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過去のトラウマ日記
なぎさ



 ■お知らせ■

何故か昨日の夜から16時間以上、掲示板に入れません。
なんで、こんな週末に・・・(>_<)

自分で抹消した訳ではないので、しばらく経ってから様子を見に来て下さい!
ま、うちに来てくれている人はわずかですけれど。
でも今日はなんとなく知らせておきたかったのです。

選挙、今から行ってきます。
鬱でも、ACでも、権利は捨てなくないんです。
支持政党があるわけじゃないけど、投票だけはしておきたいから。

あ、これ、別に日記でもなんでもないんで
掲示板復旧後、削除しますね。

なぎさ

2001年07月29日(日)



 マニュアル(訂正版)

 ■殴る■

  睨み付けると、逆上して余計にやられます。
  殴る度に拳が鍛えられるらしく、相手を殴り慣れさせない方がよいでしょう。
  運動不足になるといいがかりをつけ、殴る言い訳を作ってくるので心構えが必要です。
 
 
  ・こめかみ
    頭への衝撃は大きく、たぶん脳のダメージも深い。
    顔が腫れにくく、髪を伸ばす女児だと人に気付かれる可能性なし。

  ・目の辺り
    文字どおり「火花」が散る。
    しばらく目が見えない時もある。あざが出来やすい。

  ・鼻
    回数を重ねて殴ると、骨さえも曲がってくる。
    鼻は変型しやすく、血も出やすいです。

  ・ほお骨の辺り
    殴る方も痛いが殴られた方は相当痛い。

  ・あご
    口の中を怪我する可能性有り。

 ■蹴る■

  殴る事に飽きたり、殴られても平気な顔をしていると、逆上して
  足払いで床に倒され、蹴られます。
  背負い投げで倒されると、腹を集中的にやられ危険です。

  ・腹
    床に倒されると、立ったまま楽に蹴られるので、命にかかわることも。
    自然と体が丸まって防御の姿勢になるが、それでも尚蹴りやすいらしい。
    息が出来なくなる時もある。
    内臓系へのダメージも大きいと思う。要注意。

  ・頭
    短時間で連続して蹴られます。
    頭部全体への攻撃をしてくるので、防御してもあまり役に立ちません。

  ・尻部
    骨に直撃すると痛い。ここを攻撃したあと、防御の手が後ろへ行くので
    次の瞬間、腹を蹴られやすいです。

 ■物を使う■

  楽して痛みを与えられる。
  相手が体力を使わないですむので、長期戦の時には注意。

  ・竹刀
    子どもに剣道を習わせると手に入りやすいので
    兄弟が習ってる場合は、目につきにくいところに置いてもらいましょう。
    突かれると、防御しにくく、反撃もしにくい。
    防御出来ない子どもを練習台にする場合もあります。

  ・ウイスキー角瓶
    ほお骨・頭部へ振りおろすと、力を使わなくても相当な衝撃を与えられる。

  ・ふとん叩き
    バトミントンの要領で顔を叩かれます。
    小言を一言云い、叩く、子どもが口答えをする前に、又叩くので
    反応しない方がよいでしょう。

  ・家具、TV、柱
    髪の生え際を持ち、ぶつけられます。
    家具などに向かって殴ると、殴った痛みと打ち付けた痛みがあり、
    打所が悪ければ、死の可能性も。受け身を充分に覚えて下さい。

  ・味噌汁
    火傷する可能性は低いが、精神的ダメージを与えられる。 
    殴られていても、顔についたわかめやえのき茸を取り除こうとする為
    子どもにスキが出来ます。
    暴力が終わる迄は、気にしない方が身の為です。

 ■その他■

  ・風呂に引きずり込んで、シャワーを浴びせ続ける
    その後、外に放り出されると、冬だと凍死の可能性もあり。
    確か亡くなった幼い子の事件も聞いた事あります。
    外に基地を作っておいて、着替えや毛布を置いておくと
    役に立ちます。
 
  ・髪を切る
    殴られることに慣れてきた子どもに精神的ダメージを与える事が出来るため、
    特に女児はざんぎり頭に刈られたりすることもあります。
    殴られることに耐えられても、友達に知られるのは嫌なので
    はさみなどは隠しておくべきでしょう。

  ・刃物
    殺されてもいいと思っている子どもには脅しの効果なし。
    但し、アイスピックで手の甲をつくのは相当恐いです。
    殴られようが、危険物は荒ゴミに混ぜて捨てるのが無難です。

+++++++++++++++++++++++++++++++

一番いいのは相手の腰に抱きつくことです。そして絶対に離さないでいること。
しかし、これが出来ないんですよね、気持ち悪くて。
抱きつくなんて、殴られてもしたくない・・・・

睨みつけたり、平気な顔をするのもやめた方がよいのではないかと思います。
かわいく泣くことが出来れば、被害は少しは軽くなるのでは、と思うのですけれど
出来ませんよね、やっぱり。

特に、親を軽蔑している子にとっては、絶対に出来ないことでしょうね。
私がそうでしたから。

暴力から逃げるには自立しか道はないです。

自立が無理なくらい若ければ、
警察、警察がダメなら役所にいって児童相談所の方に話してもらって下さい。
昔は誰も相手にしてくれませんでしたけれど。今なら大丈夫だと思います。
絶対にひいてはダメです。
その後、諦めて家に帰ると、今迄以上の暴力が待っていますから。

親に引き渡すくらいなら、死ぬぞ、ぐらいに脅した方がよいですね、たぶん。
「(警察や役所にも)助けてもらえなかった」と新聞社に送りつけて死んでやる
くらいのことは言った方がよいと思います。

但し、耐えられるくらいの暴力ならば、
ある程度の年令まで親の元にいた方がいい場合もありますが。
自分で見極めて下さい。
殺すまでやる親かどうか・・ということを。

++++++++++++++++++++++++++++++

先日のクレージーな日記を訂正しました。
すみませんでした。


 

2001年07月27日(金)



 遺書

さっき、掲示板にてしばらく日記を書かないと宣言したばかりです。
なのに、もう書こうとしている。
なぜ?自分でもよく分かりません。
「自分を見つめる」作業は決して楽ではありません。
なのに、自分自身を追い詰めるかのように、取り組んでいます。
終わることのない戦いなのに、早く終わらせようと思っているのかもしれません。

掲示板に少し書きましたが、この日記はあくまでも私の心の叫び。
日常で、友人の前で、実際に叫んでしまうと「変人」「異常者」扱いは目にみえています。
そのため、いつもいつも押さえてきました。今現在もそうです。
ずっとずっと、叫べる場所が欲しかった。
やっと見つけた、『心の居場所』。それがこの日記なのです。
決して、人を誹謗中傷する目的で書いている訳ではありません。

一般の人達が持つ「常識」的な考えも、私の中にあることはあるんです。
だからよく分かっています。
私の書いている事が、いかに甘えたことなのか。
いかに、ゆがんでいることなのか。
だけど書かずにはいられない。
押し込められた今までの想いを、命短い虫けらの叫びを。

++++++++++++++++++++++++++++++

よく思うのです。
私はいつまで生きるんだろう・・・と。
神経や体の異常は医者に指摘されなくても、ある程度は分かってるつもりです。
フラッシュバックと思われる(医者に聞いていないので自己判断)
再体験が襲い、頭痛や吐き気、拒食、過食、鬱に悩まされています。
最近では脳が脈を打ったりしているような感じがしたり
変な音が聞こえてるような気もします。

よく笑う人は長生きすると言いますが、私はその反対の生き方をしていますし
ACとは無関係と思われる原因不明の大病を患ったり、
信じられないくらい、よく事故や事件に巻き込まれます。
何度も死にかけています。
だからいつも死を意識した生活です。
病死にしろ、事故死にしろ、命は長くないだろうと思っています。
日記を書き急ぐのも、そんな理由からなのかもしれません。

ここでひとつ言っておきたいことがあります。
私が死んだ時、夫へのお願いです。

娘は絶対にどんなことがあっても夫であるTが養育すること。
決して私の親に引き渡す事のないよう、お願いします。
そして私のような人間にならないよう
明るく希望を持った子に育つよう、充分に注意して見てやって下さい。
「太陽」のように・・・。
そしてその名前の意味を教えてやって下さい。
ママは血のつながりを信じていないけど
あなただけは特別だったと、言ってやってください。
本当に愛していたと伝えて下さい。

そしていつか母になった時、たくさんの愛情を子どもに注げるよう
身を持って体験させてやって下さい。

葬式は必要ありません。
やりたければやってもいいですが、宣伝する必要はありません。
その時は酒や食事を出さないで下さい。
香典も、もらわないで下さい。
夫と娘以外は、私の顔や手を触らないで下さい。
私に抱きついて泣き崩れるフリをするであろう母を、私から引き離して下さい。
もうこの人の嘘はこりごりです。
私の為に、お経を読もうとするであろう父を家から追い出して下さい。
私を殴り続け、酒ばかり飲み働かないニセ坊主の経など必要ありません。

私の物は夫と娘が必要なもの以外、全て処分して下さい。
写真1枚でも他の人に形見分けしないで下さい。

私の可愛がっていたネコちゃん達を最後までお願いします。

そして、私の話をよく聞いてくれた夫であるあなた。
私のゆがんだ性格に本当によく耐えてくれました。
激しい感情によくつきあってくれました。
あなたには最後まで理解されなかったかもしれませんが
本当の私を一番よく知っているのはあなたです。
隠す事なくさらけ出してきました。
色々あったけど、素の自分でいられたのはあなただけです。
本当にありがとう。

+++++++++++++++++++++++++++++

死ぬつもりなど毛頭ありません。
私はまだ娘に必要とされています。
1分1秒でも長く生きたいのです。

最後まであがき続けます、例え命の長さが決まっていても。




2001年07月26日(木)



 教師 その2

教師の友人がこう言いました。
『最近のコは簡単に死んでしまう』と。
自殺した元教え子の訃報を聞いた直後の事です。

お別れの会が開かれるとの話に「めんどくさい」とも言いました。
中1の時の担任だったので、中3で死んだその子の追悼の会に
なぜ私が行かなければならないの?とも言ってました。
死んだ生徒の友人曰く、中2からは登校拒否で担任とはあまり交流がなく
中1の時担任だった友人を慕っていたのでぜひ来て欲しかったそうなのですが。

こんな教師を慕っていた死んだ彼女をかわいそうに思いました。
彼女にとって、たったひとり信用出来る大人だったのかもしれないのに
とも思いました。
そして、私もこんなバカ教師に出会った事を思い出したのです。

+++++++++++++++++++++++++++++

小6の時。
月曜日には、毎週朝礼がありました。
あの暴力教師が、姿勢の悪い児童を木刀で殴りつけようと
歩き回っている恐怖の時間でした。
特にやんちゃな男の子達は、いつも目の仇にされ、
何かと言いがかりをつけられ叩かれていました。
その暴力教師と共に、いつもつるんでいた奴の話です。

その日、奴が朝礼台に上がり、話を始めました。
児童を脅迫するような言葉をいつも使い
花瓶を割った犯人を知っていたら言いに来いみたいな話ばかりで
誰もがうんざりしていました。

その日は夏休み直前だった為か、
休みの間の過ごし方のようなことを言っていたように思います。
繁華街に行ったらあかん、とか規則正しい生活をしろ、とか
そんなことを言っていました。
私は2学期に転校を控えていたので、
暴力教師たちのくだらない説教を聞くのもこれが最後と思い
いつもより気楽に聞いてたように思います。

ところが、このあと、奴は全校児童の前でとんでもないことを言ったのです。
大人の影響を受けやすい低学年の子供たちも聞いているのに
いつものヤクザ口調でこう言いました。

『最近、簡単に死による奴がおる。』
『自殺するやつはアホや。根性のない奴や。』
『死んで周りに迷惑をかけるクズ野郎や。』

いや、もっと言ってたと思います。
とにかく罵倒しまくってました。
新聞に載っていた、夏休み前に自殺した2人の子供の例を挙げたあとで。

1人は親への恨みをノートに書き綴って死んだコだったと思います。

その2人の死に自分を重ね合わせていた私は、
直立したままこぶしを握りしめ唇をかみました。
私も死ぬ事を考えない日などなく
実際に首を吊ったり、凍死を試みたりしたことがあったからです。

首を吊ったのはそれまでに2回。
団地の家ではヒモを架けるところがなく
バカなことに、カーテンレールでやりました。
どちらも自分の体重でレールごと落ちてしまい
首に筋が残り、少しの酸欠を体験した程度に終わりましたが。
公園で木を見ると、真横にしっかりと伸びている枝がないかと
探していたこともあります。
Y字だと幹の方にヒモが寄ってしまい、
体がぶらさがりにくい状態になってしまいますから。
これはカーテンレールでやった時、壁が邪魔でしょうがなかったことで
証明済みでした。

家の中に、立派な欄間や天井に近い柱があったなら
きっと成功していたでしょう。
なぜなら私は嫌々入っていたガールスカウトで
皮肉にも「絞める輪の結び方」を習っていましたから・・・。

小学5年の凍死計画は、真冬に締め出された時、公園で水を被り続け、
海に飛び込んだようなずぶぬれ状態で1時間位、地べたに横たわっていました。
何故か、ほほが凍っていくような感じがしたのをよく覚えています。
足が痺れていくような感覚も。
寒いのを通り越した時、どうでもよくなってきて朦朧とした事も。
最後には服を脱ぎたいという欲求にかられ、
靴と上着を脱いで肌着とパジャマのズボンだけになっていました。
犬の散歩をしていたおじさんに声をかけられ
逃げなきゃ、と走って家に帰ったので、命拾いをしましたが。

ある意味、死んだコ達も、私と同じく「自殺を試みた」だけだったのかもしれません。
たまたま、成功してしまったのかもしれません。
でも私にしろ、そのコにしろ、死にたかったことには間違いないと思います。

命を大切にしない、と言う方もいます。
両親にもらった命、と言う方も。

でも私はそんなことは思わない。
死にたい時に死ねてよかったね、と言いたい。
こんな親のもとに望んで生まれてきたわけではない、と言いたい。
少なくとも、親の虐待で殺されるよりは、よかったと思うのです。
殺した親が警察や裁判所で泣き叫んで、反省しているフリをすれば
数年の刑務所生活を経験せずに済むこともあるのですよ。
子供の家庭内暴力をでっち上げる事だって出来るはず。
私の親なら、やりかねません。

生きたいのに命が限られている人もいる、と言う方がいます。
事故で死にたくないのに死んだ人が可哀想じゃないのか、と言う方も。

じゃぁ代わってあげる、と言いたい。
親に愛されながら、少ない命で懸命に生きてみたい。
自殺する心の構えをせずに、死ぬ事が出来るなら、それもいいかもしれません。
どちらにしろ、その人の人生。
子どもの私にそんな事が理解出来ますか?
私の人生を私が背負えなくなったら、死ぬしかないのではないですか?

でも、簡単に死ぬ事なんてありえないのです。
私にしろ生きているのですから、死んだコたちがどんな辛い目に合っていたか
あなた分かって言ってるのですか?
あなたの背丈の2倍もある大男が現れて、毎日あなたに死ぬ程の痛みを与え続け、
どうやっても逃げだせない・・・という体験をしてみるといいです。
プライドさえも持つ事も許されない、ただ生かされてるだけ
そんな中で希望を持って生き続けることがどんなに困難な事か
身をもって体験してみるといいです。

根性がないなんて・・・・
これ以上、根性を持てと言うのですか?
どんなことをされても歯をくいしばり耐えていけと言うのですか?
私は死んだコが根性なしだとは思いません。
自殺出来る年令まで耐え忍んでこれたのですから。

周りに迷惑もかけてないと思います。
どうせすぐに忘れ去られてしまうんです。
薄っぺらな御悔やみを言わなければいけないことが「迷惑」なのですか?
それとも私の友人のように、葬式や追悼の会に行かなければならないことが
迷惑なのでしょうか?
親にとっての葬式代が迷惑なのですか?
死ぬ程、殴り続けていた親の事ですから
どうせ「せいせい」していることだと思いますよ。

+++++++++++++++++++++++++++++++

簡単に人の死を批判しないで下さい。
その人の人生、私達には決して分かる事はないのですから。


2001年07月24日(火)



 しあわせの基準

昨日の日記、末尾に間違ったことを書いてしまいました。

どんなに自分が「しあわせ」であろうと思っていても
他の人にとっては、「しあわせ」と感じないものもある。
幸せの押し売りは迷惑でしかありませんよね。
反省します・・・すみませんでした。

++++++++++++++++++++++++++++++

彼女が言ったことを思い出しました。

「私は、娘の体の心配をしたことはあるけれど
 決して娘が『不幸』だとは1度も思った事はないよ。
 私自身もとても『しあわせ』。」

彼女の娘は体に障害が有るのですが
同情の目を向けたり、不幸だと決めつける人に対して
うんざりしているとも言いました。

「私達と比較して、自分達が『しあわせ』だと言いたいのか!」
と怒ってもいました。

そして、いつもこう言います。

『私のしあわせは、この子が障害を持って生まれてきた事。』

『この子のしあわせも、そうであって欲しい。』

++++++++++++++++++++++++++++++

しあわせの基準は人それぞれ違う。
彼女のしあわせは彼女の中に。
私のしあわせは私の中に。

『しあわせの基準』をちょっとだけ広げてみようか・・・。

2001年07月22日(日)



 権利を下さい

頭が重い、ガンガンする。
立ち上がるとめまい、食欲もなし。
変な音が聞こえる、これって幻聴なのかも。
昨日の日記が原因?
いや書かなくても、どっちみちこんな症状はしょっちゅう。
普通でいられる日は短い。
苦しく辛い日々の方が圧倒的に多いのだから。

何か食べ物買いに行かなくては、とコープに行く。
パン屋の横に休憩テーブル。
ここに座ったことが、新たな苦しみの始まりだったのか。

+++++++++++++++++++++++++++++++

ミキちゃん、家も知らない、ただ公園で会うだけの小学3年生の女の子。
初めてあなたのお母さんを見たよ。
いつも太陽と遊んでもらってるお礼を言おうと思った。
だけど、ほんの数メートル先まで近付いた時、見てしまったの。
あなたのアゴが天井を向くぐらい、殴られていたところを。
公衆の面前で、3回も。

あなたのお母さんの怒りの原因は、あなたが甘えたことだよね。
お母さんと一緒にカートを押したかっただけだよね。
それなのに、なぜ?

その瞬間、唇をかんで泣くのを我慢してたあなたを私は見ていたよ。
あれは、殴られ慣れている顔。
決して、子どもらしい顔ではないよ。
殴られた痛みではなく、私達同類にしか分からない「心の痛みに耐える顔」。

そして数秒後には私達をみつけ、笑顔を見せてくれたね、
何ごともなかったかのように。
まるで、幼い頃の私。

ミキちゃん、あなたはこれから何回殴られるんでしょうか?
どういう大人になっていくんでしょうか?

お父さんは守ってくれるの?
殴られてもお母さんが好き?

+++++++++++++++++++++++++++++++

小泉さん、私に『虐待されている子どもを保護する権利』を下さい。

『親の仮面を被った獣(けだもの)を、抹殺してもよい権利』を下さい。


・・・・・・ミキちゃん、そうしたら私はあなたを救える?





2001年07月20日(金)



 

お母さん、あんたは私を教師の娘だという理由から
何もかもやりたいことを押さえ付け、自分の理想の娘にしようと
私の全てを管理してきましたね。
成績がよいだけでは物足らず、小学生の時には
将来、東大に入れようとまで考えていましたね。
いくらなんでも娘の能力を見抜く力がなさすぎます。
ほめずにヒステリックな小言だけでは、東大に入れる訳がないでしょ。
だいたい、学校で1番も取れないのに、何が東大だ。
頭を殴られ続けてるのに、何、ユメみたいなこと言ってるんだ?
受験の事を言う前に、家庭を振り返ってみたら?

東大がダメなら、京大、早慶、阪大、神大、関関同立・・・
どこまで下げても無理なんですよ。
私は大学など行く気がなかったんですから。
中卒で家を出ようと、固く決心していたんですから。

+++++++++++++++++++++++++++++++

小学5年の時。
酒に酔った父のくだらないダジャレに愛想をふりまかなかった為
殴られ蹴り倒され、隣の部屋のタンスに頭をぶつけてしばらく動けなかった時
母さん、あなたはこう言いましたね。
『ごめんね、ごめんね。お母さん、離婚するから。一緒に家を出よう』
どんなに嬉しかったことか。
殴られたり、家から閉め出されたりしても、
涙なんてこれっぽっちも出ない私なのに
あの時だけは、不覚にも泣いてしまいました。

不覚にも・・・です。
この嘘は、その後なんどもつきましたね。
最初の半年は、「弟が中学生になったら・・・」という言い訳を信じてたけど
その後は、あなたにその気がないことは完全にバレバレでしたよ。
親・親戚にもこの実情をひた隠しにし、
世間体第一のあなたに「離婚」など無理だということを
早く気付くべきでしたね。

小6の時。
鼻血が胸元を濡らすくらい殴られ、
新築した2階の自室にカギをかけ閉じこもった時
私を殴る事を中断させられた父が怒り狂い、素手と足だけで
木で出来たドアを蹴破って、又暴力が再開されましたね。
髪の毛だけを握ったまま、私の体を持ち上げ
鼻血だらけの顔面を又何度も殴りつけたあの時。
母さん、あなたはこう言いましたね。
『もうおじいちゃんとこの養子になって、愛媛で暮らしなさい。』

これは私も信じたよ。
あなたは私をかわいがらず、弟ばかりをかわいがっていたからね。
早くその日がくるのが楽しみだった。
この悪魔の家から逃げ出し、大好きなおじいちゃんと暮らせる・・・。
本当に嬉しかった。
でも結局はあんたの口からでまかせ。
翌日には「なんのこと?そんなこと言った覚えはない」と逆ギレしてたよね。
殴るよりひどいことしてるよ、あんたは。
私に手は出さないけど、父と同等。
人を天まで持ち上げといて、地獄に突き落としたんだよ。
わかってないだろうけどね。

中2の時。
前の夜、父が寝たままウィスキーの角瓶をラッパ飲みした為かどうだか
瓶に不純物(つばか何か)が浮いていたのを
何故か私が「毒」を入れたことになり、こめかみを何回も殴られたあと
うずくまったところ、腹を蹴りまくられ、本当に死ぬかと思った時
母さん、あなたはこう言いましたね。
『なぎさ、一緒に死のう。お母さんも一緒に死ぬから。』

この嘘はすぐ分かったよ。
きっと私が死ぬのを待って、あんたは生き残る算段だったんでしょ。
これもバレバレ。
私の成績にしか興味のないあんたが、
私の気持ちを無視し続けてきたあんたが
もうグレかけていた私と一緒に死ぬ訳がないでしょ。

もし、私が死を選んでたとしても、1人で死んだよ。
あんたなんかと死ぬ気なんてさらさらない。
新聞に『夫の暴力に耐えかね、母子無理心中』なんて
事実と違うことを世間にさらしてしまう。
どうせ載るなら
『アルコール依存症の父の暴力の果て、母にも見捨てられ投身自殺。
 〜衝撃の遺書、級友に託して〜 問題教師も処分決定!』
がいいと思うよ。

全部あんたの言う事は、その場の思いつき。
慰めてるつもりなんか?
私がひどい目に合ってるのに助けもせず、
「やめて、やめて」と言うだけのあんた、
恨まれないように私の気持ちを諌めてるつもりなんか?

+++++++++++++++++++++++++++++++

その後、私が並の高校に入学したことで
あんたは、私をずっと責めていましたね。
大学に進学しなかったことも、ずっとずっと責めていて
毎年毎年、この年になっても、大学受験をしろといいますね。
でも感謝して欲しいくらいだよ。

数々の嘘を聞き流し、懇願するあんたの希望通り地元の高校に入ったことを!

バイト先のスナックのママの家や、離れに自室がある友達の部屋から登校し、
「並」の高校を「バカ教師曰く、史上最低の成績」で卒業したことを!

卒業前の2月に、3年で只1人毎日登校し、単位と出席日数を稼ぎ、
あんたが最もバカにしている中の1つ、『中卒』にならなかったことを!





2001年07月19日(木)



 犠牲者

どこが「しつけのため」?



あんたこそ、「しつけのため」に殴られた方がいいんじゃないの?






ちゃんと言えば?





        「殴ると楽しいから」って。



殴ることが趣味なんでしょ?


あんたは、何をしても殴るんでしょ?



「しつけのため」だなんて、まともなフリをしないで。





いつも犠牲者は弱いものばかり・・・・。


       
        
          
     



2001年07月18日(水)



 スキ

今日は怒りに委せて書くので、訳がわからないかもしれません。
とにかく、今書きたいことだけ書いておく事にします。

++++++++++++++++++++++++++++++

あの言葉を、久々に聞きました。
しかも私と同年代の女性から・・・。
前から、「彼女と私は違う」とはっきりと意識していましたが
こんなにはっきりと感じるのは、やはり育ちが違うせいなのか?

彼女は普通の家のお嬢さんだったようです。
話の節々から、親との良い関係が見えますし
人を疑ったりしない行動、例えば
誰も確かめずにドアを開ける、色んな事件をひと事だと思える、などが
今までの人生が幸せなことを物語っています。
人に攻撃などされたことないのだろうな、と思えるごくごく一般の奥さんです。

いつも私に突拍子もない事を言って、驚かせてくれますが
今日も又、驚くべきことを言ってくれました。
『私、痴漢にあったことないねん』
(あーそう・・・珍しいかもね。
 うん、でも、たまたまだったらありえるかも。)
「よかったね、でもアレはむかつくよ」と言う私にこう言い放ちました。

『スキがあるからやん!』

母に散々言われたこの言葉。
あなた、その言葉の意味、分かりますか?
それは私のように絶えず周囲を警戒しながら生活しているものが
あなたのように無防備で、なんの被害も受けないで生きて来た者に言うならまだしも
被害に合ったものに対してよく言えますね。

幼い頃から、男に性の対象と見られてきた私にとっては
自分を壊してしまうような、リスカより痛い言葉なのですよ。
まぁ、あなたには一生分からないでしょうけどね。
その考えは自分1人で守っていて下さい。
私達のようなものを攻撃する道具として使わないで下さい。
今度言ったら、私に首を絞められるくらいのことは覚悟してください。

++++++++++++++++++++++++++++++

無防備なあなたは、娘が被害に合っても気付いてあげれないんでしょうね。
かわいそうな人です。


2001年07月15日(日)



 私信

エンピツのメールフォームから、いつもメールをありがとうございます。
返信させて頂いていますが、先日、返信が出来ないメールを頂きました。
たぶん、フォームに書き込んだメルアドが間違ってるのだと思われますが
すごく気になるメールでしたので、ここでメッセージを送りたいと思います。

+++++++++++++++++++++++++++++

○○りんさんへ

メールありがとうございます。

トラウマを持つ者同士、核心に触れてお話しする事は少ないので
すごく気持ちが近く感じます。
一緒に頑張ろうとは言えないけど、
私自身、毎日をクリアしていくしかないかなと思っています。
ただ単に1日を終えるっていうことだけでも
私達にとっては、辛いことなんですから。
1日がクリア出来たら、又明日・・・辛い繰り返しですけれど・・

子どもの事は私も心配です。
普通の母親ではないですから。
普通の家庭を知らない、何か足りない母親です。

でも私達は、周囲の悪意を敏感に察知する能力を
知らず知らずのうちに身につけて来たと思いませんか?
傷つきやすいのは、そのせいだと思いますが
その代わり、痛みが分かる人間になれたような気もします。

又、大抵の事には耐えうる精神力も他の人よりはあると思います。
ここまで生きてこられたんですから、決して弱い人間ではないはずです。
(亡くなられた方が弱い人間だという事ではありません。)
何も考えずにただ楽しく生きられたらどんなに楽でしょうか。
でも私はそんな人生はごめんです。
過去を忘れて楽しく生きようなんて思っていません。
心も体も傷ついた分、見えることがたくさんある。
見える分だけひどく疲れますが、見えないよりマシと思うようにもなりました。

私も今日だからこう言えるのかもしれません。
明日になれば、また、辛い日々の始まりかもしれません。
でも、365日全てが不幸の日々ではないはず。
ちいさな自分だけの幸せを見つけていきたいと思っています。
○○りんさんからのメールも、とても嬉しいものでした。


偶然見つけて頂いたのかもしれませんが
又ご縁があればと思います。
それでは・・・

なぎさ

2001年07月09日(月)



 告白

高校3年の時、つきあっていた彼が突然言った。
朝まで一緒に過ごし、遅い朝食を食べに行った喫茶店でのこと。

+++++++++++++++++++++++++++++++

彼は22才。
元ヤンで、昔やんちゃだった分、随分と大人でした。
彼は、薄くてまずいコーヒーを出す古ぼけた喫茶店が好きでした。
オシャレな喫茶店に入るのは落ち着かない、といつも言っていて
仮眠してる学生や水商売のたまり場『ホワイト』が大好きでした。
私はいつもブ−たれて、
「たまには女子大生の行く喫茶店に連れていけ〜」
と彼に頼んでいましたが、
せいぜいヤンキーのたまり場、『モモタロー』どまりでした。

なのに、あの朝は違っていました。
あまり笑わない私を、いつも一生懸命笑わせてくれていたのに
朝から無口・・・・。
おまけにオシャレなペンション風の喫茶店に入っていく。
「もしかして、もしかするぞ〜」
私は彼が別れを告げるか、又はプロポーズかも・・と内心びびっていました。
昨夜、何か気に入らない事をしたのだろうか?
今日、何か記念日だったのかな?
頭の中はいっぱいだったけど、いつもと違う彼の態度に
口には出せずにいました。

モーニングを2つ頼んで、食べ終わった時
彼が唐突に言いました。
『オレ、ちょうせんやねん。』
私は最初何を言ってるのか、意味がわかりませんでした。
「ちょうせん」=「朝鮮人」ということを理解するまで10秒はかかったでしょうか。
意味がわかったあとも、何を言っていいのか何を言って欲しいのか
頭の中がパニックになってしまってました。
かろうじて「うん。」とだけ言いましたが、
その後、彼が何を感じたのか気にして何も言えませんでした。
ここで言っておきますが、私は「朝鮮」という言葉に何も驚いていませんでした。
彼が前から自分の住んでる所を隠しているような気がしてましたし
友人達の中には、ご親切に忠告してくれる人までいましたから。

好きだから、朝鮮人でもいい・・・という気持ちでもありません。
彼の口から事実を知っただけです。
人を徹底的に差別する親の元で育ち、
他人からの言葉で傷つき続けてきた私は、
反差別の意識がとても強かったし
差別用語を使う人や差別意識を持つ人をとても嫌っていました。
今でも『母子家庭状態』とか『犬の里親』といった言葉にさえ
敏感で、よく指摘して母とケンカになります。
彼が「朝鮮人」ということに対して、好意さえ持っていました。
なのに、結果的に彼の告白をさらりと流してしまった。

今でも彼が何を言って欲しかったのかは、想像がつきません。
でも私は『愛してるよ、大好きだよ』というべきだった。
本当に大好きでした。
たくさんの人とつき合ったけど、私の事情を全て理解出来るのは彼だけでした。
それなのに、私は・・・・・

あの時、どう答えたらよかったんでしょうか?
どう言えば、私の気持ちを分かってもらえたんでしょうか?
あの時に返って、誤解を解きたい・・・
あなたの心を分かってあげたかった。
もっともっと、話すべきだった・・・・
受け止めてもらうばかりで、受け止めてあげれなかった・・・
Kちゃん、ごめん。

+++++++++++++++++++++++++++++++

1ヶ月くらいして、彼は電話でこう言いました。
「前の彼女が妊娠してた、結婚するわ。」

私は泣きませんでした。
イヤだとも言いませんでした。
泣き叫びたかったけど、そうしませんでした。
ケジメをつけるのは彼らしいとも思いました。




Kちゃんへ

お元気ですか?
あの頃は、大人としての色々なことを教えてくれてありがとう。
人間としての道をはずさなかったのは、Kちゃんのおかげだよ。
本当にありがとう。

私もやっと母になったよ。
夫は優しい人です。
Kちゃん、これでよかったんだよね?

なぎさ


2001年07月08日(日)



 教師 その1

娘は、女に生まれた事を1度も悔やまないだろうか・・・・

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私が9才の時でした。
まだまだ暴力的な教師が幅をきかせていた時代です。
宿題を忘れただけで、木刀で尻を引っ叩かれたり
水を飲む事を禁止した上で暑い中を45分間走らされたりしても
子供も親も文句を言う事が出来なかったような、そんなご時世でした。
少なくとも、私のいた小学校はそういうトコでした。

私はこの暴力教師が大嫌いでした。
見て見ぬフリをしている他の教師も嫌いでしたが
特に、この暴力教師は父と同じく「人間のクズ」だと思っていました。

父と同じ所はたくさんありました。
私達、児童のことを「ガキ」と呼び、自分勝手な理屈を平気で言います。
「ガキ」が間違ってる所を指摘すると、
『屁理屈』だと言って暴力を振うところなんかは、父と全く同じでした。
父とこの教師によって、「暴力を振うヤツ=バカ(頭が悪い)」
という図式が、私の中で確信されつつありました。
しかし、それ以上に、私がおびえる理由がこの教師にはありました。
女子児童に抱きついたり、尻を触ったりするのです。
この行為は、他の児童にとっては「先生、H!」ですんでいましたが
私には「犯罪」という意識が有り、少なくとも私は怯えていました。

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まだ小学4年くらいだと、
新聞の記事を隅から隅まで読むコは多くありません。
私は母の強要で毎日、朝刊の一面トップと社会面、
その他、文芸面は絶対読むようにしつけられていました。
「分からなくても読め」それが母の口癖でした。
その為、他の児童が知らない恐ろしい事件をたくさん知っていました。
私を恐怖に陥れたのは、小学生低学年の女の子が亡くなった事件でした。
今の記憶では、いつ読んだとか、事件の詳細などは定かではありませんが
間違いがなければ、トイレで殺されたということでした。
今思えば、新聞には詳しくは書いてなかったかもわかりません。
しかし、9才の私には自分の中で筋書きが出来上がっていました。
6才の時の出来事を呼び覚まさせるのに、充分な事件でした。

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私は小学1年から5年までは、母が勤める小学校に通っていましたので
その暴力教師は、それを意識してか私にはあまり触りませんでした。
しかしヤツにとって、そんな自制がいつまでも効くわけがありません。
いつしか、他の児童と同じようにされていました。

ある日、他の児童を触っていたその教師が、
キャーキャーと逃げまくる子を追いかけていました。
気にはなっていましたが、
私はクラス替えで別々になってしまった友達に
久しぶりに話しかけられた直後でしたので
後ろに注意を払っていませんでした。
すると、突然抱きつかれたのです。
いつもなら腕をはらって、逃げるところですが
体が硬直してしまい逃げることが出来ませんでした。
硬直というのは正しくないかもしれません。
膝がガクガクしてたように思います。
なぜなら、いつもとは違い胸に手を回された上に
わざわざ腰をかがめた状態で、尻に性器を押し当てられ
上下になすりつけられたからです。
その上、この男は今にもよだれが垂れそうなほど、口をだらしなく開け
気持ちの悪い顔で笑っていたのです。
思い出すだけで、へどが出ます・・・。

他の子もそうされてたのでしょうか?
田舎の子ども達なので、
自分が何をされているか分からなかったのでしょうか?
少なくとも私にとっては、犯されたに等しい行為でした。
私が最もバカにしている「程度の低い暴力教師」にやられたという事が
人間であるというプライドさえも、引き裂いてしまったように思えました。

その後も6年の夏に転校するまでに5、6回はされたように思います。

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さすがに性器をなすりつけられたとは言えませんでしたが
胸を触られた事、苦痛に思ってる事を母に訴えてみました。
しかし、またもや私の期待は裏切られました。
「逃げたらええ」
そんなような一言だけで、冷たくあしらわれ、
母には守ってもらえない事を悟りました。
女に生まれなければよかった・・・と、思い始めるようになり
男を目の敵にし始めた、小学4年の春でした。




2001年07月07日(土)



 最近の出来事

長い間、日記を休んでしまいました。
休んでる間に『PTSD』や『精神障害』という単語が、
一般の人たちの間にも聞かれるようになったけど
間違った情報が飛び交っていてとても悲しい気持ちです。
わかってないのは貴方達です。

「矛盾している」と簡単に言わないで下さい。
葉書1枚でおびえたり、急に治ったような気になる、
自分をさらけだしてわかってもらおうとしたくなる・・・・
私にも覚えがあります。

「乗り越えられる」とか「何か出来る事をしてあげたい」と
簡単に言わないで下さい。
一瞬忘れることはあっても、決してその体験からは逃れられないものだと
私は確信しています。




2001年07月04日(水)
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