えびたま

2007年08月31日(金) 雨は降れどもコンドルズ!!

ほんとはコアな居酒屋・あべひげのあべさんが
観に行く予定だったのだけど
団体さんが2組入ったので
代わりに行くことになった。
お使いでお酒を持って行く。

コンドルズ公演「沈黙の夏」。
やっぱ生で観るべきコンドルズ。
沈黙というだけあって
セリフは殆ど無いパフォーマンスだった。
すげーパワー。
観てると一緒に踊り出したくなる。

終演後、入場の時に見かけた
劇団員のぷりほっぺ・映理子ちゃんにメール。
閉店間際のミスドでお茶。
殆ど業務連絡みたいなものだったのだけど
健気にきく映理子ちゃん。
しばらく月一の飲み会にも
なっちゃんの結婚式にも来れなかったので
来年3月の公演にも出演してくれるよう
やっとお願い。

10歳も年の離れた人に囲まれて
つまんなくないだろかと、いつも心配してしまう。
そんなことないですよと余裕の笑みで答える
頼もし映理子ちゃんなのだけど。



2007年08月30日(木) 夏休みの終わりを決めました

いもとの家でいもとの作る
ちゃんとした朝ご飯をいただく。
偉いねえ。
きんぴらに酢の物におひたしに
焼き魚に卵焼き。
なめこの味噌汁。
ごちそさま。

姪っこのおたまは
夕べは恥ずかしがっていたのだけど
徐々に慣れたのか、ニコニコ寄って来てた。
森くんにも遊んでもらってご満悦。
森くんは子供のあやし方がうまかった。
子供と上手に遊べる人はほんとに大人だと思う。

昼少し前、追い泣きするおたまを置いて
バスセンターまでわたしらを送るいもと。
まあ、何と言うのか
家庭を持つと大人になるのだねほんとに。
以前のいもととは違う種類の人間になった気がして
毎回不思議な気分になることよ。
お世話になりました。

バス時間まで少し間があったので
肴町のアーケード近くの憧れの店「車門」へ。
黒パフェ、赤パフェ、緑パフェというのがあり
中身を説明してもらった上で緑パフェを注文。
ここも大変落ち着く感じのお店で
またのほほんとしてたらバスを一本乗り逃がす。
ごめんよ森くん。

夕方頃、仙台に戻り解散。帰宅。
二日間楽しかったよ森くん。
森くんの話はどれも面白く、興味深い。
芝居の話も、あらゆる視点から観ることが出来てて
すごく理論的に話す人である。
且つ、きいてて楽しい。
いつも愉快。なのだ。
公私共に忙しそだけど、また遊んでねー。

おうち帰ってから
ここと決めた会社に電話する。
9月3日から働くことになった。



2007年08月29日(水) 何故あんな無造作に海老蔵ポスターが

いつも愉快な三角フラスコの制作・森くんと
高速バス乗り場で落ち合い盛岡へ。
いもとの出る芝居を観るためである。
何故森くんが一緒かというに
一人で行くのももの寂しく
先週、三角フラスコのキュートな主宰・生田さんと
デートした折彼女を誘ったらば
本人はムリだったのだけど
代わりに森くんに声を掛けてくれたのだった。
いもとの相手役である現代時報・高村くんとも
顔見知りらしので。
因みに高村くんは、盛岡無国籍第2回公演「樹明荘奇譚」で
主演しているのである。(1993年)

まだ明るいうちに盛岡到着。
バスの中では喋り通しだった。
うるさかったかしら周りの方々すみません。

開演までは大分時間があったので
夕食を食べちゃうことに。
考えてみれば、あまし店を知らないわたし。
高校時代盛岡に住んだけれど
学生故、外食はあまりしたことなくて
大通り、菜園あたりをうろうろするも
めぼしい店は見付けられず。

関係ないけど
大通りの伊藤園の自販機の側面には直に
海老さまのポスターが貼ってあった。
先週来た時も思ったけど、いっそガメてしまいたくなる。
しなかったけどさ。

閑話休題。
結局、以前森くんが来た時気になっていたお店に決まる。
雑誌にも紹介されたのを読んでいて
ひょっとして閉店するって記事だったかも。と
あやしげだったけど、中津川沿いの遊歩道に
ツタの絡まる建物を発見。

喫茶「ふかくさ」
店の外のイスで昼寝してるおじさんと犬。
窓が観音開きになってて中をのぞくと
お店の人らしき女の人から「どうぞ」と。
喫茶のみのよだったけど、森くんがきいたら
カレーと焼うどんならできるらし。

小さな小さなお店だった。
窓際の席に座ると、ツタと柳のフレームに
中津川と対岸の遊歩道、建物。
それとどっか近くで練習してるらしき
祭太鼓の音。
そして徐々に暮れ行くそれらの風景。
なんだこのノスタルジー!!

ものすごく落ち着いてしまい
これから芝居を観に行くのを忘れそになる。
盛岡に来たら、また行こう必ず。

軽く腑抜けになりつつ、そこからほど近い
会場「風のスタジオ」へ。
先日亡くなった大泉千春さんが技術監督を
してらしたところである。

愛の激情(仮)「真綿の棘」
実は、大泉さん
この芝居のナレーションもなさる筈だったとのこと。
代役で奥様の柏木史江さんがなさっていた。

昼ドラを舞台でやろう!!というのが
この公演のコンセプトらし。
オープニングは映像があり、提供まで出てた。
いもとは敵役。
女中である主人公が恋する旦那さま(高村くん)の
奥様。
低いほほほ笑いが客に尽くウケていた。
キモノが着慣れないんだか
何だか身体が落ち着いてないよにみえた上
会場のせいだか、持って生まれた質なのか
声が飛んで来ない。
目ヂカラはあるから存在感はあるのだけど
大分損してる気がする。

舞台は1時間半。
楽しく作ったのだろなというのが伝わって来た。
が、もっともっとディフォルメしてても
良かったと思う。
関係性やストーリー性も成り立たせた分
すこしダレたよにみえてしまった気がする。
しかしまあ、大変いい企画だと思う。うらやまし。
お疲れさまでした。
完全ダブルキャスト公演なので
ほんとはもう一個の方も観たかった。

終演後は図々しくも飲みに参加させてもらう。
高村くんと飲むのはこれが初めてと気付く。
以前の(高校時代)飲み会には
下宿の門限があったため行かれなかったからね。
高村くんは、当時のわたしの勝手なイメージで
あまり芝居を続けて行くタイプには思ってなかった。
が、現在、劇団代表である。

これも今日、言われて気付いたのだけど
先に触れた盛岡無国籍第2回公演に参加した人は
ほぼ全員、芝居を続けているのだ。
高村くんは「これは奇跡だよ!」と
熱く語っていた。
ほんとにそだね。

あの時は、二度と同じメンバーではやれないだろなと
理屈の上で納得していた。
でも、今は少し、可能性があると思える。
14年経っても変わらないものが
同じ時間を過ごした9人の人間にあったのだから
不可能とは言えない。
まあ、やりたいかどうかは別なのだけれど。

その飲み会には
わたしが一方的に知っている人
わたしが一方的に知られていた人
実家が仙台の人
仙台のうちの近所の中学出身の人
などなど。
盛岡と仙台がより近くに感じられ。
面白いなあ。

しかしその掛け橋の役割を、14年もあれば
出来てたかもしれなかったと思い当たる。
または、これからなのだろか。

最後は、子供の世話の為、今日の飲みには
出られなかったいもとの悪口を
いろいろな人に散々吹き込み
その後いもとに向かえに来て欲し旨
敬語で電話をかけた。



2007年08月28日(火) ひでこと名乗る女からの電話

家電はめったに取らない。
その方がいい。
こないだうっかり取ったら
前の前の会社の社長からだった。

留守電に
「ひでこですー。
夕べからずっとお留守のようですねー。
折り返しお電話待ってますー。」と。
老齢っぽい声。
親戚に「秀子さん」はいるけどもっと若い。
間違い電話であろ。
夕べ電話はなかったし。
留守電の応答メッセージでわたしはちゃんと
「はい、くにひさです」っつってるのに
確信に満ちた声でメッセージ吹き込むのはすごい。



2007年08月27日(月) 帽子はどこに行ったやら

水泳キャップはどこにも売ってなかった。
少なくとも駅近辺では。

今月始めにプールに行った時忘れて来たと
思ったのだけど
問い合わせたら無かった。
どいうことじゃ。

というわけで新たに買おと探したのだけど
あてにしてたスポーツ店に無く
どこで売ってるかきいたら
郊外のスポーツ店ならあるだろて。
行かれるかい。

踊りのお稽古の時間に迫ってしまったので
今日は45分間だけ泳ぐ。
筋肉痛にはならなかったけど
足がヨロヨロ。
お稽古のとき、片足で立つとこが
全部よろけた。



2007年08月26日(日) 3日連続外食はイカンかしら

知り合いの関わるお芝居を2本観る。
同じ施設内でやってるので
昼過ぎから夜更けまでずっとその建物内に
いたことになる。
一つは旗揚げ公演で
一つは無国籍と同じくらいの活動年数の劇団。
どちらも頑張ってほし。
お疲れさまでした。

二つ目の公演を一緒に観るため
合流した世話女房・なっちゃん。
帰り道、駅前の焼き鳥屋で夕食。
観た芝居の話だの、わたしの最近の就職活動状況など
だらだら話す。
新婚旅行のお土産もありがとう。
その疲れか、最近早い時間におねむになってしまうそで
早めに切り上げることに。
帰り道チャリを漕ぎながら話したけど
なっちゃんとはいくら話しても足りないのよう。

と言っても、来週の日曜も
イッセーさんのライブを観るために会えるのだ。
芝居本格復帰に向けて
握った尻尾は放さないつもり。
覚悟おし。



2007年08月25日(土) 街なかで返って空いている店で

実は待ち合わせの時間を曖昧に憶えてて
早めに来たつもりが
時間通りだった。
アエル1階の丸善で
三角フラスコのキュートな主宰・生田さんと落ち合う。

あちらは次回公演の脚本を書き終わり
こちらはルコック終了して
お互い落ち着いたとこでお茶でも、と
のほほんデート。

ドリンクバーの付いてるケーキセットで
お得なガラガラ空いてる店で
しばらく話し込む。
その後、10年くらい駅ビルに入ってないという
生田さんを案内してエスパルへ。
地下1階の土産もの売り場の
あるお店で働く色白智絵ちゃんにも会う。
考えてみれば
ほぼ初対面の生田さんと智絵ちゃんであった。
二人は同い年で
共通の友人も多いからなんか不思議。
夕食はLoftの大戸屋で。

ずーっとずーっと芝居の話をしていた。
お互い劇団の代表で似たよな立場で
でも理由はそれだけでなく
何だかものすごく近しく感じているので
手の内は探りつつも、好きなだけ話ができる。
相変わらず揺るがない信念、才能、人格。
この人といる時間は、とても刺激的でとても楽し。
そして何より、創作意欲を刺激されるのだ。
無国籍も次回公演に向けて丁度
動き出したところだしね。
書き上がったという生田さんの作品も早く観たい。

次にまたお茶できるのは
フラスコさんの秋の公演が終わった後かしら。
そのころはまだ、こちらの稽古も
始まったばかりなはずだし。

暑さに弱い生田さん。
実はわたし今くらいが丁度いい。
負けないで頑張ってね。



2007年08月24日(金) 深夜の街二人旅

昨日の一件もあり
今まで面接を受けた会社に再度連絡。
もっと詰めた話をしてもらうことに。
最後に面接してもらったでっかいとこの
内定の連絡も来る。

それはともかくとして
何だか生き腐れる気がして
発作的に植木屋俳優・勇治さんに
あそぼとメール。
後できいたら、見事に仕事の休憩時間を
見計らったよにメールが来てたらし。

仕事終わりが見えない勇治さんをよそに
たまたまメールしてきたステキ女優・菊田さんを
巻き込み、先に飲みをスタートさせる。

10時過ぎ、やっと勇治さん合流。
閉店までぐだぐだ話し
ここで菊田さん解放。
突然すみませんでした。

終電を逃した勇治さんと、駐輪場にチャリを
閉じ込めてしまったわたし
コアな居酒屋・あべひげに非難しよと
春日町へ。
さすがにね、眠ってたねあべさん。
諦めて駅前に戻る。
深夜勤務のホテルマン志望・中田をからかいに。
ロビーでちょっとムダ話。
小一時間程相手してくれた。

いつまでも邪魔しちゃ悪いので
24時間営業のモスへ。
始発まで眠気に潰されそになりながら
二人で話す。
いやはやすまなかったね勇治さん。
また遊んでくらはい。



2007年08月23日(木) とても気の進まないはなし

前の前の会社の社長から電話。
戻って来ないか、と。
その後、かつての上司からも電話。
急遽会うことになった。

一年前と比べると会社の組織も
大分変わったし、きみを悪く思ってる社員など
1人もいないから。と。

確かに5年もいたから、芝居をやってるというのも
説明がいらないし
知ってる人ばかりで
全く新しとこに飛び込むにあたっての不安は
そこにはない。
のだけど、やはり気が進まない。
のだけど、選べば非常に楽だ。
困った。



2007年08月22日(水) 終わると雷も雨もやんでいた

中尊寺パーキングエリアで目が覚めた時
既に雨降ってた。
泪雨。
日曜に亡くなった、元AUNホール管理人・大泉さんの
葬儀に向かうため、朝早い高速バスに乗った。
肴町周辺で盛岡在住、ゴムマリのよな先輩・Bさんと
劇団よしこ代表・大沼さんと落ち合い
名須川町にある天台宗清養院へ。

ものすごい弔問客。
盛岡の演劇人が一堂に会しているというくらい。
供花も劇団名ばかり。
演劇人は死んではいけない。
演劇人があれだけ集ってるのに
誰も話さず飲まず笑わず、ただ泣いているなんて
痛々しすぎる。
そしてどこの劇団名も
しめやかな場には向かない。

5人の方々が読んだ弔辞は
どれも哀しすぎた。
架空の劇団のくらもちさんが、市の演劇協会会長の文を
代読したのだけど
介添えのお坊さんがマイクを外そうとしたその時
泣きながら大泉さんに呼び掛け始めた。
「早すぎるよ」「信じられないよ」と。
「今にも原チャに乗って『誰の葬式?』って
現れそうなのに」と。
「もっといろいろ一緒にやりたかったよ」と。

大泉さんは、若い演劇人を慈しんでくれてた。
どんなにつたなくつまらない芝居でも
真剣に批評してくれる
一番近しい大人の演劇人だった。
それと同時に素敵で大きな役者で
盛岡のアマチュア演劇界には欠かせない人物だったはずだ。
だから、高校生だったわたしたちは
大泉さんと知り合えたことが
ものすごく嬉しく誇らしかった。

葬儀が終わって境内に出ても
誰も帰ろうとしなかった。
千春さんの出待ちしてるみたいだな、と思った。

見回すと、高校時代一緒に芝居した友人も
ちらほらいたのだけど、わたしには気付かない様子だった。
この人たちには、わたしが盛岡を出た後
13年分多い千春さんと過ごした時間がある。
彼等の哀しさとわたしの哀しさは明らかに違い
例えわたしが泣いても、それはもらい泣き程度なのだ。
盛岡にいた3年間、もっと出来ることがあったのかも
知れないと、今になって思った。
もっとお世話になっていたかったと思った。
彼等がうらやましく
もらい泣きしか出来ないのが悔しく
葬儀でわたしは泣かなかった。

夕方のバスで仙台に戻る。
家に戻る前にあべひげに行き
お水をもらいお清めをしてもらう。
お前の居場所はちゃんと仙台にある、と
あべさんが言った。
仙台で、後悔しないくらい、
動けるだけ動けばいい、と。



2007年08月21日(火) メタルプラスの恩恵

先日、ネットの接続設定を
ADSLからメタルプラスにした。
ら、電話器周辺からカギが出て来た。
何のカギだかわかんないのでほっとく。

夜、ルコックで一緒だったアキさんとヒトさんが
自転車を借りにいらっさる。
アキさんは大阪からいらして受講してたのだけど
9/2にメディアテイクでやるルコックの発表にも
参加するため、本科の講義が終わった後も
仙台に留まっているのだ。
他にもノティくん(東京)とイクさん(千葉)も
一緒に、仙台在住のヒトさんの家に集団合宿するという。
で、仙台逗留中の移動手段として
うちの自転車を1台貸し出すことに。

この自転車は、大典が仙台に来た時使ってるもので
前回の公演で来た時、安いワイヤーロックを付けていた。
番号を合わせると開く、カギのいらないヤツ。
が、番号のとこがサビサビで動かない。
切ってもいいから、とお渡し。

と、ハンドルにリングロックが付いてるのに気付く。
カギがあればワイヤーロックを切った後使えるのに。

ここで記憶が最初に戻る。
試しに部屋に戻って取って来たら
見事に開いた。
使ってやって下さい。



2007年08月20日(月) 面接はメトロポリタンで

3社目の面接である。
札幌に本社のある、社員も何千人規模の
でっかい企業。

面接官の1人は札幌からで
先週の猛暑が和らいだ今日の仙台でも
北海道に比べると流石に暑いと言っていた。

勉強にお金を使ってない会社は
ほんとにダメなんだろと
今更ながら思う。
今まで受けた2社も、ここも
社内での学習制度がきっちりしていた。
転勤もあるとはきいてたけど
通えないところだの、引っ越さなきゃいけないところだのは
流石にしません常識的な範囲でねと言われる。
結果は1週間以内に連絡が来るとのこと。

さあ、どうしよ。
一応内定いただいてるとこもあるけど
結果が出揃うまでに
もう一度お話ききたいとこもあるし。
夏休みも残り少なくなってきたね。



2007年08月19日(日) ルコック終了と恩人の訃報と

飽くまで研究発表。
研究途中だから。
とはいえ、見せ物としてはシュールだよなと
思った発表であった。
でも久々に人前で芝居みたいなことして
作ってく課程も、本番も楽しかった。

打ち上げはコアな居酒屋あべひげにて。
19人全員出席。
来年もまた会えるといい。
県外から来てる方々もいるけど、その人たちともきっと。

盛岡の友だちと大典から、電話とメール。
高校時代、無国籍立ち上げ以前から
お世話になっていた
元・AUNホールの管理人・大泉千春さんが
亡くなった。と。

ついこの間、
照明家として活動してる友だちが
盛岡でのある劇団の公演に参加したとき
大泉さんに「いい明りだ」と褒められた。ときいた。
彼は高校時代、大泉さんに照明をけなされたのをバネに
今までやってきた部分もあったので
「もう辞めてもいいかも」などと思うくらい
嬉しかったらし。
ほんとについこの間の話なのだ。
1ヵ月も経ってない。

この話を思い出したら
現実感のなかった訃報が、ふいにリアルに迫って
泣けて来た。



2007年08月18日(土) 終わってしまうよ早いのだよ

もう一ヵ月経ってしまうのが信じられん。
会社を辞めるきっかけにもなってしまった
ルコックが終わってしまう。

なので、今日は
明日の発表のリハだの準備だの。
まあ、あまし造形も寸劇も自信ないのだけど
がんばろと思う。
コアな居酒屋あべひげ店主あべさんから
連日発表観に行くから頑張れとメールも来てるし。
いろんな方々と知り合うことができたし
いろんな考え方、アプローチがあるのだと
発見もたくさん。
実りある一月だったが、もっと知りたい。
来年も何とかして受けられないだろか。

そやってまた来年の今頃
仕事辞めてることだけはないよにしなければ。

昨日皆遅かったためか
今朝は行方不明で遅刻の人が多かった。
高校くらいの学祭前夜と夏休みが一緒に来たみたいな
雰囲気である。
楽し。



2007年08月17日(金) なんでんかんでん社長似の社長

昨日の夜、岩手からの帰って来た大典。
朝は手早く冷麺などをつくってくれた。

面接2社目。
何だか、わたしが前いた会社の社長といざこざが
あったらし。
敵の敵は味方!!
あの社長の被害者と思ってもらえたらしく
終始笑顔で面接終了。
いつでもおいでなさいと。
結果は面接の7日後と求職票にあったんだけど。

まだもう一社面接を控えているので
少し待っていただくことに。

こちらも良さそな会社であった。
3つの会社の合資なのかね?
店舗は多いけど、規模はそんなに大きくなく。
やはり社内の意識が高く
医療過誤の調査会みたいのを設けてたり
勉強会もこまめにしてる。
店舗間の交流もあって
薬剤師どうしの情報交換を重視しているらし。
去年は同年代でまとめてグループ研究したそだけど
今年は年代違いチームを何グループか作って
研究発表しているのだって。

こうなってみると
今までの会社がどんだけ意識低かったのだと
貧乏くじを引き続けて来た気がしてしまう。

よく考えよ。ほんとに。

夜はルコック。
今日は徹夜覚悟。
深夜バスで東京に帰る大典を見送りに
ちょっとだけ抜けてその後
翌朝4時までぎりぎりと工作。



2007年08月16日(木) 3人で定員オーバーの部屋だ

福島のじいちゃんばあちゃんちからの
帰り道中の両親が部屋に寄る。

やたらと食料品を置いてってくれた。
おはぎ
炊き込みご飯のおにぎり
キュウリ
ピーマン
カボチャ
ミルククッキー
食パン
野菜ジュース
茹でたとうもろこし

その他
ばあちゃんとこに
業務用の杏人豆腐があったとかで
しかも多量で食いきれなかったそうで
その余りをでかいタッパーに持たされて来てた。
それも見送りがてらもらう。

わたしが持ってきたタッパーに分けてもらったのだけど
けっこうたぷたぷしていて
オタマなどがないとすくい難い。
5階まで戻るのもなーと思ってたら
ままんちは車の後部座席の床においた
小さめのタッパーをささっとはらって
すくってわけた。

咄嗟にみなかったふりをした。

ちなみにこの小さめタッパーは
ぱぱんちが福島に忘れて来た犬のドーラちゃんの
水飲み皿のかわりである。
わたしの部屋から持って来たものだから
床に置いてた時間は30秒ほどだと思うけど。
神経質に気付いてしまったけど
食ったところできっと平気なのだわたしの腹。



2007年08月15日(水) 水で膨れているわたし

ペットボトルの飲み物を
一日に3本も空けたのは初めてかも知らん。
水分いっぱいとっているので
心なしか体がぶよぶよしてきてる。

関係ないけど
タマホームのCMに出ている
案内係っぽい背広着た男の人が
大典に見えて仕方ない。
そいう仕事したとはきいてないのだけどな。



2007年08月14日(火) 昔の西遊記の再放送をよく観る

夏目雅子はほんとに美し。
内容とか全然どでもいい感じなのだけど
つい観てしまう。
深津絵里も好きだけどさ。

3月の次回公演の会場費を払いに
エル・パーク仙台へ。
三越も141も人がいっぱいねえ。

海老さまの載ってると情報が入った雑誌を
購入しにアエルの丸善へも。
2階のスタバでしばらく読書してたら
ままんちから電話が。
福島のじいちゃんちに向かってるとこで
一緒に行く?と。
ルコックの発表の稽古で明日朝早くから
集まる予定なので謝る。
帰りに寄るとな。

再就職とか落ち着いたら行きます。
じいちゃんばあちゃん、ごめんなさい。



2007年08月13日(月) ばあちゃんとドーラはだいじょぶだろか

夕方、ローカルの情報番組を観ていたら
司会者が
「岩手県の軽米町では観測史上最高温度を
記録したそうです」と。

何で。
何で急に我が実家軽米町。

その司会者の後輩が軽米町出身で
学生時代遊びに行ったことがあるんだって。
きっとその時よっぽど寒かったのであろ。
あんな年中寒い町が今日
仙台より暑かったなんて。とびっくりしたのだな。
わたしだってびっくりだ。

お盆につき、明日誕生日の大典は
同じく岩手の実家・八幡平市(旧・安代町)に
帰って行った。
仙台から直通のバスがあったなんて。
年末帰る時に使お。



2007年08月12日(日) ひと回りして変わらない人々

結婚式で座ったテーブルのメンバー全員が
知り合いというのは
親族の結婚式以外は初めてかもしれない。
新郎新婦どちらも友人というのも。
お蔭で大典、ホテルマン志望・中田
東京在住無国籍音響・まつもっちが三人受付にて
新郎側、新婦側どっちに並ぶべきか
不安顔でわたしに問うてきた。
答えは新婦側。

世話女房・なっちゃんの結婚式である。

ド晴天。ほんとにいいお日和。
「THE 結婚式!!」って感じでしょ。と
挨拶に行った時なっちゃんが自分で言ってた。

まつもっちと永遠の高校生・仁美ちゃんに会ったのは
多分それぞれ2、3年ぶりだったのだけど
変わり無くてホッとする。
新婚パワフル女優・ひろえちゃんも
久しぶりに会えた。
色白女優・智絵ちゃんは暑さにやられて
辛そだったけど、花嫁を眺めては終始ニコニコしてた。
かわいい。

友人スピーチの代わりだと思うけど
新郎新婦ゆかりの人間にインタビューというのが
あり、わたしと大典がご指名を受けた。
二人の交際を「随分長い」とわたしが言ったら
「そっちこそ」と新郎・飯村の口が動いたのを
ステキ女優・菊田さんが見逃さず教えてくれた。
わかっとるんじゃ。うるさいわ。

2mくらいある神父さんとか
シェフがギャルソン従えて料理の紹介とか
元奇術部の人たちのマジックショーだの
いろいろ面白かった。
人の結婚式は楽しのだ。

披露宴から場所を移して、街なかのお店で
二次会。
ここでまつもっち、仁美ちゃんはお別れ。
またね。お二人とも復帰待ってるから。

時間があったので、わたしは一度部屋に戻り
浴衣に着替えて会場へ。
男前女優・かなえさんもここで合流。
披露宴は別なテーブルだったけど
まだ無国籍が無料公演をしていた昔
何度か手伝っていただいたことのある
元シンデレラボーイズ・真奈美さんも同じテーブルに。
いや懐かし。
わたしは5、6年ぶりくらいだと思うけど
なっちゃんはずっと交流を持っていたらし。
元々なっちゃんが、当時受けたワークショップで知り合い
無国籍のお手伝いを頼んだ人だった。

結婚式で、友だちの自分以外の交友関係を
目の当たりにすると、
新婦(新郎)とは確かに友だちなはずなのに
まるで知らない人のよに思えるのだなあ。
彼等の家族とか親戚を見るのも
同じ感慨を生む。

招待客を選ぶのは、自分の半生と向き合う作業だ。
とはなっちゃんの言葉。
友だち少ないとへこんでいたけど
そんなことないよ。
そしてやっぱしいい交友関係を結んでいるよ。
それを客観的にみられるのもなかなか赴き深いよ。

三次会は遠慮したけど
無国籍だけでお茶することに。
ここでひろえちゃん、智絵ちゃんはお別れ。
1時間程で抜け出して来た新郎新婦と合流。
二人ともぐったりしてた。
沢山の人と会ってお相手するっていうのは
想像以上に大変なのであろ。
与えられる新しい情報量が並じゃないので
頭がパンクしてるという飯村。
よく見たらあちこち絆創膏貼って満身創痍のなっちゃん。
お疲れさまでした。

結婚式をスタートだとかよく言うけど
通過儀礼だとわたしは思う。
そして避けて通ろと思っているので
やる人は偉いなと思う。
なっちゃんがわたしと同じよな考えだと知ってるので
ほんとにほんとに頑張ったねと
チャンピオンベルト渡して
かたぐるまして褒めてあげたい。

新婚旅行はイタリアですって。
気を付けていってらっしゃい。

みっちりつまって楽し一日であった。



2007年08月11日(土) 結婚式前夜の花嫁想像

ルコックの為一日10-BOXに。
時間感覚が全くなくなる施設である。

充実していたのだけど
ショックなことも。
寅年というからてっきり
1コ上だと思っていた人が
実は一回り+1コ上だったことが発覚。
若い。

本人はその若く見られる外見が
コンプレックスだと言ってたけど
外見よりも気持ちと雰囲気が若いと思う。
同年代と見てて全く違和感がなかった。

明日の世話女房・なっちゃんの結婚式に
着て行く着物を準備して就寝。
夏のキモノは着られる期間が短いだけに
機会があるのが嬉し。



2007年08月10日(金) 草履が届いて目が覚めて

今週日曜の世話女房・なっちゃんの
結婚式に履いて行くつもりの草履が
お直しされて実家から届く。

先週「送ってちょ」とままんちにメールしたら
なかなか返事が帰って来ず
業を煮やして電話してみたら
「お直しに出すの忘れてた」と。
だから間に合うとは思ってなかった。
スバラシイ。
ありがとね。

関係ないけどマダム・スシはどうかと思う。



2007年08月09日(木) ひげランチは量が多いよ

コアな居酒屋あべひげでランチ。
3時から街なかで某社説明会があるから。

T-time熊谷さん母子、舞台監督工房・みっちー夫妻がいた。
ルコックが始まってから
ひげに行ってなかったので妙に懐かし。
コロッケプレートはうまかったけど苦し。
よたよたと某会社へと向かう。

説明会と言っても
わたし一人のためにやってくれるもので
要するには面接のよなものらし。
履歴書持って来いと言われたし。

結果から言えば、とても良さそな会社であった。
女性社長だからかなり警戒してたのだけど
前のとこがばりばりの親族経営だったのと違い
面談してくれた専務さんなどは
元はパートさんだったとか。

小さい会社ながら、ちゃんと組織が出来ていた。
基本的に新卒者を毎年採用してるので
平均年令が低そ。
かといって、社員の出入りが激しいわけではないらし。
上がつっかえず済んでるのは
創業15年で12店舗も建ててるからだろな。

1店舗見学させていただいたけど
とても雰囲気もよく、管理薬剤師の方にもお話をきいたら
こんなに店舗数が多いのに顔を知らない人がいないくらい
横も縦も繋がりが密な会社だという。
こういう会社で育ちたかった。

今のところ欠員は無いらしのだけど
何かあったら連絡下さいと専務さん。
最後までキメ細やかなお心づかい。
いろんな会社があるものなのだな。
次に面接受ける会社も、同じくらいの規模のところ。
じっくり検討しなければね。

ルコック行く前に着替えよと部屋に寄ったら
まだ胃がせり出していた。
恐るべしひげランチ。



2007年08月08日(水) 考えると腹が減る

今日になってプールに水泳帽を忘れたことを
気付いた。
しかも水曜は定休日らし。

昨日のことだけど
サラリーマンNEOに出ていた「藤岡藤巻」という
おっさん二人のユニットに衝撃を受ける。
wikiで調べたら元まりちゃんズの二人だった。
浪人時代聴いてたFMラジオの「ミリオンナイツ」で
やたらとかかってた「尾崎んちのばばあ」は
大して好きでもなかったけど
そうか活動していたのかと
変わらずバカやってる同級生に会ったよな
妙にホッとした気分になる。



2007年08月07日(火) ばったりアラアロ売り場

実家の町に住むお友だちから留守電メッセージ。
12日に慰労会などいろいろ兼ねて
皆集まるのだけど、出られる?と。
しかしその日は世話女房・なっちゃんの結婚式。
欠席の返事をメールする。

ここ数年この時期、実家の同級生たちが
集まる会が催されているらしのだけど
何やかにやでいつも行けず。
申し訳ない。

夕方、街に出てin丸善。
「くにひささん!」と呼び止められて
声の方に振り返ると
あら、office-over.みちやくん。
かわいいキャラクターグッズ売り場にぬっと
でっかく黒いシルエット。
手にはたくさんグッズが握られており。
かわいいのが好きなのだよね意外と。
ああびっくりした。



2007年08月06日(月) 胸筋が強い訳のわかった日

出掛けよと思ったら花火違ったカミナリの音。
でも降る様子はなし。
ま、いいやとハローワークへ。
求職登録して来た。
ネットのハローワーク見てて
登録してないと見られぬ情報があると知った為。

にこやかな受付のおじさんの勧めに従い
端末で求人情報を見る。
よさそなのあるね。何とかひっかからぬか。
こないだまでの職場の情報もあった。
何とかしてここはやめた方がいいぞという
コメントを載せる手はないかと考える。

モスで腹ごしらえしてお隣の市へ。
10年ぶりくらいに泳ぐため。
数年前、この春ご出産おめでとカナダ人のKATYから
多賀城の市民プールの只券をもらって
一枚も使ってなかったので
踊りのお稽古前に行ってみたのであった。

25m泳ぐのがこんなにしんどいとは。
一番速く泳げた頃、15秒程で泳いでいたが
今は25秒。
パワフルに泳ぐおじいさんがいて、何気なしに見てたら
わたしと同じくらいのタイムを崩さず延々泳いでた。
ダメだ。
2時間入れるけど、1時間程でギブアップ。
プールの中にいる時点で
胸筋が筋肉痛になっていることに気付く。

雨降ったらしく、外に出たら気温が下がってて
かつプールで汗も流されてさっぱり。
が、その後の踊りの稽古で汗だくだくに。
「お稽古の後プールに行ったらよかったのに」
とお師匠さま。
踊りのお稽古の後は、そんな気力なくなるので
無理です。



2007年08月05日(日) スカートを履いている日々

中学高校時代は民族衣装だと思って
6年間ガマンしていた。
まあ、わたしじゃない人間という設定だし
自分で選んだ衣裳だからイヤイヤなわけでもない。
これもルコックの課題の一環。
これはこれで面白。

花火の音を今年は10-BOXできく。
カミナリの音かと思った。



2007年08月04日(土) 夢の中で課題を考え

一昨日暑くて寝付けず
睡眠時間3時間程だったにも関わらず
めいっぱい活動したためか
夕べ普通に眠ったのに今日一日使い物にならず。

ルコックから帰り眠る。
目覚めたら夜中だった。
虫の息。わたしの生活時間感覚。



2007年08月03日(金) ところで会社辞めたのね

無職の3人で真っ昼間から密会。
厳密に言えばわたしはまだ有給消化中だけど。

つい4ヵ月前までは同じ職場で働いていた
同僚2人と、ランチの約束。
ほんとは「fole」というお店に
行きたかったのだけど、何故か今日だけ
ランチお休み。
双児ちゃん妊娠中・長滝さんはこれで
4回目の「fole」空振りという。
何故。ほんとに何故。

仕方がないので通り一本外れた「noon」へ。

まあランチ食いながら毒吐いた吐いた。
わたしが辞めることになった経緯だの
エレガントな事務さん・庄子さんが
辞めると決心するに至るドロドロなど。
殆ど被害者の会である。
お互いよくあんなところでガマンしたねと労い合う。

甘いものを食べに河岸を変えつつ
近況等きゃっきゃと話す。
職場では普段、そうお喋りするメンバーでは
なかっただけに大変新鮮。
ひどい会社だったけど
現場で一緒に働いた皆様はほんとにほんとに
素敵な方たちばかりだった。
職場では程よい距離を保ち
辞めてからでも、こうして会ってお茶したりできる関係は
久しぶりだ。

この先もどうかよろしく。
またお会いしましょう。

夜、office-over.みちやくんとも密会。
実は次回公演の危機だったことを知る。
が、頑張るから。



2007年08月02日(木) こうでなくてはいかんよ夏は

動かなくてもだらだら汗が出る。
素晴らし。
やっと季節がはっきり感じられていい。
蝉も鳴け。もっと鳴け。

ところで次の公演の会場が取れまして
さあどしどし動かなくてはいけない。
とりあえず団員の皆様
団費よろしく。



2007年08月01日(水) ひっつみだひっつみ

ルコック終了後、
T-time熊谷さんが
はっと汁を作ったので食べて。と。

「はっと」とは「すいとん」のこと。
と言われて「ハイ、わかりますうちの実家のあたりでも
言うんじゃないかな」と
答えたものの、あれ何か微妙に違う気が。

たった今思い出した。
うちの実家のあたり
岩手県北では「ひっつみ」といいます。
「はっと」は別なものをさすかも。

ごちそさまでした。
魚のつみれダンゴも入っててうまかった。

関係ないけど
あるお店で昼を食べたのだけど
半分くらい食ったところで
蟻が出て来た。
そっとナプキンに包んで取り除き、残り全部食う。
日本人め


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