sasakiの日記
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2009年04月27日(月) 壊れてるんじゃないか?と思っていたら

 開いた瞬間にフリーズして、そのまま強制終了。
 また開いたら、同じ状態になり、また電源を引っこ抜いて終了。
 何度か試してみたものの、一向に改まる節もないので、そのまま、抛っておいたら、2週間が経ち、このまま行くと、もうパソコンに還ってきそうもないような気がしたので、最後に電源入れ、出来るだけのことをしてみた。できるだけと言っても、出来ることは多寡が知れていて、その中で何度かフリーズを繰り返し、時計も止まり、いろいろあって、電源を引っこ抜き、たびたびの電源引っこ抜きを繰り返していたら、流石のパソコンもおびえたのか、従順に言うことを聞きれるようになった。どうも観念したらしい。
 相変わらず、中で怪しい行動を繰り返し、ハードディスクがパンパンに膨れ上がり、にっちもさっちも状態だったみたいだ。
 だからと言って、次があるのかといえば、保証の限りではなく、また立ち上げに困難をきたし、そうして最後は音信不通になるかも知れないので、断りを入れておく。
 パソコンが壊れて何か支障あるかといえば、そんなにはない。
 ただ近況や、挨拶などが送れないだけで穏やかなものなのだ。
 そんなわけで、小山さんの力を借りなければいけない状態は少し先になりました。とりあえず自力更生の道を歩んで見ます。
 
 さて!皆さんお元気ですか?と。

 サクラの花が咲いているのを今年初めて見た。
 花が咲いているのを見て本当に嬉しい気持ちを始めて実感しました。
 どうも、ありえないことですが花鳥風月の方向に触れ始めているみたいで、ある意味なんかヤバイ感じでもある。まだまだ花などを愛でて季節に涙すると言うのはまだ先なんだけど。
 それにしても昨日の寒い雨の後のサクラの開花と言うのは、それはそれは感動的であるのだ。どんどん、人間になっていく。
 蘭の花が咲きそうで。
 一花咲いた蘭につぼみが出来、もうじき花が咲きそうなところまで来ている。今まで、家で生き延びた花はいなかったのに、今回はどうしたことかいいところまでいきそうだ。このままいくと広岡監督みたいになりそうで少し困っている。
 多分、松が関係しているような気がする。
 初代スポ太郎は兎に角、植物大好きで、もらってくる花と言う花、鉢だろうが生花だろうがひたすら食い倒す。猫は普通葉ものが好きなんだけど、松茸は一切見向きもしない。猫草にさえ興味を見せない。まだ子供だから興味がないのだろうと思っていたのだが、もう2歳になるのにもかかわらず、一切植物に興味がないみたいだ。食われるというストレスが植物にはあると花は人生をはかなんで短命に終わる、大体はそういう観察に至った。

 稲村さんはいよいよバンドリハに入った。すこぶるいい感じに仕上がる。
 悪いことは言わないので絶対に見にきたほうがいいって!

 こっちはこっちで、釧路、東京、小樽のリハーサルを周到にやらなければいかん状態になってきた。連休は概ねそれに当てる。それぞれ編成が違うので結構大変かもしれない。
 是非足を運んでくだされたし。

 「わたしは何を忘れたか、思い出せない」、スー・ハルパーン。時々真面目な本を読む。怖いタイトルだけど、これも慣れかもしれない。
 ようやく目と脳が老眼を深く理解し、抵抗しなくなったので、前みたいに長時間読書しても苦にならなくなってきた。それにしてもまだ、度は進んでいて、底に達しない。果たして底があるのかどうかもわからないけど?
 
 松は椅子に座っているとヨジヨジ登ってきて、腿の上で寝る。
 そのほかの条件だと一切側に寄って来ない。どうしてなのか判らない。
 それにしても2代目は相当面白い猫だ。
 松茸、2代目。2歳。なんかかっこいいなあ。
 もうすぐ2歳の誕生日だ。見た目、おっさんみたいだけど。
 
 また、ここに帰ってこれるかどうか不安だけど、もし暫く、音信不通だったら、悪戦苦闘していると思ってくれ。

 バイビー。
 
 

 
 


2009年04月07日(火) 空色のそら

 FIXEでコンサートの進行のチェック。
 なんだかとてもいい進行で、いなむら一志はあらためてとても素晴らしいシンガーソングライターだと言うことがわかる曲順になっている。本当は還暦なんかどうでもよく、ほんとうは、我われは益々格好よく年をとっていってるということが確認できさえすればいいだけなのかもしれない。
 作った歌が残っていく。
 普段そんなことは当たり前のことと、思って、何も感想なんかないんだけど、人が40年間作ってきた歌を見ると、そうじゃなく、それはそれは、とても偉大なことなのだ。そのことがよくわかる。
 
 「コーヒー豆を 頭に詰めて ラジオのニュースが 大騒ぎ それは僕さ」     BYいなむら 一志 それは僕さ
 
 初めて聞いたとき、なんか無茶苦茶な歌詞だなあ!と、思ったんだけど、サブリミナルみたいに、頭に中にメロディと歌詞がこびりついている。
 多分、今や絶対に書けない歌詞だろうし、今書いてみても、ただ、気を衒っているようにしかみえないだろうし、それこそ、ある時期限定商品。歌はいつも、ある時期限定商品で、そのタイミングでしか生まれてこない。そしてラッキーなことにそのタイミングで聴くことが出来るのはとても幸せなことだった。
 ネタバラシになるから、進行の事はかけないけど。
 まずは一見!

 それにしても、連日爛漫の春。 あやしく。 BY かずし
 空白の空に誘われて、日がな一日、ぶらぶら。
 終わり5.41。
 
 5.41と言うのは松がパソコンの上をのそのそ歩いて打ったもので意味は何もない。偶然テンキーの上に載ったので、そのまま残すことにした。

 
 
 
 
 
 


2009年04月03日(金) やわらかい弦に張り替えよう

 音楽だけはまだまだいくらでも脳に入る。
 一度聴くと、きちんと脳味噌がこれは以前一度聞いたことがある、と認識する。前から不思議だと思っていることなのだが、どうして記憶というのは滑り落ちないんだろう。日常は人は毎日毎日記憶していく。昨日と今日の違いをきちんきちんと記憶し、その違いを区別して生きていくのだ。
 当たり前のことなのだと今まで驚かなかったんだけど、文学的、生理学的、哲学的、医学的に考えると昨日と、今日の違いを認識すると言うのはこれはこれで、なかなかものすごいことなんだと思う。
 今日、ハードロック、1枚と、ユーロビート1枚、アメリカのアイドル1枚、1965年のアメリカのフォークロックバンド1枚と相変わらずぐちゃぐちゃなCD買いしてるんだけど、最近はもうジャンルなんか一切関係なくなっきた。それと落語のCD。もしかしたら、これは脳味噌の無自覚化か?
 北朝鮮は明日辺り、ロケットを打ち上げるらしい。
 みんなどうもニュースを大概に聞いているようで、もしかしたらこれはこれでいい反応なのかもしれない。それにしてもあの程度の装備で落ちてきたものを打ち落とせるものなんだろうか?お願いだから誰か真面目に突っ込んでくれないかなあ?突っ込みどころ満載のニュースなんだけどなあ・

 4月18日の帯広のコンサートの打ち合わせをする。
 2時間半くらい話し合ったか?渋い老人のなり方を研究しあう。
 そして、結論。無駄な体力をつけること。このことに尽きる。 
 あってると思う。
 
 五平氏、またギックリになったらしい。無駄な体力理論から言うと、圧倒的に体力が足りていないので、運動を勧めてみた。ところがその後に、ヤクルトの野村監督がテレビで現役引退してから運動と言うものを一切していないと言う発言を耳にして、どうしたらいいんだろう?と言う疑問がまた浮かび上がってきたが、結論はどっちも正解で、何がしかの災難はただの運次第なのだろう。こういうのを優柔不断という。AT THE ZOOという曲は知らなかった。最初に言ったことは訂正する。人間一度聞いたくらいでは脳味噌には記憶されない。これが正しい。

 今日は結論の行ったりきたりで、趣旨が定まらない。
 
 松はパソコンの上にのっちりとのっかかり、ひたすら人の顔をにガン飛ばしている最中で、迂闊に目を合わせられない。ガラの悪い顔している。ときどき育ちがモロに出るときがある。自分の生活環境をもう少しきちんと認識させないと、いつかどこかでカツアゲしてくるような猫になる。それにしても可愛いなあ!
 今度は猫馬鹿にはなるまいと心に決めているので言葉には注意しているのだ。

 硬い弦の練習で、そろそろ腕が悲鳴を上げてきている。

 
  
 


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