-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 9月28日

最近のトロントの最高気温は10℃ちょっとという日々が続いてます。おまけに雨が多い!雨好きな割りに、降り続くと不満が溜まる。しかも雨の日に限って大事な用があって外出しなければいけないので尚更だ。

本業の絵ですが、なかなか新作がリリースされないんで遅いなぁと思ってる方もいるでしょう。そうなんです、スランプです!

新しいスタイルを模索してる昨今、スケッチは欠かさずに描いているし、構図まで決まってる図柄までいくつかあるのだが、それを描き上げるスタイルを検討している。例えばリトグラフやシルク・スクリーンのような複製が作れる版画スタイルや、筆で一筆描きのようなスタイルだとか、また油絵で描いてみようとか色々あるわけです。

まぁ、とにかく思いつくもの全てでやってみようと思います。そんで残ったものを追求すべきかな。

話は変わりますが、今日9月28日は個人的に記憶に残る日になりました。人の命の尊さや、絆とは何かというのを考えさせられる出来事があったからです。悲しみや痛みを優しさに変えるには長い時間がかかるものです。

2001年09月28日(金)



 現実にある距離

日本の姉から電話があり、母がバイクで事故を起こし入院していたとの知らせを受ける。あのNYテロ以降日本に電話していなかった為全く知らなかった。心配するからと、俺には知らせなかったという事だ。

確かに離れているとすぐに行けるわけではないし、心配する事くらいしかできないのだが、やはり”知らなかった”というのが心苦しい。元々電話を頻繁にかける性格ではないけど、東京で1人暮らししてた頃に比べるとカナダに来てからは電話するようになったと思う。しかし、離れている距離がそうさせているのか、心配させるような話題はお互い避けている気もする。

今回のはいい例だと思うのだが、もし、俺が入院していたらやっぱり連絡しなかっただろうね。だから気持ちは理解できる。親の死に目に会えないかもしれない事も頭の中では整理できているが、実際にそうなったら海外で離れていた事を後悔する感情も当然生まれてくるだろう。

友達のサト君は、数ヶ月前にお父さんが亡くなり急遽日本に帰った事があった。いくら急いで帰ったとしても日本では着々と物事が進み、自分が着いた頃には葬式も準備も全て整っていたという。

何も出来ないことはこっちに来る時に決心がついてるだろうが、現実的に自分の無力さと直面するのはシンドイ事だ。



2001年09月27日(木)



 Peterの意見

久々にBrown Stoneに顔を出した。相変わらず若いオーナーのPeterがカウンターでメニューの検討をしていた。今ではお約束のNYテロの話題でしばらく語り合う。

「絵の反応はどう?」と聞くと、「通りがかりの人が随分入ってくるんだよ。それはいいんだけど、絵だけ眺めていって料理を注文する奴はいないから困る(笑)」らしい。配布しているポストカードの在庫が切れていたので100枚くらい渡した。

Peter Panでの展示はどう?と聞かれたので「昨日一枚売れた。」というと、「こっちはまだ売れてないけど、俺としちゃぁどれが売れても困る。なるべく売れないように無愛想にしてるんだ。悪いけど。」と、我が子のように俺の絵を思ってくれてるので別に悪い気はしない。・・・でも売れたほうがいい・・・

昨日はユキさんとサトくんとのミーティングのはずだったが、なぜか人数が増えててただの食事会になってしまった(笑)嫁さんと及川さん、マリちゃんにサトくんの奥さんのマリコちゃんの7人も集まり、手巻き寿司パーティーになった。

まぁ、しょうがないけどOne of a kind出展の是非は後日に持ち越しだね。心の中では80%不参加で固まってきている。やっぱりテロの影響は年内は消えないだろうから、消費が落ち込む気がするし。
出るからには売上という結果を出さなければいけない。赤字でも反響が良かったというのはアマチュアまでだから。


2001年09月23日(日)



 交渉成立?

Peter Panから連絡があり、一枚買い手が付いたとのこと。早速出掛けて交渉に入った。作品は「Another glass of dream, please」という思い入れの強い絵だ。買い手は旅行者で滞在先のホテルに連絡をしたが留守だった。ただ、手付金として代金の半額を店に置いていったので、後日連絡が取れれば交渉成立となる。

やはり手放す時には寂しくなるが、これも画家の宿命。大事に飾ってもらえれば本望である。

さて、先日のOne of a kindに関する話だけど、更に考えなければいけない事項が出てきた。NYテロによって北米は大打撃を受けている。航空会社は人員削減、観光業界は共倒れ、それに伴いレストランや商店などの消費者激減が目立つ。
世間ではハッピーに買物・・という風潮ではない。それがクリスマス時期にも及ぶことは明白で、One of a kindにも当然余波はあるだろう。

明日ユキさんと、アドバイザー(笑)のサト君とミーティングをするつもりで、One of a kindの出展の是非を決めたいと思っている。
同時に来年7月に行なわれるモントリオール大会への出展も、考えてみたいと思う。カナダではトロントよりもモントリオールの方が芸術の街としてのイメージがあるらしい。俺は行ったことないので、今のところ眼中に無いんだけど10日間の会期があるのでゆっくり街を見れそうだし。

2001年09月21日(金)



 日本の若者

今日は雨。明日も雨。めずらしく雨続きなんだなぁトロント。連日相変わらずテロ関係のニュースで持ちきりである。聞いた話ではNY帰りの若い日本人の中にはTrade Centreの瓦礫や写真を自慢げに見せびらかす悪質な旅行者もいるみたいで心が痛む・・・バカ者!!

激突した一機の中にはBackstreet Boysのコンサートスタッフが1人搭乗しており、同時間に彼の奥さんは出産の為にNYの病院に入院していた。彼は搭乗前に奥さんに「もうすぐそこに着くから頑張って」と電話で話したらしい。そして数時間後ワールド・トレード・センターに激突。無事に出産した奥さんの元にはその悲報が入った。新しい生命の誕生と喪失が奥さんを襲ったのだ。奥さんは生まれた子供に彼の名前を付けたそうだ。

他にも、ピッツバーグで墜落した機体に乗っていた一人は「飛行機がハイジャックされている。ダメかもしれないが、幸いここに3人の仲間がいる。これから犯人に対して反撃を試みる。」と最愛の妻へ携帯電話からメッセージを送ったそうだ。ホワイト・ハウスへ突撃する計画だったこの機体がペンシルバニアで墜落した真相は、もしかしたらこの勇者たちの反撃によるものかもしれない。

何千人という命が奪われ、それぞれに同じ数のドラマが・・・ドラマと言うべきではないかもしれない。これは決して忘れてはいけない事故であり事件だ。前記した日本の観光客の大馬鹿者には異国の出来事で、他人事かもしれないけれど。

もし、これが日本の出来事だったらどうだろう?小泉首相はどんな対応をしただろう。自衛隊は?アメリカ国民が星条旗を振り、励ましあったように日本人は日の丸を振っただろうか?これは決して海の向こうの出来事ではない。が、日本の若者を見ると心配になる。

2001年09月19日(水)



 冬への展望

トロントの気温は18℃前後。最も過ごし易く、大好きな気候だね。紅葉もずいぶん進んでるけど、それにはあまり興味無し(笑)

秋といえば、もう冬だね(トロントでは決して早くない表現)。去年は11月にArtfocus主催のショウに出展し、初めてアワードを受賞したことが思い出されるが、案の定Artfocusより出展依頼の案内が来た。う〜ん、今年はどうしようかね?去年の再現をしたくない気もするし、一年でどれだけ変われたか確かめたい気もする。7対3で出展する気は無いけどちょっと考えてみる。

なぜ悩む必要があるのかと言えば、11月の末にあの「One of a kind Christmas Show」があるからなのだ。と言っても締め切りは過ぎてて、これから直接ディレクターさんと交渉があるのだけど、出展料が何とかなれば是非出たいと思っている。

今年4月、このショウの春バージョンに出た。収支からいえば大赤字だったけど、それ以上に得るものと、ノウハウを手に入れることが出来、次回の出展へ向けて構想は出来上がっているのだ。ただ、この出展料というのがケタ違いなのよ!
個人レベルで出ている人は皆無。ほとんどが企業や小売店関係なので、よっぽど売れる計算がないと次の日からの生活にも苦労するだろう。

当初、今年の冬は諦めようかと思っていた。しかし、神はなぜか俺をこのショウに呼び込むのだ。実は友達の奥さんを通じてOne of a kindのディレクターとのコネクションが出来たからだ。既に締め切りは過ぎてるというのに、この人物を通して再びショウへの道が開け、出展料の交渉次第では緊急参加もあり得るという状態だ。

人生風まかせじゃないけど、運まかせってのもアリだよね。



2001年09月16日(日)



 How do you feel John?

先日のNYテロ事件の余波も和らいできたトロントであるが、TVは未だにそれ一色でついつい見続けてしまう。空港の全面閉鎖も一部を除いて運行を開始したのだが、旅行で訪れていた観光客の大部分はそのまま足止めを食っているようだ。

世論的には「何らかの報復を望むアメリカ人」が多いのは確かだし、このまま犯行グループ逮捕、裁判で終わるとも思えないが、戦争や武力行使に至らないことを願ってしまう。「アメリカが攻撃されただけでなく、自由そのものが攻撃されたのだ」とBushは言ったが、彼がプレジデントになってからは、確かに強硬な政策を打ち出してきたところもあり、諸外国からの反発もある程度予測できたはずだ。

ジョン・レノンはニューヨークに移り住むにあたり「この街では、僕は外を歩けるんだ。サインをねだられたり、声を掛けられたりはするけど、それでも外を歩く事ができるんだ。こんなに自由で素敵なことはない。ニューヨークは大好きだ。」と語ったが、そのニューヨークの自宅前で彼は撃たれたのだ。僕は今回の事件で、またジョンが撃たれたと感じた。

「イマジン」も「Give Peace A Chance」も奴らには伝わっていないのだ。

2001年09月14日(金)



 NY崩壊

人生の中でも最悪な社会的事件、事故が起こった。テロリストにより乗っ取られた2機の旅客機がNYのWorld Trade Centerに突っ込んだのだ。その他に国防総省のペンタゴンに一機、ホワイトハウスを狙ったと思われる一機はピッツバーグに墜落した。

その一報を受けたのが朝10時。日本の美穂ちゃんが国際電話で知らせてくれた。普段は全くTVを付けないので、その電話により慌ててTVのスイッチを入れたのだ。事故が起きたのは2時間前ということで繰り返し激突の瞬間を流していた。

あのWorld Trade-が崩れ落ちる姿を直視するのは胸が痛んだ。去年の4月に訪れたときの姿が焼き付いているし、新しいビルといってももう20年もの間NYに佇んでいたわけで、NYのイメージの中にはこのビルもしっかりと刻まれているわけだから。

Bush首相は「テロリストの攻撃に屈することはしない。その一味と、それを匿う者たちも区別はしない。」と事実上の報復宣言を発表し、空軍もスクランブル体制に入った。一報によるとパレスチナ問題に絡むイスラム人の犯行との見解も出ているし、「アラーの神の怒りだ」とこの事件を正当化し、路上でダンスを繰り広げるイスラム人の姿もあったとの情報もある。何だって?こんなの頭がおかしいサイコな馬鹿人種じゃないか。

戦争はもう沢山だ。しかし、こんな馬鹿な人種が現実にいると怖くなる。そんな馬鹿が「神が、神が、、」なんて言う資格は無い。そもそも神ってお前らにとって何なんだ!?もし、本当に神がいるとしたら罰が下るのはおまえ達の方だ。

トロント市内も全ての高層ビル、CNタワー、空港は閉鎖しているし。スターバックスなどのアメリカ系のチェーン店も午後には急遽閉店している。夜はヘリが絶えず旋回し、警戒に当たっている。心配している人もいると思うが今のところ俺には何も起きていないので大丈夫です。



2001年09月12日(水)



 MTVビデオ・アワード

ホント風邪にはやられた。熱を下げる為に布団にくるまり、サウナ状態で強制的に汗を出したのはいいが、あまりの高熱に気がおかしくなる寸前だった。布団の中で唸っててもしょうがないので結局出かけたりしたのだが、その行く先で嗚咽が凄くて参った。もう当分いいです・・・

そんな中、楽しみにしていたMTVのビデオ・アワードが我らのNew YorkのRadio Cityで行なわれた。ブリトニーとかN'SYNCとかお子様向けの受賞を交えつつ、やはり注目のMTV・Video VanguardはU2に輝いた。

U2も殿堂入りということになる。この為に制作された軌跡を辿ったビデオ・クリップの出来も素晴らしかったが、実際のパフォーマンスの前には霞んでしまったね。
新作から「Elevation」と「Stuck In A Moment You Can't Get Out Of」の2曲をメドレーで演ったのだが、Bonoのボーカルの円熟味は今が最高だろう、と唸ってしまうほどの存在感だった。

俺とU2の出会いはちょうど中3の時。「ヨシュア・トゥリー」というモンスター・アルバムからの先行シングル「with or without you」という曲だったことはハッキリと覚えている。あれから様々な音楽の旅に出たU2が、新作で遂に素になれた印象を受けたし、Bonoのボーカルをはじめ、メンバーのキレは何もギミックを必要としない強さを出していた。

俺も、あのくらいの歳になった時に、あんな歌が歌えるのかなぁ・・なんてアホな事を考えてしまったが、現存する数少ない本物の歌い手の1人である事を、今更ながら実感してしまった。う〜ん、ブラボー!

余談であるが、もう1人の”我らが”マイケル・ジャクソンも突如現れ、N'SYNCをバックに10秒程メカ・チックに踊ってくれた!早くアルバム出してくれ。

あとは、プレゼンテーターにJon Bon JoviやMick Jaugarが出てきて楽しめた。特にMickは7〜8年前から老化が止まって、もはや蝋人形の域に達していた・・・
アートとは関係なく久々に純・ロックファンとしてTVを楽しんだね。


2001年09月10日(月)



 Club UNA-MAS

Junoの「Three Ring Circus」というイベントの2場所目がクラブ・UNA-MASで行なわれた。日本人のDJアキさんが今年にオープンさせた中型のハコだ。

実際に入るのは初めてで、センスの良い作りに感心。上がバー・スペースで下がダンス・フロアになっている。Junoの作品は8〜10点と少ない気がしたが、このスペースには良く合っていた。

そのJunoは、一昨日にお父さんが亡くなり一睡もしてないということで疲労の色が強かった。明日は明日でSPINギャラリーのオープニングの為に予定がつまっているという。そんな状況なので前回話しそびれた俺の企画については、また次の機会にと思ったが、Junoは話を聞いてくれた。

来年2月に開催予定のオノ・ヨーコさんをリスペクトする展覧会について、実現の可能性と、場所の提供が可能なのかという大きな部分の話になった。SPINはコマーシャルギャラリーなのでもう来年分までギッシリスケジュールが詰まっているが、もし俺が確実な企画を立てたなら予定を変更させてでもOKすると言ってくれた。

また大物アーティストにつき物の、昨日はOKしてても今日になったらNGというような危険性もある、と。確かにそうだ。秘密裏に動いたとしても、宣伝は必要になってくるし、その受け取られ方次第では企画が終わってしまう可能性もある。ともかくヘルプが必要ならいつでも力になると言われ、心強い。

話をしている時に見覚えのある人物が店に入ってきた。ダイスケさんだ。日本に帰ってると聞いてたので驚いたがトロントに戻ってきていたんだね。日本では大文字焼きのフィルムを撮影してきたらしい。また次のプロジェクトが楽しみだ。更に日本のカナダ大使館での個展も決まったらしく、さすがの一言。

前日からの風邪がひどく、熱がかなり出ていた為このへんで退散することにした。

2001年09月07日(金)



 風邪をひく・・・

夕方からノドが痛くなり熱が出た。風邪っ引きだ。サトくんとダウンタウンのバーで飲んでいたときからちょっと気配があったんだけど、久々に熱出たね。

そのバーで偶然ヨシ君に出会った。以前ユキさんのオープニング・パーティで演奏してくれたシタール奏者だ。その日はカナディアン3人とギターでジャムるというので一時間後の演奏時間まで待とうかと思ったが、体の調子が悪く断念・・・

帰り際にPeter Panを覗いた。そうそう、一昨日飾り付けに行った事をまだ書いてなかったね。4日の朝8時に搬入したんだけど、まだ前のアーティストの絵が掛けられてて足止めを喰らう。

嫁さんと2人で四苦八苦しながら昼の12時過ぎまでかけて完成。オーナーのMaryとKerryも満足してくれた様子。しかし、最新作の一枚がスペース一杯なのと、Maryの趣味に合わなかったので落選!

俺の絵を批判するとは恐ろしいオーナーだ・・・(笑)

2001年09月06日(木)



 猛ラッシュ!

時間が無いのは分かっていたが、ここまで気合が入らないとは思わなかった・・・自分を責めるしかないのだが、もう前夜だというのに知人達へのインビテーション・メールをやっとこさ打ったところ。

これからインフォメーション・ボードの作成とディスプレイ用具の製作に入るのだから先が思いやられる。

やろうと思っていた新聞社とのインタビューも取り止めたし、Brown Stoneから一枚絵を借りるのも迷ったあげく止めた。つまり、宣伝らしい宣伝は全くナシ!

その分、作品には全精力を注いだ自負があるのだが、そっちに注ぎすぎて他のいわゆる「雑務」に手が廻らなかった。一日24時間は短いなぁ・・・そう思いながらジョン・レノンのビデオを見てる俺様(笑)

まぁ、とにかく今回は作品が充実してるんで心配は無いです。売りたくない作品ばかりの気もする。一応値段は付けたんだけど、半分思い入れ価格。

10月19日にまたRufus Wainwrightがトロントでコンサートやるんで、チケット代くらい稼がないといかんね。

2001年09月03日(月)
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