-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 会社という箱

ディレクターのアキコさんとミーティング。”Let's Have〜”についてや、2/ARTICという組織について色々と考えていることを話した。まだ俺は人の上に立てる器じゃないと思うし、明確な方程式がない。だから手探りで、あっちこっちに手を伸ばしているが、これがスタッフを混乱させる。

とりあえず会社という箱を作ってしまうのか、それとも自分の限界に達して箱が必要になってから会社という箱をつくるのか?俺はいまその中間にいる気がする。

もともと2/ARTICという組織はイベント”Let's Have〜”のために立ち上げたものだ。イベントを成功させるためには個人事業では収まりきらなかったからだ。ビジネスという側面から見た場合、相手の会社と交渉する時に、どうしても個人だと立場が弱くなってしまう。事実、一人のアーティストとしてある会社に電話を掛けた時と、2/ARTICという会社の人間として電話した場合の対応には雲での差があった。

そういう意味で、会社という肩書きが有効というだけで、俺個人のアート活動に会社が必要というのではない。ところが一旦名前が出来てしまうと便利なもので、自分の絵のプロモーションや収益に関しても全て会社の収支に計上してしまうようになった。スタッフは”Let's Have〜”というイベントのためのボランティアが中心となっているのに、いつしか営利を生むtomolennonという分野にも協力せざるを得ない状況になっていた。

これでは完全に従業員として給料を支払うべき部分だ。当初の俺の線引きが曖昧だったので、ここまで好意に甘える形になってしまったが、もう一度本質を見つめ直し、自分にはどんな力があってどんな力が足りないのかを確かめてみたい。


2002年02月27日(水)



 制作再開

つかの間の休息を取る暇もなく、3月の個展へ向けて再び絵の制作に入る。一枚はほぼ完成だが、残る15枚は横一線(笑)下書きからラインを入れただけのものがズラっと並んでいて、プレッシャーを掛けてくる。

描く時期によって微妙に画風が変わってくるが、今回の変わり様は結構大きいかもしんない。HPのギャラリー・ページを見ると、まだ今年に入ってからの作品は出ていないので、その変化の大きさに皆びっくりすると思う(?)

変化の原因のひとつは、パステル画ではなく、アクリル画ということ。この先もメインはパステルでやっていくと思うが、他の画材にも色々挑戦してみたいんで、今回はアクリルに拘ってみたいと思う。またいずれパステルに戻った時に、良いフィードバックがあればいいと思うんで。

それとドローイングっていう、ペンとインクだけで描いたもの。これらはほとんどスケッチ・ブックに書き留めるアイデアをそのまま作品にしたようなもの。意外と完成品よりも、スケッチ段階の方が豊かな表情をした絵が良い場合があって、いつかそのまま出したいと思っていたんだ。でもこのドローイングってシンプルなだけに、そのライン(線)には相当気を使う。ピカソとか、シーレとかのドローイングを見ると、絵自体よりもその線の力に圧倒されるもんね。あ、ジョン・レノンの線も凄く魅力的だ。俺もはやくそんな線を描きたい。

昨日、画材店に寄ったときに偶然スタッフのハルちゃんに遭遇。彼女にフレームのバックグラウンドをオーダーするように頼んでいたので、せっかくだからこの場でやってしまった。でも、カナダ人って本当にいい加減で、ここの店員も適当な測量でボードを切るもんだから、大きさがバラバラに切れてしまった。そこは厳しくもう一度やり直してもらった。普段は適当な俺でも、こういう部分に関しては嫌な奴になれる(笑)


2002年02月24日(日)



 See you again at New York!

昨晩ヨーコさんたち一行はホテルに戻らず、結局手紙を今日のレクチャーに持参することにした。うちのスタッフのMickeyは朝10時から会場で張り込んでいる(開場は午後2時なのに!)

俺も午後1時には到着し、ヨーコさんのキュレーターであるMr. H氏に会う事が出来た。これは実質的な初対面。NY滞在中は彼は多忙で会う事が出来なかったからで、その後FAXや電話で幾度となく交渉を続けてきた人物だ。

その電話のときは色々と厳しいことを言われ、どんな厳つい男なのだろう?と思っていたが、実際に会うと初老の紳士だった。昨晩彼に渡すために”Let's Have A Dream"のステイトメントを改めて書き直したので、これを手渡す。同じくヨーコさん宛ての手紙も渡してもらうことにした。

会場は300人程の聴衆が詰め掛け、超満員。その中にカナダのSLOANというバンドのギタリストであるJay氏がいたので、ちょっと挨拶。実は秋に開催する”Let's Have A Dream"展にてSLOANにも参加してもらおうと思っているからだ。このバンドのドラマーもアーティストとして個展を開いたりしてるので、どのような形になるか分からないけど、とりあえず呼びかけている。

ヨーコさんがステージに登場すると、会場からは凄いどよめき。昨日は疲れている様子だったが、今日のヨーコさんは気合が入っていた。BAG Pieceなどの実演を含めて2時間ほど熱のこもったパフォーマンス。観客には”9.11 2001"と刻印された青空のパズルピースが配られる。

”トロントの町並みを見たときに、あぁ、トロントはちゃんと生きてるな、と感じました”とヨーコは感慨深げに言いました。去年の悲劇を乗り越え、それでも逞しく生きているというのを確認しながら、ヨーコさんは人類は分かち合い、共に生きているということを訴えました。

終演後、ステージ上でスタッフのC氏から呼び止められ、ヨーコさんが俺の手紙を読んだことを聞いた。しかし、ヨーコさんはこのまま空港へ向かい、NYへ帰らなければいけないので、申し訳ないがまた機会を改めて話をしようと言われた。これは予想していたこと。残念だがしょうがない。

せめてもの救いは、ヨーコさんがC氏を介してコンタクトを取ってくれたこと。C氏との別れ際「じゃあ、次はNYで会おう!」と言われ、何とも言えない良い気分になった。

今回のヨーコさんのトロント訪問に際し、沢山の人の協力を受けました。それと同じくらいの妨害もされましたけど(笑)協力してくださった関係者各位には本当に感謝しています。スタッフのMickeyをはじめ、ホテルのベル・ボーイまで感謝の気持ちを秋のイベントで返したいと思います。

そして、妨害してくださった営利目的業界の皆さんには、今後何十年とかけてもしっぺ返し致しますのでよろしく。

2002年02月23日(土)



 オノ・ヨーコ登場!

朝10時。ヨーコさんの記者会見が行われるAGOに到着。ロビーには多数のメディア関係者がごった返している。受付にて厳重なID確認が行われ、数分後にやっとPassをもらった。それからボディーチェックと荷物検査。はっきり言って空港のセキュリティーより厳しかったかも(笑)

一昨日の日記で「取材許可が降りた!」と書いたけど、実は昨日になってAGO側から俺に関する資料を要求されたんだ。俺が本当にアーティストとして実績があるのか、とかヨーコさんとの関係などをまとめてその日中に提出しなければ、許可を取り下げると言われた!これには頭にきたけど、従わざるを得ない。

至急、資料を作成してFAXじゃなく直接AGOに持っていった。その人に言いたいこともあったしね。ちょっと怒りモード。で、昨日の夜8時過ぎに彼女から電話があって、ようやく正式な許可を得たという経緯があった。

それにしても、こういったメディア向けの記者会見は初めて。会場に入ると100数十人くらい記者団が陣取っていた。その中で見慣れた顔を発見。そう、ヨーコさんのアシスタントで、去年New Yorkでお世話になったC氏がいたのだ!挨拶すると向こうもビックリしてた。

「トモレノン、何で記者じゃないのにここに居るの?」と突っ込まれたが、なんと最前列のヨーコさんの目の前に座らせてくれた!!!Thank You!

AGOの館長やジャパン・ソサエティN.Yのモンローさんのスピーチが終わり、いよいよヨーコさんが登場。物凄いオーラか、と思えば、まるで空気のようにふわっと現れた。会場は物凄いどよめき。しかし、その瞳の輝きは強烈で、何度か目が合ったがけど動けなかった。

そして喋り出すと、ひたすらキュート。記者団もすっかり彼女の話術に引き込まれている様子。トロントの想い出や、ジョンの事にも触れ、約1時間ほど質問を受け付ける。そして一足先に会場を後にした。

会見後にモンローさんと初対面。電話やFAXのやりとりはあったが、やはり直に話すと良い感触だった。明日のレクチャーにも出席するとのことだったので、また明日に時間を取ってもらうことにした。

C氏にも打診したのだが、やはりヨーコさんのスケジュールは厳しい。まして69歳という年齢もあり、夜は早く寝るという。しかし、滞在しているホテルを教えてくれたので、今晩にでも足を運んでみるつもり。

今日の感想。”ヨーコさん、やっぱり運命かもしんない”

2002年02月22日(金)



 YOKOさんの取材許可が降りた!

オノ・ヨーコさんに対する取材許可が降りました。今月の23日から始まる”Yes, YOKO ONO"展に際しての取材ということで、質問内容は限られるけど、直接対峙する絶好のチャンス。

開催会場であるAGO(アート・ギャラリー・オンタリオ)の担当者との数回に及ぶ交渉の末に、やっと許可が出たのです。ちなみに、日本人としては唯一の取材許可らしい!

開催地トロントのいわば有名メディアにだけ取材許可が与えられ、日系新聞を始めとする大部分には完全シャット・アウトだったのです。New YorkのジャパンソサエティーやYOKOさんの事務所にも直接問い合わせてたんだけど、最終的にはAGOが持っている「プレス・リスト」という名簿に載っていないメディアは取材不可能ということでした。

その会見まであと数日と迫った今日、改めてAGOのMs.Pに電話。自分はどういう人間なのか、なぜ取材が必要なのかを訴えた。そして、今までNO!と言って動かなかった岩が動いたからビックリ。特別といいながらも、実質のOKサイン。

プレス・コンファレンスが22日。YOKOさん本人のレクチャーが23日と、数回の接点が生まれることになる。過密スケジュールのため大きな期待はできないが、トロントで何かが起こる可能性も否定できない。

去年から思い返すと、長い道のりだったけど、確実にYOKOさんとの接点が強くなっているんだよね。これは努力だけではないし、運だけでもない気がする。

2002年02月19日(火)



 Propeller終了

Propeller Galleryでのバレンタインショーが終了しました。今日作品を撤去してきたところです。あんまり売上自体は良くなかったね。俺的には他のアーティストの作品とかで「欲しいな」と思うものはあった。

友達を連れて行った時に、「何でこれがこんなに高い値段付いてるの?」と聞かれるような作品が多かったけど、難解か否かではなく作品自体の魅力が無いということなのかもしれない。

誰もが見て「かわいい」とか「素敵」と思えるようなものは確かに少ない。でもそこに購買欲をそそられる”何か”があれば決して売れないことはないとも思う。それを欲してない人なら普通のお店に行けば幾らでも「かわいい」ものや「素敵」なものは手に入るしね。

でも普通の店に置かれないものだからこそギャラリーで売ってるとも言えるわけで、これは提供する側ではなく、購入する側の意向次第。ギャラリーだって商売だから売れた方がいいに決まってる。でも、作家を育てるということは売上と反比例することも多い。売れないからと言って、作家に大衆性を強要することは出来ないし、未来の芸術を潰してしまう恐れもある。

だからギャラリーの仕事とすれば、ひたすら”プロモーション”しかないのだ。唯一にして最大の仕事。それが出来ないギャラリーが多いのも真実。作家にとって知られない事ほど凹むことはない。

個展をやっているのに誰も知らないとか、展覧会情報誌に告知も載らないとかね。人の目に触れることによって初めてその作家が存在することになるから、知られてなければ存在しないに等しい。知られてから作品を「好き」だ「嫌い」だと言って貰うのは結構。

まずは知ってもらうことでスタートラインに立てるのだ。これはギャラリーだけの問題ではなく、アーティスト側ももっと考えるべき点だと思う。


2002年02月16日(土)



 村上隆に会う

今や日本を代表する現代美術アーティストである村上隆が、トロントにて講演会を開くというので、急遽インタビューを申し込んだ。「スーパーフラット」論を掲げ、こちら海外での評価も素晴らしく高いアーティストだ。

日本では奈良美智と並ぶ、現代の2大巨匠っぽくもあるね。アニメやオタクから派生した彼のアートは日本のあらゆるメディアに登場しているので、恐らく名前は知らないけど、作品は知っているという人が多いだろう。

開催日2日前ということで、関係各所に連絡を取るがスケジュールが一杯とのことだった。村上氏は、レクチャー後に直ぐトロントを発つ予定なので仕方が無い。開催地であるPower Plantのディレクターからも正式に「不可能」との返事をもらったので、「これは無理かな〜」と、ちょっと諦めモード。

当日になって、急遽とりあえず、レクチャー後に質疑応答が出来るコンファレンスへの出席が出来ると言われたので、会場へは向かうことにした。

多少早く着いたのでオフィスへ向かい、交渉に当たったK氏に挨拶。改めてバックステージでの時間を割いてもらえないか?と聞くが、答えは「NO」。諦めて開場待ちをしていると、評論家のキャサリンに偶然会った。彼女はレクチャー後に村上隆を囲む小さなパーティに呼ばれているらしく、それに俺も一緒に連れて行ってもらう約束をした。ラッキー。やっぱり人のコネは使うべきだと(笑)

レクチャーが始まり、うちのディレクターのアキコさんと出席。内容は村上氏みずからが編集したドキュメント映像を中心に、制作現場の様子や展覧会開場の様子を映したもの。村上氏が登場して、かなりの割合で英語でスピーチしてたが、あまり「スーパーフラット論」に触れる内容が少なく、多少物足りなさが残った。

レクチャー終了後にキャサリンを見失ってしまい、多少あせる。しょうがないので、直接村上氏のところへ行った。本人は風邪で体調を崩しているらしく、疲れた表情で、「パーティはキャンセルで、内輪だけの食事会になったんだよ」と言う。そんな場所に無理やり入ってインタビューするのも失礼なので、彼のマネージャーに後日インタビューの許可をもらった。

彼に聞きたいことは山ほどあるが、特に一般層への現代アートの落とし込みの戦略について興味がある。後日インタビューができたら、こっちの新聞紙上で発表しますけど、このHPでも報告しますので、楽しみにしててください。

2002年02月14日(木)



 TAX MAN

こちらカナダでは、そろそろ税金の申告の時期です。日本のように会社が全てやってくれるのと違って、こちらでは自分で申告書を書いて申請します。パソコンで自動計算出来るようなソフトも販売されてますが、まだまだ税理士事務所や申請代書屋へ行く人が多いです。

明日俺も税理士事務所へ行ってきます。1年分の束になったレシートを持って(笑)今はそのレシートの仕分け作業でパニックになってます。日頃からやっておけば慌てないのにね。

午後からオフィスにスタッフのYumiさんとハルちゃんが来て作業をした。特にドローイングの作品を一度PCに取り込み、加工する方法を試行錯誤してたので、また一歩前進。

今月ももう半ば。3月にやる個展のための作品はまだ一点も仕上がっていない。今はキャンバスの作品を4点同時進行中。もう2枚のキャンバス作品と、ドローイングが10枚残ってる・・・。かなりペースは上がってるんだけど、それでも追いつかないねぇ。

2002年02月12日(火)



 Rufus Wainwright

昨日10日はRufus Wainwrightのコンサートへ行きました。トロント大学内の会場ってことで、いつもとは違う雰囲気。前回のトロント公演では会場にゲイやレズの子達が大挙して押し寄せてたんだけど、今回は何故かハイソなおじ様、おば様が多かった。やっぱりRufusもメジャーになってきたのかね?

会場にはSLOANのJayもプライベートで来てた。俺は席は違ったんだけどRufusファン・サイトを運営(?)してるPINOさんと会場へ。

席は全部着席だったので、持っていったMDで隠し録りするには完璧だった。選曲はセカンドの「POSES」中心でありながら、1Stの曲や映画のサントラに起用された曲など、かなりバラエティに富んだもの。

特に「I am Sam」のサントラに使われている”Across the univers"(Beatlesのカバー)のパフォーマンスは最高だった。Rufusは2回のアンコールまで出ずっぱりで、よく頑張りました。が、音響に関してはちょっと不満が残った。

俺も元コンサートのPAをやっていたので、音をいじりたくてしょうがなかった。まずボーカルの低音は良く出ているのに、高音と肝心の音量が全然足りなかった。あとドラムの低音が教会のようなホールの造りに飲まれていて、もっと硬質にすべきだった。だから、まるでCDを聞いているようなバランス。ハイソなおば様にはちょうど心地よい音量かもしれないが、やっぱり生ならば音に全身包まれたいものだ。

そして、次の日。
昨日はRufusで久々に時間を忘れることが出来たのだが、俺にはそんな余裕など本来ないのだ。昼からずーっと夜の11時まで、ブッ通しで絵の制作に励んだ。今はキャンバス4枚を同時進行。絵の具が乾くまでに、次へ次へとキャンバスを変えながら制作。

明日はスタッフも手伝いにくるので、その下準備もこれからやります。




2002年02月11日(月)



 OPENING PARTY @ PROPELLER

今日はPropellerギャラリーのオープニング・パーティだったので、ほとんどのスタッフがオフィスに集まった。

個別にミーティングをしたんだけど、やっぱりもっと時間が必要。一応グラフィックのスタッフに名刺のデザインを頼んでいたのでそのチェックをしつつ、あっという間に時間が過ぎた。

夜8時にギャラリーへ到着。ここのギャラリーは”アーティスト・ラン・センター”といってアーティスト同志が共同で経営するところなので、オープニング・パーティ用の飲み物や、食料は各自持ち込みとなる。俺はシャンパンを持参。

外に人が溢れるくらい盛況だったのには驚いた。ここ最近のオープニングでこれほど動員があったのはちょっと記憶に無い。まぁ、グループ展だから参加アーティストが多いのも原因だけどね。とにかく良く入ってた。

今回のショウを企画して、俺をセレクトしてくれた人物とも会えた。彼女もアーティストであり、パーソナリティも良かった。「何で俺を選んでくれたの?」と聞くと「私が買いたいと思った作品を選んだの!」と笑っていたが、だったら買ってくれ!と言いたい。

外へ出たところで、ある人が声を掛けてきて、来月企画する展覧会に出品して欲しいと依頼された。名刺を持ち合わせていなかったので、とりあえずメールにてコンタクトを取ってもらうことにした。

近いうちに写真をアップしますんで、楽しみにしてください。


2002年02月08日(金)



 制作活動再開

今日は朝からダウンタウンと家を何往復もして疲れた。カナダ人は基本的に時間にルーズだが、それが自分のランチタイムとかになると途端に逆転する。今日だって11時にオフィスへ出向く約束だったのでオンタイムで行ったのだが、その会社の時計は若干進んでいたらしく、「担当者は2分前にランチへ出掛けました」だと!

行く前に一度確認の電話してるんだよ!?11時に行きますって!俺の時計では丁度11時なのに、会社の時計は11時3分。俺が3分遅れたことになってるからビックリ。そいつがランチから帰るのを待ってると、12時からの自分の予定に間に合わないので、怒りつつも退散した。

12時にKingでアシスタントのハルちゃんと落ち合い画材の仕入れへ出掛けた。これは3月からの個展用だ。通常なら、パステル作品を出品するのでガラスの額を買いに行くところだが、昨日から悩んだ結果、今回はキャンバスにアクリルで描くことに決めた。

絵画の制作スピードで言えば、アクリルよりもパステルの方が数倍早いのだが、断念した理由は”コスト”である。アクリルの場合はキャンバスの代金だけで済むところが、パステルとなるとガラスの額縁代とスペース用のカードボード代が掛かる。これが約アクリルの2倍のコストなのだ。

現在は資金難なので、制作スピードよりもコスト削減を取ったわけだ。ちなみに今回の出品数は、キャンバス6枚とドローイング10枚の計16枚!まだ一つも制作してないのに期限は3月1日。さすがにちょっと無謀な気がしてきた・・・

善は急げで、キャンバス6枚を2人で抱えて家に帰ると早速制作の準備に入る。まずはGessoという下地剤をキャンバスに塗る。ハルちゃんはアートスクール出身であるから、この作業を全面的にお任せした。6枚のキャンバスにGessoを2度塗りしてもらっている間に、再び朝に門前払いを喰らった事務所へ舞い戻る。とりあえずちょっと文句を言いつつも、素早く処理してもらうことに成功。

家に戻ってキャンバスの状態を確認し、下準備作業は終了。すぐさまQueenのPropellerギャラリーへ行き、今日からスタートした”バレンタイン・ショー”での俺の作品のレジスターを済ませた。

ここでショーに出品されてる他の作品を初めてみたのだが、意外と数が少ない。多分10人くらいの作家しかいないのでは?噂では今回の作家のセレクトは厳しかったみたいだから、そんなもんか?とりあえず、俺も出れて良かった・・と胸を撫で下ろす。

そこからDundasのArt Gallery of Ontario(AGO)へ急行。もう7時なので閉館ぎりぎりだった。ここは、オノ・ヨーコさんの"YES, YOKO ONO"展が行われる会場。23日に本人が行うレクチャーへの参加手続きを済ませる。

話しは前後するが、昨日広報のミッキーと共にヨーコさんの事務所へ電話したときに発覚したのだが、ヨーコさん自身は20日ころにトロント入りするらしい。何でも”殺人的”に忙しいスケジュールだとか・・・。しかし、直接会談のチャンスはまだ消えていない!


2002年02月06日(水)



 2/ARTICの2つの柱

朝10時より、2/ARTICのディレクター2人に集まってもらってミーティングした。これから組織を動かしていくにあたり、話しておきたいことが山ほどあるはずなんだけど、これが中々うまく説明できない。

きっと自分の頭の中でも整理が付いていないからだろうね。結局ありきたりの説明に終始してしまったのは申し訳なかった。元来、人に教える事が苦手なのもあるし、絵の活動においては白黒はっきりと答えが出るものばかりではないから尚更だ。

2/ARTICの活動の柱は2本ある。まず一つ目は芸術の敷居を低くすること。一般の生活レベルに自然にアートが入り込むように、目線を低く活動していくこと。将来はCDショップや本屋でも流通されるような手頃なアートのフォーマットを確立したいと思っている。美術館にある絵画だけが芸術じゃない。俺が影響を受けたのは、江戸時代の庶民の生活と共にあった浮世絵でもあるから、現代だって庶民の芸術は成立すると本気で思ってる。

もう一つは平和活動。色んな職種の人や、人種を越えて様々な平和活動が行われているが、アートの世界ではオノ・ヨーコさん以来、表舞台に立って平和を訴えるアーティストが出現していない。どちらかと言うと、世界のどこかで戦争が起ころうが、ソファにふんぞり返ってるというイメージがアーティストにはある。全人類がアートを楽しめるようになるには世界平和は不可欠じゃないか?アートには国境がないし、鑑賞するのに言葉の壁もない。

これらを実現させるためには、俺一人の力ではどうにもならない。口だけ達者で行動が追いつかない人間にはなりたくないので、スタッフには少しでも俺の思想を理解してもらい、共に悩みながらも進んでいきたいと思う。

スピードは遅いかもしれないが、俺一人で進むよりは早いはず。とにかくその一歩一歩のあゆみを止めないことが大事でもある。はっきり言って皆ボランティアだが、お金じゃ得られない価値のあるものを共有できるはずだ。


2002年02月05日(火)



 これから・・・

今日も朝から雪です。寒さのピークが今だとしたら、今年のトロントは記録的な暖冬だそう。

昨日はStaff3人と、Propeller Galleryの搬入に行きました。が、開いてなくて近くのSugar Cafeでミーティングを開きました。まだまだ組織として機能していないんだけど、根本的な意見を交換してそれぞれの取り組む姿勢が確認できたと思います。

最近考えることは、アートって必要なんだろうか?ということ。衣食住があって、次に出てくる付加価値みたいなところがあるでしょ、アートって。食べ物が無かったら死ぬし、衣類がなかったら凍えるけどアートが無くたって別に生活できるもんね。必要とされてないものを造ってるという感覚も無きにしも在らず。それに対しての俺なりの反論が”Let's Have A Dream"プロジェクトでもあるんだけどね。

ただ、カンボジアやコソボの人々を見たって、とてもアートは素晴らしいなんて話は出来ない。生きるか死ぬかの状況なんだから。その人達にしてみれば、ブルジョワのお遊びなのだろうか?やっぱり今までのアーティストの多くはそうだった。自分の畑を耕すので精一杯なのかもしれないし、金の無い奴はアートを楽しむべきではない、みたいなところってあるでしょ。口には出さないけど。

”Let's〜”で、世の中になにが出来るかを試し、2/articの活動でギャラリーの敷居を低くすることが当面の目標。John LennonのアルバムImagineじゃないけど、「コアなものには砂糖をかけて人々に食べやすくしてあげる」のも大事。まずは分かり易い活動をしていこう。

2002年02月04日(月)



 一日の行動を書いてみました。

昨日は雪で、今日は雨。でも気温はー2℃なんで暖かい。どうしたんだトロント!?こんな暖冬はトロントであってトロントではない気がする・・・

さて今日は朝から事務所探しのためDundas Westへ行ってきた。そこは一階がアロマセラピーの店舗で、地下がSPA。二階がGalleryという変わったとこだった。ちょっと想像と違ったんで適当にかわして断った。う〜ん、物件探しは難しい。

その後オフィスに行ってNikka Timesの原稿を書き上げた。辛うじて締め切りに間に合ったというところ。それからスタッフの面接が二人。なかなか個性的な人達で良かったよ。一人には早速ロゴのデザインをお願いして、その場でやってもらった。

6:30にはANNEXのTracyの工房へ行った。俺がデザインしたジュエリーのサンプルが仕上がっていたので細かい部分を修正。一緒に軽く夕食を取った。それから帰ろうと思ったんだけど、Tracyに付き合ってMarvish Book Storeへ。ここの店員の美大生のニイちゃんは俺のファンで、新作のドローイングも買ってもらった。

そんでニイちゃんが入荷したばかりのMarcel Dzamaの新画集を内緒でくれた!ラッキー。店のサンプルらしいんだけどね。

8:30にSherbourneのスタジオ・スペースを見る予定になってたので、コンファームの電話を入れたら明日にしてくれと言うので、今日は早めに帰宅。HPの更新をしようと思うが、ちょっとまだ手に着かない。また明日だな、こりゃ・・・

2002年02月01日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME