きっと どこかで
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2006年01月30日(月) 堂本剛著「僕の靴音」読書中







「kinki kids」の二人のうちの一人、堂本剛くんのエッセイ集。雑誌「Myojo」に連載されていたものをまとめたものらしい。(6年分だとか)

剛くんは、ある意味幸運にも、若くして芸能界デビューをした訳なんだけど、そこで、普通の若い男の子ならまだ知ることの無い大人の世界の、ずるさ、汚さを知ってしまう。悩んだこともあったらしいが、今は、そういうもんなんだと、わかってきたような・・?

人気もわりとあって、悩みなどないだろう・・と思うのに、剛くんは、一時、メンタル的な病気に悩まされていた事は、キンキファンならよく知っているはず。私は、キンキファンじゃなかったけど、剛くんも私と同じような病気を持っている事を、以前知って、ちょっと親近感持った覚えがある。

本当の自分と、周りが作ったイメージ、また、周りが期待するイメージ、それに答えようと頑張った事もあったらしい。でも、今は、自分らしくあればいい・・と思っているよう。

6年間にわたって、書かれたものだから、一つ一つがなんだか重みが感じられて、じっくり、大切に、読んでいるところ。読み流すのはもったいない、と思える文章。こんなこと思うなんて・・剛ファンになっちゃったのかなあ・・?

読後感、さわやか・・。剛くんって、好青年だなあと、これを読むと思う。

CDジャケットとか見ると、髪型や服装が個性的だったりするんだけど、その訳もわかった。明るい色の服を着ると、気持ちが明るくなるんだって。紫とかの服、剛くんに結構よく似合ってたりする。

私自身、職場の上層部の方と以前、話をした事があるのだが、その話の内容が気に入らなかったらしく、それを、上司がこの前言われたらしく、生意気な部下だ、というような事を言われたのだとか。

自分の気に入らない意見を言う人間は、つまらないやつと言い放つ、そういう人間が、今の職場の上層部だとは。

どちらが正しいとかの問題でなく、どちらが強いか、そんな事を誇示したいかのよう。上層部にさからうと、いいことはないぞ、と言いたげな様子も伺えた。

寂しさも感じたが、こうなったら、思い切りみじめな自分を感じてみるのもいいかなと思った。せっかく、よかれと思って話した事が、上層部の人間には、そう思ってもらえなかったとは、みじめだよね。そうやって、みじめな思いを味わせるのが、上層部の人間の、望みなのかな。上層部の人間のする事に口を出すな、出すとこういうみじめなことになる、と皆に思わせたいのか。

私の周りの人達は、付き合いの長い人間もいるから、上層部の人の言う事を、真に受けている人は少ないと思う。でも、逆らうのは、後が怖いから出来ない、そういう状況なんだろうな。

そういう風にしないと人は生きていけないんだろうな、剛くんのエッセイ読みながら今頃気づくなんてね。

もういい大人の私が読んでも十分教えられる部分のあるエッセイである。っていうか、私がまだ大人になりきれていないってことなのかもな・・?


2006年01月24日(火) 子供、眼科受診

先週の金曜日、朝起きたら、ダンナが、「おい、見てみろ、ユウ(HN)目が腫れてるぞ」と言う。確かに腫れている・・。こういう時、仕事をしているわが身としては、子供の心配と同時に、「病院連れて行った方がいいのかな、仕事は休んでも大丈夫かな」という思いが頭の中をグルグル・・。

ずっと前、ユウが保育園児の時、目が腫れている状態で連れて行ったら、保育園から(その時は実家へ)電話がかかってきて、「迎えにきてください、目が腫れているから、とにかく病院で、診てもらってください」とのことで、急遽、実家の両親が迎えに行き、家に連れて帰って、どんな病気かわからないからと、日赤病院にユウを連れて行った。その後、実家の両親から、職場の私に電話があり、急遽休みをもらって、日赤病院へ行ったことがある。結果は、たいしたことなかったのだが・・。その後も、保育園の先生から「目薬もらっていたら、持って来たら、さしますよ」と言っていただいた。

その事を思い出し、「病院で診てもらったほうがいいな、仕事の方は・・今日は休んでも大丈夫」と判断し、ユウを病院へ連れて行く事にした。でも今回は、日赤病院じゃなくてもいい、近所の眼科にしよう、と思ったが、さて、ここに引っ越して来てから、眼科に行ったことがない。ダンナに、わからないと言うと、電話帳で調べたらいい、と言ってくれた。で、散らかっている我が家で、電話帳を捜した。ユウも自分のことなので、なのか、一緒に電話帳を捜してくれた。

同じ町内にはなかったが、隣町に3件あった。南、西、東・・。どこも同じくらいの距離か。とりあえず、西の町の眼科に行く事にした。受付時間は9時から。ケン(HN)に学校が始まる時間を聞いて、その10分くらい前に、電話をした。「目が腫れているので、とりあえず受診します。行けるようなら、受診後登校させます」学校側からは、「もし、受診後欠席しないといけないようなら連絡してください」とのこと。

その後、仕事が始まるくらいの時間へ職場へも電話。「子供を通院させるので、休ませてください」

9時すぎくらいに自宅を出発。初めて行く眼科なので、電話帳(地図も載っている)も持って。でも、ちょっと迷ってしまった。結局着いたのは、9時20分くらい。ユウは、受診後、学校へ行くつもりで制服を着ていた。受付のお姉さんが、「待っている人が多いから、診てもらうまでにだいぶ時間かかりますよ、1時間以上は。いいですか?」と言う。そう聞かれても・・。ええ、いいですよ、としか・・答えられないじゃないの?

結局、ユウが受診出来たのは、11時30分くらい。ユウの目を見て、「まぶたにバイキンが入ったんだな、それで、うみが出来てる、お母さん見てごらん」というドクター。見てみると、上まぶたのところに白い塊が見えた。
「とりあえず、目薬と、バイキンを殺す飲み薬を出しておきます。目薬は3時間起きに必ず差してください」「4日これで様子を見て、たいてい、よくなると思うが、治らないようならもう一度来てください。」とのこと。

薬は院外処方とのこと。病院を出たら、もう12時すぎだったので、ユウの給食に間に合うよう、とりあえず、学校へ連れて行く。私も教室まで行って、担任の先生に、今日の報告。

その足で、小児科でお世話になっている、近所の調剤薬局へ、処方箋を持って行った。そしたら、処方箋に書いてある目薬の在庫がないという。チェーン店なので、他の店から取り寄せるから、20分ほど待って欲しいという。ええ、別にいいですよと答えた。ちょうどお昼の時間だったからか、「携帯電話お持ちでしたら、届いたら連絡しますから、取りに来てください」と言うので、お願いして、近所のうどん店でお昼を食べた。その後、車のガソリンがなかったので、ガソリンスタンドでガソリンを入れているところへ、電話がかかってきた。

それで、すぐ取りに行ったのだが、向こうの方は、20分待たせたこと、再度来てもらったことを、恐縮したように言う。すまないのはこちらだ。診てもらった近所の調剤薬局で薬を貰えば、こんなことはなかっただろうに、こちらの都合で、別の薬局にしたから、こういうことになったんだろうから。

薬をもらってすぐ、また学校へ行く。病院では何も処置はしてもらっていないので、ユウに目薬を差して、飲み薬を飲ませて、家に帰った。

結局午後1時半くらい。これから職場へ行っても、着くのが2時半くらいで、2時間ちょっとくらいで帰らないといけないし、たいしたことも出来そうにないから、休みにしといてよかった、と思った。ただ、職場は、後で聞いたら、忙しかったらしいが・・。

学校に行ったら、ユウの担任の先生から、ちょっと相談あり。これについては、また、別の日の日記に書くことにする。


2006年01月21日(土) 今年の春闘はパート職員の賃上げ

何日か前の、朝日新聞に載っていたのだが、今年の春闘では、パート職員の賃上げを要求する、とのこと。

asahi.com「連合、初のパート統一賃上げ要求 時間給1%か10円超」

職場にもよるのだろうが、実際の仕事の内容が、正社員と変わらない場合では、正社員がもらっているくらいの金額を、パートの時給に換算して、支払うのが正当なのではないかとも書かれていたように思う。これにより、企業が正社員を雇用せずパートやアルバイトなどを雇用して同じような仕事をさせている、正社員の雇用を抑制している原因の一つ、パートやアルバイトなとを正社員より低い賃金で雇用して、またなおかつ不安定な身分に置いているパート、アルバイトなどの身分価値をもう少し高めようというもの。

そして、春闘で最終的に目指すものは、今減ってきている正社員を増やす事である。

時間などの自由が利くからと、パートなどを選んでいる人もいるが、正社員になれなかったから、パートやアルバイトで働く人もいる訳である。内容が同じならいつまでもパートやアルバイトでなく、正社員として認めること、これには私も同感である。

これも何日か前の朝日新聞に載っていた記事であるが、アルバイトとして何年も働いてきて、新入社員の研修もしていた女性が、研修をしていた男性社員が、その後、その職場に上司として来た、という話があった。アルバイトなんだから、そういう扱いでもいい、という会社上層部の考えなのか。新入社員の研修までさせるんだから、相当仕事も出来る人なんだろう。正社員にしないのは?アルバイトでも、仕事のできる人は役職につけるようにするべきでは?そんなことも書いてあったように思う。

妹の勤める職場は、正社員で働くのが基本の職場だ。ただ、仕事が大変だからか、昇給もそんなにないからか、正確なところは定かではないが、職員の入れ替わりは多い。一番の問題は、残業が多いところだろうか。女性がほとんどの職場だが、残業が多い為か、独身か、離婚して女手1つになっている人かのどちらか、だという。ダンナ、子供がいて働いている人は、一人しかいないんだとか。妹も離婚してから就職したクチだ。

正社員でなかなか就職できないから、よかったな、と就職が決まった時はそう思ったが、残業が多いというのは、あまりよくないなあと思った。女手一つで子供を育てる上で、それでは、大変だろう。今は、離婚してから、実家へ身を寄せていて、私の父親が、夕飯を作ったり保育園の送り迎えをしたりしている。

仕事をするとは、どういう働き方をするにしても大変なこと。私の父は、私に子供がいるんだから、早く帰らしてもらえ、という事を言っていた。パートで働いていた母親が仕事の愚痴を少しでも言うと、そんなに嫌ならやめたらいいんだ、と簡単に言っていた。

私の父親は、今考えると、私のダンナの2倍くらいは給料をもらっていた。それで、母親が働かなくてもやっていけるだけは十分にもらっていたのだ。我が家の場合はそうではない。私のダンナの給料はそんなに多くはない。私が今くらいの給料を貰って、やっと、私の父親が、昔貰っていた給料くらいだ。その事は、何度話しても、父親にも、母親にも理解してもらえなかった。父親だけの給料でやりくりしている人も大勢いるんだから、仕事が大変なら辞めて家にいたらいい、と言われた。

それで一番困るのは、今払っている家のローンだ。今のダンナだけの給料では、とてもローンを払って生活など出来ない。マイホームはダンナの夢だったから・・。ちょっと無理して建てた感はあるけどね。

誰も私に楽させてはくれないなあと思う毎日だが・・。こんな毎日続けていいことあるんだろうか、将来。先のことは考えてもわからないから、今出来る事を精一杯やっているだけである。


2006年01月16日(月) 三つのスローガン

最近、家の中の片づけをする事を日課にしている私。(年明けから)去年は仕事が終わって家に帰って慣れない家族の夕食作りが終わるとヤレヤレ・・と言う感じで、平日はあまり家の事もしていない状態だったので、かなり家の中が散らかっていた。

実は、この家に引っ越して来てからは、実母に夕食を作ってもらっていたんだよね。家がちょうど実家の隣にあるので。実母が、私が帰ってから夕食を作っていると、出来上がりが遅くなってしまうので、子供がかわいそう、ということで、作ってくれていた。それも、実母が、体調を悪くするちょっと前あたりから、もう、そっちの分の夕食は、ライム(HN)が作ってくれ、というような事を言われた。それから、作るようになったのだが。しばらくして、実母は、入院してしまったのだが。

それで、片づけをしていてふと手にした「マミークラン」9月号(森永牛乳宅配の家に配られる冊子)に載っていたこと。

「日野原重明」さんとの対談記事が心に残ったので、書く。

「新老人の会」というのを作って活動されているということ、そこには3つのスローガンがあるということ。

まず第一に、「愛し愛されることの大切さを感じること」それは、「無償の愛、代償を望まない愛」とのこと。無償の愛が幸せをもたらすのだという。

あと二つは、「75歳から新しいことをやること」「耐え忍ぶこと」どういうことかというと、「ただひとりの孫が死ぬとか、会社の倒産といったつらい経験をすると、自分よりもっとつらい人の心が感じられる深い人間になるんです」とのこと。

「そういった生き方をして、与えられた人生の最後にね、『生まれてきてよかったな』という感謝を誰か近親者に伝えることができれば、これ以上の幸せはないですよ」と締めくくられていた。

私の場合は「耐え忍ぶ」というのを毎日実感する日々である。確かに、つらいけど、似たような事で悩んでいる人の気持ちに寄り添ってあげることくらいは出来るような気がしている。アドバイスなんて、たいそうなことは出来ないけど、自分の経験も話して、同じような事をライムさんも考えていたことあったのね、と思って、自分も頑張ろうと思ってもらえるとうれしい。

人と接するときは、基本的に私は無償の愛、である場合が多い。相手に何かを期待して、というような接し方はしていない。そういうのは、苦手だし、期待しても、何かしてもらえることは、ないことの方が多かったので、相手には期待しないことにしている。

でも、人と接する時は、常に相手の立場に立って、考えて行動する、と言う事を心がけている。(相手にはそう見えてないかもしれないけど)話しする時でも、一方的に話すのでなく、相手の反応を見ながら話すように心がけているつもり。これは、上司に対してもそれ以外の人に対しても同じ。

私のまわりでも、上司と話す時と、それ以外の人と話す時で、明らかに話し方の違う人がいるが、そういう人間は、私は信用できない気がする。でも、そういう人間の方が、上司受けはいいんだから、不思議なものだ。私はそういう人間にはなれないなあー。


2006年01月11日(水) 発達障害に関する誤解2つと正解1つ

子供の学校も始まったので、発達障害関連の話を。

誤解その1
先日読んだ雑誌の中で、「落ち着きの無い子供達のお弁当には野菜が入っていないことが多い」だから「野菜など食べさせてないと落ち着きの無い子供に育つ」ということが書いてあった。

「野菜料理など手の込んだ料理を作らずに、冷凍ものなどで済ませているから」「落ち着きの無い子供になる」というもの。

これは、実は逆なんじゃないかと私は思う。落ち着きの無い子供のいる家庭は、その子供には、普通の子供を育てるより手間がかかる。(手間をかけさせられる)我が家の発達障害児ユウ(HN)も、一つ一つ、親が確認しないと、出来ていないという状態である。かと言って、ほおっておいたら、いつまでたっても出来るようにならないし、また、親がいつまでも、やっていたら、自分で出来るようにならないし、普通の子供を育てるよりは、気も使うし手間もかかるのだ。だから、どこかで時間を節約しなくてはならないよね。そうなると、朝の弁当作成タイムってことになるのではないかと思う。

野菜料理を弁当に入れることも、手抜き方法で出来ない事もないんだけどね・・。今は、お弁当を作っていない我が家だけど、以前していたのは、夕食を多めに作って、お弁当用に取り分けておくこと。「ほうれんそうのお浸し」だったら、多めにゆでて、少し弁当用にとっておくとか。野菜の煮物だったら、一部を、お弁当用にとっておくという方法もある。

あとは、私は、お弁当に、冷凍ものを使うのは、悪い事だとは思わない。短時間でおかずが出来るし、見た目もきれい、味もおいしくなるよう工夫されている。

誤解その2
「子供が泣いたら、かまってあげなさい」「泣いてもかまってあげてないとだんだん泣かない子供になり、自己主張のない人間になります」というもの。

これも、逆だなと我が家の子供を育てていて思う。ユウは、赤ちゃんの時からほとんど泣かない、手のかからない子供だった。かまってやらなかったから、そうなったのではない。生まれつきそういう性質だったのだ。今でも、一人遊びに熱中しているが、これはいけないことなんだろうか・・?自分で考えた一人で遊べる遊びで遊ぶユウは、実はすごく創造性のある子供なんじゃないかと思ったりする。

もう一人の子供ケン(HN)は、すごくよく泣く赤ちゃんだった。胃腸が弱くて食が細かったのも影響しているのかもしれないが・・。ちょっとしかミルクを飲まないので、おなかがすぐすくのではないかと。よく泣く赤ちゃんは、どうしたって、かまってやる回数は多くなる。甘えん坊だなと思ったが、今は、しっかりした子供に成長している。ただ、あまり自己主張はしない。

今よく自己主張するのは、ユウのほうだ。ただ、「わがまま」と思われるほど、自己主張することもあるので、イトコどおしの遊びの中で、けんかになることも多いのだが。ケンは、ヨソの家の子供達と、けんかなどしたことないのではないかと思う。かと言って、いいなりになっているわけでもなさそうなので、ちょっと安心した。

正解1つ
「子供をかわいがってあげなさい」「自分を認めてくれる人がいると、自信をもって成長していける」

これは、私の実母が、私や、私の子供達を育てる際にしてくれていたことである。私の場合は、友達とのトラブルがあった時に、理由を聞かれ、母に、ウソをついたことがある。自分の不注意なのに、相手がわるさをしたのだと。それで、友達をとがめることは母はしなかったが、私の前では、私の言う事は何でも信じてくれた。

私は今になって思う。私もこのような親になりたいと。親だけでも、子供の言う事は、信じてあげられる存在でいたいと。もしウソをついていたとしても、ウソをつかずにはいられない心境を理解し、責めずに、共感してあげられる親でいたいと。

また、よく誉めてくれた。「あなたはしっかりした子供だから、お母さんはうれしい」これで、私は、自分に自信を持てたのだから、実母はすごいと思う。

同じように、私の子供達にも接してくれた。お陰で、二人とも、思いやりのある心優しい子供に育ってくれていると思う。

私の実母なき今、これから先のことを考えると、もう相談したりする人がいないのは寂しいが、これからは、自分の考えでやっていっていいのか、と思い、今まで母から教わった事を思い出しつつ、母の教えは間違ってなかったと思う今日この頃、自信を持って子育てしていいのだと思える。


2006年01月10日(火) Kinki Kids H album DVD

初回限定版に入っていたDVDをこの前初めて見た。内容は、ある程度は知っていたんだけど・・。

DVDの内容は、Hアルバム最後の曲「99%LIBERTY」のPVと、その撮影風景を撮ったものと、剛くん、光一くんそれぞれのインタビュー。そのインタビューで知ったこと。シングル「Anniversary」の後に出すシングルを「ビロードの闇」にするか、「99%LIBERTY」にするかで悩んだのだとのこと。それで、自分達の今までのシングルの路線から判断して、「ビロードの闇」にしたのだとのこと。

それにしても、この二人、どこまでもナチュラルなんだよね、話し方とか。変に作ってないって感じ。関西人だからかなあ〜。


2006年01月09日(月) 本部職員異動

私の職場の本部事務所の女子職員の3名の入れ替わりがあった。2人は前から、替わるということで、引継ぎをしているのだという話を聞いていたが、もう一人は、全くそんな話はなかった。この前、研修で本部事務所を訪ねて話をした時も、そんな感じではなかったから、急に決まったのか・・?

そして、3名は、人材派遣の職員となった。まあ、経理関係は、一箇所で長くするものではないと私は思っているので、あまり人も少なく、異動も出来にくいこの職場では、本部の経理の女子職員は、人材派遣もいいかなと思ったりしている。長くいると、不正などやりやすくなるというから・・。まあ、そういう話は滅多にないのだけど。

人材派遣の職員って、給料などは、そう安くはないんだよね。なのになぜ人材派遣にしたのか、本部の方の本意はわからないけど・・。以前父が勤めていた職場も、本部経理は人材派遣の方にしてもらっていたそうだ。人材派遣の職場に払うお金は、自分が貰っている給料と同じくらいだ、と話していた。(定年退職後に勤めた職場なので、給料は、現役の時よりは安いらしいが)父の勤めていた職場の本部経理を人材派遣の方にお願いしていたのは、経理関係に詳しい人がいないので、そのスペシャリストを、ということで、お願いしたらしい。

人材派遣の方とか、嘱託職員とか、パソコンの会社の方とか、支部採用職員とか、また、パート職員、臨時職員とか、いろんな名称の職員が、存在する。その中でまた、いろんな役職が存在する。ただ、普段仕事をする上では、職員の雇用でなく役職で仕事の内容が決まってくる。

なんだか、私の勤める職場もややこしくなってきているなあと思った。

雇用形態など、普段仕事をする上ではあまり考えないようにしている。普段仕事をしている相手もそんな感じだし。担当業務が何か、ということで、話をしている。

役職にこだわるのは、ある程度上の人達。普段話をしている人達は、役職のない人達が、どれだけ一生懸命仕事をしているか、お互いに知っている。役職者がそれなりの権威を保っていられるのは、その下で働く人達が頑張っているから。それをわかっていない管理職は、尊敬する気にはなれない。

今は、頑張っても、それを給料とかの待遇で、表す事が難しい時代なのかもしれない。頑張っている事を認めているんだよ、と言うことを誰でも、誰かに言ってほしいのだ。


2006年01月07日(土) よく見る夢の話

ふと気が付くとまた見ている、という夢がある。この2日ほど前にも同じ夢をみたのである。

それは、私が大学卒業後すぐに就職した職場。栄養士として、某大学医学部付属病院に就職した。そこは、栄養士も最初は現場を、ということで、調理師さん、調理員さんなどと一緒に、病院給食の調理をした。そこは、その頃は、勤務条件が厳しくて、残業も多く、学校時代に思っていた事とは違うことばかりでとまどいもあったりして、身体を壊してしまって、一年で退職してしまった。

当時の、上司は、その後の私を心配してか、その後もずっと、なぜか毎年、年賀状を送ってくれていた。その上司も昨年退職したとの連絡があった。

その職場の夢を、ときおり見るのである。内容はだいたい同じ。

かつて勤めていたその職場に、アルバイトとして働いているのである。仕事は、その頃していた、病院給食の調理の仕事。現場の人達とも、仲良く仕事をしていて、アルバイトでなく、正社員として雇うから、今後も頑張ってね、と上司に言われ、現場の人達も、よかったね、頑張ってな、と言ってくれているのである。でも私は、かつて、身体を壊して辞めた事を思い出し、やっていけるのかな、と不安に思うが、もう一度やってみよう、と思う。というもの。

なぜだろう・・。何度も同じような夢をみる。前、東京に行った時、ちょっと時間があったので、当時の上司に会いに行ったことがあるが(年賀状をくれたのとはまた違う人)、君は栄養士の仕事は、もうしないほうがいいな、と言われた。当時から厳しい人だったが、その職場では、誰よりも私を心配してくれた人でもある。大学卒の栄養士が少ない中で、長年勤めていた大学卒の栄養士だった。今は、珍しくないのだろうけど、当時は、大学卒で病院勤めの栄養士は少なかった。

おそらく、私の心の中に、もう一度、栄養士として働いてみたい、という気持ちがあるんだろう。だめだと、多くの人から言われてはいるけど・・。

今の職場は、私自身には、合っているんだろうと思っている。だが、不満がないとは言えない。でも、前にも一度書いたが、特に事情もないのに、転職するだけの勇気はない。

それでも時折見るのはなぜだろう・・。調理師さん達、気のいい人が多かった。今の職場は、何を考えているのかわからない人が多くて、私のような単純人間には過ごしにくいなと思うこともある。表と裏があるというか、腹のさぐりあいをしているというか、そんな感じなのである。思っていることをそのまま言っているのではない。そういう人になれ、と上司に言われている。そういう人が、この職場では認められるのだと。

身体は大変だったけど、気のいい人が多かった、かつての職場に帰りたい、ということなのかもしれない。でも、私はもうあの職場に戻る事はできない。

戻りたいけど、戻れない、今の心境が、時折、夢となって、現れるのかもしれない。

今の生活を壊してまで、戻るだけの勇気はないし、戻ったところでうまくいくとは限らない。また、前と同じように、うまくいかない可能性の方が高い・・と思う。


2006年01月04日(水) 仕事始め

今日から仕事始め。年末年始、休みのうちに、普段出来なかった家の片付けなどをしようかと思っていたが、結局あまり出来なかった。去年の年末年始は何をしていたんだろう・・。実母の再入院が年末にあり、バタバタしていたような気がする。それから、実母の病状は悪くなる一方で・・。結局2月の中旬に亡くなってしまったのだが・・。

それ以来、ずっと忙しかったせいか、部屋の片付けなどほとんど出来ないままで来ていた。片付けは、2年分くらいの量になるのか・・。平日は、帰宅したら食事作って残りの時間でちょっとした家事をしたらもうそれで終わってしまう。

今年からは、前のように、少しづつ家の家事も計画的にこなしていくようにしようと思う。毎日少しの時間でも、やっていけば、違うんだろうなあ・・。前は、それこそ、テレビ見ながらアイロンかけとかしていたのに、それもしなくなってしまった。

アイロンかけは、もう着るものがない、という状況になってから・・。というのが今の状態。面倒くさくなって、アイロンがけのいらない服を買ったりもしている状況。それも一つの家事の効率化かなとも思うけどね。でも、アイロンのかかったシャツを着るのは気持ちのいいものである。

前は、カレンダーに、その日にした家事を書いていた。毎日全部は出来ないから、この日はこれ、という感じで決めて、それでカレンダーに書くことで、この日はこれをしたんだなあ、というのがわかるし、また、それが自分の励みになる。

家事って、やってもやっても、終りがなく、やってるんだか、やってないんだか、わかりにくいところがあるんだよね。たとえば、カレンダーに「階段の掃除」と書いてあるだけでも、何か少しでもしたんだなあと思えるもんね。そうやって、毎日何か少しづつでも、今年はやるようにしたいと思う。

とりあえずは、年賀状の返事書きかな・・やらないといけないことは・・。「喪中はがき」出すのもなんとなくためらわれて、出していないので、年賀状いただいた人達に、返事を。私製のイラスト入りのハガキを買ってあるので、それにメッセージを入れて出そうと思う。


2006年01月02日(月) 初詣

昨日(1月1日)に初詣に家族で行ってきた。今年行ったのは、八栗寺。お寺なんだけど、初詣に行く人が多いんだよね〜。と思っていたら、ちゃんと神社も中にあった。牟礼町商工会HPに書いてあったけど、「歓喜天」という神様がいるらしい。夫婦和合の神、商売・福徳の神ということらしい。

商売繁盛にご利益がある、という事は、前から聞いてはいたけど他にもご利益あるんだなあと思った。

八栗寺は、ダンナが前この近くの職場だった時に、毎年、会社から行っていたそうで、結構詳しい。駐車場が狭いし、道も狭いという事で、車で行くより電車等で行ったほうがいいだろうと言われ、そうすることに。

コトデンで、「八栗」駅で降り、ケーブルの乗り場まで歩いた。結構遠い。20分くらいは歩いたかと思う。

乗り場について、さすが、初詣の日、大勢の人が、ケーブルカーに乗るのを待っていた。大勢の人、というので、パニック障害持ちの私としてはちょっと不安になる。ダンナに時間を聞いてみた。5分くらいだというので、乗ることにした。歩くと1kmほど山道を歩かないといけないのだそうなので、ケーブルカーがいいだろうと言われて。

乗ってしばらくは不安感が続いたが、ダンナが「ここで半分だよ」と言うのを聞いて、もう大丈夫だなと思えた。

八栗寺は、五剣山という山の上にあるのだ。四国霊場八十八箇所のお寺にもなっているところ。

やはり、電車で行って正解だった。車の列はすごくて、ほとんど動いてなかったから。

初詣恒例のおみくじをひく。当たっているような気もするし、そうでもないような気もするし・・。私の場合は、これからよくなっていくが、油断することなく、精進しなさい、というようなことが書いてあった。


八栗寺(四国ケーブル株式会社HP)

八栗寺(牟礼町商工会HP)


2006年01月01日(日) ジャニーズカウントダウンTV

先日に続いて、kinki kids関連の話。

大晦日は、テレビでは紅白も見たけど、その後であった、「ジャニーズカウントダウンライブ」が結構興味深く見れた。

場所は、東京ドームで、カウントダウンライブが行われるまでは、kinki kidsのライブが行われていたらしい。先日来、キンキファン関係のブログでいろいろ、ライブの様子の書き込みを見ていて、ジャニーズ系のライブのすごさを知ったのだが、そのカウントダウンライブでもそれはあった。

キンキのライブの情報は知っていたんだけどね・・。クリスマスには大阪で・・とか。働く家庭もある主婦としては、そんな時期家族を置いて遠出などできないよ・・。

「クリスタル花道」と書いてあった人もいたんだけど・・。動くステージ。歌手や、バンド系の人はバンドでその上に乗って、歌ったり踊ったり、演奏したりするんだけど、それが、アリーナ席のお客さんの上を動いて行くんだよね。お客さんサービスか、そのステージは透明になっていて、見ようと思えば、自分の真上に来たとき、見上げて上を見ることも出来る、というような感じ。

その日は(カウントダウンの日)クリスタルステージは、4つくらいあったと思う。途中で、ボールを投げたり、サイン色紙を投げたりしていた。(これも、よくあることらしい)

この日は、ジャニーズ101人集合ということで、大勢のジャニタレが集合。若手から、ベテランまで。

音は、ライブ会場内で聴いているなら、しかたないがテレビ中継するなら、なんとか出来ないのか、と思えるような、音響のひどさだった。ライブ会場の音そのまま出しているといるという感じ。マイクで直接拾って、集めるという方法はとれないこともないと思うんだけど。ライブ会場で聴くにしても、バランスが悪い。一番のメインになるボーカルの音が埋もれてしまっている。聴こえないこともないんだけど。

それはそれで、音は、ライブ会場が音響がよくないんだからとあきらめて、別の楽しみで楽しめばいいわけなんだけどね。現にあの動くステージであれだけのパフォーマンスが出来るって、すごいなあと思った。あの狭さのなかでダンスもするし、バック天もしたりするんだから、すごい。

司会は、キンキがしていたんだけど、会場が大きすぎて、すぐ近くにいる人の声も聞こえないような感じだった。(インタビューの時の反応でそう思った。)お互いに、マイクを通して会場に出た声を聴いて、答えているという感じに思えた。

紅白が終わってから見たので、最初からは見てないのだけど、キンキの曲は、「ビロードの闇」など2曲ほどあった。他の歌手の曲でも、キンキが途中から歌に参加したり、またその逆もあったりと楽しめた。他の歌手の曲を歌っても、キンキは二人とも歌うまいなあと思いながら聴いた。

他の歌手も出ていたのだけど、よくわからないので書きません。よく知らないのに書くとよくないような気がするので。


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