transistasis
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2000年05月19日(金) 死の拠

夕方、初めて靖国神社を訪れる。
九段下の坂を登ると、巨大なる鳥居が凛としてそびえ立つ。
栗の華の匂いが満ちていた。
しかし、明治神宮のような神々しさはなぜか感じない。
ここには下界を隔絶する鬱蒼とした森がないのだ。
皇居に隣接してはいるが幹線道路やオフィス街が近く、あらいる邪念が侵入してくる。
まるで盛り土を剥ぎとられた石舞台古墳のようだ。

ここにかつての総力戦で殉職した「英霊」とよばれる死者の魂が祀られているという。
社務所の掲示板に昭和19年、西カロリン諸島パラオにて戦死した陸軍中尉が父に宛てた手紙が紹介されていた。
そこに記された一編の詩

「この身いま白衣にありて國思ふ
薫風に白衣をかこち國思ふ」

私のような戦後生まれの男子にとってこの詩の真の意味など解ろうはずはない。
しかし彼は生と死が等価値であると確信出来た時代に死ねたのだ。
それが国家神道であろうと何であろうと問題ではない。
死にはそれなりの拠が必要だ。

拝殿の近くに白い鳩が群れている。
まるで白骨の使者。
一羽が右肩に止まってこう囁いた。
「お前にとって死の拠はあるのか?」
と。

帰りの電車内、襟元を淫猥に広げた女子高生の群れから視線を逸らし、ふと車内吊り広告を見ると、ある女性誌の特集記事が目に入る。
「私の求める男性はどこにいるの?」
たしか、そんなようなタイトルだった。
コンビニでふと、その雑誌をみつけ、パラパラと捲ってみる。
ディカプリオのような白人男性の写真がカットに使われているその特集記事は
なぜ、自分(読者の女性)がいい男性とめぐり合えないかをいろいろな角度から検証している。
だがその対象たる「いい男」のレベルが、どう考えても空想世界の住人か人間の屑のような男ばかり。
これは洒落なのだろう。
まさか真面目な読み物ではあるまいな。
もし、仮にこの記事をまじめに世の女性に諭すために書いているのであれば、滑稽以外の何ものでもない。
こんな男は存在しないか屑だ。もし本気で日本の女性にこのような在りもしない虚像を擦込むためにこの記事が書かれたのであれば、やがてある結果を生むだろう。
『不正義の平和は、やがて正義の戦争によって補完される』

現実世界の住人たる日本男子は今や自らの死の拠を捜しはじめている。
これは洒落ではない。


2000年05月17日(水) 生と死は等価値

人は、いつしか、自らの運命を左右する神の存在を偶像として崇拝することを覚えた。
渚カヲルは言う。
「生と死は等価値なんだ。自らの死、それが唯一僕の絶対的自由なんだよ」
その拠としての神。
それが
『魂の座』
神に殉じることに何を躊躇う?

我々に具象化された神は必要ない。
神を感じたければ明治神宮の森深く分け入り、そこに身を委ねよ。
聖なる水と大地と大気が結界で守られている場所。
それが我らの墓所であり、また子宮でもあるのだ。


絶望皇太子