sasakiの日記
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2001年09月28日(金) カナダのお土産は350円だった


 宮城から戻った次の日に米と味噌が届いた。
 なんでも、そろそろ新米が出るから親の所では古い米は要らないから何がなんでも食えと言うことらしい。20キロはあるか?
 いつも帰るたびに思うことなのだが、うちの親は一体何キロ米を備蓄しているのだろう?子供に時々送り、更に自分たちが食ってもまだ余っているようだ?
 どうも買っている様子もない。勿論米倉なんかもない。一体何処に隠しているんだろう?
 親戚はほとんどが農家で、色々もらっているということは耳にするのだが、それにしてもこの新米が出る季節になってもまだ余ってるようだ。
 
 とにかく田舎はすごい
 農産物は豊富だわ、三陸海岸沿いなので魚関係は豊かだわで、母親は札幌で都会人として暮らしていた片鱗を全くなくしてしまったようだ。
 北上川近郊はシジミの産地らしく、シジミ汁などになるとものすごい量が鍋の中に入っている。シジミのてっぺんが水面から顔を出している。自分で作るときはスーパーで買ってきたパックを鍋底に並べるくらいしか使わないのだけれど。あれはシジミ汁と言うより、シジミのみそ煮だな。
 万事がこの調子。
 ササギのお浸しを丼一杯食わされるし、サンマのマリネ3匹分一挙食い。最近はサンマの一本だって食えるかどうか解らないのに。
 ピーマン20個醤油煮、ピーマン好きじゃないっつうのに。タケノコとツナの煮物、油麩といんげんの煮物どんぶり一杯。どうも圧倒的にどんぶり一杯方面が多い。
 もう若者じゃないんだからそんな食い方はしないと言ってもテーブルの上には並ぶ。でも、僕がもう若者じゃないことは両親は十二分すぎるほど知ってるはずだ。
 それでも作り続ける。自分たちが食べるために。何のことはない、親は僕よりもずーっと食が太かった。毎日3食、朝6時半、昼12時、夜5時30分、今書いたようなものをきちんきちんと摂っている。食習慣なのだから驚く方が間違っているのかもしれないが本音はひたすら感心と言ったところだ。2日目の朝からもうギブアップ。6時半から飯は食えないと言ってるのにテーブルには湯気を上げてるご飯とみそ汁、それに件のおかずの数々。親はコーヒーとトースト2枚、それに畑のトマト、目玉焼き。もういい加減にしろよな。ホントニ。体がもたん。

 味噌は3年ものだそうだ。今年の味噌は間違って食ってしまたそうだが、多分そんなことはないだろうと僕は見ている。しきりに新しいのは旨い、新しいのは旨いと言っていたのを覚えている。
 かなり色がすごい色になってきていて、最早黒に近い。麹の発酵がまだ進んでいるらしく日に日に味が変化する。
 
 等と書くと大袈裟だが確かにそんなには変化しない。
 すまん、筆の彩だ。
 
 それでも売っているのとは明らかに違いがある。日に日に味が変わっているような気がする。いたんでいるのとどこか違うのだろうか?腹に来たら食うのをやめることにしよう。
 
 味噌もやはりヴィンテージがいい。
 
 今思い出した。昔味噌を10キロぐらい送ってもらった記憶がある。何度か食べたのだがそれ以来台所の見えないとおい遠い所に隠れてしまった。ここに越してきて以来見ていないから18年くらいは経つか?
 このまま見ない振りを続けることにしよう。どん何になってるんだろう?

 油麩って知ってる?あぶらふと読むのだが、棒麩を油で揚げたもので切って煮物や饂飩だれなどに入れて食うものだ。よそで見たことがないから北上方面のドメスティックな食い物なんだろう。これがヤケに旨い。油が旨い。どんなものか想像つかないだろうがザマーみろ。後3本有るが誰にもわけてやらない。こっそり隠れて食うんだ。無くなったらまた来年まで我慢してまた仕入れてこようっと。手に入らない状態のものがあるというのは楽しみなこってす。別に油麩じゃなくてもいいんじゃないかと思うんだけど。地味かもしれないな。

 毎日、唄の練習している。メキメキ旨くはなっていない。今更メキメキはないだろうが、落ちないようにはしないと。真面目だね。エライエライ。
 書き終わったのが昼の12時。
 まだ田舎時間は続いているかもしれない。
 それでは今日2回目の飯の摂取に取りかかろう。
 少し胸焼け気味ではあるが。
 今日の昼のメニュウはというと、ご飯、ワカメと長ネギのみそ汁3年もの。笹蒲、ちくわ、人参、ジャガイモ、がんもどき、油麩の煮物【私は煮物にはうるさい】。鮭3日もの。海苔の佃煮。カレー一口分。以上。少し塩分が多いかもしれないな?

 京極夏彦「鉄鼠の檻」厚さ5.5センチもある。持って歩けないぞ。ランチョンマットが必要かもしれないな。
図書館警察をダブって買ってしまった。多分つまんなかったんだろう覚えていなかったところを見ると。誰かにあげよう。キングでは初めてのことだった。
 テッシュウ!ヴェンチャーズのベスト買っちまったぜ。楽しいぜ。

 新聞の料金徴収が来た。来年もお願いしますと言われた。前の偏った新聞より圧倒的に肯けるところがある新聞なので「考えておきます」と返事をする。

 しあーーった。カナダのお土産は350円だったを書くのをすっかり忘れてしまった。また今度だ。フーラ、フーラ、フン、フン。


2001年09月24日(月) 帰ってきた  パート2


 田舎に帰って一日目は就寝10時。
 二日目が9時。もう三日目からはコンスタントに9時。
 親は7時半になるともう寝る準備をするもんだからその後は完全に静かに更ける里の夜状態になり、ものの見事に何もすることがなくなる。
 近所の人も早く寝るのを知っているものだから誰も訪ねてこない。
 後は一時間置きに八十八夜や村の鍛冶や、カッコウなどがはいった童謡時計が淋しく鳴るだけで里帰り歓迎という雰囲気はなくなり年寄り夫婦の秋の夜になる。
 
 どこか親戚の家をこっちから訪ねればいいんだけれど、一歩外に出ると真っ暗闇。別に幽霊や物の怪の類を信じているわけではないけど、何も見えない闇というのはそれだけで慣れていないと恐いものがあるので、何度か玄関からよその家を目がけるんだけど10歩暗い先に進むともうイカン。なんか背中に感じるものがあり家に舞い戻る。嘘じゃないって、ほんとうにおっかないんだから。
 流れ星だか人魂だか解らないものが流れることだってあるし、一寸前まで土葬だったって言うし。小学校の時夏に田舎に帰ったとき、蛍と間違って人魂追っかけて親戚の子に注意されたことだって有るんだから。

 もう後は寝るしかねえべ。起きるのは5時半。野良仕事があるわけでもないのにこんな時間に起きて後は一日中ぼーっとしている。
 それが楽しいかどうかって聞かれれば、はっきり言って楽しい。
 それぞれ場所によって過ぎていく時間に差があるということがよく解る。
 唯一のメリハリは飯の時間だけ。
 親子三人黙々と飯を食い、済んだら後は時々話をし昼飯をぼんやりと待つ。それが済んだら山鳩の声を聞きながら夕飯を待つ。4時になったら風呂に入り、5時に夕飯。6時はもう夜中だ。

 そんな暮らしを一週間。札幌の戻ってもまだ引きずっている。今7時。
 もう眠くってたまらん。
 また生活が戻ったら書くから堪忍してくれ。
 
 あっ、そうそうあつこさん、まさか仙台の一番町でばったり会うなんてすごいよねえ?ちょうど前に住んでいた八木山の変わり様を見にゆこうとバスを待っていたところだったんだ。メールを事務所にもらってそれを転送してもらって見たばかりだったんだ。
 テレビ塔ライブ見に来てくれると言うことだけどわざわざどうもありがとう。今度八木山に行ったときのことも書いてみるから楽しみにしていてください。

 ワシャ本当に眠いんよ。
 寝るのが一番じゃ。極楽、ゴクラク。ハイホー。


2001年09月15日(土) なんなんだよ!


 しまった!
 
 行くんだった。
 
 ・・・・・・・・。 


2001年09月14日(金) ベサメ ムーチョ  キエレメ ムーチョ


 今日のBGはTORIO LOS PANCHOS。
 トリオ・ロス・パンコスと読むにはちょっと無理があるけど一応注意しておくがトリオ・ロス・パンチョスというラテンコーラスバンド。
 鶴岡雅義と東京ロマンチカのラテン版と思って貰えれば間違いない。
 そんなわけで当然のごとくイヤラシイ。淫靡と言っていいかどうかは若干の疑問も残るが、まあこれも入れといていいだろう。当然エッチという言葉も乱入してくるだろうけど、これもまあ範囲かな。卑猥というのもいるけれど、それはいくら何でも入れられない。
 ラテンのベースは大体に於いてこれらが基本と言えるだろう。
 
 情熱のラテンヒット集と謳ってあるがその通りで体がホテるほてる。
 本来で有ればノーマルな段階でホテるともっと好ましいのだが。まあ、どうでもいい話だ。
 
 ベサメムーチョは前からいい曲だと思っていたがきちんと聞くと本当にいい。一度唄ってみたい。このバージョンで。
 映画「LET IT BE]の中でポールがこれを冗談で唄っていたがものすごく格好良かった。

 深澤からファックスが流れてきた。
 
 「ちゃんとSASAKI日記読んでいます。ご心配しないでください。・・・」 別に心配しているわけではない。
 ふむ、それでも一応は読んでいるようだ。下に続く。
 「それにしてもコンサドーレ4連敗、
  わが阪神タイガースはなんと9月勝ち星なし、
  魁皇も2連敗。・・・・・」
 なんだ?魁皇って?
 そうか、相撲か?
 負けたものばかりをを並べるんじゃない。
 それにしてもすごいなタイガース。
 よくそんなに負け続けられるもんだ。感心するなあ。
 でも、いくら負けたってチームが無くなると言うところまで話がいかんべ。
 ヴァンホーレ甲府を見てみれ?あーーん?
 
 ファックスの大まかな論旨は今週のドームは行くべきだいうことで、サポーターであるならばきちんと見届けるべきだと書かれていた。
 いいんだ、俺に構うな。そっとしておいてくれ。
 どうせ俺は白木葉子だ。
 それは誰だって?
 ジョーの凄惨な試合を見続けることが出来ず、試合会場から逃げようとしてジョーに怒られたあの白木葉子だよ。
 俺のハートはお嬢様なんだよ。
 なんだそれ?
 
 負け試合を見るのはやっぱり辛いわけよ、じっさい。

 ファックスの最後は
 「こんな気持ちのなか、15日にわが息子、太一、貴一の幼稚園最後の運動会があります。
  厚別(ドームだっつうの)に行く前に来ませんか?××小学校のグランドでやってます。」
 色んなお誘いを受けてきたけれどこういった幼稚園の運動会系はなかった。
 だからといって是非行ってみたいというものではない。
 前には子守を頼まれたことがある。
 アイツはもしかしたら変わったヤツなのかもしれない。

 もう暗くなってきた。日が短い。
 取りあえずワシャ田舎に行って来る。
 やっぱり船は長いかも。 


2001年09月10日(月) 巷に雨が降るごとく


 おいらの胸にも雨が降る。
 
 試合が終わった瞬間、競技場にはひんやりとした空気が舞い降りた。
 嘘じゃないって!
 今まであんなにひんやりとしたものを厚別で感じたことはなかった。
 1万4千人のサポーターが初めてチームを見放した。
 J2陥落の無様な試合を展開したときだってコンサドーレの優しいサポーター達は見放すことなく、また頑張って上に上がろうと言葉をかけたのに。
 リードして勝てる試合をみすみす退いて受けてしまい、中盤で潰すこともしないで楽にパスを通させて、あとはハイ、ヘッドでおしまい。
 サッカーに関しては極力解ったようなことはここでは書くまいと決心していたのに、ええいっ、チックショウ、腹が立つ。責任者出てこい!
 ああっ、責任者は岡田さんか?
 あっ、岡田さんは今はまだ出てこなくてもいいです。
 素人が見て手も解る欠陥は基本的には監督の責任じゃないような気がするから岡田さんはまだいいです。出てこなくっても。
 後何試合かして状況がゼンゼン変わんない時に来てもらうことにするから、もうちょっと待ててね。
 ああーーーーーー、誰かの悪口を言いたい。
 口を濯がなければならないほどの悪口が言いたい。

 そんなわけで私は今週の土曜日はドーム行かないことにした。
 チケットは無駄にすることにした。
 
 KYOKOさんお手紙ありがとう。
 また真面目にこの日記アップするのでつき合い宜しくお願いします。
 千一夜書く根性は多分ないと思うけど、出来るだけ期待には応えるつもりです。
 
 業務連絡!業務連絡!
 来週は札幌にいないと思うので休みです。
 仙台の方面に笹蒲と萩の月、仙台味噌を仕入れに旅に出ますので留守番宜しく。


 町田さんのお父さんが亡くなった。何でも突然のことだったらしい。
 町田さんのお父さんは定年間際ということだったから60前後だろう。世間的に言えばようやくこれからゆっくり出来るところで、これからが人生だったのにといえるだろう。しかし、神様のすることだからむやみに感想を述べるべきではない。

 母親と娘で会社に行き、父親が使っていたロッカーを整理し、普段つかっていた鞄を持ち帰り、遺影の前で家では知ることのない会社の父親を偲んだという。
 一生懸命に働いて家族にマンションひとつと母親が一生困らないだけの保険金を残し、葬式ではみんなに褒められる人生を送った立派な父親。

 鞄の中にコインロッカーの鍵があったという。二人ともその鍵のことは聞いた記憶がなく何か大事なものが入っているのではと思い探すことにした。場所はそれほど苦労することなく見つかった。通勤途中の駅のコインロッカーだった。鍵を開け中を覗くと黒いカバンがあり、それを二人で持ち帰り中を開けた。
 思いがけないもの。
 無修正のポルノヴィデオと大股開きのポルノ雑誌が数冊。
 町田さんとお母さんはそれを見て二人で笑ったという。何もコインロッカーになんか隠さないで家にしまっておけばいいものをと。
 きっと夜中に家族が寝た後こっそり1人で見てたかと思うと可愛そうになった、と町田さんは言ってたがそれは違うような気がする。こっそり見なければ楽しくないから父さんはこっそり見てただけで、家族に了解をもらってまで家の中に持ち込むつもりなんて全然なかったはずだと思うよ。そんなに秘密なんか持てないとしになってきて、秘密基地を持った気分。楽しかっただろうな。

 ところで、そのテープと雑誌はどうしたのと聞いたら、次の日の朝、父親の出勤する時間に家を出て、駅のコインロッカーに戻したという。
 それでいいと思う。プップー。

 上に住人は相変わらず夜中に部屋の模様替えを続けているみたいだけれど、場外乱闘は規制しているみたいだ。
 この間ヴィデオ屋で親子を見かけた。ちがう、見かけたじゃなく積極的に見た。観察してしまったと言ってもいいだろう。髪は金髪に変わっていて、言葉も母親に話すと言うよりも何か舎弟といった感じでこわかった。まさか僕がこんな事を書いてるなんて思ってないだろうなあ。みつかったらすぐに引っ越しをしよう。いや、見つかったらもう遅いわけで何か気配を感じたら越す準備だ。
 最近は散歩のついでに空き屋物件を探している。さてはおびえてるな?

 また長くなってしまった。深澤はきっと最近近づいていないだろうなあ。

 今日これからはできあがった詩の整理。
 一番と2番のバランスが悪い。文節の切れ方に無理があるので一度録音してみて客観的に聞いてみることにする。何となくボツの線もある。折角2ヶ月もかかってこぎ着けたのに。ボツにするのはツライので出来るところまで手を入れてみることにする。
 資料のCD買いは明日にしょう。

 雷もあると天気予報では言ってたがほんとだったら嬉しい。


2001年09月07日(金) ベン ベン マリア  あーーベンベン


 雨降りだからジプシーキングスを聴いている。
 もう少しそっとする音楽を聴いてもいいんだけど、秋の雨は身にしみる。
 そうか50の夏は行ってしまったか。
 いま迎えん51の秋。
 人は何に涙する?
 うつろいゆく時の流れか、はたまた、散りゆく人生のきざはしか枯れ葉か?
 

 ベンベン マリーア テキエーロ
 おいで マリア お前が好きだよ 
 
 チクショウ、感傷に浸れん。
 
 ベンベンそれは何かと尋ねたらベンベン!ベンベン あーベンベン マリア
 ベンベンというのはどうやらおいでという意味らしい。
 しかし、どうしても愛を失った悲しい歌には聞こえん。
 よその国の言葉だから辺境の地札幌に住んでいる奴がどうこういって何かが変わるわけではないからもう黙っておこうっと。
 さすがに歌のタイトルだけある。題名に設置するとものの見事に収まりがいい。 ベン ベン マリアがタイトルだからね。あーーベンベンは僕の合いの手。
 
 ベンベン マリア あーベンベン 
 
 さて、雨についてである。
 明日まで降るつもりなんだろうか?
 降雨予想は60パーセント。
 なんだかいい加減な数字のような気がしないでもない。雨と強く言いきると降らなかったときのことがコワイし、晴れと言うには空模様が今ひとつ、ここはひとつ何とでも申し開きが出来る60パーセントというところで手を打っておこうという腹づもりが見え隠れする。
 何と言っても厚別である。久しぶりに厚別に帰ってくる。
 3連敗でチームもサポーターも札幌市民もすっかりめげているところで厚別。
 宣言しよう、舞台は全て揃った。
 後は勝つだけだ。が、今のチームこれが一番難しい。
 アダウトという海のものとも山のものともつかない補強選手が入った。
 あまり過渡な期待をすると選手のプレッシャーになるという人もいるだろうが、ここはひとつ過渡な期待をする。海のものでも山のものでも何でもいいからしっかり働いてくれーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー頼む。はっ、はっ、はあっ。
 
 他には何も望まん。

 さて雨についてである。
 屋外は雨がやっぱりツライ。
 コンサドーレ仕様の雨合羽を被って観戦していてもビニールのガサガサいう音が耳元でうるさいし、体が湿っぽくなるし、まして負け試合などになるともう踏んだり蹴ったりになる。煙草を止めて久しくなるから雨合羽の中で隠れて煙草を吸はなくてもいいし、いいことは何もない。

 ジプシーキングスはまだ唄っている。
 
 ベン ベン マリア  はーベンベン

 ところで石巻から飯の川までのアクセスはどうなっているんだろう?
 一日に何本くらい走っているんだろう?
 飯の川からはどういうことになってんだろう?
 バスの停留所見たような気もするけど、それとも気のせいか?
 いざとなったら歩いてみるか?タクシーはあったから何とでもなると思う。

 ベン ベン マリア  あーーーベンベン
 んーん、なんか楽しいかも。


2001年09月03日(月) thank you !52かと思ったら51だった 


 まあ、どっちでもいいんだけど、51でも52でも。

 どういう訳か実年齢より一年先の年の気分で入るらしい、日々。

 数えとか満とかと言うことでもない。兎に角気が急いている、性分によるもの。

 春が来たら、夏の心配をし、夏が来たらもうすぐ秋の気配がするとおびえ、今はもう冬の寒さにげんなりしている。

 年を取っていくとだんだん親に似ていくということをよく聞く。
 僕の父親はとにかく気忙しい人でじっとしていることが出来ない。次から次から先のことばかり考えて落ち着くということがない人だ。今でこそ動こうにも年の方が勝ちすぎてやむなくじっとしているが、多分、忸怩たる思いで田舎の景色を眺めて暮らしている様な気がする。

 再来週あたり田舎に行って、また一段と古くなった両親を見に行ってこようと思っている。ちょっと油断すると年寄りはすぐに年取っていく。それでもまだ二人とも元気でいてくれるから本当にありがたい。
 はてさて、また船か?多賀城から石巻まで電車、バスに乗り換えて飯の川迄、そこからタクシーで家。
 この間までは石巻まで親父が車で迎えに来ていたが、隣で見てるとセンターライン辺りを走りたがるので、それに時々右側を走ったりすることもある。とこの間行ったばかりの姉が言ってた
 本人に注意すると「気にするな」と言う。
 いくら親とはいえ、まだ一緒に川は渡りたくはない。
 そんなこんなで今年から運転はやめたらしいが電話を入れ、行くことを告げるとまた、石巻まで車を転がして迎えに来る、と言うことも充分に考えられるので黙って行こうと思うのだがそうもいかないか。
 免許を持って居るんだから僕が運転すればいいと世間は思うだろうが、ものはそう単純ではなく、父親はハンドルを渡そうとしない。これから先短い人生、どうせ死ぬなら自分の手でと思っているのかもしれない。確かに似たもの同士ではある。

 実を言うと飛行機はかなりコワイと思い始めている。気胸なんかどうでもいいんだ。空の上に浮かんでいると想像するだけでもうどうしょうもなくなる
 墜落死するよりも溺死を選ぶよ、おいらは。
 とくに飛行機に乗り、飛び立つ前に閉められるドアを見ているとパニックになる。
 「おおーい、開けてくれ。俺は降りる、たーすーけーてーくーーーれーーーーー」状態になる。一応顔には出さないけど。

 まあ、今日は誕生日。穏やかな気持ちで一日を過ごそうと思っている。
 皆さんの心遣い感謝感謝。

51になっても50の頃の気持ちを忘れず{なんだそれ?さっきまで50だったろうが。}日夜精進しますので新しく年取った佐々木を今後も宜しくご指導お願いする。ピース。
 


sasaki