ユキマークブック。...ゆき

 

 

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元妖怪人間より。〜人間回帰時代〜 - 2002年09月16日(月)

→その3

さて、札幌では定番の札幌ラーメンを食べて、
最初は、ラーメンを食べてから
ジンギスカンを食べに行こうなどと
無茶なことを言っていたんだけど、
そんなことは当たり前に無理で(笑)
大人しく時計台を見に行ったり、TV塔に登ったり
どーしてもとうもろこしが食べたくなって
夜店で買って公園のベンチで
ぼけーっと噴水を見ながら食べたり(まだ食うか)、
市内観光をのんびりぶらぶら楽しんで
途中のモスでシェイクを買って、ホテルまで帰った。
そんな、大きな目的もなく、時間にも追われない1日は
ほんとに久しぶりで。

そして、2日目は朝から石狩へ向かう。
11時から会場に入って、それからの20時間!
今思い返してもぞくぞくする。
好きなことしかしてないっ!
グッズ買いたいから並ぶ。
おいしそうだから食べる。
あまりにも仲良し過ぎる相手なので好き勝手できる。
私が並んでいる時には彼女はレジャーシートで転がってて
時々携帯で「どう?」って連絡してくる。
夕方は観たいライブがそれぞれ違ったので
当たり前のように別れて。
(「ねー、どれにする?」と相談してた
  女の子のグループも見たけど、もったいない!)

会社にいると、私はほんとに1番歳も下で、
周りの先輩たちはしかも偉いのだ。
年上だけど同僚、に当たる人はいなくって。
だからといって、別に言いたいことが言えないとか
そういうことではないんだけど、
やっぱりずーっと気を遣ってるし、考えてる。
仕事でも、仕事以外のところでも。
それって結構疲れることなんだなー…。

レジャーシートは屋根のない私たちの部屋になり、
会場は小さな音楽好きのための街となり、
絶え間なく音楽と、なにより誰かの笑い声が聞こえて。
お天気がずっと心配されてたのに
突きぬけるような青空が広がって、陽射しを浴びて。
この夏、1度も太陽を浴びてなかった腕が、肩が、焼ける。

スタンディングゾーンに飛び込めば
全然知らない人とハイタッチしながら踊って
大音量で好きな音楽を聴いて。
次のステージ目指して端から端まで街を駆ける。
わくわくする。どきどきする。心から楽しい。
夜は、幕間に打ち上げ花火がプレゼントされた。
今年初めての花火や!と喜ぶ私に
「よかったなあ、ユキコ!」と言ってくれる言葉が
何故だかとても嬉しい。

普段ならありえない時間に飛んで跳ねて踊る。
2時を過ぎたら筋肉痛になったり。
それでも楽しい。地面に耳をつけて横になると
中村達也のドラムが響いてくる。
(彼は1日叩きっぱなしだったよ…)

凄く楽しかった。ほんと楽しかった。

眠らずに朝を迎えて、そのまま車を走らせて温泉に入り
さらにその先の公園でしばらくお昼寝。
そして富良野へ抜けて、美味しいご飯を食べて
美瑛の丘を見ながら車にもたれて道端にぺたんと座る。
黄色い丘、あれはひまわりだ!と思えば
急遽進路を変えて一路ひまわり畑へ向かう。

旭川らーめん(支店だけど)を食べて
じゃがバターも食べて。
そのまま今度は小樽へ。
どうせ方向的には戻ることになるので
石狩の会場を通って、祭りの跡に手を振って。
小樽の夜は予想通り青く、しかし予想以上に小さな町で。
函館ではロープウェイが強風で止まり、
あまりの夜景の美しさにタクシーでいいや、とか思ってたら
山頂からのタクシーは呼ばなきゃ来ないと言われて
同じく取り残されたカップルと相乗りさせてもらったり。

まったくのフリーな時間。
守らなきゃいけなかったのは
行きと帰りの飛行機の時間だけ。
気の向くままに友達と、ノンストップでCDをかけて
歌ったり笑ったりしながらドライブして
きれいなものを見て、美味しいものを食べた。

函館でもおさえとかな!言うて
函館ラーメンを食べたので、
結果北海道3大らーめんを制覇したことになり、
旅行のサブタイトルが“〜早く人間になりたーい〜”から
“〜早くラーメンになりたーい〜”に
すりかわってしまったような気もしたが、
旅の終わりには、自分がおかしかったなー、と普通に思えた。

なんで、あれで、「仕方ない」と思えたのか。
何より、限界だったことを自覚してなかった。
生きていたくなかったのって、普通じゃないじゃん。

キツイ時にはどうにかして、帰るようにしよう。
その方が効率がいいと思うなら
そう言って締め切りを延ばしてもらおう。
延ばせない締め切りがある時には
そういって他の仕事は引き受けないようにしよう。

出来ないなら出来ないでいいじゃないか。
出来るようになるための努力は怠っちゃだめだけど
今出来ないものを、出来ないながらも
時間と労力をかけて成し遂げるには
やっぱり限界があるわ。

そう、思って帰って来た。

ちょうど、戻ってきたら、
私が資料にひとつ業務指示を書き忘れたせいで
不在時はなんだか大変なことに。
その後片付けから始まったんだけど、
大型企画の方は出張もなくなって、
プログラムの開発までは一息入れられるスケジュール。
開発が終れば、今度はシステムのテストで
通常業務は21時以降に押しやられることになるだろうけど
それはそれ、その期間だけにしようと思って、
それまでは、早めに切り上げて帰ってきてます。

何より、今は笑っていられるようになって、
周囲の先輩たちの反応を見てると
どんなに旅の前の自分がしんどそうだったのか、
どんなに先輩たちが心配してくれてたのかが、
ほんとに手に取るように分かって。

バイトの子にも、
「ごはん、一緒に食べに行きませんか」って言われて、
あー、ずっと誘うの、躊躇ってたんだろうなって
「可愛い奴らめ!」って思うと同時に嬉しかったし。
次の日の資料がまだ出来てなかったのに
ついついご飯食べに行っちゃったよ!

仕事でもなんでも、
自分で自分を追い詰めるのはやめようと
今は普通にそう思っています。
向上心を持たなくなるのと紙一重なので
そう見られないように、そうならないように、
するべき努力は惜しまないつもりで居るけれど。
そしていつの間にか、その根本が見えなくなって
またこんな風に、
自分を追い込んだりもしてしまうかもしれないけど
そしたらきっと首にわっかをかけてでも
引き止めて、休ませようとしてくれる友だちが、
多分私にはたくさんいると分かったから。
(一緒に旅した友達のことだけじゃなく
 どれだけの人が心にかけていてくれたことか!)

そういうわけで、今は、人間で居ます。
今のところはまだ、
なるべく「〜しなきゃ」を避けてのリハビリ生活だけど
9月はライブもなるべく行って
連休はしっかり休んで
妖怪色を消すべく気ままに過ごしてます。

どうも、ご心配をおかけしました。
そして、ありがとうございました。


...

元妖怪人間より。〜脱妖怪時代〜 - 2002年09月14日(土)

→その2

朝は時間がないのでもともと食べないが
仕事しなくちゃ、
休憩なんかとってる時間ない!と、
ずっと仕事をしていて。
そして深夜に帰ったら
どうせ朝も昼も食べてないし、もう寝たい…。
カロリー高めの飲み物だけ飲んでおく、
そんな日が続いて2週間で一気に体重も落ちて。

8月、ひとつめの大型企画が完了したあと、
私は2週間の夏季休暇をとる予定だった。
上司のOKももらって、
前半を友人との旅行、後半を帰省にあてるつもりで。
ところが、ふたつめの大型企画が決まって、
2週間の予定を10日に縮めた。
でも、ちょうどその期間に重要な会議が決まって、
「ほんとに休むつもりなの?休めると思ってるの?
 代行に任せていいのね?後で文句は言えないのよ」と、
休ませたくないのか、単に言い含めているだけなのか
もう私にはそれさえも分からないことを上司に言われつつ、
旅行分の6日だけでいいから、と無理矢理休みをとったのだ。

確かに会議も気にはなったけど、
気分転換をしないとどうにかなりそうだったから。

そして、14日の夜は2時半まで働いて
15日は22時に帰らせてもらって
16日は6時起きで、私は北の大地へ飛び立ったのだった。

初日は、会社のことが気になって気になって
そして、なんだか何も話す気にならず、
口数も少ないまま車に乗り、
空港からの途中で立ち寄ったクラーク博士の立つ丘で
ぐっすり3時間ほど眠って。

私を飛行機に乗るだけにして
全ての企画と手配をしてくれた友達にありがとう。
そして彼女との付き合いは長くて
喋らないなら喋らないでほっといてくれるし
今回、休むか休まないか迷う私に、
「そんなん言うてたらあんたずっと休まれへん!
 ええからあんた休み。先にええって言われてて
 日も短くしてんから遠慮せんでいいねん」と
そうかな…そうよな…と思うくらい、
押しも強く催眠術もかけてくれた。

そしてついぼーっとなりがちなナビとして
「ユキコどこで左曲がんの」
「んー?さっきの交差点かな」
「ユキコ・・・」
…などという会話を幾度となく繰り返しながら
“北海道はでっかい道ツアー〜早く人間になりたーい〜”が
ガタピシと始まったのであった。







...

元妖怪人間より。〜妖怪時代〜 - 2002年09月12日(木)

ええと・・・?2ヶ月ぶりくらいになるのかな?
仕事に行き詰まって
この日記すら書けなくなったのは2度目だけれど。
一体何をしていたのか
人でなくなっていた時期に迷惑をかけた人のためにも
書き留めておくことは意味のあることかもしれない。

→その1

仕事が忙しくなりだしたのは
確か3月だったとそれだけ執拗に憶えてる。
なんであの時期から忙しくなったのだったか。
転勤してきて1年が過ぎて
少しは人に指示も出来るようになって
バイトの子から質問攻めにあうようになったせいだったのか。

忙しいのはさほど苦にならない。
暇ですることがないよりマシ。
でも、それがずっと続くことによって
気付かないうちに段々追い詰められたのだと思う。

5月の勤務表を締めていて
23時前に退社した日が体調の悪かった1日しかなかったこと。
それが、ちょうど誕生日当日のことだったり。
そのあたりから少し疲れ始めていたのかもしれない。

やっている仕事はできないことのほうが多くて
資料を作っても作ってもFBの繰り返し。
多分本人にその意識はないけど
上司には上目遣いに見詰めながら報告を聞く癖があって、
打たれ弱い私はそれすらも苦痛になる。
試されているような気がして、
そして1度として合格することはないのだ。

私はここにいていいのか?
お給料をもらうに値する仕事が出来てないんじゃないか?
そう思うから残業の申請なんて言い出せない。
でもタクシー代はばかにならない。
シャワーを浴びれば3時になる。
どんなに急いだって、髪を乾かしてるだけで3時半。
翌朝は9時半の始業ギリギリにタイムカードを押せるよう
8時半にやっとのことで身体をベッドから剥がす。

最初は吐きそうなくらい食べた。
食事を作る時間はないし、
大体スーパーが開いてない。
知っている中で1番遅いスーパーでさえ
2時には閉まってしまうのだ。冷蔵庫は空っぽ。
毎日コンビニによって帰る。
出来合いの麺類やお弁当。
好き嫌いが多いので選択肢はとても少ないなか、
2つ3つとカゴに放り込む。
そして凄い早さで食べてしまう。
早く眠りたいから。おなかが空いた感覚はないまま。

そして7月に入り、大型の業務が追加になった。
8月の運用開始を目指して耐えてきたのに
また振り出しに戻ったのだ。
しかも、8月中旬までは大型業務を2つ並行して進めることになる。
通常業務もこなして、バイトの子の面倒も随時見て・・・。

壊れ始めたのは7月中旬。
神経過敏になってしまって、
FBとさえ呼べないような指示ひとつに
涙がこぼれそうになってしまう。
個室に逃げ込んで、泣いて、顔を洗って、仕事して。
そんな中で目標設定の面談があった。

半期で自分が達成する目標を決める。
会社にとって利益となる、数値で結果が測れる目標。
100%達成できて普通のひと。
120%でちょっといいひと、150%だしてちゃんとできたひと。
80%でだめなひと、60%なんて転職考えたら?ってレベルだ。
今の時点で50%もできてません。
9月になにか成果を出せるなんてとても思えない。
明日やるべきことさえ、できるかどうかさえ分からない。
10%だって、1%だって、達成できる自信のある目標なんてない。
30分の予定だった面談は2時間を超え、
私はミーティングスペースでぼろぼろと泣いた。

1度崩れてしまうと、制御は利かなかった。
さらに過敏になり、本人の意識とは関係なく涙腺はすぐに緩む。
上司もさぞFBがしにくかったと思う。
先輩たちは仕事も頼みづらくなって、
その分先輩たちもぱんぱんになっていただろうと分かる。
分かるから自分がさらに嫌になる。
いなくなってしまいたかった。

鞄を持っているのに声をかけられる。
バイトならともかくその上に立つパートの人だ。
それでも私は鞄を置いて、丁寧に回答したつもりだったのに
かちんと来るようなことを言われて思わず言い返した。
正社員のとるべき態度ではなかったと思う。
でもその日、7月に入って3枚目のライブチケットが
ただの紙くずになったのだ。
休日だからととった2枚のチケットが
急な出張と、休日出勤でだめになった。
月に一度くらい、定時で帰っても許されると思ってとった、
3枚目のチケットだった。

彼女の言い分はこうだ。
「私ができてないのは分かってます。
 でもこんなに頑張っているんだからしょうがないじゃないですか」
頑張ってるだけでミスが許されるなら、
頑張っても達成できない自分に腹を立てて
なんとかしようと更に頑張ってる私はなんなのか。
私は同じ状況で自分を1番憎んでいるのに
彼女は同じ状況で周囲を憎んでいるように受け取れた。
正社員だから我慢して、理を説くだけの余裕はなかった。
でも、また、そんな自分が嫌になった。

自分で死ねると思っていないから、
その方法は思うだけで実行するつもりはなかったけど
生きて居たくなかった。
交通事故が起こるなら、私のところでと思ったし、
雷が落ちるのも、なぜ私でなくあの人なのかと思った。
人を殺してみたい少年が居るなら
生きていたいその辺の人ではなくて
ぜひ私を狙えばいいと思っていた。
どうしたって悲しまれるなら比較論として
自殺以外の方法で死んだほうがいいだろうと。そればかり。

何をする気も起こらなくて
洗濯も必要最低限、ものすごく時間をかけてやる。
掃除なんてとても出来ない。
部屋の中はひどい状況だった。
休日の私はクーラーをかけた暗い部屋で
カーテンも開けず、温かいベッドの中で殻に閉じこもるように
ひたすら浅い眠りを断続的に繰り返していた。

そして、ものが食べられなくなった。



...

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