2004年02月29日(日)   直太朗を振り返る。

先週の日曜日、念願の森山直太朗コンサートに行ってきました。

横浜に、家からすぐのとこに直太朗がやって来てるっていうだけで、
500人しか入らないホールでじっくり聴けるだけで、
うれしくってしょーがないのに、
コンサート途中の演出で直太朗が自分の席の横で歌って
一瞬動けなくなるぐらいに感動?感激?ドキドキ?しました。

今思うと触っとけばよかったーーー:D

美しいひとでした。
顔も声も。
なんていうか、すごく落ち着くんだなあ。

ヤイコとか好きやしいろんなライブいっておもしろい楽しい経験は
いっぱいあるけど、ヤイコだったらやっぱり「大阪のひと」っていう
印象が強かったりで。

例えばMr.Childrenは東京のひとで、直太朗も東京のひとで、
彼等にとってたぶん横浜もそう遠い感覚じゃないだろうし
わたしにとっても東京は通学通勤の日常のエリアで、
なんだか育ってきた環境とかいつもみていた風景の感覚が
そう遠いかんじじゃない気がして(勝手に思ってるだけだけどね)
安心する。

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パンダ日記に画像を載せたけど、
11年前、Mr.Childrenをはじめてみた横浜市教育会館。
今回、直太朗をはじめてみたのも同じ場所。

Mr.Childrenはあれから何度もコンサートに行ったけど、
11年経ってもあの時の感動はまったく色あせず今につながってて
(あのコンサートがきっかけで舞台照明をやってみたいって思って
大学受験にもつながってそれがめぐりめぐって結局今はデザインの仕事をしてるとかもね)

あんまりコンサートでは使われることがない小さな無名のホールで
今回たまたま直太朗がコンサートを開いてそれに行ったっていうのとか、

他のライブとかさんざん行ってるからめったなことじゃ感動とかしなくなってるのに、
直太朗が偶然隣にやってきたことですごくこころに刻まれたのとか、

例えばこれが東京のホールで、同じように客席にくる演出があっても
自分はわりと遠目に「いいな〜!」ってみてたりとかだったら
全然違ったんだろうし、

まあ偶然なんだけど、運命大好きなわたしとしてはなんだかすごく
必然の偶然みたいなかんじがしてしまったりした。
人生ではいくつか大きな出会いがあると思うんだけど、
これもそのひとつなのかもしれないなぁとか。

Mr.ChildrenはM列、直太朗はP列。
Mr.Childrenの時のほうが前の席だったらしいけど、
今回の方がホールの印象が小さいかんじがしたのは
わたしが成長したからなのか、
11年の間に思い出が誇張してたのかどっちだろ?

時が経つのはほんとにあっという間。

これから11年経って(36歳!)どうなってるのかなあと想像つかないけど
22年経ってもこの2枚のチケットを持ってて
自分の子供に思い出話でも懐かしく語れたりしたらしあわせかもね。



さえない運命蹴飛ばして
叶わないお願いやり込めて
人知れずみんな泣いている

くだらないジョークを飛ばして
またとないチャンスに逃げられて
笑ってる
そんな日があってもいいなと思う

そんな風になれたらいいなと思う
そん時は一緒に"横浜"に行こう


2004年02月09日(月)   当たり前のようでできなかったこと?

思えばこの25年間、自分の思ったように行動したり
発言したりしてきたなあと今さらながら思った。

言ったら自分が楽になるけど、
言ったところで他の誰にもいいことがないこととか、
ぐっと抑えるべきとこは抑えるのが 大人?なのかもしれんなあ。

毎日暮らしてるといろんなことがあるけども
何か行動したい衝動にかられたら

まずいろんなことを頭の中で整理して
今までやってきたこと、相手の気持ち、自分の置かれてる状況を
考えてそれでも動こうと思ったら動けばいいんだろう。

今までそういうとき立ち止まらずいっちゃってたのは
たぶん立ち止まるほどの要素がなかったせいもあるのかも?

そんなこと思った自分にびっくり。
当たり前のことやけど見てみぬふりしたり抑えたりしなかったことだ。


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