-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 Hiro現る

先日Outdoor showで出会ったHiroにスタジオへ来てもらい、"LET'S HAVE A DREAM"のポスターやカタログを含めたトータルデザインを手伝ってもらうことにした。今朝まで一人でアレもコレもと凄まじい量の仕事に追われてて、心底「ヤバイな・・・」と実感したから。

それでなくてもデザインの仕事からアーティストとの連絡、新聞社のインタビュー、掲載用の広告データの作成、ポスターの印刷会社との交渉、自身の作品の制作、個人的な資金繰りの打診などに追われてたのに、またTakaが風邪で倒れたらしく、今日もドタキャン食らって、スポンサーとの交渉まで一人でやる最悪な状況に陥ったからね。

Hiroと原案を煮詰めるとともに、カタログを収納する為のケースを探しに出掛けたりした。昼から結局、夕飯を一緒に食うまで付き合ってもらった。途中、Hiroと俺の音楽の趣味が合ったりして、久々にギターを弾いたりしたけど(笑)。こいつの作るデザインはマジで良いので安心して任せられる。少し肩の荷が降りた・・・。


2002年09月30日(月)



 キャサリンとの再会

昼ごろスタジオへ出勤するのにOsgood駅を出たら、Queen Stが歩行者天国になってて人が溢れててビックリした。今日は年に一度のBook Fairだったのだ。トロント近郊にある出版社や新聞社、小さなプリント工房から政府の団体までがそれぞれの出版物をセールしたり宣伝するイベントだ。

やっとの思いでスタジオに着いて荷物を降ろし、ちょっと覗きに出た。アート系ではCanadian ArtとMix,Toronto Arts CouncilそしてLola Magazineを発見。このLolaの編集長キャサリンはアート・キュレーターでもあり、トロントのアート業界で彼女を知らない人はモグリとも呼べそうな大物。

2001年に彼女がやった“Big In Japan”展は国内4箇所を巡回する大規模なものだった。彼女に初めて対面したのもこの時。ケンブリッジ・ギャラリーでのオープニングへ出掛けるのが遅れたため、会場に着いたら既にクローズという状況で途方に暮れてた時に駐車場にいたキャサリンを捕まえたのが最初。

「トロントから車で2時間掛けて来たんだよ…」と言うと、「内輪のパーティがこれからあるから一緒に行きましょう」と声を掛けてくれたのだ。その後も村上隆のレクチャーの時とかで偶然会ったりしてる。会おうとしなくても自然にどこかで会うように仕組まれてるようだ。

Lolaのブースは結構大きくて賑わっていた。キャサリンを見つけると、向こうから声を掛けてくれた。お互いの近況を報告しつつ、気付いたらLolaの年間購読をしてる自分に気付いた(笑)Back Issueが欲しかったのでそれも何冊かもらい、最後にやっとLet's〜”の宣伝が出来た。

彼女はキュレーター活動はしばし休憩して、Lolaに全力を傾けてるらしい。「本当に忙しい毎日!」といいつつも笑顔は生き生きとしてて、この人は今、幸せなんだろうな、と思った。

2002年09月29日(日)



 出会いの多い一日

俺がカナダで最も好きなアーティスト、Fiona SmithがToronto Artscape主催のアウトドア・ショウに出るというので珍しく午前中から出掛けました。

年2回くらい開催されてるらしいのだが、今回が初めての訪問。1800年代に建てられたThe Distilleryがある13エーカーの敷地が会場となる。今まで無料で開催してたらしいが、今回から$5の入場料が掛かるのは何故だ!?

会場では出店が出たり、Jazz Comboの演奏があったりと賑やかで、アーティストは思い思いのディスプレイで作品を展示・販売している。さて、全体をグルッと廻ってFionaを探そうと、まず小さな路地に入ったところでいきなりFiona独特のドレッド・ヘアと巨体が目に飛び込んできた。

今まで数回彼女と出くわすことがあったのだが、スターであるだけにいつも人に囲まれ、会話をすることが出来なかった。8月の市庁舎前でのArtshowでは、絶対に話をしよう!と思って出掛けたところ、彼女のブースはあったものの、彼女自身はイタリアでの個展の為不在だった。

そして巡り巡って今回だ。驚くべき事に彼女は一人でブースに座ってて、ここぞとばかりに声を掛けた。もう40歳近いというのに激・ファンキーな風貌と、やさしい口調がミスマッチである。

「次のショウはいつ?」と聞かれて“Let's〜”の話題になったときに、「本当はFionaにも参加して欲しいと思ったんだけど、俺にとってはスターだから恐れ多くて頼めなかったんだよ・笑」と言うと、「何で?今頼みなさいよ!」と逆にアプローチを受ける。とにかく手元にあった“Let's〜”の書類を渡し、あとで読んでもらって、主旨に賛同してくれれば是非参加して欲しいとお願いした。

まさかこんな展開になるとは思ってなかったよ。一言でも挨拶できればラッキーと思ってたから。おまけにコンタクト先を交換までできたし。

Fionaと別れ、意気揚々と歩いてると日本人らしき人から声を掛けられた。突然だったのでその男性が熊沢くんであることに気付くまで、ちょっと時差があったけど、トロントで活動する数少ない日本人アーティストの一人であり、先日からメールや電話を通して“Let's〜”への参加依頼をしていた人物だ。

実はこの時が初対面。熊沢くんは俺のHPとか見てるらしく、顔を知ってたので声を掛けてくれたようだった。そして隣のブースにもヒロキくんという日本人がいて暫く彼らと談笑した。彼は雑誌Bit'sのデザインの仕事を手伝ってた縁でHYPE TOKYOとかにも来てくれてたのを初めて知った。トロントの日系社会は狭い。今日は出会いの多い一日だった。

2002年09月28日(土)



 俺にとっての日記

日加タイムスの取材を受けました。いよいよ"LET'S HAVE A DREAM"のメディアへの露出が始まります。何しろ一年半も暖めてきたイベントなので、喋りたいことが沢山ありすぎで、頭の中でまとめるのが大変。

多分、この日記のアーカイブを拾っていけば相当な量が”LET’S〜”に関してのものだということが分かるだろうね。まだ読み返す気にならないけど。

大体さ、日記なんてものをこの俺が付けるなんて以前は想像つかなかったな。でも少しずつ日記という”記録する行為”に打ち込むようになってきたのは、ウォーホルとかメカスとか横尾忠則とかの記録日誌とかを読んだ影響があると思う。

制作の記録として、と言うより”気持ち”を文章として残すことに興味を持ったのね。それは何故かと言えば、アートの値段て決して作品だけに付いてる値段じゃないと思うから。その作家の精神にお金を払ってると言っても過言じゃないと思うんだ。

若くても高い精神を持った作家はそれだけの値打ちが作品にはあるし、大御所でも精神が腐ってたら値打ちが下がるのは当然。今の俺はそのどちらでもないけど、28歳の今をここに刻んでおきたい。

ここにはおよそ2年間のカナダでの制作風景が残っていて、”LET’S〜”がひとつの区切りとなりそうだ。ちと早いとは思うが、何かの形でまとめたいという気持ちがある。

実はイベントと平行して、そのドキュメンタリー・ブックの制作も始まっていて、この日記とかも多分収録される予定。まぁ、イベントが終わってからゆっくりまとめようと思うんだけど。

そんでそのプロジェクトのフォトグラファーとして将来大化けするであろうコナガイユウコさんが参加してくれる事になり、今日はこの日加タイムスの取材風景を撮影。自然なままを撮ってくれた。


2002年09月26日(木)



 3 month before X'mas

今日の朝、TVで「3 month before Christmas!」と言ってて気付いたけど、クリスマスまであと3ヶ月なんだなぁ。どうりで今日のトロントは最高気温が12度とかいってメッチャ冬の気候だったわけだ(どうりで?)。

道行く人は、タンクトップもいれば革ジャンにコート、おまけにマフラーしてる奴もいたぞ!さすがトロント!訳分からん。そんな中、昼間はずっと歩き回ってたんだ。まぁオフィスから半径1キロ程度をあっち行ったり、こっち行ったり、オフィスに戻ったりしながらね。

まずは文具店で事務用品関係を仕入れて、画材屋で”Let's"のカタログに使用できそうな紙を色々とセレクトしてみた。最初はカタログ製作所に頼もうと思ったんだけど、おいらの予算では平凡なカタログしか作れないのが分かったので、”どうせ低予算なら手作りを生かしたアーティストらしいカタログに仕上げよう”と決めたわけだ。(コラコラ。また無謀な事を!って言うなよ)

まぁ、開催まで残り一ヶ月でやろうと思っちゃうのが自分でも笑っちゃうんだけど、やるしかないじゃん。もう。それと、自分の展示作品の準備も今日からスタートです。絵とかじゃなくて、今回はコンセプト・アートなんで色々と周辺準備が大変です。スタッフのイケコには急に来てもらって、このコンセプトを説明すると、「面白そうっすねー!」という反応が返って来たが、いざ準備事項の多さと猥雑さを説明すると無言になってた(笑)。ははは、これから何日か泊り込んでもらうからね。

2002年09月25日(水)



 アジア人

United WayのマネージャーであるJenniferが正式に"LET'S HAVE A DREAM !"担当となり、オフィスで初対面した。香港からの移民ということで、凄く親しみを感じてしまった。こういう時に、「やっぱ俺はアジア人なんだなぁ」と思ってしまう。

特にこういうビジネスの場面では白人と折衝する機会が多いので、どこか構えてしまうところが嫌なんだけど、同じ肌、同じ目をしたアジア人というだけで、何だか打ち解けてしまえるから不思議だ。

本題としては、やっぱりいかにイベントをPRするか!に尽きる。日系のメディアには日頃からお世話になっているので、割とリアクションを得やすいんだけど、カナダのメディアは手強い。HYPEの時も相当プッシュしたんだけど、それでも目標の半分の露出がやっと。今回は規模も参加アーティストのヴァリューも高いのでイケるかに思えたのだが、やっぱり一筋縄では行かんね。

Takaには営業に一層の力を入れてもらうけど、どう考えても人手が足りないので必然的に俺も走ることになる。ただ、二人揃って押しかけると、キャラが濃い者同士なのでプッシーになりすぎるんで、それはなるべく控えよう(笑)

あ、そうそう。HYPEへ参加した皆さんへ報告です。Puffyのお二人がHYPEの会場でインタビューした模様を収めたVTRがやっと届いたので、付録映像として追加収録しようと思います。ただ、これは著作権の関係もあるので、ご自身だけで楽しむということでお願いします。それで、お届けは・・・ムムム、早めに頑張ります。

当初はテロップやディレクションを加えた「加工バージョン」をお届けする予定でしたが、それが大幅に伸びそうなので、とりあえず「ノーカット・英語モロ出しバージョン」をお届けしようと思います。その後に正式に編集されたものが、DVDとして出る可能性があります。そしたらテロップも付いて最高の予定(笑)


2002年09月24日(火)



 Point

”Let's"に参加するカナダのアーティスト達へ電話をかけまくり、作品の期日の確認を取る。それぞれ結構楽しんで制作してるみたいで安心した。
何で安心したのかと言うと、アーティストというものは人からテーマを与えられたり、指定されるのを極端に嫌う人種だからで、コマーシャルな仕事を受けない人ほどその度合いが強まるからだ。

様々な意見を聞いたが、やはり同じアーティストである俺がオーガナイズしてる部分が大きいようだ。HYPEの時も同様のコメントをもらったけど、企業とか職業キュレーターや学芸員には分かり得ない部分が、同じアーティストなら分かり合えるのだろう。

かと言って、職業キュレーターの中にもキレ者はいるし、オーガナイズのプロ具合から見ても俺より完璧に出来る。それは分かってるんだ。今の段階で彼らに追い付こうとは思わないが、多分彼らの良い部分は吸収していかなきゃならないね。

では”良い部分”とは何か!?ズバリ「ポイントを押さえる」ことが出来る部分だろう。色んな意味でのポイント。例えばリサーチする段階で、ポイントになるアーティストだけは必ず押さえる。そうすればもし外圧的問題などであとは妥協した人選になってもポイントさえ押さえておけば最低限の効果は得られる。

企画の段階で、アレもコレもやりたいが、グッと我慢して核となる中心部の充実にポイントを絞る。つまり無駄なものをいかに効率良く省けるかだ。俺の場合、アレもコレもと増えすぎて収拾つかなくなる事が多い。

さらにBudget(費用)の回収と資金の調達に長けていること。や、メディアへの露出も最小限の力で最大の効果をあげることなど、考えてみれば雑多な物事を切り捨てていく手腕だとも思える。

NYをはじめ、世界のアート先進都市ではアーティストよりも有名なキュレーターがゴマンといるが、ここトロントではちょっと聞かない。だから俺がその座を狙う、とかはしないけど(笑)面白味は感じてるのは確か。

そういえば、この間言われたぞ。「最近、アーティストというより興行師になってないか?」って。あはは。どう思われたって絵に対する執着は変わりはしない。貧乏になって野垂れ死にすることがあっても「俺には絵がある!」という自信は変わんないよ。だってさ、今の俺はそこから這い上がってきたんだから。やりたいことをドンドンやって、もし大失敗してもまたそこからやり直せばいいじゃん。

日本を捨ててカナダに来た時は英語も出来ない、手持ちのお金は3ドルって時代があって、それこそ真冬の−30度の中で路上で絵を売ったり、地下鉄のホームで絵を売って捕まったり、どん底で、死にたくないから絶対に絵を売る!って覚悟があった。それを思い出せば何にも怖くないんだ。



2002年09月23日(月)



 BUY A CONDO

お引越し〜。今日は友達のKくんの引越しを手伝いました。彼は若いのにコンドミニアム買っちゃったんですよ新築の!凄い!しかも場所はSkydomeというトロントの東京ドームみたいのの真隣りっつーんだから更に凄いっす。

たった3人で引越しして、搬入はわずか45分で終了。物少なすぎ・・・。お昼をご馳走になって、それからCollege Street Barの撤去まで手伝ってもらいました。

オフィスへ戻るとTakaが入り口のドアのペンキ塗りに精を出してたので手伝った。なんか今日は肉体労働ばっかりだったなぁ。しかし、この程度で筋肉痛になる俺ってヤバイかも。

さっきのコンドの話だけど、日本と比べるとやっぱ安いんだよね。Kくんの部屋は2500万くらい。1LDKと言ったって日本の2DKくらいの広さじゃない?しかも場所は一等地だからさ、もっと郊外へ行けば1000万くらいで十分な物件がゴロゴロあるし。

だから結構若い奴でも、持ち家ある奴多いもん。で、自分は安いアパートとか借りて、コンドは賃貸として貸してる奴もいる。家賃をローンよりちょっと高くして差額を小遣いにしたりしてさ。若くても経済管理が出来る奴が日本より多いってことだね。

まぁ、その背景にはカナダの経済事情もあって、医療費はタダだし、市内通話の電話料もタダ。アパートに住んでいれば水道光熱費も掛からないっていう部分で、お金を溜めようと思えば溜められるんだよね。(俺は出来ないけど・笑)

そう考えたら、頑張って節約してこのオフィスも引っ越したいな、と思ってきた。


2002年09月22日(日)



 リフレッシュです

HYPE TOKYOに参加してくれたJulieの個展があったので、オープニング・パーティに出掛けた。これは”Toronto Arts Week"という年に一回のイベントの一部として行なわれて、アーティストが自宅やアトリエを一般に公開する催し。

Julieは自宅をギャラリー風に仕立て上げて、素晴らしい空間を作り上げた。俺のスタジオから10分足らずのところにJulieも住んでて、そこが超高級コンドミニアム!だから、そのままでも十分ギャラリーらしいんだよね。

彼女の日本好きが伝わってくるような、鏡割りで使う酒樽とか、昔の茶箪笥とかが部屋中にあって、彼女の作品を一層引き立てていたね。スタッフのYumiがHYPE TOKYO会場にPuffyが来た時のビデオテープをもってきたので、Julieと3人で寝室にこもってビデオ鑑賞(笑)お客さんの相手はいいのか!?その後でベランダに出て、栽培してる紫蘇(シソ)の葉を摘んだりして、「まぁ、何て和やかな午後なんでしょう(マダム風)」という時間を過ごした。

Yumiとスタジオに戻って仕事を再開した頃に、今度は隣人のスミダくんがパーティへのお誘い。友達の誕生会だという。悩んだ挙句、ほとんど面識がない人のパーティへ出掛けることにした。だってさ、トロントに来て3年でアート関係者とか親しい友達以外と飲んだ事無いんだもん!一般の若者と飲むなんてめったにチャンスがない。

留学やワーホリで来てる最近の若者(俺はオッサンか?)と是非一緒に飲みたいと思ったのだ。いざ一緒にテーブルを囲むと、ギャップを感じるどころか「何だ、俺の方が全然若いじゃん!」と気持ちだけは若者に負けなかった。

いつもなら若い人と飲むと、悩みを相談されたり、体験談をしつこく聞かれたりするんだけど、今日は”普通〜の”日本人に徹したので、ちゃらんぽらんな事ばっかり言ってた。それはそれで楽しい。

今日は昼間から太陽を浴びて花を摘んだり、若者と騒いだりしてリフレッシュできたなぁ。と、言いつつ最後は2次会へは行かずにオフィスへ戻って、こうやって仕事してんだけどな(笑)

2002年09月21日(土)



 何を見られてるのか?

トロント郊外には、日本のトップ企業が沢山工場を持っている。主に車や電気機器メーカーなんだけど、日本製品の認知度はこのカナダに於いてもクオリティや質の面ですっかり定着している。

イベント“LET'S HAVE A DREAM !”には日本人も沢山参加するし、何と言っても日本人の俺やオノ・ヨーコさんが生み出したイベントであるから、スポンサーも日本企業に付いて欲しかったんだ。海外で日本人は”金・金・金”のイメージがあるし、政府の援助金の問題もあって”平和を金で解決する”イメージを持たれてるから、尚更このイベントは「日本人発の平和イベント」にしたかった。

そういう想いから、ある企業のトップに手紙を送って資金を提供してくれるようにお願いしてました。その企業は世界で一番売れてる日本製品のメーカーなので、多少無謀とも言えたんだけど、今日OKという返事をもらいました!!嬉しいよ〜、嬉しい。

何が嬉しいって、こんな無名な若者の企画に聞く耳を持ってくれたことが一番嬉しい。常々俺は「ここ一番」という場合、スタッフや他の人にまかせずに一人で突入します。ダメだった場合にスタッフの責任にしたくないし、俺が行ってダメなら諦めが着くというのもあります。

意外と頂点にいる人、トップの人は話が分かる人が多い。つまり安全な、可も無く不可も無い企画よりも、リスクは大きいが、熱意と夢がある企画を「面白い!」と言ってくれる。そう言わせるには、やはりちょっとばかり常識外れな俺みたいのが、熱意を剥き出しにして行くのが良いのだと思う。

ただ相手にとって、一番熱意を持った人間が一番良いという訳じゃありません。形どおりにアポを取って、部長クラスに話を通してもらって、それからプレゼンして・・・と形通りのものを好む企業がほとんどです。この段階で”アーティストだから”といって軌道を外れたやり方をしても効果がありません。やっぱり最後の最後、そこに賭けるわけです。

トップを治めるような人は、共通して人を見抜く力があるように思います。上辺で物事を語っても見破られてしまうんですね。特に慈善という分野は、平和の名の下に不正を働く奴もいるから相手も慎重になる。本当の熱意でやらないと、後で絶対にしっぺ返しが来るんですよ。採算的には絶対に元はを取らなきゃいけないけど、それが目的ではない。何故これをやりたいか?という本質が見えてることが一番大事なことです。


2002年09月20日(金)



 アートと弁護士

"LET'S HAVE A DREAM"の寄付先であるUnited Wayと最終的な合意に達し、正式に担当者があてがわれることになった。これから新聞等でのプロモーションを始めなければいけないので、彼らのノウハウやPR担当者の力を借りたいと思う。

先日の合意交渉のなかで、諸事情からスポンサー集めが禁止となり、ほぼ全て自己資金で賄わなければいけない事になったので、少しでも彼らの援助を仰ぎたいのだ。一口に自己資金と言っても、俺の収入は絵の売買によるもののみ!生活するだけでも厳しいが、何とかここまで私財をつぎ込んできた。さすがにこの先、パンフレットやポスター、インビテーションカード等の予算を弾き出すのは不可能だよな・・・。

今日の昼間は、アート専門弁護士と、この辺りの事について相談しようと思ったのだが、アポ無しで行った俺が悪いんだけど立ち話程度で終わってしまった。最近tomolennonは少しずつ認められてきて、オンタリオ州の非営利団体Visual Art Ontarioのメンバーになれたのです。国籍が日本なのにOKなの?と思いつつも、こういった弁護士サービスなどを安価で受けられるので大変ありがたいです。

アート専門弁護士って何するの?と言うと、展覧会の企画の相談とか、資金や費用の運用の仕方、書類の作り方や税金の申告まであらゆる事に乗ってくれます。一般の弁護士に聞いてもアート系は手続きが複雑らしく、分からない人がほとんどなので、こういう専門家は貴重です。

日本で生活するには、めったに弁護士なんて登場しないけど、こっちでは何かと頻繁に登場します。ちなみに今はこの人を合わせて4人の弁護士と連絡を取り合ってて、それだけで大枚が飛んでいきます(泣)。ちなみに料金は初回は無料で、次から一時間$30から$120くらい。かなり幅があります。

それは余談として、その弁護士に会ったあと、久々にQueen Westのギャラリーをブラブラっとして、親交を深めてきました。こういうのも大切だからもっと頻繁に顔出さないとなぁ。

2002年09月18日(水)



 WEB SITE公開

遂に"LET'S HAVE A DREAM !"のWEB SITEが一般公開されました!これでイベントの大体の概要が分かると思います。ちなみに工事中のコンテンツがありますが、作品の販売方法が通常とはま〜ったく異なる為、徐々に全貌を明かしていく感じになります。

アーティストも現段階のものを掲示してますが、これも徐々に増えていきます。っつーか、イベントの開催日直前まで増え続けると思います・・・。この一ヶ月は日本側のアーティストとのやり取りはYumiに任せて、俺はカナダ側のアーティストの招聘と調整をやってるんだけど、前代未聞のイベントの為かかなり警戒されちゃってるんだよね。

特にミュージシャンとかアクターに「アート作品を作ってくれ」と言ったって、彼らは戸惑うばかり。絵を描いて欲しいんじゃなくて、タイトルの"LET'S HAVE A DREAM !"からインスパイアされたものなら広い定義で何でも良いんだけどね。

例えばミュージシャンなら平和について歌った曲のテープをバラバラに切り刻んでキャンバスに貼ったりとか、”夢をもとう”にちなんで、悩んだ時によく読んだ本をキャンバスに貼り付けたりすれば、ファンの若者はそれをまた読んで夢を目指したりするんじゃないかな?

ホント何だっていいの。下手に絵なんか描いてくれなくたってさ。でもそれを英語でマネージャーとかに理解してもらうのが大変!「何だか難しそうだからうちのアーティストには出来ない」と言って断られるパターンも多い。

だから、近頃また英語に悩んでる。言葉だけじゃなく、感覚の違いとか価値観の違いもそう。ネイティブに今更なれるわけじゃないけど、やっぱ思ったことくらいは伝えられる英語力を付けたいとヒシヒシ思います・・・

2002年09月16日(月)



 SUM 41

今日のトロントは27度。昨日までに比べて暑いです。オフィスでメールをチェックした後、画材屋で木枠とキャンバスを仕入れる。午後からイケコに来てもらってキャンバス貼りと地塗りをした。

スタッフのHaruちゃんが帰国の為、それまで彼女の仕事だったキャンバスの準備をこれからイケコに引き継いでもらう。彼女もアーティスト志望で、なかなか面白い作品を描いてるんだよね。これからが楽しみです。

Bit'sマガジンのジョヴァンニが来て、取材の打ち合わせ。その後一旦オフィスに戻ったら向かいにあるHMVに”SUM 41”(カナダのロックバンド)が来てて、ここぞとばかりに”Let’s〜”用の作品をその場で描いてもらった。ラッキー。いい奴らだ。


2002年09月14日(土)



 来年度予算

トロントのHere and Nowギャラリーから個展のオファーをもらってて、今日はその打ち合わせ。しかし、最近めっきりポートフォリオの更新ってしてなくて、あわてて朝8時からオフィスで写真をセレクトした。

ポートフォリオとは、いわゆる作品集の事で、これを見ながらどんな展覧会にするかを話し合うわけだ。ところで、俺は今までそのHere〜ギャラリーには足を踏み入れた事がなかった。自分の中では「盛り上がってないギャラリー・リスト」に名を連ねるからだ(笑)

最初にE−mailをもらって、シカトしてたら何度もくるので「これは本気だ」と、ある意味驚いてしまって思わず電話してしまったのだ。ディレクターのアリッサは20歳台で、College Barで俺の絵を知ったらしい。

思わず「このギャラリーって、以前から積極的にやってた?」と聞くと、リニューアルして、スタッフが総入れ替えになって3ヶ月だという。なるほど。箱は一緒でも中身が別物になったって事だね。

とにかくフレッシュで、やる気があるのは良いことだ!とりあえず今年は展示するつもりがない事を言って、来年以降で予定を見せてもらった。しかし、ここで重大なことに気が付いた。このギャラリーがある通りを、更に30m下がったところに来年初頭にやる「Jet Fuel」というカフェがあったのだ!となると同時期は無理だから夏か秋以降になりそう。

っていうか、そもそもまだやるって決めてないので、一応寸法とフロアプランを持ち帰り、また後日連絡することにした。

”Let’s〜”に集中してはいるが、時期的に来年、再来年の予定が立ってなければいけない時期だ。ここから頭の中はそれ一色になってしまった。来年をどうするか・・・・。

一部の芸術家に与えられる助成金の締め切りが、ほとんどの団体が11月を目処にしているので、この時期に企画概要と予算を提出しなければならない。しかも俺の場合はカナダ移民じゃないから、どこかカナダの団体やギャラリーに招聘されるという契約を結ばないといけないのだ。

HYPEとLET'S〜に追われて、その準備どころではなかったが、来年を考えると、それを言ってるどころじゃない。とにかく具体的な案と、場所と、見積もりを検討しないと間に合わない。

とりあえずWEBから4,5団体をチョイスして申請用紙をダウンロードした。どの団体も不景気からか、去年よりも助成額が低くなってる。文句は言ってられないけどね。それよりも英文を書くのは大の苦手なんで、それをどうするかの方が頭痛い・・・


2002年09月12日(木)



 LET'S HAVE A DREAM!

LET'S HAVE A DREAM !〜夢をもとう!

このイベントがスタートする切欠となったのは、今からちょうど一年前の今日だった。WTCに2機目が突入するのをCNNで目の当たりにした。巨大なビルがまるで砂の城のように崩れ落ちる光景に愕然とした。

それまで、まるで戦争などもう起こらない。とばかりに虚像の平和を貪っていた僕らの世代は、「まるで映画だ!」とTVを見ながら叫び、報復手段に打って出ようとしている大統領演説に、意味もわからずに手を叩いた。

世論は武装され、正義の名の下にみんな覆い隠された。でもさ・・・。僕らは言ってもいいんじゃないかな?戦争を知らない僕らだからこそ言える何かがあるんじゃない?

ずるいぜ、そんな。普段は世間に堂々とツバ吐いて、思ったことは堂々と主張するくせに、体制なんてクソだと言ってるくせに、自分が正しいと思うことは曲げないくせに、今度ばかりは右にならえか?本当の事を言えばいいじゃないか。「平和に暮らしたい」と!

ある宗教では「右の頬を打たれたら、左の頬を突き出せ」と教えられるらしい。ある宗教では「人を殺めてはいけない」らしい。間違ったことをしたら懺悔すれば許してもらえるらしい。大国に一矢報いたら、神から祝福があるらしい。勧誘するためだったら手段を選ばなくてもいい宗教もあるらしい。

日本人は無宗教だと言われる。信じるものがないのは可愛そうだとも言われる。自分自身が基準で、大きな支えなんか持ってないかもしれないけど、それでいいじゃないか。無宗教だからこそ俺は言いたい。争いを起こすのは皆宗教を持ってる人間達じゃないか!と。

知ってる限りだと、日本を除く他の国では、そういった「無宗教思想」を大声で謳った人物は殺されてしまう。危険だからだそうだ。それは宗教によって命を奪われたことを証明している。日本ではどうだ?大勢の人が特定の信仰を持たない国で「無宗教」を謳っても殺されはしないだろう。それが日本という国の特殊性だ。

だったら僕らが、日本の国民が、その「無宗教」を代表して世界へ向けて問いかける日が来てもいいんじゃないだろうか。

2002年09月11日(水)



 Fax登場

遂に念願のFAXを導入!(遅いっちゅーの!)。朝イチでまず電話会社へ行き、電話回線の増設を頼んだ。基本的には増設しなくても使えるのだが、FAX専用の電話番号をGet。

真新しいFAXにホオ擦りしながら、溜まっていた書類をガンガン流す。あぁ、コレだ。この快感を待っていたぜ。もちろん先方にも「返信はFAXかE-mailで」と言うことができる。

さて、これは内輪な話だが、ウチのチーフ・ディレクターであるTakaが一昨日事故にあった。当人は自転車で車と接触して、自転車は大破したらしいが怪我もなく無事らしい。

不幸中の幸いと言うべきだろうが、何らかの後遺症も考えられるので、ここは無理せずに体調管理に勤めてほしい。

"LET'S HAVE A DREAM"について最近問い合わせが増えてきてるんだけど、参加アーティストや概要の発表が大幅に遅れてしまって申し訳ない。特に日本側の参加アーティストとはギリギリまで出展交渉しなければならず、現時点で名前を出すのは危険と判断している。

ただし、概要等は来週の月曜からスタートする公式HPにて発表するつもりだ。

2002年09月09日(月)



 Fax

Faxが欲しい。以前人から借りてもっていたものの、返却してからその必要性を再認識してます。インターネット、E-mail全盛と言いながらも、公式なやり取りの場では未だにFaxの天下なのだ。

WindowsにもFax送信機能が付いていて、PCのデータをそのまま送信することも可能なんだけど、成功確立が少なすぎる!!2件送信して1件が失敗するんだぜ。もちろんカナダと日本とアメリカという3つの異なる通信網を渡るわけだから色々と不具合があるんだろうけど、これじゃあ使い物にならない。

諦めてついにFaxを買うことを決意した。とは言え、なるべく安く仕入れたいのが心情。日加タイムスなど新聞の「売ります」コーナーを見て電話すると、全て「もう売れてしまいました。」の返答。何だ!?この時代にFaxを欲してる人が俺以外にも大勢いるってのか!?

情報収集魔の俺は、早速身近な人々に”Fax"について意見を求めた。すると驚くべきことに、「性能いいから日本からワザワザ持って来たよ。」とか、「今ちょうど探してるところ」とか、「中古を売って、新しいのを買った」等、驚くべきFax需要を知ったのだ!

用途はそれぞれだが、日本の家族に国際電話するよりFax送った方が安いからとか、料理のレシピを友達に送るとか、会員になってるデパートの安売り情報を定期的に送ってもらってるとか、ちゃんと活用してるのだ!これは驚いた。ましてやホームオフィスやSOHOしてる人達でFaxを持ってないのは皆無らしい。

今更ながらFaxの必要性に気付いた俺は、彼らからすれば”常識外れ”なのだろう・・・。機能の面から言えば、断然日本のFaxは高性能で安い。しかもオシャレなデザインも結構出てる。こっちのFaxというと・・・・デザインの欠片もなく、実用性のみ!とにかく送れればいいのだ、という機種ばかり。

ネットで日本のFaxを調べたりしてると、だんだん日本のが欲しくなってきた。いかん、これじゃ買えなくなってしまう。

2002年09月07日(土)
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