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2003年06月29日(日) パリ留学日記:ロワール/ブロワ紀行


これから授業に出なければならないので、予告編のみ。
週末はロワールで古城巡りをした。ありがちな観光ではあるが、シュノンソー、アンボワーズ城あたりは一度訪れてみたかった場所であった。

トゥールの街を拠点に回ったのであるが、見所が多く、合計200枚以上の写真を撮影した。アルバムのCGIを現在調整中なので、今夜授業が終わったころにでもアップすることにする。


Tours_Marche






2003年06月27日(金) パリ留学日記:Conseil d'Etat/ランボーのApartment


昨日に引き続き、今日も見学が予定されている。今日は、Conseil d'Etatへ。Conseil d'Etatの判事が講義をしてくれるという貴重な機会である。見学する場所はわずかであり、殆どは講義と質疑応答で時間が費やされる。


Conseil d'Etat

その後、数人で連れ立って、ルーブルの中庭が見渡せるcafeに入る。実にのんびりした時間が流れる。奇妙な話だが、Parisに来てようやく時間の流れが普通の状態に戻ったようだ。東京にいるときはわが身を振り返る余裕など持てなかった。消耗し擦り切れていた何かが、ようやく少しずつ、ほんのわずかずつ回復の方向へ向かい始めたような気がする。

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友人と別れて、ランボーが住んだというRue de Buciのアパルトマンを探しに向かう。

ランボーの故郷であるシャルルヴィルには、当初から足を伸ばすつもりでいたが、Parisでの彼の住処を探すことは、予定にはなかった。これは偶然の積み重ねによるものである。今借りているアパルトマンの大家が、ソルボンヌの音楽史の教授なのだが、私が学生時代にArthur Rimbaudを研究していたと話すと、貴重な良い本があると言って或る書物を貸してくれたのだ。その本"Album Rimbaud"(Bibliotheque de la Pleiade)に、このBuciのアパルトマンの古い写真が載っていた。そこで、パッサージュ巡りを兼ねて探してみることにしたのだ。

ドゥ・マゴの脇を通って小道を巡る。10分ほど歩いて、ようやく発見。現在は市場があり果物が山積みになっている。果物を買いすぎて迎えに来てくれと携帯で話している女性がいたりして、ほほえましい。



残念ながら、当時の面影は残っていない。そこがランボーの住居であったことを示すプレートも残されていない。しかし、Buci通り10番地とあるので間違いはないであろう。かつてはテオドール・ド・バンヴィルがこの住処を世話したとAlbum Rimbaudにはある。現在は美容室が地上階に入っているようだ。その窓からは何が見えたのだろうか。

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明日は、ロワールへ小旅行の予定。朝早いので、さすがにもう寝なければ。







2003年06月26日(木) パリ留学日記:Cite Universitaire/追記:コンフェデ杯準決勝


昨日は父の友人に会いにオペラ座界隈まで行くも、不在で会えずじまい。お土産はこれだけ。通りを行き交う人々を面白そうに見下ろしている。


A Cat on the roof around Opera Garnier

午前中の授業が終わった後、ソルボンヌでゾラを研究している友人とCite Universitaireで落ち合う。間接的な知り合いの女性と三人で学生食堂で昼食をとる。その女性は国際法を学んでおり、同じパンテオンのそばの校舎で授業を受けているとのこと。世界は狭い。


cite universitaire

あっという間に3時間が過ぎ、その後、Cour de Cassationへ。絢爛豪華な裁判所の法廷で、長い講義を受ける。Cour de Cassationは、Private Lawの最高裁に該当するものである。


Cour de Cassation
写真右側の男性の着ている法服に注目のこと。白いふさのようなものが襟に巻いてある。

その後、サンドニのスタジアムで、コンフェデレーションカップの準決勝(フランスートルコ戦)を観戦。白熱した試合内容に、応援にも力が入る。



明日は、Conceil D'etat見学の予定。






2003年06月25日(水) パリ留学日記:サマープログラム初日


パンテオン界隈は、10年前に10日間ほど住んだことがある。そのパンテオンに最も近いLuxemburgでMetroを降り、ソルボンヌへ向かう。

Cornell Universityのサマープログラムは、ソルボンヌのFaculte de Droit(法学部)の由緒ある建物で行われる。早速Registrationを済ませ、オリエンテーションに参加する。全部で60名くらいはいるだろうか。一人ずつ起立して簡単に自己紹介をする。LLMは少なく、殆どがJDの学生ばかりである。日本人は、私を含め3人。ペンからはだれも来ていない。

午後からEuropeの法制度に関する導入授業に参加。抽象的な概略の説明ばかりで眠くなる。そもそもCivil Lawの初歩の説明をされても、我々には大して得るものはない。なぜ全員出席なのかと訝る。仲良くなったジョージタウンのJDの方も、半分眠りそうだったと話していたところを見ると、Common Lawの学生も似た感想を抱いたのではないか。

その後、パンテオンの前で写真撮影。ビジネスウェアで来るようにという説明のマテリアルが届いていなかったこともあり、大慌てでSt.Michel近くのGAPでパンツとシャツを買う。その後、Opening Receptionへと雪崩れ込む。


Faculte de Droit

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それにしても日付が異なるとここまで書きにくいものか。
とりあえず、Parisらしい風景も一枚。RERの車窓から。


From RER, Ligne C






2003年06月24日(火) パリ留学日記:街歩き初日


シャルルドゴール空港から、居を定めた16区へ。RERがずいぶん整備されて、便利になっていることに驚く。10年前とは違うのだ。

Gare du NordからMetroを乗り継いで、ブーローニュの森の手前の駅まで行く。約束の場所が判らず、別のスクエアに入り込んでしまうが、親切な夫婦に助けられて、何とかたどり着く。それにしても、フランス語の懐かしさよ。大通りに面して、多くの高級住宅が並ぶ一角にそのアパルトマンはあった。内装がすばらしく、風情がある。



食料品を買い込んだり、身の回りを整えたりで、初日は暮れる。しかし、インターネットにはうまく接続できない。どうやら設置してあったモデムが故障しているようだ。管理人と交渉し、お願いすることにする。

10時まで明るいので、感覚が狂ってしまう。4時に目を覚まし、再度ネット接続を試みるが、やはりだめである。というわけで、この日記は翌日に書いているのである。ということは、翌日になると開通するのであるが、この時点では、留学日記がいつ書き始められるか全く見当がつかない、という認識で少々暗澹たる思いであった。

時差の関係で日付が少々おかしいが、とりあえず、初日はこのようであった。明日からは、早速サマープログラムが開始される。










2003年06月23日(月) Parisへ、10年ぶりに


予定より大幅に遅れはしたが、日本を発つことになった。あと数時間後にはParisへの空路を辿っていることだろう。ほぼ10年ぶりのParisはどうなっているだろうか。しばらくネット接続できるまで時間がかかるかもしれないが、とりあえず日本での最後の日記を記しておく。






2003年06月21日(土) ヴィザ/サーバダウン


ようやくヴィザが下りた。結局3週間近くかかったため、初期の予定はキャンセルとなってしまった。さようならコンフェデ杯。まあ、所詮お役所仕事ということか。

ということで、23日に日本を発つことになり、まだ日本をうろうろしています。見かけても石を投げないでください。

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サーバが昨日23時ころよりダウンしている。サーバの障害情報も載っておらず、何も対応がされていないようである。Asahi-netでは起きなかった問題だけに、新鮮である。しかしメールまでだめになると、少々影響が大きすぎる気がする。頻繁に落ちるようなら、リスク分散を考えねば。

とりあえず、サーバ落ちの際に、日記だけでも見れるようにするため、再びAsahi-netに画像をアップすることにする。

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0830ようやく復旧。






2003年06月15日(日) 幸あれ。


6月の雨のせいで、陽が落ちてからの夜景は滲んでいる。
テーブルの上には相変わらず料理が運ばれ続けている。
和やかな雑談の中、時に笑い声が響く。
祝福の声、そして拍手が続く。
幸福な男は幾分恥らいながらそれらを受け止める。

傍らには、華やかで美しい笑顔がある。
その視線は、彼にのみ向けられている。

幸あれ。







2003年06月06日(金) 勤務終了のはずなのだが


公式には、事務所での勤務は終了しているはずなのだが、なかなかちゃんと終わらないのが苦しいところ。案の定、どこまでも仕事は追ってくる。こんなときに限って、面白い案件が降ってきたりもする。が、心を鬼にして、最低限の関与に努めることにする。


"darkbluesky_kioicho"






2003年06月05日(木) Foreign Lawyer飲み@神楽坂


今までお世話になった事務所の外国人弁護士2名とやはり米国留学を控えた同期1名を伴って神楽坂の居酒屋へ。Foreign Lawyersは前回のベルギービール飲み会のメンバーである。あの時から約束していたにもかかわらず、留学前の忙しさにかまけて結局Japanese Sake Partyは今日になってしまった。

伊勢藤とLe Bretagneのある細い路地を抜けて、「京都ぎおん」という店へ。比較的新しいが、古典的な日本の居酒屋を見せたくて、この店を選んだ。

日本酒で乾杯。我々日本人弁護士が留学目前とあって、米国で2件も殺人事件を目撃した話をされる。特に1件目は目撃証人になったそうで、実に迫真性に富んだ描写をされる。自分も、LAでの経験で、黒人4人組に乾電池を投げつけられて身に危険を感じたときの話をする。"Welcome to the US!!"と言われ、苦笑い。

外国人弁護士側から見た日本人弁護士の像やその評価、など楽しい話に花を咲かせる。オーストラリア出身の弁護士がraw fishも大丈夫と話すので、敢えて、生うにや柴漬けなど、外国人には少々つらいと思われる癖のある料理をチョイスするが、簡単に食べられてしまった。さすがに納豆は駄目だという。

あっという間に楽しい時間は過ぎ、いつもの神楽坂のBarへ。マスターがポートエレンが入っていると言ってくれたので、一も二もなくそれにする。夜更けまで語らって、深夜1時過ぎに解散。

神楽坂フリークとしては、渡米前にその魅力を存分に伝えたかったのであるが、2人とも神楽坂を好きになってくれたようだ。なんとなく安堵。


"pavement_kagurazaka"






2003年06月02日(月) Visa申請


米国に留学するためには、F-1 Visaという留学生のためのヴィザを取得しなければならないのであるが、この申請のためには、留学予定の大学からI-20と呼ばれる在学証明書のようなものを取得しておかなければならない。

今年はフォームが変わった関係か、University of PennsylvaniaからI-20がなかなか来なかった。相当早く申請して、かつ、Parisに行かねばならないので手続きは早くしてほしいとお願いのレターまで付けたのに、出発予定の3週間前になってもまったく音沙汰がない。

都合7通のe-mailを出して催促し、ようやく今日、申請をすることができた。ロースクールへのapplicationの際に、散々経験したことではあるが、アメリカの事務手続きの杜撰さにはあきれるばかりである。加えて、ここのところ、米国大使館はヴィザ発給が遅れているようであるので、ひょっとするとサマースクールの開講に間に合わないかもしれない。

それよりも心配なことは、せっかくコンフェデレーション・カップのチケットを確保したのに、ヴィザが取れないと無駄になってしまうことだ。サンテティエンヌにも行ってみたかったのだが。

というわけで、6/20ころまでは日本に居ます。出発は、米国大使館の気分次第。旧交を温めなおすいい機会であるし、また、Websiteの手直しをするいい機会でもある。


"chat_noir"







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