さらすな日記
目次過去未来


2006年02月27日(月)

父が車椅子に乗れるようになった。
食欲旺盛。

両親が笑いながら会話してる姿が嬉しい。
こんな姿を見られるなんて思ってもいなかった。


2006年02月25日(土) 年に一度

今日は、御岳さんにご祈祷に来ていただく日。
今年は、午前中仕事だったため、お昼に帰ってきたからのあわただしかったこと。
洗濯物の山は押入れに、
見えるところだけ、サッサと掃き掃除と拭き掃除。
でも、まぁ、なんとかなるものだ。

こうやって、毎年緊張感がなくなって
来ていただくことが苦ではなくなる。

緊張感がなくなることは、罰当たりなことなのかもしれないが
自分としては、楽になったことがありがたい。

夜は、近くの温泉で、一人入浴料込み4000円で宴会をして
その後送迎バスで送ってもらって
「ありがとうございました、お疲れ様でした。で、解散。


かつて、御嶽さんを迎えるために、朝から掃除をして、
料理作りに五平餅作りを手伝って。
あぁ、嘘のようなこのお手軽さ。


これでいいのだろうか…
これでいいのだ!

そう言い聞かせて、今年もみんなこんな気楽な気持ちで
一年過ごせたらいいのに、と願う。

でも、そうはいかないだろう…。


2006年02月24日(金) 雑誌『ダ・ヴィンチ』

雑誌『ダ・ヴィンチ』を読んでいたら、読んでみたい本を見つけた。
『凍りのクジラ』(辻村深月)
図書館で注文しておいたら、購入してくれるかなぁ。

ペラペラとページをめくっていた主人が
中原中也の名前を見つけ

「私の上に降る雪は…」と言い出した。
この詩が好きだったそうな。




生ひ立ち
    

     幼年時

私の上に降る雪は
真綿(まわた)のやうでありました

     少年時

私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のやうでありました

     十七−−十九

私の上に降る雪は
霰(あられ)のやうに散りました

     二十−−二十二

私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思はれた

     二十三

私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました

     二十四

私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

    

私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のやうでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

-----------------------------------


主人が、この詩をしっているなんて驚いた。

中原中也の生い立ちにも興味がわく。



長男を小児結核でなくした一年後

中也も30歳の若さで急逝している。


WEBダ・ヴィンチっていうのもある


2006年02月22日(水) 風邪

絶対、主人の風邪がうつったんだ。

最初に「ゴホッ、ゴホッ」と派手な咳をしだしたのは主人だ。
「俺のは風邪やない!、肺気腫や」って、わけのわからんこといって、
結局、みんな ゴホッゴホッ咳をしだした。



2006年02月16日(木) お気楽な一日

父の具合もよく、というか、自分ではな〜もしないで母に甘えっぱなしである。
父より母の体のほうが心配だ。
今日は、母の用事で、母と一緒にあちこち回るつもりだったが
腰の検査があるらしく、病院を抜けられないからまた今度、ということになった。
ぽっかり空いた時間を、そうだそうだ、ビデオを見なくちゃ。
「今なら半額」につられて、どっさり借りてきた「ER」シリーズが
見ないままで、もうすぐ、返却日が来てしまうことに気が付いた。
今日、気づいてよかった。
返却日が17日になっていた。

さっそく、これから見よう。
今夜は、主人は東京、息子は塾。
ビデオ三昧できそうだ♪


2006年02月10日(金) 送信テスト

会社のパソコンが新しくなったとかで
主人から送信テストメールが。
『お元気ですか? お久しぶりです、いかがお過ごしですか?』


いくら、テストだからって
お久しぶり、は無いでしょ。


『どちら様でしょう?』
と返信した。


2006年02月09日(木) かわいい姿

顔色もよく、
「おはよう」の後
「なんか、腹が減ったような気がする」と父。
月曜日にはおかゆさんが食べられるらしいが、今は水とお茶だけ。
それでも「食べたい」という気持ちが出てきて嬉しい。

午前中に行った胃カメラの検査も良好で
潰瘍も大きい割には浅いので、このぶんだと早く治りますよ、
と言ってもらえた。

「午後になったら、アイスクリームかヨーグルトなら
少しだけ食べていいですよ、」と言われ
アイスクリームとヨーグルト、どっちがいいか悩んでいる姿が、
父と言えど、なんともかわいい。

携帯電話をかまいすぎて 電源を切ってしまい
「まっくらになって壊れちまった」という父もかわいい。


2006年02月08日(水) 個室で

昨夜は ぐっすり眠れた様子の父。
痛いところは無く、出血も止まっているとのこと。
これから1週間、食事抜きの点滴だけ。
トイレも管をつけてもらったので、動く必要が無い。

昨日のことを あまり覚えていないと言う。
えらかったことは覚えていなくていいよ。


2006年02月07日(火) 緊急

朝、母から電話で「昨日はあの電話で夜に何度も『明日は何時に来る』って電話があったわ。
だから、今朝はちょっと早く行くから」とちょっと苦笑いのような母の声。

その一時間後、これから「救急車で総合病院へ行く」と電話。

私は午前中の仕事を無理を言って変わってもらい
総合病院に駆けつける。

母が病院へ行こうとすると、
「トイレで倒れられましたのですぐ来るように」と病院から電話があったらしい。
急いで駆けつけると、下血して貧血を起こして倒れたということだった。
うちは、外科だから内科のほうは、見られないので
紹介状を書くから総合病院へ行ってくれ、とのことだった。
タクシーの手配をしているうちにも、父の顔色が見る見る蒼白になり
タクシーより、救急車だ、ということで救急車で総合病院へ。

前夜、「無理してでも食べなさい」と看護婦さんに言われた食事も
結局、手をつけずにいたのが幸いして
すぐ胃カメラで胃の中を見てもらうことができ
観てもらうと500円玉大の潰瘍が二つもあって、
そこから体内の血液の3分の1の血が出血してという説明だった。
午後一番にその潰瘍の治療を内視鏡で行ってもらい
出血の穴を閉じ、その後は輸血1200ccと点滴。
午後から、私はどうしても仕事が休めず、その場を離れたが
母も、訳もわからないうちにあれよあれよと、ことが運び、
夕方私が病室に行ったころには
父の顔色ももどり、そんな重大なことがおこっていたということすら
ピンと来ない様子だった。

「どうも あの外科は気に食わなかったけど
こうやって大きい病院へくることができたでよかったわ」と
父には辛い思いをさせたが、父、母、私「よかった、よかった」の連発。


この病院で
胃潰瘍、痔ろう、そしてメインだった骨粗しょう症による腰痛の治療がこれから始まる。




2006年02月05日(日) プリケー

入院している父が、ずいぶん弱気になっている。
いつでも 母と連絡が取れるようにとプリペードカードで使う携帯を買って
父に渡した。
パソコンの好きな父だから、この携帯に興味をもって、時間つぶしができるといいけど。
携帯の機能をあれこれ教えていると
「今日は、ちょっとえらい(つらい)で明日教えてくれ」というので帰宅。


2006年02月02日(木) 両親

父が昨年の暮れから腰痛がひどくなって、入院している。
かれこれ、一ヶ月余の入院生活になるわけだ。
話し相手がいたほうがいいから、と3人部屋に入ったのに、
未だに一人で占領している。
テレビを持ち込み、雑誌も積み上げてあるけれど
観たり、読んだりする気も薄れてきたようだ。

今朝、母と二人で父の着替えを手伝い
帰ろうとすると「明日は来るか?」と父が聞いた。
母が「明日は…」と言いかけたとき
父が「なんか、さびしいぃでいかんわ」と言った。
初めて聞いた父の弱気な言葉。
明日は来るつもりのなかった様子の母は、
途端に笑顔になって「明日も来るよ」と答えた。

母が父の手を取り、足をとって服を脱がせ
そして、世間話をしながら
新しいパジャマを着せる。

母が父のために動いている姿が
なんだか照れくさいような、それでいて嬉しい気持ちだった。

こんな二人の姿を、初めて見たような気がする。
いつかこの二人は別れてしまうんじゃないかと思って
不安でたまらなかった日もあった。


はじめて吐いた父の弱音は
これから、あの母を奮い立たせることだろうと思う。
老いることの寂しさと、いたわりあう二人の暖かさを感じた
複雑な気分の一日だった。


ツギハギ |MAILHomePage

My追加