さらすな日記
目次過去未来


2006年01月24日(火) 人生

数年前『フライド・グリーントマト』という映画を観た。
毎日の生活に鬱々している一人の主婦が、老人ホームで出会った老女に
昔話を聞くという設定の映画だったと思うがうろ覚え。
その中で、最後に老女が、
「私の人生はジェットコースターのような人生だったわ。
怖くて、スリルがあって、乗ってるときはもう降りたいと思ったわ。
でも 降りてみるともう一度乗ってみたいと思うのよ」
みたいなことを言ったと思う。



今、テレビを賑わしている報道を見ていると
彼の人生も、ジェットコースターのような人生だろうな、と思う。


ジェットコースターのようなに、急に高い山に上ったかと思うと、
今度は谷底に落とされる。
スリル満点のドキドキ。ハラハラ感。
味わったら、もう一度繰り返してみたくなるんだろうか。


きっと、人の気持ちも、もしかしたらジェットコースターのように
急に高い山があると、即刻落とされるんじゃないだろうか。


スリルとか味わわなくても
穏やかな日々の中でも
小さな上りとか、楽な下り
そんな人生がいいな、と思う。



今の時間がこのまま続けばいい。
え?!もしかして、今、幸せの頂上にいるんだろうか。

後はなだらかに下るだけ?
いやいや、小さな山はたくさんあって、
下っても平地にもどるだけ。
そんなふうに考えればいいや。


2006年01月22日(日) 『最後に咲く花』 片山恭一

今、『最後に咲く花』(片山恭一)という本を読んでいる。
『世界の中心で愛を叫ぶ』も、そうだったが、
この本も、本の内容と言うより、登場人物のひと言にすごく興味を持った。

話の中で、
自分ではもう何もできなくなって、
後は死を待つばかりという由希という女性が、
最後まで面倒をみたい」という永江に言う。



「私の世話って、本当に大変なの。

-------------中略-------------

それでも、永江くんは、いやな顔をみせずに面倒をみてくれるかもしれない。

でも、口に出さなくても、態度に現さなくてもあるときふと心の隅で、

自分がいま世話をしている相手のことを負担に勘いる瞬間がきたら?

そう感じたことで、永江くんはきっと自分を責めるわ。

わたしは永江くんにそういう思いをさせたくないの」




その言葉を、わたしは逆の立場で感じたことがあった。
自分が介護で疲れてしまったとき、
ため息をつく姿を介護されてる相手が見たら…。
そんなことを若い頃は思っていた。

だけど、由希さん、
そんなことすべてが思い出になって
そんなことすら、愛しいと思えるときがくるんじゃないかな、と
声をかけてあげたい気持ちになった。

好きな人との時間を、きれいなままで終わらせたい彼女の気持ちは
自分の中にもたくさんあった。
自分を責める姿をみたくない。
そんなふうに
面倒をみるほうも、みられるほうも
同じことを考えていたんだな。


だけど、だからって、きれいな時間だけを思い出にしたいっていうのは
ちょっとさびしい感じがする。


さて、その後どうなっていくのか
続きは明日、読もうと思う。


2006年01月20日(金) ちょっと心配でした、今後が。いろいろと…

昨夜、主人が「吐き気がする」と言ってトイレに走っていった。

風邪?食あたり?
いつもなら、おこたに入ってゴロンと横になれば
ものの5分もたたないうちに寝てしまうのに、
「あ〜、寝れん」と
なかなか寝られない様子。

仕事の疲れ?
変な病気だったりして。。。

「何か思い当たることはある?」
「いつから調子が悪いの?」
「変なもの食べた?」
「他にどこか痛いとこある?」
と あれこれ聞いても

「う〜ん」と答えるばかり。

とりあえず、「いらん(いらない)」という主人に、
無理やり百草を飲ませる。

そのうち、気づくといびきをかいていた。



そして今朝、「調子はどう?」と聞くと
「ん?」という。

「吐き気とか無い?」

「あ、うん」


え〜、ほんとに昨夜は調子が悪かったの!?と疑いたくなるような感じ。
それとも、心配かけたくないのか!?

でも、よかった。
朝食もしっかり食べたし。
ほっとした。

なんだか、子どもを相手にしてるようだ。


2006年01月19日(木) 塾の懇談会

30分の予定が1時間もはなしこんでしまった。。
学校の懇談会も、これくらい時間をとってくれたらいいのに…。
(無理ってわかってるけど)


なぜ、塾に行かなくてはいけないか、
学校の勉強についていけないから。

なぜついていけないのか。
わからないから。

わからないことは学校で聞きましょう。
でも、聞かない。
聞けない子はついていけない。

ついていけない子は塾へ。

学校って何しにいくところなんだろう。

そんなことを溢したら
「暇つぶしに行ってるのよ」と言った知人がいた。
暇つぶしなら、もっと楽しい所になればいいのになぁ。


2006年01月18日(水) 愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ

『愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ』(琴音)を読み終えた。
不思議な物語だった。
たくさんの告白。
そのひとつひとつが切なかった。

「愛をめぐる奇妙な告白のためのブログ」を見つけた。
本では読めない「あとがき」があった。


2006年01月17日(火) 仕事

最近、なんだか仕事をしてて、癒されてるような気がする。

長くない、ほどほどの挨拶程度だけど 「ありがとね」と
お客さんに言って貰う心地よさ。
「ありがとうございます」はこちらの言葉なのに…。
笑顔で「今度は当てなあかんなぁ」と帰っていかれる姿を見ながら
なんだかほんわかした気持ちになる。
(はずれちゃったのに、こんな気持ちになってごめんなさい)

お客さんみんなが 笑顔で宝くじを買ってくださるよう
私も笑顔でがんばろう!


2006年01月16日(月) 世代交代

へへっ、ちょっとお尻をつついてくれる人がいたので
やっぱり今の自分を残しておくのに、少しずつ書いていこうと思う。


時には、愚痴になったりするけど、奥深くは「愛」があるってことでお許しを。

最近、徳永英明の『VOCALIST』 を車の中で聴いている。
その中に、『秋桜』という歌が入っている。
昔、山口百恵ちゃんのが
♪薄紅の秋桜の秋の日の〜
って歌ってたやつ。
これを聴いて、自分が嫁いできたときのことを想像してた。
こんな小説のような物語はなかったけれど、
母の心境なんかをこの歌を聴きながら想像なんてしていた。
それが今、
それもこのお正月過ぎから
車に乗ってこの曲を流すと
歌詞の母が自分に、そして娘が長女になってしまった。
長女がお嫁さんに行くっていう話があるわけでもないのに
なんだ、こりゃぁ〜って感じで自分が驚いている。
なんだか 娘の嫁ぐシーンなど想像して
涙は流さないまでも、なんだか無性に娘に会いたくなる。
娘が嫁ぐとき、母親って「やれやれ」って気持ちになるかと思ってたけど
なんだか この分だと、父親と一緒に私も泣いてしまいそう。
(父親が泣くかどうかはわからんけど)
娘に相手がいるわけでもなく、
嫁ぐ予定もないのに、
車の中でそんなことを想像してる私。
私も母親なんだ、と妙に納得してしまった。


2006年01月04日(水) 『海を飛ぶ夢』

久しぶりにビデオを観た。
以前から、気になっていた映画だったが、なかなか観る機会がなく
やっと観ることが出来た。

『海を飛ぶ夢』
尊厳死を扱った映画だ。

以前、首から下が動かない青年と知り合った。
十数年、寝たきりの生活をしていた。
その青年は、酔っ払って電話をしてくると、
いつも「死にたい」と繰り返した。
「死にたいけど、自分では死ねないんだ」といった。
私は「死んじゃ、だめだよ」と言った。
でも、心の中では その青年の死にたいという気持ちがわかるような気がしたし、
自分でも、彼の状況だったら、それを望んでしまうような気がした。
かといって、「そうだね、死んでもいいよ」とは言えなかった。
自ら命を絶つことはいけないこと、
漠然とそんなことしか浮かんでこなかった。
でも、そんな麦僊とした言葉が彼に通用するとは思えなかった。
それを食い止める、方法も見つからず、「死んじゃ、だめ」と、
いい続けることしか出来なかった。

やがて、携帯を変えて電話番号が変わったのを期に、
その青年と連絡を取らなくなった。


この映画で、主人公の「死にたい」という気持ちを
周りの人たちがどんな風に、受け止めるのか
そのところを知りたいと思った。

「死にたい」という人に対して、「死なないで」ということは
相手を尊重することではなくて、自分の気持ちを重視してるってこと?
相手を認めるということは
「死にたい」という人の気持ちを尊重すること?

答えの出ないまま観終わる。

主人公を取り巻く人たちの、それぞれの思いを
自分ならどの人に当てはまるんだろう、などと考えながら観た。
答えの出るはずもない、それでも、いろいろ考えさせられる映画だった。

もし、あの青年にまた出会うことがあったら
「死んじゃだめ」って、また言ってしまうのかなぁ。


2006年01月03日(火) 餅つき 2日目

滝の水店。

主人がやっと帰ってきた。
30日の夜から帰ってこなかったから、5日ぶり?
しらないうちに、豆もちを口にくわえて寝ていた。

この豆もち、初めて私が煮た豆を入れてつくったのだが、
味付けが薄くて、煮汁がすくなかった。
義母がつくった豆もちと、比較すらできない。
餅に味がなくて、「いつもの豆もちじゃな〜い」って感じ。

それでも、食べた人たちから、美味しかったよ、といってもらえて、
主人も「豆もち食べる」といってくれる。
こんな心温かい人たちに囲まれて、
今年は感謝の一年にしなくては、とつくづく思うのでありました。

あまり、その感謝が態度に表れないのが問題なのだけど。。


2006年01月02日(月) 餅つき

毎年恒例のバイト

光音寺の餅つき。


2006年01月01日(日) 初詣

忙しくても、イライラしないで、対応している主人
彼氏の話を嬉しそうに話す長女
「最後までがんばってみる」といってくれた次女
言葉数の少なくなった長男の笑いをこらえた顔
気の置けない友達との会話
ちょっとだけ近づけたような義父母との距離

宝くじは外れたけど
わたしってすっごく幸せじゃん。

初詣で、今の幸せがずっと続きますように願った。


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