋も無いが、ある日突然、「この女で抜ける!」と思った瞬間から恋が始まります。これはどうよと思いますが、しかし比較して、源氏君と紫の上が正常でまともかと言うと、いやそれもどうよと複雑な心地です。

比べてみると、日本の少女小説のヒーローは凹み過ぎで引きさがりまくりです。優しさの発露かもしれませんが、こういう人間は外資で栄達する事は不可能と見做されるものとわかります。日本の男性らしさは無言の優しさに集約されます。ハーレクインのヒーローのように、「キミを守ったのは私だと認めろ!感謝は無いのか!」と断固とした主張を怒り狂ってしたりなどはしません。私ならこんな押しつけがましい男は嫌だと思いますが、ヒロインはヒロインで「私はあなたがいなくてもやっていけるわ!」とカッカカッカしてるので、どっこいどっこい。

穏やかに愛情を育むとか、探すの大変です。ハーレクイン。


でも最近、日本のライトノベルというか、ティーンズノベルの中で、恋愛小説で性行為までが描かれるものが出てますよね。ティーンズラブとか言うみたい。商業小説のエロ描写を面白いと思わないので、どんなものか興味を抱きつつ未だに読んだ事無いんですけど、少女小説のハーレクイン系みたいな気がする。恋愛感情と性衝動と非常に近しく近似値で結んでて、日本も欧米化したなという気もする。強姦とか調教系とかあるみたいだものね。本屋でざっと見てたら、元々BL小説書いてた作家さんが転身してたり、両方書いてたりする。その辺考えてみると、耽美じゃなくてBLってのは、いわゆるとってもハーレクイン的だったと思う。愛のなんたるかを云々しない。性衝動がきっかけになって、開き直ったり煩悶しつつ恋着に至るところとか。耽美小説にはゲイ小説みたいな雰囲気があるけど、BLには無い。


久しぶりに日記書いて、色々言ってみましたけど、まあ、ハーレクインや洋物ロマンス小説は図書館に行ったらいっぱいあるので、ただで色々読めます。
そこで、個人的に、これは面白かったというものをメモってみましょう。


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