-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 監督いる?

先日Sheridan Collegeに通うスタッフからHP用のインタビューを受けた。質問されたことよりも、終わった後の雑談のほうが良い話が出来た気がする・・・。

現在開催中のOne of a kind showに出展中のジュエリー・デザイナーのTracyから連絡があり、俺のデザインの指輪が3つほど売れたそうだ。嬉しいねぇ。ギャラ上げてくれるだろうか?

今回は時間がなくて覗きに行くことは出来なかったけど、まぁまぁな人出だそうだ。また今年のクリスマスには出展しようかな?と思案中。

昨日はまた頭の中でたくさん考えることがあった。それで気づいたのが、自分の中にある”監督”についてだ。野球などチームスポーツには必ず監督という存在がいるでしょ?オーケストラでも指揮者がいるように、どんな素晴らしい腕をもった選手がいても監督がダメだとチームとしては機能しないように、自分の中にも監督はいるんじゃないか?と。

例えば、上手い絵を描ける手があって、斬新な発想をする脳もあったとする。しかし、非常に怠け者で一年に一枚しか絵を描かないとしたら、非常に勿体無い。そいつに良い監督がいれば、強制的に毎日描かせたり、時にはおだてて才能を伸ばすように指導してくれるはずだ。

同じように、自分の”感情くん”は怒っていても、監督が「ここはグッと抑えろ」と言ってくれたり、嫌いなものを「体に良いから食べろ!」と強制してくれるのだ。

自分に良い監督がいれば、どんどん自分というチームは良くなっていき、逆にダメ監督をもつ人は、どんどん自分というチームが弱くなっていくものだ。

自分で決めたことは3日も続かないという人が、よく「人の命令だったり、仕事とかだったらやれるのに・・」というが、それはきっと怠け者の監督がいるせいだ。試しに頭の中でそれぞれの自分の”監督くん”を創造してその命令を実行してみるといい。時には自己判断して、悪い監督だったら更送して、新たにもっと怖い監督を連れてくればいい。

ちなみに今の俺の監督は長渕剛だったりする(笑)

2002年03月31日(日)



 ELENI MANDEL

Queenの”Rivoli"にてELENI MANDELのライブがあった。歩いて1分ということもあり覗きに行った。

彼女のライブは約一年ぶりに見る。そのうえNew CDの発売ライブだったので客は満員。なぜか嬉しくなる。前回は弾き語り形式だったけど、今回はドラムにウッドベース、ギターというバンド編成で、随分印象が変わった。

俺の大好きなトム・ウェイツのフォロワーと呼ばれている彼女。益々それに磨きが掛かったみたいだった。良いんだけど、でもネタがあんまりにもウェイツってバレバレなんで、そこがちょっとはまりきれない部分でもある。それっぽいから見にいってるくせに矛盾してるんだけどね・・・

前座のSilverheartsも、これまたウェイツのフォロワー。ボーカルのダミ声までコピーしてる。トム・ウェイツのコンサートは希少だから、手軽にウェイツの雰囲気に浸りたいのならOKなんだけどね。どうしたんだろ、最近。やたらコレ系が耳につくんだな。

そう考えると、やっぱオリジナルというか元祖は強いなぁ。絵でもそうだけどね。

2002年03月29日(金)



 記憶装置

昨日、全ての引越しが完了しました。途中からSくんとスタッフのTakaが手伝ってくれたので助かった。で、今日早速キャンバスを仕入れ、次の展覧会の準備に入りました。

とは言っても、室内はダンボールの山で、これが消えるには相当掛かりそうな雰囲気…。なにせ、引越しの作業がらみでPCは使えなかったし、イベントの庶務も停止状態だったんでペースを戻すのに必死なもんで、荷物の整理よりまずは実務といったところ。整理は後回し。

イベント”LET'S HAVE A DREAM"のHPを開設する準備も進行してて、担当のケンイチくんから昨日いくつかのサンプルを送ってもらった。メールのみのやり取りなので、なかなか意見が伝わらない。

頭の中から涌き出るイメージ通りに作るとしたら、日に日にアイデアが変わっていって、見通しが立たなくなるので、とりあえずは最小限のページを作るつもりなんだけどね。その原案すらも日々変わってしまう。

我ながら厄介な奴だと思う。頭の中のイメージを映し出すモニターが早く発明されないだろうか?もしくは、そのアイデアをストックできるようなフロッピー・ディスクが欲しいね。でもよく考えるとそれってパソコンの事かも?とも思えるんだけど、これを自由自在に使いこなせれば大分理想に近づくんだろうか?

答えはYesでもあり、Noでもある。結局頭に浮かんだものをめんどくさがらずにパソコンに記録させていく作業が出来なければダメだからね。浮かんだら浮かびっぱなしじゃなくて、机に向かい、イメージ通りに表現できるまで頑張る根気がなければダメなんだ。

そう考えると、紙とペンから始まって、現代のパソコンに至るまで人間の頭の中のイメージを記録する手段は延々と進化してるんだよな。要はそれを使いこなしてるかどうか?という違いで有効に使える人と、そうでない人に別れるわけだ。

で、俺は後者のほう。それだと、いくらハードが進化したって一緒なんだよな。それを記録させる作業がめんどくさい、ということだから。今まで一体幾つの素晴らしいアイデアとイメージが頭に浮かび、そして忘れ去られていったか…。

よくいるもんね、常にペンとノートを持ち歩いて、何かあればさっと書き留めてる人が。一日に3つアイデアが浮かんだとして、それを書き留めなかったとしたら、果たして1週間後に幾つ覚えてられるだろうか?せいぜい1個か2個だろうね。

もしそれを書き留められたら一年に換算すると、物凄いアイデアのストックが溜まることになるね。パソコンに座る時間が取れない、とか紙とペンがその場に無かったとかは言い訳だよなぁ。今日からなるべく実行してみよう。

2002年03月26日(火)



 ”まぁいいや”ということ

みんなが「まぁいいや」という言葉を使うのはどういう場面だろう?この言葉が最近嫌いでしょうがない。

聞いた話では、「痴漢にあったけど、ただお尻を触ってるだけだったから”まぁいいや”と思って放っておいた」とか、「敷金を返さないと大家に言われたけど、めんどくさいから”まぁいいや”と思ってそのままにした」とか、”まぁいいや”でかたずけてはいけない部分にまで使われてる気がする。

例えば、「ミソらーめんを頼んだら、チャーシューメンが出てきた。でもチャーシューも好きだし”まぁいいや”」というのなら分かるが、上記の2つの例は明らかに違う。

大げさに言えば、「裁判に掛けられて、罰金で済むはずなのに死刑と言われたけど”まぁいいや”と思ってそのままにした」のと一緒。そんなことは絶対に無いはずでしょ?でも使われ方からすれば一緒じゃない?

きっと自分にとって、どうでもいい事や無関心な事に関しては”まぁいいや”という言葉が便利なんだろうね。特に若い人と話していてこの言葉が出てくるとドキっとする事がよくある。自分の人生を左右するような大きな出来事や、場面でも平気で使ってしまうからだ。

”まぁいいや”と言う事によって、人との争いや、めんどくさい事柄から一時的に逃げることは出来るが、その先の人生は結局”まぁいいや”としか呼べない程度のものになるかもね。

”まぁいいや”そんな人達の事を心配しても余計なお世話と言われるだけだし(笑)


2002年03月22日(金)



 恩人

昨日レンタカーを借りて、自分一人で運べる荷物を運び込んだ。で、今日の昼にレンタカーの返却に行ったんだけど、そこで起きた出来事が頭から離れない。

俺の前にお客さんが一人いて、彼は車のキーをインロックしちゃったみたいでタクシーでこの営業所まで合鍵を取りに来ていた。店員はゴソゴソと合鍵を探すが結局見つからずに、「合鍵はありません。自分でどうにかしてください」と客に言った。

確かに鍵をロックしてしまったのは客のミスだが、合鍵を持っていないレンタカー会社もおかしいと思った。しかし、事件はそこから。店員が鍵のシリアルナンバーから合鍵を作ってくれる鍵屋に電話を掛けはじめた。しかし、どこへ掛けても出来ないと断られたり、転送&転送の挙句に切られたりしてるうちに明らかに不適当と思われる汚い言葉を使い出した。

電話を受ける方も、いきなり無理な注文をしてきておまけにスラングだらけの話を聞くわけがないから、適当に断る。そうすると店員がさらに逆上するという悪循環。諦めた店員は客に向かって「鍵をなくしたのは俺じゃない。お前のミスだ。自分でどうにかしろ!」とキレてしまったのだ。

ラチが開かないといった表情で客は店を出て行った。そして俺の番。「車を返却にきたんだけど。」と言うと。引き続きキレた口調で「車をチェックするから表へ行け」と言った。ちょっとカチンときたので、「怒ってるのは分かるけど、俺はさっきの客じゃない。」とやさしく言うと、「オーライ」とは言いながらも舌打ちをした。

車の外観にはまったく傷もなく、ガソリンも満タン。マイレージも制限以内であったからこれで終わりと思ったら、「後部座席にタバコの焦げあとがある」と言い出した。見ると確かに小さな焦げ跡があるが、後部座席には荷物は積んだが、誰も乗せていないので「それは俺じゃない」と答えたが、昨日車を借りる際に点検したときにサインした契約書を見ると、座席に損傷がない、という欄がちゃんとあってそれをしらずにサインしていたのだ。

点検したときにいた店員は、座席のチェックまでしていないはずなんだけど、「それを怠ったのは君の責任だ。現にちゃんとサインしてるじゃないか」とそいつは言ってきた。そこから少し言い合いみたいになって、ついにそいつが言ってはいけない言葉を言った。

「英語もろくに出来ないで、偉そうにするんじゃねぇ、ジャップ」ジャップというのはJapanese。つまり日本人を馬鹿にするスラングだ。聞こえない程度に言ったのかもしれないけど、俺はその一言で「もういい。あなたとは話したくないから他の誰かと変わってくれ」と怒りを抑えて冷静に言った。しかし他の店員はおらず、仕方なくまたそいつと話した。

「タバコの焦げ跡の話をするにも、あんたのその口調ではまともな話が出来ない。でも俺は時間がないし、これ以上あんたと話したくないから、代金を支払うよ・・・」と言いかけた時に、別の客が横から話しに入ってきた。彼はインドからの移民でタクシードライバーだと言った。彼もこの国に来た当時は、英語がほとんど話せないために色々と辛い思いをした、でも明らかに今のは店員の態度に問題がある。と言ってくれたのだ。

年齢は50くらいだろうか。俺と店員よりも遥かに冷静に話を分析し、店員の態度を少しやわらかくさせた。そこから彼の移民当時の苦労話がはじまり、「そりゃ大変だったな」と、店員が相槌をはさむまでになった。俺と店員はそのインド人の話に引き込まれ、気づいた時にはタバコの話など二人とも忘れていた。

そして最後に「小さなタバコの焦げ跡ひとつで、あんたの首が飛ぶのかい?イラついてる憂さ晴らしにしちゃぁ、ちょっとエゲツナイ仕打ちだと思うぞ」と店員に諭してくれた。するとさっきまで頑なな態度を取っていたはずに店員は「OK きっと以前に付いていた焦げ跡に誰も気づかないでいたのかもしれないな」と急にイイ奴に変貌。結局三人で握手をして水に流すことになった。

俺はこのインド人ドライバーのことは一生忘れないだろう。ムカついた店員の顔はもう忘れたが、この恩人の顔が頭から離れないのだ。俺もいつかそういう人になれるだろうか?


2002年03月20日(水)



 捨てるもの。捨てないもの。

新居・・・というか新事務所の鍵を今日受け取った。さっそく掃除をしに出掛けたんだけど、めちゃめちゃ汚い。一階が飲食店ということもあり、ねずみやゴキブリも出そう・・・。

カナダは寒いんで、基本的にゴキブリとかあんまりいないんだけど、やっぱり食料を扱ってるビルには出るらしいね。部屋の隙間という隙間を塞いで防御してみたんだけど、無駄だろうな。

一方、引越しの箱詰めが全く進んでいない旧家で荷物の整理をはじめた。簡単に捨てれるものは結構あるんだけど、やっぱり捨てられないものも多い。思い切って全部捨てよう!・・・と思ったが、やめて全部取っておくことにした。

かたずけ上手は捨て上手とも言うが、俺の場合全く反対にしてみたくなった。確かに捨ててしまえばすっきりするし、気持ちの整理もつくんだけど。でも何故捨てるのをやめたかと言うと、例えば数年ぶりに帰った実家で、捨てたと思ってたものがそのまま残ってたりすると妙に嬉しかったり、懐かしかったりするでしょ?ある意味で自分の記録でもあるわけだから。

それと同じで、もし俺があした死んでしまったとして、それ以前のものが綺麗に捨ててあったとしたら、俺の過去を辿る手がかりが全く無いということにもなる。まして俺だけの物じゃなく、嫁さんの物もあったりするから、余計に捨てるのをためらってしまう。

それなら無理せずに全部取っておこうと思ったわけだ。捨てる事に頭を悩ますよりは、多少荷物が多くなった方が楽ではある。いつかは捨てるかもしれないけど、それはその時に判断すればいい。ただ、今は取っておこうと思うのだ。

2002年03月18日(月)



 追加決定

昨日訪問したBeachesのBeaches CafeのオーナーPeterから連絡があり、今日の午後に会ってきた。このレストランはBeaches地区で一番の立地条件と、ガラス張りの大きなテラスが特徴だ。今日は土曜のブランチ・タイムに行ったので、大勢のハイソな客人達で賑わっていた。

早速Peterと交渉。さすが人気店だけあって、俺の他にも展示希望者が10名ほどいて、早くても来年の5月ということに。まぁキャンセルが出れば繰り上がるんだけど、文句は言わずに契約。で、店内の寸法を測っていると一人の日本人女性が声を掛けてきた。

彼女はPeterの奥さんで日本人のMさん。ウェイトレスとして店を手伝っていた。で、彼女がお勧めの店が近くにあるというので紹介してもらった。そこはイタリア・レストランで”Peppino's"というこじんまりした小さなビストロ。

開店準備中に突然訪問したので、ちょっと当惑されたけど、オーナーのJosephと話すことが出来た。しかし、店内を見回すと壁にはいわゆる複製画のThomas Macknightが数点掛けてあり、他の絵を展示するスペースは無かったんで、もしかして場違いな所へ来ちゃった?と思い、「絵を展示したいんだけど・・・」と聞いてみた。昔は若い画家に絵を飾らせていたらしいのだが、あまり良い画家がいないんで最近は飾らせていないそうだ。

で、せっかくだから作品だけでも見てもらう事にした。内心ここはダメでもしょうがないな。と思って。そしたら意外に気に入ってくれて、スペースは狭いけど展示しても良いということになった!ただ、俺も他の複製画と一緒に飾られるのはイヤなので、それらを外してくれることを条件にOKした。

期間は5週間。俺の作品が出来次第にすぐに展示するというので、とりあえず4月中旬にブックしてもらった。ははは、めちゃめちゃ忙しいじゃないか!作品が売れる、売れないは後から付いてくる事だ。まずは人目にさらし続けることが大事だからね。

2002年03月16日(土)



 ツイてる日

久々に朝から営業活動。現在Casa Cafeで行われている"My Favorite Oasis In Toronto"の次の開催地を探しに、東のBeachesと呼ばれる地域に行った。

昨日ポートフォリオを新しく作り直して、5ページくらいの作品ファイルを配布用に用意しておいた。まずBeachesのギャラリーも覗いておこうと思って、とりあえず入った一軒目で店のオーナーと話しているうちに何故か作品を売りこんでいる自分に気付いた。特に売り込もうとした訳じゃないのに具体的に仕入れ値が何%で、コミッションが何%とかいう話しになっていた(笑)とりあえず今回は顔見せということで、後日ここの仕入れ担当者も含めて話しをすることになった。棚からボタ餅。

2〜3件のカフェにポートフォリオを預け、後日マネージャーに連絡を取る事にしたが、どこもウェイティング・リストがあって数ヶ月先まで埋まっている。今日廻ったのは既に壁面を貸しギャラリー状態にしている所ばかりだったのでしょうがない。その中でもRemarkable BeansとBeacher Cafeは良い感じ。

場所を変えてリトル・イタリーまで足を伸ばした。前から気になっていたCollege Street Barへ直行。幸いマネージャーがいたので直接話せた。普通アポ無しで行くと、担当者が居ないか、居ても迷惑そうな顔をされるのが普通だが、ここのPaul氏は非常にフレンドリー。作品も一発で気に入ってくれて、その場で日程を決めてくれた。ここもウェイティング・リストがあったのだが、特別に真夏の最も美味しい時期である7月3日から6週間という、通常の倍の期間を設けてくれた!そして、彼個人のコレクションに俺の作品を加えたいということで、何点か買ってくれることになり、後日Casa CafeとBrown Stoneに案内することになった。何て良い奴!

店内はちょうど良い暗さと、大きなバー・カウンターがある非常にセンスの良い店だ。作品数にすると12〜15枚くらい制作することになりそうで、早速頭が痛い。

こういうラッキーな日は、とことん攻めるに限るという事で、今度はキャベッジ・タウンという映画関係者が多く住む地域のカフェに行った。用意していたポートフォリオが最後の一冊になったので、一軒だけの狙い撃ち。さんざん迷った挙句、フレンチ風カフェのJetFuel Coffeeへ。カウンターでカプチーノをオーダーしつつ、お姉さんに話しを振ってみた。店内には写真家の作品が飾ってあったので、ペインティングは飾らないの?と聞くと、店には専属のキュレーターがいて彼がセレクトした作家のみを扱っていると言われた。

こういう場合は、連絡を取ったりが非常に面倒で、返事も無い事が多いので止めようか?と思ったが、ダメもとで彼女に作品を見せた。「WOW!」と叫ぶように俺の作品を取り上げ、「裏庭に行きましょう!」と言いながら俺を裏口へ連れていった。そしたら驚くべきことにそこにはトロントで有名な某キュレーターが秘密のアジトよろしく座ってタバコをふかしているではないか!

彼女が早口で俺のことを紹介してくれ、彼も話しに頷いている。「タバコは吸うか?」と聞かれたので、迷わず”Yes"と答えると一本くれた。それを吸いながら色んな質問をされたのだが、廻りの雰囲気が異様で何を答えたかはっきりと覚えていない(笑)何だかシシリー島のマフィアのアジトで接待されているような気分になった。

一時間ほど居ただろうか、これ以上ここに居たら明日の朝まで捕獲される気がしたので、展覧会の事を切り出す。やはり一年後までのリストがあって、早くて来年の2月だという。でも急にキャンセルする作家もいるので、空き次第では今年の夏くらいにチャンスはありそうだ、という。「とりあえず暇があったら、カフェに顔を出せよ」とデ・ニーロ風にささやくので、OKと言い残し足早に店を出るチキンな俺。

と言う事で、7月にCollegeでの展示が正式決定の他、数ヶ所が交渉次第ということになりました。一日でここまで決まるとは思わなかったけど、こういうツキを逃すとまた時間が掛かるので、数日中に決めたいと思います。

2002年03月15日(金)



 Hype Tokyo

2/ARTIC主催の展覧会としては、秋のビッグ・イベント”LET'S HAVE A DREAM !"があるが、それに先立って7月に第一弾興行として”Hype Tokyo"という展覧会を企画している。

今回、俺はアーティストとしてよりもキュレーターとして、このイベントを作っている。キュレーターとは展覧会の仕掛け人みたいなもので、イベントのコンセプトを作り、それに沿って作家集めから選考まで行う。そして開催までの資金集めやギャラリーとの打ち合わせも含めて、全体をオーガナイズするのだ。

今日は開催地であるAcadia Galleryで打ち合わせ。約2週間の会期の費用や、会場のセッティング予想までを話し合った。この”Hype Tokyo"というキーワードを元に作家を選定するのだが、今年一月に日本へ行った際にPickした作家数人を招聘したいとも考えている。もちろん滞在費までは出せないので、来れる作家のみという形になると思うけど。

それと地元トロントの若手画家の中からセレクトして、比率でいうと日本人半分、カナダ人半分くらいにしたい。こちらカナダでも日本のサブ・カルチャーを元にしたアニメや漫画が人気になっているが、その流れがアートにも及んでいるのが現状の面白いところ。

カナダ生まれの外国人の中にも、それに敏感に反応して面白い作品を作る作家が増えてきた。それらをMixして”Tokyo"というキーワードのもとで展示してしまおう、というものだ。

時間がないので、続きはまた明日。

2002年03月14日(木)



 ”Yes"って言うのはそんなに難しいのか?

ご無沙汰でした。慌しかった先週末と比べ、少し落ち着いた数日でした。その間、日本から帰国してきた友達が、次の部屋が決まるまで居候してるので、部屋探しを手伝ったりした。

本当にトロントの家賃の高騰には頭が痛い。ダウンタウン圏内で1BD(1LDKくらい)を借りるのに$1000は下らないんだよね。友達の中には次の家賃から$50も値上げされる所もあるし。

俺の今住んでいるアパートも、契約した2年前と今では$100も高くなってる。そんな訳なので、一日5〜6件見ても、値段に見合わない物件ばかりだった。完全な貸し手市場。

さて、話は変わって、先日取材したオノ・ヨーコさんの記事が地元新聞に掲載されました。随分と大きく扱ってくれたので、周りからの反響も大きかった。この記事では会見のほんの一部を抜粋して、一般の人にも分かりやすく解説を付けたりしたんだけど、近いうちに会見の全部をHPにアップしたいと思ってますので楽しみにしてください。

そして、そのヨーコさんと共にトロントに来ていた、キュレーターのH氏から昨日FAXが届いた。とりあえずトロントの事とかに触れつつ、核心の”LET'S HAVE A DREAM"について少し気になる言い回し。現時点でヨーコさん側から、名前のパーミッションは取れておらず、宣伝に写真や名称を使用することはStopされているが、ここを粘り強く交渉しているところだ。

今月中に新たなイベントのパッケージが仕上がる予定なので、何よりそれを見て判断してもらいたいところ。彼女の展覧会名”Yes, Yoko Ono"の”Yes"とは何なのか?をH氏に問いたい。世の中、行く先々で”NO"という言葉を耳にする。とりあえず判断出来ないような場合でも、とりあえず”NO"と言っておくのが安全だからだ。

そんな否定的な言葉が充満する現代で、彼女が何故”Yes"というタイトルを付けたのか?そこを考えてもらいたい。・・・ここで誰に愚痴ってもしょうがないんだけど(笑)たまには大声で”Yes!"と言われてみたいよ。それはこのイベントに限らずね。実生活でもそう。


2002年03月13日(水)



 ギリギリ完成!

只今3月7日午前3時。ついに全ての絵が完成しました!カンヴァス作品は6枚。ドローイングは12枚で、これのデジタル加工はスタッフが4日間通い詰で仕上げてくれた。そして何とか期日に間に合った。

これだけの量を一気に制作するのは初めてだったかもしれない。また当分筆を持たなそう(笑)去年の日記を読み返してみたら、ちょうどこの3月は国で最大のクラフトショウであるOne Of A Kind Showに出展するために、ほとんど寝ないで制作していた頃だ。

なんの因縁か、3月になると怒涛の制作ラッシュが来るみたい。そういえばこのHPと日記も一周年になるんだなぁ。One Of〜開幕に合わせて急遽立ち上げたから。日記に関しては、正直こんなに続くとは思ってなかった。だって今まで日記なんてものは書いたことが無かったからさ。

プライベートを除外して、ほとんどアートに関する事ばかり綴ってきたのが良かったのか?いやいや、私生活がそのまま絵に反映されるんだから本当は書かなきゃいけないんだけどね。まだそこまでさらけ出せないな。うん、当分このまま行きます。俺には絵を描いていくしか脳がないから・・・

2002年03月06日(水)



 やり直しを命ずる

4枚目のカンヴァスが仕上がり、最後のサインを記入したあとで考え込んでしまった。その作品が特別に悪かったというより逆で、予想以上の出来になってしまったからだ。これはもちろん良い意味で。

他の3枚と比べるとどうしてもこの新作が引き立ってしまう。こういうことはよくある。頭で思い描いていたものよりも、予想していない変化が起きて素晴らしい出来になってしまうこと。これは喜ばしい事だが、ある意味でひとつの選択を強いられることでもある。

結局仕上がっていたはずの3枚を書き直すことにした。ショウのオープンまであと2日。はっきり言って馬鹿だ。このままのペースで行けば、期日に間に合うというのに、どうしてもそれが出来なかった。

人に命じられて描き直すのは仕方ないが、自分で自分に命じることはなかなか大変なこと。それで良しとすれば、それで決定だからだ。それが甘えと言うなら甘えだろうし、特権といえば特権だろう。

個展は、見に来たお客さんが全部の作品を見て俺という画家を判断する。作風がバラバラであっては、俺のイメージもバラバラということになるから、やっぱり共通の作風で望むべきだ。

それまでの3枚も、もちろん納得して描いてきたが、この4枚目というのが新しい扉のような気がして、急に過去の3枚が古く感じられてしまった。これは事実だからしょうがない。



2002年03月04日(月)



 引越し

久々で徹夜に突入中。その甲斐あって残り3枚のカンヴァスのみとなりました!やっと筆が乗ってきた感じで、最初に仕上げた作品の手直しもしたりしました。

7日の午後3時がギリギリのリミットだとすると、およそ一日一枚の計算。これならイケルと思いきや、DMやプライスリストの作成、ラベル作りが残ってる。結構ヤバイ。

今月半ばに引越しする事になりました。今住んでいるのは、いわゆるマンションで、湖に近いし眺めも最高なんだけど、事務所としてスタッフの交通の便や、外部との打ち合わせにはちょっと便が悪いんだ。

2/ARTICの会社登記を目標に、思い切って絵の制作と2/ARTICの事務所としてQueen Stにあるスシ屋の2Fの物件を契約した。ここよりは相当ボロくて汚いんだけど事務所としての立地条件は最高。いい生活なんてする余裕ないし・・・。

知り合いの持ち物件なので、面倒な1年契約とかないし、レントが破格なのが決め手だった。ひとつ面倒なのが、郵便の転送手続きだ。様々な書類が現住所に届くのでこれだけはやらなきゃいけない。でも、カナダの場合転送費用が掛かるんだよね。半年で$60くらい。日本だとタダじゃなかったっけ?

当然、荷造りは全く出来てないので、個展のスタート後に頑張ります。

明日は親父の四十九日。早いものです・・・

2002年03月03日(日)



 個展の日程が決まりました。

もう3月ですか・・・。早いねぇ、ホントに早い。3月の個展の会場であるCasa Cafeに顔を出して、正式な日取りを決めることにした。その結果3月7日に搬入で8日からスタートという、とんでもなく繰り上げされた日程に決まってしまった!

俺の考えでは、15日くらいの予定でいたのだが、Casaに現在展示しているアーティストを少し早めに打ち切りたいということで、どうしても繰り上げてくれと言われたので、渋々OKした。

予定を一週間も繰り上げるというのは、現在の進行具合からいって無謀。でも、追い込まれないとやらない俺の性格から言えば丁度良いのかもしんない。

ってことで、本日から怒涛の追い込みに突入しました。その甲斐あってドローイング作品が12点全て完成!!あとはスタッフにデジタル処理をしてもらうだけになった。

明日からはペインティング作品に取り組む。5枚を同時進行しているけど、一日一枚を仕上げなければいけない計算だ。頑張ろう。

2002年03月01日(金)
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