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2001年10月28日(日) 日々雑感:ある週末の光景。備忘録。


ある休日の断片。

9月ころ購入したスーツの直しを依頼しに、銀座のSHIPSへ。別に痩せたわけではなく、どう考えても最初の注文時にお願いした寸法よりもウエストが緩いのだ。

店員に計測し直してもらうと、7cmも縮める必要があると言われる。4500円かかる、と。ちょっとクレームめいたことを一言二言。そのような経緯でしたら無料にします、と笑顔の対応。対応が良かったので、思わず別のスーツを試着してしまう。茶色とグレーの中間色で細身。ジッパーでなくボタン留め(計6箇所)、本切羽の本開き、ところどころ手縫い、と凝りに凝っている。いまさらと思いながらも、ミーハーなのでこんな使い古されたディテールに惹かれてしまう。

秋冬用のスーツが足りない所だったので、丁度良かった。修習生時代にはじめてのボーナスで購入したスーツもまだ着ているくらい、物持ちはいい方だと思っているが、最近ちょっと金遣いが荒いような気がする。

XPプリインストールモデルのノートPCを見に、有楽町のビックカメラへ。
いろいろ吟味し、購入は来週に持ち越し。多分VAIOのB5ノートになる。
携帯電話を機種変更。もっともシンプルなJ-Phoneにする。

***

翌日目を覚ますと雨。気力もなく起きだし、ゆっくりと本屋、喫茶店巡り。
いつもの週末。

市ヶ谷駅前のコーヒー屋で2時間、市ヶ谷駅ビル内のスターバックスで1時間程度、がりがりと小説のプロット書き。捗る。疲れて来ると、水滴の付いたガラス窓越しに、交差点を行き交う傘の群れを見遣り、Paul AusterのThe Music of Chanceを読む。コーヒーを啜る。そしてまたプロットに戻る。繰り返し。と、突然、声を掛けられる。近くに住んでいる事務所の2期下の同僚だった。
「プロット書いてるんですか?」と言われ、動揺する。かなり気恥ずかしいものだ。しばらく村上龍の話などしながら時を過ごし、そこを辞する。珈琲の香りを振り切り、外に出ると雨は降り続いていた。

備忘録

SHIPSのスーツを取りに行く。別のスーツの直しを受け取るのを忘れずに。
VAIOを購入する。データの移管作業。旧PCは修理に出すこと。
自分の中の様々なものごとの距離を測量しなおすこと。忘れないように。









2001年10月17日(水) 日々雑感:その間も空爆は続行されている。

机の上には日本版401K関係の契約書が載っている。関連する/関連しない資料を収めた雑多なファイルも並べられている。ビルの上空を飛行機の飛ぶ音がする。だが、おそらく気のせいだろう。使用済みの図書が残っている。恒例の人事異動で秘書が替わったばかりで、まだ、私の仕事の流儀を伝える時間があまりないのだ。新着メールをチェックし、電子的方法による契約の締結につき、頭を巡らせる。その間も空爆は続行されている。だが、遠い異国の空で行われている爆撃を思うのに必要な想像力が欠けている。英文を連ねるが、その内容は空疎だ。同僚の弁護士から借りたKeith JarrettをオーディオのCDトレイに載せる。滑らかな動きとともに銀色の円盤が機械に吸い込まれる。夜が来るたびに死の恐怖に怯えなくてはならない。それが公平で、かつ誠実な偽善者の作法である。401K関係の契約書は、束ねられてコメントが入れられている。鉛筆はきちんと削ってあり、ペン立てに尖った方を上に向けて刺さっている。秋も深まり夜の空気は香ばしい。たとえそこに硬い殻に覆われた致死性の胞子が含まれていたとしても。円盤が回転を開始する。深夜の執務室にMeditationが静かに流れ始める。偽善の蜜の味を舌の上に感じながら、僕はただひたすらに戦争を行っている国の言葉を紡ぐ。





2001年10月02日(火) 掌編小説: コンビナートが好き、とその人は言った。


コンビナートが好き、とその人は言った。

 ―コンビナートが好きなの。

僕は、黙って前を見たまま運転を続けていた。ワイパーが規則正しくフロントガラスの表面を撫でる音がする。視界は徐々に不鮮明となる。石油の備蓄基地の球体の列が、一瞬だけ浮かび上がる。

 ―どうして、って訊かないのね。

 ―わかるよ。

 ―え。

 ―判る気がする。僕も好きだ。

その人は遠くを見ていた。助手席のその人の首筋を盗み見ると、あきれるほど細く、そして白い。

球状の石油タンクがいくつもいくつもいくつも並んでいる。あるいはLPGタンクかもしれない。岸壁には人影が全く見えない。暗く濁った空と海の境界線はぼやけている。細かな靄がささくれ立った地表に滞留している。岸壁に向かう道はやがて閉ざされるだろう。

僕は黙って道を外れ、枯草の空き地へと車を入れる。石油タンクは、創造主が予めそこに据えた遺跡のように、聳え立っている。車を降りながら、薄緑色の球体が均等の間隔を保つのは容易ではない、という結論に、突然達する。過去から来た人間がコンビナートを目にしたとき、彼ははじめに驚異を感じるだろう。やがて、聖者の奇跡を目の当たりにしたような畏怖を。

その人も臙脂色のカーディガンを巻きつけて車を降りる。微細な霧のような針状の雨が僕らの肌を刺す。僕らはいつまでも水面が隔てている岸壁を、そして水面を眺めている。球体の列は少し歪んでそこにある。

 ―世界が終わったような気がしない?

水面は静かだ。海のはずなのに波一つない。緩やかに水面から立ち上る蒸気のような靄が、空気の流れがあることを示しているが、それも滞りがちだ。

 ―世界はとっくに終わってしまってるのに、誰もそれに気付かないの。コンビナートだけが残ってる。

僕は答えない。なぜなら、その問いは僕の中で既に反復されているからだ。そして、彼女の中でも繰り返された問いであったに違いないと確信する。その人の細い腕を軽くつかまえる。その人の視線は水面に向いたままだ。石油ガスタンクの表面の光沢が、偽善的に感じられる。その人の白い額に貼りついたひとすじの髪をそっと払う。その人の首筋は、あきれるほど細く、そして白い。球状の石油タンクがいくつもいくつもいくつも並んでいる。あるいはLPGタンクかもしれない。岸壁には人影が全く見えない。暗く濁った空と海の境界線はぼやけている。細かな靄がささくれ立った地表に滞留している。岸壁に向かう道はやがて閉ざされるだろう。僕はガソリンの残量を気にしながら、その人の冷たく濡れた頬にキスをする。









2001年10月01日(月) 日々雑感:同時代文学を俯瞰する

今度はenduring freedomだそうだけれども、こんな風に濫用される「自由」とはいったい何ほどのものか。

作戦名に大仰な形容詞を必要とする不自由さを意識しているのか、それともそれを強いている無意識の作用に気付かぬほど鈍感なのか。クラスター爆薬とともに食料を投下するという偽善に満足するほどの貧困な想像力しか持ち合わせないのであれば、答えはおそらく後者であろう。

***

ところで、文学研究会の年若い友人から、私の日記にはいわゆる同時代文学について言及があるが、現代文学の俯瞰に役立つ書物は何か、と問われて、迷っている。

最近では、本の雑誌社から出ている新元良一著「One author, One book[同時代文学の語り部たち]」が挙げられるかもしれないし、やはり新元氏がかなりの記事を書いている「来るべき作家たちThe Shape of Literature to Come」(新潮社)が詳しいと思う。しかし、後者は1998年度版しか手元になく、その後、新しい版が出たのかは残念ながら私は知らないというほかない。また、新元氏の言及される作家は、英米文学がほとんどで、フランスやその他の国の文学には非常に言及が少ない。

あとは、海外のサイトで最近の売れ筋を探るとか、書評サイトを見るとか、本屋の店頭で翻訳文学のコーナーを巡るようにするとかしかないのではないか。これを読まれている方で、こんな有用な情報源があるということをお知りの方はどなたかご教示下さいませんでしょうか。







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