2004年08月31日(火) ただいま。
 

旅に出て13ヶ月と26日目。
わたしはふと、母を思った。

気づけばもう13ヶ月もたっていた。
そこでわたしはレターケースと黒のボールペンを買った。
今まで出会った幸せを書いて送ろう。
わたしが感じた、あらゆる形の幸せを
わたしだけではなく、母にも。

「おひさしぶりです。」
「こんにちは。」
「お元気ですか。」
「拝啓。」

けれど手紙を書こうとするたび何を書いていいのか分からなくなって
わたしはピリピリと手紙を破った。
違う。きっと文字にはできない。

そしてわたしは知っていた。
何が母の一番の幸せになるのか。
この旅で出会えた、たくさんの人たちのおかげで。

飛行機の中でわたしは何から話したらいいのか考えた。
話したいことは山ほどある。
幸せの実を食べたこと。
星を飾る青年にあったこと。
くじらの島や機械仕掛けの国。
話す豚に悪徳商売のおばあさん。
そして、幸せを奪い幸せを掴もうとする少年。

きっと、母は柔らかい笑顔で聞いてくれるだろう。
お腹に命を抱えた、あの女の人のように。
わたしは想像するだけで照れくさくなりこっそりと笑みをこぼした。

歩きなれた坂道を登って
見慣れた玄関の扉を押す。
あぁ、ハンバーグの匂い。

「ただいま。」

幸せはいつだって、こんなにも近くに転がっていた。

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完結しました。見てくださってありがとうございました。
サイトのほうにこれまでリセットで掲載したものプラス2話(喋る豚と悪徳商売のおばあさんの話です。)をアップしています。よければこちらもご覧ください。
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2004年08月30日(月) いのち
 

※8/21からの連載になっています。まずは21日の「メモ書き」からお読みください。

旅に出て13ヶ月と12日目。
わたしはお腹の大きな黒色の肌の妊婦さんに会った。

彼女はお腹をすかせて公園でくたばっていたわたしに声をかけてくれ
その上美味しくて温かいスープまでご馳走してくれた。
わたしは勢いよくスープを飲み干し
恥ずかしいことにげっぷまでしてしまった。

「失礼。」
「ふふ、気にしなくていいわ。」
「美味しかったので、つい。ごちそうさまでした。」

彼女はにっこりと微笑んだ。
なんて優しい笑顔だろう。
わたしは微笑みだけで赤面してしまいそうになる。

彼女は柔らかく微笑んだまま自分のお腹を優しく撫でた。
張り詰めたお腹。
その中には新しい命が宿っている。
こんなに間近に妊婦さんを見るのが初めてなわたしは
妙にどきどきしてしまった。

「触る?」
「え。そ、そんな。」
「いいのよ。色んな人の温かさを伝えてあげたいの。」
「えっと。」
「おいで。」

彼女に促されるまま、わたしは彼女のそばへと座らされた。
ゆったりとしたワンピースの下。
彼女の手に導かれるように、触れた。

「すごい。」
「なぁに?」
「この中に、あなたの幸せがつまっているのね。」

彼女はわたしを見上げて、少し驚いた表情を浮かべた。
わたしは泣いていた。
溢れるように泣いていた。
彼女は柔らかな笑みを浮かべると
わたしの頭をそっと撫で、その腕で包み込んだ。

なぜ泣いたのか分からない。
ただ、心の底が震えるほど温かかった。

落ち着いたころ、わたしは彼女のお腹に耳を当てた。
たまにポコリという音が聞こえる。
赤ちゃんが蹴っているのかしらと思うとくすぐったかった。

「信じられない。」
「なにを?」
「この中に赤ちゃんがいるなんて。」
「あなたもいずれ分かるわ。」
「そうかな。」
「そうよ。」

彼女は優しく笑って言った。
わたしは彼女に母の笑顔を重ねたのかもしれない。
すこし恥ずかしそうに笑って、目をとじた。





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2004年08月29日(日) おじさんは雲職人
 

※8/21からの連載になっています。まずは21日の「メモ書き」からお読みください。

旅に出て11ヵ月が経とうというころ。
わたしは見覚えのある帽子をかぶったおじさんに出会った。

「あ!」

その帽子を見た瞬間、わたしは叫んでしまった。
パーティーのような帽子に、木製のプロペラ。
近くには雲を突き抜ける高さのはしご。
あぁ!あの青年以外にもいたんだわ。
わたしは思わず駆け寄っていた。

「こんにちは。」
「あぁ、こんにちは。」
「その帽子。」
「あぁ、こいつは俺の目印さ。」
「やっぱり。星を飾りに行くのね。」

おじさんは太い眉毛を吊り上げ、わたしを見下ろした。
そして大きな口で恐ろしいほどにやりと笑った。

「はずれ。俺の仕事はこいつさ。」

そう言って取り出したのは、ちくわくらいの太さの大きな筆。
それからパスタ皿のような大きなパレットだった。
おじさんはそれらを脇に抱えはしごに手をかける。

「え、もう行くの?夜はまだよ。」
「俺の仕事はこれからさ。
見てな、おじょうさんへ俺からのプレゼントだ。」

そう言うとおじさんは、決して軽やかとは言えない足取りで
はしごをゆっくりと上っていった。
おじさんが上るたびに、はしごがぎしぎし言うので
わたしははらはらして、おじさんの大きくて丸い背中を見送った。

年だから空まで行くのに時間がかかるのかしら?
と失礼なことを思いながらわたしは空を見ていた。
まだ日は高い。今日は雲ひとつ出ていない晴天だ。
その時だった。白い点がぽつりと空に浮かんだ。

「あ、分かった!」

滑らかに、誰かに描かれていくようにどんどん雲が形を作っていく。
間違いない。あの背も高くてどっしりした、笑顔の怖いおじさんだ。
そうか。雲職人なのか。
わたしはどんどん出来上がっていく雲を熱心に眺めた。

雲はもくもくとその形を整えていって
なんと最終的にはきれいなハートになってしまった。
わたしはおじさんの言葉を思い出して

「それは困るなぁ。」

と苦笑した。





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2004年08月28日(土) 幸せを写すカメラマン
 

※8/21からの連載になっています。まずは21日の「メモ書き」からお読みください。

旅に出て10ヶ月と1日目。
わたしは広い公園でカメラを携えた青年に出会った。

わたしが昼食用に作った玉子とハムのサンドウィッチを
ベンチに座り、ふたりでむしゃむしゃと食べていた。
わたしはふと疑問に思った。

「あなたは誰。なぜあなたも食べているの。」
「ちょうど空腹で。美味しいね。」

わたしは他人である彼が自然にわたしのサンドウィッチを食べていることの
何の返事にもなっていないと思ったが、深く気にしないことにした。
それより、彼の隣においてある大きな黒いカメラのほうが気になった。

「カメラマン?」
「趣味でね。」
「ふぅん。どんな写真を撮るの。」
「おや、いい質問だ!」

彼はサンドウィッチを口に入れたまま
大きなかばんの中に手を突っ込むと
茶色の背表紙の太い本を取り出した。

「アルバム。」
「うん、見てごらん。」

わたしは彼の言うとおりに本を開く。
引っ付いたページがぺりぺりと剥がれていく。
見てすぐに、わたしは彼の写真に目が釘付けになった。

それは、けっして特別ではなく
普通に生活している人々の写真だった。
井戸の水を運ぶおばあさん、赤ん坊におっぱいを飲ませる若い母。
汗を流しながら木材を運ぶ男性。友達に手を振る学生。
どこにでもある。普段目にする。風景。
けれどわたしの心は確実に鷲掴みにされていた。

「いい写真だろう。」
「ええ。みんな、とても素敵な笑顔ね。」

写真の人々はどれも笑っていた。
たぶん青年がカメラを向けたから作った笑顔ではなく。
自然に出ていた、笑み。
身近にありすぎて気づかなかった自然な笑顔。

「ぼくはこういう幸せを集めるのが趣味でね。」
「へえ。」
「ぼくも幸せになるんだ。」

すぐ想像ができた。
カメラを向ける青年の笑顔が。
たぶん、同じように笑ってるのだろう。写真の向こう側で。
わたしは思わず微笑んでしまった。
とそのときパシャリと音がして、青年に写真を撮られたのだと気づいた。

「あ。」
「とても素敵な笑顔だったよ。」
「ひどい。モデル料を払って。」

顔を赤くしてそう言ったわたしに、彼は想像通りの笑顔を見せた。





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2004年08月27日(金) 機械仕掛けの心臓
 

※8/21からの連載になっています。まずは21日の「メモ書き」からお読みください。

旅に出て9ヶ月と一週間目。
わたしは機械仕掛けの街で、体の半分が機械でできた少女に会った。

「本当ににぎやかな街ね。」
「ええ。何もかもが機械で出来てますから。
あの木も、あの美しい水も、この空気も全部機械で作り出されています。」

少女は微笑して何でもないことのように言ってのける。
わたしは舌を巻いてしまった。

機械仕掛けの街。この街はその名にふさわしい。
どこを見ても機械だ。
鉄筋コンクリートで固められた建物、煙を排出し続けるパイプ。
人間と同じような体つきのロボットが、ほうきで丁寧に地面を掃いている。
そこらじゅうに、これは機械であると証明するようなものばかり。
この街ではなにもかもが鉛色だった。

「この街で手に入らないものは何もありません。」
「たとえば?」
「恋する心すら、ここでは簡単に作れてしまうのですよ。」
「恋する心。」
「そうです。」

少女はそう言って自分の体をわたしに指し示した。
彼女の体は左半分が鉛で覆われている。
事故にあい、機械を取り付けたことでわたしは生きている、と彼女は言った。

「すばらしいでしょう。」
「ええ。」
「わたしは幸せです。この国で生まれて。」

わたしは空を見上げた。黄色い空。
煙と混ざってひどく低く見える。
近くのパイプは相変わらずしゅこしゅこと煙を出し続けている。
高すぎるクレーンがいくつも重なって、空を隠している。

「ところで。」
「はい。」
「恋心なんてどうやって作るの。」

わたしがまじめな顔をして聞くと彼女は
初めて年相応の笑顔を見せた。

「自分を好きだとインプットさせて
相手と同じような機械を作るだけです。簡単でしょう。」
「なるほど。分かりやすい説明をどうも。」
「ここでは何もかも簡単に作れてしまうのです。
体も、心も、幸せも。すばらしいでしょう。」
「ええ。」

彼女は興奮した様子で話し終わると
ふぅと大きくため息をついた。
わたしは止むことのない騒音に耳を傾け、余計な一言を言ってしまう。

「わたしには、少し物足りないけど。」

彼女は怒ることなく、微笑した。
わたしは彼女の鉛色の左目の赤い点が
すこし揺らいだように見えたが、きっと気のせいだ。
彼女の幸せは少なくともここにある。
この機械仕掛けの街に。

(たぶん本物の)太陽がゆっくりと下降している。
わたしは彼女の鉛の手をとって歩き始めた。





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2004年08月26日(木) くじら島
 

※8/21からの連載になっています。まずは21日の「メモ書き」からお読みください。

旅に出て7ヶ月目に到達する3日前。
わたしは海のバスに乗っていた。
港で見つけた海のバス。説明を聞いて興味しんしんで乗り込んだ。

入り口で切符を買って好きなところで降りれるという、システム自体は普通のバス。
バスの形をした船で、海の上を走るところが新鮮だった。
わたしが海のバスに乗って一週間がたとうとしていた。

「次はーくじら島ーくじら島ー。」

突如バスの車内にアナウンスが流れ始めた。
わたしは窓の外を眺める。

「あ」

海の上に小さな島がぷかりと浮かんでいる。
くじらのような形の真ん中が大きく膨らんだような形に
ずらりと家や木が立ち並んでいた。
わたしはとたんに胸がどきどきしだすのを感じた。
とりあえず素敵なところについたら降りようと思っていたわたしは
迷いなくブザーを押した。

「ようこそ、くじら島へ!」

わたしがバスを降りてすぐ、「くじら島へようこそ!」と書いた
看板をもった若いお姉さんが笑顔で話しかけてきた。

「どうも。」
「わたしは説明ガールです。よかったら島をご案内いたしましょうか?」
「無料ですか。」
「はい、サービスで行っております。」

お姉さんは失礼なわたしの質問にも、かわいらしい笑顔で答えると
わたしを促し華麗な足取りで歩き始めた。

「こちらは博物館になっております。くじら島のことならここでなんでも分かりますよ。」
「へぇ。」
「あちらが居住区。こちらが商店街になっております。」
「ほぉ。」
「ホテルもこちらにございます。
ところでお客様はどれくらいご滞在する予定でしょうか。」
「えっと、次のバスが来るまでいようかと。」
「では、3週間後になりますね。」

お姉さんはにっこりと笑った。

くじら島にはいたるところに草木が生え
レンガが敷かれた広場があり、とてもにぎやかな雰囲気だった。
そしていたるところにレインコートを着込んだ人々を見かけた。
わたしは不思議に思う。天晴れなほどの晴天だ。

「ねぇ。雨でも降るの?レインコートを着ているわ。」

5人ほど見かけて、お姉さんに聞くとお姉さんは意味深に笑った。

「もうしばらくすれば分かりますわ。さぁ、ここが島の中心部。」

目の前には水の出ていない噴水。広場の真ん中だ。

「えっと。」
「お客様、知っていました?ここがくじら島と呼ばれるわけを。」
「え。くじらのような形だからでしょう?」
「まさか。本当は島そのものがくじらなのですよ。」
「え。」
「さぁ、もうすぐ始まりますわ。」

お姉さんがそういうのと同時に地面がぶるぶると震え始めた。
と、突然噴水からものすごい量の、ものすごい勢いの水が吹きあげた。
その水は驚くくらい高く上がって、真上で四散すると
雨が降ってきたかのような水が降り注いできた。

全身ずぶぬれになったわたしとは対照的にお姉さんは
どこに持っていたのかビニール傘を差してにこにことしていた。

「一日に数回、この大きな虹を見ることができるんですよ。」
「あ。」

わたしはお姉さんに言われ驚いた。
きれいな半円を描く、虹色の橋。
こんなにはっきりと虹を見たのは初めてだった。
赤、緑、黄色、その他もろもろの色、色、色。
虹ははっきりとその姿を映し出し、次第に空に溶けていくように消えていった。
わたしは髪から水を滴らせながら見入っていた。
お姉さんはわたしにタオルを差し出すとにっこりと笑った。

「どうでしたか、くじら島は。」

わたしはタオルで水気をふき取りながら答える。

「とても、気に入りました。」

お姉さんは優しく微笑み、丁寧に頭を下げた。

「ようこそ、くじら島へ。住民を代表して歓迎いたしますわ。」

わたしは照れてしまい、妙にどぎまぎしてしまった。

虹が空に溶けていくのを明日また見に来よう。
透明のレインコートも買い足して。
遠くで、くじらの鳴き声が聞こえた。





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2004年08月25日(水) 水色のやじるし
 

※8/21からの連載になっています。まずは21日の「メモ書き」からお読みください。

旅に出て6ヶ月と20日目。
わたしは草花が咲き乱れる草原の中を歩いていた。
穏やかな気候が心地よい。風も柔らかく頬を掠めていく。
けれどわたしはいらいらしていた。
普段なら見つけられる幸せを、見逃していた。

それは、つい十分前に犬のウンコを踏んでしまったことや
ほんの1時間前に買ったドーナツをあと一口残したところで
地面に落としてしまったことが関係していた。
(ついてない一日!)とわたしは憤慨した。

そんな時、わたしは草原に不似合いなものを見つけた。
草原の真ん中に屋台がある。
オレンジとピンクのマーブル模様の屋根に、水色の柱と車輪。
そして屋台のいたるところにさまざまな色のやじるしが置いてある。
わたしが不思議な顔で見つめていると、満面の笑顔のおばさんと目が合った。

「こんにちは。」
「はい、こんにちは。」
「ここで何を?」
「この草原で店を開いてるのよ。」

おばさんは豪快に笑う。
この人はきっとよくしゃべる人だと
口元のホクロが教えてくれているようだった。

「商品は。」
「やじるしよ。」
「やじるし。」
「そう、どう使うかは使う人次第。」
「ふむ。」

わたしは、水色のやじるしを手に持ってみた。
木を切り抜いて色を塗っただけの。簡単なもの。

「面白いわね。こんな商品は初めて見たわ。」

おばさんは、目を光らせるようにしてにやりと笑った。
まるでわたしがこう言うのを待っていたかのようだ。

「でしょう。わたしは『わくわく』を売っているのさ。」

きっとこの言葉はおばさんのきめ台詞なのだなとわたしは思った。

わたしは結局買ってしまった水色のやじるしをくるくると回してみた。
どう使うか考えて、結局思いついたのはこれしかなかった。
わたしは矢印を宙へと投げる。
一回二回三回四回五回とやじるしは回転しながらゆっくりと地面に落ちた。

やじるしは左斜め下を指していた。
わたしはやじるしを拾ってその方向に歩いていく。
3歩歩いたところで10円玉を拾った。
20歩歩いたところで白くてふわふわした猫に出会った。

たったこれだけで少し幸せだと感じてしまった自分が、少し悔しい。

だいぶ歩くと草原を抜け港に着いた。
実は草原の中で迷っていたわたしは心底ほっとした。
次の国に着いたら、もう一度やじるしを投げよう。

わたしはわくわくしていた。





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2004年08月24日(火) 砂埃の街
 

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旅に出て3ヶ月目。国境を2つばかり越えた国で
わたしは始まったばかりの戦争に巻き込まれてしまった。
救いなのはその街はまだ被害が少なく、あまり身の危険を感じずにすんだことだった。

砂埃の街。街に若い男の人の姿はなかった。
老人と、子供ばかり。みんなやつれた顔をしていた。
話しかけようとしても活気がなく、話す気力すらなさそうだ。
戦火がここまでのびてこないうちに、違う国へ行ってしまおうか
そう考えているとき、顔をすすだらけにした少年に出会った。
少年はその小さな体に不似合いな、大きな銃を抱えていた。

「それ。」

とわたしが聞くと少年は得意そうに笑った。

「僕が作ったんだ。」
「そう。」
「本物だよ。」
「ええ。そうね。」

できるだけ優しく微笑むと、少年は自分の家へわたしを招待してくれた。
石造りの家。そこに少年以外の家族のぬくもりは感じられなかった。
少年は小さなじゃがいもと、まだ育ちきっていないにんじんをつかった
温かいシチューをわたしにご馳走してくれた。

「美味しい。」
「僕のお母さん直伝のシチューなんだ。」

少年はぽつりとそう言った。
わたしは聞けなかった。
そのお母さんがなぜいないのか。

「どうして銃を?」
「お父さんの仕事が銃を作る仕事をしていたから。
今、お父さんは戦ってて作れないから。僕が、代わりに。」
「そう。」

わたしは聞かないべきかと迷ったが、つい聞いてしまう。

「なんのために作るの。」

少年は怒るかもしれない。ひどく動揺するかもしれない。
けれど、少年は幼いその目を伏せて苦く笑った。

「幸せになるために。」
「…そう。」
「誰かの幸せを確実に壊してしまうけど。」
「そう、ね。」

それ以上わたしは何も聞けなかった。
聞く必要もなかった。言わずとも、少年はすべて分かっている。
少年の作ったその武器が、もしかしたら少年のような子供を
増やしてしまうかもしれないことまで。

たぶん、きっと。

わたしは街を出る前に、もう一度街を見渡して。
少年の薄いシチューの味を思いだした。





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2004年08月23日(月) 星を飾る青年
 

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旅にでてちょうど1ヵ月と5日目。
わたしは国境を越え、いまだに西へと向かっていた。

石造りの街並み。先のとがった形ののっぽの木。
車輪のやけに大きな自転車。
ぐんぐんと進んでいくと、へんてこな帽子を被った青年に出会った。

どうへんてこなのかというと
パーティーで被るようなとがった帽子のてっぺんに
くるくると風車のような木製のプロペラが回っているのだ。
わたしはそのへんてこな帽子に釘付けになった。

「やぁ。こんにちは。」
「こんにちは。面白い帽子ね。」

つい思ったことがポロリと出てしまった。
失礼かと思ったが青年はちっとも気にすることなく微笑んだ。

「あぁ、ぼくの目印なんだ。」
「目印。」
「そう。あぁ、もっと話したいけれど僕はこれから仕事なんだ。」
「何をするの?」
「これさ。」

青年はポケットから何かを取り出すと、それをわたしに見せてくれた。
でこぼこした、そこらへんに落ちている石のような物体。

「それをどうするの?」

青年はにっこり笑って空を指差す。
わたしは青年の指の示す先を眺めて。また青年を見つめた。

「空に取り付けるのさ。」

そういって青年は壁にかけてあったはしごに手をかけた。
わたしは青年の帽子しか見てなかったので気づかなかった。
なんて長いはしごだろう。雲を突き抜けて、先は見えない。

「見ていて。きっときれいな一番星を見せてあげるよ。」

そういうと青年は、軽い足取りではしごをあっというまに上っていった。
わたしはあんぐり口を開けて、もう見えなくなってしまった青年を見上げた。

夜になり、静寂と暗闇が世界を包み始めたころ
わたしは窓から夜空を見上げていた。
まだひとつも星は出ていない。
青年は無事たどり着いただろうか。

とそのとき、小さな灯りが夜空に点った。

「あ!」

青年だ!とわたしは思った。
そしてそれが合図だったかのように
次々と夜空に星が生まれ始めた。
またたくまに、夜空は完璧な星空へと生まれ変わった。
わたしは驚きと感動で、大きく息を漏らした。

一番星のすぐ隣で、青年のプロペラが回っているような気がして
わたしは一番星に手を振った。

明日もきっと晴れるだろう。





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2004年08月22日(日) 幸せの実る木
 

旅に出て4日目。
わたしは幸せが実る木を育てる老人と出会った。

老人は麦藁帽子をかぶって
首には汚れたタオルをかけて
青い花模様のアロハシャツを着ていた。

「こんにちは。」
と挨拶をすると
皺が刻み込まれた目元で柔らかく微笑んだ。

実っていた実は赤くてプチトマトのような形をしていた。
というかどこから見てもプチトマトだ。

「これが幸せなんですか?」

老人は小さく笑って首を振る。
わたしは首をかしげた。

「いいや、幸せは形あるものではないからね。
ひとつ食べてごらん。幸せが口の中全体に広がるよ。」

わたしは一粒摘んで口に放り入れる。
しゃくり。とかじって驚いて口を押さえた。
慌てて飲み込んで。老人を見上げる。

「美味しい。」
「そうじゃろう。それも幸せの形のひとつ。」
「なるほど。ところで」
「うん?」
「もうひとつ頂いても?」

老人は一瞬変な顔をしたが大きくふきだして
その顔を笑みで埋め尽くした。

「ゆっくりお食べ。よく味わって。」
「はい。」

もう一粒口の中へと放り込む。
甘くて少し酸っぱくて、果汁がじゅわっと広がる。
口の中を幸せが支配する。
自然と自分が微笑んでいるのに気がついた。

(だからおじいさんの目元は、あんなにも優しい皺が刻まれているのかしら。)
(きっと、幸せ食べ過ぎたのね。)
とわたしはこっそりと思う。

老人は皺だらけの目元で柔らかく微笑んでいた。





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2004年08月21日(土) メモ書き
 

「お母さん、ちょっと出かけてくる。」

わたしは台所できゅうりを刻んでいた母にそう告げると
重たいリュックを背負って玄関へと向かった。
母は台所から出ることなく声をかけてくる。

「どこへ行くの?ご飯はいる?」

わたしは靴紐を結びながら答えた。

「ちょっと幸せ探しの旅へ。」

ちょっと間があって
台所から素っ頓狂な声とガシャンとなにやら物騒な物音が聞こえたかと思うと
母が慌てて飛び出してきた。
けれどもう遅い。わたしは玄関の戸に手をかけていた。

「ちょっと!どこへ行くの!」
「とりあえず西へ。餓死するまでには帰ってくるわ。」
「ちょっ…!」

最後まで聞くことなく扉を閉めて
わたしは急いで歩き始めた。

こうしてわたしの幸せ探しの旅が始まった。
家を出てすぐわたしの鼻をハンバーグのいい匂いがかすめた。
あぁ、しまった。今日はハンバーグだったか。
明日出発にすればよかった。

などと思ったことは、内緒にしておこう。





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2004年08月19日(木) 偽物のせかい。
 

どこまでも快晴なのに外はどしゃ降りだった。
青い空、散り散りの雲、大粒の雨。
わたしは傘を差しながら(なんて天気だ)と毒づいた。

狐の嫁入りにしては、まるで台風が襲ってきたかのような雨である。
うそ臭いほどの青い空とさんさんと輝く太陽が
皮肉げに笑っているかのように貼りついている。
まるで(バーとかで使う)特大の氷のような大粒の雨に
わたしの赤い水玉の傘はみしみしと悲鳴を上げた。(こんなばかな話があるか。)

わたしは空を見上げる。
うそみたいに晴れた空。
もしかして、これが本当はにせものなんじゃないかと疑ってみる。

ずっと昔に、普通の人生を歩んでいると思っていた男の生活が
じつは全部作り物だったという映画を見た。
もしかしてこの世界もそうなのだろうか。

疑い始めると何もかもが疑わしくなってくる。
たとえば上司のちょっと浮いたように見える髪の毛とか
同期に入社した女の子の形のいい筋の通った鼻とか
グラビアアイドルのIカップとか。

わたしは一通り空を見つめたあと、ため息をついた。
にせものばかり探しても仕方がない。
わたしはこの青い空を気に入っているし
今の家も入社したばかりの会社も友達も彼氏はまだいないが
全部気に入っている。そして気に入らないこともある。
それでいいじゃないか。

知らなければならないことがあるように
知らなくてもいいことが世の中にはあるものだ。

(あ、やんだ。)

雨は何の前触れもなく、すっとその姿を消した。
わたしは傘の下から空を見上げる。

そのとき、空の一部が剥がれおちた。
けれどわたしは何も見ていない。

見なかったことにする。





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2004年08月17日(火) トイレの花子さん 後編
 

(前編は一日前にあります。そちらからご覧ください。)

わたしは今日も中学校本館4階の右から2番目のトイレにいた。
目の前には花子さんと太郎くん。
花子さんは最近歯の調子が悪いらしくしょっちゅう奥歯を床に落としている。
わたしは毎日のようにここにきて花子さんの話を聞いていた。
太郎くんもちょくちょく遊びに来ているが、男の子は女子トイレに入ってはまずいと思う。

「そういえば、あなたって友達はいるの?」

突然花子さんが聞いてきた。
わたしはどきりとしてしまう。

「僕と花子さんが友達だろう?」

すかさず太郎くんがフォローらしきことを言うが
花子さんは太郎くんを見ようともしない。(なんて潔いシカトだろう!)

「違うわ。人間のお友達よ。」

わたしは考え込んで項垂れてしまった。
花子さんに隠し事をしたって仕方がない。
恥ずかしいことは何もない。きっと。

「いないの。」
「まぁ!なんで!」
「そうだよ、なぜ?君みたいな優しくかわいい女の子に友達がいないなんて!」

大げさでわざとらしいが、二人ともまじめにそういうので
わたしは困ったように笑った。

「気の合う人がいないっていうか。自分から話しかけるのが恥ずかしいっていうか。友達を作るのが下手なの。」
「まぁ…」

花子さんが大きな息をもらす。その息に少しばかり毒素が含まれていることを本人は知らない。

「いいのよ。ずっとこうなの。気にしないで。」
「そんなわけにはいかないわ!恩返しをしなくちゃ。」

こうなったら誰も花子さんを止められない。
次の日から花子さんはトイレの壁に血文字で
「友達募集中。」などと恐ろしいメッセージを書き記したり
トイレに訪れた女の子の足をつかんで「友達になれ。」と地獄の底から出したような声でささやいたりした。
(その後頭を思い切り蹴飛ばされ手を放した隙に、その女の子は半狂乱で逃げ出したらしい。)

その後始末をするのはいつもわたしだった。
わたしは壁の血文字をきれいに拭い去り
疲れ果てて屋上の隅でひとやすみしていた。
誰かが屋上の錆付いたドアを開けたのがわかった。
その人物は屋上の柵につかまるといきなり大声で叫んだ。

「階段の守り神のバカヤロー!」

驚いた。
わたしは思わずその人物に近寄っていた。
その女の子は驚いたような顔でわたしを見つめたが気にしない。

「ねぇっ、わたしトイレの花子さんの友人なんだけど。」

その女の子は驚いたが、すぐさま仲間を見つけたような笑顔を浮かべた。
(あぁ、わたしのほかにもいたんだ。)とわたしは心の中で喜びにふけった。
彼女は滝沢さんという女の子で、北館2階の階段に住み着くジローという守り神の世話をしているらしい。
すぐ段を増やしたりして困っていると笑った。
わたしは花子さんや太郎くんのことを大急ぎで話した。
ふたりはすぐに友達になった。

そのことを花子さんと太郎くんに伝えるとふたりは大喜びしてくれた。
わたしたちの関係は崩れることなく中学卒業まで続いた。

卒業式、わたしは花子さんのところへと向かった。
花子さんはどぶ色の涙を浮かべながら微笑んでいた。

「おめでとう。喜ばしいことなのに、とても寂しいわ。」
「わたしも。」

わたしは心の底からそう思った。
花子さんは泣きながらわたしを抱きしめた。
わたしも弱い力で抱き返した。
花子さんの体は驚くくらい細くて、それ以上の力で抱きしめたら壊れてしまうんじゃないかと思った。

「ひとりで大丈夫?ちゃんと友達を作るのよ。」
「平気よ。花子さんが教えてくれたから。」

そうして、わたしは中学校を卒業した。
絶対に忘れない花子さんとの日々を心に残して。

けれどその3日後、思いがけないところでわたしは花子さんと再会することになる。

「やっぱり寂しくなって引っ越してきちゃったわー。」
花子さんはわたしの家の1階のトイレに居座っていた。
最初のほうはママが失神したりパパが激怒したり大変だったが
3週間ほどたてばみんな花子さんに慣れ親しんでいた。
やっぱりトイレ掃除はわたしだった。

そしてわたしが大人になって家を出た今も、花子さんはうちのトイレに居座っている。
最近ではわたしの息子の太郎と遊ぶのが楽しくて仕方ないらしい。
たまに滝沢さんが遊びに来て花子さんに挨拶をしている。
彼女の家にもジローが住み着いて階段が増えていつまでたっても2階に行けないときがあると笑っていた。

花子さんはもうひとりで泣いていない。
わたしが一日置きにぴかぴかに掃除をしているし
息子の太郎という遊び相手もいる。
わたしももうひとりで泣いていない。
愛する夫と愛する息子といつまでたっても飽きない花子さんがいる。

「ねぇ、髪の毛がつまったわ!」
「はいはい、今とってあげる。」

わたしたちの生活は、まだまだ続いていくことだろう。
トイレの花子さんというすてきな友人とともに。





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2004年08月16日(月) トイレの花子さん
 

わたしがトイレの花子さんに出会ったのは
中学校本館4階の右から2番目のトイレの中だった。

ドアをあけたとき、わたしは心底ぎょっとした。
女の子が便器にまたがりしくしく泣いていたからである。
その泣き声は頭のてっぺんからつま先まで
ぞわりと鳥肌が立つような、奇妙な声だったし
その涙はどぶ色だった。

わたしは(あぁ、いやだなぁ)と静かに個室から出ようと試みたのだが無駄だった。
彼女が顔を上げこちらを見たため思い切り目が合ってしまったのである。

彼女はどぶ色の涙を目にたっぷりとこびりつかせたまま
こちらを凝視していた。わたしは潔く逃げようかと思ったが
たとえ相手が誰であろうとも泣いている人(人?)を放っていくなんて
人間としてどうかと思ったのでぎこちなく笑顔を浮かべて見せた。

「どうして泣いてるの?」

とわたしが聞くと花子さんは少し驚いた表情を浮かべた。
驚いた拍子に鼻からどぶ色の何かが流れ落ちたが見なかったことにした。

「…みんながわたしばかり嫌うのよ。ひどいわ。」
「わかるように、ゆっくりと説明して?」
「いいわ。」

花子さんの話は長くなりそうだった。
花子さんの話をよくよく聞くと、花子さんは幽霊ではなく
トイレに住むトイレの守り神なのだとわかった。
わたしはトイレの妖精のようなものだと自分に思い聞かせた。
花子さんの言い分によると、みんなが掃除してくれないのが悲しいのだということらしい。

わたしは、掃除をしようとするたびに
トイレから赤い血が流れたり、髪の毛が大量に落ちていたり
夜な夜な泣き声が聞こえるから誰も近寄らなくなったんだよと言いたかったが
花子さんのどぶ色の涙をこれ以上増やしたくなかったので言わなかった。

仕方なくわたしはひとつの提案をすることになる。

「わたしが掃除してあげる。だから泣かないで。」

花子さんは驚いてうれしそうに顔を真っ赤に染めて抱きついてきた。
ぬらぬらとした髪の毛がなんともいえない感触だったが
わたしは素直に抱きしめられた。

トイレの掃除は大変だった。
わたしがタワシで擦るたびに「こそばい!」と叫んでは便器に血を垂れ流したり
大量の髪の毛をつまらせたりしてわたしを困らせた。
上から大量にトイレットペーパーが降ってきて
間一髪避けたところを「もっと遊ぼう」といわれたこともある。
けれどわたしは諦めなかった。
トイレに詰まった髪の毛を抜き取り
こびりついた血を拭きあげ
粘ついたどぶ色の液体も(たぶん花子さんの涙だろう)丁寧に拭い続けた。

そのかいあって、トイレはぴかぴかになった。
花子さんはうれしそうに微笑んでいた。

「ありがとう、ありがとう。」
「これくらいどうってことないわ。」
「またいつでも来て。あなたなら大歓迎だわ。」

花子さんはにこにことそう言ったが
わたしは花子さんの視線を感じながら用を足すことなんて
お断りだったので、何も答えずただにっこりと笑った。

ようやく肩の荷が下りたわたしはふぅとため息をついて
トイレから出ると大きく伸びをした。
すると、突然後ろからとんとんと肩をたたかれたので振り向くと
そこには見知らぬ男の子。

困ったことにどぶ色の涙を浮かべていた。

「やぁ。花子さんのことは知ってるよ。じつは僕も困ってるんだ。」

トイレの太郎くんだ。
わたしは瞬時に理解して(あぁ、困ったなぁ)と心の中で大きくため息をついた。

困ったことに、
それから長い間わたしたちの関係は続いていくことになる。


後編へ続く。





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2004年08月15日(日) とりかえっこ
 

道を歩いていると突然向かいから歩いてきた女の子に呼び止められた。
わたしと同じような背丈の
わたしと同じような服装の
わたしと同じような年齢の
女の子。

「とりかえっこしよう。」

わたしは行く手をふさがれて
仕方なしに会話をするはめになる。

「なにを?」
「環境を。」

女の子は平然と言った。
わたしはばかみたいに復唱する。

「カンキョウ。」
「そう、環境。」

わたしは低く唸った。
環境とは今暮らしている家だとか
通っている学校だとかのことだろうか。
頭の中で考えたことを読み取れるかのように
女の子はこくりと頷いた。

「いいよ。」

わたしは深く考えるわけでもなくそう言っていた。
つまらない日常からさようならしたいと考えていたもの。
彼女は初めてにっこりと笑った。

「ありがとう。」

わたしたちは互いの家の情報を交換して
それぞれ帰路に着いた。
環境をとりかえっこしたいなどというものだから
もしかして貴族の娘かなどと思っていたが
彼女の家はどこにでもある普通の(わたしと同じような)ものだった。

二階建ての一軒家、家に入るとお母さん(今はわたしの)が
にこにこして迎えてくれた。

「おかりなさい、疲れたでしょう。」
「は、はい。」

わたしは緊張して、しょっぱなから噛んでしまった。
お母さんは優しく微笑んだ。
夕方になると優しそうなお父さんが帰ってきて
3人で晩御飯を食べた。

湯気の昇るコーンスープに
じゅわっとしたハンバーグ
茹でたブロッコリーに甘いにんじん

お父さんもお母さんも優しく優しく微笑んでいて。
わたしはなぜだか泣きそうになった。
他人だからこそ、痛いほど伝わったのだ。
あの女の子がどれだけ家族に愛されているのか。
この家が、どんなに温かいのか。

わたしは一滴涙をスープに落とすと、立ち上がった。

「ごめんなさい。とても美味しかったです。」
お母さんはやはりにこにこして
「またいつでも来てね。」
といった。

家に帰る途中、向こうから女の子が歩いてきた。
わたしと同じような家族をもった女の子。
わたしは彼女の前で立ち止まるとにっこりと笑って言った。

「とりかえっこしよう。」
「うん。」

恥ずかしそうにふたりで手を振って
またそれぞれの帰路へと着いた。





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2004年08月10日(火) カラフル
 

「あ」

スカートの両ポケットに両手を突っ込んで
そのとき初めてポケットの底が破れていたことに気がついた。

しまった。ポケットには大切なものをたくさんいれておいたのに。
わたしは愕然としてしまう。

たとえば
大好きな恋人から囁かれた愛の言葉だったり
ずぅっと前に好きだった人から貰った言葉だったり
(ときには悲しい言葉だってあった。)
大切な友人と呼べる人と過ごした楽しい時間だったり
怒ると怖いけれど優しいママのぬくもりだったり
無口なパパの時折見せる優しさだったり

そういう、数え切れないほどの大切なものを
ポケットに隠していたのに。

わたしは慌てて、来た道を戻ろうとした。
が、振り向いた瞬間驚いてしまった。
さっきまで何もなかったはずの道が、緑や花であふれている。

「?」

不思議に思って、木のそばにたってまじまじと見つめた。
優しい緑、ざわざわ揺れる葉っぱ。橙色の花びら。
幹に耳をつけると水の音が聞こえてくる。
生きている。

わたしはその橙色の花を咲かせた木に、なぜか友人の姿を思い浮かべた。

そのすぐそばには赤い実をつけた小さな木が生えている。
摘んで一口食べてみると酸っぱく、少しだけ甘かった。

(あぁ。これは。まさか。)

わたしは、昔好きだった人に寄せていた自分の気持ちを思い出す。
苦しく悲しく優しく、甘かったあの恋。

不思議なことにそこら中に咲いている花々は
ポケットの中に隠していた大切なものを思い浮かばせた。
なぜだか、わたしの心は出来上がったばかりの焼き芋のようにほくほくと湯気をたてていた。

わたしはふと思いついて
上着の胸ポケットに残っていた
昨日触れた恋人の手のぬくもりを取り出すと
そっと大地に蒔いてみた。

わたしの蒔いたそれは、あっという間に芽を出すと
大地に根っこを伸ばし、ぐんぐんと大きくなり
緑の葉っぱをちらつかせバニラ色のつぼみをつけてみせた。

そして最後に、ぱちんと音を立てて
バニラ色の小さな花をさかせた。
ほんのり桃色の混ざった、とてもいい香りのする花を。

その花を見つめるとやっぱりわたしの心はほくほくと温まった。
わたしは、多分とても幸せそうに、にっこりと笑った。

ポケットの中は、空っぽになってしまった。
けれどわたしは少しも悲しいなどと思わなかった。
そしてこの道を大切な人と歩けたら
わたしの心はもっとほくほくになるだろう。


(帰ったら、ママにポケットを直してもらわなくちゃ。)


すっかり茹ってしまって桃色になった頬を
笑みの形に上げて
わたしは大切な人が待っている家へと歩き始めた。





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2004年08月09日(月) 019 ナンバリング
 

君と歩んだ道筋に
こっそりと
並べていく

今までであった人たちとか
覚えている風景
話したことば
大切な温度

順番に
ひとつずつ
丁寧に
思い出せないことは
彼に教わりながら

いつまで続くだろう
先は見えない
わたしはこっそりと
並べながらも進んでいく

君とふたりで。





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2004年08月08日(日) よりみち
 

宝物をしまうように
少しだけよりみち

去年も歩いた坂道
べたつく潮風
空に流れていく流れ星のような輝き
残った煙

また思い出せるように
また出会えるように

少しだけよりみち
あなたと出会えた
幸せを忘れないように





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2004年08月05日(木) 優しく、暖かい腕の中で眠れる幸せを
 

優しくも暖かくもない
冷たい恋の記憶は
それでも宝物だった

君の顔を、その背の高さを
思い出すたび
涙が出たよ

いつだろう
わたしは記憶にふたをすることなく
自然と自然と進んでいった

今でも君の顔を思い出すことはあるけれど
隣にいる彼に重ねたりはしていない

今、
優しく、暖かい
腕の中で眠れる幸せを
涙が出るほど感じています





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