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2005年04月04日(月) 映画 火火

 話は白装束を着た神山清子(田中裕子)が、自宅前で息子の賢一(窪塚俊介)を、「おかえり」と迎える場面で始まる。この白装束が、悲しみや無念さや空虚感を昇華したところにある人間の強い美しさを凛と表現している。実にきれいだ。
 神山清子は古代穴窯による信楽自然釉を復活させた女性陶芸家。現在もその第一線で活躍をしており、つまりこの話は実話である。
 夫(石黒賢)は窯を捨て若い弟子と清子のもとを去り、男性優位であった信楽焼の世界で清子はその存在を否定される。しかし清子は、そんな男尊女卑とは無関係に自分の芸術性の追求として信楽自然釉の復活をめざし、先輩陶芸家石井利兵衛(岸辺一徳)の応援に支えられながらその思いを結実させる。
もちろんその間の生活は困窮を極めるが、久美子(遠山景織子)と賢一、二人の子供を母として父として育てると心に決めた清子が米のとぎ汁を飲む姿には、妥協のない世界に自ら身を置くことを決めた人間の潔さを見た。と同時に、これはストイックに生きることが好きな女性を描こうというのかと思いきや、借金が完済した時に見せた「借金チャラ踊り?」には笑い、久美子が短大の受験に向かうその後姿に、「落ちてきてエエで」とつぶやく自由さに安心した。
しかし、サクセスストーリーは一転する。賢一が白血病となり、生きる時間が区切られようとする。完治には骨髄移植が有力だが、身内や友人知人に白血球の型が一致する人間はおらず、まだ公的な骨髄バンクが発足していない時代に広く骨髄ドナー登録者を募る運動を開始する。
ドナーが見つからず、また仲間が懸命に募金活動に汗を流す中で自分の病気の姿を世間に晒すのはイヤだとする賢一に清子は言う。「死にたいんか?死ね。そしたらみんな楽になる」
患者やその周辺の人間はどの様に闘い、どの様な生き様を晒すのかが見事に描かれている。
この話は実話であり、映像にも妥協はない。骨髄移植時に使われる病院の無菌室も、骨髄採取の模様も、映し出される信楽焼も、賢一が生きた証として作陶した天目茶碗も、1200度に燃え盛る炎も全てが本物であり、清子のもとに弟子を志願し押しかけてきたOL牛尼瑞香役の黒沢あすかは、ギリギリの闘病をする賢一へ自らの役者魂をかけた決断の演技をし、その無償の演技は涙を誘った。
テーマはとても重く泥臭いものだが、全てを通し陰々滅々とはならず、真っ直ぐと前を向いているように感じるのは、田中裕子の役に対する深い理解から出た凛々しさと飄々さの共存による力が大きいと感じた。窪塚俊介も「窪塚くんの弟」という鎖から解き放たれた演技であり、清子の妹役の石田えりは、誰の周りにもひとりはいそうな元気で情け深いおばさんを好演していて、話にぬくもりを加えている。
この映画、ぜひとも息子や娘との関わり方に悩むお父さんやお母さんに観て頂きたい。





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