I.W.O.活動日誌

2003年10月25日(土) 忙しいけれど、、

先週の日曜日が高校混成バンドの練習、きょうが中学混成バンド、
明日がまた高校混成バンド、、と、休日のない日々が続いている。
来週の3連休も2日間の吹奏楽とその準備のためにつぶれる予定である。
でも、まあ、どんな形であれ、音楽活動を続けさせてもらえるのは
とてもありがたいことなので、疲れても、感謝の思いを忘れずに精一杯やらないとね。。。

きょうの練習も、まずは市民音楽祭の2曲である。
それから、ディスコパーティーをやった。
ステインアライブからの移りにまだいささか違和感があるが、
徐々に修正されていくだろう。

「オセロ」は第3楽章をメインに練習しようと思ったけれど、
木管楽器の参加率がいつもより悪かったので、
どちらかというと第4楽章に少し時間をかけてみた。
10年ほど前にこの団で「オセロ」を取り上げたとき、
第3楽章まででやめてしまったのは、第4楽章の印象が悪かったからである。
ある団が作曲者自身の指揮でやっているのを聞いたときから、
金管ばかりがパンパン鳴っているみたいで、うるさい曲だという印象が
ずっと強く残っていた。
けれども、去年、スコアをよく見てみたらそうでもなさそうだった。
最終的には、その点をうまくまとめたいものだ。
その前にまず正確に吹けるようになってもらわねば。。。



2003年10月18日(土) (無題)

(10日遅れです)

とにかくまず、市民音楽祭用の2曲の練習である。
シャンソンのミュゼットパートは、シンセはすぐに改良できないので、
新調したピアニカを使うことにした。
音が細いので、ホールでもどの程度聞こえるか不安ではあるが、
フルートだけで代用するよりはピアニカを入れる方が雰囲気は出るだろう。

久々にSくんが来ていたので、「キャラバンの到着」をやって休憩にした。

「オセロ」は第5楽章をいくつか手直しして、1、3、4、5楽章を通した。



2003年10月11日(土) 市民音楽祭に向けて

きょうは、約1ヶ月ぶりくらいに朝ゆっくり寝ていられる日だったので、
11時くらいまで、眠りたいだけ眠ることができた。
しかも、この連休中にどうしてもやらなければならない仕事もわずかである。
そんなわけで、久しぶりに疲労感から解放されてのんびりした気分だった。
この日誌をその日のうちに書けるというのも、実に久しぶりのことだ。
午後、夏休み以来久しぶりに「オペラ座の怪人」の「序曲」部分の編曲を
進めることもできた。
10月中に何とか2曲ばかり編曲して、11月に入ったら、
それも加えて本格的な練習に入りたいものだ。
けれども、また来週の仕事が始まると、編曲は中断せざるを得なくなる。。。

2時間ほどそれに夢中になっていたのと、オセロのことを考えていたので、
練習の15分ほど前になって、ふっと思い出して焦ったのは、
きょうから演歌の練習を始めなきゃならないのに、用意してないことだった。
あわてて倉庫をあけて取りに入って、ど演歌えきすぷれすの1番と3番を
取ってきたつもりが、間違えてまた3番を取りにあけて入り直す羽目に。。。
楽譜ひとつ取り出すために、鍵を4回さしこんで回さなきゃならないのだ。
1番と3番を途中からつなぐ計画だったけれど、
スコアを見て考えているうちに、第3番だけで行くことにした。

だから、市民音楽祭の曲目はこうである。
1、シャンソンメドレー
2、ど演歌えきすぷれすの第3番
日仏の演歌メドレーみたいな趣向になってしまった。

きょうはシャンソンメドレーのミュゼットの代わりに使う
シンセを持って行ったのだが、実際演奏の時に弾いてもらったら、
1ヶ月ほど前に用意しておいた音色がまったくダメだということがわかった。
またやり直しである。これは実にやっかいだ。
今月中にうまくいくかどうか、なかなか微妙なところだ。

「オセロ」は、きょうは第5楽章の27小節目以後を重点に練習した。
ここ数日考えた結果、オセロがデズデモーナの首を絞めるのは35小節目と
確信することができたので、そういう演出に切り替えたのである。
今まで私は、デズデモーナを殺す前に、オセロが逡巡した末逆上しなきゃ
いけないと思って、それが35小節目からの4小節間だと解釈していた。
だから、デズデモーナの死の決定的瞬間は、39小節目であると。。。
けれども、木曜日に原作の第5幕を何年ぶりかに読み返してみて、
原作のこの場面があまりにもあっけないのに驚いた。
オセロの殺害への言動は実に直線的である。
オセロが寝室に入ってから、もうデスデモーナを殺すことしか考えてない。
デスデモーナも死の直前まで懇願はしているが、すでに覚悟はできている。
そうならざるを得ないところまで来てのクライマックスのようだ。
それをリードが音楽にしているのなら、39小節目を頂点にする必要はない。
35・36小節目はすごい形相で首を絞めるオセロを思い描き、
37・38小節目は力を失って行くデスデモーナを思い描こう。
39・40小節目は、デスデモーナの息絶える前の台詞を思い浮かべよう。
デスデモーナ「無実の罪で死ぬのです」
エミリア「ああ、誰がこんなことを」
デズデモーナ「誰でもない、、、自分の手で、、さようなら、、
     旦那様(オセロ)によろしく、、、ああ、、さようなら、、、」

ちなみに、この物語はじれったいすれ違いの連続で、
ばかばかしい誤解と思いこみのためにデズデモーナが理不尽な死を迎える、
もう、私自身としては大っきらいな話である。
読んでも、劇を見ても、ヴェルディのオペラを見ても、
どんな形でもイライラさせられるばかりの物語である。
なんでこんな物語が世界の名作のひとつとして重宝され、
何人かの作曲家が音楽にするほどの影響を与えたのか理解に苦しむ。
けれども、物語の良否は別として、このリードの「オセロ」については、
ますます音楽的なおもしろさを見出すことができたようだ。




2003年10月05日(日) 体育大会当日

鱗雲に覆われた静かな曇り空の下を岩倉に向かいながら、
今はこうでも、9時ごろには雲が晴れて照りつけるかもー、と思っていたら、
8時半には、ケチのつけようのない快晴の空になった。
空気が澄んでいるだけに、陽ざしが実に素直にじりじり照りつける。
ま、空気がややひんやりしているからまだいいものの。。。

朝涼しかったためか、天気がいいせいか、あるいは強力に動員をかけたのか、
開会式のために本部裏に集まる人の数が、例年より多いように見えた。
去年、ちょっと少なかったので、今年は強力な動員をかけたのかもしれない。
それで、行進曲も用意していた5曲ではちょっと足りなかった。
退場はもっとひどくて、予定の何倍も繰り返しをしなければならなかった。
去年少なかったので、これで十分と高をくくったのがいけなかった。
これは大いに反省すべき点である。

もうひとつ失敗があって、最初の開式宣言の後にふぁんふぁーれを入れる
ことになっていたのに、宣言に聞こえなくて連絡に聞こえてしまったので、
開式を待って心の準備を始めたときに、選手入場宣言に入ってしまった。
大慌てでファンファーレをキャンセルして行進曲を始めなければならなかった。
慣れるとかえってこういうポカも生じるものである。

開会宣言のくす玉とファンファーレとのタイミングは実に良かった。
きょうのヒットはこれだけである。

解散後、昼には恒例のバーベキュー大会があった。
私は仕事のために欠席したが、職長のカキコによると大盛況だったようだ。




2003年10月04日(土) 体育大会前日

今週も、中学校混成バンドの練習をしてからの市吹である。
夕方までにもうかなりへたばって、横になって一休みしたい気分である。

明日の開会式進行表に従って、簡単な説明をしながら順に練習した。
練習といっても、軽い点検作業みたいなもので、1回通しである。
ま、こんなもんでいいでしょ、って感じで終わりにした。
久々に参加した黒幕が、遅刻して行進曲を吹けずじまいだったので、
行進曲をまたひと通りやってほしそうだったけれど、やはり終わりにした。

残り30余分を「オセロ」の練習にした。
きょうから棒で叩くのをやめて振ることにした。
まだそんなに回数やってないけれど、去年高校生の混成バンド相手に、
何度も何度も注意したことなどは、ほとんど注意する必要なさそうだ。
実にありがたいことである。もうどんどん細かいところに入って行けそうだ。
ただし、毎週来られる人たちばかりではないので、
ひとつの楽章に時間をかけて、各週に楽章を分けるのもいい手ではない。
できるだけ一度に多くの楽章を扱うことにして、
できるだけ回数多く練習してもらいたいという気持ちもある。
いつものことながら、この兼ね合いが難しいところだ。

私が今とても気にかけているのは、デズデモーナの死はどこか、である。
去年それを考えた時から、第5楽章39小節目だと解釈しているのだが、
原作を読み返して、リードがこの第5楽章をどう構成しているのか、
もう少し細かく分析してみたいものだと思っている。
第5楽章のタイトルが、「デスデモーナの死:エピローグ」となってるので、
実は、デズデモーナの死はもっと早いところにあるのかもしれない。
「オセロ」の物語は大っきらいなので、読み返すのはつらいものがあるが、
曲をよりおもしろく感じられるようにするためには仕方がない。


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