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2003年05月30日(金) 留学前勤務最終日


今日で留学前の事務所での勤務は終了。
ただし、残務がいくらかあり、来週も事務所には来ることになる。
それでもネクタイを締めなくてもよくなるだけでも、心が軽い。

感傷はなくはない。が、それよりも期待の方が大きい。

パリ→フィラデルフィア→NYという経路で2年の長い旅に出ることになる。


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2003年05月28日(水) 神楽坂・うを徳

近くに住んでいたにもかかわらず、神楽坂の料亭に行った事がなかったため、同期の友人3名と神楽坂にある「うを徳」で会食。もちろん接待などではなく、自腹である。

「うを徳」は、文豪泉鏡花が好んで通った店である。もともと泉鏡花は、尾崎紅葉に、行き倒れ寸前のところを拾われて弟子入りし、神楽坂の売れない芸者といい仲になり、神楽河岸に面した通りの裏側のあたりに同棲していた。尾崎紅葉には、文学を真剣にやるのであれば、女と別れるようにと説教され、表向きは別れたが、伊豆の方にその芸者をかくまったということが伝えられている。

「それ此の辺り、築土の雪、赤城の花、若宮の月、目白の鐘、神楽坂から見附の晴嵐、縁日あるきの裾模様、左褄の緋縮緬、更けては夜の雨となる」(泉鏡花「魚徳開店披露」より)

今も残る地名の数々が、名文にのせて語られる。さらに活気があったころの神楽坂をしのばせる。

さて、同時期に留学に出る事務所の同期、他の4大渉外事務所の同期の友人、官庁出向組の同期がそれぞれのゴシップを持ち寄ると絶好の酒の肴が出来上がる。それぞれ、仕事にはこだわりがあるので、今後、日本の法律事務所がどうなっていくのかという話の種は尽きない。

肝心の料理は、最初はやや控えめかと心配したが、魚はさすがに絶品であった。一人あたり、25,000円程度。この類の店としてはリーズナブルであろう。


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2003年05月27日(火) 二年目はニューヨークへ


多くの渉外弁護士は、留学後1年程度、海外のローファームで働くことが多い。最近は、日本市場のプレゼンスが極端に低下していることもあって、受け入れ先は少なくなっている。希望者は多いので、当然厳しい競争が待ち受けている。

先日インタビューを受けた先から返事が来た。どうやら二年目はニューヨークになりそうだ。



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2003年05月26日(月) 彫刻家の友人の個展に行く(第2回)

(前回からの続き)

日本橋三越を出るため下りエレベータに乗ると、振り袖を着た若い女性が2名、エレベータに乗ってきた。パトロンらしきご老人がそれに付き添い、上機嫌で喋り散らしている。非日常の世界が別の非日常に取って代わられただけのことであるが、白粉を塗られた白いうなじが眩しい。別の展示場にあった舞妓の油絵から抜け出て来たような、と言うと表現としては陳腐であるが、それに似た奇妙な感覚を覚える。眩暈に似た感覚と描写してもよい。エレベータガールの時代がかった衣装と振り袖の女性、そして上物のタキシードのようなものを羽織った年配の男性により占領されたエレベータは、緩やかに下降していく。

彼らを横目に見ながら、エレベータを下りる。出口から路上に出る。ひんやりとした夜気がようやく冷静さを呼び戻す。目抜き通りであるはずなのに、人通りは少なく、静かである。地下鉄の駅に向かって歩き出す。一体あれをどうやって作ったのだろうか。歩きながら考える。作業工程はシンプルである。石を選ぶ。形を決める。場合により機械の助けを借り、大まかな外形を彫っていく。その後、鑿で丁寧に削る。そして念入りに磨く。しかし、そのシンプルな説明とは全く別の疑念が浮かんでくる。鑿を入れると石の表面が膨らむ、という思いもつかなかった説明を受けたためか、実際の作業過程のイメージがうまく結べない。Kが創作している姿を是非見てみたいと思った。

地下鉄の入り口にさしかかっても、まだあの彫刻のことを考えている。深みのある黒い大理石の磨かれた表面を見ているとき、妙に心が落ち着いたことを思い出す。地下鉄の急な階段を降りながら、置き場所を考えている自分に気づいた。留学先に持っていくことはできないだろう、とすれば、どこに置くのが相応しいのか、等と考える。あの作品が自宅の居間の飾り戸棚に置かれている姿を想像したとき、何処か遠い心の底の方で、あの大理石をガラスの棚の中にコトリと置く音が聞こえた気がした。

その晩は、学附小金井中の同窓と会って、久しぶりに呑む(が、留学前の予防注射のため酒は飲めない)。だいぶ遅くなって、Kも来る。あの彫刻を買いたいという同窓が居て、内心驚く。確かに結構「売約済み」の札が懸かっているものも多かったが、あの作品が売れてしまうとは想像していなかったのだ。結局、先に買ったもの勝ちということで、話はそれきりになった。

翌日、午後から再び日本橋三越の展示場を訪れてしまう。まだあの作品は売れていなかった。夕方まで粘って見て回り、自分の決心が揺らいでいないことを知る。買いたいと言っていた同級生には悪いと思ったが、結局、購入することにした。結構大きな出費ではある。優にノートPC2台は買えてしまう。美術品にこれだけ多額の出費をしたのは初めてである。執務室に飾るためにシルクスクリーンを買ったことはあったが、美術品を所有したいと心から切望したのもこれが初めてであった。

Kは、この秋から、サンパウロの大学にポスドクで政府系の助成を受けて留学することが決まっている。お互い遠いところに行くのだが、もしNYにトランジットで寄ることがあれば、再会しようと約して去る。

エレベータに乗り込む。アナウンスとともに、手作業で操作されたエレベータは、ゆっくりと降下していった。






2003年05月20日(火) 彫刻家の友人の個展に行く(第1回)


日本橋三越で開催された彫刻家の友人の個展に行った。

エレベータを下りるとすぐ、盛況であるのに少々驚く。名の知れた人からの祝いの胡蝶蘭がいくつも置いてある。友人に挨拶して立ち話。他の客の邪魔にならないように、作品を見て回る。

吊り下げられた鯨の肋骨のような巨大な彫刻が目を引く。鉄分を含んだ石や、名も判らぬ素材を使った独特の特徴あるフォルムの石彫が並んでいる。いずれも一目見て自信作であることが判る。しかし、ほどよく力が抜けているのが好感が持てる。

ギリシャ産の白い大理石の彫刻がある。クラムシェルとでも表現すべきなのだろうか、形容しがたい造形である。照明によって作り出された複数の交錯する影の濃淡が、作品にさらに奥行きを与えている。幼児が一人入れそうな大きさであるが、実際に、後で小さい子供がその中で楽しそうに遊んでいるのを目撃した。石の揺籃とでも表現できるかも知れない。

興味深いのはやや小ぶりのクラムシェル型の黒い大理石の石彫。表面は冷たく、つややかで、磨き込まれている。これもモチーフが同じで造形が独特である。前から見ると、怪物が口を開けているようにも見える。どこかユーモラスであると同時に静謐である。これを見る人は内側を覗き込まずにはいられない。内側も磨かれ、素材の模様が出ている。手に取ると、冷たく心地よい。手になじむ感覚がある。

閉店時間まで粘り、友人とは呑む約束をして帰途についた。ところがその後、帰途の路上で思いがけない余韻のようなものが襲ってきたのである。(次回につづく)






2003年05月17日(土) OFF会報告


例のオフ会は、幹事のO先生のチョイスによる料理屋が「当たり」で、料理に舌鼓を打ちながらの和やかなオフとなった。

私にとっては初顔合わせとなる先生方とも話が弾んだのは、気さくな先生ばかりがいらしていたこともあろうが、料理の貢献によるところも大きかったかもしれない。(ご参考までに、神楽坂の山さきという店である。)オフ会では、ほぼ同時期に渡米する先生と間接的な知り合いであることが判明したり、フランス科卒の大先輩である先生とお話ができたり、ある件に関し貴重なアドバイスをML上で頂いた先生と初めてお目にかかったり、ML上で尊敬を集めている先生方に生でお会いすることができて、楽しいひと時を過ごさせて頂いた。

その後、2次会に行くことになり、神楽坂に土地鑑のある私が、雰囲気のあるバーを案内するという大役をおおせつかった。金曜の夜でもあったことから、半ば無理だろうと思いながら、馴染みのバーに行く。と、奥のテーブル席が空いているではないか。これ幸いと5人で乗り込む。

いつものようにシングルモルトを注文。しばらくしてから、今日は飲んではいけないと医者に止められていたことを思い出した。図ったかのようなボケであるが、これは意識的ではなく、完全に失念していたのである。こうして、グラスに注がれた琥珀色のラフロイグは、私の恨めしそうな視線を受けながら、他の先生(方?)の喉を潤したのであった。







2003年05月16日(金) 予防接種/某MLオフ会


留学者の予防接種について豊富な経験があるといわれる霞ヶ関ビル内の診療所を訪れる。大学名を言うと、素早く必要な予防接種の名称が出てくるあたり、他の病院とは違う。接種する内容によっては、1ヶ月近く間を開けなければならないが、留学者は大抵の場合急いでいることも承知してくれており、てきぱきとした対応が快い。

今夜は、PCやネットに造詣の深い法曹が集まるメーリングリストのオフ会。神楽坂で、美味しいと評判の江戸前料理の店。なのに、抗体テストを受けているため、酒を呑むことができない。おいしい料理を目の前にして、旨い日本酒を飲まずに平静を保てるか、自分が心配である。


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2003年05月14日(水) 留学前の残務整理/Parisのアパルトマンについて業者と交渉

留学まで、早くも残り約1ヶ月。最近は残った仕事をマイペースで片づけながら、引き継ぎの準備をしている。この4年強の間に集めた文献をまとめたバインダーを処分しなければならない。後輩に引き継げるものは引き継いで、2年後にまた戻してもらうことを計画中。送別会の予定が次々と入り、日本を発つまではやや慌ただしいことになりそうである。

パリには1ヶ月強滞在する予定であるが、短期のアパルトマンを借りるだけでも、Agency Feeやらなにやらで、日本では考えられないほど高額な費用がかかる。中にはagency feeだけで総額の50%を取る業者もある。日本のように比較的低額のマンスリーマンションが普及している国は珍しいのかもしれない。

今日も仲介業者と交渉。これから急ぎの用を片づけて、さっさとCGIスクリプトの改造にいそしむ予定。毎年、留学前の先輩を見るたびにうらやましい思いをしていたが、いざ自分がその立場になってみると、やはり心が軽い。



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2003年05月13日(火) 弁護士会の広告規程とウェブサイトの問題


やや堅めの話。

弁護士でウェブサイトをもっている方はここ数年で飛躍的に増加した。今や「弁護士」で検索をかければ無数のsiteを見つけることができる。

しかし、わずか数年前の2000年10月までは、ウェブサイトを通じた広告をすること自体が禁止されていたのである(日弁連会則及び「弁護士の業務広告に関する規程」)。

現在も会則及び規程により、弁護士の業務広告は一定の制限を受けている。
たとえば、広告責任者である弁護士の名前及び所属弁護士会を明らかにしなければならないなどの条項がある。また、事実誤認を生じさせるような記載の禁止条項なども当然存在する。ただ、日弁連のワーキンググループによる規程の解説などを見ると、未だに時代遅れの感は否めない。一例としては、「専門家」「エキスパート」などの表示を望ましくない、とし、「得意分野」「関心分野」などの表示を薦めているなどの点が挙げられる。(客観的評価ではなく主観的評価だからよいとしているようである。)「当該専門表示をした弁護士が十分な処理能力を持っていないときは、表示を信じた利用者が被害を受ける可能性がある」ということのようであるが、「得意分野」という表示を信じた利用者が被害を受ける可能性がないといえるのだろうか。

ちなみに私のサイトは、弁護士の業務の広告をしている訳ではなく、このサイトを通じて法律相談を受けることもないので、名前及び所属弁護士会を明らかにしていない。サーバ移転を好機として、この点をより明確にするため、完全に匿名のサイトにしてしまおうかと思案中である。


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2003年05月11日(日) レンタル・サーバを借りてみる


このWebsiteを作ったのは、1997年の3月だから、もう6年以上が経過したことになる。当初、独自ドメインを取ろうとしたが、修習生の身には、負担が重すぎたため、ISPの容量を使用してきた。コンテンツがテキストのみであったこともあって、さほどの容量は必要なかったが、CGI、SSIが禁止というのがいつも気に掛かっていた。(日記と掲示板などのCGIが必要なページが現在も外注であるのはそのためである。)

留学に際して、掲示板の管理やコンテンツの整理、写真のアップロードなどをする必要を再認識したので、レンタルサーバを探し始めた。独自ドメインは不要であるが、サブドメイン方式で管理のしっかりしているサーバでなければならない。

6年前に比べて、料金も相当こなれている。安いものでは、400円/月程度である。(以前も、ランニングコストはそのくらいのものもあったが、管理が信頼できなかった。)友人が使っているものは、サーバ1台あたりの人数を限定しているので、よほど他の会員が無茶なCGIを組まない限り、サーバに障害が発生することはないし、その可能性も限定されている。いろいろ調査して、この業者に決定。

というわけで、現在Perlと格闘中。






2003年05月09日(金) 日々雑感:彫刻家という人生


彫刻家を生業としている友人から、個展の知らせが舞い込んだ。
日本橋三越で開催するとのことである。

以前に見たのは、クラムシェル型の大理石の彫刻であり、
それも含めて展示されるようだ。

彼の父親はフレスコ画を得意とする有名な画家であるが、そのフレスコ画を描く際に用いられる、絵具を早く乾かして発色をチェックするための「石」(Pietra di Paragone)が持つ寓意が、彼のテーマの一つである。私のような彫刻の素人が見ても、美しい造形である。こんな表現手段を持てる人生に、憧憬を抱くのみである。

http://www.mitsukoshi.co.jp/art/info01.html#07

日本初の彫刻博士号取得者である彼の活躍に期待したい。







2003年05月08日(木) 日々雑記:ちょっとした面接


午前中にちょっとした面接を受ける。今後数年のプランにも関わる英語のインタビューなので少々改まって準備をして行った。が、実際にはほとんど世間話をして終わってしまった。本当にあれでよかったのか不安は残るが、とりあえず無事に終わったことに感謝。

一歩ずつ先へ。









2003年05月06日(火) 書評:レーモン・クノー「文体練習」


レーモン・クノーのこの特異な作品の翻訳を、新宿紀伊国屋書店で発見した。翻訳?と少々驚きながら、手に取る。帯の謳い文句が「フーガの技法を文章にした」というところと、大学時代にお世話になり推薦状を頂いた教授が、この翻訳者に翻訳することを薦めたとあったのを読み、購入した。

この作品の特異な点は、その構成にある。ストーリーはきわめて単純である。
「ある混雑したバスの中で妙な帽子をかぶった男性を見かけ、その男性が、他の乗客に文句をいうが、席が空いたらそこにあわてて腰掛けた。その2時間後、別の場所で偶然同じ男を見かけるが、その男のコートのボタンの位置について別の男から助言を受けていた」という短い物語である。

そして、この短い物語が、様々な文体で、ヴァリエーションを付けて記述され、反復される。その数、99。古典文体もあれば、厳格さを追求したものもあれば、女性の視点もあれば、くどいくらいの押韻もあれば、言葉自体を解体するような奇妙な置き換えもある。だから、「文体練習」なのである。

実におもしろいと思ったのは、フランス語の原文を読まなければ、全く理解できない言葉の構築をどのように訳しているか、という点である。この本が、翻訳不能と言われてきたのは、この言葉遊びのためである。

この翻訳者は、はっきりした態度で、原文に忠実な逐語訳を放棄している。そして、使用されているルールをそのまま日本語に適用する。たとえばアルファベの文字を順に文中に組み込んで書いていく章については、50音に置き換えてしまう。ルールに対して忠実であることで、原文の意図したところを再現しようとしたのである。この態度は、迷いがなく、さわやかであった。

さて、肝心の中身であるが、至る所でにやにやしてしまう遊びがふんだんに含まれていて、十分楽しめる作品になっている。ただ、もちろん、これを物語として読むことはできないので、文章によるパズルのような楽しみ方をするのが礼を失しない読み方なのであろう。

さて、「フーガの技法」は私のもっとも好きな音楽である。このバッハ最晩年の傑作は、B-A-C-Hの音を元に、様々なヴァリエーションを展開させていくところにその魅力があるが、この作品にも、構成においてそのように思わせるところがある。実際、著者レーモン・クノーはバッハのフーガの技法を聞きながらこの本を思いついたそうであるから、帯の謳い文句はあながち間違いではないと思われる。

ちなみに、この翻訳で優れているのは、もう一点あって、その装幀である。おもしろい「ズレ」方をしているので、店頭で見かけたらちょっと手に取ってみると良いかも知れない。気分転換におすすめ。














2003年05月03日(土) 日々雑感:Parisのアパルトマン


珍しく休日出勤し、一段落ついたところで、Parisの短期のApartmentを探すためにネットで検索する。仲介業者で一番充実しているのはLodgis.comであるが、なかなか条件に合うものが見つからない。(ちなみにここは35%も仲介料を取る。)それでも、部屋の写真を見ているだけでも楽しい。現地のペーパーのアノンスなども見てみるが、情報がほとんどなく、信頼できるかどうかもよくわからない。

Parisの友人に尋ねると、住むのにおすすめのquartierは4区か6区だという。サンジェルマン・デ・プレや、シテ島のあたりが景観が風情があってよいという(当然といえば当然なのだが)。実際に探してみると、このあたりは、1 bedやstudioでもかなり高い。

しばらくは、部屋探しに悩みつつも、楽しめそうだ。








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