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■ ローライズ・マイライフ
↑漫画「監獄学園」より
過去日記でも何度か書いたかと思うが(2005年以前の過去日記もね)
俺はローライズを見るのが大好きである。
確かに胸のことばかり書いてきた歴史は否定しない。
俺にとってはローライズから垣間見る、あの場所は女性の第二の胸元に他ならないことなのだからー(語尾、若本規夫さんのクリスティアン・アンデルセン神父風)
これらの嗜好を持つ人も多く、ジャンルにもなっているくらいなのだから語ることを許してほしいよ、レベルでもある。
以前は会社の同僚(汗&笑)などが履いてくるローライズなどで「ありがとう。ごはん奢るよ」と感謝の気持ちを彼女たちへの無言の御礼を繰り返し行っていたこともあったが(笑)最近はなかなかそういうサービス精神の持ち主を持つ正社員が少なくなってきたことは「アナと雪の女王」のメッセージ性に代表される女性の強さの顕れなのか?
とはいえ、全体的にはローライズで異性に対するボランティァー精神をフルに持つ女性(女神に値する)は健在だ。
さて、ここから俺のローライズ賛歌が始まるわけよ(爆笑)
ボランティァーの語源は義勇兵が由来であり言葉自体の意味に兵士の意味合いが強い。まさに世の中でローライズで闊歩する女神たちは戦いの女神、現代のヴァルキュリエと表現しても何ら誤りではない。過ちはあっても宜しいが誤りではない。
所謂、ヴァルキュリエ・ナウである(爆笑)
武装女神の武装は、それはローライズより覗く臀部であることに説明は必要ない。ローライズのまま、しゃがんだり、座ったりした際に現れる光景はまさに目を射る光の槍であることに男性諸君全てから異論は無いであろう。
もしも、そこに異論があるのであれば、それは女神への冒涜に他ならないのだからー(語尾、若本規夫風)
しかし、街行くヴァルキュリエを注視してはいけない。何故なら逮捕されてしまうことだってある。そんな生きる限り続く契約、奴隷の足枷外すこともなく制約のなか、俺的には社内ローライズが、ささやかな幸せであったのだ。そんなそんな注視はできないが、彼女たちこそが俺にとって女神様であったことは否定できないデ・ファクトである。

2014年06月14日(土)
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