弁護士の素顔 写真,ギャラリー 小説,文学,司法試験合格体験記 法律関係リンク集 掲示板


2005年02月23日(水) Farewell


帰国。さようなら、ニューヨーク・シティ。






2005年02月20日(日) NYの街角:一ドル入りの財布


スケートリンク前にて

パッキングはほぼ終わり。細々としたものを処分すれば、あとは買い物をして終わりというところまで漕ぎ着けた。

それで気が抜けてしまったのか、あまり性質の良くないインフルエンザに罹ってしまった。帰国の直前であるのに、39度近くの熱を出し、何も食べることも飲むこともままならない状態に陥る。身体をほんの少し動かすだけも難しい。鉛のように重い体、というクリシェがあるが、まさにそんな形容が当てはまる。もっとも、この鉛の身体にさらにアンカーを付けたような感じである。苦しいのでタイレノールを飲んで寝て過ごす。24時間近く殆ど継続的に寝てしまう。さすがにそれだけ休めば、何とかなるもので、熱は引き、立ち上がることはできるようになった。

さて、直しをお願いしているスーツを取りに行かねばならない。重い足取りで(しかし心は軽く)Riflessiに行くと、AldoがNYCの店に帰ってきていた。再会を喜ぶ。

そのうち、どうしても見てもらいたいものがあるといってAldoが取り出してきたのが、ハンドメイドのISAIAという聞いたことがないブランドのスーツである。一目見て気に入る。肩を通すと、実に軽い。ほとんど一目ぼれであったが、値段を聞くと3000ドルという。スーツ一着に掛ける値段としては、さすがに躊躇する金額なので、うーんと考え込む。と、まとめて買っているので、1300ドルまで下げるとのオファーを受ける。少々買いすぎの懸念もあったが、魅力に抗しがたく、結局購入。最優先ですぐに直してくれるという。

今回買った合計8着のスーツ以外にも、前から欲しかったヴェルサーチのコーデュロイ・ジャケットを買ったりした。我ながら、いいお客だろうと思う。

***

帰国の前日、取りに行くと、プレゼントがあるという。空けてみると、ブルガリの財布である。そして、そこにAldoが一ドルを自分の財布から取り出して入れてくれる。

「これはね、イタリアの伝統的習慣なんだ」とAldo。「財布を人にプレゼントするときには、空のままで渡してはいけない。それはバッド・ラックを意味するから。だからこうやってお札を一枚忍ばせておくんだ」

私はそれほど浪費家ではないので、おそらく5年間はスーツを買いたす必要はないだろう。しかし、NYCへのビジネス・トリップがあるたびに、ここで買い物をしてしまうような、そんな予感がする。

My追加






2005年02月18日(金) NYの街角:TAOでの会食


TAO

友人の誘いで、予約が取りにくいことで評判のTAOで食事。
最近事業を立ち上げたH女史と、某学校法人の御曹司と、新進気鋭のインテリアデザイナーの女性とシンガポールに赴任間近の辣腕銀行マンという刺激的な組み合わせ。


入ってみると、満員である。専属のDJが居て、常に大音量で音楽がかかっている。アジアンテイストなインテリアで、薄暗い。いかにもニューヨーカーが好みそうな空間である。

しばらくH女史とBarで話し込む。H女史の話は、複数の友人から聞いていた。多くの人を集めてパーティーを頻繁に開催するということで、是非一度お会いしたいと思っていたところ、最終的には、別の外資系証券会社に勤める友人のホームパーティで顔を合わせることができた。美しく、聡明な方であるとの印象は、話していても崩れなかった。

その後、徐々に人が集まってきて、テーブルへ移動。良くあるアジアンフュージョンであるが、味は確かに素晴らしい。雰囲気と相まって人気が出るのも判る。



刺激的な人々と刺激的な会話を繰り広げる。このような素晴らしい人々と簡単に知り合いになれるのは、やはりNYという空間ならではであろう。日本に帰ったら、このようなことは容易にできそうにない。そう思うと、間近に迫った帰国日が、相当恨めしく思えてくる。インテリアデザイナーの方が、最近手掛けたプロジェクトが、実は、別の方の知りあいがオーナーをしているレストランに関するものであったり、IT関係の御曹司とは扱う分野が相当重なることを再認識したり、世界が本当に狭く、そして素晴らしい出会いが色々なコネクションで開けていくのが実感できた。あと、せめて予定通りに半年先まで滞在できたなら、どれほど素晴らしい出会いが待っていたのだろう。そういった感傷に浸りながら、酒杯を傾ける。夜は更けていく。
My追加






2005年02月15日(火) NYの街角:フリックコレクション



アッパーイーストサイドのFrick Collectionに行く。MoMAやMetほど有名ではないが、その洗練されたセレクションは名高い。率直に言うと、事務所のパラリーガルからその存在を聞くまでは、私も知らなかった。

フリックコレクションは、財を成したフリック氏が、死後に私邸を美術館として公開したものだ。氏の生涯を通じて蒐集した美術品や愛好した芸術家には、既に評価を得ていたものもあるが、後年有名になったものも多い。氏の審美眼が確かなものであったことを示す好例であろう。

セントラルパークに近い、アッパーイーストサイドにある美術館に足を向ける。平日とあって、さほど混雑していない。私邸は、最初から美術館とすることを想定していたかのようなつくりになっている。Van Dyckやレンブラントが多かったり、一定の時代の一定の作家を中心に蒐集していったことをうかがわせる。

これは、と思ったのは、ホイッスラーの2枚の絵画。黒を背景とした黒の礼服を着た男性と女性の絵である。画面の上部に向かうに連れ、闇は濃くなり、人物の輪郭がその闇に溶け込んでいるかのような印象を与えている。ホイッスラーは印象派の先駆とも言われているが、実際にはむしろ印象派よりも抽象表現絵画の先駆といっても過言ではない。男性の方は、プルーストの「失われた時を求めて」に登場する重要人物、スワン氏のモデルになった人物のポートレートである。

ちょうど先日、香水の専門誌にエッセイを書くことになったという友人と、プルーストについて話をしていたときに話題に出たラスキン=ホイッスラー論争を思い出した。これは、1877年、ロンドンのグローヴナー画廊での展覧会にホイッスラーが出展した絵(Noctuneシリーズの「花火」)をラスキンが口を極めて非難したことに端を発する論争、というか紛争である。現物を昨年の夏、トロントの美術館で見る機会があった。

その作品、「花火」は無形の闇を表現した黒い画面の中に、花火の一瞬の輝きを留めた前衛的な作品であり、これをラスキンは「洒落者が絵具をキャンバスにぶちまけただけの作品で金を要求するとは笑止」と非難した。その結果、単なる論争の域を越え、名誉毀損による損害賠償を求める裁判となった。結果はホイッスラーの勝訴であったが、その賠償額は1ファージング(1銭くらいの価値しかない)であり、ホイッスラーは大損したといわれている。海野弘「プルーストの部屋『失われた時を求めて』を読む(上)によれば、この裁判では、ホイッスラーは「花火」を「眺め」の写実ではなく「芸術的構成」であると述べたとある。まさに、抽象絵画の登場を予感させる主張である。

面白いのは、彼自身はラスキンと仲が好く、一方ホイッスラーとは1度しか会ったことがないようだが、「失われた時を求めて」に描かれる有名な画家、エルスチールは明らかにホイッスラーをモデルにしていることだ。これは、作品中の人物造形に関する部分だけでなく、その名前(Elstir)からも判る。WhistlerからWとHを除きアナグラムをすると、Elstirになるということは有名な話だ。

話が脱線したが、フリックコレクションは、実に一見の価値のある私的美術館である。フリック氏の館の内装は、生活の場としては、やや度が過ぎたヨーロッパ趣味ではあるが、こじんまりした美術館としてはなかなか趣がある。あまり名は知られていないが、平日の午後を全て使って、私邸の美術館を訪れるのも優雅なものではないか。

追記:
前述の友人からはリレーエッセイのバトンを渡された。「匂いについて」のエッセイで、もう130回も続いているという。かなり高名な美術評論家やその道の教授なども書いている。友人は、プルーストのマドレーヌの記憶について書いた。匂いについてであれば、間違いなくユイスマンスのさかしまの話も誰かが書いているだろうと思ったが、やはり既にテーマにした人がいたらしい。弁護士がこういったものに書くのは初めてであろうから、一風変わった視点でものを書いてみようと思う。公刊物にこういった柔らかい文章を載せるのは、初めての経験だ。面白いものが書ければよいのだが。

My追加






2005年02月11日(金) NYの街角:MoMA再訪(2)



(前回からの続き。)薀蓄を語りすぎて、喉が痛くなったので、カフェで一休み。今度は前回とは別のチョコを試してみる。Chocolat Moderneのセットを頼み、Spiceを試す。一口齧って、むせてしまう。驚くべきことに、このチョコレートは辛いのだ。レッドペッパーを含めた様々なスパイスで練ったチョコが中に入っている。実に複雑だが、総じて辛い。チョコを食べて喉が熱くなるという体験を初めてした。彼女にも試させる。しばらくして、ウェイターがいたずらっぽく、「あのハート型のチョコ、食べたかい?」と話しかけてくる。彼は、先刻ご承知なのだ。

まあ、とにかく元気が出たので、散策を再開。

シュルレアリストでは、マックス・エルンスト、ルネ・マグリット、そしてサルバドール・ダリ。それぞれわずか3点ずつほど。やはり数が少ない気がする。これも原点回帰というポリシーがあるのかもしれない。ダリのものでは、フランスパンを頭の上に乗せた女性の頭部の彫刻作品があった。これを見て、彼のニューヨーク来訪時の逸話を思い出した。

ヨーロッパで既に名を成した彼が、初めてアメリカに上陸する際、以前にパリでスキャンダルを巻き起こした6メートルものフランスパンを持ち歩くパフォーマンスを、ここNYCでも再現しようとして、船のコックに2メートルのパンを焼かせたという話。彼は、ダリのNYC初上陸という「歴史的偉業」にふさわしい待遇を得るため、ニューヨーカーたちの度肝を抜こうとしたのだ。そして、上陸後、多くの記者を集めて記者会見が開かれた。当然、記者会見の場で、彼はその2メートルのパン(木の心棒入り)を杖の代わりにしていたのだが、度肝を抜かれたのは、彼の方だった。群がる記者達は、彼のその不思議な杖について質問しなかったのだ。誰一人として。彼はその杖を立てたり、横にしたり、色々試してみたが、ついに諦めた。たしか、レム・コールハースの「錯乱のニューヨーク」で読んだエピソードであったかもしれない。こういった面白い話なら、英語でも伝えやすい。

他の階も面白い。デザインのフロアは満員だ。日本のデザインが多数永久展示になっているのが凄い。私も好きな無印良品(MUJI)の文具が置いてある。あれはパリでも大人気だった。ニューヨークでは、ここMoMAのショップでないとMUJIの文具は買えない。

さらに下の階に行く。モネのWater Lilyのある階は、とりわけ実験的で前衛的なコンテンポラリーアートのフロアである。サイ・トゥオンブリのやたらに大きなドローイングがたくさんある。あれはいつ見ても理解できない。というか理解を拒否している。ロバート・モリス、そのプロセスと芸術の死亡証明書。それに、最近の若手では、ダミアン・ハースト。彼は、私と年齢も余り違わないのに、既に高額落札ランキングの仲間入りを果たしている。作品を見ると、一瞬なるほど、と思うけれども、何だか解せない。

床の上に、ポスターと思しき作品が重ねて置いてある。



壁には、ご自由にお持ち帰りください、とある。周りの観客達は、みな先を争うようにして、それを手に取り、丸めて運ぼうとして苦心している。絶好のお土産なのだ。内容を確かめることもせず、持ち去って、隣の部屋でくるくる丸めようとしている人、壁に当てて丸めようと苦心している人、諦めて折り目を付けて折ってしまう人、二人がかりで何とか持ち帰れるようにまとめた人々。私達も、混んでいる人ごみを掻き分けて、お目当てを手にする。

見てみると、小さな白黒の顔写真が多数コメント入りで記載されたポスターである。コメントは非常に細かいので、バーゲン会場のようなあの場所では、普通はそこに書かれた文章にまで目がいかないだろう。しかし、丁寧に読んでみると、"XXXX, shot by gun in the front of his house on March 21, 1966"とか、"murdered by gun crime in PA, 1973"とか書いてある。要は、銃による犯罪でなくなった人々の顔写真のポスターなのだ。これをお土産と思って苦心のすえ持ち帰った人々は、自分の部屋やリビングに張る段になって、かつがれたことに気が付くという算段。そして、先を争って躍起になってこのポスターを奪い合うようにしていた自分の姿を思い出して悔しがるやら脱力するやら苦笑するやらしたりするのだ。


で、こうなる。持って帰る前に気づいた場合の話。

現代の、というか同時代のアーティスト達の作品を見ていると、作品の生み出される時代を生きているという実感が湧く。それは、魅惑的で、危険な体験だ。彼らは正面から立ち向かっている。勇気や覚悟の一片さえ持ち合わせない、私のような偽善者は、普通は、射程距離圏外の安全な場所で、こうやってのうのうと生きている。しかし、迂闊に彼らの戦場に踏み込むと、流れ弾を浴びて致命傷を負いかねない。平凡なサラリーマンが、いつも乗る7時55発の列車とは逆方向の電車に乗ってそのまま彼の生きていた小さな社会から姿を消してしまうようなことが、あるいは起きてしまうかもしれない。

***

そういえば、とフィラデルフィアに残してきた「妹」の誕生日が近いことをふと思い出して口にする。すると、彼女いわく、それが今回NYCに来た目的のひとつだという。私が日本に帰る前に、フィラデルフィアに連れて行く段取りをつけるためである、と。しかし、残念ながら、その機会は持てそうにない。ここでフィラデルフィアに行かないと、後悔するかもしれない。それは判っていたが、こればかりはどうしようもない。まして、どうしても外せない用事が入っていたのだ。

彼女をPenn Stationに送り届け、Amtrakに乗せる。Penn Station。何度通ったことだろう。フィラデルフィアに住んでいたころは、ここがNYCの入り口だった。ブラジルから来た友人をNew Arkまで送ったときも、ここだった。もう、しばらくここに来ることもないだろう。アナウンスと同時に、走り出す人々の波にもまれながら、私は彼女にBye.と言った。






2005年02月10日(木) NYの街角:MoMA再訪


友人がフィラデルフィアからNYCに遊びに来た。Macy'sで待ち合わせ。前から話していた彼女の幼馴染の建築家の卵とも、ほんの少しだが顔を合わせることができた。

昼食後、New MoMAを案内する。昨年、MoMA Queensに行ったが、その展示の少なさに落胆していた姿を思い出す。大丈夫、期待は裏切らないから。ここぞとばかりに薀蓄を語りまくる。前回見れなかったデザインの階や写真のエキシビションも徹底的に巡る。彼女の興味の分野はかなり重なるので、自然と話が弾む。たとえそれが英語でも。

***

というわけで、MoMAについて、また少し書いてみることにした。 前回は主に全体的な印象と谷口の建築について書いたので、今回は主に展示について。

まずは5F。戦後現代美術のビッグネームはたいてい押さえてあって、それなりの有名な作品が展示してある。奇をてらわず、王道を行く感じである。もちろん、ヨーロッパ系、アジア系は少なめ、アメリカの作家が多めである。

抽象表現主義から現代に至る道筋。ジャクソン・ポロック、デ・クーニング、バーネット・ニューマン、ラウシェンバーグが多めという構成。もちろんアメリカ人が大好きなアンディ・ウォーホールとジャスパー・ジョーンズは外せない。アド・ラインハート、マーク・ロスコ、リキテンスタイン、ドナルド・ジャッド。一方、エドワード・ホッパー、アンドリュー・ワイエスというアメリカのビッグネームがほとんどないのは、ある種の潔さを感じさせるが、やはり少々物足りなく感じる。 ホッパーが一枚だけ、しかも出口付近にとってつけたように展示してあるのは、何か意図的なものを感じさせる。

4Fには、ピカソ、マティス、ゴッホ、セザンヌなどの近現代芸術の粋が集めてある。教科書に載っているものがほとんど揃っていると言えるほど、そのコレクションは極めつけである。マティスとピカソに至っては、専用の部屋まである。

こういった中で、ひとつ注記しておくべきことがある。掲示板でshinaさんにも指摘されたが、同じアメリカの作家であり、いわゆる概念芸術の祖であるところのマルセル・デュシャンのコレクションが実に少ないことだ。デュシャンの現代美術への功績は誰もが認めるところであり、現代美術を語り始めるときに、彼の名に言及しない者はいない。彼の作品は一部屋に集められ、作品数は4、5点はあり、デュシャンピアン(デュシャンの系譜に連なる作家達)の作品もそれなりにある。しかし、その影響の大きさとMoMAという近代・現代美術の集約とも呼べる美術館に、見るべき作品が置いていないのは違和感を感じる人がいてもおかしくない。有名なところでは、せいぜい、bicycle wheeとキュビズム時代の作品一点くらいだろうか(時効なので言うが、前者は、ポンピドーで誰も見ていないのをいいことにくるくる回してしまったことがある。ああいった誘惑(spin me)にはきちんと答えてあげるべきだと思う。)。

また、エゴン・シーレとか、アルフォンス・ミュシャ、クリムト、ココシュカ、オディロン・ルドンといった、いかにもなものは少ない。このあたりは観光客に受けがいいのだが、新たな「二都物語」を形成するポンピドーとは風情が違う。向こうなら、それこそシュルレアリスムの作家がてんこ盛りなのだが、こちらは少ない。これは何故なのだろうか、という疑問が当然に浮かぶだろう。

これは、コレクションに偏りがあるからだというのが普通の解釈だと思われる。MoMAの創立は、ヨーロッパ中心の美術から脱却し、アメリカの現代絵画を選定するという極めてポリティカルな意図のもとに行われたからだ、と言われている。デュシャンは、その選定の過程で意図的に除外された。ダダ、シュルレアリスムなどは排除され、マティス、パウル・クレー、ジョアン・ミロ、モンドリアン、カンディンスキーなどが「新しいアメリカの芸術」として選定された。もちろん、ジャクソン・ポロック、ジャスパー・ジョーンズ、ラウシェンバーグなども、その文脈に合致している。ヨーロッパの遺産を引き継ぐのではなく、アメリカの独自の芸術を志向し、芸術の首都の座をパリから奪い、新たな伝統を築きあげたMoMAならではの矜持なのであろう。(デュシャンに関しては、もちろん我等がフィラデルフィア美術館の方が圧倒的に素晴らしい。永久展示の「遺作」もある。)しかし、やろうと思えば美術館同士の貸借でそういった偏りは是正できる。今回はshinaさんも言われるように、「New MoMAになって原点回帰をした」ことを示そうとしたと考えるべきなのだろう。

長くなったので、続きは次回。

(続く)






2005年02月06日(日) NYの街角:MoMAでの一日



友人、西海岸はスタンフォードよりきたる。

ついでに新しくなったMoMAに行き、ギャラリートークに参加。アメリカの戦後芸術における素材の変遷について、マルセル・デュシャンから説き起こして、ドナルド・ジャッド、ラウシェンバーグ、ジャクソン・ポロック、ウォーホール、そしてエヴァ・ヘッセまで概観するというもの。

工業的素材からジャンク、そしてより柔らかい素材―たとえばフェルトであるとかアルミフォイルであるとか―へ、そして、ファイバーグラスへ、という流れが面白かった。アルテ・ポーヴェラの必然性、ミニマリズムから資本主義リアリズムへの流れを、短時間で理解する助けになった。私のような素人にとっては、こういった専門家によるギャラリートークに触れる機会もそう多くはないので、非常に良い刺激になった。

***

充実したギャラリートークはエヴァ・ヘッセの「19の反復」の前で終わり、その後、5Fのカフェでお茶をする。5Fのカフェはかなり洒落ている。MoMAブレンドという名のLoose Teaはスモーキー・フレーバーで元気が出るとの説明を受け、ありきたりとは思いながらそれを頼む。Maison du Chocolatのチョコを頼み、分ける。

その後、4Fと5Fを見て回る。興味の対象が、デュシャン以後というところにある私としては、(デュシャンピアンの作家がほとんどなかったことをのぞけば)以前にMoMAの旧館に来たときと同様、非常に楽しめた。一言で言うと、MoMAのコレクションには、初代館長であったアルフレッド・バー・Jrの趣味が色濃く出ているので、偏りがあるのは仕方がないところ、ということであろうか。しかし、その彼こそが、MoMAの設立によって芸術の首都をパリからニューヨークに移転せしめた立役者であることを考えると、彼の審美眼こそが、1940年以後の現代美術の世界における暗黙の前提とされたというべきであろうから、その影響力の大きさは計り知れない。そして、New MoMAの展示について語る際も、やはり彼の影響を排することはアンフェアというべきであろう。

具体的な作品の配置及びその展示方法については別の機会に譲る。



ひとつだけ、建築について言及させてもらう。ここを訪れた誰もが、「作品」として谷口の建築に注目している。その建築の評価について、誤解を恐れずに概括的に言ってしまうと、美術品が主役であるという基本を踏まえた控えめな設計で、出来る限り建築の存在をゼロに近づけるという試みであるにもかかわらず、むしろそのために非常に強い主張を持った建築になっているとまとめることができる。ミニマリズム建築は、美術館の設計の流れにおいては、ポストモダン建築の次の世代の流行ではあるが、谷口のこの建築は、美術館との関係ではむしろミニマルということを超えた普遍性を持っているように思えるから不思議だ。

より具体的に言うと、この設計では、ひとつの部屋から必ず他の複数の部屋の先が見通せるようになっている。また要所要所で拓けた空間へ接続し、ガラスを少なめにしているにもかかわらず、透明感を持たせている。美術館の中でどのように人が動くのか、という動線を強く意識した設計だ。その結果、この先に何があるのかということをほんの少し垣間見せることになる。これは、観客の意識が変わる。谷口の建築は予想以上の出来だったと思う。透明な建築を目指すという試みは成功しているだろう。「もっと予算があれば、完全に建築を消して見せます」と言ったそうだが、そうなれば、どんなものが出来上がっていただろうか。

その後、友人と近くのデリ(Mangia)に行き、雑談。いつもながら、素晴らしい博識と交友の広さに内心舌を巻く。年下の友人だが、自分がこの年齢であったときに、これほどの完成を見せていただろうか。色々な点で、ある程度私の問題意識と通底するものを持った彼が、日本の現代文学に関し、スタンフォードでどんな論文を書くのか、今から楽しみだ。

***

注:事実と異なる点があったので一部を削除いたしました。関係者の方々には大変ご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。(追記:2005年5月11日)

My追加






2005年02月01日(火) NYの街角:帰国準備/Riflessi


57th & Madison Ave.

この一週間くらいは買い物ばかり。

Movadoの腕時計。Gucciのショップで母親へのお土産。色々店員と相談して一番オーソドックスな財布を買う。Century21でネクタイを多めに。安い。Barneys New Yorkでシャツ。Saks & Co.で革靴を二足。Coachで土産。帰国準備の忙しくも楽しい毎日。

さて、一番の難題はスーツである。前にも書いたRIFLESSI(イタリア語でReflectionを意味する)というスーツショップにいったら閉まっている。驚いて電話すると、Madisonの方の店舗の契約が切れたので、57Stの5thと6Aveの間の本店に全て移したとのこと。

行くと、例のAldoはイタリアに買い付けに行っていて不在。別の人に頼んで見繕ってもらう。とりあえず、ZegnaとAlmaniを4着購入。全部イタリアンスーツ。ここの店員は実に選択眼が好く、こちらの好みを的確に見抜くのは驚いた。しかし、Aldoに比べて商売熱心がやや過ぎる気もした。

客筋は非常に良い。僕も某国のtop law firmの弁護士に紹介してもらったのだが、友人を紹介したくなる気持ちは判る。普通に日本で買う場合の6割くらいの値段であるし、店員の教育も行き届いている。紹介してくれた彼は、10着もここで買ったということだ。

実際、僕も友人の領事と外資系証券会社の若手を連れて行って紹介してしまった。いろいろ店員と話をしていたらアントニオ猪木(NY在住)もここの顧客であるとのこと。猪木は目撃談もよくあったので、ひょっとするとNY在住かもとは思っていたが、直ぐ傍に住んでいることが判り驚く。

ちなみに、秋にLong Islandに行ったときにもらってきたHamptonのローカル雑誌(対象が対象だけに、ブランドの広告ばかりで超スノッブ)に、広告が載っていた。Aldoが写真入りインタビュー形式でイタリアンスーツについての講釈をしていたのに笑った。

最後に、色々「サービス」してもらう。値段面の割引は交渉したものの、それ以外に、シャツを4枚、カフリンクスを2つ「プレゼント」と称してもらう。大きな買い物になったが、素晴らしいNYCの記念になった。

My追加








[MAIL] [HOMEPAGE]