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2004年10月17日(日) NYの街角:生涯現役前衛芸術家、篠原有司男氏


篠原有司男氏の作品

週末、NY在住の日本人アーティスト、篠原有司男氏と乃り子氏ご夫妻にご招待を受けて、DUMBO(Down Under the Manhattan Bridge Overpass)のロフトにある篠原氏のアトリエへ。以前にもご招待いただいたのだが、DUMBO Festivalに合わせて遊びに行くことに。

DUMBOもWilliamsburgと同じく、比較的新しいアーティストの街である。かつて家賃の安かったChelseaやSOHOに貧乏なアーティストたちが住み着いたのは、もう10年近く前のこと(注)。ギャラリーが活力を求めて続々とオープンし、流行に敏感な人々が押しかけたために、いまやSOHOもChelseaもエスタブリッシュされた華やかでお洒落な街になってしまった。そのために、家賃の高騰を招き、いまや若手アーティストたちはWilliamsburgやここDUMBOといった土地に進出している。この週末は、DUMBO Festivalで、オープンしているアトリエも多い。篠原氏のところは、友人・知人のみを招くとのこと。



篠原氏ご夫妻のスタジオに伺うと、とても72歳とは思えない有司男氏の元気な姿が現れる。1ヶ月ほど前にお会いしたときよりもさらにパワフルだ。 早速案内していただく。迫力のあるペイントや彫刻がお出迎え。説明は不要。とにかく写真をご覧あれ。小さくて良く判らなければ、こちらからどうぞ。
http://www.new-york-art.com/shinohara-artist.htm

有司男氏は赤瀬川原平もそのメンバーだったネオダダ(1960-61)で一世を風靡したアーティスト達の一人である。当時とは素材も作風も少しは変わっているが、パワフルさは変わっていない。少し前に、ポカリスエットのCMで福山雅治とボクシングペインティングで競演したのをご覧になった方も多いだろう。また、箱根駅伝のポスターでご覧になったかたもいるかもしれない。

ご本人の人となりを一言で表すとすると、「器の大きい人」である。豪放磊落、猪突猛進。いろいろな言葉が似合うが、とにかく人間としての魅力に溢れた芸術家である。72歳とは到底思えないそのパワフルさはその作風の豪快さにも十分にじみ出ている。むしろ私の方が余計に年取っているような気分になる。気が本当に若いので、私のようなものが、彼の愛称である「ギュウちゃん」という名前で呼んでも違和感がない。

乃り子さんと有司男さんの合作の美味しいカレーライスもご馳走になり、満腹になるまでいただく。創作のパワーを分けてもらった感じ。

奥様の乃り子さんが、これまたパワフルな人だ。この方も芸術家で版画や油彩をよくする。以前お話を伺ったときに、私の専門だったアルチュール・ランボーについて、次々と鋭い専門的な質問を投げかけてきたので吃驚した覚えがある。眼に美しい強さがある人で、人間的な魅力があるとはこういう方のことをいうのだろう。

作品を見せていただくと、豊穣な世界が広がる。この奥様にしてこの旦那様あり、という言葉が頭に浮かぶ。
http://academic.brooklyn.cuny.edu/classics/jvsickle/noriko.html

全てを紹介できないのが残念だ。日本財団の方や、ペインターの方々が入れ替わり立ち替わり訪問される。みな気さくに腰を落ち着けてカレーライスを頂いたり、テキーラやワインを飲んだり。


奈良美智がここに遊びに来て落書きしたという部屋の扉が面白い。「ギャラリーの奴にみせたらよう、扉ごと25万で買うとか抜かしやがるんだ」とギュウちゃん。「そんなの売れねえやなあ」

4時間近くもお邪魔させていただき、その後、いくつかのギャラリーを巡る。d.u.m.b.o. art centerやSmash Melonというギャラリーにずいぶんと人が集まっていた。途中から雨となる。あまりの活動的な情熱に当てられたのか、少し頭痛がする。夕暮れを待たずに引き上げる。

***

(注)大島徹也氏+森家成和氏の「ニューヨーク美術界の現状」(「芸術/批評」2004年1号)に拠れば、1996年9月には、Chelseaには10前後のギャラリーができていたが、その二ヵ月後には20前後まで増えているとのこと。そのあたりから急激にChelseaを巡る状況は変化したものと思われる。

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2004年10月16日(土) NYの街角:Fall Crawl


こんなメールが所内に回った。実にばかばかしくも面白い。

"A friend of mine is a member of breedingground, a Brooklyn-based
group that provides support for a range of emerging local artists
by producing their work, providing a network for artists to
collaborate, and through its publication, Readingground.
This year, breedingground is raising money for its Spring Fever
arts festival through a "Fall Crawl" during which they will
literally crawl about 1.5 miles through Park Slope - god help them.
I hope you'll consider sponsoring a crawler - the price is
certainly right: for $1 you get three feet of crawl, 75 feet
for $20, and for $50 a starving artist will crawl 175 feet for
you and you alone. This is a small organization and any amount
of money you can give will make a big difference."

特に注目すべきなのは、クロールする距離。多く支払うと距離が追加される。飢えたアーティストが坂道を這っている姿は想像するだになかなか面白い。というか、そこまでしなくとも、donationしてあげようという気持ちにさせるところが実に巧い。

Fall Crawlに関する情報はこちら。

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2004年10月15日(金) NYの街角:Urban Center Books/古典的手法



事務所の帰りに、Urban Center Books(457 Madison Ave. at 51 St.)に立ち寄る。


建築系の本の専門店である。店内は小さく心地よい。
http://www.urbancenterbooks.org/about/index.html

The Villard Houseという古い邸宅の北ウイングに入っているのだが、夕闇迫る時に訪れたものだから、実に雰囲気が良かった。

***

帰りに、いつもの通り、とある喫茶店に立ち寄り、カプチーノを飲む。例の原稿を推敲。約半分が完成と感じる。方向性は固まったものの、まだまだ何かが足りない。

58thの人通りのない暗いところを通っていたら、黒人にぶつかられた。かなり意図的にぶつかってきたので、無視して進んでいたが、案の定後ろから声を掛けてくる。「おまえのせいで眼鏡が壊れたぞ、どうしてくれる」とこれまた古典的な言い草。しつこいので、顔を10cmまで寄せてにらみつけ、「そうか、それは気の毒だな。こっちには関係ないが」と言って去る。まだ色々と後ろから言ってくるので、振り返り、「それがどうした?」と大声を出して再びにらみつける。ゆっくりと人通りのあるAve沿いまで行く。

もう少し色々言ってくるようだったらポリスを呼ぶかどうにかしようと思っていたが、追ってこなかった。まあ、気の弱そうな黒人で、目もラリってなかったのであんな対応をしたが、あれが本当にガタイのいいブラザーだったら、多分おとなしく20ドルを足元に落としてその場を立ち去っただろう。まあ刺されたりするのは嫌だし。

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2004年10月11日(月) ジャック・デリダ死す

ジャック・デリダ死す。

ポストモダニズムの最重要人物の一人であった。フーコーがまず去り、ドゥルーズが自決し、そして残る最後の一人が消えた。「私一人になってしまった」とは、ドゥルーズの死に際してデリダが述べた言葉だったが、いまや彼も歴史の中の人物となってしまった。

前世紀末の文学青年にありがちな話だが、私もデリダの「グラマトロジーについて」を大学時代に読んだ。脱構築とは何かを知る手がかりとして、と漠然と考えていた。ヨーロッパの言語体系に内在するフォノサントリスム(音声中心主義)を解体してみせた彼の手腕に感心した。

これを読んだ後に、文学研究会の一学年上の会長だった先輩と話をした。「漢字を使用するアジアの国々にあっては、書かれた言葉が思考に先行するのはむしろ当然のことであって、何をいまさら」という一言が忘れられない。

それ以来、ドゥルーズを経て、やがて本分である19世紀フランス詩人の研究へと舞い戻った私は、デリダの著作を開くことは二度となかった。それでも、時にはジジェクなど眺めては、つくづくフーコーたちは偉大だったのだなあ、と嘆息するのだった。

哲学というものが、これほど軽視されている時代は、かつてなかった事態かもしれない。「最後の偉大な哲学者」と誰かが評していたが、ジャック・デリダの死は、哲学なき歴史の夕暮れを暗示しているような気がする。安らかなれ、デリダの魂。

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2004年10月10日(日) NYの街角:収穫祭@イーストハンプトン


Wollfer Estateの葡萄棚

Wollfer Estate(注)というイーストハンプトンのワイナリーで収穫祭に参加してきた。

朝7時30分にレンタカーオフィスを出て、ひたすらロングアイランド方面へ、495を走る。


ポロックのアトリエ兼住居

ドリッピングで有名な前衛芸術家ジャクソン・ポロックの家に立ち寄る。この時期はAppointment Onlyだが、友人が所長と仲良しなので、特別に入らせてもらう。50年前の野外ペインティングの跡も残っている、美しい湖畔のアトリエを見る。自伝映画に出てきた光景にしばらく見とれる。

このあたりはNYの金持ちがサマーハウスを持っているところで、ハンプトンにはティファニーをはじめとしてブランドの店が立ち並ぶ。日本でいえば、軽井沢のようなところだ。


ジェネラルストア前にて

午後2時まで近くのジェネラルストアでランチ。風はもう冷たいが、野外で取る食事もなかなかだ。(このジェネラルストアは、実に風情があるので、また機会があれば写真付きで書く。)

目指すWollfer Estateへ。Merlot種の葡萄が完熟している。早速テイスティングをし、葡萄摘みをする。



Hay Rideというお決まりのイベントがある。これは藁を積んだトラクターで畑を一周するというものだが、収穫祭では必ずやるイベント。子供たちが藁の上ではしゃいでいる。



その後、美味しい食事を頂き、ワインを傾け、生バンドが演奏するジャズを聴く。本日のメインイベントのひとつ、葡萄踏みにも参加。かなり冷たいが、裸足で葡萄をつぶしているとくせになりそうなプチプチという感触が足に伝わってくる。なんともいえない感覚。



その後、収穫された葡萄が選別されてステンレスのタンクに移されるところまで見学。極上だったレイトハーベスト(遅摘み)のワインを購入して帰途に就く。

マンハッタンに入る直前の、クイーンズボロ・ブリッジからのマンハッタンの夜景が美しかった。

(注)Wollferのoはウムラート付きのo。

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2004年10月06日(水) 書評:平野啓一郎「日蝕」 (1998年下半期芥川賞受賞作)


1999年芥川賞受賞作「日蝕」は、異端審問を巡る典型的な物語を、擬古文体に似せた独自の文体で反復した作品と、しばしば要約される。そこに、泉鏡花の影響を感じることもできようし、近年の中世ブームと軌道を一にするテーマの取材のありかたを感じることもできよう。

物語の流れは比較的単純である。15世紀末のフランス、ドミニコ会の若き学僧が、学究の旅の途上、リヨン郊外の小さな村で錬金術師と出会い、錬金術の思想と神学との間で(思想的に)戸惑う。やがて、錬金術師と関係のある両性具有者が異端審問により魔女として焚刑に処せられる場に居合わせる。その魔女の処刑現場において、学僧は奇妙な神秘体験に触れるというプロット。物語の筋だけを大まかに辿れば、このようになるだろう。

このプロット自体は決して目新しいものではない。たとえば、泉鏡花の「草迷宮」のコンセプトにも似ているし、文学を離れれば、パトリック・ジュースキントの「香水」にも似ている。ただ、ここでは何に似ているか、と問題提起することは愚問の類に属するので避ける。

しかし、現代に生きる日本人が、15世紀末フランスを舞台とした物語を構築すること、それも極めて日本的な物語の構造と文体とで反復することが、どの程度の意味を持つのかという当然起こりうる疑問は、「日蝕」を正当に評価するうえで忘れてはならないことである。ここでいう「意味」とは、あくまで小説家にとって、先人により積み重ねられてきた「文学」に何を付け加えることができるのか、という観点の作品の意義とでもしておく。

いったい、何を目指して書かれた物語なのだろうか。正直なところ、読後しばらくしても、私は作者の真意を掴みかねている。一つだけ判るのは、独自の、ルビを多用した擬古文体に似せた文体により、物語の古さと文体とを一致させる試みは、少なくとも作者に意識されているだろうということである。ここで言う古さには二種類の意味がある。語られる事柄が古いということと、使い古されているということの二つである。擬古文体こそが古い事柄、または、既に反復されてきたテーマを語るに相応しい文体であるか、という疑問の検証のための実験の作品として捉えるならば、それなりに意義があると主張することもできるのかもしれない。

あるいは、こう考えるのはどうだろう。根本的なテクストを欠いた現代日本の状況において、それでも語り続けることができるのか、依拠すべきテキストを外部に求めることが正当かという実験として捉えることもできるかもしれない。そのための装置としては、自らのルーツに根ざさない過去への希求という姿勢を偽の擬古文体で表すことはある程度有効という議論もできよう。そして、異端審問という使い古されたテーマを、ここ日本で再現すること、その組み合わせの妙は、確かに感じられる。

これらが実験するに値するテーマなのかは、とりあえず不問にする。としても、何か踏み込みの浅い、表層的な印象を免れないのはなぜだろうか。終幕に近い部分で、本気で書いているのだとしたら、少々まずいと思われる部分もある。1時間で読みきれる程度の薄さであるし、その時間と文庫の値段に見合う内容ではある。最後までのめりこめないものの、それなりに面白い。先入観はとりあえず捨てて、読んでみるのもいいかもしれない。
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2004年10月05日(火) 書評:綿矢 りさ「蹴りたい背中」(2003年下半期芥川賞受賞作)


冒頭の数ページの文体に、激しい拒否反応を示す人がいることは想像に難くない。そして、その人々が例外なく指弾するのは、「日本語になっていない」という点であろう。「オオカナダモ?ハッ。っていうこのスタンス。」という文章を読むと、隔世の感を抱く読者も少なくないはずだ。

しかし、総じて描写は正確である。一読すると、「正確」という言葉はこの文体からは遠いもののように思われるかもしれない。しかし、私には、この小説における描写は、きわめて的確で、むしろ優等生的な正確ささえ保持しているように思われる。学校生活における協調と孤独というありふれたテーマを、描写の力によって読ませる力量は大したものだ。

そして、もうひとつ強調しておくべきなのは、集団にうまく馴染めず、また自らも集団の論理に対し欺瞞を感じつつ、それでも連帯を求めてしまう思春期の揺れ動く心を描く、その細やかさとそれを活写する能力である。痛々しい心の動きの瞬間を捉え、それを筆の運びで描写する能力を、「運動神経」とでも呼ぶべきだろうか。そういった動きのよさを感じる。言葉が身体の隅まで行き届いているのは小説家として当然必要な能力であるが、それを自分の文章の中で再構成する能力に長けているように思われる。

しかし、描写の点を除くと、この小説には読むべき点は少ない。というより、ない。ほのぐらいサディズム的なエロティシズムも、ことさらに語られるべき深みはないし、むしろそういった部分はすべて描写に奉仕するために存在する。その逆転があるからこそ、「蹴りたい背中」はよく出来たリアリズム小説であるといえる。しかし、その先は見えない。

結局、私は立ち読みで済ませてしまった。残念ながら。
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2004年10月04日(月) 書評:吉村 萬壱「ハリガネムシ」(2003年上半期芥川賞受賞作)


冒頭から、蟷螂の惨殺とその首のない死骸からハリガネムシが腹から這い出すシーン。そして、より吐き気を催すようなシーンの連続。しかし、それをぐいぐいと先を読ませる力量は評価に値する。どこまでも堕ちていく主人公の悲惨さが、読み進めるうちにむしろ自然に感じられてしまうという事実が、この小説の到達点であり、また、限界でもあるだろう。

暴力と性の問題は、文学に限らず繰り返し問われるテーマである。この作品で、作者がストーリを書き続けられるのは、「暴力と性とが不可分に結びつく」男の側の事情と「性そして暴力の受容により男の身分を固定化する」という女の側の事情という、典型的な物語の枠組みに沿っているからである。いわば、既定路線なのである。そのために、その悲惨な状況も、読者にとっては一種安住できるものに転化してしまう。

しかも、主人公が社会的に逸脱していく必然性はもとより感じられず、そこが書けていない故に、読後感はあまり良くない。突然、理由もなく暴力の世界に否応なく巻き込まれていく人物像を描くことに終始しており、それ自体は良く書けているが、それはあくまでファンタジーなのである。そして、読者はファンタジーとしてこの物語を受け入れるが故に、悲惨な暴力的表現も素直に受け入れられてしまう。結局は、より高度で悲惨な描写のみを「強度」として続けられる終わりなきレースとなる。

ちなみに、吉村氏の「人間離れ」を過去に読んだが、その読後感も非常に、優れて、悪かったことを書き添えておく。その理由も同じである。
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2004年10月03日(日) 書評:モブ・ノリオ「介護入門」(2004年上半期芥川賞受賞作)


YO! 朋輩(ニガー)と声をかけられたら、なんと応えるべきなのだろう。マンハッタンの街角で、男にこんな風に声をかけられたら、私ならまず丁寧に無視して避けて歩く。男の眼が、明らかにラリっているなら、なおさらだ。しかし、この「介護入門」の作者がたびたび読者に呼びかける、その言葉は違和感なく読み手まで届く。それは、日本の小説の文法で許されているルビの効果であろうし、こわばった、息苦しい文体のなかで、唯一ひといきつける合いの手の瞬間だからかもしれない。

告白小説というものがあるとすれば、その分類に入るのかもしれない。そもそも小説なのかという問題もある。ジャンルを問うことは無意味であると判っていながら、それでも問うてしまうのは、アルチュール・ランボーの「地獄の一季」での、あの荒々しく禍々しい、あの文章の息継ぎをどうしても想起してしまうからだ。

もちろん、氏が意識しているのは、その名前から推察できるとおり、ラップの口調である。後ほど、彼のインタビューが掲載されている文学界を読むつもりなので、氏の真意は(少なくとも建前は)わかるだろう。

介護というテーマと、麻薬を含めたラップ・カルチャーの出会いは、新鮮である。電子音に合わせてダンスしながら医者用ラテックス手袋、湯を満たしたポット、<下>専用手拭いを準備し、母とともに最後のお楽しみとしてオムツをご開帳するなど、ありえない組み合わせに心は躍るのも事実だ。

世の中に対する怒りというラップの通低和音のようなものは、いささかうんざりさせるが、現実味あふれる介護という文脈に引き戻されることで、危ういバランスを保ち、リアリティを確保することに成功している。が、そのリアリティが、幾分、小説としての出来を損なってしまっているのも事実だ。また、新鮮なテーマの選定は良いが、その現実味が何か高次の段階に行き着かない、ただの羅列になってしまっているように思える。また、それを避ける工夫かわからないが、時折唐突に挿入される<介護入門>なる教条的な覚書が、なおさらその失敗をあからさまにしてしまっているのが残念だ。また、「俺はいつも、<オバアチャン、オバアチャン、オバアチャン>で、この家にいて祖母に向き合う時にだけ、辛うじてこの世に存在しているみたいだ。」などという、結論を急ぐ言葉が、無造作に使われてしまっているのも気になる。

この文体をより洗練させ、リズム感を高めていけば、そして、読者を乗せていけるような氏の考えるミュージシャン像に繋がる文体を完成できれば、今後の氏の作品は期待できるだろう。

最後に、これからこの作品を読もうとする人へ。この作家の風貌や、その最初の印象だけでこの作品を読むと、間違いなく誤る。侮るなかれ。実に細やかな、ナイーブ過ぎるほどの感性から、この作品は描かれている。

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2004年10月02日(土) NYの街角:Subway/MoMAのReopening


Subway内のMoMAのポスター

16年前にNYを訪れたときは、Subwayは怖くて一人では乗れなかった。唯一乗ったのは、今から思うと7のクイーンズ行きの列車である。まだ安全な時間帯ではあったが、その当時の地下鉄は落書きも凄く、電池を売って歩いたり、物乞いをしてうろうろしたりする黒人たちが居て非常に恐ろしかったのを覚えている。

今は、落書きがしにくい車体が増え、割れ窓理論に従ったジュリアーニの落書き撲滅運動もあって、落書きが相当減り、それなりに安全になっているようだ。

で、写真は、Subwayの中で見つけたMoMAのカムバックの予告。この11月に予定通り元の場所に復帰するようだ。このポスターに使われているのは、言うまでもなくMeret Oppenheimの作品"Fur-covered Cup"である。アメリカンダイナーのカウンターにこんなコーヒーカップを置くところが粋である。MoMAのサイトでも見ることができる。

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2004年10月01日(金) NYの街角:Restaurant Street


Restaurant Street & 9th Ave

マンハッタンの街はダウンタウンを除き、基本的には縦に走るAvenueと横に走るStreetとで構成されている。Avenue沿いの方が栄えていることが多く、Street沿いはやや寂れた感じがする場合が多い。

例外は、このRestaurant Streetと呼ばれる46th St.。ここだけは、人気のある飲食店がストリート沿いに立ち並ぶ。


F氏と別のF氏とで食事。なかなか盛り上がって、その後barをハシゴする。

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