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2004年12月31日(金) NYの街角:カウントダウン


カウントダウンは、セントラルパーク・サウスの友人宅で過ごす予定だった。
花火がセントラルパークで上がるとのことで、眺めの良い彼の部屋から花火を見つつ、テレビでタイムズスクエアのカウントダウンを見るという趣向だ。

しかし、当日になって、バリケードがマンションの周りに用意されるようになった。角々に警官が立ち、IDを要求されるようになった。友人もIDの提示を求められたとの電話が入り、面倒くさくなって結局家で過ごすことにした。

何の気なしにTVを見ていると、カウントダウンの直後に、ちょんまげのカツラをかぶった別の友人が一瞬映ったのを発見。後日確認してみると、やはり本人だった様子。その友人は、全世界に放映されたことを自慢していた。どうやら日本でもその場面は放映されたようで、日本からも「今映ってただろ」と電話が入ったとのことであった。

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個人的には、今年一年は、実に貴重な経験の連続であった。来年は、また変化の年になる。今年以上に貴重な経験も多いだろう。気が引き締まる思いだ。
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2004年12月30日(木) NYの街角:Iridiumへ

友人、ボストンより来る。

NY在住の別の友人と3人でRestaurant Rowにあるタイレストランで夕食。料理を食し、ジャズクラブ・イリディウムへ。

http://www.iridiumjazzclub.com/

Iridiumは、個人的な「いつか行くべきJazz Clubリスト」に入っていたJazz Clubのひとつ。以前はコロンバスサークルに近い場所であったが、最近ブロードウェイ沿いの賑やかな場所の地下へ場所を移した。

本日はSpyro Gyra(スパイロ・ジャイラ)。ジャズ・フュージョンの元祖的存在。いわゆる1970年代のスムーズ・ジャズブームの火付け役であった彼らは、ごく最近新しいアルバムを出したとのこと。ジェイ・ベケンシュタインは意気軒昂だった。

おそらくは、懐古的な意味で来訪している客も多いのだろう。ジェイを除いては当時のメンバーはいない。懐かしむべき文脈を持たない僕らであったが、それでも楽しめたのは、彼らのサービス精神によるものだろう。アルトサックスとソプラノサックスを同時に吹いてしまうパフォーマンスなど、彼の熱量はたいしたものだ。また、ジュリオ・フェルナンデスのキューバ音楽からの援用によるThe Crossing(これは最新作The Deep Endにも含まれている)も面白かった。

しかし、他のメンバーの力量は少々物足りなさを覚えた。その後、H女史と別れ、ボストンからの友人と深夜まで飲む。友人は元旦まで滞在するとのこと。






2004年12月29日(水) NYの街角:国連本部へ


Bostonから来た友人を誘って、国連本部へ。
16年前の記憶を辿るが、もはや何も残っていない。

ガイド付でなければ回れないとのことで、30分ほど待たされる。
ガイドは欧州の出身らしく、訛りがあるが、非常に良く勉強している。
込み入った議事手続きの質問にもちゃんと答えるあたりはさすがだと思わせた。

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これは、静謐の部屋というもので、ここで戦争の犠牲者を思って瞑想することができると説明されていた。何を思うべきなのか、もはや判らなくなっている身としては、いろいろ批判のある中、率直にできることだけをしている国連の潔さが重荷に感じられた。我が身の偽善を思うに留めた。

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2004年12月28日(火) NYの街角:断章



ほの暗く、暗い。日没には早すぎる。が、暗い。路上には今朝から細々と降り続いた細かい雪が、薄く積もっている。わずかな風しかないが、その風の動きに連れて、雪は流れていく。道路に垂直に立つ摩天楼の壁に、その倫理的な垂直性に挑戦するように、なだらかに吹き溜まっている。

荷の上げ下ろしをする黒人は白い息を吐いている。その体からも蒸気が立ち上っているような気がする。しかしそれは路上のマンホールから漏れたスチームの蒸気だ。円形の鉛茶色をした金属の隙間から気体が吹き上がり、路上労働者に絡みつく。この光景は何かを思い出させるような気がする。が、そのまま歩みを進める。それは彼の人生に無関係だからだ。

太ったショッピングバッグ・レディがいつもの所定の位置でカップを持って立っている。その前を通るとき、威嚇するような強さで小銭の入ったカップが振られる。チェインジ、チェインジ、クォーター、ダイム、チェインジというその真摯な祈りの文句が遠ざかる。

尖塔のごとく伸びたビルの高層階では、路上とは無関係な人生が営まれ、「大きな中心」と名づけられた駅ビルの窓からは忙しそうに手足をトレーニング機械の上で反復運動する男女の姿が見える。上下を逆さまにして鎖で括り付けられた金色の樹木が、そのビルの入り口付近に見える。それが何を象徴しているのかはわからない。そのさらに上には、4つの米国国旗が並べられ、その中央に作り物の鷹が据えられている。鷹の眼は厳しく、彼方の国連ビルへと向けられている。

さらに上へ。天上をスクレイプする構造物の先端は、マンハッタンを発明した男の創作による「フェリス的空洞」へと消えている。無数の細かい白い破片がその空洞を埋める。あらかじめ計画されていたものでもあるかのように。

そして僕は視界を失い、居場所をなくす。全てが白くなり、この静かな喜劇は幕を閉じる。






2004年12月24日(金) NYの街角:NYのある一日



Markから来たリスクファクターのドラフトに手を入れながら他のF-4 Formを参照しAnnual Reportと整合性を保ちつつガリガリ書いていると電話が鳴る。

電話の主は名前を聞いたことがない女性だったが、そういえば、Pennのクラスメイトの知人がNYのLawyerを探しているということで、相談に乗ってくれないか、と言われていたことを思い出した。そのBF(これが依頼者)と一緒にランチ。話を聞く。訴訟になる前の交渉戦略について一般的なアドバイスをするに留める。多国間にわたるdisputeであることや証拠に乏しいことから、このlitigation案件を受任してハンドルするのには、ある程度の時間と費用が必要となるケースだと思われた。

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夜、ぎりぎりまでBusiness DescriptionやらRisk Factorやらのドラフトに手を入れ、友人との会食に向かう。

急いでいたため、下車すべき駅を迂闊にも乗り過ごし、Brooklyn Bridgeまで行ってしまう。仕方なく、もう一駅乗り過ごして、Fulton Stでブルーラインに乗り換えることにする。駅で突然声をかけられる。昼に会ったばかりの、相談を受けた相手のGFだった。NYは狭い。が、これはまさに驚くべき偶然だった。

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予定の時刻をかなり過ぎて、West 4thで降り、友人に電話して迎えに来てもらう。Le Gigotというフレンチ。趣のある小さなビストロだ。

実は彼に会うのはこれでわずか2度目だ。しかし、Pennのクラスメイトの親友で、初対面の時に相当深いところまで関心領域が一致していることをお互いに確認した。話し始めると止まらない。彼は今スタンフォード大学の大学院で日本の現代文学を中心に研究している。が、外交官が本職だ。実に温厚かつ博識で、話していても言葉の隅々までいきわたった素養が常に息づいているのが感じられる。

料理も美味。あっという間に数時間が過ぎ、その後、Parisにこの夏一ヶ月弱滞在してすっかりその魅力の虜になったということを聞く。街歩きをして、ひたすら読書に適するカフェを探して歩いていたということを聞いて、ますます傾向が近いことを実感する。Bastille界隈の話やアラブ研究所の話などしているうちに、そのそばにある水タバコが置いてあるbarの話になる。

実に良かったというので、「ここNYでも、Astoriaにあるよ」と言ってみる。彼の寄宿するアパートは、偶然にもAstoriaにあるというので、早速アラビックカフェに行ってみることに。RラインでBroadwayで下車。そこからSteinwayの25 St.を目指す。かなり歩いて到着。目当てのアラビックカフェのうち、まだ試したことがないカフェに入る。

店のさらに奥に隠し部屋のような小部屋があり、そこを紹介されたので入り込む。部屋の中の壁はアラブの模様の布で覆われており、みな水タバコをふかしている。カードやチェッカーをやっている連中でほぼ満席だ。

「シーシャ?」と聞かれて、そういえば水タバコはシーシャというのだったと思い出す。コーヒーを二つとシーシャをひとつ頼んで回しのみをしながら今度は哲学・現代思想の話などをする。村上春樹への批評のスタンスに話が及んだとき、横に座っていた青年が話しかけてきた。バングラディシュから来ているようで、いろいろと日本にすんでいる友人の話をしてくる。話が長いので正直迷惑しながらも、一応相槌は打ち、別の話を友人と続ける。

12時をだいぶ過ぎて、店を出る。アストリアの道はすっかり人通りも絶えていた。



道すがら、大江健三郎、安部公房、村上春樹、開高健などの話を続ける。明日、彼はスタンフォードへ戻るが、今度はNY Barの宣誓式で1月に来るとのこと。今度会うときは、もっと長く話そうと約する。また、キュレーターの知人が居るそうで、その知人を通じてMoMAを見せてもらうことなどを約束した。今度は一月だ。






2004年12月20日(月) NYの街角:NYの初雪/Skyclubでの会食



ニューヨークに雪が降る。今シーズン初めて。
朝方の外気温は-15度を示していた。

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研修中の事務所の銀行規制法の専門家のパートナーと昼食。お世話になっている別のパートナーと一緒に仕事をしているアソシエイトに紹介してもらって会食が実現した。場所は、MetLifeビルの最上階にある会員制レストラン、Sky Club。



ミッドタウンのパーク・アヴェニューにまたがるこのビルの最上階からは、ニューヨークの姿が360度見渡せる。他にここより高いビルは見当たらず、視界は完全に開けている。まさにSky Clubの名に相応しい。レム・コールハースの「錯乱のニューヨーク」(ちくま学芸文庫)の表紙を思い出した。

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2004年12月19日(日) NYの街角:簡単なメモ/多忙




多忙。事務所の仕事が忙しいのもあるが、度重なる飲み会・パーティ続きのせいもあろう。
大学の同窓会のwebsiteを立ち上げるプロジェクトを、友人H氏にそそのかされて共同でやっている。というか、気づくと協力することになっている。彼を見ていると、天性のアジテイターというものはいるのだな、と思う。

最近、普段会うことのできない異業種の人々と会うことが多い。最近お会いしたアナウンサーの方も非常に魅力的な方だったし、芸術家の方々の情熱も、魅せられるものが多かった。人との出会いは、単に人脈を広げるという意味にとどまらず、実に有益だ。自分を閉じさせないために。そしてNYはそのための舞台に相応しいのかもしれない。

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簡単な備忘録。
・書評:レム・コールハース「錯乱のニューヨーク」
・書評:後藤明生「挟み撃ち」
・個展批評:法貴信也展@I-20ギャラリー
・Caveのパフォーミングアートについて。
・某所提出書類の整理。
・懸案事項、続行。
・Vertical New Yorkの可能性
・NY撤退の準備。

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2004年12月16日(木) NYの街角:事務所のXmas Party



多忙なのだが、事務所のXmas Partyには出席。
場所は、グランドセントラル駅の目の前のCiprianiというバンケットルーム。
すばらしく広大で豪華なここをこの時期に借り切ってパーティとは、何とも贅沢である。



入ると既に音楽がかかってクラブよろしくダンスに熱中している一角もあり、グラス片手に歓談している一角ありと、実に賑わっている。



このあとにさらに別のパーティがあるので、軽く食べて出ようとして知り合いのアソシエイトに捕まる。そして夜は更けてゆく。


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2004年12月11日(土) NYの街角:法貴信也展@I-20 Gallery, NY



「線」にこだわりつづけるドローイングの作家として、法貴信也氏の名前は聞かれるようになってきているようだ。2002年、2003年と美術手帳にも取り上げられた。その法貴氏の初めてのNYでの個展がチェルシーのI-20ギャラリーで開かれた。

この個展は岡山大学の美術史の助教授である伊藤大輔さんからのご紹介。大輔さんがNYで著書を執筆されていたとき、大分お世話になり、一緒に遊んでいた。(もちろん品行方正な方なので、「遊ぶ」といっても疚しいことはない。ワイナリーやウィリアムスバーグの画廊などご一緒したりパーティに呼び呼ばれという感じ。)

昨日の夕刻、オープニングだったので雨の振る中チェルシーのはずれまで足を運んだ。I-20は、いくつも画廊が入っているビルの最上階(11F)にある。

Taro Nasu Galleryの那須太郎氏が法貴氏と一緒におられたので、ご挨拶。大輔さんから良く伺っていますと言われ、何故か恐縮する。



早速ドローイングを見て回る。実に繊細な、単色の線によるドローイングだ。基本的にはカラーフィールド系を思わせる単色の塗りのキャンバスに淡い色彩の線だけで表現しようとしているものが多い。空白を空白のまま残すという態度は、時折日本の現代作家に見られる戦略であるが、彼の作品においては潔い。ただの素描と捉えられかねない危うさを秘めつつ、そのバランスを上手く取って、向こう側に着地している。

これはおそらく日本の漫画における空白の文法に均しいのかもしれない。つまり、ブランクをそのまま想像によって埋めるという手法である。これがNYの人々にどのように受け取られるのか、興味は尽きない。

一通り見終わった印象は、氏の作品は、その戦略といい、印象といい、水墨画に近いということだ。線だけで勝負し、その濃淡、細さ、かすれ方、筆致から、独自の世界を形成する。そこには、ある種の共通項が存在する。いかにも無造作に書いたような絵であるが、おそらくこれを一つ仕上げるのには相当の時間を費やしているだろうと思われた。次に何処に筆を置くか、いずれにしても油絵のような上塗りは許されない書き方である。

法貴氏に聞いてみると、まさにその通りで、4段階くらいに分けて書くということであった。一緒に立ち話をしていた知り合いの画廊のオーナーが、「オートマティスム(自動筆記)じゃないの?」と聞いていたが、そうではないとのこと。とはいえ、書き始めると一気に書くこともあり、どこにたどり着くかが自分でも判らず、書かれた線によって別の構成が出来上がることもあるということだった。そもそも色の素材からして自分で作っているということで、ようやく納得できるものが出来上がるまでは2年くらいかかったということであった。

そのような繊細さを保ちつつ、しかし突然ポップなキャラクターが顔を出すというお茶目な作品もいくつかある。過去の作品には、むしろそのようなものが多い。また、丸い穴のようなものが風景のそこかしこに現れるものもある(一番左の写真)

話をしているうちに、私の知り合いのアーティスト達も、続々と集まってくる。予定より早くNYを離れなければならないことを説明したり世間話をしているうちに、気が付くと、ギャラリー内に相当の人数が入ってきている。大盛況だ。NYの画廊の人も真剣に見ている。一点素晴らしいものがあったが、いかんせん高い。。。エレベータに乗り込んだときにも、画廊関係者と思われる白人女性がちょっと高いねといっているのを耳にした。

辞去して外に出ると、相変わらずの雨。忙しくて昼飯を抜いていたことを思い出し、家路を急ぐ。






2004年12月05日(日) NYの街角:グラウンド・ゼロ


午前中から、ダウンタウンの方へ。

グラウンド・ゼロへ向かう。グラウンド・ゼロに最寄りの駅は、いまだに閉鎖されている。何が底で起きたのか、地下鉄の地図上に表示される(closed)の文字が物語っている。



再開発の進むがらんどうの巨大な空間。設けられた通路を歩いているうちに、気分が悪くなり、足取りが重くなる。どう表現するのが適切なのか判らないが、とにかく一刻も早くこの場を離れたい気分になった。

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その後、ブロードウェイを南下する。Battery Parkに来るのも、自由の女神を見るのも、実に16年振りだ。今回はサークルラインに乗るわけでもなく、単にこのあたりの地理を確認するのが目的なので、急ぎ足で過ぎる。



NYSE(ニューヨーク証券取引所)やNY連銀の建物を見たり。現在は許可がなければ入れない。テロ以降警戒が厳重だ。NYSEはちょうどクリスマスの飾り付けをしているところだった。



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Wall Street付近で、上を見上げると、狭く切り取られた空が覗いている。特にWall Streetでは、錯覚により遠近感を失い、鋭角に切込みを入れたかのようにも見える。





グラウンド・ゼロ。あそこの空は、余りに広すぎる。

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2004年12月04日(土) NYの街角:4度目のCAVE


夜、Cedar Tavernで待ち合わせ。ジャクソン・ポロックとデ・クーニングという抽象表現主義の画家たちが集った歴史あるbar。その後、ウィリアムスバーグはベッドフォード・アヴェニューへ。いつもながら、若者たちで溢れて活気がある。

CAVEへ。ここにくるのはすでに4度目。ひょっとするとこれが最後になるかもしれない。

まずは、若手のアーティスト集団によるパフォーマンス。映像はShige Moriya氏。白装束の3人は、それぞれ目隠しをされ、顔の表情を奪われ、また身体の自由を奪われた状態で舞踏をする。それにShige氏の映像と音が唱和する。



Naoki Iwakawa氏は、いつも身体を張った製作を行う。今回もさらに過酷なパフォーマンスを見せてくれた。ドリッピングされる絵具の匂いが充満する中、円形に舞い上がる炎に現代音楽のようなギターの音色が絡みつく。奥さんのCathyが抱えている長男Zen君は、6ヶ月になっていて愛想を振りまいていた。







その後、友人たちと、近くのAURORAというイタリアンバーで日付が変わるまで粘る。Gnocciがおいしい。こんな贅沢なことは日本に帰るともうできまい。

Vin Bruleが沁みた夜のこと。

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