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2020年04月22日(水) パンデミック狂想曲第10楽章「コロナ明けなるものは永遠に来ない」

4月も半ばを過ぎて下旬に。いよいよ新緑茂れる1年で最もベストなシーズンとなってきた。
先日、確定申告を税務署に提出する帰りに近くの善福寺川緑地を散策する。
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染井吉野は散ってしまい、完全な葉桜状態になってしまったが、八重桜は盛り。
他の草花も一斉に芽吹き始めて百花繚乱だ。
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生命の息吹を感じる。
街は平日にも拘らず、散歩やジョギング、家族連れの姿が目立つ。
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恐らくコロナ禍以前よりも人の数が多いようにも思われる。
都心や電車はがら空きの一方で、郊外の公園やスーパーはむしろ混雑が増した。
「緊急事態宣言」が出て以来、家で過ごす時間が増えるから、これは必然の成り行きだろう。
飲食店街を通ると、店先でテイクアウト商品を並べている。
自分の行きつけの阿佐ヶ谷某BARも大変なようだ。
この異常なる狂気がいつまで続くのだろう。
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先日、ある調べものの際、「ポツダム宣言」を検索してみた。
当時、日本政府や軍部は単に黙殺の姿勢であった。
新聞等には「黙っているのが賢明で、新聞にはノー・コメントで掲載するよう指導するのが適当である」との方針だったという。
ところがなぜか新聞マスコミは好戦的な表題で民衆を煽動した。
曰く「笑止、対日降伏条件」、「笑止! 米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」等。
その挙句の果てに何が起きたか。
原爆2発、ソ連参戦という愚の三重奏。
結局、一番馬鹿だったのは軍部ではなく、マスコミだったのだ。
今次のコロナ禍も当時と寸分たがわぬ処が香ばしい。
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欧米と比べ、アジア地域でのコロナウイルスでの致死率が桁違いに少ないという。
原因はまだ不明。
BCG接種とか、地域の特殊性が論じられているが、まだはっきりとした原因は解らないらしい。
もしかすると、今回のコロナに類似する感染症が過去にアジアで蔓延し、その抗体が存在する故なのかも知れぬ。
これもまた、生命OSアップデートが行われた成果なのかもしれない。
問題はワクチン云々ではない。
肝心なのはやはり、免疫、抗体の有無が鍵になろう。

にも拘らず、メディアを通じて唆し続ける「感染拒絶原理主義者」は今日も気の狂ったように常套句を喚く。
曰く
「コロナはワクチンや特効薬がない! だから他のインフルエンザと同等に考えるのは愚かだ!」
というもの。
ならば、なぜこの人生でいわいるインフルエンザワクチンを接種した覚えが一切ない自分が無事で居られるのだ?
もしこの常套句が真実ならば、インフルエンザワクチンをまったく接種していない自分のような人間は毎年、重症化するなり死んでいなければおかしい。
にも拘らず、一度もそのインフルエンザで入院するほど拗らした経験がない。
何でそうならないのだ?
自分がこれまでその手のワクチンを接種しなかったのに何故無事なのだ?
だが、それに関する説得力ある説明など聞いた事がない。
インフルエンザだって毎年変種が現れて、全く同じものが流行っているわけではなかろう。
だからコロナに限らず、本当の意味でのインフルエンザに効くワクチンや特効薬など存在はしない。
結局、インフルエンザで重症化するか否かは、過去に感染して抗体が有る無しの差なのだろう。
にも拘らず、「感染拒絶原理主義者」は、どうしてもコロナを特別扱いしなければ気が済まないらしく、「ワクチン!ワクチン!」と喚き散らす。
これもコロナ禍の狂気のひとつ。
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先日、地元で大雨が降って近くの河川が溢れそうになり、防災無線から避難準備のアナウンスが流れる。
おや?今はコロナ非常事態宣言で一切家から出るなとのお達しではないか?
避難なんてしたらコロナに罹ってしまうぞ。8割減どころではないだろう?でも逃げろととはどういうことだ?
この絶対矛盾を、矛盾と考えずにただ条件反射的に避難と閉じ篭もり警報を同時に発報する行政、マスコミに従うことの不条理も、この「コロナ禍」狂気の露呈した断層面の一部として垣間見る事が出来る。
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いつ頃からか、著明な災害時に「特別警報」なるものが乱発されるようになったのか。
大きな災害は過去にもあった訳だが、阪神大震災や東日本大震災以降、ノーマル級の災害にすら「特別警報」で民衆を煽るケースが増えてきた。
しかし、台風、地震、火山噴火等は己の五感で検証する事が可能だ。
台風ならば気象衛星画像とか、気圧、気温などパーソナルな機器でスケールや進路など自己判断が出来る。
火山、地震も然り。
体感が出来るのだ。
たとえメディアが煽ったとしても、それが本当に危険かどうかはそれらの末端機器や映像で真偽を測ろうと思えば不可能ではない。
だが、目に見えない細菌、ウイルス、放射性物質は己自身で危険度を検証することはほぼ困難だ。
放射線も個人差が大きく、単なる数値だけでは判断しがたい。
尚のことウイルス、細菌など素人ではその病原性や感染頻度など個人レベルで検証する術はない。
だからコロナのような「見えない脅威」は民心を煽る材料として、これほど「便利」なものはないのだ。
そして、今回この「見えない脅威」を利用し、邪なる「感染拒絶原理主義」が台頭した。

海外の大学の研究ではこのコロナ禍は年内に収まる見込みはなく、少なくとも2022年まで続くらしい。
かつてのスペイン風邪も3年位は波状的に続いたから世界的パンデミックとはそういうものなのだろう。
1968年前後に流行ったホンコン風邪もそんなスパンだったが、そのパンデミック真っ最中のメキシコオリンピックが中止されたという記憶はない。
先日、米空母でコロナが蔓延したという報道があったが、感染者の殆どが軽症か無症状らしい。
しかし、今回のコロナ禍はそういう「真実」は抹殺されて、ひとりでも感染すれば「死」というデマゴギーが蔓延している。
そのデマ下手人である「感染拒絶原理主義者」の支配が続けば2021年の東京オリンピックは開催されるはずもない。
オリンピックはおろかあらゆる業種の営業は抹殺されつづける。
ようするに、ひとりでも感染者が存在すれば自粛や非常事態宣言は永遠に続くということ。
「感染拒絶原理主義者」にとってはゼロリスクが絶対なのである。
彼らは町から全ての人影が消えるのを望んでいる。
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どこかの「感染拒絶原理主義」狂信学者が「このまま何もしなければ日本で42万人がコロナで死ぬ」と喜び勇んでデマゴギー恫喝文章を発表していた。
そして「8割以上、人との接触を絶て!」と喚きたてる。
そんな実行不可能なデマ世迷言を世間に向けて恫喝する狂気は今に始まったことではない。
だがそのデマ狂気を偽政者は真に受けて民衆に強要しつづけることでますます人々の生活は困窮していく。
「今が踏んばりどころ」という台詞は何回聞いたか?
そしてこれからも同じ台詞を何万回も繰り返し、市井の者を自宅軟禁し続ける。
そしてこの難局に耐えろと、昔流行った歌を「感染拒絶原理主義」の偽善者共にネット経由でプロパガンダに流用。
そんな糞のような宣伝偽善行為の影で次々と生活困窮で倒れていく人々が哀れだ。

日本をコロナ禍で支配を目論む「感染拒絶原理主義者」は1970年代のカンボジアを支配した民主カンボジアのポルポト派と同じである。
プノンペンを「解放」したポルポト派が翌日出した命令は、すべての市民に対する市街退去命令であった。
彼らは毛沢東主義たる農業主体の共同社会を建設し、通貨を廃止、学校教育の否定などの極端な原始共産制の実現を強行しようとするもので、その目的のためには手段を選ばなかった。
今日の「感染拒絶原理主義者」も同じく、コロナとの絶滅戦争のためには全ての社会生活を停止させ、都市を原始的なレベルまで荒廃させることも厭わない。
そしてクメールルージュのごとく、この教条思想に反するものは有無を言わせずメディアを通じて弾圧、虐殺を奨励する。
東京はまもなく映画「キリングフィールド」と同じような運命を辿るだろう。
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「コロナ明け」なるものは永遠に来ない。
この地球上からコロナウイルスが全て消滅するまで自粛は強要されつづける。
「桜は来年も咲く」というが、永遠に非常事態宣言が続けば永遠に花見など出来ない。
そのうち「ネオ・クメール・ルージュ」たる「コロナ感染拒絶原理主義者」は人々に花見をさせまいと、日本中の染井吉野を伐採してしまうだろう。
ハイキングもキャンプもさせまいと、全国の登山道、山小屋、キャンプ場閉鎖を命令。
それでも外出を諦めない市民に対して「感染拒絶原理主義者」は更なる実力行使を実践し始める。
テーマパーク、映画館、図書館、飲食店、アミューズメント施設、居酒屋、レストラン、学校、事務所、会社等、人が二人以上集まりそうな全ての施設を破壊するため自衛隊を動員。次々にダイナマイトで爆破していくだろう。
それではまだ足りぬと人の移動を徹底的に阻止するために鉄道、空港、港湾施設、航空機、高速道路、一般道路などのインフラすら破壊し始める。
なにせ「人との接触8割減」が絶対信仰なのだから、その目的のためには手段は選ばないのだ。
やがて街から全ての人間を排除して、最後は街に火を放って燃やし尽くす。
この「ネオ・クメール・ルージュ感染拒絶原理主義者」が目指す最終目的はコロナ感染阻止のために日本全てを焦土化する事にあることは論を待たない。
君はこの狂気に従うのか?
この所業が完遂されるまで「非常事態宣言」は絶対に解除されないことを覚悟すべきだ。
花見もゴールデンウイークも、もう永遠に来ない。
「ネオ・クメール・ルージュ感染拒絶原理主義者」に支配され続ける限り、絶対にだ。
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この狂気に満ちた「コロナとの闘い」なるデマゴギーから解放されなければ、未来は失われてしまう。
コロナは闘いを挑んではいない。
何回でも言う。真実はただひとつ。
コロナ流行はこれまで幾何回も繰り返されてきた生命OSアップデートの一環に過ぎない。
人類とウイルスが生きていく上での必須の通過儀礼。
その通過儀礼を経て、コロナとの共存を図ること。
これが唯一の真実。


2020年04月13日(月) パンデミック狂想曲第9楽章「人を実験動物として弄ぶPCR検査狂信者」

4月も半ばに差し掛かろうとしている。
樹木の新芽は成長し、鶯の囀りも耳にするようになった。
自然の空気感には何ら異常な気配もなく、太陽も次第に高度を上げていく。
至って平常な四季の巡り。
唯一おかしいのは人間の営みだけだ。
メディアの中に蠢く禍々しい集団ヒステリー呪文によって人々は精神を蝕まれていく。

コロナ禍の扇動者たる「感染拒絶原理主義者」の相変わらずな狂気プロパガンダによって、この日本でも実質医療崩壊が始まっている。
感染拡大はもはや自然の摂理。
コーヒーにクリープを溶かし込む如しで、もはやコロナウイルスと人間の融合は避けることの出来ぬ宿命。
今更、コーヒーとクリープを分離せよの如き「感染拒絶原理主義者」の不可逆的妄言は聞くに値しない。
にも拘らずこの期に及んでも、メディアを通じてその「感染拒絶原理主義者」の宣伝部門たる自称専門家を名乗る「狂人」達はひたすら「PCR検査を増やせ!」と叫びつづける。
ただですら医療従事者の負担も増え、感染者の収容場所も逼迫しているのにも拘らず、知ったことかと馬鹿の一つ覚えのようにがなりたてる。
いったい誰が、その検査をするというのか?
そんな人員がどこにいるというのだ?
それによって見つかった新たな感染者はどこに収容するつもりだ?
いったい何のためのPCR検査なのか?
このまっとうな疑問に誰一人回答できる自称専門家は居ない。
挙句に果てに検査要員は自衛隊員から募集すればよいとか、他の医療従事者から手配すればよいとか抜かす。
ふざけるのも程ほどにせよ。
一朝一夕で自衛隊員が専門知識を要するPCR検査が出来るとでも思うのか?ただでさえ誤認検査が多いというのにだ。
更にこれ以上、医療従事者をコロナ検査担当に回したら、他の病気の対応はどうするのだ?
それを実施したとして新たに増える感染者収容施設も確保出来ず、このまま感染者だけを増やして行き場のない「患者」の山をどこに隔離するというのだ?
狂っている。
こんなものは自称専門家のマスターベーションに過ぎない。
人間社会をシャーレの中の大腸菌や家畜と同じようなものとしか考えず、数値さえ出せば何とかなると人を弄んでいるのだ。
人間は「感染拒絶原理主義者」の玩具でもオナペットでもない。
連中は無垢な人間を己の研究欲望オナニーの「おかず」としか考えておらず、挙句、実験動物同様に殺しても構わないと考えているのだ。
頭の中はコロナに支配され、それ以外の事象はまったく考えも及ばないのである。
それが「感染拒絶原理主義者」の中核に居座るPCR検査至上主義者の本音であるから、こんなものに拘ったら本当に殺されてしまう。
実験動物のモルモットのようにね。

この国に「緊急事態宣言」なるものが発令されて以来、都心に人の姿は疎らとなっていく。
まるで蝋燭の火が弱まるごとく。
繁華街には警棒を振り回す官憲が徘徊し、無差別に出歩く者を威嚇する。
やむなく人々は郊外のスーパーで食料調達を図らんと外出せざるを得なくなる。
ところがそういう生き物として当然の食物摂取行為に勤しむ無垢な人々に対してもキチガイ「感染拒絶原理主義者」は狂犬のように襲い掛かる。
曰く「家から出るなと言ったろ!8割減だ!人と接してはいかん!食い物を買いに出てもいかん!」
「金は出さないが、営業は止めろ!すべてとめろ!それでお前が困窮し、精神を病んで死に至ったところで知ったことか!コロナさえ罹なけれなければいい!死んでもコロナに感染するな!コロナ感染防止は死よりも優先する!コロナ感染者は死を以って償え!」
この狂気のプロパガンダが今日も明日も明後日も、テレビから、新聞から、ネットから、防災無線から休む間もなく巨大な音声でこれでもかこれでもかと流されるのである。
スターリンも毛沢東もポルポトも顔負けな程にね。
これでまともな神経が保たれる訳がない。

大洋を回遊するマグロなどは泳ぎ続けなければ生きていけない。なぜなら泳ぐことを止めてしまったら鰓に酸素を供給出来なくなるからである。
それと同じく人間社会も経済活動を止めたら生活は成り立たない。
しかし「感染拒絶原理主義者」はそれを何の疑問もなく、実践しようと市井の市民を煽動する。
「息を止めろ」と。
「感染拒絶原理主義者」のイデオロギーはこのひとつの理念に尽きる。
「コロナに罹らないために死を選べ!」
これが連中の望む唯一の結論だ。
それに賛同したければ好きにPCR検査でもして、彼らの「思想収容所」に隔離されればよい。
そしてコロナに罹る前に「感染拒絶原理主義者」の理念そのままに生贄のように死んでいけばよろしい。

だが、少なくとも自分はそんな愚かしい死は選ばない。
「賢者」が選択すべき道はもはやコロナウイルスとの共存、取り込みしか残されていない。それは以下に集約される。

1感染爆発はすでに周知の事実である。この期に及んで「感染拒絶原理主義者」のプロパガンダの道具に過ぎないPCR検査や感染者数発表は害悪でしかなく、徒に風評被害を助長させるだけの要因でしかないから即刻取りやめる。
2.重篤化する恐れのある高齢者、基礎疾患のある者だけに重点感染防御体制を敷いて医療戦線を重篤者のみに重点配置。収容施設、人工呼吸器等の設備もここに重点集約して治療効率を高める。
3.重篤者以外の感染隔離は解除して積極的に集団免疫構築に注力するフェーズに移行。あらゆる規制、自粛要請、緊急事態宣言は即刻解除。社会情勢をパンデミック以前の状況に速やかに復帰させる。多少の感染拡大は従来のパンデミック同様の対応に留める。
4.これまで「感染拒絶原理主義者」が主導してきたプロパガンダによって被った全ての業種従事者に一律見舞金と損失分を速やかに無条件で完全給付。社会の安定に努める。

もはやこれこそが、まっとうに「生き残る」策だ。
このまま「感染拒絶原理主義者」の慰みものとして座していれば、待っているのはコロナ以外での「死」のみである。


2020年04月08日(水) パンデミック狂想曲第8楽章「コロナ戦役絶望行軍」

今年も木々の新芽が芽吹き始め、1年で一番過ごしやすいシーズンがやってきた。
しかし、世界はコロナウイルス禍という「感染拒絶原理主義者」の奏でるパンデミック狂想曲によって散策することすら不可能になってきた。
この日本にも予想通り「緊急事態宣言」が発令され、この狂気に更なる死神のファンファーレが加わった。
世襲宰相は十分な現金補填も確約せず、ただ人々を閉じ込めるだけで、この「コロナ戦役」に粛々と行軍せよと説く。
いずれ人々はこの補給なき戦列から次々と脱落して、屍を重ねるしかなくなる。
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すでにその予兆はあらゆる分野に露呈し始めている。
イベント、飲食業だけでなく、メディアも萎縮し始め、番組構成も間々ならなくなって次第に歯抜けのようになっていく。
今は維持されているインフラサービスもこのまま持つとは思えない。
遅かれ早かれ、引き篭もりを強要された市民は収入を絶たれ、精神的ストレスの重圧を強いられ、経済面でもメンタル面でも限界に達するだろう。
都市部に住む者はうろたえ、いよいよ都内から脱出し、帰郷や疎開を謀ろうともがき始めた。
しかし、地方はそんな「コロナ疎開」により都会民が押し寄せることで己の地域が汚染されることを恐怖し、その都市部から流れてくる「避難民」を拒絶、排撃。遂には都市、地方間戦争が始まるだろう。
「感染」の恐怖は人間同士の不信を生んで、反目、対立を増幅させる。
あらいる国家、民族、宗教、階層、地域、ジェンダー、ステイタス、家族間でこのコロナ禍を要因として醜い争いが始まりつつある。やがて収拾がつかない本当のカタストロフがやってくるのは必至。

これが「感染拒絶原理主義者」に従った成れの果ての現実である。
生命OSのアップデートに過ぎないコロナウイルス流行を、恰も「毒をまかれた」と妄信した結果、自らの手で文明を滅ぼそうとしている見事なまでの愚かさよ。
もはや「アリノスコロリ」ならぬ、「ヒトノスコロリ」だ。
全ては「感染拒絶原理主義者」という邪教を妄信してきた果ての禍。

もう、あらゆる観点で限界が迫っている。
この過ごしやすいシーズンが終わると、やがてじめじめした梅雨、そして耐え難い猛暑の季節がやってくる。
そんな中、この状況が続けばどうなるかは論を待たない。
コロナ禍を「感染拒絶原理主義者」に委ねている限りは永遠に「非常事態宣言」は続く。
そこに「出口」は、ない。
永遠に!
健常なる民は早く目を覚まし、この文明破壊者たる「感染拒絶原理主義者」と手を切ってコロナウイルスとの共生を模索し、抗体を獲得し、集団免疫を身につけるフェーズに移行する努力をしなければいけない。
そこに唯一、この長いトンネルから脱出できる「光明」を見出す事が出来る。


2020年04月02日(木) パンデミック狂想曲第7楽章「コロナ虚構戦争からの逃避」

「パンデミック狂想曲」は本日も尚、留まることを知らず、世界はひたすら出口のない恐慌に向かって墜ち続けている。
特に日本にはこの滑稽かつ狂気に満ちたコロナ禍に有効に対処できる指導者はどこにも居ないようだ。
この国の世襲宰相は困窮する国民に現金給付どころか「マスク2枚」というエイプレルフールの冗談かと思うレベルの対策を表明。
そして専門家会議なるものが「これからはオールジェレネーションで長期戦になる」と宣言。
「長期戦覚悟」
「国民総動員」
「しかし補給はない」
この三つが揃った時点で典型的な死亡フラグ掲揚である。
負け戦の条件が揃った。
にも拘らず、マスコミはそれを事もあろうに好意的に流布。
更に国民の中にはそれを真に受けてありがたかる者も少なくない。
太平洋戦争末期の敗戦間際の世情と同じ。
それを象徴するように「欲しがりません。勝つまでは」という前大戦の愚を象徴するスローガンを皮肉ではなく本気で実践すべきとハッシュタグに掲げる愚者も居る。
ここまでいくと呆れるというより滑稽だ。
無能偽政者、マスコミ、無知臣民が一緒くたなって奈落の底に墜ちて行くのが見えるようだ。

今日もマスコミは東京での感染者が一日100人に近づいたと大騒ぎする。
もう耳がタコになるかのごとく繰り返すが、あの大騒ぎした挙句、破滅的なことが皆無だった2009年の新型インフルエンザは国内で累計900万人が感染したのである。
今更、こんな感染者数を発表したところで、恐慌を招くだけで、もはや何の利益もない。
これも何回も繰り返すが、この期に及んではオーバーシュートもクラスターも意味がない。
水際で防止できなかった時点で感染ルートなどもはやどうでもよいのだ。
今することは、感染拡大はもう防げないのだから、ある程度容認し、集団免疫を作り、持病、高齢者に特化して感染対策するフェーズに移行するのが、最も合理的な方策であることはもう論を待たない。
これも2月の時点から訴えてきた「正論」。
にも拘らず、国、マスコミ、愚民達は相変わらず「感染拒絶原理主義者」のプロパガンダに唆されてひたすら恐怖に駆られて篭ることしか頭にない。
その果ては悲惨な結果しか待っていない。

昨日のブログの繰り返しになるが如何にこの不毛な狂気から距離を置くかが生き残る鍵となる。
この狂った「コロナ虚構戦争」に参加してはいけない。
確実なる「負け戦」なのだから。

コロナウイルスは別に人類に闘いを挑んでいる訳ではない。
悠久なるグローバルなガイアの営みのひとつとしての生命アップデートを人類が勝手に脅威と思い込んで、拒絶アレルギー反応を起こしているに過ぎない。
人類は増えすぎて散々ガイア生命圏のバランスを急激に乱してきた。
その揺り返しとしてホメオスタシスが発動したことで人類の生存権が多少揺らいだとしてもそれは因果応報。
人類に絶滅させられた種など枚挙に暇がない。
文明開化以降、いったい人類は己の繁栄のためにどれほどの種を滅ぼし、環境を激変させたか忘れたのではあるまいな。
それに比べれば、このコロナ禍など論ずるに値しないレベルで済んでいる。
コロナを憎むどころか、むしろガイアの慈悲に感謝すべきだろう。
人類もこのガイアの一部とすれば、この悠久たる生命の連鎖の掟に抗うことは出来ない。

このコロナ禍を収束させる唯一の方策は、コロナとの共生しか道はない。
間違ってもコロナ撲滅なんてことは考えないことだ。
そんなことは不可能だし、仮に実践したらそれこそガイアのバランスを破壊し、人類はこの数千倍もの報復をガイアから被り、石器時代並みの生活へと追いやられるだろう。

今の欧米は一神教だからコロナ撲滅しか能がない。
その果ては中世回帰だ。
しかし、日本は多神教の国。コロナもまた「神」のひとつと悟れば恐れることもない。
黙って受け入れれば自ずと未来が開ける。
欧米のコロナ対策批判など受け入れていたらそれこそ破滅である。
逆にこちらから「コロナを受け入れよ」と発信すべきだ。
実は欧米でも、感染防止よりも集団免疫を作るほうが有益と考える識者も少なからず居る。
しかし、現状の「感染拒絶原理主義者」支配下ではそれが指導者の耳には届かない。

「感染拒絶原理主義者」はかつての文化大革命紅衛兵、ポルポト政権下のクメールルージュと同じであることは論を待たない。
こんな連中が無垢な国民を煽動し、コロナ禍の「虚構戦争」に放り込んで凄惨たる犠牲者を生もうとしている。
この「虚構戦争」ではコロナ感染による犠牲者は殆ど居ない。
大半は人間同士の不信や懐疑から生まれた反目による争いや、その混乱に付随した別の衝突や感染症による犠牲である。
「感染拒絶原理主義者」の口車に乗せられて「参戦」し、励んで検査や隔離病棟に収容されることは確実に「死」を意味する。
前大戦末期のインパール作戦や敵潜がうようよ哨戒する海域に護衛なしで航行する輸送船に鮨詰めにされているのと同じだ。
「感染拒絶原理主義者」がこれから推進するであろう感染検査は、ある意味「徴兵検査」と同じ。
陽性が出たら「召集令状」が渡され、ラーゲリーやゲットーのごとき、隔離施設に放り込まれて無意味な「コロナとの戦争」を強いられる。
だがそれは実はコロナウイルスとの闘いではなく、「感染拒絶原理主義者」のイデオロギーに忠誠を誓う儀式に過ぎない。
それに逆らえば「処刑」だ。
「処刑」を免れるために隔離施設から逃げ出そうとすればマスコミという「督戦隊」から十字砲火を受け、「不謹慎狩り」という落ち武者狩りに追い回され、結局は無残で無意味な死が待っている。

だからこそ、この無意味で邪悪なイデオロギーの犠牲になりたくなければ、「感染拒絶原理主義者」が主導する「虚構戦争」から一切の距離を置くことだ。
まず、検査スポット、病院、隔離施設、そしてその要員から出来るだけ遠ざかる。
決して関わってはいけない。
マスコミも「感染拒絶原理主義者」の手先だから一切その情報は信用してはいけない。
万一、コロナ検査官に見つかって検査を強要させられ、せっかく免疫を有し、病から解放されたのにも拘らず「陽性」が出たというだけで隔離施設に放り込まれたら、確実に「死」が待っている。
だから、生き残るための逃避行が必要だ。
「感染拒絶原理主義者」の支配下では検査拒否は徴兵拒否と同じ。
逃亡することは「犯罪者」とみなされてしまう。
しかしこんな狂ったイデオロギーに殉じたくなくば、逃亡するしかない。
渡された武器はたった2枚のマスク。
戦死率100パーセント。
君がインパール作戦で非業の死を遂げた兵士のように野に屍を晒したくなければ、逃げるしかない。
そして深く静かに潜航して、正しき指導者が現れる日を待つしか生き残る手段はないのだ。


2020年04月01日(水) パンデミック狂想曲第6楽章「深く静かに潜航せよ」

呪われた2020年も4月に入った。
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クメールルージュのごとき「感染拒絶原理主義者」によって世界中の都市がポルポト政権下のカンボジアのような様相を見せている。
もはやこれは感染症によるパンデミックではなく、邪な思想教条による弾圧といったほうがよいだろう。
一部の「賢者」は大局的な観点からコロナウイルスとの共生を訴えているが、そのような良識ある「正論」に耳を貸す者は少ない。
人々はまるで熱に魘されるごときに「感染拒絶原理主義者」のプロパガンダに乗せられて夢遊病者のごとく、勧んで出口のない地獄に墜ちようとしている。
このような「大波」に飲まれてしまっては、いくら「正論」を説こうと改心する者はなく、逆に「感染拒絶原理主義者」に洗脳された狂犬の群れに襲われる危険性さえ出てきた。
その狂犬の先鋒であるマスコミは緊急事態宣言の早期実施を狂ったように促している。
しかし、このコロナ禍によって困窮した国民に充分な現金支給もなく、このまま都市閉鎖を実施したら事態は悪化の一途を辿るのは目に見えている。
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この世にはコロナウイルスだけが重大な疾患ではない。
むしろこの偽装されたこの危機によって従来の医療行為が圧迫され、その結果被る犠牲のほうが甚大になることは想像に難くない。
ところが「感染拒絶原理主義者」共はこの世に恰もコロナウイルス以外の疾病が存在しなくなったかのごとき騒ぎ方をして、人心を欺く。
著名人がコロナで亡くなったとしても、それが本当にコロナが致命的な原因か、最終的には誰にもわかっていない。

「見えない脅威」に自分が知るだけでも2回、騙されてきた。
一つは2009年の新型インフルエンザ。
もうひとつは2011年の原発事故による放射性物質漏洩。
いずれも当時のマスコミは恰も日本が破滅するかの如き騒ぎ方をして人心を欺いた。
実際は甚大なる人的犠牲も起こらず、国の安定も保たれた。
そして今回のコロナ禍も同じく破滅的危機を煽っているが、そこに破滅的破局が科学的に立証できるような証拠はどこにもない。
中国から始まり、いまや欧米で爆発的な「感染」が騒がれているコロナ禍。
欧米人は恰も異教徒が攻めてきたの如きの恐怖でうろたえている。
指導者は国民に「戦争状態」だと宣布し、人々は経済活動を投げ捨て、ひたすら篭るしかなくなった。
それでも「医療崩壊」は進み、あらゆる公共施設が強制収容所のごとき病床で埋め尽くされる。
客観的に鑑みれば、こんなことは長くは続かない。遅かれ早かれ破綻する。
この期に及んでは、多少の犠牲は払ってもコロナウイルスとの共生という選択肢によって抗体を身につけたほうが長期的には正しい。
だが何度繰り返そうともそんな「良識」ある判断を誰も下そうとはせず、ひたすら「感染拒絶原理主義者」の言いなりのまま、それこそ本当の「破局」に突き進もうとしている。
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日本もこのままでは遅かれ早かれ「緊急事態宣言」が為されるであろう。
人々はもう出歩くこともなく、いずれは公共交通機関もストップ。
それでも感染者は指数関数的に増え続ける。
そんなものは当然だ。
もう誰もが忘れかけている2009年の「破滅」の「は」の字も起こらなかった新型インフルエンザさえ国内だけでも累計900万人が罹った。
「感染=死」を煽動する「感染拒絶原理主義者」からすれば10万人ですら失禁レベルだ。
それが仮に11年前と同レベルの数に達したら全裸で走り回るくらいの狂気に狂奔するだろう。
50万人位「感染」すれば、もう「緊急事態宣言」では収まらないから6月ごろには「特別緊急事態宣言」、7月には「超特別緊急事態命令」とか出すのではないかな。
そうなるともはや医療どころか物流すら崩壊。
人が動けなくなる訳だから当然だ。
「感染=死=絶対悪」な訳だからね。
それに従うなら外出たらおしまいって事だ。
スーパー等も従業員が確保できず閉店。
生産者、物流担当者も仕事に行けないからモノ自体が入荷しなくなる。
だからたとえ店を開けたとしても、もう食料棚には何もない。
それでも感染者は増えるぞ。
900万人まではまだまだだ!
「感染拒絶原理主義者」にとっては感染さえ防げればあとはどうでもよいのだから、この時点でコロナ以外で犠牲になる人々のことなど知ったことではない。
これこそが「感染拒絶原理主義者」の常軌を逸した異常性なのだ。

7月、本来ならばオリンピックが開かれる日。
東京は40度近い猛暑に襲われる。
薬局にはやっとマスクが山と詰まれ売られるようになるが、誰も手にする者は居ない。
街には人影もなく、監視要員の警察官がうろうろするだけ。
7月に出された「超弩級特別大至急絶対必須非常事態宣言」によってもはや人々はどこにも移動できない。
ほぼ全ての店舗、サービス施設は閉鎖、鉄道も停止、バスもタクシーも走っていない。救急車すらも見当たらなくなった。
国はこの期に及んでも現金支給を渋り、国民は困窮し始める。
更に混乱に輪をかけたのが「感染拒絶原理主義者」が6月末に全国民に通達したエアコン禁止令。
「クーラーの室外機にコロナウイルスが増殖している!」
もはや真偽を確かめる術もない。
そういうお達しが出たら、もう従うしかないのだ。
なのでサウナのような家の中で皆息き絶え絶えにじっと動かず、耐えるしかない。
もはや食料を買いに行くにも、外出禁止なので出ることも出来ず(どのみちスーパー等開いていないので行くだけ無駄なのだが)、殆どの都民は飢えにも耐えねばならない。
この猛暑に水もない。頻繁に起こる停電、断水。
やむなく古い浴槽の水を啜るしかないから衛生状態も悪化。
危険を賭して病院にいっても「コロナ感染者以外お断り」の張り紙。
病院内は片っ端から検査してコロナ感染者を収容しているから、大して病状の重くない人まで詰め込み、満員電車並みの密度の中、次々に他の感染症で病に罹ってしまい、阿鼻叫喚の状態。
医療従事者も殆どがコロナその他の病原菌で院内感染し、もはや病院としての体を為さなくなった。
東京ビックサイトは臨時の病床として強制収容所化され、検査で引っかかった「感染者」を片っ端から放り込むものの、劣悪な環境下でまったく症状が出ない者まで別の感染症に冒されてしまう。
他の病院施設同様、コロナ禍がなかったら死ななくともよい健康な人々が虚しく命を次々に落としていく。
一方、検査を免れた人々はこの「地獄」を知っているから、もう病院や臨時検査所には近づかなくなった。
たとえ行ったところでワクチンも特効薬もないのだ。
逆に健常な身体をズタズタにされ一巻の終わり。
その結果、多くの人々は炎天下の中、熱中症などのコロナ以外の事故、病気で死んでいく。
セミの大合唱だけがいつもの夏。
やがてその蝉時雨が時折「この夏の人間達は気が狂うー狂う狂うー」と聞こえると幻聴に悩む者達が俳諧し始める。
「コロナは味覚、嗅覚に加え、聴覚にも影響するのだあ!」とまた「感染拒絶原理主義者」達が騒ぎ始める。
その狂気が狂人を生み出しているのにも気がつかずに・・・。

そんな7月中旬に突然、南海トラフが動いて海溝型巨大地震が列島を襲う。
東京でも震度5強。
まさに「弱り目に祟り目」。
得てして大災害はこんな時に重なったりするもの。
コロナ禍であらゆるインフラ、医療、流通が滞っている中の大地震により、もはや被災地救援も間々ならず。
同様のコロナ禍で混乱する諸外国からも救援は来ない。
東日本大震災を遥かに超える犠牲者が出るも、もはや「感染拒絶原理主義者」が支配する世界においてはコロナに「感染しない」事がこの世の全てだから地震による犠牲者など関知する対象ではない。
大津波が襲っている中でもニュースはひたすら「きょうのコロナ感染者は12万人増えて累計200万人突破しました!外へ出るなあ!家に居ろ!」と叫び続ける。
かくして戦時中の1944年東南海地震同様に、その存在すら無視されるだろう。
この混乱下では治安も悪化。
8月には都内ではもう我慢できない人々が暴動を起こし、食料集積場を襲う。
警察も自衛隊もどこかに逃亡し始め、誰もこの騒乱を止める手立てがない。
もうこの時点ではコロナなんてどうでもよい存在。
なぜならコロナで死ぬより、この混乱で死ぬ人間のほうが遥かに勝るからだ。
9月を待たずして、都内の大半は焼け野原。
南海トラフ大震災を含めていったいどれ位の犠牲者が出たか想像も付かぬ。
インフラを失い、制御を失った社会ではもう殆どの人々は生き残る事が出来ない。犠牲者は更に増えるだろう。
コロナ以外でね。
これが「感染拒絶原理主義者」達が齎す未来だ。
だが彼らは己の過ちを認める事はない。
教条主義とはそういうものだ。
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この破滅から逃れるためには1にも2にも「感染拒絶原理主義者」のプロパガンダには乗らず、「深く静かに潜航」するしかない。
ありとあらゆる「コロナ感染情報」を遮断して、物理的にも都市を捨て、人里離れた山奥に単独身を潜める以外に生き残る手立てはないかも知れぬ。
それはコロナウイルス感染から逃げるのではなく、「感染拒絶原理主義者」による文明破壊からの避難である。
コロナウイルスとの共生以外に人々が生き残れる手立てがない事はもう論を待たない。
文明が瓦解する前にクメールルージュのような「感染拒絶原理主義者」を倒し、ウイルスとの共生を標榜する指導者が現れるまで「深く静かに潜航」せよ。
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それが唯一、生き残れるたった一つの手段だ。


絶望皇太子