-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 Grand Finale-part2

16時45分。俺の中でのメイン・イベントである”I Have A Dream!"を公開するために壇上へ登った。一応「Ladies and Gentleman!」と、お決まりのセリフを言いつつ(笑)まずはイベントが無事開催されたことにお礼を言って、会場の入り口に浮かんでいる沢山の風船について説明を始めました。

去年、自分のWeb Siteで「夢はありますか?」という呼びかけをして、その時に全世界から送られてきた名前と国名をリストにしたのね、プラス、YOKO.COMの管理人さんにも協力してもらって、過去のBBSのYokoさん宛ての書き込みの内で、その主旨に近いものを提供してもらったので、延べ300名以上の人の名前と国名が手に入った。

それを一枚一枚、名刺大の大きさのカードにスタンプしていって、裏側には”I Have A Dream!"とスタンプしたんだ。風船の先にはそのカードが付いていて、これから屋外へ出て空に放つというイベント。会場にも申し込み用紙を置いてて、ギリギリまで風船を追加していきました。

それを空へ放つとどうなるか?隣町へ飛んでいくものもあれば、もしかしたら隣の国(アメリカ)まで飛んでいくかもしれない。それを拾った人は、びっくりするだろうね。例えばフランスとかオーストラリアから来たメールもあるから、正かそんな遠くから飛んできたのか?と思うかもしれない。しかも、カードには”I Have A Dream!"〜私は夢があります!”と書いてあるので、「わざわざそれを伝える為に遥々飛んできたのか!?」とビックリするでしょう。或いは「俺だって夢はあるぞ!」と言い返してるかもしれない。そんな光景を想像しながら、会場に来てた方々と一緒に300個の風船を空へ放ちました。

その光景を俺は一生忘れないだろうなぁ。本当にキレイだった。それと同時に、この小さなギャラリーで行われてる”夢をもとう!”というイベントが、より広く人々に伝わっていくような感動があった。

再び会場へ戻っていよいよオークションがスタートしました。プロのオークショナーJayさんの見事な進行のもと、次々と作品が売買されていった。しかし、観客はシャイなのか、オークション自体に慣れてないのか、あまり掛け声が掛からない。つまり値が上がっていかない。次第に最低価格である$100を切る作品も出てきてしまった。常々、このオークションでは収益をあげるのが目的ではない、と言ってきたが、やはり総額を寄付する以上はある程度の売り上げが必要なのは事実。その点において、作品は完売したのだが、予想売り上げを下回る結果となったのは残念だ。

アドバイスとして、最初からアーティスト名を表記して、かつ、どれだけ貴重な作品であるかを強調するべきだ。という意見ももらっていた。確かに通常のオークションならそうするだろうし、売り上げもある程度保障されただろう。しかし、俺はそういった”有名人の絵だから欲しい”とか”お目当ての有名人の作品だけ見に来た”という状況を作りたくなかった。

無記名であることで、まず作品自体を見てもらい、その作品が言いたいこと”夢をもとう!”というメッセージを観客に受け取って欲しかったのだ。最初にまずそれが無ければ、このイベントは単なる有名人のオークションになってしまう。それだったら俺がやる意味ないよね。

優先事項としては、まず”夢をもとう!”のメッセージをアートを通して人々に伝えること。その次として、収益があったら子供達へ寄付する、という順番だ。この順序を守るにはそれしかなかったと言っていい。例え、目標額に達しなかったとしても、堂々とこのイベントの収益として寄付したいと思う。

そういう訳で、約2時間のオークションが終了し、カウンターでは次々と作品が手渡されていった。そこでもちょっとした混乱があって、あまりに大勢が一斉にカウンターに殺到したため、不慣れな我々は一つ一つの作品と代金をしっかりと確認できずに購入者とやり取りをしていた。それが後に、売り上げが合わないという結果をもたらす事になるのだが・・・。

それはさて置き、無事に閉幕し、後片付けを終えたあとでボランティアの方々ともお別れとなった。短い期間であるが、一緒に期間を乗り切った仲間である。打ち合わせの時間も少なく、また急な変更の嵐だったが、本当に皆よく頑張ってくれたものだ。中には、ワーホリなどで短期滞在の子もいる。彼女達の心の中で”カナダでの一番の想いで”になってくれたら嬉しいな。

それから2/articのスタッフも、これで一時解散。一番長いYumiちゃんで10ヶ月。それからManny,ケンイチくん。短いイケコでも3ヶ月と、本当によく頑張ってくれた。このスタッフが居なければ、絶対に絶対に不可能だった。Takaも途中で抜けてしまったけど、あいつの功績は変わらない。皆よくやってくれた。

彼・彼女らがこれから歩む人生には、もっと厳しくて、もっと辛い出来事が山のように出てくるけれど、この途方も無いイベント、人から「無謀だよ」と言われ続けたイベントを実現させるために逃げなかった事は、大いに誇りに思ってほしい。多分、それぞれ何度も「辞めようかな」とか「無理かも」と思ったに違いない。でもそこから逃げなかったということは、これから先に難題があったとしても、きっと逃げずに立ち向かえる人だとも言える。

俺は、このメンバーでこのイベントを作り上げたことを誇りに思う。願わくば、俺にもうちょっと優しさと人格、指導力があれば良かったのだけど。それはまた、将来どこかで道が交わった時へ希望を託して、胸にしまっておきたいと思う。

更に、イベントに携わってくれた人々全てに感謝します。励ましのメールをくれた友達や家族、HYPEの時の日本のアーティスト達。トロントのアート関係者。日本の著名人との取次ぎをしてくれたマネージャーや事務所の人々。前代未問のイベントに、はじめにスポンサーとして名乗りを挙げてくれたトヨタ・カナダの中谷氏をはじめ、スポンサー各企業。。利益がないにも関わらず大きな記事として取り上げてくれた日系新聞、雑誌の編集者達。カナダに来て以来、いつも手を差し伸べてくれる瀬戸山氏、松本社長。陰ながらバックアップしてくれたトロント領事館。

今日、ここに夢の一つが現実となりました。本当にありがとうございました。

夢は叶う!

夢をもとう!


2002年10月31日(木)



 Grand Finale-part 1

きたきたきた。
泣いても笑っても今日で最後です。今晩のレセプションとオークションで'LET'S HAVE A DREAM!"は終了です。

昨夜は久々によく寝て、朝6時にトロント空港へ。日本へ帰るのを見送るのはこれで何度目だろう?観光シーズンの過ぎた空港は閑散としていた。エアポートシャトルでダウンタウンへ戻り、オフィスへ。

元Luna SeaのSUGIZOさんがイベント公式テーマ曲として”Dear LIFE”を作ってくれたので、会場で流すだけでなく、宣伝のボードも作ることにした。簡単な経歴と写真、そして”Dear Life"の歌詞を英語と日本語で記載した。で、隣人のSくんにMediaファイルをCD再生用にプログラムを変換してもらう。

オークショナーと打ち合わせる為の書類を少し手直しする。Mihoちゃんが来る10時までまだ時間があったので、近くのMacで朝食を買う。書類の作業をMihoちゃんに任せた後ギャラリーでスタッフと合流。事前の計画から変更があった部分の指示を出して、レンタカーをピック・アップにBloorへ向かう。ここからが怒涛の一日の始まりだった。

レンタカー屋に向かうまでにSPINとイケコから交互に指示を仰ぐ電話が数回ずつ。オフィスのMihoちゃんからも問い合わせの電話が数回。手元にある企画書をめくりながら車は風船店「Balloon King」へ向かう。

頭で描いてる会場の図面と、現場では相当ズレがあって、時にはイケコに、時にはJunoに変更を伝えながらBalloon Kingでヘリウムガスを借りる。一旦ギャラリーへ寄り、ガスを”風船班”に渡す。これから3時間で300個の風船を膨らましてもらう予定。

それを結びつける紐を路上に用意するように伝えていたのだが、意図してるのとは違うふうに用意されてて、イチから手直しを頼む。会場内ではドリンク・カウンターの準備をしてもらって、パーティ用の配置にギャラリー内を変える。

午後1時。車でオフィスへ戻り、Mihoちゃんの書類を確認してすぐに車へ。裏の楽器屋でマイクとスピーカーを借りる時に事件は起こった。昨日予約したときには生きていたクレジットカードが、今日のレンタカーとヘリウムガスを借りるときに払ったデポジットで限度額を超えてしまったらしい。店の親父は顔見知りだが、こういう時には冷たい。一度車に積み込んだマイクをさっさと取り上げてしまった。どうしよう・・・、カードに現金を補てんしても、すぐにエフェクトするわけじゃない。つまり今日はもうカードを使えないということだ。

すぐにStuに電話して、知り合いにマイクを用意出来る人はいないかを確認してもらう。マイクが無い場合、最悪な状況として生声でスピーチとオークションをやる羽目になる。そこからDufferineのBeerStoreへ。スポンサーのアサヒ・ビールを仕入れるはずだったが、何と品不足でSold Outだった!別の店にも行ったがそこもSold。

最終手段で少し遠いがQueens QuayのLCBOまで車を飛ばすことにした。ここに無ければトロントで手に入るはずがない。スピード違反ギリギリで飛ばしてLCBOへ。あった!ビール10ケースをGet!しかし、パーミットの手続きが良くわからない叔母さんがレジを担当してて埒があかない!違う人に説明して手続きしてもらったのだが、俺も結構テンパってて切れそうになってるところをMihoちゃんが上手くフォローしてくれた。

そっから近くの大型スーパーでフルーツとスナックとジュースを仕入れる。時間は2時半。やばい。とりあえずギャラリーへ戻り、全員に最終的な指示を繰り返す。会場を任せて一旦オフィスへ戻る。

銀行で釣銭を300ドル分交換して、オークショナーへのギャラやケータリングの代金を現金で用意する。ケータリングのSushi Placeから確認の電話が数回入る。一般客の問い合わせの電話も数回。午後3時半。やっとギャラリーへ。

すぐにケータリングが到着し、スタッフはそれぞれパーティの準備を急ぐ。Yumiちゃんが到着していたので、慌てて彼女を連れてギャラリーのオフィスへ。オークショナーのアシスタントとして注意事項を最低限ながら伝える。

ボランティアのMakiko,Akikoさんを呼び、今夜の重大な役割であるオークションでの作品の扱いを説明。時間が迫っているため、満足な説明が出来なくて申し訳ない。そうしてる間にも続々と来賓が到着。曲がってるネクタイを調える暇もなく挨拶をして回る。まずJames Motoの松本社長とデザイナーのChakoさんが到着。それからトヨタの会長N氏。実はこれが初対面。今回本当にお世話になった。改めて御礼を伝える。領事館のMさんも到着し、United WayのJenniferらと暫し談笑。

Part 2へ続く!


2002年10月30日(水)



 2日目にやっと・・・

2日目。今日も徹夜でカタログを増刷して朝イチでPrint Threeへ届ける。布団に入って眠りたい・・・。オフィスへ向かって歩いてると、すぐ近くにPurolatorの宅配車が見えた。これはもしや!と思ってドライバーに「荷物ある?」と聞くと「日本からだぜ」といって一つの包みを渡された。

ついにアラーキーの作品到着!すぐにSPINへ行き、JunoとStuとアレコレ展示方法を考える。結局、アクリルのBOXを用意してもらってそこに入れることにした。これでほぼ展示物は完璧だ。

ボランティアのAkiとKozueに、Kingiの所からT-シャツを受け取ってきてもらってT-シャツもOK!そのデザインだが、開けてビックリ。すべてのシャツの絵柄が微妙に違うのだ!黒字に青い雲の模様を基調としながら、”Let's Have A Dream"というロゴがシャツによって違う場所に配置されていて、漢字で”夢”と入ってるのもあれば、女の子のシルエットがプリントされてるのもあって、買う人は自分の気に入った一枚を選ばなければならない。

まずはスタッフの女の子達がワイワイ選びだした。アレいい、コレがいいと時間を掛けて選ぶ。ふと横をみるとJunoもちゃっかり「俺はコレがいい!」と自分のを選んでた(笑)。このすんばらしいアイデアとデザインをたった3日で仕上げてくれたKingiに万歳!

3時に俺だけオフィスへ戻って、明日の出席者へ確認のTELや、雑誌、メディアへのコンタクトを取る。あと、ケータリングや風船用のガスボンベの手配を済ませ、またギャラリーへ。色んな人々と少しずつ談笑してイベントの感触を確かめる。

領事館の宗像さんや画家のダイスケくんもプリ・オークションに参加してくれて、少しずつBIDされる作品も増えてきた。俺はあんま頭回んなくなってきて、ちゃんと応対できてたか不安。明日に備えて今日は少し寝ようと思う。

2002年10月29日(火)



 恍惚と不安、二つ我にあり

朝8時、まだ日が昇ってない。トロントの冬の夜明けは遅い。搬入で使ったレンタカーを返却する前に、Print Threeへ展覧会カタログの追加分を届けた。昨夜は頑張って20冊分を印刷した。

Bloorで車を返した後、スタバに寄って一人でコーヒーを飲んだ。ちょっと気を抜くと、今までの大変だった準備期間が想い出とともに押し寄せてくるので、考えないように考えないように道行く通勤者達の姿を目で追って気を紛らわせた。

なぜか地下鉄に乗らずに、歩いてオフィスへ戻ろうと思って、Yongeを歩いてると向こうから”Let's〜”のポスターが風に乗って飛んできた。どこかの壁から剥がれてきたんだろう。つい数日前の夜中に一人でこの辺にポスターを貼りに来たことを思い出した。

展覧会の前は、どんなに手伝ってくれる人数が多かろうと、とても孤独になる。孤独を感じると言うべきか。それは不思議な感覚で、周りに人が大勢いてもすっぽりと自分だけ暗闇にいる感じがする。多分、人はそれを見て「ナーバスになってる」と感じるんだろうけども。

さっきのポスターを貼る作業に非常に近いんだけど、真っ暗で誰も歩いてない夜道で、誰にも見られずにそっとポスターを貼る。昼になって人通りが増えて、道行く人の目に留まるようにと願って、暗い夜中に黙々とポスターを貼る。人が見るのは昼間の明るいポスターの面だけで、誰も決してそれが真っ暗な夜中に貼られていったものだとは想像もしない。

展覧会も一緒だ。人は昼間の面だけを見てくれればいい。夜の間にどんなことをしてるのか、してきたのかは関係ないのだ。そんなことを考えつつオフィスへ戻り、まだ準備が必要な書類とボードの製作をする。

11時。ボランティアの子達がSPINギャラリーの前で待っていた。「おはよう!」と元気に挨拶して、前日に展示し終えたばかりの会場へ入る。12時のオープンまでに最終的な展示をチェック。

オーナーのJunoとStuはビシっとスーツでキメててカッコ良かった。早くも30日のレセプションの打ち合わせをする。そこで話題になったのが、未だに到着していないアラーキーの作品だった。今日のクーリエで届くかもしれないんで、オフィスにはAkiちゃんを店番として待機してもらっていたが、まだ届いたという連絡はない。日本を間違いなく週末に出てるから土日を挟んで、今日か明日の午前中には届くはずだと信じたい。

1時を過ぎたあたりから人出がでてきた。通常なら、オープニングの日にパーティやらをやるのだが、今回は最終日にすべてを注ぎ込んでるので特に宣伝はしていない。実にひっそりとオープンするのがいいと思った。

顔なじみのアーティストや、今回デザインを手伝ってくれたHiroとかMayukoらがやって来て、それなりにオープニングらしい雰囲気になった。会場にはカタログやT-シャツを売るコーナーがあるのだが、そのT-シャツも間に合わず、明日から売り出すことになった。

心配してたアラーキーの作品は結局届かず。初日に来てくれた方々に申し訳ない思いで一杯だ。


2002年10月28日(月)



 搬入日!

急な時間の変更があったにも関わらず、ほぼ全員のスタッフが3時にSPINに集合。一足先にレンタカーをピックアップしてスタジオから荷物を積み込む。今日から冬時間になるのをMannyが知らず、一時間早く到着してた。

前回のミーティングの指示どおりに各スタッフがそれぞれの仕事をこなす。予定より順調に展示が進んでいくが、忘れ物があったりして、俺はギャラリーとスタジオを数往復。誰も免許持ちが居ないんだなぁ。

オーナーのStewartとJunoも沢山手伝ってくれて、床のモップがけやら、壁のペンキ塗りやらを済ませる。おまけにStuは一番大変な釘打ちをしてくれて本当に助かった。彼ら曰く「Tomo、どこであんなに良いボランティアを見つけたんだ?みなエクセレントな仕事してるじゃん!」と褒めてくれる。そうだ。確かに皆素人だけど、テキパキと与えられた仕事をこなしてて、のんびり屋のカナダ人からすれば素晴らしくオーガナイズされた集団に映ったことだろう。

「雇う?」と聞いたら「One day(いつかね」(笑)と言ってた。夕方6時半。ほぼ全ての作業が終わった。正直信じられんくらい早い。だって7月のHYPEの時なんて徹夜だったから。あとは数箇所のボードを今晩俺が作って、明日のオープン前に設置するだけとなった。

正直、今晩くらいは寝たいところだが、ボランティアの頑張りに負けないように、一人で黙々とボード作りをすることにした。明日がオープン日。遂に、遂にその日がやってくるのを朝日とともに実感した。

2002年10月27日(日)



 準備は進む

Dufferine Mallへ行き、アクリル製のBoxを買った。ヨーコさんの作品を展示するのにちょうどいい箱だと思って、ずっと前から目を付けてたやつ。普通、工場にアクリルBoxを発注すれば軽く数百ドル掛かるのを知ったので、何とか規制品で見つけられたのはラッキーだった。

明日の搬入を前に、SPINへ立ち寄ってそのままこの箱とヨーコさんの作品を預けた。オーナーのJunoはちょっとビビリながら(笑)「マジ?置いていくの?」と不安げだったのが笑えた。

そっからKingiの店に寄って、T-シャツの仕上がり具合を確認。どうやら明日に仕上げるのは無理な様子。遅くても28日正午のオープンには間に合わせたいが・・・。

日本からMさんがトロントに遊びに来てて、やっと夜に少しだけ会う時間が取れた。ずっと以前から依頼されてた彼女の新居に飾る絵を手渡すために、Kくんの買ったばかりのコンドミニアムに出掛けた。そういえばKくんにも数日前に絵をあげたんだった。部屋にはそれが飾ってあって思い出した。

この2人ともが、飼っているペットの犬や猫をモチーフに絵をオーダーしてくれてたんで、人間以外はめったに描かない(というか描けない)俺には相当なチャレンジだった。値が上がるから、もう動物は描かないように2人に言われた。あがんねーよ。



2002年10月26日(土)



 ちょっと息抜き

早朝8時にPrint Threeへ行き、カタログをシュリンク・ラップを頼んできた。土日が休みなんで、イベントがスタートする月曜日に間に合うには今日までに相当数をラップする必要があった。昨夜も完徹で何とか30冊分をプリントした。さすがに徹夜がここまで続いてくると胃の調子が悪い。食べてもすぐに吐いてしまうし、あまり量が食べられない。

寝不足の上に、経費削減で走って移動してるから余計に堪える。ついに一駅分だけど地下鉄に乗ってしまった。一瞬座っただけで眠気に襲われてヤバかった。

10時までにオフィスへ戻らないと、クーリエの宅配を逃してしまうんで、文房具屋でプリンターインクを買うにも、とにかく走る。しかーし、さすがカナダ人。レジが遅い!!その上、「ボールペンが半額になってますが、いかがですか?」ときた。お前、マクドナルドじゃないんだから余計なセールスすんな!早くレジ打て。

痺れながらオフィスへ到着。案の定、宅配を逃した証拠である伝票が目の前にあり、気絶しそうになった。引き取りに行くには、夕方6時半まで待って、遠〜くの集配所へ行かなければならない。2時間のロス。

SPINから電話があり、27日の搬入を2時間繰り上げて、午後3時からスタートして欲しいと変更依頼!しかも6時までには終わらせて欲しい、とダブル注文!思わず絶句!考え直す余裕なんて無いんで、とりあえずスタッフとボランティアに確認の電話を掛け捲り。

夕方4時。Mihoちゃんが、バイトの休憩時間にヘルプに来てくれた。マジ感謝!バイトが終わる11時にもう一回来てもらって、一緒にArtSpaceのイベントに行くことにした。ここはギャラリーというかイベントスペースというか分からないけど、割とトロントでは珍しいアートとミュージックの融合イベントをこれから開いていくらしい。今夜はその一回目として友人のDJ AKIがSpinするので、わざわざ時間を裂いて行くことにした。

Akiさんに昨日直接おいでと言われた時は、正直それどころじゃないなぁ、と思ったが、彼にはいつも世話になってるし、第一世話になりっ放しで、ぜんぜん返してないからたまにはマジで顔ださないとアカンと思ったわけだ。

夜になって雨が降り出して、会場に付く頃にはビチャビチャです。こんなに人がおるんかい!?と思うほど会場には人がギッシリ。箱がショボイんで余計にインパクトがあった。スペースの真ん中に卓球台がなぜか置かれてて嫌な予感・・・。と思ったら短パン姿の青シャツと黄シャツが舞台へ出てきた!予感的中、おもいっきり野次を受けながら卓球大会が始まった。

唖然としながら、壁に掛けられてるアーティストの作品をとりあえず鑑賞しといて、いつでも帰れる準備には入る。Akiさんと合流したが、彼が回すのはもうちょっと深夜らしいので、残念だけど諦めて帰ることにした。帰る道すがら、Mihoちゃんとトロントのアートシーンについてマジ論。あんなエセ・ハプニングイベントにも結構人が入ってることに不安になりつつも、開拓次第ではトロントも面白くなるのでは?と、とりあえず気休めかもしんないけど思うことにした。

2002年10月25日(金)



 Casa Cafeにて・・・

また怒涛の月曜日。地下鉄の一日パスを買って、フライヤーの配布に出掛ける。リュックに詰めるだけ詰めたんで、ほとんどエビ反りになりながら画材屋、レストラン、洋服店を中心にまわる。チャリティーっつってもあんま反応良くないなぁ。置くのを断られる度に心の中で”バカヤロー”と叫んでるよ。

Yonge x Bloorまで行って、久々にCasa Cafeに顔を出した。明るくオーナーのレイチェルに声を掛けようと思ったら、何かいつもと雰囲気が違う。いつもはケーキがギッシリ詰まってるショウ・ウィンドウは空っぽ。壁に掛けてあろうはずのアーティストの絵も無い。

奥から出てきたレイチェルは目が真っ赤で、今にも泣き出しそうじゃないか。久々の再会どころか、悪い予感で体が硬くなった。詳しくは書けないが、店を手放すことは間違いないらしい。あんなに息子も旦那も最高にイイ奴らだったのに、たった数ヶ月で全てが変わってしまうなんて正直信じられない。

俺がトロントに来て始めて個展を開いたのがココ。レイチェルがわざわざPatに電話して、俺にコンタクトを取ってくれたのだ。俺にとっては本当にスタート地点だったんだ。そんな話を始めると、レイチェルの目から涙が出てきたので、俺まで泣けてきてしまった。でも彼女は気丈に、これからもトロントで頑張ること、いつかまた店を持ち、俺の絵を飾ってくれると言ってくれた。本当に何て言っていいか・・・。

Casaを後にして、気持ちはBlueなままで図書館へフライヤーを配布。それからJapan FoundationでTaniにどっさり渡して、Print Threeという印刷屋へ向かう。ここでカタログ用のフォト・ペーパーを注文しようと思って。一度United Graphicsのランディに聞いたら、ここのオーナーのPaulに話すように言われたから。実はデザイナーのHiroも以前ここで働いたことがあるらしく、そんなに縁が深いなら行くしかないでしょ。

行ってビックリ!以前パソコン関連の仕事をしてたときのBossである鷲見さんが働いてるではないか!一年振りくらいの再会でお互い驚く。とりあえず先にPaulとの交渉を済ませてから外で立ち話し。俺が最近新聞に出まくってるので、「潜伏期間は終わったか」と思ってた矢先らしい(笑)

思わぬ長居をしてしまったので、またしても宅配便を逃してしまった。しょうがないのでまたオフィスでカタログの製作に戻りつつ、今夜Hiroに手渡すテキストの準備をする。夜12時頃から街頭にポスターをメチャメチャ貼りまくり、そのままHiroの住むケンジントン・マーケットへ向かう。

途中の”Kara"で遅い夕食を一人で取ってHiroのアパートへ。頼んでおいたデザインは満足いく仕上がり。ただ、最終的な缶詰パッケージにするにはまだ幾つか問題も残っているんで、それを考えつつ帰路についた。


2002年10月21日(月)



 最終ミーティング

ボランティアを含めた最終全体ミーティングの日。カタログの印刷を中断して、朝から資料作りに追われた。資料は全部で5枚。壁に平行線を引く方法や、絵の面付けの仕方、オークションの詳細や注意事項まで、思いつく限りを書いたんだけど、初めてこれを読む人に納得いく説明が出来てるかは自信ない。

オフィスにはスタッフを加えた総勢14人が集まった。はっきり言って、そんなに入れる広さじゃありません。パイプ椅子やら、ストールやらを駆使して何とか全員が座ったけど、酸素なくなって苦しかった。

とにかくずーっと喋りましたよ。午後1時から3時までミッチリ2時間。他にも、このイベントの生い立ちとか、俺の想いとかも言いたかったんだけど、ボランティアの皆さんには情報過多になってしまうと思ったので、それは個人的に別の機会にしようと思う。

一度解散して、残ったイケコとYukoちゃんがチラシ折りをしてる間に、やっと今日はじめての食事。と言ってもMac。4時からはカメラマンのYuko(Yから始まる人多すぎ!ちなみにイケコも本名は優子なのでトリプル・Yuko!)との最後の作品撮影。

この撮影も回を重ねるごとに良くなっていて、写真集として見てもかなりイケてるカタログになりそうな予感。その写真をプリントする用紙をこれから発注しなきゃいけないんだけど(汗)

今夜も朝5時くらいまで頑張ってます。写真以外のテキストを印刷するために、大判の紙をカットしながら同時にプリント作業。これが終わったら少し寝ます・・・。

2002年10月20日(日)



 今夜も・・・

数時間の仮眠を経て、土曜日となった。トロントでは今年で3回目の国際アートフェアが開催されている。”Let's〜”の会場であるSPIN Galleryは今年初参加ということで、陣中見舞いを兼ねて挨拶にいった。

Artfocus のブースもあるので、昨日苦労して折り込んだパンフレットを多めに持って出掛ける。実質会場に居たのは30分くらいのもので、後は一緒に行ったイケコを残して、先にスタジオへ帰った。

今日も引き続き、午前中から折り込み隊がスタンバってて、ライターのYukoちゃんとAkiちゃん、スタッフのYumi, Mannyが音楽を掛けながらノリノリで作業を始めていた。

俺は、それに参加せずにカタログのデザインと、明日のミーティングで配布する資料を制作。色んな問題を少しずつ整理しながら格闘していたので、急に振られた「英語しりとり」で、Sから始まる英単語に”Superman"と答えてしまい、速攻NG。しりとりなんて何年ぶりだろう(笑)

夜9時を廻ったので、全員でSushi Placeで夕食後にお開き。また明日にミーティングで集まってもらうことに。

一人でスタジオへ戻り、明日の資料の準備やらカタログの制作、プレスリリースの原稿作りをやる。隣人のSくんが帰ってきたので、前から頼んであったパソコンのハードディスクの増設をやってもらいながら、この日記を書いてます。もう午前2時。今夜もゆっくり寝られそうも無い・・・。

2002年10月19日(土)



 Rush

午後には複数の荷物が届くことになっているのでスタジオを空けられないから、午前中に文具店や、ハードウェアストアで買い出し。

この頃は同じローテーションで一日が始まる。荷物の一弾目は"T-シャツ”だ。イベントのキャンペーン用として、やっと話がまとまって良かった。しかし、到着すると全て女性用のT-シャツが!!半分は男性用を頼んだのに!

速攻モントリオールに電話して交換を頼んだ。はぁ〜。小林くんが遊びに来たので一緒にランチを食うが、荷物が気になるので下のSushi Timeで持ち帰りにしてスタジオで食った。

午後4時半。待ち望んでいたイベントのパンフレットが工場より届いた!このパンフレット4000枚を折り込む為に、4人のヘルパーをスタンバイさせている。プラス、バイトの休憩時間に駆けつけてくれたMihoちゃんを合わせて一斉に折り込み作業に入る。

ほとんど休憩もせずに折り続けるんだけど、全然減ってる気配がない。午後8時を過ぎてもまだ1000枚に達していない。9時にヘルプの2人が帰って、入れ替わりにカメラマンのYuukoが打ち合わせにやって来た。その彼女もいつの間にか、折り込み隊に参加している(笑)

12時前にHiroとMayukoちゃんが”イカ焼き”の差し入れとともに参上。再び大人数での折り込み作業となる。Mihoちゃんがバイト後に戻って来たところで、HiroとYuukoとカタログの打ち合わせに入る。

トロントは狭いながらも、幾つかのグループというか、ネットワークがあって、普段はあまり交わる機会がないが、今日のスタジオはまるでボーダレスで、色んな所の友人が集まってくれた。こんなところでも"助けられてるなぁー”という実感が沸く。

折り込みが、約半分に達したのが午前2時くらい。終電のこともあるので一旦解散。残ったHiroとMayukoと明け方までカタログのアイデアを交換する。

イベントまであと一週間足らず。さすがにここまで来ると肉体的には勿論、自信のあった精神面までフラついてくるのが情けない。プライベートは無いに等しいくらいボロボロだし、見過ごしてきた小さな問題までもが現実味を増して襲いかかってくる。


2002年10月18日(金)



 Starting Over

短い間ではあるが、一緒に苦楽を共にした戦友であるTakaがチームを去ることになった。別れは突然というよりも、必然な成り行きだったと思う。

俺は人と接するのが決して上手くないが、その点を円滑に補ってくれる相棒として、または俺のアホみたいなアイデアの洪水を整理し、デベロップしてくれる人間としてよく頑張ってくれたと思う。

ゆえに、この時期に彼が去ることは痛い。確かに痛いが、俺に新たな決意をさせるに十分たる出来事となった。前に日記で「ビジネス面がダメだったばっかりに、才能を食いつぶしてしまったアーティスト」の事を書いたが、実はそのまま自分にも当てはまることを自覚している。

それまで自由気ままの代名詞のようなアート家業をしてたのに、急にスタッフや部下を集め、人徳まで獲得し、事業を成功させるなんてのは誰にでも出来ることじゃない。正に今、それにトライし、失敗を犯して学んでいる最中だ。

世の中には”使う側”と”使われる側”がいるというが、そのどちらにもなれない自分とは何なんだろう?自分のアートには自信もプライドもあると言えるのに、外交面から来るストレスや苦手意識が、少なからずその自信を削ぎ落としている。

いつからこんな風に思うようになったのか、考えるにアート一本で食っていけるようになった頃から、自分自身をマネージメントする必然性に気付くような出来事に頻繁に出合ったような気がする。

絵を売らなければ生活が出来ない。絵を売るためには展覧会を開かなければいけない。展覧会を開くには会場のオーナーに売り込まなければいけない。それらをスムーズに回転させていく上で、名前を売ることは最重要だった。

作品のクオリティには自信がある。しかし、どうやって名前を広めるか?そこを考え始めたときが、俺の中でのビジネスのスタートラインだった。誰かに拾われるまで待てるほど人生は長くない。しかし、一からビジネスを学ぶ事は決して遅くない。

失敗は大きく、経験は多くするほうが良い。ただし、忘れてはいけないのは、途中で投げ出してしまうこと。どんなに嫌なことがあっても、理不尽な裏切りや、誤解や、そんなものは世の中ゴマンとある。その中でやり遂げる力こそ本当の力だと思う。投げ出すことは一番楽な選択肢じゃないか?

そんな時に人は自分を正当化しようとしてしまう。逃げ出したことに理由を持たせたいから。そこに理由なんて無いんだ。言い訳ならまだ良い。一度”やる!”と決めたゴールに、辿り付けないと気付き始めた頃から、いかに自分を正当化するかに考えが変わってしまう。

人を責めることで、自分を正当化させる。それはどんな理由であれ、逃げだと思う。それをしないように、自分と向き合っていきたいと思う。


2002年10月17日(木)



 皆に感謝ですわ

「時間を金で買う」という言葉があるが、コンピューターや機材に金をつぎ込む事もそれと同義語だと実感した。

昨夜から今朝に掛けて、”Let's〜”用のポスター/パンフレットの最終仕上げをデザイナーのHiroとやったんだけど、コンピューターのメモリーぎりぎりのところで作業してたので物凄い時間が掛かった。実はこの日の為にわざわざハード・ドライブを増設しようとパーツを購入してたんだけど、時間が無くて現状のシステムで作業に入ったわけだ。

ポスター一枚分というと、かなりの容量を動かすわけで、保存ひとつ取っても相当な時間が掛かる。操作を一つ進めるたびにビールとつまみを食って、雑談するほどのスピードで朝5時までかけてやっと完成した。相当いいデザインに仕上がった。はっきり言って、これまでの展覧会のポスターの常識を覆すもの。これだけでも話題になり得る。Hiroに感謝。

今度はそれを隣町の印刷所へ入稿するために、8時半にはトロントを出発しなければならなかった。一時間半掛けて、ようやくUnited Graphicsに到着。オーナーのRandyとは初対面だが、デザイナーのHiroはかつてここで仕事をした事があったんで、久々の再会といったところ。

Randyはこのイベントの為にスポンサーを引き受けてくれて、善意で色々なアドバイスもしてくれた。仕事柄、年中割引きとかサポートを依頼されるらしいのだが、ほとんどは断るらしい。一つ受けると、噂を聞いた人々が鬼のようにやって来るからだとか。納得。

それだけに、このイベントに協力してくれたのはありがたい事だね。奥さんのMinaさんは、何とGlobeのマーク・パンサーの従兄弟らしく、思わぬコネクションが出来てしまった。もっと早く知ってれば”Let's〜”に誘えたのに(笑)

トロントに戻ってHo-suレストランで飯を食いながら、そこのオーナーとスポンサーの話をした。この店には週3−4回通ってるので話しやすい。その後、バイトの中休みを利用してMihoちゃんがカタログ製作の手伝いに来てくれた。明日も一日手伝ってくれるらしい。ありがたい。

2002年10月15日(火)



 りんごとの関係

”Let's〜”まで2週間。今日はStaffミーティングの日。昨夜は、頭の中が整理つかないまま徹夜でその資料を作った。

オークションの形式で迷ってる部分があって、スタッフの意見を聞きながら決めようと思う。また、キャンペーンも強硬スケジュールながら決行する。これは30日の早朝、トロントのビジネス街へビラ配りに行くのだ。しかもビラと一緒にりんごを配る計画!

りんごには”Let's〜”の日付と時間を記したシールが貼ってあり、たとえビラを捨ててもりんごを食べる時にシールの文字が嫌でも目に入るという、我ながらアッパレな2重構造。オフィス街のランチタイムで話題になること必至である。

効果的な宣伝とは何か?というのは日頃から考えているが、アートと結びつけるのは中々難しい。ポスターを貼ったり、ビラを配る、新聞に広告を出すのはどこの世界でも常識すぎるし、TVでPRするのは莫大な金が掛かる。あえて言うなら、宣伝にもユーモアが欲しいと思っていた。しかも、相手に押し付けがましくないもの。

何故りんごか?と聞かれれば、幾つかの理由がある。第一に、歩きながらりんごを食ってる人をよく見かけること。電車に乗ってる時も、おもむろにバッグからりんごを出して食ってる人も見かけるし、非常にポピュラーな食べ歩きグッズと言える。第二に、八百屋と手を組めば安く仕入れられること。トロントでは年中りんごを売ってるし、年間通して品不足が無いことが挙げられる。

そして俺自身と結びつく点は、Beatlesとオノ・ヨーコだ。Beatlesが設立したレコード・レーベルの名は”Apple"。そう、あのApple Computerよりも先に名称を取得していた、りんごをトレードマークにしたレーベルだ。オノ・ヨーコの場合はAppleを使って何点かの代表作を作っている。John Lennonがヨーコと初めて出会った展覧会で、飾ってあったそのりんごを一口食べてしまったとか、しまわないとかいうエピソードも残っているゆかりの品だ。

最後のは、分かる人だけニンマリしてくれればいいのだが。

2002年10月13日(日)



 秋ですな

寒い。トロントに早くも冬が訪れたようだ。外を歩く人は皆コートやマフラーを纏っている。スタジオで今年の夏、大いにお世話になったクーラーを窓から取り外し、屋根裏部屋にしまった。代わりに移動式ヒーターを取り出して冬支度をした。

来週になればスポンサーのEpsonから、ン百万もするプリンターが届けられるので、スペースを空けようと朝から格闘している。それに、カタログ制作用に新たに机をこしらえた。買う金がないので空箱の上に板を這わせた程度のものだが、これからイベント当日までスタッフが24時間体制で作業に入るので、テーブルごとに作業を分担する方法を取る事にした。

普段は俺とTakaくらいしか居ないから、広く感じられるスタジオも、全員ミーティングがあったり、同時に何人も作業に入るようになると手狭に感じる。引越し自体は何度か考えたけど、ここよりも立地条件の良い場所は有り得ないのが、それを渋らせる。

単に寂しい所が嫌いなだけなんだけど、ここに居れば横にカフェはあるし、目の前はHMVだし、一階には安い寿司屋がある。で、24時間とにかく賑やかだということ。それに画材屋も5分掛からない程度で3箇所もある。カナダと言えば大自然を思い浮かべるだろうが、ここトロントの中心部には雑多で汚く、排気ガスで充満してるような地区もある。そこに我がスタジオがあるのが嬉しいのだ。

前に住んでたオンタリオ湖沿いのアパートは、画材を買いに路面電車に乗らなきゃいけなくて大変だった思いがあるし、夜になると人も歩いてなくて寂しかった。郊外は緑も多く、鹿やキツネが出ることもあるけど、そんな所に住んでしまったら、今描いてるような絵は描けなくなってしまうね、きっと。

自然の風景を描く画家が、自然の中で暮らすように、都会を描く俺が都心に住むのも自然なことのように思える。窓から夕暮れの店先を見れば、オレンジ色の照明が暖かそうに路面に漏れ出している。秋から冬にかけて、最も好きな季節が来たと実感する瞬間だ。

2002年10月12日(土)



 Dear John

Happy Birthday,John!62歳ですよ、生きてたら。新聞では何やら犯人のマーク・チャップマンの仮釈申請が却下になったり、元使用人との裁判にも完全勝訴したりで、世の中が全部味方になったような気がするね。

そのヨーコさんは「Lennon,Ono助成金」というのを立ち上げて、紛争地で活動するアーティストを支援する活動に出ていますね。それに加え、アルバム”Double Fantasy"に入ってた「Kiss Kiss Kiss」がリバイバルでCLUBでガンガン掛かってて、そのチャートの6位だとか!乗ってますねぇ。

ここ最近、個人的な追悼も含めて"レノン・リメンバース”を読んだり、”マイク・ダグラス・ショー”を見返したりしました。人生に”もし”という言葉は無いけど、生きていたら・・・と考えずにはいられない。

俺にとってJohnとは、歌手は歌うだけ。画家は絵を描くだけ。作家は本を書くだけ・・・という壁を初めて破った先駆者。今では常識かもしれないけどJohnが生きてた時代は、職業と役割がすごく限定されてた時代だと思うんだ。Beatles時代のJohnも当てはまる。まぁ当時にしては意表を突く”In his own write"という本を出したりして十分そのアーティストとしての片鱗は伺わせるんだけど。とにかく最初に壁をぶち破って、世界中に見本を見せてくれたのはJohnだと思ってる。

ヨーコさんと出会って以後、解き放たれたようにアーティストとしての”John Lennon"を確立していく様は感嘆に値する。絵の発表や異文化のアーティストとの交流、一連の平和活動、みるみるうちに”ミュージシャン”という肩書きではくくれない存在になっていった。音楽で表現したい時はそうするし、絵でやりたい時は絵でやる。アーティストという定義は広いけれども、俺にとってはJohnがその定義である。「ミュージシャン」とか「画家」とか「彫刻家」という枠がある前に、まず表現者であるということ。

表現手段の一つとして音楽があり、絵があり、文章がある。いつまでも見上げてばかりの存在じゃなく、おこがましく言えば同志と言えるくらいになりたい。

2002年10月09日(水)



 ビジネスマンですか?

今日は月曜日。目まぐるしい一週間の始まりだな。俺みたいな定職を持たない人種にとって、普段は曜日感覚なんて無いに等しいんだけど、いかんせんイベントが終わるまでは社会のペースに合わせざるを得ない。つまり月曜から金曜の9−5時は社会との戦いの場なのだ!

何か熱くなってるけど、それはパニくってるのと同義語でもある。掛ける電話も多ければ、受ける電話も多い。我がオフィスは未だにインターネットは電話回線なので、電話の合間にメールをチェックするだけで、もう留守電が溜まるって感じ。う〜ん、やっぱケーブル接続にしようかな。その辺もイライラの原因。

プラス、今日はイベントのボランティア募集の面接日だったし、雑誌Bit'sの取材日でもあったから一人で血管浮かせてた。

最近の取材で良く聞かれるんだけど、アーティストなのかビジネスマンなのか?って質問。そりゃ、ビジネスせずにアートができるんだったら最高だけど、それは一握りのアーティスト、しかも年齢もキャリアもそれなりの人のやり方で、俺みたいな若造は自分で両方やらなきゃいけないわけ。

裏を返せば、どれほどの才能あるアーティストがビジネス面がダメだったばかりに堕ちていったかを考えるといい。アートの世界しか知らず、死んだ後に評価されるアーティストが美徳とされる風潮が未だにあるが、俺は真っ平ゴメンだ。自分のキャリアは自分でマネージメントしたい。

一方では、展覧会の誘いがあったり、チャンスに便乗する方法論もアリだとは思うが、小さくてもいいから自分の主旨・嗜好で展覧会を企画し、誘う側になる方が気持ちいい。それくらいの軽い気持ちが原点にある。

気持ちが軽くても、いざ誘う側になると次々に壁が出てくる。これは誘われる・乗っかる側には無縁の壁だ。まず、今まで参加するだけだったギャラリーの顔が180度変わる。「企画書に予算と収益表、具体的な集客見込みを添付して持ってきて」とか、「一年前から書類を提出しないとダメ」とか、どんなに主旨や嗜好が面白くたってアイデアだけなら誰も見向きもしないのだ。そこに具体的な計画と見通しが伴って初めて対等に話ができる。

それらは単に”アーティスト”だけでは済まない要因が詰まっている。いわゆるビジネスマンが企画を立ち上げるのと何ら変わりは無い事なのだ。スポンサーもしかり。一般社会から見て現実的な、有効性のある企画書でなければ会議にも掛けてもらえない。そこで”僕はアーティストだから”という無茶苦茶な理論は絶対に通じないのだ。

疲れたので簡単にまとめると(笑)、アーティストとして自分のやりたい展覧会をやる為にはビジネスマンにもなる!ということかな。展覧会の理想や純度が高ければ高いほど、ビジネスに徹する割合も高くなる!


2002年10月07日(月)



 撮影

カタログに掲載する写真撮影の日。カメラマンのYuukoに頼んでいたサンプルの一枚があまりに素晴らしかったので、ちょっと路線を変更して残りの作品を撮ることにした。

当初、デジタル加工をほどこして、多面的な写真を更にコラージュ風に落とし込む予定だった。しかし、廊下の片隅にちょんと置いただけの写真の方が、雄弁にしかもシンプルに作品の魅力を引き出していることに気付いたのだ。

どうせカタログを作るなら、それだけでアートなカタログを作りたいという希望から、この企画はスタートした。体裁もパッケージも決まった今、その中身自体をもう一度考え直して今日の撮影は始まった。スタジオ内、ビル内、壁から床までフルにロケハンして、更には屋外での撮影も試してみた。

作品写真でありながら、スタッフのイケコや俺も出演し、犬の散歩をしてる人までも巻き込んで6時間の撮影は終了。マジで良いものになりそうな予感!


2002年10月06日(日)



 Pleasure

昨夜のビールが抜けきらない頭を無理やり起こして、ラッピングやギフトボックスを卸売りしている”Retail Bag"へ行った。イベントのカタログを収納するアルミ製のBoxを注文するため。オーナーのDavid曰く、「イベントのスポンサーとして値引きしちゃうと、噂を聞きつけて色んな所からスポンサーを申し込まれるから全て断ってるんだ。」と、鼻から却下されていたが、イベントの主旨や目的を数日に渡って説明していた甲斐があり、スポンサーとして協力してくれることになった・・・・のだが!!

何と注文したBoxが工場で品切れで、早くても11月頭にならないと入荷しないことが判明!ガ~ン・・・。せっかく口説いても水の泡だ。電話で何件か聞いてもらったがNG。ここ以外でピッタリなBoxを見つけるのは不可能だという事実に打ちひしがれる・・・。

しかし、それだけで落ち込んでる暇は無く、Eye Magazineの広告担当者と打ち合わせる時間となった。手短に期日とガイドラインを書類にしてもらって、そのままSPIN Galleryへ。SPINへ顔を出すのはお詫びの為。先日から問い合わせの電話がめちゃめちゃ掛かってくるらしく「どうにかしてくれ!」と言われたから。

展覧会の内容を含め、全ての問い合わせ先はSTUDIO 2/ARTICになってるんだけど、いかんせん知名度がSPINの方があるので、そっちに問い合わせる人が続出したわけ。GalleryでJunoと工事関係者がリノベーション作業の真っ最中。とりあえずご無沙汰と電話の件を詫びる。
奥にStewartがいたので、「ごめんね、忙しいのを言い訳に全然顔出さなくて」というと、「気にするなよ、それよりプレスリリースを早く流さないと!」と言われて気付いた。そっかー、もうそんな時期だ!とりあえず持っていた展覧会の概要書類を見せると、「この場でやってしまおう!」とStuが言い出して英語の添削をはじめた。

郵便局が5時に閉まるので、「後でメールして!」と頼みその場を立ち去る俺。(無責任) 郵便局には参加作品が届いてたのでP/Uして、次には”Peach Breserk"でKingiさんとT-シャツデザインの打ち合わせ。彼女が教えてくれたT-シャツ生地の卸業者と連絡も取れたので、その報告も兼ねて。

そこから15分くらい歩いてケンジントン・マーケットに着いたのが4時半くらい。やっと今日はじめての食事。昨日会ったMayukoが働いてるお店で食事すると約束してたので。ご飯の上に野菜と焼肉が乗ったオリジナル料理。めっちゃ旨かった〜。ちょっと生き返った。

スタジオに戻ると留守電が数件。「Tomo?さっき在庫切れって伝えたBOXがね、型番間違ってて実はOKなんだよ!すぐに電話ちょうだい!」な、なに〜!慌てて電話するが、すでに閉店時間を廻ってた。おぉ〜、神よ、俺を見捨ててなかったのか〜!


2002年10月04日(金)



 久々に飲みました

今日も寝過ごした。また髭がそれなかった。10時にオフィスへ着くと留守電とメールの山。なんだか最近マジで起きれなくなってきた気がする。週の半分は2,3時間の睡眠だけど、もう半分は7時間くらい寝るようにしてて、体調にはすごい気を付けてるつもりなんだけどね。

今日はメールの返信等を午後2時までに切り上げた。何故かというと今晩は慎也くんのオープニングに出掛けるから。その時にポスターのデザインを頼んでるHiroに渡す文書を作成しないといけないし、個人的に絵を見に来る客が2組ほどあるからだ。その絵は以前カフェやレストランに展示してたやつで、今になって買いたいという連絡があった。

一枚は"Rainy Tuesday"。何度か発表してる作品だけど、その度に何度も描き直してる思い出の作品。やっと納得できる絵に仕上がったので最近またレストランに出してたやつ。買い手は知人のMax。ちょっと割引きしてあげた。

二枚目は、3部作の"Midnight in Soho"これなんて展示してたのは初夏の頃だったのに今頃連絡があった(笑)。そんだけ印象に残ったってことだろうか?確かにこれもメッチャ苦労して描いた力作。銀行員のJoeyさんに手渡す。

そんなんで来客を丁寧に相手にしてたらもう6時!オープニングは7時からだからあと1時間で文書を作らないといけない・・・。7時にスタッフのイケコが迎えに来てタイムオーバー。結局間に合わず、出来た分だけ持っていくことにした。

慎也くんの展示は3人のグループショウなんで、会場に入るとすでに大勢の客がいた。3人とも風景画を主体にしてるけど、こうやって見るとお互いの個性がぶつかってて刺激がある。ちょっと風景も描こうかな?と思ってしまった。

日本人も集結してきたのだが、ほとんど雑誌"Bit's"関係者か?!と思わせる。その後近くのPubに場所を変えて打ち上げ。そこでHiroとポスターの打ち合わせをする。すでにドラフトどころか実寸大のプリントを作ってきたんで驚く。しかし、申し分無いところに注文を出すのは辛いなぁ。

そして、個人的にも楽しみにしてたのがMayukoとの対面。数日前からさんざんHiroに"凄いコがいるから絶対会ってくれ”と言われてた。そして対面。ポートフォリオを見つつ、色んなイメージを彼女に抱いた。磨かれてはいないけど、間違いなく原石の一人だろう。何の原石か?わからんけど、でも自分の生き方が作品にダイレクトに反映されるようになればもっと良くなる人だと思う。彼女のアートはそういう種類のものだと思った。もっと感性を磨いて、経験積んで、削ぎ落として、自分と正面から向き合うことから逃げなければ、スッと自然に良い作品になっていくだろう。

空腹プラス酔ってたんで、たいした事を伝えられたわけじゃないけども、アートの中には何も感じられない弱っちい作品もあれば、彼女のように手法は荒いけどビンビン感じれるアートもある。俺が好きなのは、好きか、嫌いか、綺麗か、汚いか、面白いか、面白くないかでも、何か感情を起伏させてくれるもの。

で、深夜2時まで飲んだ・・・。


2002年10月03日(木)



 髭と食事

うっかり寝過ごしてしまい、またも髭を剃れずにオフィスへ行く。9時だというのに留守電がもう3件入ってる・・・。前日にFaxとE-mailでスポンサーのお願いを流した会社などからのレスポンスだ。

E-mailを開ければ、そこにはおびただしい数のメールが届いてる!全て”Let's~"関係の連絡だ。参加アーティストからの問い合わせ、ギャラリーからの確認、広告用の添付画像、ポスターの見積もり、スポンサーからの質問、スタッフからの連絡事項・・・きりがないか(汗)

こんな感じで毎日メールが増え続けるから、基本に忠実に上から順番に返信をしていく。優先順位を付けて後回しにしたりすると、絶対に忘れるのが出てくるからだ。だから飛ばさずに上から順番にかたずけていく。しか〜し、その間にひっきりなしに電話が掛かってくるのに応対してると、さすがにパニくる。

特に電話で「すぐにその書類をFaxで送ってください!」とか言われると参る。文書を手直しをしなければいけない場合もあるし、全く新たに書かなければいけない場合もあるから、メールの返信を一旦やめてそっちに取り掛かるわけだ。

そうすっと、いつの間にか夕方5時になっていて会社さんがクローズする時間になる。その時に「あ、朝から何も食べて無い・・・」と気づくわけだ!!!一日一食ですよ。マジで。夕飯だけ食って、夜中から朝方まで作業して、帰ってシャワー浴びてそのまま寝て、寝たと思ったら寝坊して慌ててオフィスへ行く繰り返し。プラス髭も剃ってないから、見た目はかなりヤバいっす。


2002年10月02日(水)



 Viva Kingi !

ついに10月に入ってしまった!あと27日で"LET'S HAVE A DREAM"である!!まずいんじゃないの???

2時間の仮眠を得て、ちょっと無精ひげが伸びた顔を鏡で見たら○○中毒者のようだった(汗)。マジで寝てる場合じゃないんだよな。午前中に近所のレストランや本屋、プロダクトショップを廻ってスポンサーを得る為の営業活動。会社のロゴとかをポスターに載せるには今週一杯がリミット。必死で軒数をこなす。

印刷会社に見せるドラフトを手直ししてFaxで送信したついでに、割引きをお願いしてみたが聞く耳なし、といった感じ。そう来たか。銀行や企業関係へも電話でアポ取りして、Faxで書類をガンガン流す。そんでまた電話でコンファーム作業。

午後から俺の作品の手伝いにイケコが来たので、注意点だけを伝えて再び営業活動に出た。昨日Hiroと行った箱屋さん(プロダクトカンパニー)へ再び出掛けて、マネージャーにイベント概要を見せてスポンサーのお願いをした。こいつも聞く耳無さそう。最悪。

ふと思い立って、Queen Westの洋服屋に入った。前から気になってたブランドである。イベントで販売するT-シャツを作るのに、既存のT-シャツ工場では嫌だったので、誰かトロントのインディー・デザイナーと組みたかった。しかし、今まで当たった数軒は自社ルートで製造ではなく、デザインだけを起こしてる所ばかり。だが、ついに当たりを引いた!

偶然店にいたオーナーであり、デザイナーのKingiと直接話すことが出来て、巧みな話術により(?)彼女がイベントに大乗り気になったのだ!その場ですぐにT-シャツの素材をセレクトして、いくつかの案を検討した。デザインもプリント作業も彼女が”無料でやる!”と断言。マジで〜!(涙)

しかも、T-シャツの素材自体も無料にできるよう、取引工場にまで電話してくれるなんて。でもそこまで甘える訳にいかないんで、工場には自分が交渉すると説得した。彼女のブランドはQueen店とYorkvilleにも一店舗あり、超有名。デザインもすごいNeatだし。あ、Web Siteを紹介しとこう。 www.peachberserk.com

最近SPIN GALLERYに連絡取ってなくてJunoに怒られた。ごめん。

2002年10月01日(火)
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