きっと どこかで
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2006年09月30日(土) 修学旅行

我が家の双子達は、先週、小学校の修学旅行に行きました。1泊2日の日程で、行ったところは、奈良、京都、滋賀、大阪とかなりハードスケジュールだなあと思います。滋賀は、ホテルのあるところ。京都で泊まるところを捜すと高いので、安いところで、滋賀にしたのだということでした。琵琶湖の近くで、プラネタリウムもあるというホテルです。

ホテルで、3人から4人の、洋室(もちろんベット)だそうです。部屋にユニットバスも付いていて、アメニティーグッズも揃っているというところ。公立の小学校にしては贅沢な宿泊場所という感じもしますが・・。

朝は、6時40分に学校に集合。学校に大型バスが来ていて、それでほとんど移動したようです。阪神淡路の高速道路も開通しているので、そのルートを通っていったようです。

JTBの方が、今回の企画を立てたようです。1日目は、奈良の平城京跡、奈良公園(春日大社、東大寺、二月堂、三月堂)、京都の金閣寺、清水寺、その後滋賀のホテルに着き、夕食後、プラネタリウム鑑賞。2日目は、琵琶湖畔散策、大阪のUSJで遊んで、帰路へ。学校に到着は、午後6時30分で、家族が迎えに来るように言われていました。

私も、職場を定刻より少し早めに出させてもらって、6時30分に間に合うように学校へ行きました。迎えに来いというのは、おそらく、旅行で疲れて帰ってくるから、というのと、おみやげものなどたくさん買い込んでいる子供もいたので、一人で家まで歩いて持って帰るのは重くて大変だろうからというのもあるかと思います。

旅行は、毎年のように家族旅行をしているので、心配はしていなかったのですが、団体旅行は初めてなので、集団での旅行は、家族旅行とはまた違ったものがあるので、親としては、送り出すまでは不安もありましたが、旅行が終わり、元気に帰ってきた様子を見て、ほっとしたと同時に、この子供達も、親を離れても、ある程度の行動ができるようになってきているんだなあと、実感しました。

もちろん、学校の先生方とか、お友達どおしの助け合いなどで、やってこれたのだろうとは思っていますが。

事故なく無事に帰ってこられたのが何よりです。

私が一番心配していたのは、USJです。4人のグループで行動するということだったのですが、食事も自分達でするんだということで。今まで、子供達だけで買い物もしたことないのに、大丈夫かなあと思っていましたが、そういう場所に全く行ったこともない、という訳ではないので、大丈夫だったようです。

お金も持たせたこともなく、買い物も心配していましたが、自分のおこずかいを持てたのがうれしかったらしく、自分の好きなおもちゃやおみやげなどたくさん買っていました。渡したおこずかい、ほとんど使っていたのには驚きました。

そういえば、私の子供の頃は、小学校2年生くらいから、おこずかいを持っていたんだもんね。近所に駄菓子屋さんがあって、10円くらいで飴玉1個からでも買えるお店に放課後寄ったりしていたんだもんね。今の我が家の近くには、そういうお店はないんですよね。子供が遊びに行くようなお店もないのですが、そういうのはいいんだか、悪いんだか。

そういうところは、校区外の大型店の中にはあるんですが、校区外に、子供達だけで遊びに行くのは、学校側が許可していないので(保護者からも、よくないとの意見がPTAであった)行きたくても行けない、というのもあるんですね。

ちょっと話がそれてしまいましたが、子供達の成長を感じた今回の修学旅行でした。

旅行に行く前は、大丈夫かなあと、親の私としては不安で一杯でしたが、実際行くと、子供のいない家で、のんびりと、過ごしていました。すっかり子供のことなど忘れていたんですから、のんきなもんです。子供にずっと占領されていたテレビ、コレクションしている音楽ライブDVDを観たりして過ごしました。


2006年09月14日(木) 車を買い替えました

20年以上乗っていた、三菱ミニカ、もう車の中の内装がはがれてきているからということで、やっと、夫から買い替えの許可が出ました。

ここ何年かは、車検を、馴染みのモータース屋さんに頼むたびに、「まだ乗るの?(もう買い替えたほうがいいんじゃない)」と言われ続けていました。夫からは、「故障が多い訳でもないし、走行距離も4万キロないから、まだまだ大丈夫。車の買い替えは、軽自動車でも、100万円近くかかるんだし。」

確かに・・。我が家は共働きとは言っても、裕福な共働きではありません。お金は、よく考えて使わないといけないなあと思っています。

車が我が家に2台あることを贅沢と言われた時代もありました。(10年以上前に一緒に仕事をした上司に)でも、夫の休みは、土日ではなく平日で、私が車を使いたいのは主に土日。で、私はどのように車を使っているかというと、子供が小さい頃は、土曜日や他の日にあった、習い事の送り迎え。後は、主に買い物ですね。買い物は、土日にほとんどまとめて買っているので、量も多いです。また、子供が学校で使うノートなども、近くの店には売っていなかったりします。ソーイング関係の店も、近くになく、そういうのは、校区外の店に買いに行くしかありませんので、車は必要だなあと思います。

だから、私の車は我が家のいわゆる、セカンドカーってことで、今度買い換える時も、税金も安い、軽自動車がいいだろうということになりました。

前乗っていた車は、軽自動車でも、ドアが3つの、貨物扱いの車でした。子供を乗せて走ることも多く、多少不便を感じてはいましたが、安いんだからと納得させていました。

今回、買い換える時に、重要視したのは、安全性です。安くても、事故になった時の安全性の低いものはやめておこう、ということになりました。エアバックなど標準装備、子供が乗ることが多いから、後ろの席の乗りごこちもいいものを、ということで捜していたら、条件にあう車がありました。前の車よりは、グレードも少し上がるのですが、夫が、それでもいいと許可してくれたので、それにしました。

ドアは、最近は、ほとんどが5ドアだということで、5ドアにしました。3ドアは、業務用の車という位置づけらしいです。家庭用は、5ドアが普通だとか。

ただ、私がこだわったのは、ミッション車。オートマ車が主流ですが、以前乗っていた車がミッション車で、ミッション車の方が、多少お金も安いし、燃費もいいと聞いていたので。これも、「オートマの方が、運転は楽だよ」とは言われましたが。それと、ミッション車はほとんど出ないから、申し込んでから納車までに時間がかかる、取り寄せ?注文生産?どっちかみたいなことを言われました。

私もオートマ車、全く運転したことない、という訳ではないんですけどね。夫の車を何回か運転しているので、ギアチェンジが要らないのは楽だなあとは思いますけどね。でも、私の場合は、いわゆるサンデードライバーというヤツです。たまにしか乗らない車なんだから、節約できるところが少しでもあるなら、節約しようかなと。別にミッション車で慣れているから、ギアチェンジもそんなに苦じゃないし。

新しい車が我が家に来て、ほぼ1ヶ月くらい経ちました。新しい車は、エンジン音も静か、クーラーもよくきく、パワステで、ハンドルも軽い、加速も早い・・と快適です。車も20年の間に進化したんだろうなあと思います。

ちなみに、今度の車は、ダイハツのミラです。


2006年09月09日(土) 自衛隊について

この前の日記で、私の父は、陸上自衛隊の自衛官だったということをちらっと書きました。そこで、ついで、といってはなんですが、自衛隊について、私の思う事を書いてみようと思います。

私の父が自衛官ということもあり、普通の人とは考えている事は違うかもしれません。また、一般の人にはあまり知られていない自衛隊の仕事についても、知って欲しいと思います。

私が子供の頃は、自衛隊というのは、今よりももっと悪く、マスコミなどでは報道されていました。国の予算が出ると、必ず、防衛費にいくら予算がついたか、という報道がされていました。自衛隊は、今の日本の法律では、認めれていない組織、そういう認識でした。

自衛隊側の、認識は違います。

自衛隊は軍隊ではない、自衛の為の組織である。武器も持ってはいるが、相手が攻撃を仕掛けてきた時に、自分を守る為にのみ、使う事を許されている。国を守る為の組織である。他を侵略する為に使うことはない。

自衛隊は、戦争もないのに何をしているのか?戦争の練習ばかりしているのではないか?そう思っている人も多いようです。実際は違うんですけどね。

普段は、消防署の職員の方や、道路公団の職員の方のような仕事もしています。

主な仕事は、災害救助です。台風や地震などがあった時に、現地に行って、生き埋めになった人を助け出したり、炊き出しの援助をしたりしています。

また、道路を作る仕事もしています。私の父は、土木科卒業で測量士や建築士の資格も持っていたので、そういう仕事の依頼が自衛隊に来たら、行っていたそうです。

後は、災害救助ボランティアさんの手伝いもしています。ボランティアさん達は、労力はあってもお金はないことが多いですね。たまった物資を輸送したりするのも自衛隊がしています。

もちろん、戦争を想定した訓練もしています。いろいろ計画した上で行なうのですが、実弾を使った訓練もあり、一歩間違えば、死んでしまう、そういう命がけの訓練もしています。

そういうふうに、災害の救助をしていたり、国を守る為に命がけの訓練をしている人達が、なぜ、お金の無駄遣いのように言われなければいけないのか、私はずっと不満でした。

小泉さんが総理大臣になり、初めて、自衛隊は海外でも活動するようになりました。これも賛否ありましたが、戦争しに行っている訳じゃないんです。そういう未だに戦争が続いている危ないところに行けるのは、日本では、警察でもなく、自衛隊しかないのです。

私の地元でも、2年前に、台風の後の高潮で、市内は、かなりの地域が水に浸かりましたが、その片付けの手伝いをしたのは、自衛隊です。

また、毎年、防災の日には、自衛隊も参加して、訓練をしています。主な内容は、川に橋を架けるというものらしいです。

こういうふうな、人のために働いているのだ、ということを知って欲しいです。

こういうことは、マスコミなどで報道されることは、ほとんどないのです。だから、子供の時から、マスコミ報道って片寄ったものなんだなあと思っていました。視聴率が上がるような、その時々で、興味を引くような内容しか報道しないんだ、そう思っていました。だから、マスコミ報道には注意しよう、という意識が私の中には、子供の時から出来ていました。

私が通っていた学校の先生は、「新聞報道でも、新聞社によって、書き方が違うことがあるんだよ。書き手の考えが記事に反映されるんだろうね」と言っていました。

最近になり、少し、自衛隊に対する、報道の仕方も少し変わって来たなあと思います。ただ、まだ、自衛隊は違憲だと主張する人がいるのには参ってしまいますね・・。でも、そういう人に、こういう組織がなくてもいいのか・・?と聞いても答えることができないことが多いです。他の関係ない話をし出す事が多いです。

そういう人は、国歌「君が代」も歌いません。今、国歌と言われているものは、「君が代」ですよね、嫌なら、それに変わるものを、「国歌」と定めればいい。でも、そういう流れは今の日本にはないですよね。なのに歌わない。国旗「日の丸」も見ないフリをしている。過去の戦争の歴史を繰り返してはいけない、というのは気持ちとしてわかりますが・・。今の自衛隊は、昔の軍隊とは全く違います。思想教育なども、どこよりも厳しくされてされていると、私の父を見ていて感じています。


2006年09月07日(木) おじいさんと孫二人の旅行

子供達の夏休みの事です。旅行の日の二週間ほど前の日のことです。子供が「おじいちゃんとね、富士山の方に旅行に行く事になったんだ。」と言うのです。

よく聞いて見ると、陸上自衛隊が、富士山の裾野で行う、実弾を使った公開演習の観覧に行くということらしいです。私の父は、陸上自衛隊勤務でした。その影響で、私の子供の一人は、自衛隊が好きなのです。毎年地元で行われる、イベントにも私の父と子供は一緒に参加しています。

今回の、自衛隊の「富士総合火力演習」見学は、ハガキの抽選で、当たった人でないと、見にいけないらしいです。私の父は、みんなに内緒で応募していたらしいです。そしたら、当たったので、一緒に行こう、と子供に話をしてきた、ということだと思います。

私の父と、私の子供二人の三人で行く、というのです。大丈夫かなあ、と思ったけど、その日は、私は、休みのとれない仕事がある日で、ついて行けません。しかたなく、三人で送り出すこととしました。もちろん、夫も休みのとれる日ではありません。

行きは、新幹線等で行き、富士の演習見学をした後、東京に行って、東京見物を少しして、飛行機で帰ってくる、2泊3日のスケジュールでした。

まあ、子供たちは、旅行自体は、毎年家族旅行に行っているから、慣れてはいるだろうとは思いましたが、私の父と一緒というのは初めてだし、私の父も、いろいろ持病があったりするので、大丈夫かなあ・・と心配でしたが・・。

父に聞いたら、「もう旅館も取ってあるから。お前は仕事だろ、来なくていいよ。」ってな調子です。

もう、しかたない・・といった感じですが、旅行に行くなら準備をしなくちゃ、と次の日曜には、旅行で要りそうなものを買いに行きました。帽子、Tシャツ、下着などを買い、一人ずつ、バッグに詰めました。

送り出した日の夜、家に帰ってきたら、いつもいるはずの子供たちは旅行に行って、いなくて、家の中は私一人・・。いつも忙しいのに、なんとなくのんびりできるんですが、つまらないなあ・・、ていうことで、レンタルで借りたビデオをみたりしてすごしました。

そして、2泊3日のスケジュールを終えて、三人は無事帰ってきました。疲れた様子もなく、楽しく過ごしたようです。

東京はみんなよく行くからなのか、おみやげなしでした。ケンだけは、自分用に、東京タワーのイラストの入った卓上の時計を買ってきていましたが。

私の父は、東京はかつて勤務していた土地でもあるし、富士の演習場も、現役の頃はしょっちゅう行っていたと思うから、慣れたところだったんでしょうね。ただ、お台場は、今回初めて行ったと思うんですけどね。若者が行くところというイメージがありますもんね。

おじいさんと一緒の旅行など、なかなか経験できるものではないので、子供たちにとっても、いい想い出が出来た事と思います。こういう旅行を計画してくれた父に感謝しています。


2006年09月04日(月) 出身大学OB、OG会支部長会に出席した

6月のことになるのですが・・。

私は、出身大学のOB会の、香川県支部の役員をしています。それで、今年の支部長会に行くこととなりました。支部長会は、支部の役員が交代で出ているようなのですが、今年は私にとのお話があったので、出席しました。

支部長会が土曜日にあり、翌日に総会がありました。支部長会は、大学近くのホテルであり、晩に懇親会(食事会)があり、翌日の総会は大学でありました。

東京へは、仕事関係の出張で、毎年のように行っているのですが、大学のあるところ(埼玉県坂戸市)まで行くのは、卒業して以来です。20年ぶりでした。大学は、すっかり変わっていました。少子化の時代にあって、私が卒業した頃よりは、学生数も増えているし、設備も近代化されたものが整えられていました。

大学OB会も、全国で活躍されている先輩方が出席されていて、私も、そのうち、機会があれば、そういうこともやってみたいなあ、と思いました。

大学OB会の支部会に参加したりしているのは、やはり、いつかはそういった大学で得た資格を生かした仕事なり活動なりをしたい、という気持ちが自分の中にあるんですね。今の職場に就職した時点で、そういう意識は封印したつもりですが、自分で出来ることがあれば、何かやってみたい、と思ってはいるのです。

そしたら、出席してからすぐ、大学関係者から、仕事の依頼がありました。チャンスですね。うまくいけば、これからの足がかりとなるかもしれないし、でも、失敗したら、大学へも迷惑がかかるし、と悩みましたが、思い切ってひきうけることとしました。

もうそういった関係の事はしていなかったので、少し自分なりに勉強し直しました。仕事自体は、2時間程度のものですが、事前準備に私は、1ヶ月くらいかけました。

仕事の内容は、小学生向けの、食育関連の講習会です。講習会が終わった後のアンケートを見ると、勉強になった、楽しかった、との感想があり、初めてこういうことやったけど、うまくいってよかったな、と思いました。もちろん、私一人でやった訳ではありません。お手伝いいただいた方(現地の役員さん)もしっかりした人ばかりで、こういった方々に支えられての成功です。

普段の私の仕事が、この、サポート側、になるわけなんですけどね。(仕事の内容は違うけど)この日は逆です。

久々に、大学で学んだ事を生かせたなあと思った瞬間でした。また、学校を卒業してしばらく、関連の仕事をしていた中で、現場の人に教えられた事なども、役に立ちました。

私自身も、とても楽しく出来た仕事でしたので、また機会があれば、お願いしたいと、紹介していただいた方に話をしました。


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