sasakiの日記
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2011年07月29日(金) ディーポは忙しそうだった

このところ毎日晴天が続き、まあ、なんとか夏は面目を保ちつつある。
円山の向こうに青空が広がり、なんだか青春映画の始まりみたいなシーンにジンとする。駐車場のシャッターを開けると小学生が二人、ネットに入ったサッカーボールをブンブン振り回し走ってゆく。引越しのトラックが道に止まり、荷物の搬入に忙しそう。
ベランダから下を見下ろすと、このところ、猫が気に入った通り道にしているのか塀伝いにユラユラ行進して行く。向こうから自転車にのった女の子がやって来て、そのユラユラ猫とすれ違う時、「ニャン」と声かけていくのがかろうじて聞こえた。なんだかコミックスみたい。でも、本当のところは、猫には何も関係なくて、猫は今日も昨日と同じで、果てしなく、人生に直面している最中で、僕のベランダからの感想なんかどうでもいいのだ。ここから見ると、家猫なのか、野良なのかもよく判別できない。
最近、気に入っている考え方を発見した。
脳味噌には世の中や景色、考え方が別に見える数々の部屋があり、そうはいっても、大体一つの部屋にいてしまい、そこであらかたの事を決定するんだけど、ともすると思考が窮屈になってしまい、多分、身動きできなくなってしまっている羽目になるんじゃないかなあ?油断していると凝り固まってしまう。

すごくいいコード進行を使えた。
簡単、わかりやすい歌を作ろうと思って毎日ギター弾いている。
最初は本当に簡単なところからスタートするんだけど、「ん?」と思うと、」ベースラインが動き出し、それに連れてコードが追っかけてしまう。
これは久しぶりに詩が後からになる。

10月頃にディーポでLIVEやらないかとペータから少し前に電話もらっていたので、会うことにした。
色々話しているうちに、ペータは 70までは音楽やりたいと言ってた。あのな?そんなに先のことじゃなんだよ、ワシは、と言おうとしたけどまあいいや。このところ、僕もあんまり年についてネガティブじゃないし、この状況にも完全に慣れた。

今日は青空色のTシャツで一日暮らす。


2011年07月22日(金) recording、今年やる。

テレビのナデシコの消費がひどいなあ。今更何を言ってもやめるつもりもないんだろうから脱力するだけかなあ?
今日は明日のラジオ練習のために11時から、トールと事務所で落ち合う。
スライドギターを弾いてもらう。テンポを出来るだけ遅く取らなければいけなくて慣れるまで時間がかかった。自分があんまり使わないテンポ。
うまくハマるといいかもしれない。兎に角、生で演奏しながら歌うというのは、思いの外大変なのだ。それでも好きな歌というのはたくさんある。いいね。
トムヤムクンで唇がブーン、ブンと唸ってる。辛さに全く反応しない友人がどうも多いようなきがする。どんなに辛いものを食べたり飲んだりしても反応しないというのは、人間としてどうなんだろう?と思うんだけど、友人たちはそんなに頓着している気配がない。あれはあれで形の違うアレルギーだと思う。かわいそうだ。
レコーディングスタジオを見に支笏湖方面に出かける。中に入ったらロンドンのクマがいて、マキちゃんのレコーディングやってたので、しばらく医者との対処の仕方、日本と英国の違いについて話し合う。黙って話を聴いていると朝まででも話していそうなので、逃げて来た。
11月頃また、日本にくるというので、その頃何かしようと決める。

言論の自由というのと言論の統制というのは実は同じことなんじゃないかと思えてきた。首相がダメだ、瓦礫の山を国は責任を持って処理しろ、原発は安全じゃないからやめろ、といってもゆきつくところは何も変わっていかない。だれも本当の所は相変わらずわかっていないし、本気モードに入って実力行使するにはまだまだ、沸騰する下地が何もない。三島由紀夫がどの時期に現れたらあの檄に人がついて行ったんだろう?と想像することが最近多いんだけど、今のところ、まだ、その瞬間だと感じる時はないなあ。



2011年07月13日(水) 東京は暗いという

スペースゼロの近くの中華屋で軽く打ち上げようということになり、始まったのが10時半くらいか?ひと月近くのバンド旅。そんなに本数は多くはなかったんだけど、流石に最終日になると進行も中身も上手い具合に発酵してきてナカナカ味わいが出て来たなあ?というところでお終いになる。思ったことは、ワシらは年を取るに連れて、本当に真面目に音楽をやるようになっていく。人の歌を律儀に練習して、ギターや歌のフレーズを修正変更してさ、本当に疲れたよ。
室蘭、白老、紋別、札幌、横浜、東京。いろんな人に見てもらって、何が嬉しいって、みんなが喜んで帰っていくのを見るのが一番だったかなあ。
ほんとうに有難うございました。
まだまだ色々愛想を振りまきたいのですが、、それは次の機会。
一番強く感じたことは、昔と何も変わっていないと言うことで、僕らだけじゃなく、見に来てくれたお客さんもまだ全然あの頃と変わっていないんだ、と確認で来た事じゃないかなあ。
その中華屋の本物の中国人の店員多数に突然の閉店勧告を突きつけられ、もう、ウムを言わせないキッパリと「ホンジツハゴライテンアリガト、モウミセシメルカラ、ハヤクカエッテネ」、久しぶりに情を持ち込まないニホンゴキイタヨ。
イッペトワシワソノママヤドニカエッタヨ。ヤマキ、マダマダゲンキネ、ドッカイッタミタイダケド、フトテルカラタイリョクアルネ。マダマダゲンキネ。ソロソロ、ワシモムカシミタイニ、サケノンデヨパラテミヨカナ?と。

横浜から東京に戻る時に見た風景がとても残っている。
マンションの灯りだけがついていて他は見事にくすんでいる夜景。東京ってこんなにカッコよかったっけ?キンキラしてたものが何もなくなってしまっていて、吉野家の赤い看板までも消えちゃっていて、まるで大友克彦の「AkIrA」状態。「そのことに怯えてまるで慌てて塞いだみたい」。
不遜な言い方だけどいいものを見た。
あきらかに間違っている。
東京にくる前に「今、東京は暗いからびっくりしないで」と言われたんだけどその通りだった。
夜中に室蘭の製鉄所を見た時と感想が一緒だった。
未来はそんなに賑やかにはならないんだなあと。

さて、これから暫くは一人で自分の歌唄う生活に戻る。


2011年07月06日(水) 結局そういうオチになってしまった

松はもう夏模様。横になったまま動かない。と書いたらそばに寄って来てキーボードにスリスリし去って行った。7月はスポ太郎の死んだ月で午前中に花を届けて頂いた。スポ太郎のファンの方からだった。
スポ太郎が死んだ時のことを久しぶりに思い出した。
田舎の家の夢を見た。縁側のところに葦簀が庇に届く高さで張られていて、そこに朝顔の群れが空に向かって伸びている。それだけなんだけど、いい夢だった。最近いい夢なんかそうみない。
マツが今ご飯食べている。毎日毎日ヘルシーキャットだけしかあげない。よく三度さんど同じものが食べられると感心するんだけど、尤も、それしか食べるものが出て来ないんだけど、可哀想だなとも思うが、何よりも健康なのだと諦めてもらうしかない。
田舎の夢と関係ないと思えるけど、何かすごく近いところにある。
世の中は全て生きているということでなりたっている。
時々そのことを忘れてしまっている時がある。
松は昼日中は絶対にベランダに出ない、このところ毎日網戸は全開にしてあるからベランダに出ようと思えば松は出られる。それでも昼は僕がそばにいないと戸口にさえ来ない。理由はカラス。猫のくせに鳥が嫌いみたいで、なんだか張り合いがない。暗くなって外が静かになるとようやく出て行く。
夢みたいにベランダにヨシズをはり、朝顔育ててみようか?
さっき久しぶりに月を見た。今は月の出も遅く、思いがけないところにいる。

明後日はサンピアザ本番の日。月はどこに出てる?


2011年07月01日(金) もう頬が青くなってきた

メガネをかけるたびにめまいがするので、変だなあ?と思ったらレンズが片方外れていた、という間抜けな話が前にあった。間抜けな話はたくさんあって、ある日洋画を見ていて、ふと、字幕がついていないのに驚くほど会話が理解できる、まるで日本語のように聞こえる、ついに自分の英語力はここまで来たかと本当にびっくりしていたら、日本語バージョンを借りて来ていてそのことに気がつかないでぼーっとー見ていたというような話。昔、ここで書いたことを思い出した。でも、あの「あっ、俺はもう英語を日本語のように聞くことができる」と思えた瞬間は最高だったなあ。
友達でiPadやfacebookをやっていない人を差別するという人にあった。その人がいうには50過ぎたら兎に角新しいものに飛びつかなければいけないと言うのがポリシーだ、と言ってたので、まあ、それも一つの意見だなあ、と思ってしょうがない人だねと言っておいた。本当に世の中はいろんな事をいろんな方法で考えている人ばかりで面倒臭いといえば面倒臭い。こう言った状況でヒットソングのことを考えなければいけない音楽家はつくづく大変な仕事だなあ。(今日は"なあ"の多い日だ)今日は60歳、61歳、62歳で昼日中から喫茶店に集まって珈琲を飲む。二人は妙に日焼けしていてなんだか落ち着きが悪い。いい年をしてあんまり日焼けするのはどうなのだ?。農業、漁業関係なら納得できるんだけ
ど、堅気の都会暮らしで日に焼けていると金融の人に見えるからね?
帰りに近所まで来ると、同じマンションの引越しして来た時から一方的に親身にしているボンズと遭遇する。学校帰りか鞄持って下を向き、ひたすら歩いている。この子は始めて見たのが小学校5,6年生位の頃で、いつもマンションの前で誰かを待っている光線を出しながら佇んでいる子で、僕の予想なんだけど、どうも両親が離婚したばかりで母親が下の女の子を連れて家を出てゆき、残されたボンズがその辺りの事情をまだはっきりと認識していなくて、くよくよと待っている、と言う感じ。聞いたわけじゃないからあってるかどうかはわからんけどね。そのころよくその子を目にしたので合うたびに「おはよう!」「今日は」
「今晩わ」をしつこく言い続けた。最初は返事もしなかったのだが、半年以上かかったか?挨拶するようになり、今では向こうからきちんと挨拶するようになった。親もさぞ喜んでいるかどうかは知らないけど、立派に高校生になった。それでしばらくぶりに彼を見たんだけど、自転車で通り際顔を見たら頬の辺りが青く見えた。
おっさんになって来てた。母親が、男の子が成長するのを気持ちが悪いと思う瞬間ってこれだったか?なんだかしみじみとわかる。
ということを書きたかったんだけど長い。疲れた。

7月8日のサンピアザ劇場での参の木コンサートも忘れずに。新札幌においでください。


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