-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 i am sorry

【Purolator】という宅配業者は本当ダメ!日本からエクスプレスで送った【Tokyo Dolls】参加者の作品が、先週の水曜日にトロントに到着していたにも関わらず、2度も配達ミス!

一度は部屋に居たのに呼び鈴さえ鳴らさずに「不在伝票」だけ置いていきやがった。それを電話で講義しても、カナダ人(と言い切るには語弊があるが)は絶対に謝らない!更に会社の規定で「5日間を過ぎた荷物は自動的に返送されます」というのがあって、今日俺が自ら引き取りに来なければ返送しますよ、という最悪の事態になった。

意地になって【Purolator】に謝罪を求めるよりも、もう諦めて引き取りに行きました。そもそもこっちで仕事に関わる人間は「I am sorry」と言うと、まるで死刑になるかのように、頑なにその言葉を言わない。

例えば、ホテルを予約したのに、ダブルブッキングされたりしても平気で「部屋は満室です」と言い放つ。何のための予約だ!?と問い詰めても「他にもホテルはあるから、あそこの公衆電話から電話してみたらどう?」などとスマイルでかわされた事もあった。しかも、「アドバイスしてあげて私って親切でしょ!?」という意味のスマイルだ。

日本だったらまず「申し訳ございませんが・・・」という言葉が出るはず。カナダに数年暮らしていても、未だにそれを求めてしまう自分が恨めしい。

やっぱり人間は育った環境が物事の基準を決めるんだなぁ。もし俺がこっちで育っていたら何も思わないのかもしれないのに。

結局、小一時間かけて【Purolator】へ行き、荷物を引き取った。幸い作品達は無事だった。夕方Rafiとそれらをひとつひとつ開封。

7時にデザイナーのLynnの家へ作品をもっていき、あれこれと会議。クライアントも数名来ていて、一点は早くも買い手が付いた。しかもこれらの作品は全部アマチュアが作ったもの。皆一様に日本の作品のクオリティの高さに驚く。

2003年04月30日(水)



 SARS

昼間は彼女の買い物に付き合いつつ、帰国後はじめてEaton Centreに行った。世間の(特に日本の)SARS問題の過剰な反応に比べて、このトロントは全く平静です。マスクを付けてる人なんて皆無。というか、見たこと無い(笑)。

友達や知人からのメールには必ず「SARS大丈夫ですか?」と書かれてるけど、本当に大丈夫です。心配してくれてありがとう。

Eaton Centreで昼食を取って、Kくんと合流してお茶タイム。そっから一人で画材屋とフレーム・ショップへ。明後日から始まる【Cantine】の為の、新作をもう一枚描こうと決めたので、材料の買出しです。

帰り道、久々に【Tequila】で一服しつつ、新作の構想を練った。最後の一枚はやっぱり「人物」を描きたくなったので、その勢いのまま制作に入る。途中で夕食を取りつつ、たった今最後の一枚を描き上げたところです。ふ〜、これで明日一日を額装に当てられる。

昨日はRafiとの【Tokyo Dolls】に関するミーティングでほとんどの時間を取られてしまった。日本で見つけたアーティストの他に、一般公募で作品を審査することになったので、募集広告のための詳細を決定。

そして、審査員として俺とRafiの他に日米の著名なアート関係者、作家を数名招聘することになり、今コンタクトの真っ最中。これ全員OK出たら凄いことになる。

人形系美術作品のアート界に於ける評価はまだ定まっていないので、もしかしたらこの展覧会を機に評価基準が産まれるのではないか?と感じるところもある。

感じる、と言うよりは、俺とRafiはハッキリと現代アートのコンテクストにぶち込む方向で仕掛けてるから、産まれて当然という気持ちだ。明日の夜にまたRafiとLynnとミーティングします。


2003年04月29日(火)



 カーロス道場

今日は格闘技のトレーニングDay。名前を出してもOKになったので、これまでは師匠“C”だったのを変更してCarlosにします。そう、先日も日本で開催されたPRIDE-25でアディウソン・シウバと死闘を演じたカーロス・ニュートンです。

某日系新聞の記者さんとの繋がりで、ラッキーな事にカーロスのプライベート道場に参加することになりました。日本で仕入れた柔術雑誌に、何故かカーロスの「耳」だけ取り上げられてたので、ネタとして持っていった。皆爆笑!

今日の練習は、カーロスの相棒で、いつも柔術を教えてくれるTimが不在だったので、皆でこれまで習ったムーブを復習。全然ダメだわ、体が固い。もう一回一人だけストレッチに戻った。

日本へ行ってたとはいえ、約一ヶ月もトレーニングしてない体でこのジムに通うのは無謀だった。それを実感したのが、カーロスとのボクシングのスパーをやった時だ。

3分1ラウンドなんだけど、最初の2分で頭が白くなった(笑)。これ、ボクシングやったことある人じゃないと絶対分からない感覚。別に打たれて意識が飛ぶんじゃなくて、スタミナ切れ+筋肉疲労。残り30秒は打たれ放題打たれた。

交代交代でカーロスの相手をするが、カーロス自身は何ラウンドでもいきそう。また俺の番が廻ってきて、合計3ラウンドやらせてもらった。と言うか、もう無理!情けないことに、手足が動かないんだよ、マジで。

【ガチンコ・ファイトクラブ】とか観て、「情けねーナ、あいつら」とか思った人、やってみなさい。1ラウンド持たないから。そんな訳で、俺様は轟沈しました。

左の写真は、練習後にカーロスが風船ボールの上に乗って、鉛の入ったボールをキャッチする練習してるところ。見よ、このハガネのような体!


カーロスのWEBサイトはこちら→http://www.carlosnewton.com/

2003年04月27日(日)



 引き続き好調のようです

今日もハリキリDayなのかな?またも朝7時起床!(ただの時差ぼけの延長という噂もある・・・)

起きて10分後には、すっかり作業場と化した屋根裏部屋でマットを切っていた。そう、昨日の続き。約一時間ほどで全て切り終わった。部屋に戻って昨夜の完成品をちょっと手直しして、最後にサインを入れる。

「順調だぜ」と満悦になりつつメールチェック。こっちは未返信のメールが溜まってる。のめり込むと一日をインターネットに使ってしまうので、ほどほどに返信を書く。

フレーム屋から「注文の額縁できましたよ」とのTEL。早速徒歩で引き取りに行き、帰りはタクシーで運搬。すっげー重い。

4時にRafiといつものカフェで待ち合わせ。今日は奥さんのMaiとその友達と4人でブランチ。Rafiの奥さんは子育てしながら博士号を取得するために勉強してる。取れたらスペインに引っ越すかもしれないという。何でもその分野ではスペインがトップらしい。

じゃあ、Rafiも一緒に行くって事?聞いたら「もちろん!そしたらスペインの展覧会に出してあげるよ!」だと。このオッサンの本当は行く気ナシ。でも奥さんは本気・・・。

3人は夜にフィルム・フェスティバルに行くらしいが、オイラは帰って絵の続きをやります。

4時に食事したので、今夜は夕飯もいらない気がして、それからずっと新作に取り掛かれた。ほぼ今夜中に完成の見込みだ。

それにしても、展覧会前はいつも怒涛のスケジュールなので、今回みたいに余裕でいるのは何だか落ち着かない(笑)。自分が自分でないみたいだ。

2003年04月26日(土)



 ハリキリDAY

いや〜今日は活動的な一日だった。時差ぼけもあるけど、朝7時に起きて、屋根裏部屋にある荷物や、部屋のガラクタを徹底的に整理&エアコンを出して取り付け。それからキッチンの整理をした。

お昼ごはんを食べるまでにここまで動くことは、多分年に一度あるか無いか(笑)ってぐらい。午後からは展覧会用のフレームを発注しにフレーミング・ストアへ出掛け、画材屋で絵の具を買い、おまけに夕飯の食材まで仕入れて帰宅。

道すがら、【Tokyo Dolls】展のアート・ディレクションをしてくれてるLynnに出会って、色々と日本での出来事を報告した。彼女も「いいな〜、日本のアートショウに行ってみたい!」とエライ興奮してた。

明日、日曜日にRafiとLynn,他のスタッフと飲茶ランチしながら報告会をすることになりそう。しかし、待てよ日曜日は格闘技のジムに行きたいのに!でも皆、会社勤めしてるから日曜しか合わないのか・・・。

夕方スタジオに戻って絵の制作を開始。5月1日からの【Cantine】用です。まず日本で描き上げた5点の修正。専用のキャリー・バッグに入れて機内持ち込みで帰ってきたけど、パステルだけに多少のダメージがあった。

修正が終わると、それぞれの絵の大きさに合わせてマットを切る。これは額縁のガラスと絵が密着しないようにするためのもの。こっちの画材や文具の規格は【インチ】なので、滞在中もなるべく日本の【センチ/cm】や【号/4Fとか10F】みたいな規格を使わないようにしてた。

なので、この作業も非常にスムーズにいった。廊下の壁に釘を打って、吊り下げ用のスペースをつくり、額が到着するまでそこにぶら下げることにした。

さて、これからが本番。日本に出発する直前まで描いていた絵の続きを描き始める。約一ヶ月近くも中断していた絵なので、かなり大幅に加筆&色の変更をした。やっぱ人間時間が経つと「これで良い!」と思っていたものでも変わってくるね。

午前1時にやっと完成!YAY! こんな調子で、今日は忙しかったので日記を書いてる途中で眠くなってきた。

おやすみ(-_-)zzz


2003年04月25日(金)



 帰国しました

ご無沙汰です。やっとトロントに帰ってきました。だんだん「帰る」という表現がぴったりくるほど、カナダでの生活が自分の基盤になってることに気付く。以前は日本を発つ時に「カナダに行ってくる」だったのが、今は「帰る」なのだ。

今回友達にご馳走になったりした時も「お客さんなんだから」って感じで、色々お世話になったしね。それって何だか、お盆に田舎に帰省したときのような感じ。

あと、改めて「日本って、こういう国だったんだ!」という再確認もたくさんあった。例えば、季節感が凄く強いこと。雨は雨らしく降り、風は風らしく吹くところがカナダにはあまり無い。だからこそ、今回雨宿りをしたことや、強風の中、傘をさして、その傘が折れたこととかが余計に心に響いた。

「俺って、こんな自然の厳しいところに住んでたんだなぁ」という驚き。春だ、桜だ、花見に行こう!みたいな季節行事もそうだけど、季節の移り変わりを肌で感じられる国なんて、やっぱり素晴らしいと思うよな。

そう思うこと自体、そこに住んでないから言えるわけで、住んでしまえば「嫌だな」と思うことばかりかもしれないけど。

それにしても時差ぼけが酷い。飛行機の中ではほとんど寝れなかったし、食欲もない。そんな中、今日はRafiとミーティングをして、Tokyo Dolls展の会場候補地へ行きました。

俺が居ない間に、こっちでは着々と準備が進んでて、交渉中だったスポンサーもいくつか正式決定しておりました。それに比べると俺は、アーティストの目標数を大幅に下回ってしまって申し訳ない気分。

あちこち手を付けたいけど、まずは返信してないメールとかが山になってるので、それをやって時差ぼけを治そう。


2003年04月24日(木)



 出逢い・出会い・出合い

【Design Festa】二日目!今日は気合を入れて車で来場したぞ。11時の会場ピッタリに到着。

少し早いので、昨日見れなかったファッション系のブースを覘いてみた。【Air Plane】レーベルという、インディのCD,写真集メーカーのブースで、Jun Kawabataさんという写真家の作品集を見つけた。

今回の滞在中、どこかの書店で(Nadiffだったかな?)で偶然立ち読みした作品集だったので記憶に残っていた。それはCDが付いていて、撮影が行われた異国の雑踏であったり、BGMとなる音楽が収められたもの。

写真も音楽も、かなり俺の表現したいものに近くて30分もブースで説明を聞いた。そしたらKawabataさん本人がいらして、紹介してもらった!若造にも関わらず、自分のことを色々聞いてもらって、おまけにKawabataさんからも興味深い話を聞かせてもらうことができた。

「面白いことできたらいいね〜」そう言って別れることが出来て嬉しい。【Air Plane】レーベル、要注目ですぞ!

続いて、昨日は見つけることが出来なかった【Sioux】さんのブースを発見。昨年のHYPEに参加してくれたアーティストです。絵に人柄が出るというか、本人は絵よりもカワイイ。お友達と着物で和風なブースを作り上げてて、作品ととてもマッチしてた。

それから更にHYPE参加アーティストの【亀田絢】さんにも久々の再会!亀田さんはトロントに来てくれてたので顔が分かる。その時に同行してた友達もブースにいた。相変わらず仲良しなのね〜。絵の方は、相変わらず「亀田ワールド」全開!ちょっと真似できない具合が、一層強まってました。マジで海外でやればもっとメジャーになるのになぁ・・。と思った。

さて、そろそろ仕事に戻って、昨日声を掛けたアーティストのブースを順番に訪問。一日考えてもらったけど、あまり反応よろしくない。やっぱり参加費が掛かるのがネックのよう。

でもね、日本で貸し画廊でグループ展やったって、ポストカードとか刷ったり配ったり、メディアにお知らせしたり手作りでやってもそのくらい掛かるわけでしょ?この【Tokyo Dolls】展はそういうプロモーションとか雑誌への露出を含めてメジャークラスの待遇ですよ。と言ってもなかなか信用してもらえない・・・。

「メジャーになるきっかけを探してます」って言うなら、どうしてこの企画に乗らないのさ!と叫びたくなります(笑)。それは俺が海外志向が強いせいもあるんだろうか?日本でより、海外で評価されたいという気持ちが、そう思わせるだけかな。

7時まで粘って、二人のアーティストが参加を決定してくれた!YAYYY!特に目を付けてた3人のうちの2人。残念ながら、もう一人は保留になってしまったけど、審査のクオリティを維持するために、他のアーティストに声を掛けるのを止めました。

明後日にはもうカナダに逆戻り。作品達をいくつか持って帰れることになってホッとしてます。

2003年04月20日(日)



 デザイン・フェスタ一日目

カナダでRafiが倒れて数日。結局来日できず、俺一人で【Design Festa】に行くことになった。

初めて訪れるTokyo Big Siteですが、広いね〜!客もすごい入ってていい感じ。色々と見たいブースがあったけど後回しにして、まずは【Tokyo Dolls】展にハマるアーティストを物色。

思ったより人形型アート作品を作ってる人少ないね。カメラを忘れたので、とりあえず話すだけにした。特に2人ほどナイスな作家がいたので詳しく説明したんだけど、風貌が怪しい(笑)からか、なかなか信用してもらってないような気がした。

自分がその立場になったら同じように感じるだろうね。だっていきなり「カナダの展示会に作品出しませんか?」って言ったら、すぐには信用できないもんね・・・。あれこれ付け加えて喋るほど、怪しい勧誘と受け取られ兼ねないし。

俺、スポンサーとかビジネスの場面でセールストークするのは不得意じゃないのよ、どっちかと言うと「絶対落とせる!」鬼になる方。でも相手が参加してくれるアーティストとなると駄目なんだわ。

やっぱ、アーティストの気持ち分かるし、騙すような駆け引きできないし、第一に【自分が参加する側だったら?】って考えちゃうところがある。そろそろこういう役から身を引いて、誰かにまかせた方がいいな、と思った。

もし今回、思うような数が集まらなかったら、雑誌に「公募」広告を打たなきゃならない。そうなると審査は当然写真とかになるわけで、実際に目で見るのとは衝撃の伝わりが違ってくるんだよね。

なるべく公募にはしたくねーな〜、と思いながら会場をグルグル回った。夕方5時になって、知人との待ち合わせのために会場を去りました。思うような成果が出ず、重い足取りで・・・。


2003年04月19日(土)



 生徒の皆さん、ありがと!

先日講演をした美大予備校にて2回目の講義。今回は生徒さんの作品を見せてもらいました。

中にはこの日の為に描き下ろした作品もあったりして、かなり熱が伝わりました。

俺自身、人から作品について指摘されるのは好きじゃないので、生徒さんに対してもアドバイス的な指南は一切しなかった。だから、作品に対していちいちコメントを付け加えたい人にも「作品に語らせるべし!」というスタンスで参加してもらった。

ただ一つだけ聞いたことがあって、それは【表現したいものが心にありますか?】ということ。

やっぱり表現したいものが心にあってこそ【表現者】として絵を描くわけで、ただ絵が得意だからとか、好きだからだけでは上辺だけカッコ良くで終わっちゃう。

音楽や映像の分野の若手に比べて、アート界の若手はその部分がすごく幼いと感じてます。

まず【表現したいもの】が心にあること。その上で、得意な絵で表現するとか、彫刻でやるとか、音楽でやるとか選択肢が広がるんじゃないかな?

後日3回目の講義をやる予定だったんだけど、残念ながら俺の予定がイッパイイッパイになっちゃって、これをもって終了とさせてもらった。でも、今回の経験は自分にとってのメリットが凄い大きかったよね。

日本に見切りをつけて、カナダの地を踏んだ数年前の自分。果てしなく強気で、崖っぷちだった数年間。俺は未だにその気持ちの面では生徒さんの誰にも負ける気がしない。でも、久々にそういう初期衝動を思い出した気分がする。

願わくば、この生徒の中に「ふざけんなtomolennon!俺の方がずっとつえーよ!」と飛び出してくる作家が出ればいいな。多分、2回の講演とも、そういう気持ちにさせるように嗾けてきたと思う。俺なりに、対等にケンカを売ったつもり。

そういう先生がいてもいいよね?てゆうか、そんなの先生にはなれないか(笑)

2003年04月18日(金)



 戦争の爪痕

米・英連合軍がイラクを制圧して数日。そろそろ日本のニュースでも忘れさられてきました。

これまで反戦を掲げてきた以上、なし崩しにこの話題から身を引くわけにいきません。

主にイラクのシリア派の人々が歓喜してる映像が流されてて、「結果的には良いことしたのかも?」と感じる人も多いことでしょう。しかし何度も繰り返すように、戦争によって負傷を負った犠牲者も同時に存在するのです。

今日ニュースで見た映像では、イラクの小さな男の子が、寝ている間に爆撃を受け、両手を失いました。しかも6人いた家族は全員死亡です。男の子は「これから僕はどうやって生きていけばいいの?」とカメラを見つめます。

映像が英・大統領の演説へ。「戦争による負傷者、犠牲者に対し、あらゆる援助を惜しまない。」・・・。

一体、どうやってこの子を援助するというのだろう。例え一生分のお金を与えても、男の子の両腕は帰ってこない。両手があれば出来たであろう事全てを、一体いくら払って償うというのか。

子供にとって、戦争の意味や理由なんてどうでもいい。寝ていたら爆弾が落ちて家族が死に、自分も両手が無くなってしまった。一夜にして人生が変わってしまった、そういう事だ。自然災害を除いて、どうして人が人に人生を潰されなきゃいけないのだろう。

戦争に【良い戦争】も【悪い戦争】もない。

やらないと言った人よりも、やると言った人が強かった。今回のイラク戦争、起こしてしまった罪は人類全員にある。



2003年04月17日(木)



 地獄経由 天国ゆき

俺にとっての地獄とは何か!?
それはインターネットに接続できないことだった!!

日本滞在中は、親のPCを使わせてもらってるんだけど、トロントと同じ環境にしたくて、OSをWindows MeからXPにアップグレードして、沢山ソフトウェアを追加したら動かなくなってしまった(汗)。

たしか、〜MeとXPでは構造上の問題もあるんだよね。仕方ないのでHDをフォーマット&初めて自分でパーティションを区切った。

こう書くと、すんなり出来たように見えるけど、2日前からずっと掛かりっきりです。

一番のトラブルはインターネットに接続できなくなったこと!ダイアルアップ回線からADSLに乗り換えようとして、ADSL付属のCDをセットしたところからおかしくなった。

そもそもADSLにはLANポートが必要なんだけど、どういうわけかこのPCにはLANが内臓されてると思い込んでたんだよ。実際にはそんなの付いてないのにさ。そこへADSLの自動セットアップCDなんか入れたもんだからTCP/ICとか目茶苦茶になっちゃって、終いにはダイアルアップ回線も使えなくなってしまった。

さすがに2日間ネットが使えないとまずい。大事なメールの返信や、打ち合わせも出来ない。コレが相当ストレスだったよ。地獄というか、気が狂いそうだった!(それって異常??けっこう居ると思うよ)

そんな気分で修理してるから、当然上手くいかない!インストール&再起動を死ぬほど繰り返しながら、大事な時間がどんどん流れ去っていくのを見てました・・・。

昨日は居ても立ってもられずに、夜中3時に茅ヶ崎のネットカフェまで行きました。今、いかにネットに頼った仕事をしてるかを思い知ったぜ・・・。

そして今日、めでたくLANカードを買い、念願のADSLに接続と相成ったわけであります。はぁ〜快適\(~o~)/天国だぜ!



2003年04月16日(水)



 PRIMALということ

去年HYPE TOKYOに出てくれたKさんが入院している、板橋にある帝京大学医学部付属病院へお見舞いに行く。そういえば埼京線て初めて乗ったぜ。

実際に会うのは初めてだけど、彼自身ジョン・ルーリーのサイトもやっていて音楽の趣味も近く、数少ないTom Waitsファンでもある。その関係の物(ブツ)を交換したり、HYPE以後もメールや物のやり取りをしてるので、何だか昔から友達だったよう。

短い時間だったけど、こうして海を越えて実際に顔を合わせられて良かった。病室で絵も描いてたし、次は新宿のスモーキーな穴蔵酒場で飲めることを願う。

午後3時、友達の中でも最も古い部類にはいるAと新宿で待ち合わせ。友達というより妹みたいなAだったけど、最近は社会人も板について、ついには俺にビジネスチャンス話を持ってくるまでになった。

そう、今日は彼女の紹介で、ある人物と会う事になっている。それは、日本で知らない若者はいないくらいメジャーなファッション・ブランドの重役。

最近特にパーカとかT-シャツ、時計のデザインのプロデュースをするようになった理由は、アートとミュージックの融合という理想の中にファッションの要素をどう組み込むか?の試行錯誤の現れである。

原宿のショップへ移動して、実際にどんな商品展開をしてるかを見せてもらい、それを踏まえた上で今後何ができるかを検討した。話した感じでは、もう充分な対応をしてもらったと言える。

今回日本に来た目的はHYPE TOKYO2の為なので、具体的なファッションに対する下準備をしてこなかったから、まずは顔を合わせただけでもOKとしたいところ。

頭の中は、アートとミュージックとファッションがグルグル廻ってる。そのまま混ざってしまえ!という感じ。自分でもそういうジャンル分けしてるところが情けないが、それぞれにある【PRIMAL・原始】を見失わないように混ぜてみたい。

2003年04月14日(月)



 新宿

二日酔いの残る午後、再び新宿の喧騒へ向かう。

新宿は21歳から2年間住んだ街。その頃は「俺の町!」くらいの勢いで大好きだった。でも今回久しぶりに新宿を訪れて、「もうトロントに帰りたい・・・」と思うくらいついていけなくなっていた(笑)

これは単に人の多さとか、街の汚さ、入れ替わる流行の早さが問題じゃない。きっとそこにいる人間達についていけなくなってるのかもしれない。

茶髪のクソガキにタメグチでポン引きされるサラリーマン。パチンコ屋に朝から並んでしのぎを削るエセ社会人。大人が聴く邦楽が演歌コーナーしかないというCDショップ。全身がブランド物で飾られた汚ギャル。タレントがいるニュース番組。携帯ストラップに凝るオッサン。

まったく漫画としか言いようがない光景が広がる。「それが当たり前だったよなぁ・・・」と日本にいた自分を思い出す。

今の俺の中で、【チャイルディッシュ(子供的な・幼稚な)】という言葉が日本に当てはまっている。大人が大人として存在してなくて、子供の為につくられた街で大人が呼吸してる感じだ。



2003年04月13日(日)



 乾杯

7年来の友人Iとの再会。新宿で待ち合わせたのが午後7時だったんだけど、愛知からやってきたIの乗った電車が事故で遅れて8時過ぎに到着。

まずはロールキャベツの名店【アカシア】で夕食をとって、靖国通りの居酒屋へ。そこはゴキブリは出るわネズミは歩いてるわ(笑)の凄い店。

俺がトロントに住んですぐにIは遊びに来た。その時2人でニューヨークへ行ったりして少しずつIは海外へ興味を持ったようだ。そして遂に去年一年をワーホリでオーストラリアに滞在して、何だか一回り大きくなったみたい。

何故オーストラリアを選んだのかの理由として、「トロントだとtomoのヘルプとかに頼っちゃうから嫌だった」というのを知ってたので、メールとかでも一切ヘルプしなかった。だから尚更こうやって久々に顔をみて、その成長を感じたんだね。

馴染みのBar【Bonds】へ移動してボトルを入れる。
音楽の世界を進むIの苦労と悩みはアートの世界でも共通。いかにして【自分】を確立するか!?【自分】をつくり上げるうえで、人との出会いや影響、過ごす環境、努力、様々な要素が合わさって成長していくものだ。

しかし、評価は今される。誰も将来まで待ってくれない。今できる中で最高の自分をつくり上げることしかない。沢山の選択肢からひとつの道を選んで進むとき、目標となるゴールを置かないと迷子にもなってしまう。

日本を出て、海外でトライしたIはきっと多くのものを学んだに違いない。日本を出ずにそれが出来る人もいれば、俺やIのように価値観を変えて臨む人間もいる。誰が正しいとか、何が答えだとかは存在しない中で自分を支えていくために。

すでに陽が昇り、通勤していく人々を横目で見ながら飲んだコーヒーの不味さは忘れない(笑)。いつかコイツと極上のモーニング・コーヒーを飲めるようになる事を心に誓った。

2003年04月12日(土)



 一流の条件

【GEISAI-3】が縁で、ある美大の予備校から講演の依頼があったのが10日ほど前。それからアレコレ考えてはいたんだけど、結局無策で登場した(笑)。

通常のカリキュラムではなく、希望者のみを対象に約2時間弱の講義。おおよそ40人の生徒達は10代後半から20代前半で、思わず「若いね〜!」が第一声。

まずは、俺がアーティストとして生きることを決意したバンクーバーでの出来事からスタートしたけど、アートよりも外国に興味があるのか!?と思うくらい質問が集中。

「行く前から英語喋れたんですか?」
NO.

「どうやって話掛けるんですか?」
黙々と描いてるから、誰も喋り掛けない。

「月、いくら位で生活できるんですか?」
住むとこに金掛けなきゃ、食費一万でもイケル。

全然話が進まないので、質問は割愛させてもらった(笑)。俺、カウンセラーじゃねぇっつーの!

気を取り直して、いよいよトロントでの活動。具体的な展覧会の立ち上げ方とか、資金やスタッフ管理を含めたマネージメントについてを説明。

例え前例のない企画であっても、格子となる部分は会社のビジネスと大差ない。アーティストは特に社会的な部分から逃げがちで、誰かにそれを預けてしまう場合が多いけど、小さくてもいいから一度は自分で全てを統括してみるべきだと思う。

もちろん、大前提として作品の力が全てではあるけれど、それプラス今回、こういったセルフ・プロデュースの大切さを皆に言いたかった。誰かから声を掛けられるのを四畳半でじっと待ってる時代はもう終わってて、アーティストの自分を第一人格とするなら、第二人格にマネージャー、第三に営業という風に自分自身をいかにプロデュースできるかで作品を生かすも殺すもできる。

まぁ、早い話が「私の才能を見つけてくれない世の中がおかしい!」と思うなら(俺はそう思う派)、そっちのレールに乗る必要ないじゃん、と思うのよ。

道のないところに自分で道を作るべき!そうすれば、同じような道の先人と比べられることもないし、流行に乗らなきゃ!といった考えも間違いだと気付くし。

そういうプロデュースが不要な天才も確かにいるけど、多くは凡人じゃん!?自分も含めて。やっぱアートで食っていかなきゃならんし、食えなくていいならサラリーマンやってれば良いけど。

どんな分野であれ
一流とは、
目標があって、
努力ができて、
かつ
それで生計を立ててる者

だと思うんですよ。最初の二つ、絵を追求したり、その為に努力したり、目標立てたり、夢を持ったり、そんなの何億人もやってて全然凄いことじゃない。

三つ目の「それで生計を立ててる者」は誰でも達成できるものじゃないと思うけど、俺はそれが一流の条件であると思ってる。

だから、生徒さん達にも「自分が天才じゃないと思うなら、一層努力して、高い目標もって、それで食うことを考えましょう。」って話した。

次回は来週、生徒さん達の作品を見せてもらうことになった。そっちの方が苦手だなぁ・・・。けなす事は得意だけど、褒めるのが苦手なんで(笑)。

2003年04月11日(金)



 プレッシャー

野球には全く興味の無い俺でも、今朝の松井の満塁ホームランには痺れた!メジャー第一号をホームグラウンドでブッ放すなんて、誰かが言ってたけど「そういう星の下に生まれた」んだろうなぁ。

普段からのプレッシャーに加え、前打者が敬遠されての満塁だから、舐められたようなものだ。それをこれ以上ない結果で撥ね退けたのだから凄い。

他人事だから言えるけど、一度でいいからこんなプレッシャーを受けてみたいな。プレッシャーは、望んでも受けられるものではない。期待と信頼、時には金を賭けるに値する人間になってこそ、それを受けられる。

そして、プレッシャーを受けた人間は、それと向き合い、決して逃げることは許されない。逃げる人間には最初からプレッシャーなど与えられない。

少なからず、僕ら皆も毎日様々なプレッシャーを受けて生活している。会社での結果、親からの期待、進学、恋人への忠誠、自分の生きがいを見つけることだってそうだ。

松井のような世界を相手にしたプレッシャーじゃなくとも、日々これを撥ね退け、ひとつひとつクリアしていくことが大事だね。そんな毎日の積み重ねがあってこそ、大きなプレッシャーを与えられる人間となれる。

そう、言いたかったのは、プレッシャーに応えられる人間になるより、まず与えられる人間を目指すこと。俺にとってはそれが大事。

2003年04月09日(水)



 ニュースを見ながら

日本では朝から晩までTVのニュース番組ばかり見ている。今は伝染病【SARS】と【米・イラク戦争】が二枚看板として扱われているみたいだ。

今日の昼間、米・英軍がバグダット市内の宮殿を制圧し、「終結近し!」との報道があった。何を以って「終結」なのかの問いに対し、小泉首相は「イラクが降伏することじゃないですか?」疑問符付きで答えた。

路上調査で一般市民が「イラクが降伏することじゃないですか?」と答えたなら分かるが、国のトップが「〜することじゃないですか?」と答えたことに呆れてしまった。

前夜、川口外相が米・パウエル国務長官に「終結後のイラク復興は国連決議を重視するように。」と進言した際、パウエル国務長官の答えは冷たかった。まるで日本の意見など聞くに及ばずといった様子で、北アイルランドでの米・ブッシュと英・ブレアによる戦後復興のための会談へ突入した。

日本は未だに世界に対して影響力を持っていると信じる親の世代には悪いが、日本に求められているのは金だけだ。

いくらこの日記で吠えてもそれを止められないが、このまま行けば日本は義捐金を要求されるだけだ。いくら「NOと言えない日本」でも、ただ単に金を出すのではなく、日本にしか出来ないやり方で金を出す方法は無いのだろうか?

単に金を出すだけか、それとも日本にしか出来ないやり方で金を出すかでは大きな違いがある。世界で唯一の被原爆国として這い上がってきた日本だからこそ、何かを示すべきだと思う。

「それはなんだろう?」と今日、一日ニュースを見ながら考えている。


2003年04月07日(月)



 風景画に挑む

日本での制作をやっと開始した。手荷物では充分な絵の具を持って来れなかったので、画材店で色々と買い足してるうちに今日に至ってしまった。

慣れない場所での制作は何かと不便。アレが無い、コレが無いと探し回るのは嫌だよね。少しでもカナダの制作環境に近づけたかった。

それにしても日本の画材店の充実度は凄い。特にパステルなんてカナダは質が悪いから、思いっきり買い溜めしたよ。総額2万円分くらい。他にも山ほど買いたい画材があったけど、持って帰ることを考えて断念した。

さて、制作に入ったものの、俺の描く題材は外国が舞台だから、窓の外を見ても何一つその風景を思い出させるものが無くてつらい。

まるで富士山を見ながら、ロッキー山脈を描くようなもの。

調子出ないまま数時間が過ぎて、仕方なくニューヨークの風景を撮り溜めたCD−Romを引っ張り出して、無理やり頭を日本から切り離す。

5月1日からのCantineでの個展は、風景画に力を入れようと思ってる。先月のInside Artで見たシンヤさんの風景画を見て、「俺の描きたい風景って何だろう?」と考えさせられたから。

これまでは直球の風景画を避けていたけど、それは逃げていた部分もあって、直球の風景画を描くことが怖かったのかもしれない。それが、シンヤさんの絵を見てるうちに、「俺も描きてぇな」と気持ちが動いてきた。

どんなものができるか、一番楽しみにしてるのはこの自分自身であるという事が新鮮だ。

2003年04月05日(土)



 快適主義

姉貴がマンションを買ったので、入居前の部屋を見に行った。いわゆるイマドキの3LDKだけど、細かい部分とかは“さすが日本!”て感じだったね。

例えばキッチン横の網戸が収縮式だったり、玄関の足元にライトがついてたり、当然ウォシュレットやプッシュ式ドアノブとかさ。

値段を聞いて目が飛び出たけど、日本じゃ相場なんだろうな。カナダだったら豪邸建つよ(笑)。

家というものは、“住むためのもの”から“過ごすためのもの”に変化してきた。住むためだけだったら、どんな外観であろうが内装であろうが雨露を凌げればいい。しかし、長い時間を過ごす家という空間を少しでも快適にするために様々な変化を遂げてきた。

家の買い替えや、住み替えという概念はここから生まれたと言える。そしてわが日本でも、リフォームや、インテリア・デザインの重要性が増し、快適であればどこの国のものであろうが採用するという【快適主義】になった。

かつては、瓦屋根を見れば日本、石造りの壁を見ればヨーロッパという風に、家はその国を表す一番のバロメーターとしても機能していた。それを考えると今の日本の建築はミクスチャーだ。

ヨーロッパ風の外観にアメリカ風の内装、しかもリビングの横には畳部屋がある。ここに住めるのは日本人しかいないだろう。

日本はもはや、世界に例を見ないほどの【快適主義国家】だ。

建築やファッションそれと同様に、食卓には和洋中の品が並び、街にはあらゆる国のレストランが混在している。僕らはT.P.O.に合わせて箸やナイフを使い分け、ワインやコーヒー、お茶を飲む。

なんて器用な人種なんだと改めて感嘆する。色んな国の良い部分や文化的背景による憧れを寄せ集めたのが今の日本を形成している。

だから、もし外国人に「日本はどんな国?」と聞かれた時、俺は「世界一の快適主義国家だよ。」と答えるだろう。「瓦屋根の家に、四季があり、箸を使って米を食べる」と答えるのは今や時代遅れで、的確ではないのかもしれない。


2003年04月04日(金)



 俺でいいの!?

先日の【GEISAI-3】で知り合ったアーティストから連絡があり、彼が通う美大の予備校にて、ひとつ講演をやってもらえないか?という話だった。

彼は予備校の講師達にtomolennon.comを見せてPRしてくれたのだ。実際に海外で活動するアーティストの体験談を、特別授業として講義することになった。

だが、困ったことに俺は美大どころか、正式な美術の教育を受けてない人間である。むしろ美術教育に否定的な立場を取っている。そんな人間が本音で話すと、真面目に取り組んでいる生徒から反感を買う可能性もある。

いっその事、「美大なんか止めちまえ!」とぶっちゃけてこようか(笑)。そもそも、目的がはっきりしないのに学校に頼る奴が多すぎる!

俺はこう思う。アートだろうがサラリーマンだろうが、まずは社会に出て自力で生きてみることだ。自分で勉強して、自分で努力することをやるべき。

その過程でさ、どうしても深く勉強したい事や、先生に教わりたい事が出てくるもので、そん時に学校行けばいいんだよ。それが何歳であってもさ。

だから自分が何を学びたいのかも分かってない内に、とりあえず学校行くなんて趣味でやってく人ならいいけど、「アートで食ってく、生きていきたい」と思う奴には時間と金の無駄。順序が逆だと思うよ。

どんな道でも、まず【生きてく】ことにタフじゃないと。人生をサバイバルしてく術は学校では教えてくれないから。いくら勉強で理論や理屈が分かっても、それを打ち立てる前に、生きることに挫折したら話しになんないよ。

やべーな、マジでそんな話ばっかりになりそうだぞ、講演(笑)

2003年04月03日(木)



 GEISAI雑感

ブースは想像してたよりもずっと小さくて、会場中ビッシリとアーティストが密集してる感じ。ほとんどの作家がポストカードや、バッジといった販売用のグッズを用意していたのが印象的。

ここ4年ほど日本のアートシーンから遠ざかってた身からすると、すっかり様変わりしたこのシーンに大きく戸惑った。

【イラストレーションやデザイン】と【アート】が区別される海外に比べ、日本は正にミクスチャーである。それが日本独自のアートの形かもしれないし、確かに刺激的だと思えるところもある。しかし、アートとして本当に見る側の人間が楽しめる作品がどれくらいあったのだろうか?


『グッズの必要性?』

奈良や村上といったシーンの牽引者たちが、グッズやプロダクトデザインに積極的であることもこれを助長してるのだが、その結果、まだ自己の作品の確立もしてない若いアーティスト達が、こぞって商売に目を向けてしまっている。

特に、絵画のみをシンプルに展示し、グッズなどを販売してないアーティストのブースが素通りされてるのを見た時、【アート不毛の土地・日本】を強く実感した。

アートで食っていくならグッズの販売ではなく、まず作品で勝負だろう。奈良・村上だって長い間かけて作品が認められて、はじめてアーティストとしてのグッズ販売に乗り出したはずだ。そのステップを飛ばしては、一瞬にしてシーンから消えてしまうよ。

チアマンの村上隆さんは、【デザインフェスタ】などと一線を画す、「アートのための」フェスタだと言うが、はっきり言ってこのままいくなら【デザインフェスタ】に統合されてしまえばいいと思う。

日本以外の海外諸国でのアート・フェスタの基本的なガイドラインは?と言うと、【オリジナル作品のみ。複製品・ポストカードなどグッズは除外】が普通だ。

少なくとも今回の【GEISAI-3】は、大型のペインティングや、スペースを必要とする作品には不向きであり、雑誌やメディアで目にする【奈良・村上】の表面をなぞったフォロワー達のためのイベントに映った。



『大人を巻き込むこと?』

事実、参加者の年齢層が若すぎて、30代以降の中堅が皆無だったこと。海外ではこの比率が完全に逆転してて、30〜40歳の中堅アーティストの層がブ厚い。

【GEISAI】が、例えば30代以下のアーティストが対象のイベントならば、それはそれで面白いが、本当に日本にアートを根付かせるならば“大人”の参加者と、来場者をもっと開拓していかなければならないと思う。

「作品が売れない」と嘆く若いアーティストと話したが、そんなの当たり前だ、と言った。作品の良し悪しは置いておいて、そもそも絵一枚に何万も払えるような観客が来てないんだから。

現代美術を買うようなコレクターは、購買力のある30〜50歳だけれど、悲しいかな日本ではその層に当たる大人たちはほどんどアートに見向きもしない。そこが日本を【アート不毛の土地・日本】たらしめる理由ではないだろうか?

酒や競馬、パチンコに精をだす大人達に、おしゃれしてギャラリーに足を運ぶことを薦めるのは難しいが、世界の重要なアートシーンは彼らのような年代無くしては成り立たない。彼らが作品を買い、雑誌を発行し、スポンサーとなり、ギャラリーをつくり、アーティストのパトロンとして機能しているのだから。その重要性を村上隆は充分知っているはずだ。

しかしながら、若いアーテイストを育成しはじめた【GEISAI】にそこまでオンブにダッコするのも申し訳ないが、村上隆はそこ(大人を教育すること)まで視野に入れてこの【GEISAI】を運営してると信じて病まない。それこそが彼の果たすべき仕事だと思うから。


2003年04月01日(火)
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